風紋

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2003年04月12日(土) 研究会・涙・日記

久しぶりの研究会に行ってきた。2〜3ヶ月に一度開催される研究会で、いつも参加していたのだけれど、ここ数回は特に別の用事と重なったわけではないのに、行けずにいた。今回も行けないかなと思っていたけれど、昨夜になって突然“今回は行こう”と思い、行ってみた。

この研究会は、自分の原点にもなっている研究会なので、今の自分の閉塞状況(と私自身は認識しているが)を何とかすることができるかもしれない・何とかしたいと思ったから行く気になったというのもある。結果的には、研究会自体は、非常に示唆に富んだ興味深い御発表だったのだけれど、余計に落ち込んだというところはあった。

引き続いて懇親会に出席する。ここでも落ち込みモードから抜け出せず。いろいろな人のいろいろな話を聞いて、今の私は何をやっているんだろう?何をやってきたんだろう?と思い、私はこんなのではだめだし、これまでもだめだったし、これからもだめだろうというのだけはよくわかって、知らず知らずのうちに無口になっていた。

ぽけっとしていると、久しぶりにお会いする先輩が、「最近どう?」と話し掛けてきてくださった。「もう全然だめなんですよ」と、思わず弱音。「なぜ?何が」と言われたので、ぶわっと現状をお話する。

すごく焦らされているような気がする。頑張らなくてはいけないのに頑張れない。絶えず生産的なこと(論文を書いたり、次の研究計画を立てたり…)をしていないと、どんどんだめになっていくのはわかっているのに、どうしてもできない。それは自分の努力も気合も足りないからだと思うから、努力しなければならないのに。周りはどんどん論文を出していて、どんどん研究を進めていて、なのに私は。

「必要なのは気合いなのかな?」と先輩はおっしゃった。「今のあなたに必要なのは、気合いや努力ではない」と(と私は解釈した)。要するに、どこの方向に向かって進んでいくか、自分がテーマとどう関わっていくか、自分が何を大切に思うか、それが無い状態では頑張れないよ、と。逆にそれがあれば、おのずと進んでいくのだとも。そして問われた。あなたの仮説は何なの?一番おもしろいと思うことは何なの?と。問われて止まってしまったというのが、今の自分の状況を如実に現しているように思う。それは、仮説(と差し当たり呼んでおく)を否定するような出来事が最近プライベートで起こってきてめった打ちにされたというところもある。

もう、この道をあきらめた方がいいのかもしれないという話もする。「やめるなら止めないよ」と言われた時に、やっぱりやめたくないと思う。やめようかななんて他人に話すのは、やめるなと言って欲しいという気持ちがどこかにあるから。「やめるなら、次の研究が最後になるかもしれないのだから」の言葉に、一瞬ぞっとした。しかし、このままの状態を続けていると、やめざるを得なくなってしまう。

「そもそも、あなたのもとは何だったのか?」(この方向に引っ張ってきたのは何だったのか)と問われ、自分が自分をこの方向に引っ張ってきたと思うところの出来事を話す(それが何かは、ここでは書けない)。話しているうちに、そうか私にとってここが原点だったんだと思い、それに引き換え、今の私は何をやっているのだ?とやっぱり情けなくなり、かつ、その出来事に遭ったときのつらかった思い、聴いてくれる人がいる安心感…で、ぼろぼろ泣いてしまった。かなり恥ずかしく、ここは泣く場じゃないと思ったから必死にこらえたのだけれど。

そのままの形では研究にのせにくいだろうとは、先輩もおっしゃったし、自分でもそう思う。「けれど、何らかの形でそこに戻ることが、あなたには必要なのかもしれない」と先輩はおっしゃった。ただ、あなた自身がそのテーマによって切られるようなところがあるから、どこまで自分を切る覚悟ができるかとは言われた。

だからそれで私は具体的にどうしたらいいのだろうということは、まだ見えないままだ。しかし、自分がなぜここまで落ち込んでいるのか、その原因がわかっただけでも随分と楽になったところはあった。

そして、唐突に思われるかもしれないけれど、「だから私はどうしたらいいのだろう」の問いに対する答えの1つが、私にとっては「日記を書く」ということではないだろうかと思った。具体的な研究には直結しないかもしれない。けれど、私にとって日記を書くことは、研究活動や日々の生活・時間の使い方を記録し管理するということ以外の別の意味があるように思うのだ(もっとも「研究活動や日々の生活・時間の使い方」なんて、ここには書いたことがないけれど…)。自分が自分をどう見たのか、世界をどう見たのか、それをどのように感じ、どのように意味づけ、どのように言葉による記録として残そうとしているのか(しかも、他の人の目があるこの場所で)。自分を振り返って、自分が語り、そうしながら他者に目を向けること。テーマ的に、ある程度自分を賭けているようなところがあるので、自分が生きることが研究になるともいえるし、研究をすることが生きることでもあるように思う…ということを考えると。

だから、ポジティブなことばかり書けないかもしれないし、むしろネガティブなことの方が多くなるかもしれない。けれど、血を吐くような思いをしても、他者の借り物のことばであったとしても、とにかく書こうと思っている。毎日にはならないかもしれないし、短いものしか書けない日もあるかもしれないけれど。

あまり派手には書いていないし、ひっそりと書き続けていきますが、見捨てずにお付き合いいただければ幸いです。


3月5日4月5日の日記に書き足しをしました。読んで欲しいような読んで欲しくないような微妙な気持ちなので、あえてリンクははりませんが。
→追記:最初書いた時に月を間違って書きました。ごめんなさい。


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浜梨 |MAIL“そよ風”(メモ程度のものを書くところ)“風向計”(はてなダイアリー。趣味、生活、その他)