風紋

もくじ / この前 / この後


2003年03月01日(土) 雨の中練習へ / 「震災・まちのアーカイブ」 / 音楽:「Hard to Say I'm Sorry」 / 近況?

3月のはじまり。1日中雨がざばざばと降っていた。昨日のよいお天気が嘘のようだ。ここのところ毎週土曜日になると雨が降っている。

いちばん雨が強く降っている(と思われる)時間帯に車を運転して楽団の練習に行く。道路が混んでいて合奏に少し遅刻。何だかずっと気分が晴れなかった。今日は、曲と自分との距離をものすごく遠いものに感じ、もどかしさにずっと苛々としていた。思うように動かない身体。頭と身体がばらばらのような気がする。ふっと楽器を見てみると、しばらく手入れを怠っているうちに随分とくもりがひどくなってきていて、余計に哀しくなって、きちんと磨かなければと思った(基本的な手入れは毎回しているものの)。

帰りしなに駐車場を出て信号が青に変わるのを待っていると、すぐ隣に街路樹があった。街路樹の枝に雨粒がとどまっていて、それが街灯に照らされてきらきらと輝いているのがとても綺麗に見えた。


神戸市長田区の市民グループ「震災・まちのアーカイブ」が、「阪神大震災といえば、即座に思い浮かぶフレーズ、言葉を、あげてくださいませんか。」と問うアンケートをしたそうだ。ひとつひとつの答えが心に響くものだと感じたが、私にとって最も印象に残ったのが、「思い出したくないが、忘れたくない」という言葉だった。“あぁ、そうなんだ。一見矛盾しているようだけれど、それでいいんだ。そういう思いがあっていいんだ”と思った。そしてこういう思いを抱えていらっしゃる方がいらしたことに、暖かい気持ちを感じた。私自身が、ずっと“忘れられない”、“忘れなければならない”、“忘れたい”、“忘れねばならない”、“覚えておきたい”…という気持ちの間で行き場を探して、どうしたらいいのかわからなくてずっとふらふらと彷徨っているから。それは震災のことではないのだけれど。でも、思い出したくないと思ってもいいのだし、忘れたくないと思ってもいいのだなぁ…と思った。

参考:「震災・まちのアーカイブ」(こちら)。「瓦版なまず第14号」に掲載されています。


今、聴いている音楽:「Hard to Say I'm Sorry」/Chicago
…今日の練習で演奏したのだけれど、この曲の楽譜、「素直になれなくて」の邦題の下に「Hard to Say I'm Sorry」という原題が記されているのを見て、目から鱗が落ちたというか、「Hard to Say I'm Sorry」を「素直になれなくて」と訳した人は本当に素敵だなすごいなと思った(私が「素直になれなくて」という邦題の方を先に知ったからかもしれないのだけれど)。だって「素直になれなくて」という状態ってまさに「Hard to Say I'm Sorry」という状態で、「Hard to Say I'm Sorry」という状態ってまさに「素直になれなくて」という状態ではないかと思って(この記述、わけがわからんな)。

意地を張っていても恰好つけても突っ張っていても哀しい(私が意地を張っていると私自身が結局哀しいという意味で)。いつ死ぬかわからないのだったら、素直に笑って素直に泣いて、後悔のない会い方をしたいと思った。


ここ数日、仕事の話がないのは、純粋に仕事をしていない・進んでいないからで、いくら体調が思わしくなかったとはいえ(しかも「体調が思わしくない」と言えるレベルであったのかどうかもわからない)、これは良くない。少し頑張らないといけない。頑張りたいから。

と言いつつ、近頃は展覧会に行ったり音楽会に行ったり、あるいはいつもと反対行きの電車に乗ったりいつもと違う種類の電車に乗ったりすることがないなということに思い至り、今月中にそういう機会を一度は持ちたいとも思うのだった。息が詰まるから。


もくじ / この前 / この後
浜梨 |MAIL“そよ風”(メモ程度のものを書くところ)“風向計”(はてなダイアリー。趣味、生活、その他)