風紋

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2003年04月05日(土) 練習へ / きちんとした形で書けなかった。 /←(追記)書いた。

夕方から練習に行く。本番まであと2週間なので、人が揃ってきて、いろいろなメロディーの重なりを感じられるようになる。音の洪水の中に居るだけで心地よいと思う。

調子が良くないのは相変わらずで、人と会っても、どう会えばいいのかわからなくて表情が微妙に引き攣るような感じがした(そんな状態で、此処に日記を書いているのは良くないことだという気はする)。練習後に案内葉書の発送準備作業(宛名貼り、チラシの封入など)があったのだけれど、途中で抜けてきてしまった。

来週からいろいろなことが動き出すのに、どうしようとは思うけれど、動き出したら動き出したで、何とかなっているかもしれない。


この先に、少し書きかけていたのだけれど、書ききるだけのパワーがないので、止める。書けそうになったら、また書くかもしれない。ずっと書けないかもしれない。それもそれで、そういうこともあるのかもしれない。きちんと日記にして書けなくても、自分の中には存在したものだということで。書かなければ忘れていくかもしれないし、忘れないかもしれないけれど。

なんだか、いろいろごめんなさい。


(追記…4月13日。この時に書こうと思って書けなかったこと)


先週、22歳の女性が自転車に乗った女性に突然刃物で刺されて亡くなったというニュースを見た。朝のワイドショーで(いつのどこの番組かは忘れたけれど)、そのニュースが取り上げられていたのを見た。ちょうど葬儀の風景だったので、少し見ているのはつらかったのだけれど。

その番組の中で、友人だったという女性が、「えっちゃんと、これからのこととか、もっといっぱい話したかった」ということを言っていて、あぁ…と思った。私もそう思ったことがあったということを思い出した。私とおんなじだと思った。もっといっぱい、これからのこととか話したいと思っていたし、話せると思っていた。これから一緒に、いろいろなものを見たかったし、いろいろなことを知りたかったし、いろいろなことを話し合いたかったと思った。彼女が亡くなったと知った時、もうそれは不可能なのだと思い知って、なぜそう思った時にそうしなかったのかと悔やんだ。

あれから、数年の月日が流れた。彼女の他にも私にはたくさん友人がいて、いろいろ話したり遊んだり笑ったりする。けれど、時々ふっと、“これで会うのが最後となったとしても後悔のないような会い方ができているだろうか”と思うと、反省せざるを得ない。そういう会い方をしなければならないのだろうと思う。というか、したい。そんなことは考えたくもないというのも気持ちの中にあるけれど。


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浜梨 |MAIL“そよ風”(メモ程度のものを書くところ)“風向計”(はてなダイアリー。趣味、生活、その他)