風紋

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2003年02月28日(金) 2月と3月の間 / 眼科へ / 笑顔 / はじまりの夕焼け / 抜き刷り頂いた

2月が終わり、明日からは3月になる。私が勝手に思っているだけなのだが、2月と3月との間には他のどの月よりも大きな裂け目があるような気がする。「裂け目」という言い方は変なのだけれど、がらっと急激に変化するというような、月末と月初めとの間の変化が大きいというか(8月と9月との間の裂け目も大きいかもしれない。あ、12月と1月、3月と4月の間の裂け目はちょっと別件)。

が、2月は全面的に冬で3月は全面的に春だということはない。2月も終わりになると春のきざしが感じられるし、3月にも冬の名残が感じられる。今日まで冬で明日から春だという線引きがなされているわけではなくて、少しずつ冬が遠のき、春が近づいてくる。

そうして、いつの間にか冬が去ってしまってどこにも冬を見つけられなくなってしまうのね、と、嬉しいような寂しいような複雑な気持ちで沈丁花や梅を見ている私。恥ずかしいくらい感傷的だが。

桜の樹。花が咲いていなければ、この樹が桜だということはあまり意識されることがないだろう。この樹にも、あともう少しすれば花が咲くのだろうか…咲くのだろうな。


昨日、日記で予告したからというわけでもないのだけれど、眼科に行った。結果、瞼の裏が…どうなっているっておっしゃったかな。要するに、まだ軽度ではあるけれど花粉症の症状が出ている眼だと言われた。目薬を2種類出していただく。よく振りまぜてから点眼すること。1日4回まで。点眼する時に両方点すなら1種類ともう1種類の間隔は5分くらいあけること。など。

アレルギーの検査をしたことはありますか?と尋ねられ、いいえこの季節になると世間一般で言われる花粉症の症状が出るので花粉症かなと思うだけで特に検査をしたことはありませんと答えると、1度検査をしておきましょうかとのことで、採血をされた(眼科で採血をされるのも複雑な気分だった)。結果は1週間後。

特にコンタクトレンズの装用を禁じられたということはなく、軽度ならコンタクトレンズをしていてかまわないとのことだったけれど、やっぱり私自身が少し気になるのと、目薬にコンタクトレンズが汚れやすい成分が含まれているとのことで、しばらくは眼鏡の日々かもしれない。


今日は本当によいお天気で、空も青くて、とてもとても幸せな気分だった。ああ、本当にいい天気で嬉しいなぁ…と思うと、知らず知らずのうちに笑顔になって、強張っていたものがほろほろと溶けていく、というかほどけていくような気がした。「イパネマの娘」を聴いたときと同じような笑顔(詳細=昨年9月22日の日記)。

“どんなに哀しくても辛くても、どんな運命が待ち受けていようと、私は笑い続けていてやるさ”という時の笑顔と、こういう時の笑顔って、全然違うのだろうなという気がした。どちらがいいとも悪いとも言えないけれど。

笑顔の素敵な人になりたい。というか、笑顔の後ろにある心持ちが素敵な人になりたいというか…。昔から、私はあまり愛想がなかった方で、特に眼鏡のせいで初対面の人には堅苦しい印象を与えてしまうことも多く、“もっとにこやかにしなさい”と言われることが多かった。今でもそう。だから余計にそう思う。


また今日も夕方の西の空を見た。ずっと見ていると、夕陽が示すのは1日の終わりのはずなのに、何となく“何かのはじまりだ”という気がしてならなかった。しかしそれは、私自身の“何かをはじめたい”という思いからそう見えるのかなとも思った。何かをはじめる勇気が欲しい。えいやっと壁を乗り越えて。


実は今日は大学に行っていない。最近は、平日はたいてい大学に行っているので、行かないとものすごく変な気がするというか、罪悪感(?)を感じる。もっとも、行ったか行かないかよりも、何をしたかしなかったかの方が大切なのだということはわかっているのだけれど。その意味では今日は何もしていない。あまり良くない。

私が研究においてもその生き方においても師とも姉とも慕い尊敬している大好きな先輩から、郵便で論文の抜き刷りをいただいた。背筋がぴっと伸びる気がした。少しずつでも動こうと思った。この抜き刷りを目の届く所においておけば、元気が出るかな。少しずつでも前に進めるかな。

頑張ろう。


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浜梨 |MAIL“そよ風”(メモ程度のものを書くところ)“風向計”(はてなダイアリー。趣味、生活、その他)