良い子 ワルい子 かわいい子
〜〜ぱるたの子育て日記〜〜



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■…2005年01月30日(日).......保育園のクラス懇談会
毎年年度始めの春と年度終わりに近い冬にやっているような気がする、ノイノイの保育園クラス懇親会。
保育園の上が地区区民館というグッドなロケーションを活用して、たいてい、地区区民館の大広間を借り切って行われる。この親子の集まりには伝統的に(?)必ずお弁当が出る。(ユイマのときは弁当持参で屋外で良くやったものだが)
久しぶりに集まったら、昨年くらいからの2人目3人目ラッシュがまだ続いていて、1歳未満の赤ん坊あり、妊娠中のお母さんあり、相変わらず半分くらいお父さんも一緒で、なかなかにぎやかな会であった。

3歳前後ともなると、親にべったりではなく、知らないうちに親の席から遠く離れて子供らだけで遊んでくれるので、親はおしゃべりに集中(?)できる。

同じクラスとはいえ、朝の送りの時間、夕方の迎えの時間がちょっとでもずれればなかなか顔をあわせる機会の無い父母同士である。でも立場は同じ働く母と父。話題はつきない。それに、親同士がなかなか会えないのと同じ理由で、同じクラスでもなかなか会えない子が結構いるので、久しぶりに会って何だかすごく大きくなったねぇ〜〜なんて言い合う。自分の子が大きくなってるんだから、同じクラスの子も大きくなってるに決まってるんだけど、目の当たりにするとちょっとびっくりしちゃう。そして、改めて自分の子供も大きくなったんだ〜〜と再認識する。
ゼロ歳の赤ん坊時代から一緒のクラスだとそんな成長の驚きが感じられて、また楽しい。




■…2005年01月26日(水).......泣いてしまう
今日は水曜日。帰宅するとユイマの姿がない。そうか、今日は塾だったものね、とぷみぷみに話して、そのままごはんの仕度に入る。少しして2階に荷物を置きに行って電気をつけると・・・・何と!私のふとんの中にユイマ君がすやすやと爆睡中!!(これで布団がしきっぱなしだったことがバレますわね。わはははは〜〜)

ユイマ君、寝ちゃったの?と声をかけると、にっこり笑うとうぉーっと伸びをして起きあがって一緒に下におりた。。。。ところまでは良かったのだが。
今日何曜日だっけ?木曜だよね、というユイマに、水曜日だよ、と言うと、ああああ!!、と言って、がっくりするユイマ。そう。水曜日は塾の日なのに、ユイマ君、眠っちゃって塾をサボってしまったのだった。
ここのところ、ユイマ君がんばって学校の宿題やってるしがんばってたから、ちょっと疲れちゃったんだよね、寝ちゃったんだから仕方ないよ、と言うのだが、もう泣き始めてしまって・・・。

ユイマ曰く「曜日を間違えた。」そのことをものすごく悔しがって泣いてしまうのであった。

前にもそういうことがあったのだが、今回もやはり泣いてしまう。
何てかわいいユイマ君。

塾の先生に電話を入れて事情を話すと、今日はテストの日だったそうで、次回テストをするので、30分くらい早く来るように言ってくださいとのこと。ユイマに伝えると、カレンダーのところに行って書き込んでいた。「30分はやくいく」
次回は忘れずに行こうね。そしてちゃんとテストを受けてきてね。




■…2005年01月22日(土).......3人で図書館に行く/ 百マス計算を始めた
午後、私が歯医者に行くのに、子供たち3人はお留守番がイヤだという。じゃ、3人で図書館にでも行って来たら、と私が提案し、ユイマに、ちゃんと妹二人の面倒を見て図書館に行って(予約していた本もあったし)無事帰ってきたら、ベビーシッター代、300円出す!と言うと、いきなりやる気を出したユイマ君。
予約した歯医者の時間は3時だったが、2時すぎにもう二人の妹を引き連れて図書館に行ってしまった。

4時過ぎに歯医者から帰ると、もうみんな家に帰って機嫌良く私の帰りを待っていた。
ノイノイはとっても良い子だったよ、絵本も読んでやったよ、予約した本もちゃんと借りてきた!とユイマから報告を受け、妹二人からは、お兄ちゃんがとても優しく面倒を見てくれたと「証言」をもらい、ベビーシッター代支払い条件をクリア!
イェ〜〜イ!やった〜〜〜!!とカレンダーにしっかり(ベビーシッター)と書き込むユイマ君。来週土曜日も、ベビーシッターをしてくれるそうだし、この分だと目標月収1000円クリアできるかも?!

***********

話変わって、何度もここで書いていることだが、ぷみぷみは数に対する感覚が鈍い。学校で手を使ってはいけないと教えられ、手を使わずに計算しようとするが、時間がかかり、かつ間違いも多い。(50問やらせると、2〜3問間違える)

数の感覚として、足して10になる組み合わせが分かること。次に、足して100になる数の組み合わせがわかり、更に足して1000になる数の組み合わせが分かるようになること。しかもそれがただ、丸暗記するのではなく、実感として分かること・・・・が、足し算や引き算などの計算をする上で、とても大事なことだとnoripが言っていた。

しかし、ぷみぷみを見ていると、生まれつき数に敏感な子と、最初っからあんまり関心のない子とがいるような気がしてならない。勿論関心のない子は、自分の中に数の感覚が育っていないから、小学校に上がってもなかなか計算が速くならない。数の好きな子は小さいうちから何でもかんでも数えようとしたり、足し算を喜んだりするものだ。だから自然と覚えるのも早いので暗算などもお手の物だ。ユイマなどは、大きい数にとても凝ったことがあり、無量大数が大のお気に入りだったりした。ゼロの概念についても小さいうちから関心をもったし、同じもの、同じ数にもずいぶんと注意を集中させていたものだ。

さて、数に関心のない子も小学校に上がれば算数のお勉強がある。算数をお勉強しないと、最低でも四則演算はできないと、この世で生きていくのはとっても困難だ。だから、数に弱い子に数の感覚を身につけさせるためには、反復練習を中心とした「訓練」をしていくより方法がない(と思われる)。

そこでついに!(笑)ぷみぷみにあの有名な陰山メソッド100マス計算をさせることにしたのだ!
ドリルの表紙には「どの子も2週間で基礎計算力が確実にUP!」と書いてある。2週間、続けられるだろうか・・・・

張り切っているのはユイマだ。自分の時計を持ってきてタイムを計ってくれたり、丸付けしてくれたり。1日100マスを2段。つまり、200個の計算をする。1段目、14分32秒。間違い、5個。間違いを直し、休憩後、2段目に挑戦!何と、タイムは13分58秒と縮み、しかも間違いは1個!
ひぇ〜〜1日のうちにも進歩するのか?!
気をよくしたぷみぷみ。明日はもっと速くなってもっと良くできるようになるかな?と楽しみにしている。
ま、ゲーム感覚で楽しみながらやれれば、いいかな。
続けることが大事。
2週間後にまた結果を報告できるように、がんばろう。

ちなみに、今日やってみて、どんな間違いをしたか・・・記録しておく。

4+2(11)
4+3(12)
5+9(13)
7+6(18)
6+3(14)
( )内がぷみぷみの答え。 

今、学校では繰り上がりのある足し算をやっている。何でも10の塊にして考える方法で計算するよう指導されている。少し前までは5の塊にして考える方法で10までの足し算をやっていた。
100マス計算の問題は、繰り上がりのあるものとないものがごっちゃになって入っている。
どうやら、ぷみぷみは、5の塊にしてなおかつ繰り上がりをしてしまったようだ。
しかし間違いを直してから行った2段目ではその間違いはもうしなかった。



■…2005年01月21日(金).......1年生の授業参観と保護者会
今日は1年生の授業参観と保護者会で午後から会社を早退して学校に出向いた。

授業参観は5時間目を使っての「昔遊び」。おはじきとか、お手玉とか、独楽回し、すごろく、カルタ取りなどの「お店」に分かれて、子供が4〜5人ずつグループを組んでいる。各お店のメンバーを二つに分けて前半遊んだ子は後半お店番、前半お店番をした子は後半遊ぶ。遊ぶときはどのお店に行って遊んでもよく、また、1年生の3クラスが同時に同じ活動をしているので、よそのクラスのお店に行っても良い。遊びのやり方がわからないときは、人に聞いたり、聞かれたら教えてあげたりすること、というのが注意事項で、親は、子供が店番をしているときは一緒に店番をし、遊ぶときは一緒に遊ぶ、ということになっていた。

ぷみぷみはお手玉のお店係だった。前半は遊ぶ方だったのだが、仲の良いお友達がお店番をしている紙相撲のところに長居。ほかのところで、あやとりを少しやったあとはよそのクラスを回って見物して終わり。後半のお店番で私が少しお手玉をやってみせてあげた。そのせいで、ほとんど店番をせずにお手玉の練習をしていたぷみぷみだった。

どのクラスに行っても良いことになっているのも面白かったが、そのせいで、なにやら子供はただただわらわらとした雰囲気で、何とも落ち着きが無いと言うか何というか、手持ち無沙汰なのだか忙しいのだか、よく分からない1時間だった。

帰りの会が終わると、今度は保護者会だ。

先生のお話の中で印象にのこったことをいくつか。

2学期の終わりにはほとんど出来ていた繰り上がりのある足し算、繰り下がりのある引き算を3学期になってやらせてみたら、ちゃんと出来る子と、何度やってもいくつか間違える子、時間のかかる子と、様々に差が出てきている。
これは、冬休みの間に復習した子と何もしなかった子の差である。
やはり家庭で毎日最低でも20分ほど勉強させてほしい。
昔遊びをやらせてみたが、こういったことも、是非家庭で伝承していってほしい。
最近の子は新しいことや知らないことに積極的に取り組む姿勢が足りない。
縄跳びにしろ何にしろ学校で何もかもはやってられないので、やはりもう少し家庭でもみてやってほしい。

こんなところ。

何でもかんでも全部学校でというのはムリがある、家庭でももっと見てほしい、とはっきり仰られたのは新鮮であった。 今まで私が会った先生方は、家庭の協力が欲しいときは、学校でもこうしますから、ご家庭でもこんな風にご協力ください、という言い方が多かった。
時代が変わってきたのか、それとも、単に言い方が違うということなのか。

また、質疑応答の時間には、ほとんどお勉強の話題だったのにも驚いた。何と教育熱心な親が多いことよ。それも、先生が指を使って計算するのはだめ、というようなことを仰ったからで、うちの子はまだ指を使っているがどうすればいいかなど、算数に関する質問が集中。それに対し、先生からは、指は10本しかないので、10より大きい数になってしまうとお手上げ、ブロックやおはじきなど具体物を使うのは良いという答えだった。質問をしたお母さんは「じゃぁ、ブロックにすればいいんですね。今日からそうします!」と答えていたが、私は小学校の算数は難しいと日頃から思っているので、そのやりとりを聞いても、あまり軽々とは納得できなかったのであった。




■…2005年01月18日(火).......何を目指すのか、どうなりたい(ならせたい)のか
noripは教育関係の本をよく読んでいる。本屋で立ち読みで済ませる場合も多いが、買ってきて私に見せてくれることも多い。ここ数日は「ニッポンの公文、ドイツの教育に出会う」という本を借りて読んでいるのだが、前書きの中に、ドイツの教育は「たった一人でも反対できる人間を育てる教育」と書いてあって、おお〜!、と思わず声が出てしまった。

たった一人でも反対できる人間を、日本の学校は全然育てていない。というより、そんな人間なんかが出てきたら困る、とむしろ思っているのではないか。
私が自分の子供に、どんな人間になってほしいかといえば、
「自分の頭で考えられる人間」「自分の考えに従って行動出来る人間」「人のせいにしない自立した人間」
といったあたりである。でも、たった一人でも反対できる人間、とまでは思っていなかった。まだまだ考えが甘かったのだ、と思い知らされた。

そんなことに思いを巡らせていたら、タイミングよく、新聞にこんな文章が載っていた。上手に要約ができないので、長くなるが、暇に任せて全文引き写してみることにする。


朝日新聞2005年1月15日朝刊「私の視点−−−2005年に寄せて」から全文引用

◆日本の教育「自ら動く人間」育てよう・・・・吉岡忍

 世の中が動かない。止まっている。その現状をこの目で見ておきたいと考え、2年ほどかけて、私は44の都道府県を旅行してみたのだが、やはりどの街も元気がない。残りの三つをまわっても、この印象はたぶん変わらない。冷えびえした空気を浴びながら、私は教育のことを考える。学校と、学校教育を支えてきた政治や行政や世間的常識のことを。
 結局、日本の教育は「使われる人間」しか育ててこなかったのではないか。学校はだれかに、あるいは何かに使われるためのトレーニングの場にすぎなかったこと。おとなしく、要領よくか、有能にか、ともあれわが身を、使われる人間としてしか思い描けない日本人ばかりを育ててきたのではなかったか。
 使われる人間は、寂しい。独りで、ばらばらに生きることしか知らないから、リストラや倒産や定年で辞めたとたん、友だちは散っていき、いっきに萎えてしまう。こうした人々の群れが、これからの一年間、この国の底に澱のように溜まっていくのだろう。
そこに、十数年来の景気低迷、大規模災害、犯罪多発、社会保障制度の破綻、米政府に引きずられっぱなしの戦争協力、あるいは日朝・日中関係のこじれなど、難問が次々に押し寄せている。個々ばらばらで、使われることしか知らない人間には、どれも手も足も出ない問題ばかりである。
 自分からは動かない、動きたくない、動けない大人たちは傍観を決め込んでいる。そうでなかったら、子どもたちが頭の中に飼っている怪物になりかわるように凶悪事件に突き進んでいくのと同様、いつか自分を託せる力強いカリスマが現れるだろうと待ち望んでいる。ここから生じる熱狂はかなりきな臭いがこれもまた使われる人間としての自己の再生産にすぎない。
 若者たちはどうだろう。若年層の10人に1人が失業中だ。学校にも仕事にも研修にも行っていない、いわゆる「ニート」な若者たちに、私もときどき旅先で会う。彼ら一人ひとりは、私ほど露骨な言い方をしないけれど、使われる人間の窮屈さや哀れな末路をたくさん見聞きしている。なぜ無理をしてまで世間に加わらなければいけないのか、ためらっている。
 私はこの感受性を健全だと思う。だが、彼や彼女たちの多くも、自力で仕事ややりたいことをつくり出す自信に欠けている。ここにも、相変わらず使われる人間になることしか教えていない学校教育の欠陥が露呈している。
 私が国内旅行をしつづける理由が、もうひとつある。街はどこもそっくりで、どこも目新しさを失って寒々しているが、それでもそこで動いている人がいる。上司や同僚、先輩・後輩にではなく、見ず知らずの他人に働きかけ、議論し、ゆずったりゆずられたりしながら、何かをやり遂げようとしている人たちに会うためである。
 それは街の居心地をよくする活動や国内外のボランティアだったり、ある種の表現活動だったりするのだが、この人たちは自分一人の弱さを知っていて、だから他者が必要なのだと分かっている。一緒に動くことのむずかしさにも面白さにも気づいている。
人が人を動かす人間社会の原理は、これからも変わらない。雇用や上下の関係のないところで、一人ひとりはどう動けるのか。そのステージを社会と呼べば、やっと私たちは社会を作り始めたばかりである。



センター試験は穴埋め問題ばかり(大抵5択ってところ)この方式になってから、ますます学力低下に拍車がかかったと大学関係者は口々に言っている。でも、こんな問題を解くために一生懸命勉強するのは、学力低下というよりも思考力低下を招いているのではないか。

友人からフランスのバカロレア(大学入学資格試験)は日本のその種の試験とは全然違うと聞いて、ネットで調べてみたら、

哲学は諸科学についての考察をせずに済ますことができるか?
ある芸術作品が美しいということを他人に根拠を示して説得することができるか?
「選択」と「願望」の違いについて書かれたアリストテレスの文章を読んで、コメントする。
人は自分自身に嘘をつくことができるか?
どのような条件の下で一つの活動は労働となるのか?
人間の自由は労働の必要性によって制限されるか?
正義の支配を実現するとは、単に法律を適用することか?
人は美を判断するのか、それとも感知するのか?
法律は我々に何をするのが正しいかを示しているか?
「独立」と「自由意思」が相対的な概念ではないかと疑ったニーチェの文章を読んで、コメントする。

なーんて問題に答えて(全部論述式だ!)合格しないと大学に入れないのだそうだ。大学というところの位置づけの違い、教育システムの違いがあるのは分かっている。が、それにしても、大学生、そして高等教育に対して求めているもののこの違いを見よ! 教養があることは勿論、自分の頭と言葉で考えられる人間じゃないかぎり、こんな問題には一言も答えられないだろう。私も情けないことに、全くだめだ。手も足も出ない・・・。(いや、この中の、いくつかなら、がんばって答えられるかもしれぬが)

一度に多くのものを求めても一つも得られないのだから、じっくりと、積み重ねるように、(ものを与えるにしても教育をするにしても)考えながら子供を育てていかないと、大変なことになると(つまり我が子も「使われる人間」になってしまう)畏れおののくばかりである。




■…2005年01月16日(日).......センター試験終了
今年のセンター試験も悪天候だった。二日間とも雨。何とも受験生のみなさんは大変なことだ。

さて、ジュンコである。

今年も学科には力が入らない。どうやら予備校の先生には4割固めればいい、と言われているらしく、それも身が入らない一つの理由であるようだ。

結果は、初日の英語はざっと6割。本日の数学は3割(キーーーっ!!←アタシの声)、国語は8割、だそうだ。
国語は相変わらず上位を保っているようだが、問題を見てみると、美術専攻の学生だったら課題文を読まなくても答えられるような問題が出ている。これでは、美術専攻の学生同士の闘いを考えると、ジュンコには不利な問題だったね、と結論づけるnorip。

しかし、3科目合計で7割近くは固めたつもりでいる本人は、とりあえずノルマは達成した、といった様子でさばさばとしている。

これから3月の一次試験(実技)突破に向けて、今度こそ本気を出して欲しいものだ。

あ、その前に、私大の願書をちゃんと出せよ!>ジュンコ



■…2005年01月15日(土).......子供からのメッセージ
何かお手伝いするたびに報酬をもらえれば、1ヶ月のお小遣いを稼ぐことができる。
お風呂の掃除を頼まれたユイマが「これやったら40円くれる?」と言い出した。

そう言われてみれば、ジュンコが小学校5年の頃にはゴミ出し一回いくら、と決めて仕事をしてもらっていたな。だから、ユイマにも、仕事と値段を決めて記録をつけてくれれば、月末に締めて支払うよ、と言っておいたら、こんなメッセージが!


そして、ぷみぷみが書いたメッセージというか、トレードマークというか・・・
線に迷いが無くて良い、というのが、家族からの評。色々悩むのが画家だとしたら、ぷみぷみは、次から次へとガシガシ仕事をこなさなくちゃいけないデザイナー系??


ハートと星が大好きなぷみぷみ。エンゼルの羽もお気に入りに加わったのね。



■…2005年01月13日(木).......新年こども会@保育園
保育園では、季節ごとの行事を忘れずやってくれるので、日頃あわただしくて、そんな季節の行事や伝統など忘れがちな親にとっては、大変有り難いところである。
お正月は、「新年こども会」という名前で、独楽回しや羽付き、凧揚げやけん玉などの昔遊びを楽しみ、クライマックスがお獅子登場である。

昨年は、園庭で楽しく遊んでいるときに、いきなりのお獅子出現に、ノイノイ、園庭の端から端まで逃げて、おともだちと泣きくれた記憶があるが、今年は??

連絡帳によると、

『今日は、新年こども会で、コマまわし、けん玉などを見た後、お獅子登場!
「ワー!」と泣いて、下がって 大人にしがみつくノイノイちゃんでした。
やっぱりこわいものはこわいんですね。
おひる(食事に)他の子が「こわかったけど、泣かなかった・・・」等、話していると、ノイノイちゃんは何も言えずにだまってきいていました。ちゅうりっぷ(年少組)になったら泣かないもんね、と言うと「うん」と、ちょっと考えていました。』

今年は泣かない子の方が多数派だったのだ!!

そのことはノイノイの心にも残ったようで、だからこそ、お友達が泣かなかった、と言っているそばで、無言でいたんだろうなぁ。
こうして、他の子を見て、自分を振り返り、心も成長していくのね。
泣いたっていいのよ、ノイノイ。泣かないのがエライ訳でも何でもないのよ、と言ってやりたかったけれど、泣くか泣かないか決めるのはノイノイなのだから、余計なことは言わないでおいた。


ちなみに、保育園に迎えに行くと、すぐお獅子の話になったのだが、ノイノイ曰く、「ノイノイちゃん、泣いちゃったけど、お獅子の足はねー、保育園の先生の足だったんだよ〜」
泣きながらもしっかり観察してたってことで、これって、去年より成長してる証拠、だよね??




■…2005年01月10日(月).......みんなでお勉強
今日は冬休み最後の日である。小学生たちは、一応宿題は済ませているが、家庭学習は毎日ある。それを少しサボっていたので、今日は朝から、食卓を使ってみんなでお勉強。
ぷみぷみは未だに手を使って計算。

ユイマ君は、彼のいうところの「難しい算数の問題」を解く。
難しい算数の正体は、これ。
秘伝の算数 入門編。この中から問題をピックアップしてお父さんがプリントにしてユイマに出しています。

二人が勉強しているのを見て、ノイノイもお勉強。
字の練習??

ユイマが問題を解き終わると、先生登場。なかなか厳しく、でもとても忍耐強く指導してくれます。
父:これは××でしょ?!ユイマ:あ、そうだったそうだった!

ぷみぷみは、漢字の読み方をまだちゃんと覚えていない。たとえば、「し」と読む漢字は下の段に、「か」と読む漢字は上の段に書きなさい、という問題で、「四・下・日・子・火・糸・花」が並んでいる。ぷみぷみは、下、日、子、糸の音読みを忘れている。

私が、辞書で示しながら、「糸は、訓読みでは“いと”と読むけど音読みでは“し”と読むの。覚えて!!」と言いながら勉強につきあっていると、ユイマ担のnoripが「へ〜そうやって覚えるのか。オレ一度もそんなことして覚えたことない!」と宣う。

noripは、1年生に上がる前から本(マンガ)を沢山読んでいて、何となくこの文字はこう読むんだよなーというのがわかり、そのまま記憶が定着し、小学校に入った頃は、書けるように練習するだけ、という状態だったそうだ。

それは理想だけど、ぷみぷみの場合は、文脈の中で覚えるためには、読んでいる量が絶対的に足りない。
文脈と切り離して、意識して覚えるしか方法が無いじゃないか!!
こんな風だと、やはり、公文式のような、ひたすら反復するうちに覚えてしまう、という学習方法も低学年のうちは必要なのかもしれない。。。。
ノイノイのときにはまた「3年までは公文」に戻そうかなぁ・・・



■…2005年01月08日(土).......伊豆のおばあちゃんの家に行く
お正月は双方とも何かと大変なので、時期をずらして成人の日周辺にnorip母が住む伊豆に行くのが、我が家のこのところの習わしになっている。norip父の命日が1月12日。一昨年は一周忌で昨年が三回忌。成人の日はハッピーマンデーで3連休なので、法事のスケジュールも立てやすい。おじいちゃん、そんな風にして、我々に苦労かけないようにしてくれんだね。ありがとう。
おかげで、毎年、成人式前後にこうやってお年始も兼ねて伊豆にお墓参りに行くこともできる。

さて、8日からの土日で行く予定を、日曜日にぷみぷみのピアノレッスンがはいったため、一日繰り上げて、金曜日の夜から行くことに。私は会社を出てまっすぐ最寄りのK駅へ。noripにも、子供ら3人連れてやはりK駅に来てもらい、そこから一緒に伊豆に向かった。
あちらについたのは9時少し前。ノイノイはつい最近お父さんと二人だけでおばあちゃんの所に行っているので、すっかり慣れていて、まるで我が家についたかのような振る舞い。他の二人は久しぶりにおばあちゃんと再会して、やっぱり嬉しそうだ。おばあちゃんは1年ほど前軽い脳梗塞で少し右半身が不自由になったけれど、リハビリの甲斐あって、見た目には分からないほど回復していた。

早速こたつに入って(おばあちゃんの家には掘りごたつがある!あたたかい!)もっていったおみやげのお菓子もちょっといただいて、お年玉もいただき、10時に就寝。翌日、ゆっくりめの朝ご飯をいただいたあと、お墓参りに出かけた。近所のC寺。朝方雨が降っていたのに、寺に到着したら晴れてきた!norip父は生前からびっくりするほどの晴れ男だったのだ。一周忌のときも三回忌のときも、晴れたのを考えると、今朝の雨もやんで晴れるに決まってるわね。だっておじいちゃん晴れ男だったんだもの、と子供らと話す。

お墓につくと、子供らはみな我先にお水をかけたがったり花を飾りたがったりして、ほとんどケンカ状態。おじいちゃんの前でケンカなんかしちゃだめ!と一喝すると、さすがにお兄ちゃんは争いをやめる。
みなでお線香をあげ、手を合わせた後は、これまた近くの反射炉に行き、反射炉ビアというレストランで焼肉のランチをいただく。これも最近お決まりのコースになっている。

食事が済めばあとは帰るだけ。あっという間の伊豆滞在。伊豆長岡駅にタクシーで直行しておばあちゃんと別れを告げる。受験勉強のため来られなかったジュンコに、良い知らせを待ってるよと伝えて頂戴、と言われ、はい、と答える私たち。(うーむ。でもジュンコのヤツは、来ないで家で寝てたんだぞ。そんなことなら一緒に来れば良かったんだ(`へ´))

新幹線の個室(グリーン)が廃止になったので、自由席にすわる。
子供たちもだいぶお行儀良く乗れるようになったから良かった。
帰宅したのは8時ちょっと前。



■…2005年01月04日(火).......祖父母を訪ねる
今日は私の実家へ家族全員でお年始に。去年は数ヶ月、寝込んでしまっていた母も、やっと調子が良くなってきて、元気な姿を見せたいから、と私たち6人をよんでくれたのだ。

まずは出かける前に、下の子供ら3人に、正座の姿勢から手をついてお辞儀&あけましておめでとうございます、の挨拶の仕方を教える。(ジュンコにはもうだいぶ昔に教えてある。)手をつく角度、おじぎをするとき背筋はどうするか、など、一応昔これでも茶道の先生からお作法を教わったことのある私が先生になって。小学生も保育園児もまじめくさって練習してくれるので、とても満足。はい、上手にできました!おじいちゃんおばあちゃんのお家に行っても今みたいに上手に挨拶してください!と先生らしく締めくくる。

実家に到着すると、床暖房のはいった居間に通されて、みな座って挨拶となる。
ついさっきお稽古したとおり、3人の子供らがかしこまって手をついてお辞儀をするのがとてもかわいかった。勿論私たちも一緒に挨拶する。
実家の両親も嬉しそうだ。

ちょうど、私の妹も来ていたので9人!うち揃っての新年会。

お茶を飲みながら四方山話などし、4人の子供らはお年玉をいただいた。お年玉は、実家の両親、私の妹、そして私の姉夫婦からも母のところに預けられていたので、子供たちは銘々3つものお年玉袋を握りしめることになった。ありがたや。

母は、私たちのために朝から小豆を炊いてお汁粉を作ってくれていたので、私は焼き餅を持っていった。子供の口に合わせて餅を小さく切ってうまい具合に焼き色をつけるのが案外面倒なので、こちらで準備して持っていったのだ。おいしいお汁粉にお餅を入れてみんなでいただくと、あっというまに、大きな鍋(実家では多分一番大きい鍋だろう)が見事にカラになる。ピラニア軍団のような食欲の私たち。
ここでお父さんは退場。今日〆切の仕事が終わっていないので。
残った女子供におじいちゃんとで、ノイノイもできる坊主めくりと相成った。一回戦はおばあちゃんの一人勝ち。二回戦は、私の勝利。肝心なところでお姫さまを引けなかったノイノイはちょっと悔しそうだが、それでも負けたことで怒ったり泣いたりひどく悔しがったりすることもなくニコニコできる。ジュンコが小さいときは自分が負けると悔しくて悔しくて、自分が勝つまで「もう一回!」と怒って泣いたものだったが。

あまり長居をしても、おばあちゃんが疲れてしまうので、坊主めくりが2回終わったところで、私たちもおいとますることにした。おばあちゃんが元気になって良かったね、と言いながら家路についた。

さて、今日、実家に行って驚いたのは、ユイマ君がとてもお行儀が良く、家でのおちゃらけた姿とは随分違っていたこと。ただでさえ大人数で押し掛けるのだからそれだけでおばあちゃんが疲れてしまう。だからあちらではお行儀良くすること、騒ぎすぎないこと、と下3人には言い含めていったのだが、ユイマの気の使い方は本当にエレガントだったと思う。(あの子は本当に優しい子なのよね(と親バカ発言))家に帰るとまずそのことをたっぷり誉めてあげた。
今日は本当にユイマ君はやさしくてお行儀が良くてえらかった。きっとおばあちゃんも喜んでいたと思うよ。
そしてどうもありがとう、ユイマ君。



■…2005年01月03日(月).......初詣2・・・奥秩父は三峯神社へ
奥秩父は、最近ユイマとお父さんがしょっちゅう行っているし、私たち夫婦も結婚する前から良く行っていて馴染みがある。そこで、今年はみんなで三峰神社にお参りに行こうか、ということになった。私が最後に三峰に行ったのはいつのことだったろうか。もう10年以上前なんじゃなかろうか・・・。

本当は9時には家を出たかったけれど、そこは休日。弛緩しきった私たちが家を出たのは10時。所沢まで出てそこから特急に乗って秩父へ。5分ほど歩いて秩父鉄道おはなばたけ駅から三峰口まで乗車。そこからバスでロープウェイの駅まで。ロープウェイに乗って山頂駅につくと、今度は歩いて約15分。やっと三峰神社に到着した。

まずはお参り。親切にも、2礼2拍1礼の作法が書かれた紙が賽銭箱の前にちゃんと貼ってあったので、みなその通りにして参拝する。ノイノイも一生懸命頭を下げていた。かわいい。
そして、順路に従って大勢の巫女さんたちが売っている破魔矢や御守りを買う。小ぶりの破魔矢は4種類あって、勝ちの矢とか幸いの矢とか和みの矢などと名前がついている。ジュンコのために、勝ちの矢をもらおうと思って聞いてみると、それだけは早々と売り切れてしまったそうだ。残念!御守りは、交通安全守りをぷみぷみとノイノイに。

その後、ユイマが山登りをしたときに寄ったというお茶屋さんに行って休憩。このあたりで取れる中津川芋(ジャガ芋に似ているが小さくてねっとりしている)で作った芋田楽がとてもおいしいので、家族にどうしても食べさせたいユイマ。お父さんに、あのときは、おなかがものすごく空いていたから美味しかったんじゃないの?と言われるが、ユイマは聞く耳持たず。確かに味噌風味の素朴なお味だったけど、『ものすごくおいしい!すっごくおいしい!!超おいしいっ!!!』っていうほどでは・・・(以下自粛)

その後、ロープウェイの最終に乗って下山。また秩父鉄道ー西武池袋線と乗りついて家に帰ってきた。帰宅は午後7時半すぎ。結構な遠出でした。





■…2005年01月02日(日).......初詣1・・・近所でおみくじ
今日は風もなく穏やかなお天気に恵まれた。家にいるのも勿体ないので、お昼から近所のお寺に散歩がてら、初詣に出かける。
お参りを済ませ、4人の子供たちがおみくじを引く。

ジュンコ 大吉 
冬かれて 休みしときに 深山木(みやまぎ)は花咲く春の 待たれけるかな
何事も心を正直に強く持ち物事に退屈せず信心怠らず勉めれば 時至りて後にはおおいに仕合わせよくなります 騒がず時を待ちなさい

ノイノイ 大吉 
風吹けば 風吹くま丶に 港よしと 百舟千舟(ももぶねちぶね) うちつどいつ丶
何事も繁盛して心のま丶になるけれど 心に油断があってはならない 只今より来年の事をよくよく考えてやりそこなわぬ様十分の注意をしておきなさい

ユイマとぷみぷみは同じ番号。あんなに沢山ある中で二人が一緒というのも珍しい。ともに中吉。
雪に耐え風をしのぎてうめの花 世にめでらるヽその香りかな
初めは憂き事あれど後 吉深く嘆き悲しまず身を謹んでおれば後は万事思いのまヽになります あわてさわぎ心乱れると災いこれより起る事あり心静かにしなさい

まるでその子をよく知っているような(いや、仏様なんだから、実際知ってるんだろうけど)、ありがたいお言葉が並んでいる。
そうなんだよ。ジュンコの春は本当に“待たれけるかな”なんだよなー。ユイマはあわて騒がず心静かに過ごすことが大事だよ、うんうん。ぷみぷみは?身を謹んでいなさい?そうそう、その通り!!

またこのおみくじには、七福神をかたどった小さな御守りがついている。
ジュンコは福禄寿。ユイマ大黒天。ぷみぷみ弁財天。ノイノイ毘沙門天。
これまたそれぞれにぴったりの巡り合わせ。

何というすごいおみくじだ!!すっかり感心しておみくじを大事に家まで持って帰ってきてしまった私たちであった。(普通、境内に植わっている木々の枝に結びつけたりするけれど・・・あれはどんな意味があるんだろうか。)



■…2005年01月01日(土).......あけましておめでとう2005
あけましておめでとうございます。
世の中は明るいこと暗いこと入り交じっておりますが、自分たちの生き方を考えつつ、進むべき道を選びながら、楽しく健康な一年が送れるように努めていきたいと思っております。

さて、元旦の朝、11時頃まで寝てしまったのは母。ほかの人々はみんな午前中からちゃんと起きて何だか騒がしい。
お雑煮はお父さんが作ってくれました。あはは。

今年は、私の実家の両親から、金婚式の御祝いとして、立派な塗り物のお屠蘇セットをいただいていたのを出し、初めてお屠蘇で御祝い。お屠蘇をおいしい!と言ったのはユイマのみ。ジュンコは飲めるけれどおいしいというほどではなかったらしい。ぷみぷみは物凄く期待して口を付けたとたん、顔をゆがめて「苦い!変な味!」ノイノイなんて、言葉を発することもできず、黙って杯を押し戻す。
でも御祝いだからね、みんな一応口を付けました。

年に一度のお雑煮。私たちが結婚したときに、雑煮椀を送ってくれた親戚があり、それ以来、雑煮は大きめの雑煮椀に。子供らにも3歳くらいになると、単品で結構立派な雑煮椀を買って与えてきたのだ。今年はノイノイに雑煮椀を買ってあげた。越前塗りで、ふたには金箔で松笠が描かれている。まつぼっくりが大好きなノイノイにぴったりだね、と買ってきたのであった。去年は子供用のお椀で食べていたノイノイも、みんなと同じ大きさの立派な雑煮椀でお雑煮をいただく。

お正月におなじみトランプゲームやカルタ取り、百人一首で坊主めくりなどして遊ぶ。

夕方には、和菓子にお抹茶。これも毎年のこと。うちの子供たちはお母さんのおなかにいるときからお抹茶には親しんでいるので、お抹茶嫌いな子供は一人もいない。ノイノイもお代わり、と2服いただいた。

一年に一度しか目にしない食器や、食事があるのは良いことだと思う。私も子供の頃のお正月をなつかしく思い出せるように、我が家の子供たちも大きくなったときに、思い出してくれるようなお正月を過ごせるように、いつもありたいものだ。

メモ
私たちからのお年玉
ジュンコ2万円(父1万、母1万)
ユイマ7千円+α(父7千円500円、母3千円)
ぷみぷみ5千円(父3千円、母2千円)
ノイノイ2千円+α(父1千円、母1111円)




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