風紋

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2004年02月17日(火) いろいろな人が / 切られる木の話 / 秘密のこと / どうすれば / のんびり過ごした / 涙が

いろいろな人が、いろいろな思いを抱えて生きているんだな。目に見えなくても。

なんとなくそんなことを考えている今日この頃。

もっとも、それぞれの人が何をどのように考えているのかなんて、完全にはわからない。完全にわかったらかえって怖いと思う。だけど「わかる」に少しずつ近づいていきたい。近づいていきたいけれど、でも、どうしよう、どう出会おう、どう言葉をかけよう…と思うことも時々は、ある。言葉をかけることも何もできないことも。

せめて“何も言えないけれど言葉をかけたい気持ちでいるの!”という思いだけは伝えたくても、その思いを伝えることさえいいのかどうかわからなかったり。


「風と夏と11歳〜青奈とかほりの物語〜」(薫くみこ:作、みきゆきこ:絵、1993年、ポプラ社)(詳細)という本のことについては、2002年12月1日の日記2003年11月30日の日記に詳しく書いたことがあるが、その中で、主人公の1人である青奈(せいな)が、かほりに、かほりの家の屋根の上で、“あの木は望んであそこに生えたわけではないのに、人間の勝手な都合で切り倒されるんだね”という意味のことを言う場面がある(今、手もとに本がないので、正確に思い出すことはできないのでもしかしたら細かなニュアンスは間違っているかもしれない)。

別に何の脈絡もないが、何となく、その場面を思い出した。


「秘密のこと」には、2種類あるような気がする。

子どもの時の秘密には、甘やかな香りのするものが多かったような記憶がある。秘密の遊び場、秘密のおまじない、好きな男の子(女の子)のこと、などなど。

大人になるにつれて、抱えているのがつらくて重い秘密も持つようになることがある。

子どもだって「抱えているのがつらくて重い秘密」を持っているし、大人だって「甘やかな香りのする秘密」を持っていることもあるので、子どもと大人という区別はできないけれど。


“一瞬一瞬を、もう二度と戻らない瞬間だと思って大切に過ごそう”と思いながらも、何をどうすればよいのか、何をどうすれば“大切に過ごす”ことができるのかわからなくなって、私はどう生きればいいの?と、ぽやんと空に問い掛けてみる。


今日は、割合のんびりと過ごした。

昼寝をした。

本を読んだ。

(1)「アーモンド入りチョコレートのワルツ」(森 絵都:作、いせひでこ:絵、講談社、1996年)(詳細

(2)「ピアニッシシモ」(梨屋アリエ:著、講談社、2003年)(詳細

(3)「東京サハラ」(さとうまきこ:著、理論社、2001年)(詳細

今、手に取っている本

(1)「生者と死者のほとり―阪神大震災・記憶のための試み」(笠原芳光・季村敏夫編集、人文書院、1997年)(詳細

(2)「カラフル」(森 絵都:著、理論社、1998年)(詳細

「ヨーグルトケーキ」を作った。料理の苦手な私が唯一といっていいほど失敗せずにできるお菓子。というわけで、とてもとても簡単にできます。でも、途中で材料をこぼしてあたふたしたのは内緒。どこまでも粗忽者の私。

昨日少しだけ分析したデータの結果を、ぽやんと眺めていた。

そんなところ。


「風紋」(保科洋作曲)を聴きながら、いろいろな想いがめぐって、涙が止まらない。止まらないのに、繰り返し繰り返し何度も何度も聴いてしまう。

そんな夜。


覚え書き:唇ががさがさに荒れている。リップクリームを塗ると余計に荒れる。


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浜梨 |MAIL“そよ風”(メモ程度のものを書くところ)“風向計”(はてなダイアリー。趣味、生活、その他)