Experiences in UK
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2004年10月26日(火) 第62-63週(その2) 2004.10.11-25 ウィルキンソン復帰、日本コンテンツ産業のプレゼンス

ヤンキースの敗退は残念でした。
普段は野球に関する報道が全くない英国でも、さすがに米国チャンピオンシップ・シリーズの熱戦の模様については、タイムズ紙が連日取り上げていました(ごく小さな記事ですが)。ただし、なぜか私の見た限り、マツイに関する言及が全くありませんでした・・・。

(ウィルキンソン復帰)
久しぶりにイングランド・ラグビーのヒーロー、ジョニー・ウィルキンソンのメディアでの露出が増えています。
まず、しばらくピッチを離れていたウィルキンソンですが、約一年ぶりにチームに復帰しました。昨年のW杯終了後に行った首と肩の手術のリハビリ期間を終えて、いよいよ地元のニューカッスル・ファルコンズでゲームに出始めました。
また、先日、イングランド代表チームの新監督アンディ・ロビンソンにより、代表チームの新キャプテンに指名されました。ウィルキンソン不在の間のイングランド代表チームはゴタゴタが続き、戦績も低迷していました。昨年末、名キャプテンのマーチン・ジョンソンが引退し、後任のローレンス・ダラリオも数ヶ月で代表から身を引くことを表明したことで、キャプテンの座が空席になっていました。さらに先月は、後味の悪い監督交代劇が繰り広げられました。

ウィルキンソンの復帰とキャプテン就任は、イングランド代表チームにとって久々の明るい話題です。ラガーマンとしての技量は言うに及ばず、昨年のW杯優勝メンバーであり、チーム内の人望も厚く、国際試合出場の回数も豊富(キャップ数53)である点などから、ウィルキンソンのキャプテン就任は妥当な人事と言えます。
ただし、ウィルキンソンのキャプテン就任についてネガティブな見方もなくはありません。ウェッブ版BBCの記者は、「他に適任がいないからしょうがないが」としつつ、「サッカーのベッカムとは対照的に内省的なウィルキンソンのキャプテンとしての適性にやや疑問あり」といった書きぶりをしていました。
また、25歳という若さを懸念する声もあるようです。私としては、たとえ最初はうまくいかなくても、三年後の次回W杯の時までに、優れたキャプテンシーを培えばいいと思いますが。
11月のカナダ戦がウィルキンソン・イングランドの初戦になるようですが、どんなキャプテンシーを発揮するのか楽しみです。

(My World)
ウィルキンソンに関連した話題がもう一つあります。先日、自著“My World”が発売になりました。
ウィルキンソンはこれまでしばしばタイムズ紙に手記を寄稿しており、それらを再構成・加筆した内容の本のようです。タイムズ紙の手記は時々読んでいましたが、ゲーム内容や自身の心理状態などに関する冷静な分析を展開しており、なかなか読ませる文章でした。多くのラグビー名選手と同様に、彼は十分に知的なセンスを持ち合わせていることがよくわかります。

早速、購入してざっと目を通しました。ちょっと大きめのハードカバーで、写真もたくさん使われています。昨年のW杯における優勝へ至る過程の記録がメインで、大舞台に臨む大スターの心理状況がビビッドに記述されています。
最後の章では、日本に関する記述と写真が登場します。今年の夏、スポンサーであるアディダスのイベントで来日した際のニッポン見聞録で、私とは逆の立場のカルチャー・ギャップが書かれており、なかなか興味深い内容でした。

(F1英国GPがなくなる?)
先週、F1絡みでもいくつかの動きがありました。
まず、英国人ドライバー、ジェンソン・バトンの移籍問題(9月20日、参照)が決着しました。契約を精査した結果、ウィリアムズBMWへの移籍は認められず、来年についてはBARホンダにとどまることが決まりました。バトン自身は、「(今年夏のウィリアムズへの移籍表明は)自身の契約アドバイザー・チームによる誤った判断からの拙速な決断だった」ことを率直に認め、来年はBARで前向きに戦うとコメントしていました。
英国と日本のF1ファンにとっては、バトンのBARホンダ残留は結果オーライでグッド・ニュースだったのではないでしょうか。

もう一つは、英国にとってバッド・ニュースです。
伝統的にシルバーストーンのサーキットで開催されてきたF1の英国GP開催がいよいよ危機に立たされたようです(7月12日、参照)。最終的な結論はまだ出ていないようですが、先週、F1界を牛耳っているバーニー・エクレストンが英国GPの存続に否定的なコメントを出しました(その後、肯定的とも取れる発言も報道されていて、状況は混沌としている)。
上海やバーレーンなどのサーキットがF1に新規参入を果たした一方で、英国GPが消滅の危機に瀕している事態に関して、英国の経済誌Economist誌(10月9日号)は、「英国産業の衰退を示す傍証かもしれない」と書いています。

(日本コンテンツ産業のプレゼンス)
少し古い話になりますが、同じくEconomist誌(9月25日号)で日本経済特集が組まれました。製造業の回復が目覚ましい一方で、伝統的に競争力の低いサービス業については依然としてパッとしないという内容でした。
すると、同誌翌々週号(10月9日号)の読者投稿欄に、上記記事に関連してある英国人からの以下の内容の投稿が掲載されました。「この前の日本経済特集は、日本のサービス業を過度に貶めたものではないか。日本のサービス産業がいかに競争力をもっているか知りたいなら、土曜早朝の子供向けテレビ番組を見ればいい。ほとんどが日本のアニメ番組だ。また、子供たちが遊んでいるテレビ・ゲームを見てみればいい。」

確かに、休日の朝は英国でも日本と同様に各局で子供向けアニメ番組が放映されているのですが、科白が英語に吹き替えられた日本のアニメが数多く流れています。最近の日本のアニメ番組のことはよく知らないのですが、時々漢字など日本語が絵の中に出てきたりするので、日本製であることはわかります(「遊戯王」など)。だいたいこれら日本製のアニメ番組は、多くの欧米アニメと比べて絵がかなり上質なので一目瞭然です。
また、ゲームソフトについても、当地で流れるコマーシャルを見ていると、たびたび日本製ゲームソフトのCMが流れます(プレイステーションなど)。さらに、高速道路のサービス・エリアなどには必ず「ゲーセン」があるのですが、殆どが日本製のゲームマシンで占められています(セガ、ナムコ、コナミなど)。あるところには、「東京警察」というロゴが入ったパトカーのレーシング・ゲームが置いてありました。

このように、サービス業全般はともかく、アニメやゲームソフトなどコンテンツ産業と呼ばれる一部の業種では、いまや日本が海外で強い競争力をもっているのは確かなようです。


2004年10月25日(月) 第62-63週 2004.10.11-25 南ウェールズ

先々週、週末を挟んで3泊4日の南ウェールズ旅行に出かけてきました。ウェールズは、人も風景も明るくて、前回(4月19日、参照)に続いて好印象を受けて帰ってきました。

(カーディフ Cardiff)
ロンドンから高速道路M4を真っ直ぐ西へひた走ると、約三時間でウェールズの首都(という表現は少し変ですが)カーディフに到着します。
カーディフが正式にウェールズの首都になったのは1955年と最近のことです。カーディフは、英国らしからぬ活気と華やぎを体感することができる町でした。町を少し歩いただけで、どこか古ぼけたロンドンの風景と違って、日本の新興都市に類似した雰囲気が感じられました。

町の中心には、歴史を象徴するカーディフ城と現在のカーディフの象徴とも言えるミレニアム・スタジアムが目と鼻の先の距離で建ち並んでいます。ミレニアム・スタジアムは、収容人員が7万人以上という巨大スタジアムです。英国で唯一の開閉式屋根を装備したスタジアムであり、その偉容が観光客の目をひきます。このスタジアムは、1999年のラグビー・W杯(ウェールズ他主催)にあわせて竣工されました。

(ガウアー半島 Gower Peninsula)
一日目の宿は、カーディフから更に西に小一時間走った場所にあるウェールズ第二の都市スウォンジー(Swansea)近くのB&Bに取りました。スウォンジーは、ガウアー半島の根元に位置する港町です。
ガウアー半島は、美しい海岸線の景勝地が有名です。かつて英国国内の自然の海岸でベストワンに選ばれたことがあるそうです。翌日に我々が立ち寄ったスリー・クリフス・ベイやロッシーリ・ベイからも絶景を望むことができました。
スリー・クリフス・ベイは、半島の真ん中あたりにあります。幹線道路から逸れて車一台がようやく通れる細い道をだらだらと下っていき、車二台分程度の草地に車を停めると、山あいから絵に描いたような海岸風景が開けていました。

ロッシーリ(Rhossili)は、さらに一時間ほど車を走らせた半島の先端にある海岸です。道路の行き止まりにある駐車場は断崖の上にあります。右手に見える崖の下には、数キロにわたる美しい白砂の砂浜があり、陸の側のロッシーリ・ダウンと呼ばれる丘陵地が柔らかい陽の光を受けて明るく輝いていました。
岬の突端まで延々と歩道が続いており、断崖の上では羊がのんびりと草を食べていました。断崖の途中にへばりつくようにして点々と羊がいたのも印象的でした。草は崖の上にもたくさん生えているのに、どうしてあんなに恐ろしい崖を下りて行く羊がいるのかよくわかりません(それにしても、英国はどこに行っても羊がいます)。
ロッシーリの海岸線は、ナショナル・トラストにより管理されています。ぽつんと建っているナショナル・トラストのショップの横には、ベビー・チェンジ(おむつ替えスペース)のある清潔なトイレが併設されていました。ロッシーリは、幼児を連れてのんびりと時間を過ごすには最適の場所でした。

(ペンブルックシャー・コースト国立公園)
ガウアー半島の西隣に突き出ているウェールズ南西部の海岸一帯は、国立公園に指定されています。
この地方にまつわる歴史上の人物といえば、ヘンリー七世です。ヘンリー七世は、ペンブルックシャー城で育ち、後にウェールズ南西部から軍をあげてリチャード三世を破り、バラ戦争に終止符を打った人物です(シェークスピア「リチャード三世」などでお馴染みの歴史ストーリー)。

この地方は、もう一人、ウェールズにとって重要な人物を輩出しました。国立公園の最西端にある町セント・デイヴィッズは、ウェールズの守護聖人である聖デイヴィッドが誕生した町です。12世紀に建てられた立派な大聖堂があり、中世の時代からウェールズにおける巡礼の地になっていたそうです。
町から30分ほど走ったところにあるセント・デービッド岬(St.David’s Head)は、夏には海のレジャーが盛んなところのようでした。海岸から岬の先端へと、崖沿いをのぼっていく道がついていたので、4か月の長女を身体に縛り付けてちょっとした登山にチャレンジしました。30分ほどのぼったところでようやくナショナル・トラストの標識が出てきたのですが(ここの海岸もナショナル・トラストのプロパティ)、ゴールはまだまだ遠そうだったので、ここで引き返してしまいました。そこまででも、崖の上からの海の眺めは絶景の連続でした。

(ホワイトホール・ロッジ)
二〜三日目の宿は、観光都市テンビー近くにあるホワイトホール・ロッジ(White Hall Lodge)というB&Bにしたのですが、ここは我々がこれまで英国で泊まったB&Bのなかで最高の宿でした。
宿は主要道路から外れた人里離れた静かな場所にあり、清潔で近代的かつお洒落な設備が整ったゆったりした部屋と居心地のいいダイニング・ルーム、広くて手入れの行き届いた芝生の庭があります。グラウンド・フロアー(一階)だけの建物が、なにか落ち着いた気分にさせてくれます。このB&Bは、もちろんchildren wellcomeであり、暖かい季節だと庭で子供を遊ばせることもできるでしょう。
ホストの老夫婦(ボブとラス)のホスピタリティあふれるもてなしも素晴らしいものでした。それぞれの品が丁寧かつ上品に作られたトラディショナル・イングリッシュ・ブレックファーストは、概念矛盾のような気もしましたが、やっぱり美味しかったです。
B&Bとして望みうる最高の宿でファミリー・ルームが一泊60ポンド(家族全員で)というのは、破格の安値といえましょう。

ホワイトホール・ロッジでは夕食が出ないため、ラスにお薦めの近隣レストランを紹介してもらったのですが、紹介されたレストランのレッドバース・ロッジ(Redberth Lodge)もびっくりするほど素晴らしい雰囲気のレストランでした。ロッジ風の広い店内は、ウェイティング・バーのあるお洒落な作りなのですが、店員はたいへん気さくで、あちこちで客と談笑している様が見られました。Children wellcomeであることも家族連れとしては安心です。

(ブレコン・ビーコン国立公園)
最後の日、ロンドンへの帰途にブレコン・ビーコン国立公園に立ち寄りました。ブレコン山を中心とした四つの山脈から成る広大な公園で、手つかずの雄大な自然風景を眺めながらのドライブを存分に楽しむことができました。それぞれの山が800メートル程度という手ごろな高さであることが、見る楽しみを倍加させている感じでした。
園内にはいくつかの見所があるのですが、我々は欧州最大級という鍾乳洞(The National Showcaves Centre)に入ってきました。暗くて不気味な鍾乳洞探検に長男はややビビリ気味でしたが、面白い体験ができたのではないでしょうか。

私にとって特記すべきは、ショウケイブ・センターを出てすぐのところにあるパブGWYN ARMSです。ランチを取るためにたまたま立ち寄ったこのパブは、たいへん素晴らしいパブでした。
GWYN ARMSはフリーハウスで(フリーハウスについては、5月10日、参照)、店主である丸太のような腕のいかついおやじが、おいしいこだわりのビールを飲ませてくれます(一杯だけしか飲んでおりません。為念)。プレイ・グラウンドを併設したこのパブはchildren wellcomeで、おやじをはじめとしたすべての店員が気さくで明るい雰囲気にあふれていました。
おやじは手があくと、各テーブルを回って一言二言の会話を楽しんでおり、我々のテーブルに来た時も長女を抱き上げて”so cute!”とだみ声で言ってくれました。料理も売りにしているパブであり、私が食べたオムレツは掛け値なしのおいしさでした。


2004年10月11日(月) 第61週 2004.10.4-11 ウェールズが消えた?、英国人の15%は無宗教

(ウェールズが消えた?)
先週、欧州委員会による前代未聞の大失態がちょっとしたニュースになりました。
EUの行政機関である欧州委員会では、毎年、“Eurostat Year Book”というEU各国の統計に関する年鑑を発行しています。この年鑑の表紙全面にはEU加盟国から成る欧州地図がレイアウトされているのですが、先週リリースされた2004年版の表紙地図を目をこらしてよく見ると、英国の地図が微妙にほっそりしています。なんとウェールズ地方だけがすっぽりと抜け落ちた地図だったのです。
委託先のデザイン会社によるコンピュータ・グラフィックスの操作ミスによるものだったようですが、当然の事ながら欧州委員会は平謝りでした。

この一件、英国(とりわけウェールズ)にとっては失礼極まりない話だと思うのですが、明らかに作業上のミスによるものであり、英国のメディアは冗談交じりに伝えていました。
例えば、10月6日付のタイムズ紙は、「8000平方マイルの土地と290万人の人々と無数の羊がそこから消えている」とし、「これは気候温暖化の影響による海水の上昇が、3650フィートのスノードン山ですら埋没させることを示している」と続けています。また、同日のFT紙は、「昨日ブリュッセルの本部から英国のユーロスタット事務所に送られたはずの同書は英国に届いていなかった。多分英国の事務所が南ウェールズのニューポートにあるからだろう」という具合いでした。
タイムズ紙によると、ウェールズ人もこの失態に呆れつつ一笑に付しているそうです。

ただし、冗談で済まなかった人もいます。本件が発覚した先週前半は、野党・保守党の党大会が実施されていたのですが、現党首のマイケル・ハワードはウェールズ出身だったようです。折しも今年の保守党・党大会の主要テーマの一つが、EUとの関係見直しであったこともあり(9月27日、参照)、ハワード氏は「それ見たことか」と言わんばかりにEUへの攻撃材料にしていました。欧州委員会にとっては誠に間の悪い話でした。

(長男のスクール・ライフ)
英国の義務教育は5才から16才までです。九月の時点で5才になっている子供は、プライマリー・スクールと呼ばれる小学校に入学します。
そして、義務教育が開始される前の一年間は、幼稚園に当たるレセプションという過程があり、更にその前の一年間は保育園(或いは幼稚園・年少組)に当たるナーサリー・スクールに通うのが一般的です。

うちの長男は、今年九月時点で三歳なので、先月から地元の私立ナーサリー・スクールに本格的に通い始めました(基本的に午前中だけですが)。早速クラスで一番のヤンチャ坊主として先生から目を付けられているらしく、迎えに行く妻は毎日のように先生から注意を受けているようです。言葉がわからない代わりに、コミュニケーションにおいて肉体言語を激しく活用しすぎるきらいがあるらしく、困ったものです。いじめられて泣いているよりはいいのかもしれませんが。
ただ、様子を聞いていると、どうも白人のこどもたち(クラス・メートは、うちともう一人の日本人の他は全て白人)が、余りにお行儀が良すぎるのではないかという気がしなくもありません。長男のスクール・ライフは始まったばかりであり、もうしばらく様子をみる必要があるでしょう。

(英国人の15%は無宗教)
前回、「英国人の個人や社会の中心に宗教がしっかり根付いている」と書きました(10月4日、参照)。国の歴史や政治と深い関係を持つ英国国教会(アングリカン・チャーチ、正確にはイングランド国教会)を擁する国であり、どんな町にも必ず教会が建っており、さらに移民の人々もムスリムなどの敬虔な信者が多いので、大きく間違ってはいないと思うのですが、一方で最近の英国の若者の間で教会(キリスト教)離れが進んでいるということも耳にします。

11日、英国政府は2001年に実施した国勢調査の中から、英国人の宗教に関するデータのプレス・リリースを行いました(宗教が国勢調査の調査項目に入ったのは初めてらしい)。それによると、英国人の15%(860万人)が「無宗教」と回答したそうです。最大の勢力は当然「キリスト教」で72%(4100万人)、次が「ムスリム」(160万人)だそうです。
やはり数字上は、英国はキリスト教の国といって間違いなさそうですが、政府のプレス・リリースで焦点が当たっていたのは「7人に1人が無宗教」という結果でした。


2004年10月04日(月) 第60週 2004.9.27-10.4 外国人に日本を説明する困難、流暢な日本語を操る英国紳士

イチローの大リーグ記録更新は、日本と米国では大ニュースになっていると思いますが、こちら英国では残念ながら全くと言っていいほど報道されていません。BBCのウェッブ・サイトでイチローのニュースを見るためには、SPORTの中のUS SPORTというセクションに入らないといけません。

(外国人に日本を説明する困難)
外国人に日本のことを説明するのは難しい、とはよく言われます。英国人と話す際にこれを実感することがしばしばあります。英語力の貧困さと日本に関する説明能力不足が相俟って、じぐじたる思いをした経験は数限りありません。例えば、日本人にとっての宗教とか日本と西洋文化の関係の問題を論じる時、必ず袋小路に迷い込んでしまいます。

前者は、宗教が社会や個人の中心にしっかりと根付いている英国人にとって、「自分も含めて多くの日本人は無宗教です」とか「日本といえば仏教というイメージがあるかもしれないが、仏教を『信仰』している日本人はほとんどいない」とかの説明をただちに理解してもらうことを期待するのは絶望的に難しい話です。さらに、「実は日本人の行動原理には、儒教が大きな影響を与えているという見方がある」なんて説明をしてしまうと、即座に「儒教とは何か?」と返され、ざっと説明すると「それで、どんな神を信仰している宗教なのか?」「神のようなものはいない」「それは宗教ではないのでは?」という展開になり、話は余計にややこしくなります。

(「明治維新」の意味)
日本と西洋文化の関係を説明するのもかなりの難題です。
先日、英国人に対して日本が西洋化に走る歴史的経緯を話す中で、明治維新(the Meiji Restorationと訳される)に言及する機会がありました。明治維新というのは、a kind of bloodless revolutionであり、約300年間にわたって鎖国政策を続けてきた政権が転覆して、明治維新を境に西欧の文物が日本にいっせいに流入してきたというような説明をしたところ、「だいたいわかった。けど何で”Restoration”って言うのかが分からない」と切り返されました。なぜRovolutionと言わずに、回復とか修復という意味のRestorationを用いるのかと。
恥ずかしながら、その時は「う〜ん」と黙ってしまいました。もちろん、答えは王政復古(大政奉還)にあるわけですが、それに気づいたのは後日のことでした。よくわかっているつもりの日本のことでも、意外な角度から問い返されるとたちどころに答えに窮してしまうことがおうおうにしてあり、実に情けないものです。
さらに、我々が英国の歴史についてある程度の知識を持っているのに対し、英国人は日本の歴史など全くと言っていいほど知らないという知識の非対称性もこういう時に実感します。

(流暢な日本語を操る英国紳士)
英国人の日本の歴史への理解度は全体的に必ずしも高くないと思いますが、現在の日本に対する関心度については、かなり高いことを感じます。例えば、最近の英国では日本食が大変な人気を呼んでいますし(持続的なブームといった状態です)、日本の映画などもしばしば好意的に紹介されています(「千と千尋の神隠し」はFT紙の映画レビューで、破格の六つ星評価がなされていました)。
このような日本に対する関心の高まりを反映して、日本語を学ぶ英国人もかなり増えているようです。背景には、以前に書いたことがありましたが、日本政府が進めているJETプログラム(期間限定の英語教師として、毎年500名以上の英国人を日本全国の学校に派遣する制度)の影響も確実にあるのでしょう(03年11月17日、参照)。

先日、バスの中でちょっとびっくりしたことがありました。
私はいすに座っていたのですが、ある停留所で50〜60才くらいの日本人のおばさん二人が乗り込んできました。あいにく席が空いておらず、二人はちょうど私の横辺りで立ったまま話を始めました。すると、斜め前に座っていた30才代後半くらいの英国人男性が、後ろを振り返るなりすっと立ち上がって、「もし良かったら、座ってください」と見事なイントネーションの日本語で彼女たちに声をかけたのです。予想外の状況に出くわした時の驚いた表情を「鳩が豆鉄砲を食らったような」と表現することがありますが、その光景を目の当たりにした私はまさにそんな顔をしてその英国人男性を見ていたと思います。
流暢な日本語にも驚きましたが、「もし良かったら」という丁寧な表現にも恐れ入りました。こんな風に席を譲る人は、日本にそんなにいないでしょう。改めて、日本語はこういう風に使うべしと学ばされる思いでした。

ただし、見事な日本語に驚いた数秒後には、同じ日本人でありしかもより近くにいるくせに高齢の女性に席を譲らなかったことで、気まずい思いがこみ上げてきました。しかし、言い訳をすると、同じ日本人だからこそ、席を譲るのがなにかためらわれるという心理が働いていたのは事実であり、また同じ日本人だからこそ二人の会話の様子から、席を譲る必要がないくらい心身共に元気なおばさんであると判断されたということもあります。実際、おばさんたちは、ろくにお礼も言わずに、さっさと座って高価な買い物の話を賑やかに再開し始めました。今度は同じ日本人として少し恥ずかしい思いをしました。
ちなみに、自分の名誉のために付け加えておくと、英国人のご老人に対して席を譲った経験は何度かあります。ただし、かの英国人男性の日本語のような立派な英語は使えませんでしたが。

というわけで、英国を旅行される際は、日本語だと周囲がわからないと思って大声で下品な事を喋ったり、英国の悪口を言ったりしない方が賢明です。


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