池ポエム
ハンス



 からさわぎ

 「はい、あやなあーん」
 「……」
 「あれ、どうしたの。ほら、あーんしてあーん」
 フォークに刺した大振りなひとかけらを前に、綾那は怪訝な表情を浮かべた。はやてはそんな視線を何も解することなく、全開の笑顔で自らもあーんと大きく口を開けている。
 「何であんたがここにいる」
 「え?だってあやな、今日バレンタンインだよ」
 綾那は、ンが一個多くないか、と内心思ったが口には出さずにおいた。
 「で、バレンタインとあんたが人の部屋にケーキ持って押しかけるのと、どう関係あ……」
 「えー!!そんな、あやな」
 途中ではやての、この世の理が根底からひっくり返されたような、絶望的な声が上がった。そのまま後ろに仰け反って、床に乙女座りで倒れ伏す。
 「あたしが愛してるのはあやなだけなの、に゛!」
 とりあえず顔面に張り手を叩き込んで、チョコよりの使者を黙らすことにした。

 2月14日。バレンタインデイ。一般的に、女が好きな男にチョコレートを贈る日。が、そんなものは生まれてこのかた、自分とは無関係だと思っていた。15年目の今日までは。
 真後ろで、仲良くケーキを切り分けている桃色コンビが恨めしそうに綾那に視線を送る。背中にさっきからそれが刺さってうっとうしいことこの上ない。
 「綾那ー、これおいしいよ。ほんとに、マジで」
 順の口がもぐもぐと動いている。途中乱入のくせに、なぜかちゃっかりご相伴に預かる忍者だ。張り手の痕も痛々しいはやてが部屋に転がっているのを見て、助け起こしてくれた。それから、部屋に漂う甘い香りに鼻を動かし、全てを理解したらしい。
 「はやてちゃんは料理上手だねぇ。いい奥さんになるよ」
 「やだぁ、じゅんじゅんてば。あたしはあやなのためならこのくらいおちゃらけさいさい」
 はやてがナイフ片手に奇妙にくねったポーズを繰り出す。ナイフの刃が順に触れそうになって、慌てて順は後ろに避けた。綾那は黙って背中で起きている阿呆のやりとりを聞き流していたが、意を決して読んでいた雑誌を床に伏せた。
 振り返った先にはあるケーキは、本当に形は中学生が作ったとは思えないほど整っている。
 「あんた、こういうのは上手いんだな……」
 すでに三分の一ほど形が欠けたケーキ。放っておくとあっという間にゼロになりかねない。中学生の食欲、おそるべし。というか、綾那のために作ってきたはずなのに、あっさり自分でも食べまくっているとは何事なのか。しかめっ面でしげしげと眺めていると、食べる気はなかったのに無性にうまそうに見えてきた。
 「はい、じゅんじゅんあーン」
 フォークを順に向けて差し出す。順の口に届く前に、はやての手を掴んで一口でそれを食べた。
 「あーー!!」
 順が大げさな声を上げる。
 「ふぁによ」
 「……綾那ひどいー」
 口中がチョコでいっぱいになった。もっと甘い甘いのかと思ったら、ほろ苦い。いくらでも食べられそうな気がする。順の悲しい視線を浴びつつ、ふと横を見たらはやてがフォークを突き出した格好のまま固まっていた。
 「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」
 「何よ」
 こっちも抗議したいことがあるのか。と、思ったらはやての顔がみるみる赤くなっていく。フォークが細かくプルプル震えた。
 「あやなとあたしが間接ちゅー!!」
 「ちょって待てぇ!!」
 はやては丸ごとのケーキと、フォークを一本しか持ってこなかったから、自然、ここでケーキを食べた三人は同じ一本のフォークを使ったことになる。だから、間接も何も、それははやてと綾那に限ったことではなくて。
 「はやてちゃんと綾那と……ひゃっほー!」
 「ひゃっほーじゃねぇぇぇ!!」
 桃色淫魔が隣でブレイクしていた。

 2月14日に世の中を出回るチョコの量は、一体どれだけの虫歯を生み出すのだろうか。
 はやてのケーキはさすがに3人で食べきる訳にもいかず、はやてのルームメイトやその刃友、顔と名前の覚えにくいはやての友達とその刃友にも分けて、夜には姿がなくなった。
 今日一日、ろくに学外に出ていないからバレンタインで起きた事件は耳で聞いただけだ。何でも、白服の面々の下駄箱には抜け駆けチョコで溢れるのを防止するために、今日だけ鍵がかけられたらしい。それでも本人を狙って抜け駆けしようとする生徒と、それを阻止しようとするファンクラブとの間で激しい攻防戦が繰り広げられた。
 (何の学校なんだろうな、ここは)
 日本の中高一貫私立校のはずなのに、少し次元が違う気がする。それより女子校なのに、これだけ盛り上がるってどうなのか。綾那はむしろ、こんな日は引き気味である。
 歯を磨いて部屋に戻ると、順が箱を開封していた。
 「綾那も食べる?」
 何か細い棒状のものをくわえて、順が勧めてくる。まだ開けたばかりでぎっしり箱から覗いている。
 「歯磨いてきたんだけど」
 「食いおさめ食いおさめ」
 順いわく、年に一度のバレンタインもあと数時間で終わるから、最後にポッキーで〆るのだと言う。はやてのケーキやら、他にも何気に人からもらったチョコを食べていたというのにまだイケるらしい。今まで聞いたこともなかったけど、甘党なのかもしれない。
 「あんたよく食べるわね」
 「だって今日ぐらいよ、こんだけチョコがただで食べれるの」
 「そういう理由か……」
 今日食べた分が全てもらい物だという事実も、内心綾那を驚かせた。どこで何してるかわからないルームメイトは、実は結構モテるらしい。一本とって、口にしながらぼんやり眺める順は、顔は確かにかわいい。顔だけは。
 「顔だけなら、間違って告る奴もいるかもな」
 「え?何の話?何か聞き捨てならない気がするんだけど」
 「いや、こっちの話」
 中身を知ったら、持ってきたチョコも顔面にぶつけたくなるというものだ。
 「あ、そうだ」
 おもむろに順は一本くわえると、そのままこっちに向かい合わせになった。
 「なによ」
 「綾那にはまだチョコあげてなかったわよね」
 「いらん」
 もちろん即答。隙を見せたら殺られる。何に殺られるかはよくわからないけど。
 綾那の迷いのない一言に、順は明らかにぐったりしていた。
 「何で?あたしのこの溢れんばかり愛を」
 「そういうところがますますいらん」
 バレンタインだからって愛情のチョコばかりでないことは、綾那も知っていた。日頃お世話になっている人に、とにかく男性だったらあげる。義理ってやつだ。
 「それだけじゃなくて、友達同士であげるのもあるんだって」
 友チョコ。と順が豆知識を披露する。思わずへー、と棒読みで返事を返してしまった。
 「とにかくチョコが食べれるのはお互いうれしいし」
 「私はそんなに甘いものは」
 「綾那には何かとお世話になってるからさ」
 お世話。それはどうなんだろうか。それこそ、お互いさまだ。順が珍しくエロくない、まともな表情をしていたので、少し受け取ってもいいかなという気になってくる。
 黙ってしばし待つ。が、いつまでたってもモノが出てくる気配がない。
 「順、あんた」
 「はーい、これ」
 パクッと新しいポッキーを一本取り出して、端をくわえる。そのままこちらに順の顔が近づいてきて。ものすごくイヤな予感がした。
 「綾那そっちからね、あたしこっちから行くから」
 行くから、じゃない。ちょっとコンビニに、みたいな気軽さで大変な方向へ進まれてはたまらない。ちゃっかり肩に腕を回してきた順の手の甲をつねった。
 「いたっ」
 「何をするつもりだ、お前は」
 「いや、綾那にチョコを」
 「普通に渡せ、ふ・つ・う・に!!」
 怒鳴る間も、順とポッキーがこちらに迫り来る。このアホを全力で殴る、と決意を固めた時、順は手でポッキーの位置を調整し、綾那の口の辺りまで持ってきた。
 「別に、すぐ折っちゃえばいいんだしさ」
 それもそうか、と綾那は納得した。ついテレビでやっているのを見ると、途中で折らないように続けないといけない気がするが、そうでもない。いやに肩を抑える手が力強くて、さっさと解放されるなら何でもいいかと思った。
 反対側をくわえると、思った以上に順の顔が近い。
 順が徐々に食べ進めてくる。半分に達する前に、バキッと折ってしまおうと綾那は歯に力を入れた。が、順が一瞬口を離す。意を突かれてぼうっとした綾那の視界に、今度は食べ進むでなく一気に順の瞳が飛び込んできた。
 短くなったポッキーが床に落ちた。
 「……ん」
 チョコの味。二人とも同じ味。
 順が顔を離して、ニヤリと笑っている。とりあえず右ストレートを叩き込んでおいた。

2006年01月31日(火)
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