風紋

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2003年02月27日(木) 体調不良? / 花粉症と歪曲した階段 / 天気雨 / 夕方の空を見て / 「そよ風」のフォロー

先週末から今週にかけて、どうにも体調が悪い…というか、ぐでっとした疲労感が抜けないような気がする。そんなに忙しくはないはずなのになぁと思うと悔しい。昨日は、大学に行かないでおこうかとも思ったものの、残してきた仕事が気になって出向いた。夜まで色々と作業していたが、帰りしなには身体がばらばらになってしまいそうな疲労感(と書くと物騒な感じではあるが…)に襲われ、帰り着くなりばったりと眠ってしまった。そして今日も何だか頭が痛かったような気がする…のは眠りすぎたのだろうか。それとも花粉症だろうか。花粉症の症状に頭痛って含まれるんだっけか…? しかも胃の調子が悪い(お腹が痛い)…ような気がするが、これは明らかに花粉症ではなかろう…。

あ、なんだかんだと書いていますが、基本的に身体は頑健とは言わないまでも丈夫な方なので大丈夫です。本人は至ってけろっとしてます。


花粉症の症状がぽつぽつと出ているような気がする。気のせいかな?と思ってみれば何とか気のせいにできる…範囲なのかもそうでもないのかも。

眼が痒いと感じたので、今日はコンタクトレンズを装用しない方が無難かと思い、久しぶりに眼鏡をかけて外出した。しかし、既にコンタクトレンズに慣れてしまっているのと、眼鏡だと視力が矯正しきれないこともあって(*注1)、何となく街を歩くのが不安で仕方がなかった。遠くがやはりとても見づらい。遠くの看板の文字がぼけてよく見えないのは不安を煽る。おまけに視野も何だか変。それと関係があるのかないのかよくわからないが、螺旋階段を下りた後に普通の階段を下りる時に、普通の真っ直ぐな階段まで何だか歪曲しているように見え、げげっこれ曲がっているよと思い、遠近感がさっぱり掴めず、階段を踏み外しそうな恐怖とともに階段を下りていた。階段を下りるのがあんなに怖かったことはない(*注2)。

花粉症は何科にかかればいいのか実はよくわかっていないのだけれど、とりあえず明日早起きできたなら、眼科に行って目だけでも何とかしようと考えている。昨日今日と眼がどうもしょぼしょぼとする。私は割と症状が軽いので、私のような者が花粉症だというのは申し訳ないと思ってきたし今も何となくそう思っているのだけれど、今は割と時間の融通が利くので、医者にかかるなら今かなと思った。で、鼻も我慢ならなくなってきたなら耳鼻科にもそのうち行こうかと思う(今も少し鼻の違和感とくしゃみの繰り返しはある)。

(*注1)私は右も左も視力は0.1以下なので、眼鏡だと矯正が追いつかない。眼鏡ではそれほど強くは矯正できていないはずなので、コンタクトレンズだと1.0以上見えているところが恐らく眼鏡では0.7前後しか見えていないと思われる(車の運転に差し支えないくらいには見えています)。
(*注2)これは、私に乱視が少し入っているからかもしれない。近視がきついので乱視は意識したことがないが…。


行きしなに天気雨に降られた。傘を差すほどのこともなかったので、濡れながら歩いた。道行く人も傘を差している人と差していない人が半々くらい。おかしな風景だった。お天気で、太陽がきらきら輝いているのに雨が降っているなんて。細かい雨粒が太陽の光を受けてきらきらと輝いていて、めったに見られないその風景は信じられないくらい綺麗に見えた。私のコートにも雨粒がのっていて、それも太陽の光を受けてきらきらと輝いていて、思わず、うふふと微笑んだ。


夕方、西の空がいちばん綺麗に見える時間を狙って図書館に本を返しに行った。少し離れた場所にある図書館で借りた本なので、研究室から歩いて5分はかかるので、西の空を見ながらのんびり歩いていた(実は体調が変だったので少しつらかったが)。

この時間の西の空がとても好きだと思う。1日の最後だからか、太陽がとてもとても綺麗に見える。その周りの空の色も雲の色も、私はとても好きで、外出する時にわざと日没の時間帯を選ぶことが時々あるし、外出しなくても研究室から西の空を見て一人でにこにこしている時がある。今日は晴れたり曇ったり天気雨が降ったりというお天気だったからか、西の空も不思議に妖しい美しさを見せていた。

今日のこの時間のこの空を、私はとても美しいと思った。好きだと思った。そして、他のどの日でもない今日にこの空をみて、こう思うことができたことを、私はとても嬉しく思った。大袈裟な言い方になるかもしれないけれど、生涯大切にしようとさえ思った。

この時間にこんな空を、ここではない何処かで、私の知っている人や私の知らない人が、私と同じように眺めているかもしれないし、眺めていないかもしれないなと思った。眺めていてもよいのだし、眺めていなくてもよいのだけれど、私の知っている人も私の知らない人も、同じ空の下にいるのだなと思い、同じ空の下にいる限りは、またいつか会えると思っていいのかなとも思った。それはほんの少しだけ、でも確実に元気の出ることであった。

ちなみに図書館には本を返すだけのつもりが、ついいつもの癖で本を探し回ってしまったので、帰りしなには西の空は全く違った様子で、その変化の早さにも驚いた。ちなみに探し回った結果借り出した本は「女歌の百年」(道浦母都子著,2002年,岩波新書,詳細)。


昨日、眠りにつく寸前に半分寝ぼけながら「そよ風」に「暫く目覚めないかもしれない。でも忘れないでね」と書いた。半分寝ぼけながら書いただけに自分でもこっ恥ずかしい(ただの「恥ずかしい」を通り越して「こっ恥ずかしい」)のだけれど、書いた直前に考えたことは割合よく覚えているので、それを書きとめておかないと何が何やらわからない感じになるだろう。

書いた直前に考えたこと、というのは、暫く目覚めず何も語らず日記も書かずにいたら、きっと私は忘れられてしまうだろうな、ということだった。それが少し寂しかった。だから忘れないでと書いた。それはとんでもない我儘でとんでもない甘えなのかもしれないのだけれど。

こんなことを再び書くのもこっ恥ずかしい(ただの「恥ずかしい」を通り越して「こっ恥ずかしい」)のですが、暫く私が眠りっぱなしでいても、時々は思い出して下さったら嬉しいなと思います。もちろんそうして下さいとは言えないし、どうなっても私が此処にいることに変わりはないですが。


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浜梨 |MAIL“そよ風”(メモ程度のものを書くところ)“風向計”(はてなダイアリー。趣味、生活、その他)