風紋

もくじ / この前 / この後


2002年10月30日(水)

週に1度の仕事の日は、いつもと反対方向の電車に乗る。いつもと違う風景を眺めながら仕事先まで行く。眺めながら…って、眠り込んでいることも多いけれど。今日も眠り込んでいて、駅員さんに「着きましたよ」とつつかれて急いで下車した(終点だったのは幸い)。

かなり寒いけれど空はきれいでよく晴れていて、気持ちのよい日。こんな日は、あてもなく電車に乗って、気の向くまま乗り換えを繰り返して、全然知らない場所まで行ってみたいと思う。


「どうせ私なんかが何をやってもうまくいくはずがない」と思うことが、私はよくある。うまくいかないに違いないとか、出来るはずがないとか。今度も失敗するだろうとか、望んだものは望んでも手に入るはずがないとか。ひどいときには「私は何をやっても失敗する運命なのね」と思ってしまったりする。どこかしら歪んでいることは自分で何となくわかってはいるのだけれど。

思いっきり正直に言ってしまうと、現在の私はそのように思ってしまって、何も手につかずぼーっとしているという状態ではある。これじゃ駄目だとは思うけれど。

私の場合は、「うまくいくはずがない」と考えることで、実際にうまくいかなかった時の衝撃を抑えようとしている面もある。「うまくいくだろう」と思っていて、うまくいかなかったとしたら、やっぱり悲しいから。悲しい思いをするくらいなら、最初から「うまくいくはずがない」と思っておいた方がいいとか。

また、「うまくいくはずがない」と考えることを、行動をしない言い訳にしている面もある。うまくいくはずがないのであれば、行動をしてみても無駄だとか。

自分で書いていて、ますます自分自身のことを「それってどうよ」と思う。情けないよ。

「きっとうまくいく、大丈夫」と思って何かに臨む姿勢か、あるいは、どういう結果になってもかまわないという姿勢で恐れずに何かに臨む姿勢か、どちらかでありたいのに、と思う。

でも、自分のことを考えてみると、実際に何かやってみて、全面的に成功だったという経験も、全面的に失敗だったという経験もないような気がする。どんな経験も、両面を併せ持っていて、ある面では成功したと言えるし、ある面では失敗だったと言えるし、だから結果を一言でまとめると「まずまずだったと思う」ということになることが多い。

とにかく、恐れずにやってみること、無駄でもいいからやってみること、やってみた結果を冷静に受け止めること、冷静に評価すること、良かった面は素直に喜んで、至らなかった面は謙虚に反省して、そして次につなげること。こんな簡単なことが、実は出来ていなかったりして、でも、これを繰り返していきたい、と思う。

うまくいかないだろうから何もしない、という自分からは脱却したいんだ。でも疲れたら適当に休むけれど。

小学生から中学生にかけての頃、薫くみこさんの作・中島潔さんの絵の「十二歳シリーズ」という一連の作品がとても好きで(たぶんポプラ社のページのどこかにあるのではないかと思う)、今の自分にとっても大切な作品である。そのシリーズの1冊である「十二歳はいちどだけ」(1984年刊)のカバーの裏に書いてある「作者からきみたちへのメッセージ」が、何となく印象に残っている。

「一度うまくいかなくたって、
二度目でうまくやればいいのです。
二度目でうまくいかなかったら、三度目に挑戦すればいいのです。
かんじんなのはあきらめないこと。あきらめるのはいけません」

初めてこの文章を目にした小学生の時から、印象に残る言葉ではあったけれど、あきらめたくなることが増えたり、あきらめざるを得ないことがあることを知った今、改めて読むと、頭から水をかけられたような気持ちになる。

わかっていても動けない・動きたくないことも多いけれど、少しずつでも動いていければ。少しずつでも。

あんまりうまく書けないけれど(ということを言い訳にするつもりはないけれど)。


贈り物を頂いた。とても暖かい気持ちになった。笑おうと頑張らなくても、自然に笑顔になれるような、そんな気持ちに。どうもありがとう。嬉しかった。


2002年10月29日(火) 今日したこととか家のこととか

やっぱり寒いですね。

昼前に家を出て大学。何だか、家を出る前にまた昨日のようなどうしようもない感じになってしまったが、無理やり自転車を漕ぐ。お天気が良くて空がきれいだということだけが外に出る動機づけになっている感じ。まぁ、暫くしたらけろっとしていたのだが。

文献を調べたりコピーしたり。明日の仕事の準備をしたり。あと、たまたま後輩に会って嬉しくて小躍りしたり。

本屋さんに行って、ふらふら見て回る。ずいぶん読んでみたい本が多かった。学術書にもそうでないものにも。とりあえず1冊だけ買った。あと雑誌を1冊と。

とか、随分のんびりと過ごしてしまったが、のんびりと過ごしている場合ではないような気がする。気がついたら10月が終わる。よくも悪くも私は気分の振れが大きいみたいなので、調子のいいときに集中してやらないといけないんだろうなと思う。コンスタントに頑張れれば一番いいんだけれど、いろいろな面で至らない。

帰りしな、東の空の彼方にオリオン座。

家に入る時に、門を閉めながら周りの風景を見て、ほんの2ヶ月前には自分がこんな風景を見ているなんて思わなかった、と思った。不思議な感じだった。2ヶ月前には今とは違う門を閉めていて、門を閉めながら見た風景は全然別のもので、でももうその風景を見ることはない。

前の家があったところの近くを通る機会は週に何度かはある。その時は、なるべくその土地を見ないようにするか、あるいは、ここに家があったということ自体を思い出さないようにしているような気がする。適切な対処でないことは自分でもわかっているが、どうしたらいいのかよくわからない。

そろそろデジカメで撮った前の家の写真を整理しようと思うが、特に最後の数日で撮った写真は見るのが辛くて、ゆえに放ったらかし。

住所を書くことを求められた時に、今までと違う住所を書くのには漸く慣れてきたけれど、それでも書き終わった後で、これで間違いないんだっけ?と思う。


何だか最初に書こうとしたことと全然違う方向に話が展開してしまったような気がするけれど、そういうこともありかも、と思う。

まぁ、おおむね良い日でした。ありがとう。


2002年10月28日(月) 心の中で3拍子 / どうしようもない感じ / のど飴

今日は寒いですね、というのが出会った時の挨拶になる季節になってきた。

昨日の練習で演奏した曲のうち何曲かが、ずっと心の中で流れていて、知らない間に3拍子のリズムに合わせて歩いたりしていた。本番が近づいてきたなという独特の快い感じ。今回はいつもにも増して練習していないので、まずいのだけれど。


今日は午後からアルバイトに行っただけ。そろそろ仕事を終わろうとした時に、不意に無力感(と名前を付けてしまうと「無力感」として固定されてしまいそうで嫌なのだが、と言っても何とも名付けようがないのだが「どうしようもない感じ」という感じ)に襲われて、歩くのも面倒な思いがした。そのへんにぺたんと座り込んでしまいたいなぁと思いながら、動きたがらない体を気合いで引き摺るようにして帰ってきた。こんな日もあるか…と言うには、きついけれど。


風邪をひいたときのために、のど飴を買った。私がよく食べる(のど飴って食べるのか…?)のは、龍角散ののど飴か、ロッテののど飴(こちらかな)。龍角散ののど飴は合唱をやっていた頃からよく買っていた。ただ、好き嫌いは分かれると思う。美味しくはないけれど、よく効く気はする(気分だけかも)。

昨年、たまたま出くわした卒論生に質問をされて、あまり自信がないながらもこうじゃないかなとアドバイスをしたら、翌日お礼にとのど飴をもらったことがあった。数回話しただけの人なのだが(の割に提出直前に図表の切り貼りとか手伝ったけれど)、元気かなと思い出す。元気でいてくれればと切実に願う。


なんだかまだ、どこか何だか糸がぷちっと切れたような感じで茫然としているのであまり書かないつもりだったのに、のど飴の話で引っ張ってしまった。

風邪などひきませんよう、お体お大事に。


2002年10月27日(日) 小学生 / 練習 / 今朝見た夢

爽やかな秋の一日でした、と言いたい日。しかし多少寒い。

朝、とある行事に参加して、大勢の小学生の前で演奏をしてきた。持ち時間は15分ほどだったけれど、小学生に指揮者と打楽器演奏の体験を少しだけしてもらって、それから1曲演奏をしてきた。

私は普段はあのくらいの年齢の子どもたちと関わることがほとんどないので、久しぶりに小学生を見ると、随分元気だなとか可愛いなとか思った。ただ、元気だとか可愛いとか無邪気だとかで形容できない部分もきっと小学生はたくさん持っているのだろうなとも思った。うまく言えないけれど。それぞれの子どもが、それぞれの考えを持って、それぞれに一人の人間として生きているのだろうなと。それは元気だとか可愛いという言葉だけでまとめられるものではなく。

まぁ元気なのは本当で、何故朝の9時からあんなに元気がいいんだろうとも思ったけれど、考えてみれば普段は遅くとも朝8時前後には学校に行っているのだから当然かもしれない。私などは今朝6時半に起きるのすら辛かったのに(→それは普段怠けすぎ)。

子どもたちはどんなことを思ってこの曲を聴いたのかな、そして今日この場で私達がこの曲を演奏したことは、子どもたちにとってどのような形で残るのかなと思った。すぐに忘れられるかもしれないけれど。それでも、一瞬でも、何かを感じてくれていれば嬉しいなと思う。傲慢かもしれないけれど。

演奏を終えて控室に移動する途中に、児童合唱団のメンバー(出番が次の次だったらしい)とすれ違った。私も小学生の頃に在籍していた。懐かしかった。制服が少し変わってしまっていたことに時間の流れを感じた。久しぶりに聴いて帰りたかったけれど、私達は聴くことができなかったのが少し残念。

参加賞(?)は、ボールペンだった。


一度解散して、夜にもう一度練習。まともに合奏に参加したのは久しぶり。譜読みが全然出来ていないし、ほとんど練習しなかった期間が長かったから身体の使い方がおかしくなっていて、すぐに体力が続かなくなった。それでも、いくつかの曲が意外に魅力的であることがわかって、しみじみ感動したりしていた。今まで、もう続けられないと思ったことは一度や二度ではないけれど、それでも続けているのはこの一瞬のため。でもまだまだ努力が足りない。色々な意味で。


全然関係のない話になるけれど。

今朝、起きる直前に夢を見た。何者かわからないけれど私を追って来る者から必死に逃げる夢。随分走ったような気がするし、とりあえず身を隠せる場所を探していて、一度休んでもいつ追われるかと思うと気が休まらなかった。それでも家族と友人の何人かが手助けをしてくれたのは幸いだったけれど。細かくは忘れたが、最後の方で、このベランダから飛び降りた方がいいのかどうか思案していたのは覚えている。

いや、夢はあくまで夢だし、少なくとも今はあまり深く解釈はしたくないのだけれど。ただ、せっかく眠ったのに、やたらと疲れたのって、何だかなぁと思った。


2002年10月26日(土)

ふとした拍子に心のアンテナ(のようなもの)に引っ掛かるもの。その中で書こうと思うもの。書いて残しておこうと思う気持ち。この日記を読んで下さっている方や、未来の自分に伝えたいこと。

そのようなものがたくさんあるような気はするのだが、それを思いっきり書くだけの体力と精神力が今は無いような気がして、だから日記エディタを開いて茫然としている。


とりあえず、少しだけ。

昼から研究会。あまり体調も天気も良くなかったので、行くのをやめておこうかとも思ったけれど、折角の機会だからと思い、動きたがらない身体を乏しい気合いでずるずる引き摺るような感じで出かけた。結局は、行って良かったかなと。ただ、頭痛を堪えながら聞いていたのと、あと、どう言えばいいのかな、公的な「私」(研究をする人としての私)の視点よりも、私的な「私」の視点でもって聞いてしまったのとで、少しきつい数時間ではあった(もちろん両者は完全に分かれるものではないだろうけれど…)。

少し早めに抜けて、一度自宅に戻って楽器を取って、楽団の練習。最近まともに練習していないから思うように演奏できない。頭で思っていることと身体がちぐはぐになっている。

明日は朝から、とある行事に参加して、子ども(小学生くらい?)の前で演奏をしなければならないので、もう寝る。起きられるかな。


2002年10月24日(木) 山(←比喩) / 猫 / 風邪に注意

とりあえず、昨日で山をひとつ越えたような気がするけれど、他にもたくさん山があることを思い出し、昨日まではそれらの山を見ようとしていなかっただけだということを思い知り、そんな自分を情けなくも思う。

昨日まで頭痛がしていたのは何となく納得できるが、今日も何故か頭痛がするような気がして、何となく調子が悪いような気がしていた(気合いが足りないだけのような気もするが)。だから、大学は早めに出たのに、その後にアルバイトに行ったら何となくましになったような気がして、長居をして、結局帰り時間が同じになった。もっと早めに帰った方がいいのかもしれないと思いながら帰った。東の空に見える月に、何となく勇気付けられるような気がした。

頭痛と一緒に何となく足が筋肉痛のような気がして、何か特別なことをしたっけ?と考えてみたが、どう考えても、昨日、週に一度通っている仕事先から帰る時に坂道を駆け下りたことしか思い出せなくて、普段どれだけ運動してないんだ私は…と思った。


猫に出会うことが多かった1日だった。同じ猫に2度出会いもした。朝に出会ったときは、喫茶店の扉の前で「開けて」と言いたそうに座っていて、夕方に出会ったときは、同じ喫茶店の扉の前で「私にも何かちょうだい」と言いたそうに座っていた。何だかほっとして嬉しくて、肩の力が抜けた。


あぁ、明日の準備をしていないな。怠惰でだめだ…。

寒くなってきましたので、どうぞ風邪など召されませんように。


2002年10月22日(火)

明日の準備をしている。あちらもこちらも、たぶんとても不完全なままになるだろう。何もしなかった私が悪いんだろうと、反省。今から何とかしようという気が起こらない自分にも。

気分転換に買い物に行って、ビスケットと蜜柑を買ってきた。蜜柑を見て、季節がだいぶん進んだものだな、と思った。何だか蜜柑が私を呼んでいるような気がして、つい手に取ってしまった。

夜の冷たい空気が、どこか懐かしく、とても愛しい。





2002年10月21日(月)

できることとできないこと、頑張ることと頑張らないこと、などについて、ぼーっと考えていた。

少しずつでも、動き出していけるかな、と思った日。

最近、好きな食べ物は、井村屋のミニようかん(参考資料)。


しなくてはいけないことがあるのに、何となく茫然としている。放心している。あまり良くない。あまりにもできていないから、放棄したがっているのかもしれない。というか先週あたりからずっと茫然としてるぞ私。気合いも緊張感もない…。

少しずつでも、少しずつでも、動き出せればいいのかもしれない。


低音の楽器を演奏したい気分。バリトンサックスとかバスクラリネットとか。


2002年10月20日(日)

昨日の日記で「多少憂鬱なこと」と言及したところのものに行ってきた(参加したとも言うし出席したとも言うか…)。本来ちっとも憂鬱なことではないので、そう言っている時点で私が変だし、そう思ってしまってごめんなさいと思うのだけれど。

実際に行ってみるとそんなに憂鬱ではなかったし、素敵だったのだけれど、自分自身の在り方が段々情けなくなってきた(もともと情けないのだけれど…)。この場に対して憂鬱だとか情けないとか思ってしまう自分の在り方が。

情けなくても生きていけるのだし、生きていかないといけないのだけれど…。

なにはともあれ、多少疲れたので、今日はあまり書けない。


そして、本来自分がやらなければならないことがちっとも終わっていない。もっと頑張らねばならないのに頑張れない。何もかもが至らない。


ほぼ半日、髪の毛をつり上げて引っ張ってきつく結んでいたので頭が痛い。


今、聴いている音楽:
ヤナーチェク作曲「シンフォニエッタ」(Sinfonietta)(クラウディオ・アバド指揮/ロンドン交響楽団)

「好きな音楽、好きな曲を教えて下さい」と言われると、それこそ24時間かけても語り尽くせないくらいたくさんあるのだけれど、この曲は好きな曲の一つ。華やかで、でも何となく寂しげで、一方で毅然とした強さと流れるような美しさを持つ。

なぜこの曲を聴いているかというと、今、この曲の第3楽章(モデラート)のような気分だから。


2002年10月19日(土) 書き足し / 在ったのに / 抵抗 / 悪い人 / 下向き

18日付けの日記に、今日になってから少しだけ書き足しをした。昨日は眠くて書けなかったけれど、どうしても書いておきたかったこと。気が向いたら読んで頂ければ幸いに思います。


夜、前の家の前を通りかかった。本当はその道を通りたくなかったのだけれど、その道を通らないといけなかったので、仕方なく通ることとなった。

敢えて解体の途中経過を見ることはしてこなかったのだが、もうすっかり跡形も無かった。在るのは木が数本(こちらに移植してくる分)。周りの風景は見慣れたものと何も変わらないのに、家だけがない。

在ったのに。

頭の中にその言葉が浮かんだ途端、つるっと涙が零れた。情けない話だが。

在ったのに。1ヶ月前までは住んでいたのに。半月前までは確かに此処に在ったのに。もう無いの? 本当に無いの? 何故無いの? 今、私が見ているのは何? これは現実? それとも半月前に見たものが夢だった? 

…半月前に見たことも現実だし、今日見たことも現実なんだけれどね。信じられなくても。

家が無くなったからと言って、昔の思い出まで無くなってしまったわけではないということはわかっている。無くなったのは、あくまでも物体。けれど、私にとっては、自分の体を半分ちぎられたような感じがある。

それでも、この時期に解体ということはかなり前からわかっていたので、ある程度の覚悟はできていたし(できていてもきついけど)、最後にじっくりと別れを言うことができたのは、今回は幸いだったと思う。思いも寄らなかった突然の別れほどつらいものはない。いつ別れても後悔しないというくらいの覚悟で会わなければならないと思っていても、なかなかそうできないし、じゃあねと言って別れる時には次にまた会える機会があると根拠も無く思い込んでいるから。…話がそれた。

それでも、もうしばらくの間は、この道を通りたくないと思った。もう少しだけ時間が欲しいと思った。


土曜は何となく調子を崩すことが多いような気がする。今日も少し頭痛のような気がするが気のせいかもしれない。気合いで治りそうな気もする。

大学に行こうと思っていたが、雨が降るのでやめて、家でいろいろしようとしたら、案の定ほとんど何もできなかった。

時々浮かんでくる「私が何かしようとしたところで、どうせうまくいくはずがないからやめた方がましだ」という考えに必死に抵抗しながらの日々。うまくいかなくてもかまわない。多分そんなに器用には生きられないしこれまでもそんなに器用に生きてきたわけではない。ただ「何かしようとする」ことまでやめたくはない。やめたくはないのに、時々、心弱くなって、全てを投げ出したくなる。

苦しくて吐き気のするような無力感、挫折感、敗北感、自己嫌悪。 

そういうものを感じているとしても、ただひたすらに、やり続けなければと、自分に言い聞かせる。…出来てないけど。


いろいろなことが中途半端になっていて、諸方面に迷惑をかけていて、何だか私はどんどん悪い人になっているような気がする(もともと悪い人だったんだろうとは思うが…)。一番大切にしたいことだけ大切にできればいいと思うのに。

悪い人で思い出すのは、アランジアロンゾの「わるもの」(こちらのページのどこかにいるはず)。さっき、このページをふらふら見ていたら、「めでたいおさけ」と「たのしいおさけ」というのがあるらしいと知った。すごく飲みたい。…でも飲めない体質であるのが悔しい。


明日は多少憂鬱なことがある。本来、ちっとも憂鬱なことではないので、憂鬱に思ってしまう私が良くないのだろうけれど。せめて愛想よくにこにこと笑っていることができればと思うが…。


今日はすごく下向きな日記だと思う。申し訳ないと思う。こんな日もある。下向きな自分をギャグにして笑い飛ばす余裕も無い日。


2002年10月18日(金) 走れない私 / 十三夜のお月見 / 偶然の出会い

「ここで走らないと遅刻してしまう」ということがわかっているのに、そして遅刻するのはよくないことだとはわかっているのに、どうにもこうにも走る気が起こらなくて、むしろここに畳があればぺたんと座り込んでしまうか寝転がってしまうかどちらかだろうなというくらいの気持ちで、どうしても走れないということが、時々ある。今日はまさにそんな日で。全然走れなくて。走る気のない自分を責めていたりもするのだけれど。結局、電車を2本遅らせた挙句に、電車が駅に着いてからも走ることをせず、結果的に10分ほど遅刻した。駄目じゃないの…反省。

ゼミ→講演会→お喋り→逃亡→お喋り→仕事?

特に何か生産的なことをしているわけでもないのに、帰りたくなくて、うだうだと残っている。
帰らないことで、何かから逃げているという気もする。

続きがあるとすればまた後ほど。


続きがないわけではないのだけれど、ひとまず休む。というか休んでいる場合ではないような気もするのだけれど。

今日は十三夜のお月見らしい。でも帰りに自転車を漕ぎながら見た月は、ぼうっとかすんでいた。昨夜の方がクリアに見えたような気がする。それでも西の小窓から月が見えるので、今日も何となくカーテンを閉められずにいる。

旅から戻ってきてから、時々頭痛だったり腹痛だったりで、昨日はソフトクリームを食べたいだの月見団子を食べたいだのと書いたけれど食べられずにいる。でも、月を愛でることができるのは幸いに思う。

もう休むと言いながらけっこう書いてるじゃないか。さっきは、今日は絶対書けないとか思ったんだけれどな。


「ゼミ→講演会→お喋り→逃亡→お喋り→仕事?」と書いたうち、逃亡中に起こったこと。

あまりのやる気のなさに買い物に行き、やる気のない買い物をして(羊羹とか買っている時点でかなりやる気がない)戻りかけた時に、とある後輩に出会った。時々偶然出会ったりもするのだが、そう言えば偶然出会ったのも久しぶりのことだった。しばらく喋る。卒論どうなん?という話。お土産があるよという話。私の日記の話。後輩の日記の話。

自分自身でも気がついていない・思ってもみないし、当然そういうのを表出しようとも意図していない自分の一面というものが、案外他人には見えているものだなと思った。ここでもそうなのだろう。同時に、絶対他人が知り得ず私だけが知っている自分の一面もあるだろう。

あ、その話が不快だったということは全然なく。面白いなと思った。

「自分自身でも気がついていない・思ってもみないし、そういう自己を演じたり表出しようとも思っていないのだけれど、他人には見えている」自分を知りたいような。知るのがこわいような。

しばらく話していると、後輩の以前のお知り合いの方が偶然そこを通りかかり、お会いする。「以前のお知り合いの方」と、さらっと書いてしまったが、後輩にとってのその人も、その人にとっての後輩も、お互いにとても大切だという言葉では言い尽くせないほどの絆で結ばれているのがよくわかった。直接会うのが1年半ぶりだったそうで、しかも両方が会うとは思っていないところで会えたということで(お知り合いの方は、今は遠くにいらっしゃるそうで、偶然こちらにいらしたそうなので)、ただただ大騒ぎして、なぜか私も一緒にとても盛り上がった。

何だか私もとても嬉しくて。お互いにとって相手がとても大切な存在で、会えなくても、意識して思い出そうとしなくても、とても大切な存在であるというのはよくわかったし、そういうお2人が会えたということが、ただもう嬉しくて。

連絡先がわからなくなっちゃったとか、会うのが難しいような遠い場所に行ってしまったとかいう事情があって、もう二度と会えないだろうとか思ったとしても、生きている限りは、またもう一度会うことができるのだと思い、それはほんの少しだけ心を強くしてくれる事実であると思った。生きている限りは。会えなくても大切なのだと思うけれど、直接会って、相手の目を見て、相手に触れて、相手の声を聞いて、相手の存在を全身で感じることは、どんなに嬉しいことであるだろう。だから、できるだけ「あなた」にも生きていてほしいし、自分も生きていたいとも。

良かった。良かったね。

私は割と人見知りがきついし、緊張しぃなので愛想も悪かったりするし、話もあまり上手ではないのだけれど、それでも、また会いたいと思う人が何人かいる。その中には、すぐに会えそうな人もいるし、会うのが難しいだろうなと思う人もいるし、もう会うことのできなくなった人もいるのだけれど、そういう人の存在が私を支えてくれているし、「今」「ここ」で会えたことをできるだけ大切にしたいと思うのだった。

私信:勝手にネタにしてごめんね(たぶん読んでくれていると思うので…)。


2002年10月17日(木) 今、したいこと / 月

今、したいこと。実現可能性のあるものからないものまで。順序は、実現したい順ではない。

・満開のコスモス畑でぼーっとしたい。
・ソフトクリームが食べたい。
・みかん狩りをしたい。
・ピアノを弾きたい(最近弾いていない)。
・歌を歌いたい(最近歌っていない)。
・スーザフォンを吹きたい(白いFRP製のでいい。真鍮製のは多分担げない)。
・やったことのない楽器を恰好良く演奏してみたい(→無理)。
・お祭りに行きたい(夏祭りは時期的に無理なので、秋祭り)。
・栗拾いをしたい。
・ハーゲンダッツのアイスクリームを食べたい。
・お昼寝をしたい。
・発声練習をしたい(最近していない)。
・ミュージカルを見に行きたい。
・温泉に行きたい(もう少し寒くなってからでもいい)。
・葉っぱからお茶をうまくいれられるようになりたい(今のところできない)。
・「エリザベート」を見たい(見たことない)。
・お酒を飲みたい(でも体質的には飲めない)。
・「ドラえもん」のアニメを見たい(最近見ていない)。
・植物園に行きたい。
・知らない所に行きたい。
・お月見がしたい(月見団子も食べたい)。
・詩を読みたい。

でも来週半ばに、ひと仕事。目処はついていない。


夜、カーテンを閉めようとしたときに、思いがけず窓から月が見えて、何となく勿体無くて、カーテンを閉めるのをやめてしまった。


2002年10月16日(水) 仕事の話(というより電車とか乗り換えとかの話) / 学会と1週間

週に1度の仕事の日。

まだ3回目なので、どの電車に乗っていくのがいいのかと迷いながら毎回違う電車に乗っているのだが(数回乗り換えをするのだが)、今日乗った電車は非常に混んでいて押し潰されそうで息苦しかった上、乗り換え駅への到着が遅れて(これは今日たまたまだったらしいけれど)、おかげで接続がうまくいかなくて、朝から半泣きになっていた。こんなことで半泣きになるのもどうかと思うが…。

仕事の方は、やっぱり人前で話すのが苦手な上、そもそも私自身が内容をよく把握していなくて申し訳ない。申し訳ないで済む話ではないので、少しずつでも努力したい。思っていることがきちんと話せるように。内容を把握した上できちんと伝えられるように。

それから大学に直行。電車の中で眠り込んでいて、気がついたら乗り換え駅を過ぎて終点まで来ていた。ここでも乗り換えができるし、むしろこちらの方が始発なので座れるのだが、時間は明らかに余分にかかっている。でも全然目が覚めなかった…。


何だか無性に歌が歌いたい。しかし一人で歌える場所もないし…。


旅から帰ってきて、荷解きがまだまともに済んでいない。でも、ちょうど1週間前は新幹線の指定席の切符を取ろうかどうか迷っていたんだよな、と思うと、1週間はあっという間だったと思う(結局指定席の切符を取っておいて良かった。ホームに人が溢れかえっていたから)。

と思うと、今から1週間後、私は何をしているのだろうと思う。またひと仕事あるのだが、果たして無事に乗り越えられているだろうか、とか。1週間後を案じるより、1日1日を大切に積み重ねていくのが大切なのだろう、たぶん。

荷解きで思い出したが、学会、また名札ケースを返却してくるのを忘れた。


2002年10月15日(火) 今日したこと / 紅茶とか

昨日帰ってきたばかりなのに、今日どうしても論文を提出せねばならなかったので、ばたばた。とりあえず夕方に提出。

明日の仕事の準備をしながら研究室にいる。終わらない。連休中全然仕事をしていないので当然。この分だと今日もあまり眠れないかなと思う。

仕事、明らかに時間配分を誤って計画を立ててしまった。2グループ目からはもう少し気をつけようと思う。

レピシエピュアダージリン・カンチェンジュンガを飲んでいる(ティーバッグで。というか置きっぱなしにしてある)。なんだか明らかにいれ方を理解していない気がするのだが…。

先日、旅先のティーサロンで、ピュアダージリン・ビクトリアフォールを飲んだ。私は他と比較できるほど紅茶を飲んでいるわけではないし、たいていのものを美味しいと思うという損なのか得なのかわからない特性(?)を持っているのだが、美味しかったと思う。よい香りがした。あと、1杯目と2杯目と3杯目と、全然違う表情を持つのだなということに感心したりしていた。

とりあえず帰宅したら仕事の続きをしないといけなくて、眠気をとばしたいのでコーヒーだろうか。コーヒーも好き。コーヒーにしても紅茶にしても自分でなかなかうまくいれられないけれど。

少し休みたいな。疲れてしまった。でも何となく帰宅するのが面倒。

よいしょ、と。


2002年10月14日(月)

とりあえず、帰ってきた。

このままこの土地で行方知れずになってしまおうかと思わないでもなかったけれど。…と、此処に書いている時点で“居なくなったら探して欲しい”と思っているのがばればれ? 

具体的に何があったとか何がどうしたということではないのだけれど、自分自身の至らなさや弱さ、不器用さを痛感した4日間だった。痛感しているだけでは駄目なのだけれど。



2002年10月13日(日)

ローテンションのまま発表に臨んでしまったのは明らかに失敗だった、と反省。緊張しぃなのも、テンションが低いのも、見る人が見ればわかったようだったし。

いろいろな面で至らないところばかり。

ねばり強く努力を続けることにしようと思う。あと考えていることをきちんと話せるように。しっかりはっきりと話せるように。書けるように。

でも、とりあえず、今日は早めに休もうと思う。


いつも学会の時は2泊3日で動くことが多いけれど、今回は3泊4日。長いなと思っていたが、明日帰る。早かった。

いつもと違う場所に行くのは好き。その割に電車の乗り方とか知らなかったりするけれど。


2002年10月12日(土)

カフェ(ティーサロン?)で紅茶を飲んだ。

1人でふらふらとよく歩き回った日。その距離の半分くらいは迷ったとか、方向を間違ったとかで、本来なら歩かずに済んだはずのもの。でも知らない土地で迷うのは好き。

知らない人たちとも少しだけ話した日。


出来なかったこととか、出来ないままで放ったらかしにしていることとか、見落としてしまっていることとか、忘れてしまっていることとか、今の自分の力が及ばないこととか、本当は興味があったのに突き詰めることを途中で諦めてしまったこととか…が、自分には沢山あるなぁと思った。

それでも今の自分にできることをするということしかないのかと思う。

でも今の自分に何ができるのだろう。


甚だ中途半端になったけれど、呼び出しがかかったので、後で(っていつだよ)書き直せるなら書き直す。


明日が正念場、というか勝負というか。体力だけは残しておきたい。


2002年10月11日(金) 学会とか飛行機とか

また外出先から書いてる。

学会で遠くに来ている。昨日の夜は何となく調子が悪かったのだが(なのに直前になってポスターを修正したりしていたのだが)、今朝は若干持ち直していたので幸い。

飛行機に乗ってきた。以前に書いたようなそうでないような忘れたけれど、1人で飛行機に乗るのはこれが初めてで、どきどきした。なんだか券が出てきたけれどこの券で乗れるのかなぁとか、足りない手続きがあったらどうしようとか。あと、荷物を全部機内持込にするつもりでいたら、実は荷物の中に鋏とカッターナイフを入れていたことに気がついて、慌てて手荷物預けに走ったりしていた(走るほどの距離でもなかったけれど)。

飛行機が離陸するときの気分の高揚感みたいなものは何とも言えないものがあった。全然飛びそうに無くて、そのへんをゆっくり回っているだけなのに、急に加速してふわっと“浮いた”と思う瞬間が。今日はとても天気が良くて、空はどこまでも青くて、なんだか窓から外を見ながら一人でにこにこしていた。

いつも空を見ているはずなのに、普段生活している中では、空を飛行機が飛んでいて、飛行機で移動している人がいることを気にかけることなどないな、などと思ったりしていた。でも、私が気にかけていなくても、確かに空には飛行機が飛んでいて、そこで働く人がいて、それで移動する人がいる。

というふうな飛行機体験だったが、帰りの飛行機は満席だったので、帰りは特急列車に乗った後、新幹線で帰る予定。新幹線の乗り方には漸く慣れた。

今日はそれから学会(その1)に行ったがほとんど参加していない。知り合いに会ったので延々と喋っていた。楽しかった。

毎度のことながら現地で予定を決めながら動いているのだが、明日から参加することになる(だろう)学会(その2)は、私にとってとても思い入れの強い学会で、関心は微妙に専門とずれては来ているのだけれど、自分が初めて発表した学会もここだったし、数年前の大会で小学校時代の恩師に再会したことがあったり、かけがえのない大切な人に出会えたりもした。発表の準備には少し自信が無かったりするけれど、今回はあまり調子が良くないまま来てしまったりしたけれど、それでも今年も参加できることを心からありがたく幸せなことだと思う。

頑張ろうと思う。いろいろと。出来ないことも足りないことも多いけれど。


ここ数日、日記を書いている時間が取れなかったり、書こうとしても泣き言ばかりになりそうでなかなか書けなかったりしたので、なんだか今日は一気に書いてしまった。

朝晩肌寒くなってきましたので、どうぞ風邪などひかないよう注意なさってください。私も注意します。


2002年10月10日(木)

明日にはもう出発しているはずなのだが、今の状況は何なんだ…?という感じ。

微妙に頭が痛いかもしれない。よくわかんない。

旅先でゆっくりできたらいいなーと思っている。いや、発表もしてくるけれど。


で、しばらく留守にします。また後で書けたら書きます。

今さら、なんだけれど、ちょっと疲れた…。


2002年10月08日(火) 紅茶 / 学会や仕事 / 思い出

大学で書いている。紅茶を飲みながら。レピシエピュアダージリン・カンチェンジュンガのティーバッグ。いれ方がこれでいいのかどうかどうもよくわからない。でも美味しい。欲を言うとお菓子が欲しい。

お仕事と論文の締め切りと今週末の学会で落ち着かない気分だというか、何をどのように進めたらいいのかわからなくて茫然としている。学会は果たして無事に行って帰ることができるのかよくわからない。行きの飛行機は取れたのだが帰りの飛行機は取れなくて、新幹線の切符を取っておいた方がいいのかなといろいろな人に相談したりしていた(で、結局まだ取っていない)。

とりあえず明日は実質的に仕事の初回。人前に立って教えるのなど、教育実習のとき以来だ(明日は多くても25名程度らしいが)。基本的に人前に立って喋るのが苦手なので、どうしたものかと思っている。その前にまだ準備が十分にできていない。自分でも内容をよく把握していない。でも全力で頑張りたいと思う。

学部の入り口に質問紙回収箱が並び始める季節になってきた。一度目の論文を書いたときのことを思い出して、なんともいえない気持ちになる。苦いような甘いような気持ちに。あの時は、とにかく周囲のことが気になって、流されてばかりで、自分が見えないまま進んでしまった(で、失敗した)。今から振り返ると後悔ばかりだし、あまり思い出したくないような気もするけれど、でも今の自分にとっては大切な時であったと思う。なんだかあまりうまく書けないのだけれど、あの時の自分があってこその今の自分だというか。

あの時以来会っていない友達もたくさんいる。論文がうまくいかないねと愚痴を言い合ったり、分析を教え合ったり、一緒に大学に遅くまで残ったりした。今はもうここにいない人、いてもほとんど会うことのなくなった人、もう会うことのできないところに行ってしまった人。どの人も自分にとってかけがえのない大切な人だったと、この季節になって質問紙回収箱を見るたびに感傷的に思い出す。

あの頃から、自分は、どう変わったのだろうか。


2002年10月06日(日) 泣きたい / 紅茶 / 法事と解体

引き続き、何となく泣きたい気分の日。自分がどんどんだめになっていっているような気がする(もともとだめだったのがさらにだめになっていっているような)。頑張らなくてはいけないのに、頑張れない理由はないはずなのに、頑張りたくない気分。常に100%の力で頑張ることなどできないともわかってはいるけれど。

それでも数時間前に比べるとかなり浮上はした。何とか頑張ってみようと思う。

でも本音を言うとやっぱり泣きたい。


お昼に紅茶を飲んだ。最近、眠気を飛ばそうと思ってコーヒーを飲むことの方が多かったのだけれど、急に紅茶を飲みたい気分になった。飲んだのはレピシエアフタヌーンティーをティーバッグで(不器用なので)。

法事の粗供養で、ミントン(ここかな?)の紅茶をいただいた。リーフティーとティーバッグとインスタント(粉を入れてお湯を注いだら出来上がるもの?)のセット。

葉っぱから紅茶をいれるのにチャレンジしてみようかなと思ったりするけれど、でも余裕がなくて。


法事と言っても今日の法事は私があまりよく知らない遠い親戚の方の法事だったのだけれど(ちなみに私自身は出席していない)、法事やお盆の時は、その人(今はもういない人)にゆっくり会うことができ、その人のことを思い出すことができる大切な機会なのかもしれないと思った。普通の時でも思い出していいのかもしれないけれど、なかなかできないから。思い出すことがつらかったりすることもあるけれど。そうして自分自身の生をも振り返っているような気がする。

前の家の解体は進んでいるらしい。「らしい」というのは作業が始まってから私は一度も前の家に立ち寄っていないから。一度やむを得ず前を通ったのだが、機械が無遠慮に入っているのを見ただけで動揺してしまって、それから行っていない。今日、解体途中の写真ができていたので見ようとしかけたのだが、途中で見るのをやめてしまった。どうしても見られなかったので。

前の家に対しても、たまには法事をしてあげてもいいような気がした。




2002年10月05日(土) 落ち込み / よくわからない欲求 / おばけなんてないさ

何となく泣きたい気分。泣いてもどうしようもないとは思うけれど。こういう時は、何を書いても下向きになってしまうような気がして、だからここで日記を書くのも申し訳ないような気がする。

私は、割と簡単なことで落ち込みやすいのだけれど、一方で、落ち込んでしまう自分を許せないところがあって、それが良くないのかなとも思うけれど。

多分、午後から体調がよくなかったのが落ち込みの原因のひとつかなと思うので、体調が戻ればけろっとしているような気もする。

体調が良くなくて、かつ本業の方が切羽詰まっているので今日も楽団の練習を休んでしまった。最近まともに楽器を吹いていない。本番まで1ヶ月しかないのに合奏にほとんど出ていない。パンフレット係の仕事も放ったらかしにしているのも申し訳ない。趣味でしているはずのことが微妙に重荷になっている気がする。それでも好きだから続けているのだけれど、ここまでくると本当に好きなのか自信がなくなってきたりもする。

とりあえずこれからパンフレットの原稿をだいたい仕上げてメールで送らないといけない。あと学会の準備と論文の仕上げと仕事の準備と。


レアチーズケーキが食べたいとか、ドラえもんのアニメが見たいとか、よくわからない欲求が増している。

今日は暑かったなー。


先日、後輩たちと「おばけなんてないさ」という歌について議論(?)した。

この歌の5番は(5番まであるところがすごいが…)次のとおり。

♪おばけの国では おばけだらけだってさ
 そんな話聞いて お風呂に入ろう
 だけどちょっと だけどちょっと 僕だってこわいな
 おばけなんてないさ おばけなんてうそさ

で、私は「なぜ突然お風呂に入るんだろう」というのが笑いのポイントだったのだけれど、後輩は「『おばけなんてないさ』と言っていながら、おばけの国があることを肯定している」というのが笑いのポイントだったそうだ。なるほどそれもポイントだな。

楽譜を見ると、「だけどちょっと だけどちょっと」でピアノになり、「僕だってこわいな」でクレッシェンドがかかって、最後の「おばけなんてないさ」でフォルテシモになるのもポイントだと思う(どういうポイントなんだか…)。

引っ越しの時にたまたま楽譜が出てきたのですぐに見つかったのだけれど、他の曲も見ていると、なんだか懐かしかった。


2002年10月04日(金) 久しぶりに会った人 / 靴と順番 / 月のはじめの決意

今日は少し気分が良かった。嬉しい。

電車に乗ろうとしたら、改札の前で思いがけず知り合いの方にお会いしてしばらくお話していた。以前私と同じ楽団にいらっしゃった方で、いろいろなことを教えて下さったり、元気付けてくださったりして、随分お世話になった。懐かしくて、久しぶりに大切なものを思い出したような気がした。

お互いに生きていれば、こうしてまた会うこともできる。生きてさえいれば。そう実感して、少し嬉しくなった。

同時に、自分は、いろいろなもの・いろいろな人に支えられてきたということも思った。そのうちのいくらかは、支えられているということを忘れてしまっているのだけれど。忘れたくは、ないのだけれど。

今日会えたことにありがとう。


大学に行く。院ゼミ,集金,返金,お喋り,来週の宿代の払い込み,来週の学会の準備。

帰りに靴屋に寄って靴を買おうとしたが、優柔不断なもので決まらず、結局買わずに帰ってきた。サイズが大きくて幅が広いので、なかなか楽に履ける靴がない。しかし今から買っても、来週までに慣れないだろうか。学会に履いていこうと思ったのだが。しかし、前回の学会では先に美容院に行き、今回は先に靴屋に行き…と、何となく順番を間違っているような気もする。準備できてないのに…。というか本来靴屋に行っている暇があるのか…。


しばらく慌しくなりそうだけれど、できるだけ丁寧に頑張りたいと思った。それから、もっと勉強しなければならないと思った。文献からも、日常からも。あと、今月からはできるだけ大学に行こうと思った。よい気候だし。

とばした日の日記は後で書くかもしれないし書かないかもしれない。この日記システムは日付を指定すれば過去の日記も未来の日記も書けるらしい。そんなことを言いつつ1週間前の学会のまとめもまともにしていないことを反省。


2002年10月03日(木)

ぼけっと生活していながらも、心のアンテナ(のようなもの)に引っ掛かってくるものはないわけではなく、それを日記に書いて残しておこうと思うも、ここ数日は、家に帰り着くのがやっとで、帰宅すると同時に倒れ込むように眠ってしまう日が続いてなかなか日記が書けずにいた。今も眠い。

ひとつひとつのことに、そしてひとりひとりの人に、ていねいに、誠実に向き合いたいと思った。そう思うのは、今の自分が、ていねいでも誠実でもないから。いろいろな人に対して、ごめんなさい、と思う。

何にもしていないのにこんなに疲れてしまう自分が情けない。何にもできないという自分の生産性のなさも情けない。しかし、何にもしていないというはずはないのに、何かはしているはずなのに、自分のしたことに自分で価値を見出せないのも情けない、と思った。

また後で書けそうなら書くけれど、ひとまず寝る。





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浜梨 |MAIL“そよ風”(メモ程度のものを書くところ)“風向計”(はてなダイアリー。趣味、生活、その他)