風紋

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2004年08月29日(日) 書きたくて書けなかったここ数日 / で、思いつくまま(書きながら残してきた) / 「お」「あ」「え」とかいう感じ / メモ

デスクトップのパソコンの端末がたくさんある部屋で、たくさんのコンロを使って鍋物をして楽しんでいる…という夢を見た(現実的にはあり得ない夢だ)。夢の中では、食べ終わった後で、必死に片づけをしていた。…季節外れの夢だなぁ。でも鍋物は好きです。すき焼きが好き(駄洒落ではない)。


ここ数日、この場所(「風紋」)に書きたいことがあるのに、書けないというもどかしさがずっとあった。今もある。

以前は、この場所1箇所しか、私の思いをWeb上に書ける場所を持っていなかったから、「書けない」というもどかしさや「書けないけれど、それもそれでひとつのあり方だ」という途中経過なども全部この場所に書いていたのだけれど、今は「そよ風」と、「はてなダイアリー」である「風向計」を持っているので、そのあたりの「揺れ」が3箇所に分散しているという気がする。それがいいことなのかどうかはわからないけれど、今はそれがひとつのあり方なのかと私自身は思っている(あくまで「今」は)。

書く内容の基本方針は2004年7月31日の日記(この場所)に書いてはあるのだけれど、一応方針は決めていても、日々揺れていくものだろう。


で、何を書きたかったかというと、その具体的な内容は、私自身にも曖昧であったりする。とにかく「書きたい」「書いて伝えたい」「いくばくかでも伝わって欲しい」という思いだけが先走っている気がする。その勢いといったら、まるで、ちゃぶ台をひっくり返すがごとく…なのだけれど、勢いだけ…。

思いつくまま。

こうして、私がこの場所に私の考えたこと感じたこと思ったことを綴る意味、について考えている。「意味」というとあまりにも大仰で、範囲が広すぎる気がするので「意味」という言葉を使うのは躊躇いがあるけれど、要するに、何が誰がどうなるかどうなっていくか、ということだ。

そろそろ、この場所に日記を書き始めて2年になる。2年の間に、大きなことから小さなことまで、いろいろなことがあった。具体的に何があったかということは、曖昧に書いていたりしたので(Webという公開の場にはどうしても書けないことがあるので)、読んで下さっている方々にしてみれば「何があったのだろう?」ということは曖昧であったかもしれないけれど、その時その時で、感じたこと考えたことについては、「言葉にならない」「言葉にしたいけれども、言葉にできない」という気持ちを裏に含みつつ、素直に書いてきた…と私自身は思っている。嬉しいことばかりでなく、落ち込んだ時のこと、どん底に落ちて這い上がれないと思ったことも、割と素直に書いてきた。

正直なところ、落ち込んだ時のことを書くのはちょっと躊躇いもあったけれど。

そうやって、その時々の気持ちを言葉という形にして、あるいは、途中からは写真という形も使って、残してきた。しかも、他の方に読んでいただくということを前提にして、つまり「伝える」「伝わるように形にする」という姿勢で残すことで、いくらか、…何と言葉にすればいいのだろうか…、私自身がその時その時の気持ちを整理できてきたような気がする。

もちろん、その裏には、先述したような「言葉にならない」部分も含みながらなので、若干の怖さや危うさは残る。しかし、「言葉にならない部分を含みつつ、読んでいる方々に伝えたいという思いで形にする」ということを私自身が自覚して、日々を綴り、また私自身が時々読み返すことによって、それは、何か、私にとって、「今」を振り返って「次」につながるものであるように思う。

ここでポイントにしたいのは「言葉にならない部分も含む」ということ。言葉にして完結させるのではなく、言葉にできない部分も残しているということ。それは、思い出す余地を残しているということ。こうして日々を綴り、読み返し、思い出すことができるけれど、その時その時で迷いながら言葉を選んでいたな、とか、ここは何度も書き直して削った言葉もあったな、と思い出す。

先日、私は「やっとここまで来た。でもまだ先へ行きたい」と思いつつ、「先」どころか「今」も見えていないということを書いた。確かに「今」も見えていない。でも、こうして、その時その時を確認しながら残すことはできる、と、ふと思った。


私は、本、新聞、雑誌、Web、講演会、直接会話する…その他で、いろいろな人のいろいろな意見や考え方に触れることができる。

その時に、ふっと引っかかったことを大切にしていきたいと思う。きちんとした感想にならず「お」とか「あ」とか「え」という言葉にしかならなかったとしても、その「お」や「あ」や「え」をとりあえず大切にしておいて、その後で、どういうことで私が「お」「あ」「え」と思ったのかを考えていきたいと思う。

賛成、同意する、反対、違和感を感じる…という言葉で最終的にまとめることであったとしても、はじめの「お」「あ」「え」(その他いろいろあるけれど)の感じを大事にしていきたい。

それは「そうそう、それ!」という感じに発展していくかもしれないし、「何だか違う」という感じに発展していくかもしれない。どう転んでも私は私の感じ方でいいのかもしれない。未熟ながら。そしてできれば、それを誰かに伝えていく勇気を持ちたい(Webという媒体以外でも)。

…いや、意見や考え方にとどまらないな。周りのものに対して、できるだけアンテナを張っておきたいと思う。


ふぅ。一応「書く」ことはできた。ひとまず今日はこのあたりでおしまいにする。でもまだ閉じない。まだ続く。迷いや曖昧な部分も残しながら、ふと思いついた方向に進んでいければいいと思う。

明日はどんな日になるかな? いいことがあればいいな。なくてもそれはそれで大切な1日。


メモその1:鈴虫の声を聴いて、人間は「風情がある」としみじみと感動するが、鈴虫は特に人間のために鳴いているわけではないこと。
メモその2:現在、化石として残っている動植物があるが、その動植物は、当時は特に化石になって残るつもりで生きていたわけではなかろうということ。


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浜梨 |MAIL“そよ風”(メモ程度のものを書くところ)“風向計”(はてなダイアリー。趣味、生活、その他)