風紋

もくじ / この後


2002年09月30日(月) 洗濯 / 頑張れない / 前の家の思い出

よいお天気。ゆえに洗濯。全自動洗濯機、「標準コース」を選ぶとうまくいくのだが、「お好みコース」(洗濯・すすぎ・脱水の時間や回数を自由に設定できるコース)にするとうまくいかないのはなぜだろう。すすぎの途中で止まるんだけれど。


留守番しながら、今週からの仕事の準備をしたり、論文に手を入れたり、次の学会発表の準備をしたりしていた。とはいえ、やっぱり進みは遅いし、あまり集中できていない。その前に状況に流されてばかりの自分を反省する。

昨年の今頃の方が、自分はよく頑張っていたような気がして、なんで今はこんなんなのかなぁと思う。考えてみると、「過去のある時点における自分は現在の自分よりも頑張っていて偉かった。今の自分はだめだ」と思うことが私は割と多い。でも、その「過去のある時点」においても同じことを思っていたはず、ということに気がつくと可笑しい。それでも他の人に比べるとまだまだ足りないんだけれど。

私は基本的にぼけっとしていて、ぼけっとしている時間も好きなのだけれど、一方で頑張っていない自分を責める気持ちがすごくある。自己否定の上での頑張りもどうかと思うけれど、一方で、たぶんずっとこうだろうな私、とも思う。


明日から前の家の解体。夕方、最後にもう一度だけと思ってデジカメを持って前の家に出向いた。生活の匂いがしない家に行くのも何となくつらかったけれど、何枚か写真を撮った。写真を撮るだけでは足りないと思って、柱や壁を撫でたり叩いたりしていた。

ひとつひとつの部屋を一通り回ったけれど、2階より1階の方が思い入れが強いような気がした。小さい時に遊んでいたのが主に1階だったからだろうか。

応接間。とても日当たりのいい部屋で、天気のいい日はここでよく昼寝をしたり、受験生の時は勉強をしたりしたものだった。ピアノが置いてあったのもこの部屋。部屋の隅にある柱を、小さい時は登り棒だと思ってよくよじのぼっていた(怒られた)。

台所。女の子なんだから料理くらいできるようにと言われ続けているけれど、結局この台所で料理をすることはあまりなかったな。少しはしたけれど。それでも初めて台所に立った時は少しえらくなったような気がしたものだった。換気扇と電子レンジがかなりの年代物。

台所と茶の間の境目にある引き戸。妹が小学生の時に蹴飛ばしてガラスが割れたところがある。

茶の間。昼間でも光が入ってきにくい位置にあると母はよく愚痴っていた。それでも家族が1日の大半を過ごした場所で、外から帰ってきて最初に入る部屋もここだった。

座敷。お仏壇あり。掛け軸とか人形ケースとかもあり。月に一度、お寺さんがお参りにきてお経をあげてくれた。大きくなってからは、そこに立ち会うことは少なくなったが、小さい時は祖母と一緒にお経を聞いていて、お寺さんがお帰りになった後に木魚や鉦を叩いたり、お経を「がんがぁしんにょうにょこうろうー」(「浄土宗信徒日常勤行式」の最初の部分)と唱えたりしていた(別に信心深かったわけでもない)。

階段の下にもぐって遊ぶのも好きだった。頭をぶつけるからとよく怒られたけれど。

母が模様替えが好きなので、「私の部屋」も4回かわった(「私の部屋」だったことがある部屋が4つある)。最初物置きだったところを、あなたの部屋にしてあげると言われた時は嬉しかったな。きれいな壁紙もつけてもらって。中学生の途中までその部屋。その後、高校受験が近くなってきたので別の部屋に移って、さらに大学受験の前に別の部屋に移った。その後何らかの事情でもう一度移って、最後に私の部屋だったところは、日当たりがよくて、風通しも良くて、夕陽がとても綺麗に見える部屋だった(西日きつかったけれど)。2つの論文を書いたのもここ。それぞれの部屋に、それぞれの思い出。

庭。曾祖父が園芸が好きだったそうで、いろいろな種類の花や木。小さい時に好きだったのが沈丁花と山茶花。沈丁花の花と山茶花の実は、ままごと遊びのネタとしては魅力的だったから。庭の隅には紫陽花。

半月前まではここで生活していたのに、今はそんな気配がまったくしない。もう既に電気もガスも止まっているし。それでも、部屋の隅から子どもの私が、ひょこっと出てきそうな気もして。

本当は解体されたくないんじゃないの?と家に聞いてみたけれど、たとえ家自身がそう思っていたとしても、それが人間にわかるはずもないのだった。解体されたくないと思っているような気もしたし、それが私の運命だからとすべてを受容しているような気もした。どちらかわからなかった。しかし家という物体には心がないので、こう感じたことはそのまま私の気持ちなのかもしれないと思った。

名残は尽きなかったけれど、それでもいつまでも居るわけにはいかなかった。それに、思い出そうとすれば、あの場所の様子もこの場所の様子も鮮やかに思い出せる。それでいいと思った(本当はそう言い切れない気持ちもあるけれど)。

最後に「ありがとう」「行って来ます」と言って、出てきた。「さようなら」と言えるだけの思い切りは、私にはまだない。「さようなら」と言い切れない。

だから、「行って来ます」と。ここから、別のどこかへ。


今日は無用に長くてごめんなさい。


2002年09月29日(日) 9月が終わる / 図書館でCD / 何も。

9月があっという間に終わろうとしている。随分早く過ぎ去ってしまったものだと思う。たぶん「環境の変化」のためだろうとは思うけれど。それにしても、何も進まない状態なのは相変わらず。

午前中、来月からの仕事の資料探しのために市立図書館へ行った。で、借りた本…は、まぁいいとして、借りたCD。
・風の歌を聴け(オリジナル・ラヴ)
・Mignonne(大貫妙子)
・Portrait in Jazz(Bill Evans Trio)
3つともあまり自分に馴染みのないプレーヤーなのだけれど、薦められたり、歌詞だけ先に知って惹かれたりしたので借りてみた。

頑張らなきゃ頑張らなきゃと思えば思うほど空回り。夜になって今日1日を振り返ってみて何もしていない自分に気付いて激しく自己嫌悪。

冷静に考えると、何もしていないということはないのだろうし、体調がすぐれないような気がするのも、気のせいか、あるいは“寝ちゃだめだ”と思いながら寝ているからなんだと思うけれど。

こういう日は言葉もあまり出てこない気がする。格好つけたいから出てこないのではなくて、本当に出てこない。


2002年09月28日(土) 名札返し忘れた / ぼうぜん / メモ

非常に楽しい3日間だったので、日常に戻ってきて、何となく呆然としている。

荷物の整理をしていると、名札ケースを返却し忘れてきたことに気がついた(他の学会はどうかわからないが、私の参加している学会は名札の中身は持って帰ってもいいが、名札ケースは返却することになっている…と思う)。すっかり忘れてた。でも、名札ケースの回収箱はどこにあったっけ…?

学会の総括はこの場でするかもしれないし、しないかもしれない。


↑は昼に書いたものだが、結局今日は1日中呆然としていた。昼からアルバイトに出て、一度帰宅して練習に行こうと思っていたのだけれど、結局アルバイトだけで疲れてしまって(そんなにきつい仕事でもないのに情けない)、練習を休んでしまった。パンフレット係の仕事もあったのに。ごめん。練習を休んだ自分を許せない気分。

いろんなことに対する意欲が著しく下がっているような気がする。今、抱えているものをぱっと全部放棄してしまいたい気分になることがある。無責任だろう、とは思うけれど。

それでも研究に対しては、学会効果?なのか、放棄せずに、もうちょっと頑張りたいなぁと思っている。いろいろなことを1つ1つ乗り越えていければいいなぁと。相変わらず進みは遅いのだけれど。それでも。

随分と下向きでごめんなさい。

さっき、「呆然」と「茫然」は違うのか同じなのか気になってgoo国語辞典(もとは大辞林なのかな)で調べてみると「呆然」は「あっけにとられるさま。あきれはててものも言えないさま。気抜けしたようにぼんやりするさま」で、「茫然」は「(1)「呆然(ぼうぜん)」に同じ。(例文略)、(2)ぼんやりとしてとりとめのないさま。つかみどころのないさま。漠然。(例文略)」らしい。今の私は「気抜けしたようにぼんやり」していて、かつ「ぼんやりとしてとりとめのない」感じ。だから「茫然」としているのかもしれない。しかしやる気のない自分に「あきれはててものも言えないさま」ではあるので「呆然」でもあるのかな。

でも割とぼんやりしているのは好き。こんなのだから何をするにも人より遅い。


メモ
・来月の飛行機をやっと予約した。ただし行きだけ。帰りは特急と新幹線を乗り継いで帰ってくることになるだろう。
・来月からの仕事について電話。
・駐輪場の定期の更新が済んだ。


2002年09月27日(金)

たくさん喋って(喉ががらがらになりかけた)、たくさん歩き、たくさん買い物をした日。


2002年09月26日(木)

出先からいつもと違う環境でお気に入りの日記や自分の日記を読むと、微妙に色が違ったりして、なんだか新鮮な気分だった。ちょっと感動したので、こうして書き記している。

歩き回ったり、人の話を聞いたり、人と話したりしている。いろいろと刺激になる。人と話すことで自分自身を改めて捉え直すようなところはあると思った。自分が今まで何をしてきて、どこへ行こうとしているのか。目指しているところが似たようなところで嬉しくなったり、自分のいい加減さに落ち込んだり。

とりあえず明日が勝負なので今日は早めに切り上げることにする。


2002年09月24日(火)

しなければならないことがたくさんあるような気がして、気持ちばかりが焦ってしまって、何も手につかず、とりあえず何をすればいいのかわからなくて、ひとりでじたばたして苛々していた。こんなのではだめだなぁ。というか、もっと早めに準備しておけばいいのにという感じではある。

午前中美容院に行った。先日パーマがうまくかからなかったので、かけ直し。今日はパーマ液の匂いがとてもきついと感じた。

午後から大学に行って準備など。ファイルが飛んできた(←比喩)。寝ながら電車に乗り、さらに寝ながら自転車をこいで帰ってきた。

今からもう少しだけ準備をして寝ようと思う。私は心配性なので、いつも荷物が多い。今回も例外でない。さらに発表があるということで余計に荷物が増えている。しかし、冷静に考えると持っていかなくてもいいものもたくさんあるのかもしれない。とりあえず今から荷物がどのくらいになるか調べて、適当に減らそうと思う。

頑張れないという事実も含めて、そのときそのときにできるだけのことはやってきたと思いたいけれど、冷静に振り返ってみると春から何の進歩も得られていないのも事実で、前に進むための何かを掴んできたいと思う。もちろん最終的に進んでいくのは私自身だけれど。

というわけで、ほんのちょっとだけ留守にします。


2002年09月23日(月) 日記にタイトル / 焦る / 買い物

*メモ
 日記にタイトルをつけてみた。たぶんまた後でちゃんと書く。


…で、「後」。昼間はぼーっとしていたのに、今頃になってばたばたと焦る。学会の準備を全くしていないことに気がついて、宿の場所とか交通機関とか調べたりしていた。遅いってば。肝心の発表の準備もまだなのに。で、私は何を着ていくのだろう(「服」とかいうツッコミはなしで…)。そして来月の飛行機の予約もまだ。帰りの飛行機はもうないみたい。気合いで鉄道で帰ってくるしかない。

いつも直前までぼけっとしていて、間際になってから慌てはじめる。この傾向を何とかしたいとは思うのだが。


昼間は駅前まで買い物に出ていた。プリンタのインクが切れたというのが主な用事だったのだが、ふらふらといろいろ巡っていた。子どもが多いと思ったら今日は日曜日で、さらに「子どもの夏休みっていつ終わったんだったっけ」と考えてみるともう半月以上前に終わっているのだった。

携帯電話屋さんの前で、「ほんまもんのE-mailは7円で…」と話す子ども(小学生か中学生くらい)が居て、「うそもんのE-mail」って何だろうと思った。

ここ数ヶ月の間で、この近辺にある大型スーパーがいくつか閉店してしまったので、買い物に難儀した。文具を買うならここ、ちょっとした身のまわりのものを買うのはここと決めていたところが閉店したので、不便と同時に少し哀しかった。

大判焼きを買って帰った(「回転焼き」とも呼ぶのかな。私は「大判焼き」と呼びます)。


というわけで、今から準備の続きをします。



朝早くに安い値段で移動するのと、お昼前にやや高めの値段で移動するのと、どっちにしようかな、と、飛行機の検索結果を見ながらぼんやりと考えていた。ちょうどいい時間の飛行機がない。来月の話なのだけれど。物心ついてから飛行機に乗ったのはただ1度だけ(しかもそれは国際線で、友人の後をついていったので何が何だかわからないうちに乗ることが出来ていた)なので、果たしてちゃんと乗れるのかどうか。

何となくぼけっとした生活。


2002年09月22日(日) 気持ちと作業効率 / 前の家へ / ボサノヴァで笑顔になる

あまり寝ていないはずなのに、昨日に比べると割と調子が良かった。今週末の準備をしたり、住所が変更になったので名刺を作り直そうと試みたり、来月の準備をしかけたりしていた。

他の人はどうなのかよくわからないけれど、私の場合、気持ちが下向きの時は動けなくて引き篭もって何もできなくなってしまう。逆に気持ちが上向きの時は、何でもできそうな気分なのでまず何を優先すればいいのか判断がつかず、1つのことをしていても別のことを思っている。結局何もできていない。気持ちがどうであろうと、それはそれとして、目の前にある自分のするべきことをこつこつとこなしていければいいのにと思うけれど。

昼から前の家に行って、デジカメで写真を撮った。タイムリミットはあと1週間。きっとどれだけ写真を撮ろうとも、部屋の様子を心に刻みつけようとも、後悔しないということはないと思った。それでもできるだけのことはしておきたくて、畳に寝転がってみたり、写真を撮ったり、ちょっとかがんで子どもの頃の目線の高さから部屋を見てみようとしたり。最後に、「私を育ててくれてありがとう」と言って帰ってきた。

それが人でもものでも、それのことを大好きであればあるほど、いつか別れなければならないと覚悟して接していかねばならないと思うけれど、なにしろ大好きなのだから、別れなければならないと考えることなんてしたくなくて、それはなかなか難しい。呆然としている。呆然としている場合ではないとは思うけれど。

「イパネマの娘」を聴いていて思ったこと。曲が流れてきた途端、強張っていた筋肉がふっとやわらかくなって、へろっと笑顔になるような気がする。自分が笑っているという事実を実感して、嬉しくなって幸せで、ますます笑顔になる。そして知らない間に体でリズムを取っている。私はボサノヴァにはあまり詳しくなくてCDも1枚しか持っていないけれど、昔の演奏会で演奏した「デサフィナード」もそんな感じで、ボサノヴァはいいなぁと思った。笑顔になりたいときはボサノヴァを聴いてみようと思った。

こんな感じをどこかで味わったことがあるな、と思い出してみると、先日、友達に会った時にそんな幸せな感じを味わったのを思い出した。どうもありがとう。

これから少し作業をする予定。


2002年09月21日(土) 後悔ばっかりの1日 / 久しぶりに練習へ

一日中、なんだか頭が重くて体がだるかった。さすがに来週の準備をしないとまずいと思って、少しずつ作業をしかけていたものの、すぐにだるくなって眠ってしまったので結局ほとんど進んでいない。冗談抜きでまずいというか、まずい現状を認識してるのか私?というところ。休んではいけないと思いながら休んでいるから完全に休みきれていないのかも…。

まぁ、こんな日もあるさ、くらいの気分で。

その他のところでもいろいろ。気持ちばかり焦っている。気がつくと、“私は昨日とも明日とも違う今日という日を生きて、昨日のあなたとも明日のあなたとも違う今日のあなたと向き合っている”ということを忘れている。あなた…って、別に特定の誰かではなくて、それは人でもありものでもあるのだけれど。

後悔ばっかりの1日。

まぁ、こんな日もあるさ、と言ってみるものの、果たして抜け出せるのかどうか。気合いだけで抜け出せるのかどうかもよくわかんない。


久しぶりに練習に行くが20分ほどしか楽器を吹けなかった。パンフレットの作成についての打ち合わせなど。曲目紹介を少しずつ入力していくことにする。原稿の締め切りが、学会の会期と論文の締め切りにあたっているのは正直辛い。コンクールの写真の申し込みをする。参考音源をもらう。少しだけ聴く。「イパネマの娘」がよい。「スター・ウォーズ」は素敵だがまともに吹けるかどうか甚だ自信がない。

いろいろなところからいろいろなものが飛んでくる。


ぼうっとかすんだまぁるいお月様が見える。此処に住み始めて1週間経った。


2002年09月20日(金) 眠い / 美容院 / 大学に行く / テレビ

眠い…。

ぐぅ。

↑後ほどまた書けたら書きます。今は…。



(追記)
 眠気は覚めたが、そろそろ帰らないと電車の接続が悪くなってしまう、というかもう既に接続の悪い時間帯なのだが…。
 接続が悪いとはいうものの、それでもしばらく待てば電車は来るので、すごく不便というわけでもない。
 あんまり、というか全く作業は進んでないが、かえろっと。



↑これ、大学で書いたもの。この時はほんとに眠かった。人目を憚らずあくびをぱこぱこしていた。

今日、したこと。

来週に備えて美容院に行く。美容院っていちいち緊張する。どこに視線を持っていったらいいのだろうとか、話し掛けられて何と答えればいいのだろうとか、雑誌を持ってきてくれたらやっぱり読まなきゃまずいのかなとか、読み始めたらいつまで読んでいればいいのかなとか。それでも、ここには6〜7年通っているので慣れたと言えば慣れたけれど。

出された週刊誌の中で目を引いた記事。SAYAKAちゃんが親友を事故で亡くしたそうだ。幼い頃から松田聖子さんの娘ということで特別視され、友達のできにくかったSAYAKAちゃんがやっと見つけた友達だった、とのこと。私はSAYAKAちゃんのことをよく知らないし、特別好きだというわけでもないが、この話が本当だとしたら、SAYAKAちゃんは随分寂しい思いをしているだろうな、と思った。それ以上何も言うことはできないけれど、ただ、随分悲しかったことだろうな、と。

髪型は仕上がりを見て、もう少し短くても良かったかなと思った。

帰りにスーパーに寄って買い物。レタスが高値らしい。

昼から大学に行って、学割をとったり。やっぱり学割の使い方というか、そもそも長距離の鉄道による移動の方法をよく把握していない。飛行機の取り方も。来週と来月に遠出をするのだが、ちゃんと辿り着けるのだろうか。頑張って辿り着こう。旅に憧れているのに旅をマネージメントする能力がないのか。

遅くまで居残っていた割にはあまり進まなかった。

夜、久々に、とある深夜番組(深夜番組でもないか。始まるのが23時過ぎだし)を見て、ある部分では笑い転げ、ある部分では涙した。昔は毎週のように見ていた時期もあったが、最近は全然見ていなかった。当時と司会(?)は代わったけれど、やっぱりいい番組だよ。好き。

なんだか日常をだらだらと書いてしまった。


2002年09月19日(木) 自分の覚え書き程度に

自分の覚え書き程度に。

・論文指導。今回の論文とこれから書こうとする論文の位置付け。
・ファイル送付のこと。
・ふくろうをありがとう。
・久々にアルバイト。とにかくやる気が起こらなくて最初1時間くらい半泣きで仕事していた。
・とても眩しくて輝いていてありがたいものを受け取った。
・満月が近い?
・駐輪場の定期券がそろそろ切れる。
・来週の準備…。


2002年09月18日(水) メモ / 講習会 / 本とCDを買う

メモ
・名簿の訂正
・「スター・ウォーズ」の曲目紹介

↑夕方に書いたものだが一応そのままにしておく。というか、「スター・ウォーズ」の曲目紹介にはかなり悩んでいる。大抵の人が知っている曲はかえって書きにくいのと、私が「スター・ウォーズ」を観たことが無いので。



昼から大学に出向く。行きしなに腕時計とか化粧品とかのある場所がわからず、探し回る。

現在住んでいる家から大学に行くのは初めて。少し変な感じがした。でも、駅前に近づくにつれて、「私の身の上にこんな変化があったのに、街はいつもと同じように動いているのだ」と思った。なんとなくぼけっとしながら歩く。いい天気。

論文にコメントを入れて返却していただいた。卒倒。

講習会は今日で最終回。かなり人数が減っていた。英語が聞き取れないなぁというのを痛感。あと、ごくごく簡単な文章さえも英語で話すことが出来ない。冷静に考えると文法的には中学生で習ったことのような気もするけれど。

(少なくとも)私の場合は、英語を話すのにどうも2つのハードルを越えないといけないみたい。1つは英語力。もう1つは表現する力というか、失敗を怖がらずに自分を表に出していく力。間違っていたら恥ずかしいという気持ちを乗り越えること。わかってはいてもなかなか克服できなくて。特に2つ目は、今回だけではなくて普段の生活の中でも現れてくる。自意識過剰…かもしれないとは思うけれど。つまらないことで引っ込んでしまうよりは、莫迦だと思われてもかまわないくらいの気合いが必要なのだとは頭ではわかっているのだけれど(気合いか?)。

それでも、何度かプレゼンテーションするうちに少し慣れてきたかなという気がした。あとは来週日本語でプレゼンテーションする時に今回のことをどう生かすかだ。って、まだ準備してないし予定も立てていない。いつ行っていつ帰るんだ私。

講習会の後は雑用(→「名簿の訂正をせねば」という話)。いろいろなところからいろいろなものが飛んでくる。

帰りにいろいろ寄って、思いっきりお金を使う。来週の宿代を払ったのと、あと、10月からのために、本屋を3軒はしごして本を2冊買った。

CD屋さんも2軒回ったが、本来の目的のものは見つからなかった。こうなれば執念で探し出してでも聴いてみたい。その代わりと言うのも変なのだけれど、ずっと欲しいと思っていたCDを見つけて買った。「WAIT OF THE WORLD」(演奏:MARINE BAND OF THE ROYAL NETHERLANDS NAVY)。これに収録されている「The Chosen」(「アメリカの騎士」より「選ばれし者」)を一度きちんと聴いてみたかったから。難しそうだけれどとても格好いい曲。最後の部分で、何だか光が見えてくるような感じがするのが好き。

迷った末、結局今日は買わなかったけれど、綾戸智絵さんの「マイ・ライフ」のCDに「今日を生きれば明日が夢になる」と書かれているのを見て、涙が出そうになった。今日を生きることさえ難しくても、そんな今日と明日を繰り返していければどんなにいいだろうか。そう思った。

夜は寒い。

明日の予定ゆえにあたふた。結局、考えるべきことも何も考えられなかった夏だった。


2002年09月17日(火) 全自動洗濯機と格闘 / 困ったことやまずいこと

昼過ぎに起きる。1日が短い。


新しい全自動洗濯機と格闘。今まで二槽式洗濯機を使っていたので、使い方がわからない。いつどれだけ洗剤を入れるのか、いつ水が入るのか、全然把握していない(←莫迦?)。説明書を読んでも「洗剤パワーチェンジャー」とか「浸透イオン洗浄」とかいう専門用語が出てきた時点で、降参。

今回、いくつか家具・家電製品を買い換えたのだが、最近のものは便利になっているなぁと思う。最も衝撃的だったのが洗濯機とお風呂(お風呂は家具でも家電製品でもないか)。両方に共通しているのが「つきっきりになっていなくても出来ている」ということで、洗濯機も洗濯物を入れて放っておけば洗濯をはじめたことを忘れていても脱水までしてくれるし、お風呂もスイッチを入れて放っておけばお風呂をしかけたことを忘れていても所定の水位と温度で沸きあがる。こういう風にして、いくつかの仕事を同時に進めることを可能にしてくれる道具が増えてきているのかなと思った。洗濯をしながら掃除をするとか。

食器洗い乾燥機はまだ使いこなせません。多分、当分使わない。


14日の日記の付け加え。

「その時その状況になってみて初めてわかる」ことはきっとたくさんあって、その中には困ったこととかまずいこともあるだろうけれど、それは必ずしも永遠に困ったことのままであるとは限らないかもしれない、とは一概には言い切れないとは思うけれど、そういうことがあることもある、のかもしれない。

家具の配置の話で引っ張るが、家具の配置を、どれだけ綿密に考えても、後で“これは不便だったかも”というところが1つや2つは出て来るんだろうけれど、それは何とかできるかもしれないし、何とかすることができなかったとしても(こんなところに柱がなければいいのに、とかいうのは何ともならないだろう)、そのうちその状態に慣れるかもしれないし(慣れることが必ずしもいいこととも限らないけれど)、実はその配置に思いもかけない利点を見出したりするかもしれない。

「困った」とか「まずい」とかとして下された評価そのものが主観的なものというか気の持ち方しだいのもので、ちょっとしたことで変化しやすいとも言えるけれど。

と、食卓と流しの位置が、以前と比べて何となく遠すぎるように思われる台所を眺めながら考えた。今はちょっと困っているし、不便だけれど、そのうち困らなくなってくるのかなとか。

家具の配置と、食卓と流しの位置を見ながら思ったことなので、家具の配置と、食卓と流しの配置以外のことに関しては適用できない考え方かもしれないけれど。

いずれにしても、何が起きても不思議じゃないというくらいのつもりで、どんと構えていたいなぁ、と思う。私は些細なことであたふたしたり、困ったり、挙句の果てには「何か起きる」のが不安で新しい状況自体を避けたりすることが多いから、余計にそう思う。こんなのではだめだ、とは思うのだけれど。


なんだか今日は何もしないうちに1日が終わってしまった。本当に今日1日何をしていたのだろう(←洗濯だってば)。実は火曜日だった今日。

明日は久しぶりに大学。あ、金曜日にも行っているから久しぶりでもないか。でも、ここ数日は日常から離れたような日々だったので、大学に行くと一気に日常というか現実に引き戻されそうな気がする。自分の家にいて「日常から離れた日々」というのも変な話だが、実際、まだ自分の家に住んでいるような気がしない。でも、そろそろ自分のするべきことを思い出そうと思う。来週は学会(もう来週か…)。あと10月に向けての準備と。

CD屋さんにも寄ってこよう。


備忘録:
・今日、なくて不便だったもの→フライパンの蓋
・学会(のうちの1つ)のプログラムと論文集が届いた。頭から水をかけられた気分。

追記:
これは絶対朝起きられないという気がしてきた。その割に何もしていない(片付けばかりしていた)。まずいってば。

追い詰められるまで焦らないけれど、一旦焦ると気が動転して何も手につかなくなるのは私の悪い癖。(2002/09/18 5:00)


2002年09月16日(月) 残務処理 / 写真 / ありがとう

夜明け過ぎに眠り、昼過ぎに目覚め、日中はぼーっとして、日が暮れてから活動するという、まるでドラキュラのような生活のリズムが身体にしみついてきつつある。やばいんじゃないか?と本気で思う。お日様の出ている間は頭が回転していないのだから。

昼過ぎに、残務処理?に出かける。主を失った家は、外からはいつもと全然変わらないように見えた。しかし中に入ると、がらんとしていて、3日前とは全く違う表情を見せていた。空の押し入れ、空の食器棚、時計がかかっていたはずの壁、冷蔵庫があったはずの床。

デジカメで写真を何枚か撮る。デジカメで撮った写真をデジカメの外の記憶媒体に出す方法を、実はまだよく把握していないのだけれど、説明書はどこにいったのかしら。

私は写真を上手く撮ることができなくて、写真を撮るのが苦手だ。撮り慣れていない・カメラの扱いに慣れていないのも原因かな。実際、「すみませーん、シャッター押してくれますか?」などと言われると逃げようかと思うくらい。

だから以下のようなことを言うわけでもないのだが、写真を撮ることでは掬い切れないこともたくさんある、と思った。この風景の全てを写真に込められたら、と願うけれど、到底そんなことは無理で、今ここで見ている風景は、厳密には「今、ここ」だけのもので、そっくりそのまま再現することが不可能で、そのことは少し寂しい。忘れまいと思って必死に覚えていようとするけれど、それでも一部は忘れてしまうし、忘れたことも忘れてしまったりする。だから少しでも身体で覚えておこうとして、柱を触ってみたり壁にはりついてみたり、一見「何してるの?」みたいなことをしていたのだけれど。

ただ、写真に撮ることである程度は掬えるものもあるかなぁ、と。とりあえず風景の一部は画像として保存できる。それから、その場で自分が何を思い何を感じたかを思い出す手がかりになるかな、と。で、何枚か写真を撮った。それでも何となく足りないような気がして、こうして言葉でも残しているのだけれど。


片付けはなかなか進まない。段ボールの山を見ただけで意気消沈。早く片付けないとまともに仕事もできないのだけれど。とにかく、本と資料とカセットテープとCDが多い。


夜、少し動転。


昨日の日記に書いたことの続きというか付け加え。

私は、私に風を送って下さる、全ての人、全てのものに、感謝します。

時には風を送って下さったことに気がつかないでいることもあるかもしれないけれど、いつも、どうもありがとう、と思っています。


2002年09月15日(日) 箱を空けて中身出して箱を潰してひと休み / 日記の名前の由来

というわけで昨日の日記を今日書いた。ついでに金曜日の追記も。

今日、したことは、
箱を空ける→箱の中のものを出す→箱の中のものを適当なところに収納する(適当な所が見つからなければ放置)→箱をつぶす→ひと休み→…(これを数回繰り返し)…→昼寝(また?)→箱を空ける→箱の中のものを出す→箱の中のものを適当なところに収納する→箱をつぶす→ひと休み→…(これを数回繰り返し)…。

「ひと休み」の時間が長いのが、たぶん問題。あと、行き場所がないものをそのへんに放置していることも。要るものと要らないものの区別がつかない。出来る限りシンプルに生活したいと思っているのだけど。


いつまで続く日記なのかよくわからないけれど、日記の名前の由来など。

「風紋」とは砂丘や砂漠などに見られる、風によって出来る砂の紋様のことらしい。砂と風がつくり出す芸術作品とも言われるらしい。「らしい」と伝聞推定形で書くのは、私は実際にそれを見たことがないからだ。

私が日々の生活の中で出会ういろいろなもの、いろいろな人の存在が、私にとってやさしく(時に厳しく…?)吹く風となり、私の心に様々な紋様を描いている、と思う。そのようにして私の心に描かれた風紋を少しでも言葉にして残しておきたいと思った。

余談になるけれど、なぜ風紋を見たことの無い私が風紋の存在を知っているかというと、別に地学を選択していたからではなくて、「風紋」という名前の曲があるからだ。保科洋氏によって、1987年度吹奏楽コンクールの課題曲として作曲された曲(が、これはコンクールの時間的制限のために短縮されたものであったらしく、1999年に作曲者自身の手で本来の構想のとおりに加筆・改訂がなされた「原典版」が発表されている)。美しく流れるようなメロディーと情緒豊かな曲想によって、風紋の紋様やそれをつくりだす風の様相のイメージが存分に描かれている、素敵な曲です。私の大好きな曲です。


2002年09月14日(土) 「環境の変化」

朝、目覚めた時に、寒いと思った。いつの間にか秋だった。


環境の変化、という言葉が頭に浮かんだ。環境の変化、か。

今、私が経験している環境の変化は、自分が望むか望まないかに関わらず、半ば強制的に私の身に降りかかった変化だ(実はあんまり望んでいなかった)。しかも、私の一生のうちでもかなり大きな変化になるであろうということが、変化の只中にある今から予想できるような変化だ。自分が一生を終える間際に自分の生を振り返ってみた時に、絶対今回のことを思い出すだろうということが予想できるような。

まぁ端的に言うと、引っ越しをしたというただそれだけのこと。

いつも見ている部屋なのに、家具が無いだけで全然違う表情に見えるのが、この家との別れを思い知らされるようで寂しかった。空っぽになった部屋を見るのがつらくて、皆が作業しているにも関わらず、3時間ほど昼寝してしまった。←これは睡眠不足だったのが原因でもあるけれど。

今まで過ごしていた部屋に「お世話になりました、さようなら」と言ってお辞儀して去ってきた。この床の感触も、その柱の手触りも、あの壁のしみも、天井の雨漏りの跡も、何もかもを、一生忘れないようにしようと思った。

一方で、新しく住むことになる家に入って、ちょっと楽しみな気分が起こってきた自分に安堵もしていた。


この変化に適応できるかどうかかなり不安だというか、近い将来の自分がどうなっているかもよくわからない状況。

ただ、どんなに予想していてもどんなに準備をしていても、その時その状況になってみないとわからないこと、その時その状況になってみて初めてわかることって、きっとたくさんあるんだろうなと思った。具体的に言うと、新しく住む家の家具の配置とか、きっとどれだけ綿密に考えても、後で“これは不便だったかも”というところが1つや2つは出て来るんだろうな、とか。

恐れずに思い切って進んでみようかなと思った。というか、今さら引っ越しが撤回できない以上はそうするしかないのだし。実は何が起こるか、その時自分が対応していけるのかどうか、思いっきり不安に思っているのだけれど。


2002年09月13日(金) 第1稿提出 / 「魔法使いの弟子」 / チェリーヨーグルト / たぶん特別な今日明日

けっこう暑いけれど、でもやっぱり秋、という日。

なんとなく徹夜、というか寝たり起きたりを繰り返しながら論文を書いていた。妙にテンションが上がった状態で書いたので、後から読み直すと辻褄が合わないところがたくさんだろう。ちらっと見て下さった先輩にも「最後になるに従って『また』っていう接続詞が増えるね」とご指摘頂いた。ともあれ第1稿を提出。来週が怖い。というかそれよりも投稿する論文を早く書かないといけないような。

今回書いてみて、ほんとに自分は文章が書けないなというのを痛感した。勉強不足もあるのだと思うけれど(ほとんどそれが原因か?)、文章が下手でもなんでもとりあえず怖がらずに書いて形にしていこうと思った。

あと、私は追い込まれないとやらないタイプなんだなというのもつくづく思った。追い込まれて見えてくるものもたくさんあるけれど…。で、追い込まれてもやらないこともあり…。

なにはともあれ、多少疲れた。


交響詩「魔法使いの弟子」(デュカス作曲)を急に聴きたくなって、聴く。場面場面の表情の変化が面白くて好き。で、この曲を聴くと、ファゴットを吹けるようになりたいなぁと思う。


これを今日食べた。チェリーのヨーグルトってあまりないなぁと思って。大きなチェリーがごろっと入っていてちょっとびっくりした。美味しかったです。


明日に備えて、家はいろんな人が出たり入ったり。たぶん今日明日明後日くらいは、私にとって何年経っても忘れられない特別な日になるのだろうなと思った。毎日が特別な日なのかもしれないし、そういう意味では何でもない1日1日も大切にしたいと思うけれど、その中でも特に特別な日があるとしたら、私にとってのその中にたぶん今日や明日という日が入っているだろう、というような日をこれから過ごすことになる。見るべきものをしっかり見ておこうと思った。


ところで今日も例によって例のごとく寝ながら学校に来た。たぶん寝ながら帰る。


備忘録:図書館に変更届を出してきた。FAX用紙を買うのは来週にしよう…かな。


追記:
「寝ながら帰る」と予想したが予想通りで、帰りの電車の中で眠ってしまって乗り過ごしてしまった。乗車時間が約5分ほどしかない区間の方で寝過ごしてしまったというのが、ちょっとなんだかなぁ…と自分で呆れた。


2002年09月12日(木) 備忘録程度

気が向いた時に寝て気が向いた時に起き、気が向いた時に食べているので、生活のリズムがかなり変。

昼から大学。締め切りが近いのでけっこう皆あせっていた。私はというと、できているような、できていないような、通して読んだら意味が全然つながっていないよ…みたいな感じ。とりあえず今からもう少し頑張ろうと思う。

昨日からパソコンの調子が何となく悪い。ここ2〜3日は、家に居る間、電源をつけっぱなしにしているからかもしれない。お願いだからもうちょっとだけ頑張ってね、と機械を酷使する私。修論の時もかなり頑張ってくれたんだけれど。ごめんね。いつもありがとう。


恐らく、明日明後日、下手をすると明々後日も、家からインターネットにつなぐことが(物理的に)出来ないと思います。


2002年09月11日(水) 講習会とか

起きたら腹痛でしばらく動けなかった。寝ながら大学に行く。電車で寝てしまうと下車した時がしんどい…。

講習会。毎度のことながら、英語しゃべれないなぁ、と溜息。英語力不足と(これが基本的な原因か…)、照れと、緊張するとパニックになってわけがわかんなくなるのが原因かな。喋っている言葉が文章になっていないというか文法構造がめちゃめちゃ。その前に、喋ろうとしていることが日本語を使っても明確にできていないんだろう?というのもあるかな。

質問されてどう答えればいいのかわからなくなった時に、頭が真っ白になって黙り込んでしまうのは、何とかしたいなぁと思う。黙っていたら何を考えているのか相手にもわかってもらえないんだよ、というのはわかっているのだが…。

論文の締め切りが近いので、焦っている人が多かった。で、とある先輩とお話。なかなか書けないけれど、とりあえず書くしかないんだよね…と実感する。あとは、同時に複数の仕事を進めるのがしんどい話とかをしていた。

寝ながら帰る。

帰りしなにちょっとだけ楽団に寄って、パンフレット関係の連絡をしてきた。あと色々、一気に雑用を済ませる。コンクールの写真の申し込みと、次の演奏会の参考音源の申し込みをしそびれたので、また次に行った時にでも済ませようと思う。

今日の日記は完全に備忘録。備忘録ついでに明日は教務掛に変更届を提出してきて、FAX用紙を買ってくること、っと。


2002年09月10日(火) 寝たり起きたり

朝から留守番要員だったり、写真係をしたり、電話番をしたり、お使い係になってスーパーに走ったりしていた。合間に原稿を読み直したり、箱詰めの続きをしたり。いろいろなことを一気にしようとするのが良くないのかもしれない。

お昼過ぎに、何だか急に気持ちが落ち込んで何も手につかなくなったので、寝る。寝てる暇なんてあるの?という説もある。落ち込んでいる暇もないはずなのだが。落ち込んでも、それはそれとして、しなければならないことを淡々と出来るようになりたいのに。

強引に目を覚まそうとしてコーヒーを入れて来たところ。

後でまた書くかも。書かないかも。


で、書く…が、↑この後に別に何をしたわけでもない。少し寝て少し起きてを繰り返している。寝る時は寝ると、すぱっと割り切ってしまった方がいいのかもしれない。

少しずつ見えてきたような、見えたと思ったらふっと逃げてしまうような、の繰り返し。

関係ないけれど、今日は何だかいつもよりもたくさん蚊に刺された。かゆい…。


2002年09月09日(月) 軽く自己嫌悪 / 出会いと反省

もうすっかり秋の雰囲気だなぁと、蜻蛉の乱舞を見ながら大学へ。

忙しい忙しいと言うだけで何がどのように忙しいかよくわかっていなかったので、この先1ヶ月のうちにしなければならないことを整理する。現状に流されているばかりの自分に軽く自己嫌悪。ついでに、複数のことを同時に進めることのできない自分にも自己嫌悪。自己嫌悪している暇があるなら頑張ればいいのだけれど…。

先日、とある後輩の妹さんに初めてお目にかかったのだけれど、後で妹さんが私のことを「何だかおどおどした感じで、きちんと目を見てくれなかった。もっと自信を持てばいいのに」というようにおっしゃっていたと後輩から聞いた。そう言われたことはけっこうショックだったし、反省した。一つは、私は基本的に自分に自信がないのだけれど、それでもそれはそれとして、私は私だと胸を張っていたいなということ(難しいけれど…)。もう一つは、一つ一つの出会いを大切に、誠実に人と向き合う姿勢が自分に欠けていたということ。気に留めていたいと思う。それは、この日記を書くときにも。読んで頂けるのも一つの出会いだから。

別の後輩に会って、データの分析についてのアドバイスなど。お礼(?)に、右足の擦り傷をデジカメで撮影してもらう。「家庭の医学」みたいな本に掲載されているような画像ができあがった。どうもありがとう(というのも変だが…)。後生大事にします。たぶん。

帰りは夜。かなり涼しくて、もう秋だなと思った。


2002年09月08日(日) 怪我 その3

1日の切れ目が何処にあるのか、よくわからない生活を送っている。基本的な活動時間が真夜中になってしまっている。夜から朝に変わる時間に外を眺めるのがとても好き。だが、明日はきちんと朝に起きねばならないので、今からいつどうやって寝ようか思案中。そのうちきちんと朝方に戻すつもりだが、今だけ。

右足の傷は昨日よりは随分良くなった。多分明日からはこうして日記に書くほどのことでもなくなるだろう。人間の皮膚は随分脆いものなのだなと思う。ちょっと転んだだけでこんなにずたずたになってしまうのだから。こんなに脆い皮膚しか持たないのに、人間はこの世の中でこうして生きている。そのことを、何だかとてもすごいことだと思った。

怪我をしたことで随分いろいろなことを思ったり考えたりしたけれど、やっぱり転んだ瞬間はとても痛かったし、今回は擦り傷と内出血だけで済んだけれど、もし骨折したり顔に怪我をしたりしていたら大変なことになっていたと思うので(顔もぶつけたのだが唇の端を切るくらいで済んだ)、自転車に乗られる方はどうか転ばないように気をつけて下さい。自転車に乗られない方も、歩いていて転ばないように気をつけて下さい。

怪我の話題で3日間も引っ張ってしまったのは、3日間痛かったのと、3日間ほとんど外出しなかったので特筆することがなかったのと、夜型になると気分的に1日が昼からはじまるようなものなので、1日がとても短いからますます特筆することがなかったのが理由。実際、今日したことというのも、ひたすら箱詰め。恐らく詰めるよりも解体する方が大変だろう。あとは、自分の将来について考えて、絶句したり頭を抱えたりしていた。


2002年09月07日(土) 怪我が痛い / 論文を書く気が起こらないこと

引き続き、右足の傷が痛い。足を動かさなければ何ということもないのだが、膝を曲げ伸ばしすると、傷も伸び縮みしてひりひりと痛む。だから、膝を曲げ伸ばしする度に、いちいち気合いを入れている。こんなことを通じて、普通に生活していると膝を曲げたり伸ばしたりすることが意外と多いことに気がついたりする。

加えて今日は体調もあまりよくなくて、食欲がなかったり腹痛に苦しんだりしている。で、1日中寝たり起きたりしていた。

一応、公開の日記にこんなことを書いていいのかな、と思う。でも、日記を書くことができているくらいなので、まだ大丈夫。


どうにも論文を書く気が起こらないのは何故だろうと思う。書きたくないからといって逃げて先延ばしにしても、かえって締め切りに追い詰められて苦しいだけだということはわかっているけれど。そして、誰かが代わりに書いてくれるわけではないから自分が書くしかないことも、わかってはいるけれど。

書けない書けないと思い込んでいるから余計に書けないのかもしれない。書けないか書けるかに関わらず、今は私は書くしかない、のに。そのために頑張らなければならないのにな。

何もしていないのに余裕を失っていて、いろいろなことを棚上げにしていたり、いろいろなことに苛々している自分にも自己嫌悪。

好きでこの道に進んできたのに、情けない限り。


そんなことを考えて、1日中ぼーっとしていたのだけれど、そろそろ動き出すことにします。


2002年09月06日(金) 日記をはじめる / 転んで怪我した

Web日記というものの存在を知って以来、いつか私も書いてみたいと、ずっと思っていた。しかし、私にはできないことのような気がして、ずっと書けずにいた。「できない」というのは、多分、書くということそのものも、書いたものを公開するということも。

最近、色々な方に日記をつけることを勧めて頂いた。そして今日、不意に、「書きたいと思うならとりあえず書いてみればいいじゃないか」という気分になった。だから今日からはじめることにする。何をどのようにどこまで書けるかわからないけれど。いつまで続くかということも未定。それでもいいや、と私は思っている。


一応日記らしいことを。

昨日、自転車に乗っている時にバランスを崩して自転車ごと転んでしまった。かなり派手に転んだので、左膝と右膝に擦り傷。右膝の傷の方がひどい。10円玉4つ分くらいの範囲が血で赤く染まっている。今日も、膝を曲げ伸ばしした時に傷口も伸びたり縮んだりして痛むので、ちょっと難儀している。

小さい時は、よく転んで、こういう傷をしょっちゅうつくっていた。あまりに久しぶりに怪我をしたので、まずどういう応急処置をすればよいか思い出せずに茫然としているうちに、同僚が「傷口を洗った方がいいよ」と言ってくれたり薬局に走ってガーゼと消毒薬を買って来てくれたりして、随分助かった。どうもありがとう。


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浜梨 |MAIL“そよ風”(メモ程度のものを書くところ)“風向計”(はてなダイアリー。趣味、生活、その他)