風紋
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2002年09月22日(日) |
気持ちと作業効率 / 前の家へ / ボサノヴァで笑顔になる |
あまり寝ていないはずなのに、昨日に比べると割と調子が良かった。今週末の準備をしたり、住所が変更になったので名刺を作り直そうと試みたり、来月の準備をしかけたりしていた。
他の人はどうなのかよくわからないけれど、私の場合、気持ちが下向きの時は動けなくて引き篭もって何もできなくなってしまう。逆に気持ちが上向きの時は、何でもできそうな気分なのでまず何を優先すればいいのか判断がつかず、1つのことをしていても別のことを思っている。結局何もできていない。気持ちがどうであろうと、それはそれとして、目の前にある自分のするべきことをこつこつとこなしていければいいのにと思うけれど。
昼から前の家に行って、デジカメで写真を撮った。タイムリミットはあと1週間。きっとどれだけ写真を撮ろうとも、部屋の様子を心に刻みつけようとも、後悔しないということはないと思った。それでもできるだけのことはしておきたくて、畳に寝転がってみたり、写真を撮ったり、ちょっとかがんで子どもの頃の目線の高さから部屋を見てみようとしたり。最後に、「私を育ててくれてありがとう」と言って帰ってきた。
それが人でもものでも、それのことを大好きであればあるほど、いつか別れなければならないと覚悟して接していかねばならないと思うけれど、なにしろ大好きなのだから、別れなければならないと考えることなんてしたくなくて、それはなかなか難しい。呆然としている。呆然としている場合ではないとは思うけれど。
「イパネマの娘」を聴いていて思ったこと。曲が流れてきた途端、強張っていた筋肉がふっとやわらかくなって、へろっと笑顔になるような気がする。自分が笑っているという事実を実感して、嬉しくなって幸せで、ますます笑顔になる。そして知らない間に体でリズムを取っている。私はボサノヴァにはあまり詳しくなくてCDも1枚しか持っていないけれど、昔の演奏会で演奏した「デサフィナード」もそんな感じで、ボサノヴァはいいなぁと思った。笑顔になりたいときはボサノヴァを聴いてみようと思った。
こんな感じをどこかで味わったことがあるな、と思い出してみると、先日、友達に会った時にそんな幸せな感じを味わったのを思い出した。どうもありがとう。
これから少し作業をする予定。
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