風紋

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2003年03月31日(月) 3月31日 / 紅茶を飲んだ(という記録だけ)

3月31日だった。

昨年12月末(ここを参照?)にも似たようなことを書いたような気がするのだけれど、なぜ、3月31日から4月1日の変わり目は特別なのだろうと少し奇妙に思う。“今日”に“旧年度(2002年度)”という名がつき、“明日”に“新年度(2003年度)”という名が付くだけなのに、何が何故こんなにも大きく変わるのだろうと思う。

新聞の紙面の構成が変わったり、テレビ番組の編成が変わったり、会社の名前が変わったり。そう言えば、みずほ銀行がスタートしたのがちょうど1年前で、街を歩くたび、この前まであの銀行(富士銀行)とこの銀行(第一勧業銀行)は違う銀行だったのに、4月から同じ銀行になっているのを奇妙に思ったのだった。

私自身の身の上には、4月になったからと言って大きな変化がないという状況がここ数年続いているのだけれど(最後の大きな変化が大学入学だったような気がする。それ以降はない)、自分自身が変わりたくても変われない(努力不足か)、飛躍したくてもなかなか飛躍できない(というのも努力不足か)でいるだけに、4月になって周囲が一気に明るく新しくなるというのが少しつらい。もともと環境の変化に弱いということもあるけれど(昨秋の引っ越しで実証済み?)。

4月から新しい場所へ行かれる方が私の周りにも何人かいらっしゃる。ここ数日で、それぞれに最後のご挨拶をした。今まで毎日とまではいかなくても頻繁にお会いしていた人たち。二度と会えないということはないと思いたいのだけれど、しかし、4月からは会うことも少なくなるだろうとか、もしかしてもしかすると、もう会えないかもしれないと思うと(思いたくなかったが)、何とも言えないくらい寂しくて不安で、この人の姿も声も全部をまるごと心に焼き付けようとした。すべての人に対してそれができたわけではないけれど。

今はまだ、別れが信じられなくて、明日も明後日もその人がそこにいるように思うのだけれど、その人は明日は新しい場所におられるはず。今まで、きっと、私自身が意識しないところで、たくさんたくさん支えられていたのだと思う。思うのだけれど、それが実感されるのは先だろうとも思う。

どうして、離れてしまってからでないとそれを実感できないのだろう。

せめて、4月以降も引き続き(あるいは新しく)私と近い場所で関わりあっていくであろう人に対して、大切に会っていこうと思う。

別れる時に、さようならという言葉はつらくて言えなかった。ありがとうとか、また会いましょうとか、お元気でという言葉を言っていたような気がする。それでも別れる時は、胸に大きな穴があいたような感じがした。

今はただ、また会えるときがあると信じよう。どうかお元気で。私も頑張ろう。


紅茶を飲んだ。レピシエの378 マハガストット・PEKOEクォリティ MAHAGASTOTTE, PEKOE1 QUALITY 03-2(詳細)。美味しかった。詳細は、今は飲みながら書いているのではないので、記憶がぽやんとしているので、飲んだ時にでも書く。


メモ:学会発表の論文集の原稿を提出した。


2003年03月30日(日) 後ろ向き日記

日記の日付が1日おきになっているのは、別に意図的にそうしているわけではなくて、調子の良い日と悪い日が交互に来ているというだけの理由。調子の悪い日は本当に電気をつけっぱなしの眼鏡をかけっぱなしで寝ていたりする。そういう日は書けない。で、そういう日は大抵眠りすぎて翌日は全然眠れないので日記が書ける、と。調子が悪いと言っても少し疲れやすいかなというくらいで、この程度なら、世の中の大抵の人は、しゃらっと乗り切っているのかなと思う。何故この程度のことでぐだぐだになっているのだろうと思うと自分でも悔しいし情けないのだけれど。

ちなみに先週の木曜日から何となく腹痛(ずっと痛みつづけているわけではないが)。

強い女性になりたいなとずっと思っていたし、今もそう思っている。少々のことではへこたれずに、少々の迷いがあっても、いつも前向きに強く毅然と進んでいく女性になりたいなと。例えば、実在の人物ではないのだけれど、新井素子さんの「星へ行く船」シリーズに登場する、木谷真樹子のような(実在の人物でも何人かいるように思うのだけれど、ぱっと思い浮かぶのが木谷真樹子だった)。頑張れば私もそうなれるかなと何となく思っていた。ただ、私は私でしかないんだなぁと。強い女性になれたらいいなぁと言いつつ憧れつつ、私はずっとこうやって転んだりへこんだり、落ち込みスパイラルにどぼんとはまったり、だめドミノ状態を繰り返したりしながら進んでいくのかなぁと。いや、進んでいるかどうかもわからないな。戻っている方が多いかも。それでも何とかやっていきたいと思っているから辛うじて踏みとどまっていられるところはある。踏みとどまるだけではなくて、壁を壊して進みたいのだけれど。

他の人に「元気?」と聞かれて、そういえば私は元気なんだろうかどうなんだろうかな、ここで元気と言った方がいいのかなと迷って凍りついて何も言えなくなってしまうような、そんな状態が続いている。ほんとはあんまり元気じゃないよと言いたい感じ。だけれど、いつもいつも元気がないわけではないし、かなり長い間こんな感じなので、私にとってどんな状態が元気なのか、よくわからなくなってきたような気がする。ただ、いつまでこんな状態が続くんだろう私、とは思う。

あまり「元気ではない」というのも申し訳ないし、それは何の言い訳にもならないし、実際いつも元気がないわけでもないし、そもそも何がどうなったら元気なのか全然わからなくなってきた(確かに今は「元気でない」ような気がするが、しかしそう言うと私はずっと「元気がない」と言い続けるのではないかしらと思う)ので、もう割り切って「元気だよ」と言うべきなんだろうなと思いつつ、それは何だか間違っているような気がしないでもない。

というわけで、久しぶりに関わりを持った人に挨拶する時に、「元気?」と聞くのも少し躊躇ってしまう。

あ、でも私は元気です。ほんとかな。

後ろ向きでごめんなさい。もう少ししっかりします。

追記:「そよ風」に写真を何枚か載せました。


2003年03月28日(金) 出身高校の吹奏楽部の定期演奏会に行く / その他

出身高校の吹奏楽部の定期演奏会を聴きに行った。自分も昔は在籍していたのだが。

感想は…なんだか複雑な気分だった。自分が高校生だったのが随分以前のことになり、また現役生と接する機会がほとんどなくなってからも相当な時間が経つ(卒業して3〜4年は頻繁に遊びに行っていたので、後輩の顔や名前、パートも割とよく知っていたのだが)こともあってか、多少距離を感じながら聴いていた感じがする。ステージを見ながら、自分がこの高校生たちの先輩にあたるんだなぁとも思わなかったし、高校生だった頃の自分が思い出されるということもなかった。それがいいのか悪いのか、よくわからないけれど、少し寂しくはあった。

何だか、多少突き放した見方をしてしまって、「全体の中での自分の役割(自分が主旋律かそうでないのか)を意識すればいいのに」とか、「もっと楽器に息を入れればいいのに」とか、「曲中の移動や立つタイミングとか打ち合わせをしておけばいいのに」とか、細かいことを考えながら聴いてしまった。何というか、自分たちだけが頑張るのではなくて、お客さんの立場から聴く(見る)とどうなるかをほんの少し意識するともっと良くなるのになと。今の自分自身も全然できていないことばかりなので恥ずかしいのだけれど(私も今でも一度演奏してみると自分のことしか見えてないし、その意味では偉そうに言えないというところはある)。

ただ、2年生はこの演奏会を最後に引退するということもあってか、演奏会にかける並々ならぬ気合いのようなものは伝わってきて、それは今も昔も変わらないんだなと。そして本当に楽しそうで。この高校生たちは、音楽と、このクラブにいる仲間のことが本当に好きなんだなぁと思った。

自分たちも現役の高校生の時、先輩方にこのように見られていたのかもしれないなと思うと、あの時の自分には何が見えていたのだろうと思ったりもした。

…やっぱりうまく書けない。複雑な気分だ。しみじみしているとか、懐かしんでいるとか、寂しがっているとか、苦々しく思うとか、いくつかそれらしい言葉は浮かぶものの、何だかどれもしっくりこない言葉のような気がする。


明日はいつもと反対の電車に乗って、とあるところに行く。少し緊張する。というか朝早くに家を出ないといけないので本当は日記を書いている場合ではない。

今週は、諸事情で研究室を使えなかったのが予想以上に長引いたのであまり大学に行かなかった(と言っても行かなかったのは今日と一昨日だが)。勉強も全然しなかった(ほんとに生産的でない週だった)。体調もあまり良くなかった(寝込むほどではなかったが、疲れやすかった)。この3つの間に因果関係があるのかどうなのか、よくわからないのだけれど。言い訳できないなとは思う。


2003年03月26日(水) 卒業式の季節だからか、綺麗な着物を着た若い女の人をよく見ること

最近、卒業式の季節だからか、綺麗な着物を着た若い女の人をよく見る。色とりどりの振り袖や袴。そんな女の人と擦れ違うたびに、自分の中の何かが激しく揺さぶられるような気がして、平常心ではなくなってしまい、涙がこぼれそうになったりもする(自分でも大袈裟だろうとは思うが)。

1つには、自分自身が袴を着た時の卒業式をあまり満足のいく形で迎えられなかったからということがある。つまりは大学の学部の卒業式なのだけれど。今さら悔やんでもどうしようもないし、どうしようとも思わないけれど、私は、大学の学部の最後の1年をものすごく後悔の残る形で過ごしてしまった。それは他の誰のせいでもない。周りの環境のせいでもない。自分が悪かった。自分が悪いのはわかっていたのに、どう動けばいいのかわからなくて、悩めば悩むほど自分の手で自分を苦しい立場に追い込んでいたような気がする。結局、卒業はできたものの、卒業論文の出来は無茶苦茶で、こんなので私は卒業する資格なんてないのに、こんなに華やかな場にいたくないと思うと、その場にも居辛かった(実際、進学も就職も決まってなかった)。

それ以上に後悔が残るのは、卒業式の当日にあってさえも、自分が“今、この瞬間”“この風景”“今、ここに居る人”を大切にしていなかったことだ。自分自身が、進学は決まっていないにしても大学に残ろうとは決めており、あと他の友達も、進学したり進学を目指したりで結局大学の周辺にしばらくの間は残ることを決めている人が多かったので、これでお別れだという意識が希薄だったのだと思う…でも、それは何の言い訳にもならない。

それがそこにあるのが当たり前だと、無意識のうちにそう思っていた。その人がそこに居てくれるのが当たり前だと、無意識のうちにそう思っていた。「じゃあまたね」と言って一度はお別れしても、「じゃあまたね」と言った以上は絶対にまた会えると無意識のうちに思い込んでいた。そう思い込んでいた私は、随分と傲慢で甘ったれだったのだと思う。

でも本当はそうではなくて。また会うその日まで絶対に生きている保証はどこにもないのだった。ある人が生きていて、そこに居てくれるということは、決して当たり前のことではなく、とても有り難いことなのだと、その時の私は知らなかった。卒業式の1ヵ月後にそれを思い知り、激しく後悔したのだが、遅かった。

卒業前の最後の1年の過ごし方と、その帰結としての卒業式のことを思い出すたびに、今でも少しつらくなる私は、未だにその1年を乗り越えていないのかもしれない(乗り越えるようなものなのかどうかわからないが…)。気を抜くと、あの時と同じような1年を自分は過ごしてしまうような気がする。それがそこにあるのが当たり前だと、その人がそこに居てくれるのが当たり前だと、傲慢にもそう思ってしまう。そんな自分が許せないなと思う。

あれから何度目かの春を迎えるが(何度目かは書かないが)、この季節になって、着物姿の若い女の人と擦れ違うたびに、ごめんねと言っているような気がする。ごめんねと言い続けていても仕方がないから、その時その時で“今、この時”を大切に生きること。周りをしっかり見ること。自分の目で見て自分の耳で聞いて自分の頭で考えて。感じて。そして今ここに居てくれる人を大切にすること。生きてそこに居てくれるただそれだけのことがとても嬉しくありがたいことで。あなたに会えて良かった。後悔のないように人と会うこと。ありがとうとごめんなさいと好きだよという言葉は迷わずに伝えること。人と別れる時にはある程度の覚悟をもって別れなければならないこと。

あなたのこれからが、誰よりもあなた自身にとって幸せなものでありますように。何もできない私ですが、そう祈り続けています。その祈りがどれほどのものになるのか、わかりませんが。

この場で書きたくないことを省略して書いているので、わかりにくい日記でごめんなさい。


そんなことを書きながら。新年度に向けての準備が物理的にも精神的にもまだできていなくて。

3月になって降ってわいた話があったりしたせいもあって、新年度に向けては不安ばかりが募る。それでも、まだ続けたいと思うから頑張る。


2003年03月24日(月) 沈丁花と住所 / さくらがさいた / 後悔しない

沈丁花の、心地よく懐かしい匂い。

前の家の庭には沈丁花があった。子どもの頃は、散り落ちた1つ1つの小さい花をままごと遊びの材料(?)に使っていた。小さくて可愛らしくて、とても使いやすかった。木に咲いているのをちぎったりはしなかった…ということにしておく。

今の家の住所を書くたびに、番地がこれで正しいのか何度見ても自信がないような気がするし、気を抜いていると右腕は勝手に前の家の住所を書こうとする。そして新しい住所の隣に並んだ自分の名前は自分を現すものでないように思われる。ただ、もう前の家に戻ることがない以上は、前の家の住所を書くことも気紛れ以外ではもう二度とないのだから。


諸事情で研究室に居ることができなかったので、隣の研究室にお邪魔した。隣の研究室には大きな窓があって、窓のすぐ外に桜の木がある。つぼみがどんな感じなのか見てみようと窓に近づいて見てみると、もう相当色づいていて、隅の方のもの(たぶん部分的に日当たりの良い場所)は花を咲かせていた。桜が咲いてるよー1個だけだけれどーと後輩を呼んで、2人で眺めていた。他のものも、恐らくもう少ししたら咲き始めると思う。嬉しいなぁ嬉しいなぁ。


三連休の余波か、今日は例えるなら助走だけで終わった感じ。助走にそんなに時間をかけるなという感じなのだけれど。


以下引用。
「昔、水沢さんが言ったわ。反省しなければ、人間って進歩しないだろうって。でも反省と後悔って違うのよね……。わたし、ずっと、こういう風に思ってきたわ。“我、ことにおいて後悔せず”っていうのは……何かをやる時にね、本当に極限まで−−自分の思考範囲極限までそれについて考えてみて−−で、はじめて、何かする訳よ。そうしたら……たとえ、結果が凶と出たって後悔なんてできないわよね。後悔したら、極限まで考えた自分−−自分そのものを否定することになっちゃうもの」
(新井素子「通りすがりのレイディ」1982年、集英社。pp.113〜114)

あまりうまく書けないけれど。こう言える時(場合、場面)と必ずしもそう言いきれない時(場合、場面)とがあるのだと思うけれど。これと似たようなことを考えたことが私にはある。というかこのセリフが妙に腑に落ちたというか。自分のしたことを考えるとどうしようもない苦みを感じて、しなきゃよかったのかもしれないと思ったり、でもそれをした時には精一杯極限まで考えて、ああするしかしようがないと思ったんだし、結局いま現在も本当のところはそう思っているんだということを思い出すと、立ち往生するしかなくて、自分自身を消してしまいたくなったり。しかしそうしたところで何にもならないよとも思い。何だかそういうことの繰り返しだけれど。

多分、誰かに「後悔してるの?」と訊かれたら「してないよっ」と答えると思うのだけれど、見えないところで言葉にならないものを涙と一緒に噛み潰しているような気がして、でもそういうところも引っくるめて私の生き方なのだと。


2003年03月23日(日) 今年だけの春 / 練習へ

今年の春と同じ春は二つとないのだな、と思った。言い換えると、“今年の春と1年前の春は違うし、さらにもう1年前の春とも違う”とも言えるし、“今年の春と同じ春は今までに来たことがないし、これからも来ないだろう”とも言えるし、“今年の春はかけがえのない、二度と経験できないもの”とも言えるし…。あまりうまく言えないのだけれど。

毎年、今時分(3月の中頃から終わり頃)になると、そろそろ春だなぁと思うのは同じなのだけれどね。

そう思ったきっかけが、今年は花粉が随分多いと聞くけれど昨年はどうだったんだろうという疑問であったことが、あんまりロマンチックではなくて、どうなんだかと思うのだけれど。桜の咲く時期も、スギ花粉の飛散量も、コートを薄手のものに変える時期も、暖房を使わなくなる時期も、空の色も風の匂いも、その年その年で違うのだろうな、と(当たり前か)。何より、春を見ている自分自身もその年その年で同じではないのだろうし(いや、ある意味「同じ」と言えるけれど。でも「同じでない」し)。

今年の春が、今年しか味わえないものなのかなと思うと、何だか急に勿体無いような気がして、笑って春を迎えられなくてもいいから、この春を味わい尽くしてやろうと思った。豪勢な場所に花見に行こうとかいうのではなくて(行ってもいいのだけれど、人込みに弱いので多少辛い)、いつも見ている木をほんの少し長い時間をかけて見てみようとか、帰りに寄り道をして普段見ていない花を見てみようとか、その程度なのだけれど。

今日は昼間に自動車に乗ったら、かなり車内の温度が上がっていて暑かった。この感じ。


久しぶりに楽団の練習に出る。楽器を吹きながら、私は曲を演奏することだけでなくて、楽器を吹くという行為(?)自体もかなり好きなのではないかということに気が付く。大きく息を吸って、目当ての音をイメージしながら息をはいて音を出して、音を響かせて…というふうに身体を使うこと自体が快い。自分の身体が楽器になったような。この辺りの感じは、言葉でなくて身体に染み付いているようなもので、私にはあまり上手に文章にすることができないのだけれど。

音出しの段階で、ロングトーン、音階、リップスラー、タンギング、半音階と一通りこなして、自分の身体の中に、忘れていた何かが戻ってきたような気がした。ずっと練習をさぼっていたので、高音がかなり出難くなっているのはまずいのだけれど。

ここしばらく、次の演奏会が終わったら退団するかあるいはしばらく休もうかなと思っていた。それは今のこの瞬間も完全にそう思わなくなったわけではない。正直、自分の本業(?)さえ満足にできていない状態で、小指1本でぶら下がっている状態(主観的には)で足掻いているので、コンスタントに練習に出るのは多少きつい(もう少し頑張らなきゃとは思うものの)。ただ、今日こう感じたことで、やっぱり私はここから離れられないなと、もう少し踏みとどまってみようかと思った。

しばらくぶりに合奏に出ると、今まで見たことのない楽器があったり、聴いたことのない旋律が聴こえてきたり、先日までリズムが噛み合っていなかったところがうまく流れるようになったりしていて、徐々に仕上がってきているのかなと思い、その中で私は何をやってるんだろうと思って反省をする。今回初めて見る楽器もたくさんあって、きょろきょろ見回しながら、おおっと思っていた。今日見た(聴いた)楽器で、一番印象に残ったのはフィンガーシンバル(という名前だったか…? あまり名前に自信がない)。高音で、可愛らしいけれど割と毅然とした感じの音を出す楽器だった。


2003年03月21日(金) 昼間の夢 / 「エンジンが笑っても」 / 空の写真

昼間についうっかりうとうとと微睡んでしまうことがある、というのはいつものことなのだけれど、最近、そのような昼間の一瞬の微睡から目覚めた直後に、何故か懐かしいような幸せなような暖かい気分でいることがある。とても幸せな夢を見ていたような気がするのだけれど、どんな夢だったのか、なぜそんな気分になっているのか自分でもよくわからない。なぜだかわからないのと、その幸せな気分を引き起こしたものが現実のものでなかったということで、少しほろ苦いような寂しいような気分になったりもするのだけれど。

夜に眠るのが辛い日が続いている(一度眠りに落ちてしまえばそうでもないのだが)ので、昼間に眠ってこういう幸せな気分が得られるのは、その代償かなと思ったりもする。


BGM:「エンジンが笑っても」(平松愛理)
この曲が収録されている「とっておきの20秒」というアルバムは随分以前から持っていたのだが、あまり聴くことがなかった(というのはちょうどその時期にミニコンポのCD再生機能が故障したから)。ふと思いついて聴いてみて、聴きながら部屋の片付けをしていたのだけれど、片付けの手をとめて「ん?」と惹きつけられたのがこの曲。高音の部分(「エンジンが笑っても」の「らっても」で音がふいっと上がる部分など)が何とも心地よく響いていると思う。

ちなみに「エンジン」というのは心のエンジンのことのよう。

美人じゃないことも 知っていると
心のエンジンが笑っても
ときめきをパワーに 変えていけば
動き出すときがくる


ということらしいが、

本音で生きる程 強くないと
心に自分が負けそうでも
うそぶいて生きてくよりも 素敵
エンジンは笑わない


の部分に、やられた。


午後(夕方近く)、空がきれいだったので、写真に撮って、「そよ風」に載せた。


2003年03月20日(木) (引き続き、少しずつの呟き)

私は、日記を書くことで、とても救われているような気がするし、自分を追い詰めているような気もする。でも、日記を書かないことによっても、とても救われているような気がするし、自分を追い詰めているような気もする。

感じたこと・考えたことを言葉にすることによって何がどうなるのか(あるいはならないのか)、それをし続けていくことで何がどうなるのか(あるいはならないのか)、それをこういう形で自分ではない人に読んで頂くということによって何がどうなるのか(あるいはならないのか)ということを、最近…というか1年ほど前からよく考えている。

いずれにしろ、今日のところは身体が限界に近い(でもまだ18時少し前だ)。あくまで今日は、だけれど。ごめんなさい。身体が弱いというわけではなくて、むしろ相当丈夫な方なのだけれど、やや疲れやすい…のかもしれない。もう少し疲れにくい身体をつくりたい。疲れに耐え得る身体を。

学会の年次大会の論文集の原稿を出してきた。だいたいのところは一昨日にはできていたが、直前になって題目を変えた方がよいかもとか、ここの言い回しを変えた方がいいかもとか思って何度も書き直しをしてしまい、結局ばたばたで出してしまった。

寝耳に水というか、バケツにいっぱいの水を寝耳に一気にばしゃーんと流し入れられる感じで受け止められるお話がいくつか。決して悪いお話ではない(むしろよいお話)のだけれど、事態の変化に自分自身がついていくことができていなくて、茫然としているようなところがある。私がしっかりしないといけない、と思う。

美味しいものが食べたいよ。安価なものでいいから。帰りしなに喫茶店にでも寄ろうかな。

(たぶん今日帰ったら日記を書く体力は無いと思う…ので、今のうち。というか欠伸がぱこぱこ出て止まらない)


2003年03月19日(水) (少しずつな呟き)

ぷちんと糸が切れたようになって、もう全部あきらめてしまおうと思った。
(具体的に何を?と聞かれると、何だろうという感じだが)

もう泣くまい、笑うまい、とさえ思った。

しかし、気が付くと
うぐいすの鳴き声を聞いて嬉しく思ったり、
周りの人からの暖かい働きかけに涙したり、
月がとても美しいのを見て元気付けられたり、
「タンスにゴン」のコマーシャルを見て死ぬほど笑ったり、
…という自分が居て。

そんな自分がとても悔しくて、でも嬉しかった。

今、お彼岸だったんだね。

BGM:「交響曲第9番ホ短調作品95“新世界より”」(Symphony No.9 in E minor, op.95 "From the new world")/ドヴォルザーク


2003年03月13日(木) (題名のつかない日)

考えなくてもいいこと(恐らくは考えない方がいい…というか考えるほどのことでもないこと)を考えて考えて考えてしていたら、わけがわからなくなって軽く眩暈がした。

あまり元気ではない。でもそれを言い訳にするつもりはない。

私は日記を書いてはいけないんじゃないのかな。なんとなくそう思う。


音楽:「Waltz for Debby」(Bill Evans Trio)。

最近、元気がないのと本業のことで手いっぱいであるがために、楽団の練習を休み続けているので、音楽を聴くと咎められているようでつらい。ジャズやポップスや合唱曲なら、現在自分が演奏者として携わっている音楽とあまり関係がないので辛うじて聴ける。

この曲を聴くたびに、なぜこの曲はこんなにも優しいのだろうと思う。


2003年03月12日(水) 手 / それ以後はこんな日 / 独り言 / 雪苺娘 / 「ふるさとの夜に寄す」 / メモ

交差点を渡ろうとするとちょうど青信号だったので、これ幸いと足を踏み出しかけると、向こうから見覚えのある人が近づいてきた…後輩だった。こんなところで会うとは思っていなかったので、しばらく茫然としていた。間近まで来てから「あ?」「あ…?」という感じで。私が貸したものを返そうと研究室まで訪ねてきてくれたのだが、鍵がしまっていたとのこと。私がふらふら寄り道なんかしていないでもう少し早く来ていればよかったのにな、ごめんなさいね(もう少し遅ければ会うことさえできていなかったかもしれないのだけれど)。

彼女は交差点を渡り終えていたのだが、私は渡る前だったので、次に青信号になるまで…としばらくお話をした。いやぁ偶然でも会えて嬉しいな−と小躍り。

やがて信号は青になり、名残惜しい気がしながらも、じゃあ…と言いかけると、彼女がいきなり手を握ってくれて、「がんばりましょうね!」と言ってくれた。嬉しくて嬉しくて、でも突然のことに少しびっくりしたような気持ちで、「な、何を」と言うと(この応答ってどうなんだか…と今、記述していて思う…)「人生を」とのこと。

うん。頑張ろう。頑張ろうね。なんだかすごく勇気付けられた思いがして、握ってくれた手を強く握り返して、そして手を放したくないという気持ちを残しながらも手を放して、手を振って別れた。頑張ろうね、という言葉は、確かに時々は、とても疲れたり負担になったりすることもある。でも、今日の「頑張りましょうね」は嬉しかった。暖かくなった。

手を握ってくれたことも嬉しかった。…このあたりは言葉にならない気持ちなのだけれど。手を放してしまっても、放した後に何が起こっても、この手の温もりを身体が憶えている限りは私は大丈夫だと思った。そして、自分の過去を振り返ってみると、誰かがそういうふうに手を差し伸べてくれたことが、私には何度かあり、つまり、そういうふうに手を差し伸べてくれた人が、私には何人かいる。そして、その時もそう思った(手を放すのはとても不安だったけれど、一方では「手を放してしまっても、この手の温もりを身体が憶えている限りは私は大丈夫だ」と思った)。そのひとりひとりが、私にとってはそれぞれにとても大切で、「大切」の程度にも違いは無くて、それぞれに代わりなんていなくて。

ほんとは、自分から手を差し出せる人になれたらいいのだけれどね。手を差し伸べてくれるのを待つばかりではなくて。

ありがとう。私は大丈夫だよ。嬉しかった。元気でね。また会おうね。


↑は、お昼過ぎに書いたもの。「私がふらふら寄り道なんかしていないでもう少し早く来ていればよかったのにな、ごめんなさいね」と書いたものの、でもよく考えてみると、普通に研究室で会うよりもこっちの方が面白かったかもしれない。ただただ、偶然に出会えたことを本当に嬉しく思うし、感謝したいと思う。でも、それと別件でもう少し早く大学に来よう…と思ったのも事実で、最近来るのが遅いので帰るのもやたらと遅い。朝起きるのが遅いのがそもそもよくない。起きてお昼前だったりするとかなり自己嫌悪に陥る。早く眠らない自分が悪い。

学会の論文集の原稿書き。仕上がってないけど。さっきの(↑の)ことを思い出したり、これまでに手を差し出してくれた人のことを思い出したり、そして時々作業の手を止めてじっと自分の手を見つめたりしながら。

帰る時は何だかへろへろで泣きたい気分。最近帰る時はいつもそうで、やたらと頼りない気持ちになって、気を抜いたらぺたんとその場に座り込んでしまうのではないかと思う。それほどハードな生活も送っていないのに、なぜだろう。こんなのでは4月になったらもたないよ…。


どこにどう分類していいのかわからない独り言。

私は人間だから、眠らなかったら疲れるし、美味しいものを食べなかったら元気が出ないし(食べたら元気が出るのかというとそれは違うような気もするが)、悲しければ泣くし、嬉しければ笑うし、刃物で切り付ければ血が出る。…ということを誰かに向かって言いたいのではなく、自分自身に確認させておきたかっただけなのだけれど(しかしこの場所に書いている時点で、誰かに聞いてほしかったのかもしれないなとは思う)。

日中は春の陽気。それとともに、ほんの少しの不安。桜の花はまだ咲かないけれど、あの木は桜の木。だって1年前の春にも2年前の春にも、あの木には桜の花が咲いていたから。今年もあの木に桜の花が咲くだろう。咲き終われば散るだろう。その季節になると。私は今年は大丈夫だろうか。


今日、食べたもの。ヤマザキの「雪苺娘」(ゆきいちご)。ちなみに今日の昼御飯はこれとコールスローサラダだった。理由もなく甘いものが欲しくて仕方なかったので。でも分類上は恐らく洋菓子になる。ピンク色の薄いお餅(求肥?)に、ホイップクリームと苺がまるごと1つと、あとスポンジケーキらしきものが入っていた。美味しかった。美味しかったが…けっこう食べるのが大変だった。大変だったのであまり味わって食べていないような気もする。コンビニエンスストアの店員さんがフォークをつけてくれたので、フォークを使って食べていたのだが、求肥が切れない。そして求肥の周りに白い粉がかかっているので、一歩間違うと粉だらけになってしまう。今日はたまたま研究室に誰もいなかったので、研究室で1人で食べていたのだけれど(寂しかった)、時と場合によっては人前できれいに食べるのは難しい…かもしれない。人前で食べるのでないならば、思い切って齧り付くのが正解かも…。


今日聴いた音楽。「女声合唱組曲“三つの抒情”」よりIII「ふるさとの夜に寄す」(立原道造作詩/三善晃作曲)

この詩だけでも有名なのだと思うけれど、私自身はこの詩をきちんと知ったのは恐らくこの曲を通じてだったので。と言っても詩の解釈などできないのだけれど。「とほくあれ 限り知らない悲しみよ にくしみよ…」のフレーズが今日ふと頭に浮かんで、この箇所を聴きたいがために、昔のカセットテープを引っ張り出して聴いてみた。悲しくてどうしようもなくなった時に、この曲のこの部分が頭の中で流れることがある。


メモ:学会から「名簿掲載事項確認」の封書。確認して返送すること(と言っても、先日、住所の変更をしたので、あとは変更する所はないかも。専門領域が微妙だが…まぁそのままでいいや)。


2003年03月11日(火) 寂しさと雪 / 昨夜見た夢 / 今日聴いた音楽

雪が見たい、冬が終わってしまうのは寂しくて怖い、と私が喚いたからなのか(喚いたのはこの日記の中だけでだけれど…)どうなのかわからないけれど、ここのところ3月にしてはとても寒い(と思う)。そして私が暮らすところでも雪を見ることができることもある。寒いのは確かにつらいことではあるけれど、冬の空気を感じることができるのは、私にとっては少し嬉しいことでもある。

今日は研究室で同僚や後輩とたくさん話をし、なんだかきゃらきゃらとよく笑っていた。1人は笑いすぎてお腹が痛いと言っていたし、私は笑いすぎて咳が止まらなくなって、げほげほいっていた(関係ないか…?)。

アルバイトに行こうと思い、19時30分頃研究室を後にする。たくさん笑ったからなのか、アルバイトに行くのが気がすすまなかったからか、何だか帰るのが寂しくて、何度見直しても忘れ物をしているような気がして、扉を閉めるのを躊躇ってしまった。誰かと楽しい時間を過ごすと、その後1人で帰るのをとても寂しく思う。その時間の楽しさ・幸せな気分が大きいほど、余計に寂しさも増すような気がする。今日はそれに加えて、アルバイトに行きたくないなという気持ちと、午前中からずっと頭が痛かったということもあって、駅までの道を歩くのが何だかとてもつらかった。気を抜くと此処で座り込んでしまうだろうな−という感じ。

ふと空を見上げると、雪(のような、雪にしては粒が小さいような)が降ってきていて、何だか余計に寂しさが増した。こんな時に降ってこなくても…とも思い、でももっともっと降って欲しいような気もして。


昨日の夜に見た夢は、「歌を歌っているのだけれど、どうしても音程がうまくとれない。何度歌っても、音程が狂ってしまう」というもの。何の歌を歌っていたのかは覚えていないけれど。昨日は疲れていたのに(疲れていたからか)なかなか寝付けずにすごくきつかった。最近、寝ても寝ても体調がよくならない(しかしそんなに体調が悪いわけでもない)。


今日聴いた音楽。ベルリオーズ作曲「幻想交響曲 作品14」より第4楽章「断頭台への行進」・第5楽章「ワルプルギスの夜の夢」。


2003年03月10日(月) 完全に自分のためだけのメモとちょっとした弱音と今日食べたおやつと今日口ずさんだメロディ

完全に自分のためだけのメモ

・学会から、年次大会の予約参加者証(なくさないこと)と、学会誌が届いた。
・別の学会から、会報が届いた。
・さらに別の学会から、先週の金曜日に本が届いている。
・明日、コピー代と本代を払う。
・先に学会の大会の論文集原稿を何とかする。

後で自分の記憶媒体に転記します。


私はもっとしっかりしなくてはならない、私は自分のすべきことを全力で為してなおかつ余裕が残っているようでなくてはならないと思うのに、週のはじめからぐだぐだに疲れている自分がいて、そんな自分の至らなさが悔しい。疲れなければいいのに。疲れたなぁって思うのを気のせいにできたらいいのに。というか私の場合は多分に気のせいというのも大きいと思う。最近、私はすごく甘えていると思う。寄っかかっちゃいけない時に寄っかかっちゃいけない人に寄っかかってしまってるように思う。良くないよ私。

…書けば書くほどわけがわかんなくなってきて、書けば書くほど申し訳なくなってきて、書けば書くほどなんだか怖くなってくる。…ということをこの場所に書くのもどうだかと思うけれど。


今日食べたおやつ。
「エンジェリア」の小袋を1袋(恐らくこちらのサイトを辿っていけばそのうち商品情報が出てくる)。

今日、頭の中で回ってなかなか離れなかった旋律。
ハトヤのCMソング(こちらのサイト)。夕方、ぼけーっと図表の整形などしながら「はっきり決めた ハトヤに決めた」と口ずさんでしまっていた(行ったことは一度もない)。


2003年03月09日(日) こんな1日 / ありがとうの日 / 「海鵜」(「海鳥の詩」より)

先週はなんだかんだとあって、朝にきちんと起きた日が多かったのだけれど、その反動がきたのか、土曜日曜で思いっきり昼夜逆転させてしまった。そして明日はまた朝に起きなければいけない。それをわかっていて昼夜逆転させてしまう私が莫迦なのだ。

昼前に目が覚めて、ぼーっとして、食事をして、転寝をして、また目が覚めてぼーっとしていたら、そうこうするうちに、あっという間にお日様が沈んでいっていた。

夜、雨戸を閉めようと窓を開けると、冬の風。もう少し…と思うが、何がどのように“もう少し”なんだろう。


3月8日は「みつばちの日」であると、昨日新聞に折り込まれていたスーパーマーケットのチラシで知った(全日本はちみつ協同組合と日本養蜂はちみつ協会が制定したそうで、蜂蜜がお買い得ですよという宣伝をしていたのだが)。そして3月10日は「砂糖の日」だということも、何かで(何だったっけ)知った。その間にある3月9日は何の日なのかしら、「柵の日」とかかなーと思って調べてみると、「ありがとうの日」だということだった。3と9の語呂合わせで「サンキュー」になるからだということだった。

そうかぁ、「ありがとうの日」だったんだ…と思って、ここに書いておきたくなったのは、普段は照れてしまったり、わざわざ言うまでのことでもないなんて思ってしまって言えずにいる(言わずにいる)“ありがとう”の言葉を、今日なら素直に言ってもいいのかなと思ったから。

いつも、どうもありがとう。本当に、本当にありがとう。

でも、ありがとうと言ってしまってはいけなかったなら、その言葉が重荷になってしまったなら、ごめんなさいという気持ちも同時にある。そもそも、ありがたみを受けている私がこんなで、こんな情けなくって、ごめんなさい。

ちなみにこちらが参考資料。「レコード針の日」というのは少しばかり謎。明日は「砂糖の日」なので甘いものをたくさん食べてもいいかななどと思ったり。


今日、聴いた音楽…と言っても、土曜日曜でかなりの音楽を聴いたので、どれを書こうかなと思うけれど。

混声合唱組曲「海鳥の詩」より「III 海鵜」(更科源蔵作詩/廣瀬量平作曲)

首をのばし
風をきき
首をちぢめ
潮をきく
蒼く寒く
うねりうねる
親潮の
キラキラと
くずれただよう
銀のいろこ

荒磯は
洗いくだけ
底しれず
行方も知れぬ
黒潮の
渦の濃霧は
鉛をのみ
ドロロンとなる

鵜は啼かない
首をのばして
寒流をさぐり
首をちぢめて
暖流をきく


静かに穏やかにはじまって、段々と感情が高ぶっていくけれど、それでも一定の強さを保ち続けているという感じで進む音楽だと思う。最後の「鵜は啼かない」からの部分は、“どうしようもない大きな悲しみを抱えているけれど、それに静かに耐え、目の前にあるものをじっと見つめている”という強さを感じる。私はこの曲を歌ったことがないのだけれど、音源は持っている。他団体の演奏会で聴いた時の曲目解説には「高潔なまでの力強さ」と書いてあった。そんな感じ。とても憧れる。憧れるけれど、そうなれずにいる。なれなくても生きてはいけるのだけれど。


2003年03月08日(土) 今日、見て嬉しかったもの / 「昨日困っていたこと」の事後報告(眼科の話) / 果物屋さん

今日、見て嬉しかったもの。

(1)虹
 とても久しぶりに見た。下の方だけだったけれど。そして短い時間しか見ることができなかったけれど。とてもありがたいものを見たような気がして、何かがすうっと浄化していくような、幸せな思いがした。

(2)まるで舟のような形をした月
 バナナのようにも見えたけれど…。


昨日の日記で、「今日、困っていること」と書いたことの顛末(を、自分のためのメモの意味合いも兼ねて)。

そうこう悩みながらも、月曜は眼科に行く時間が取れそうにもないこと、そしてその後になると行くのが億劫になるであろうと想像されたので、思い切って眼科に行った。前回処方された点眼薬のうちの1つがステロイド剤であったので、一応眼圧と視力を測定した後、診察。

血液検査の結果、私は総IgEでの結果も陽性であり、調べてもらった全てのアレルゲン(ハウスダスト、スギ、ヤケヒョウヒダニ、ヒノキ/gx5[イネ科]。ちなみにそれ以外のアレルゲンについては調べていない)に対しても陽性だった。つまり、血液検査の結果は「あなたは割とアレルギー体質です」ということだったということになるだろう(と解釈した)。ここまでアレルギー体質である自覚が私にはなかったので、驚いた。その割にあまり自覚症状は強くないのですねと先生も不思議がっておられたのだけれど。

血液検査で何がわかったかというと、何に対してどのくらいアレルギー体質であるのかということで(ということだと思う)、別に血液検査をして治るわけではなかった(当然ながら)。ただ、私にとっては、アレルギーである自覚は何となくあったものの、それは気のせいだろうと思い込んでいた(思い込もうとしていたふしもある)ので、今回の検査で自分がアレルギー体質であるということを知ったことは良かったと思う。だから、世間で言われるような花粉症対策(花粉を払い落とすとか、窓を開け放さないとか)も、今まで全くしていなかったけれど、これからは気を付けていこうと思うようになった。

結局、私の身体は最終的には私が守るしかない・私しか守る人はいないのかもしれないと思った。その過程でお医者さんや周りの人は(私が求めれば)助けてくれるだろうし(というのは希望的観測だろうか)、助けてもらえるならば助けてもらいたいとは思うけれど。アレルギーのことに限らないのだけれど。

ステロイドの点眼薬はきついときだけでよいけれど、もうひとつの方は5月や6月になっても点していてもいいくらいなのでもう1本出しておきましょうねということと、あとはうちで点鼻薬も出せますよとのことだったので処方していただいた。

花粉症の方も、そうでない方も、暖かくなったり寒くなったり、また年度替わりで多忙な時期であったりで、何かと体調を崩しやすい季節であろうと思います。どうぞお体を大切になさってください。私もあまり無理をしないようにします。


家族と一緒に果物屋さんに行った。スーパーの果物売り場に行くことはあっても、果物屋さんと呼ばれるところに長時間入り浸ることはあまりなかったので、家族が買い物をしている間、いろいろと果物を見て回っていた。

私は果物は割と何でも好きで、グレープフルーツとか八朔が特に好きだけれど、林檎も蜜柑も苺もそれに負けず劣らず好きなのだけれど、今日行ったのは果物屋さんということで、今日は普段あまり私が見ない(食べない)果物に目がいった。枇杷とかブルーベリーとか干しバナナとか金柑など。結局私自身は何も買わずに出てきたけれど。


2003年03月07日(金) 今日 食べたもの / 飲んだ紅茶 / 聴いた音楽 / 嬉しかったこと / 困っていること / 驚いたこと

今日食べたもの。コンビニエンスストアで買ったモンテールの「手巻きクレープ・レアチーズラズベリー」。

どうしてもクレープが食べたい気分だったから。ラズベリーもレアチーズも割と好きなので、美味しいなぁ美味しいなぁと思いながら食べていたらいつの間にか食べ尽くしていた。


今日飲んだ紅茶。レピシエの614 セレモニー CEREMONIE(詳細)。

「ダージリンをベースにキームンをブレンド」したそうで「かすかにスモーキーな香りが、オーソドックスながら奥深い味わい」だそうなのだが、実は純粋なキームンを知らないので、「かすかにスモーキーな香り」がなんとなくしかわからない。それはそれとして、美味しく飲んでいるので幸せ。

自分で茶葉から紅茶を淹れて飲むことが最近多くなって、しかしそんなに多くの種類の紅茶を飲んでいるわけでもないのだけれど、自分で茶葉から淹れたダージリンは、何となく、今まで私が「これが紅茶だ」と考えてきたところのものと違うように思う(先日日記に書いた、191 ダージリン・セカンドフラッシュ 2002 DARJEELING SECOND FLUSH 2002(詳細)を頂いても思う)。ちなみに私が今まで飲んできた紅茶は、リプトンのイエローラベルのティーバッグから淹れた紅茶や、その他大量に入ってスーパーで売り出されているティーバッグから淹れた紅茶や、市販の缶紅茶(「午後の紅茶」や「紅茶花伝」)や、あとは喫茶店に入った時に時折頼む紅茶(喫茶店に入った時もコーヒーを頼むことも割と多い)。で、どう違うのかうまく言えないのだけれど。違うからいいとか悪いということではなく、これもこれで好きだわぁ、とか、ほほぅ、という感じである(ごめんなさいうまく表現できない)。しかし、ダージリンは淹れ方が難しいという話を聞くので、自分がきちんと淹れてきちんと味わうことができているのか、自信がない。


今日聴いた音楽。「吹奏楽のための神話〜天の岩屋戸の物語による」(大栗裕作曲。木村吉宏指揮/大阪市音楽団)。

朝、行きの電車の中で急にこの曲のメロディーを思い出して、随分長いこと聴いていないなと懐かしくなったので。日本神話の女神、アマノウズメノミコトと、その周囲に群がるヤオヨロズの神々の姿を題材とした音楽だという。

私が今の楽器を始めてから最初に演奏した曲なので、何かと思い出深くはあるけれど、ステージの上でもあまりまともに音を鳴らすことができていなかった(私自身が)ような気がする。どのパートにも見せ場があって、かなり演奏し甲斐のある曲であるだけに悔しい。今、もし演奏する機会があればもう少しいろいろなことができるかもしれないと思う。


今日、嬉しかったこと。

現在抱えているそれぞれのことが、少し、進んだかなという気がしたこと。
現在のデータを、どうまとめてどう発表していくかの示唆を得ることができたこと。なんだか、曇りがさっと晴れたような気がした。あと、別のデータについても、こう話を進めていけばよいのではないかと気がついたこと。
今日はほぼ1日中研究室にいた。ずっと勉強していたわけでないけれど。


今日、困っていること。

1週間前(2月28日)に眼科に行き、点眼薬を処方していただいて、ついでにアレルギーの血液検査もしていただいて、1週間後にまたいらっしゃいと言われたのだけれど、今週はこんな天気だったので、あまり花粉症がきつく出ておらず、点眼薬も数回しか点していない。なんだか、こんなに何ともない状態で眼科に行くのは申し訳ないように思う。しかし結果を受け取らないわけにはいかない。


今、驚いたこと。もう4時半か!


2003年03月06日(木) メモ程度(しっかりとショート)

以前に書いたことがあるような気もするし書いていないような気もするのだけれど、「私はもう少ししっかりしなければいけない」と私はよく言うし、そう思ってもいるのだけれど、私は具体的にどうなったら「しっかりできるようになる」と思っているのかなというか、私の考えるところの(=私のなりたいところの、ならなければならないと考えるところの)“しっかりした人”ってどんな人なんだろうと思うと、実は意外に自分でもよくわかっていないことに気が付いた。

何処かしらで回線がショートしてないか?と指摘されたが、そう言われてみればそうなのかもしれない。

(3月7日、12:00)


2003年03月05日(水) 反省 / 今日聴いた音楽

今までの自分(の、したことや言ったことなど)を振り返り、激しく反省して、フライパンで頭を殴られたような衝撃を受ける。誰のせいでもなく自分(私)が悪いのだから自分で(私が)乗り越えていくしかない。ごめんなさいという言葉で全て許されるとも思わないけれど、ごめんなさい。

蹲っているわけにはいかない。立って歩き出さねばならない。謙虚に、しかし思い切って。

それは、そうしなければならないからするのではなくて、私がそうしたいと思うからそうする。

ひとつひとつのこと、一瞬一瞬の時間を大切に。と自分に言い聞かせて。


今日聴いた音楽。

*「My favorite things」 John Coltrane
 今まで、吹奏楽用に編曲されたものしか聴いたことがなかったのだけれど、John Coltraneが演奏したものを一度聴いてみたくて購入。想像していたよりも、尖った感じではなかった。柔らかい感じ、というか、…柔らかいとも違うな。ゆっくり優しく進んでいくというか…なんと言えばいいのだろう。“夢”とか“哀愁”という言葉が似合う感じがする。音楽を言葉で語るのは難しい。

*「シーゲート序曲」(James Swearingen)
 中学生の時に演奏した曲。コンクール・とある演奏会・文化祭で演奏して、この曲を練習した時間もかなり長かったので(ほとんど半年間この曲とつきあっていた)、中学時代に演奏した曲の中では特に印象深い曲のひとつ。
 何だかいろいろなことを思い出して懐かしかったり恥ずかしかったりするけれど、いろいろな意味で原点に戻る想いがする。あの頃があって、今の私がある。


2003年03月04日(火) 1日のこととか雪のこと / 少しだけ弱音 / こんな日に聴いた音楽

「携帯電話のアラームが鳴っていて、止めるボタンを押しても全然止まらなくてとても焦る」という夢を見て目が覚めた。目覚めると、鳴りっぱなしになっていたのは携帯電話のアラームではなくて目覚し時計のベルだった。最近、寝付きが悪いうえに寝起きも悪い。今朝は一度目覚めたけれどどうにも頭がふらふらしてもう一度横になってしまった。一度起きてしまえばけろっとしているのだけれど。

遅く起きたくせに、あちこち寄り道をしながら大学へ行く。デパートの食料品売り場はすっかり春の雰囲気で、桜をアレンジした洋菓子や和菓子やお茶があった(デパート以外のところにも寄り道したのだが、省略)。しかし外は雪が降ったりやんだりするお天気。ちょうど雪が舞っている時に外を歩いていた。雪の粒が空からすごく速いスピードで落ちてくるのを嬉しいような哀しいような気持ちで見ていた。

時折降る雪を見ながらちょこちょこと作業。夜に帰るときには、うっすらと雪が積もっていて、木の枝に雪が積もっているのが街灯の光に照らされてとてもきれいだった(先日、似たような風景のことをきれいだと書いた覚えがあるけれど気にしないで下さい)。ただ自転車に雪が積もった人は雪を除けるのが大変そうだった。


少しだけ弱音。

自分(私)が何もできずにいる間に、自分(私)のできないことを他の人がどんどん成し遂げていっているように思い(「そのように思う」というか実際そうなのだが)、あぁ自分は何もできないんだだめなんだ…と思って悔しくて悔しくて落ち込んでしまうという状態がずっと続いている。自分(私)が現在取り組んでいることが、自分の努力不足と要領の悪さゆえに、なかなか時間がかかって形にならない状態(で、それは本来もっと早くにきちんとした形になっているべきもの)であるだけに、なおさら。そしてどんどん仕事が遅れがちになっている。いや、「“自分は何もできないんだ”と思って悔しい」のは本業だけではなくて、本業でないことでもそうなのだけれど。音楽とか文章を書くこととか詩を書くこととか。

そのことをしたい・成し遂げたいと思っているのならば(そう思うからしているのだけれど)、できなくてもいいからやってみよう、目標に届くように手を伸ばしてみようとは思う(余談だけれど、ここに日記を書き始めたのも、“何だかよくわからないけれど、‘何か’に届きたくて、届くように手を伸ばしてみよう”と思ってはじめた)。その結果、できてもできなくても別にいいじゃない?と。ただ、頑張っても頑張っても一向に手が届く気配がないのは辛いし、手を伸ばそうとすればするほどどんどん遠ざかっていくような気がして、…その前にきちんと頑張ったのか?という反省をしなければならないか。

自分が変なところでものすごく焦っていてかえって空回りしている状態であるのは何となく自覚している。ゆっくりやりなさいと言われることもよくあるし、私だって似たような状況にある他の人に対しては、ゆっくりやればいいんじゃないの?ときっと言うだろうし、実際そう言っているように思う。

自信なんか全然持てなくて、ただ、やめたくないし、もっと続けていたいという気持ちだけでここまできた。自信などなくても死なないのだけれど。何だか何をしていても焦って焦って仕方がない。

もう少ししっかりします。


こんな日に聴いた音楽(順不同)

*「天使と羊飼い」(Angyalok es pasztorok) (典礼文より,大熊進子訳詩/コダーイ作曲)
 合唱曲。合唱をやめる前に一度歌いたかった。でも、楽譜を見てみるとAltoの音域が割と低い(5年ほど前に合唱をしていた時はAltoのIかMezzoのIIを歌っていたが、児童合唱団に所属していたときはSopranoだったので、実は自分が典型的な(?)Altoであるのかどうかはわからないのだが)。

*「第六の幸運をもたらす宿」(Malcolm Arnold作曲)
 管弦楽曲。以前一度この日記に書いたことがあるような気がするので今日は詳細を省略。久々に聴いて涙。

*「All In Love Is Fair」(Stevie Wonder/"Innervisions"より)
*「Don’t You Worry ‘Bout A Thing」(Stevie Wonder/"Innervisions"より)
 この2曲をこの順で聴くのがミソ(?)だと思う。何とも言えず良い。また涙。


2003年03月03日(月) 風と雨 / ひなまつり / 時間についてのメモ / 疲れやすさ

お昼過ぎまで雨がぴしゃぴしゃと降り、夜は風がごうごうと吹いていた日。春一番が吹いたところがあるそうだ。

頭が痛い、身体がだるいと呟きながら、それでも同僚や後輩が研究室に居たのに何となく励まされて(?)結局かなり遅くまで大学にいた。帰りしな、冷たい風が強く吹いていた。寒かった。けれども、こんな冷たさの風ももうすぐ暖かい風にかわるのかなと思うと、この冷たさが愛しくて愛しくて、全身で風の強さと冷たさを感じながら帰ってきた…ら、やっぱり寒かったけれど。

風の強い日や、土砂降りの雨の日が割と好きだ。風が吹くと埃っぽくなるとかコンタクトレンズがずれるとか、雨が降ると自転車で外出しにくいとか服や靴が濡れるとか、そういうことを除けば、強い風に吹かれているのも、土砂降りの雨に打たれているのも割と好きだ。


今日はひなまつり。子どもの頃のひなまつりの思い出は何だか薄いピンク色のイメージ。私もいつかおひなさまみたいになりたいと思っていたのは恥ずかしいほど昔の話(と書くとますます恥ずかしい)。

ひなあられを食べたかった。「ひなあられが食べたい」ということをひなまつり当日になるまで自覚しなかったのが悔しい。スーパーマーケットで売っているものでかまわない(むしろスーパーマーケットで売っているものを欲しい)。明日でも売っているだろうかな。


メモ
「私が病気で死のうが地震で死のうが、そんなことで時間そのものが止まるわけはない。私が死んだ翌日も太陽は昇るだろうし、私の腕時計は電池がなくなるまで動き続けているだろう。
 しかし、私が生きているあいだだけ流れていて、私が死ねば止まってしまうもの、それもやはり時間と呼べるのではないか。生きているということと完全にひとつになっている、そんな時間があるのではないだろうか」
(朝日新聞2003年3月3日,「時のかたち」欄。「年男」(木村敏[精神科医])。全文のうち最後の2段落を抜粋)

以前、非常に悲しいことがあった時に、時間があまりにも淡々と流れるのに違和感を感じて、それをとても冷酷だと感じ、しかし反面とてもやさしいと感じたことがある。その時のことを思い出した。


何故なんだか理由はわからないのだけれど、ここのところ少しばかり疲れやすくなっている。忙しいわけでもないのに…、むしろ何もしていないのに…、と思うと悔しい。季節の変わり目だからか?

花粉症で眼が痒い。舌を噛みそうなややこしい名前の点眼薬を1滴ぽとんと眼の中に落とす。1つ目を点したらもう1つは5分以上の時間をおいて、っと。耳鼻科には行こうかどうしようか迷っている。

季節の変わり目で暖かくなったり寒くなったり、花粉症が発症したりで、何かと体調を崩しやすい季節かと思います。どうぞ皆様、ご無理なさらずに。お体にお気をつけください。どうか少しでも優しく春が訪れますように。


2003年03月02日(日) だめドミノ

よい天気。

何だか、日曜日ごとに似たようなことを書く羽目になるのが自分でも情けないのだけれど、日中はぼーっとしていて、夜になってからあれもしておけばよかったなとか、これもしなくてはと思って、逆上してパニックになっていた(なっている)。今日は冗談抜きで何もしていない。いや、何もしていないことはないのだけれど。したいこと、しようと思うことにちっとも追いついていない自分が悔しい。

きついのは、毎週月曜だけは早起きをしなければならないので(と言っても世間一般の基準と思われるところの時間と比較するとちっとも早起きではないのだが)、あまり夜遅くまで起きているわけにいかないこと。明日起きられなかったら困るから。しかしこんなので寝付けるわけもなく、かと言って今から何かするのも無謀。

今、気がついたのだけれど、そう言えば来週か再来週あたりから日曜の夜にも楽団の練習が入る。あああ。

これまでの自分はだめだったから今の自分もだめで、今の自分がだめだからこれからの自分もきっとだめに違いない…という悪循環に陥っている。もっとしっかりしなきゃと足掻くほど、ずぶずぶと。先日、師とも姉とも慕う人(数日前に論文の抜き刷りを頂いた方とは別の方)に、今こんな状態なんです…と言ったら、まるで“だめドミノ”だねぇ…と言われて、その言葉の響きの愉快さについ笑いが止まらなくなってしまったのだけれど。一旦“だめ”が崩れ出すと、ドミノが崩れるように一気にぱたぱたと崩れていってしまうから、どこかでぴたっと止められればいいのだけれど。止めるきっかけも見つからなかったり。

しかし、だめでも何でも生きているのは確かで、生きていられることは本当にありがたいことだと思うから、この一瞬一瞬を大切にしなければならないなと思う。

だめでも情けなくてもしっかりしていなくても、今できることから少しずつやってみることにします。人より歩みはのろいかもしれないけれど(でも、さすがに今日はもう寝る)。

一応、公開の場なのに随分と下向きで申し訳ありません。


2003年03月01日(土) 雨の中練習へ / 「震災・まちのアーカイブ」 / 音楽:「Hard to Say I'm Sorry」 / 近況?

3月のはじまり。1日中雨がざばざばと降っていた。昨日のよいお天気が嘘のようだ。ここのところ毎週土曜日になると雨が降っている。

いちばん雨が強く降っている(と思われる)時間帯に車を運転して楽団の練習に行く。道路が混んでいて合奏に少し遅刻。何だかずっと気分が晴れなかった。今日は、曲と自分との距離をものすごく遠いものに感じ、もどかしさにずっと苛々としていた。思うように動かない身体。頭と身体がばらばらのような気がする。ふっと楽器を見てみると、しばらく手入れを怠っているうちに随分とくもりがひどくなってきていて、余計に哀しくなって、きちんと磨かなければと思った(基本的な手入れは毎回しているものの)。

帰りしなに駐車場を出て信号が青に変わるのを待っていると、すぐ隣に街路樹があった。街路樹の枝に雨粒がとどまっていて、それが街灯に照らされてきらきらと輝いているのがとても綺麗に見えた。


神戸市長田区の市民グループ「震災・まちのアーカイブ」が、「阪神大震災といえば、即座に思い浮かぶフレーズ、言葉を、あげてくださいませんか。」と問うアンケートをしたそうだ。ひとつひとつの答えが心に響くものだと感じたが、私にとって最も印象に残ったのが、「思い出したくないが、忘れたくない」という言葉だった。“あぁ、そうなんだ。一見矛盾しているようだけれど、それでいいんだ。そういう思いがあっていいんだ”と思った。そしてこういう思いを抱えていらっしゃる方がいらしたことに、暖かい気持ちを感じた。私自身が、ずっと“忘れられない”、“忘れなければならない”、“忘れたい”、“忘れねばならない”、“覚えておきたい”…という気持ちの間で行き場を探して、どうしたらいいのかわからなくてずっとふらふらと彷徨っているから。それは震災のことではないのだけれど。でも、思い出したくないと思ってもいいのだし、忘れたくないと思ってもいいのだなぁ…と思った。

参考:「震災・まちのアーカイブ」(こちら)。「瓦版なまず第14号」に掲載されています。


今、聴いている音楽:「Hard to Say I'm Sorry」/Chicago
…今日の練習で演奏したのだけれど、この曲の楽譜、「素直になれなくて」の邦題の下に「Hard to Say I'm Sorry」という原題が記されているのを見て、目から鱗が落ちたというか、「Hard to Say I'm Sorry」を「素直になれなくて」と訳した人は本当に素敵だなすごいなと思った(私が「素直になれなくて」という邦題の方を先に知ったからかもしれないのだけれど)。だって「素直になれなくて」という状態ってまさに「Hard to Say I'm Sorry」という状態で、「Hard to Say I'm Sorry」という状態ってまさに「素直になれなくて」という状態ではないかと思って(この記述、わけがわからんな)。

意地を張っていても恰好つけても突っ張っていても哀しい(私が意地を張っていると私自身が結局哀しいという意味で)。いつ死ぬかわからないのだったら、素直に笑って素直に泣いて、後悔のない会い方をしたいと思った。


ここ数日、仕事の話がないのは、純粋に仕事をしていない・進んでいないからで、いくら体調が思わしくなかったとはいえ(しかも「体調が思わしくない」と言えるレベルであったのかどうかもわからない)、これは良くない。少し頑張らないといけない。頑張りたいから。

と言いつつ、近頃は展覧会に行ったり音楽会に行ったり、あるいはいつもと反対行きの電車に乗ったりいつもと違う種類の電車に乗ったりすることがないなということに思い至り、今月中にそういう機会を一度は持ちたいとも思うのだった。息が詰まるから。


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浜梨 |MAIL“そよ風”(メモ程度のものを書くところ)“風向計”(はてなダイアリー。趣味、生活、その他)