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2004年07月12日(月) 第48週 2004.7.5-12 F1「ロンドン・グランプリ」、リビングストン市長

英国は、7月も半ばというのに肌寒い日が続いています。このところ最高気温が二十度を超える日は滅多にありません。

(F1「ロンドン・グランプリ」)
6日(火曜)の夕方、ロンドンのど真ん中で、「歴史的」という表現が誇張ではない大イベントが敢行されました。週末にひかえたF1英国グランプリ(シルバーストーン・サーキット)に向けたデモンストレーション・ランとして、本物のF1カーがロンドンのど真ん中に位置する目抜き通りリージェント・ストリートをレースさながらに爆走しました。
この日の「コース」となったリージェント・ストリートは、朝10時から一般車両が閉め出され、午後3時以降はバスなどの公共交通機関も乗り入れができなくなりました。ローアー・リージェントの南端にあるウォータールー・プレースにピットが設けられ、ここをスタートするF1カーは、リージェント・ストリートを一気に駆け上がり、ピカディリー・サーカスを経てアッパー・リージェント北端付近にあるローラ・アシュレイの脇から小径に入って折り返し、同じ道を戻るというルートを走行します。

走る車は、今年のグランプリを走っている現役車で、ドライバーとしては92年のF1ワールド・チャンピオンであるナイジェル・マンセルをはじめ、新旧・英国人を中心としたメンバーが参加しました。出走車とドライバーは、以下のとおりです。
 1.トヨタ(クリスチャン・ダ・マッタ)
 2.ジョーダン(ナイジェル・マンセル)
 3.フェラーリ(ルカ・バドエル)
 4.BARホンダ(ジェンソン・バトン)
 5.ミナルディ(ゾルト・バウムガトナー)
 6.ウィリアムズBMW(ジュアン・パブロ・モントーヤ)
 7.マクラーレン・メルセデス(デビッド・クルサード)
 8.ジャグァー(マーティン・ブランドル)
私は、こんなエキサイティングな出来事がこの世にあるだろうかという心境で、朝からこのF1ショウ見物を心待ちにしていました。

最初のトヨタ車のスタートが午後6時40分ということで、6時過ぎにロウアー・リージェント・ストリートまで出かけたのですが、予想されたとおり、付近の通りはもの凄い人であふれており、ものものしい警備体制が敷かれていました。
ようやく入り込める人垣を見つけたのですが、それでも前から10列目くらいの位置でした。改めて見ると沿道のあらゆるビルのあらゆる窓(のみならず普段は使用していないであろう建物の屋上)には、幸運にも特等席から前代未聞のF1ショウを見物できる人たちの姿が鈴なりになって見られます。F1カーを見るために少しでも上から見物しようと、建物の壁にスパイダーマンのようにへばりついている人たちやサインボードや街灯などによじのぼってしがみついている人たちもいました。上空からは旋回している数台のヘリコプターの音が聞こえてきます。「コース」周辺は完全に非日常の世界と化していました。

さて、スタートは若干おして、口火を切るべくトヨタ車がエンジンに着火したのはもう7時前となっていました。トヨタ車から順に10分おきくらいで各車がピットを出て行きました(各車3分程度で帰還)。私はそのころまでにじりじりと前進して前から5列目くらいのところにいたのですが、大きなイギリス人に囲まれて、残念ながらF1カー自体は1ミリたりとも目にすることができませんでした。
ただし、目の前数メートルを加速していくF1カーの迫力は十分に体感することができました。スタート前にギアをニュートラルにしてエンジンをふかしている時のキューンキューンという高音と、目の前を通り過ぎる際の爆音、そして地響きは想像をはるかに越えたものでした。
ピット近くにいたために、帰還した各車がパフォーマンスとしてスピンターンを演じる「音」を聞くこともできました。音だけではなく、もうもうと何十メートルもわき上がる真っ白いタイヤスモークはしっかりと目にすることもできました。

(ロンドンGPが実現?)
ところで、ここで二つの疑問があろうかと思います。第一にどうして「ロンドンGP」なるデモンストレーション企画が実施されたのか。第二に、何でそんなことが実現可能だったのか。
これらの答えの根っこには共通の問題があります。それは、伝統的に英国GPが開催されているシルバーストーン・サーキットの老朽化が甚だしく、財政的な問題を含めて同サーキットでの英国GP続行が危ぶまれる事態が持ち上がっていることです。今回の「ロンドンGP」は、英国GPを盛り上げるための企画として実現されました。ただし、単なるアドバルーンとして行われる企画としてはあまりにも大々的です。実は、この企画は、シルバーストーンの代替案として浮上している本物のロンドンGP実施への布石の意味も持っているのです。市街地コースを走るF1レースとしてはモナコGPが有名ですが、同様の市街地レースをロンドンで行うというプランが、かなり本気で検討され始めています。

現在、シルバーストーン・サーキットの契約は2006年まで残っているのですが、現状ではその後の契約延長の可能性は限りなくゼロに近いとみられています。このような事態を受けてロンドンでのF1レース開催の噂はかなり前から浮上していました。今回、各メディアをみていると、内外のF1関係者をはじめ大方のロンドン市民の意見としても、2007年以降のロンドンでのF1レース実現を望む声が高まっているようです(正式には、2006年までのシルバーストーンの契約も今年9月末まで未確定とのことで、早ければ来年からロンドンGP開催の可能性もある)。
ロンドンGP推進派のメディアの論調は、概ね次のような感じです。第一に、モナコでできていることがロンドンで出来ないわけがない。第二に、ロンドン・マラソンができてF1レースができないわけがない。第三に、ロンドン、ひいては英国に対する有形無形のプラス効果は計り知れない。一部メディアは、ロンドンGP開催が実現した際のコース予想という、わくわくするような記事で盛り上がっていました。

ただし、ロンドン市街地でのF1レースという破格のイベントが、そう易々と実現できるはずはありません。予選を含めて三日間に渡って大都市ロンドンの中心市街を封鎖することのフィージビリティや安全への配慮、環境への問題、バンピーなロンドンの道路の修復にかかるコストなどの問題があります。そして、もちろんF1に対してなんの興味もない多数の市民に対して、騒音や生活・ビジネスにおける不便などの負担を強いることの問題もあります。
「ロンドンGP」翌日、その熱狂と興奮を伝えるメディアが多数を占めた中で、(私の知る限り)上記のようなネガティブな市民の声を大きく取り上げていたマスメディアは、左系新聞のガーディアン紙のみでした。

(リビングストン市長)
今回のデモ・ランを含めて本物のロンドンGP実現に向けて強力な推進役となっているのが、ロンドン市長のケン・リビングストン氏です。
先月実施されたロンドン市長選挙で再選を果たしたばかりのリビングストン氏は、ロンドナーが誇る(?)名物市長です。政治家としても一般市民としても型破りな言動が目立つリビングストン氏は、しばしば石原慎太郎・東京都知事と比較されます。ただし、政治的立場は正反対で、極右ともいえる石原氏に対して、リビングストン氏は極左の立場であり、レッド・ケンというニックネームを持っています。
リビングストン氏の型破りで過激な言動の実績を一部ご紹介すると、80年代にロンドン議会のリーダー(労働党)として当時のサッチャー首相(保守党)と大喧嘩、90年代には労働党の党首であるブレア首相と大喧嘩をして労働党を出奔(ただし、今年になって復帰)、昨年11月のブッシュ米大統領訪英の際にはブッシュ訪英反対デモの先頭に立ち、「ブッシュは地球上の生命に対する最大の脅威。大統領の政策は人類を絶滅に追いやる。私はブッシュ氏を正式な米国大統領とは認めない」と公言、市庁舎にて「ブッシュ氏を除く全ての人々を歓迎する平和パーティ」を開催、といった具合です。

今回、ロンドンGP開催に向けてリビングストン氏は、次のように言っています。「我々は真剣にロンドンGPを検討している。(F1を仕切っている)FOCA会長に対しても本当にロンドンでF1レースをする気があるのなら、万難を排して協力する旨を伝えてある。我々はすでに、王室や警察とも話をつけてある。みんながF1レース開催はロンドンにとって非常に大きなプラスをもたらすと思っているのだ。(中略)モナコでできることがロンドンでできないわけがない」。
今回のデモ・ランにしても、誰がどこをどう仕切ればこんな大それたイベントが実現できたのか、たいへん興味深いところですが、名物市長リビングストン氏の怪気炎がどこまで実現性を帯びてくるのか、今後の展開が大変に注目されます。


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