風紋

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2003年04月13日(日) ぐるぐる考える / 練習へ(休団を考えること) / いつ最後になってもいいように / お詫びと訂正

昨日の余韻で、自分が今まで何をしてきたか・何をしているのか・これからどうするのかを、ぐるぐると考えていた。その時その時で、その時はそうするのが最善だと思ったし、だから後悔はしていない。過去を振り返ると、なるようになってきたなぁとも思う。で、これからどこへ行こう? もしも、何でも好きなことを調べていいよと言われたら、私は何を調べたいだろう? 何を知りたいだろう? 誰に向かってメッセージを発していきたいだろう?


夜、楽団の練習に行ってきた。本番は来週。

この楽団を休団することについて、考えていた。音楽を嫌いになったわけではない。けれど練習に行くのがつらい。うまく説明できないのだけれど、いっぱいいっぱい。少し距離をおきたいと思う。ただ、ここで休団してしまうと、私はもう二度と戻る気にならないのではないかと思い、それが怖かったりもする。

そんなことを考えながら、少し遅刻して合奏に入ると、皆が奏でる楽器の音を聴いただけで泣けてきた。

ふっと、昨日先輩と話した時に「ここで研究をやめるつもりだったらこれが最後の研究になるかもしれないよ」と言われたことを思い出した。それを思い出して、“これが最後のステージになるかもしれない”と思ってみた。大学の学部生の頃は、卒業後自分がどうなるのかわからなかったから、特に3回生4回生の頃は、演奏会のたびに“これが最後のステージになるかもしれない”と思っていた。最近はそう思うこともなくなっていたのだが(当分の間は在団することが物理的には可能でありそうだったから)、久しぶりに“これが最後のステージになるかもしれない”と思った。そう思うと、寂しくなり、“今”音楽に向き合っている時間がとても大切なもののように思われた。同時に、これが本当に最後のステージになるとしたら悔いだらけだろうとも思った。この曲の楽しさや、ステージ上の高揚感を味わい尽くそうと思った。けれど頑張ろうとはあまり思えなくて、むしろ頑張るのがつらい自分がいて、どうして?と思ったのだけれど。

そんなことを考えながら「My Favorite Things」の合奏。曲間に、先生が「生きていると嫌なことっていっぱいあるよね。社会的にも、個人的にも。でも、ここは楽しい・大好きなことだけ考えて演奏してほしい。例えば、ハンバーグが好物だったらハンバーグのこととか、喉が渇いた時のサイダーとか…」とおっしゃったので、自分の楽しいこと・大好きなことを思い浮かべてみると、何だか哀しくなって涙が出そうになって、なぜ哀しくなるのだろうと思うと余計に哀しかったりした。

結局、休団届の用紙を取ってこようと思ったのに、取りそびれた。


この日記だって、いつ「これが最後の日記」になっても不思議ではない。今のところその気はないけれど。ここでやめるとしたら悔いばかり残ると思うけれど、でも、これが最後の日記になってもいいような覚悟はしておかなければいけないと思った、というか、その時その時で書く苦しみも書く楽しみも思いっきり味わっていこうと思った。


昨日、「3月5日の日記に書き足しをした」と書いたが、まるっきり嘘で、本当に書き足しをしたのは4月5日の日記です(3月5日の日記には何も手を加えていません)。うっかり3月と書いてしまいました。4月になっているのに、3月と記述しているあたり、自分のやる気のなさと新年度に向けての気合いのなさを如実に現していると思うと恥ずかしい。

昨日から「紙2001」というソフトを使って日記の下書きをしているのだけれど、今日開いてみると、それにつけた見出しも「3月12日の日記」「3月5日の日記」と書いていて、おいおいなんでだろう何を考えていたんだろうと思う。

「なんでだろう」で思い出したけれど、昼間にテレビでテツandトモの「なんでだろう」を見て以来、一日中「こんぶが海の中で 出汁が出ないのなんでだろ〜」「なんでだろう〜なんでだろう〜 なんでだなんでだろう〜」というメロディーが頭の中でぐるぐる回っていて、気がつくと「なんでだろう〜」と口走っている。


明日からまた戦わなければ。差し当たりなんとか頑張るしかない。


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浜梨 |MAIL“そよ風”(メモ程度のものを書くところ)“風向計”(はてなダイアリー。趣味、生活、その他)