ちちやす日記   こんげつぶんきのうあしたかこぶん


2002年03月25日(月) 沖縄の空がしのばれる
壷屋焼の湯飲みを入手。本当はぐい飲みらしいけど、こぶりで手にしっくりなじむので、上等のお茶をゆっくり楽しむのに良い感じ。うええん沖縄が恋しいようー。宮古島行きたいようー。
あーもう更新がバラバラで追いつかないしー。こんなの日記じゃないやい。と俺も思うよー。


2002年03月20日(水) 連休中は留守にします(業務連絡)
業務連絡。明日から不在ですので、更新は来週に入ってから(25日以降)。たぶん遅れる見込みです。
ストレスのたまっているときこそ、なんとか発散したいものだけど、いかんせん身動きが取れない。なにもかも忘れて遊びに行きてぇ(ムリ)。4月になったらお誘いくださいませ。>皆様


2002年03月19日(火) 夜はすこし風が冷たかったね
 昨夜来の腹痛が悪化。朝、休むか休むまいか悩んでいるところに電話がきて、同僚も病院行くから休ませてくれないか、だと。うわー。頼むから出てきてくれよ、俺も行くから。哀願。
 半日様子を見て、なにも食べられないままに昼頃出勤。同僚は結局1日休むことになった(くそー)。なにもこんなときに、っつーかタイミング最悪だ。こーゆーとき、要領の悪いほうが穴埋めするはめになるんだ。絶対。
 やヴぁい案件をなんとかする、延ばしてもいい案件はあした同僚に責任持ってやらせることにする。やるべきことは突貫でやる。そしてなんとか1日が暮れる。

 昨日置いて帰ったストマジを乗って帰る。夕刻の渋滞にげんなり。エンジンの調子が悪い、またキャブだったらヤだなあ、と思ったが、試しにリザーブにしてみたら、ちゃんと走った。はっはっは。何度同じことで悩んだら気がすむのだ俺。とゆーことで、帰りがけに給油。レギュラー満タン。

 ただきちさんと池袋へ。それぞれ所用をこなす。帰省用の切符を頼もうと旅行社に行くが、ちょうど閉店時間を過ぎてしまってどこもだめだった。なので、おとなしくJR「みどりの窓口」に並ぶ。職員が親切な人で、禁煙席の空きや前後の列車まで調べてくれた。ありがたや。やはり連休で指定席はほとんど取れず、接続の良い列車には乗れそうもない。行動を起こすのが遅かったので仕方ないのだ。自由席でも始発駅乗車だから乗れないこともないし、なんとかうまくやろう。

 ともかくも予定がはっきりしたので、実家に到着予定時刻を連絡。当日の夜に家族(親族)会議をやるそうだ。ひー。気が重いなあ。
 入院中の祖母は、来週あたり退院できる見込み。やったー。ただし喜んでばかりいられないことには、家で介護するためのベッド等をなんとかできるのか不明、おまけに絶対的人手不足、そんな問題も発生する。考えてもしょーがないが、どうすんだよオイ。他人事のよーに言ってみる。

 ごく内輪のみで葬儀を行ったので、ただきちさんは参列してもらわなかったが、今回は行って手を合わせてもらうことに。しかし仕事が押していて、帰京予定も変更することになってしまう。
 さっき取ったばかりの切符を持って駅に行き、乗車変更の手続き。1回だけなら変更は無料でできるので、手数料のかかるキャンセルをするよりも良いのだ。ということを知ったのは就職試験で上京したときだったなあ、などと思い出してみたりする。

 大きいマンガ専門書店で、ここにタイトルを書いていいものか判断に迷う(よーするに18禁:って、書いたも同然!)コミックスを3冊購入。探していたのは1冊であったが、既刊と続刊を各1冊発見したのであった。

 胃具合(造語?)、やっと空腹を感じるまでに回復してきた。夕飯は控えめにとる。洗濯して、サプリメントと抗アレルギー薬のんで、比較的早めに就寝。……のはずが、結構おそくなる。いかんなー。布団に入って15秒くらいで意識を失ったのではなかろうか。

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 昨日はつぼみが多かった桜並木が、一夜にして花ざかり。夜空を背に鮮やかな白い衣装をまとって、重たげな枝を風に揺らす桜樹。まだ咲いたばかりの桜花は、冷たい風にも花びらを散らすことはない。肌寒い風が吹いて、それでも春。

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 給油(前回12/11)、環七側道いつものスタンド
 1044.6km :
  884.0km : 5.53リットル(@93円:前回93円)
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 160.6km → 29.04km/リットル
       (前回 29.79km/リットル)

 満タンで約160km、次回は1,204km付近で給油。


2002年03月18日(月) はるのあめ ぬれていこうか
わははは。『ヒカルの碁』は海外でもこう思われている
 伊角さん美形になったとは思ってたが、並べてみてこれほどとは……
土日で生活サイクル狂い、明け方まで眠れずに困った。当然ねむい。
ひさびさ(二ヶ月ぶり?)でストマジ騎乗。現在の走行距離は約1035km。
 定期点検のお知らせが買ったバイク屋から来てたけど、あそこ遠いからなー。
三台目は絶対に飼えないが、KSR80 ほっすぃー。
いまさら花粉症について読む。身体を温めるものを飲食するのは良いらしい。逆に、ペットボトル飲料は冷やすので良くないと。熱いお茶を飲むのも、多少は効いていたということか。

1日ぶん、すこし追加。なかなか書き終えることができない。

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 タイトル:帰りがけに雨になり、ちょっと迷ったけど、バイク置いて傘さして帰ることに。すぐに降り止んで、乗って帰れなくもないなと思ったが、自信ないときに乗るのは不安だったのでやめておいた。
 朝、桜並木の下をバイクで走って、つぼみがいまにも咲きそうにふくらんでいる気配。日当たりの良いところではだいぶ咲きほころんでいる。

 あちこちに手紙と電話。
 電話口の母の口調に、ほんのすこしの弱音。でも、頼られると辛い気持ちもある。自分が立っているだけで精一杯だから、よりかかられたら一緒に倒れてしまう。どんなときでも、過剰な感情移入をしないように、できるときにできることをやろう。必要以上に背負い込んではいけない。そう必死で自分に言い聞かせるが、ちょっと胃が重苦しくなる。

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 「世界まる見え! テレビ特捜部」を見ながら夕飯。

 フリーダイビングの話題をやるというので見ていたら、スキンダイビング中にサメに襲われた話題もあった。地域にもよるだろうが、そんな事故もあるのか。おっかない。そのときはメンバーが適切な応急措置をとることができたので、重傷なのにレスキューの到着まで数時間という状況であっても、生命をとりとめることができた。レスキュー講習を受講したとしても、自分なら、そんなには動けないだろう、それでも講習は受けておかねばならないだろうなと感じた。海に限らず、いつどこで何が起こるかわからないんだから。

 フリーダイビングの話題は、トルコ出身、21歳の女性ダイバー、ヤズミンさんを取材したものだった。若くて才能があり、良い(厳しい)コーチにも恵まれて世界記録をふたつも更新(さらに、競技には関係ないけど、かなりの美人!)。天は彼女に才能を与えたけれど、そのうえに本人の努力と、花開かせる環境があったからこその記録達成だ。トップアスリートの過酷な世界、ものものしいサポート体制。そして、厳しくともそれ以上に人を魅了する力を内包した競技だと思う。

 競技に出たいとか出られるとかは毛頭思わないが、海への憧れは強くある。スキンダイビングは楽しいし、その延長として、フリーダイビングに挑戦してみたい気持ちも。機会も手段もあることを知っているのに踏み出せないのは、やっぱり覇気が足りないのだ。

※JASのサイト(リンクについての記載ないのでURLだけ)
 http://www3u.kagoya.net/~jas-apnea/

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 胃の調子が良くないのに夕食をちょっと食べ過ぎたか。胃もたれを感じながら就寝。


2002年03月17日(日) 道の途中、笑って歩くことにする
親の背を見て子は育つ、親はなくとも子は育つ。反面教師というのもあるよ。
『サイボーグ009』、新シリーズ突入。1話完結じゃなくなったのは放送延長になったから?
改編期、3月末でいっぱい番組が終わる。とくに長寿番組の終焉には一抹のさみしさ。
 『知ってるつもり』「ティプトリー編」はついに実現しなかったなあ。見てみたかった。

 体調不良につき、出歩かず家でおとなしくしてた(=いつものよーにだらだらした週末であったということ)。同人誌の〆切がのびたので、なにか描いて送ろうと思ってたのに、思っただけ。気分的にエンストしっぱなし。嘆息。

 洋画劇場の『ナッティ・プロフェッサー』が面白かった。吹き替えの山寺宏一さんがまたすげー。二枚目も三枚目も、ギャグもシリアスもオカマ声まで、七色の声と芸がすばらしい。存在を意識したのは比較的最近なのだが(加持さん(エヴァ)のときですら注目してなかった)、意識してみると、実にいろんなところで声を耳にする。『宇宙船レッド・ドワーフ号』のキャットの声もこの方だったなー。以前から「声のいい人」にはヨワいのだが、「芸達者な人」にもヨワいと判明したようだ。

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 週末、『彼氏彼女の事情』のDVDを見ていた。だいぶ忘れている。いや、かなり、ものすごく(主人公たちのフルネームを覚えてないくらい)忘れていた。大事なこともそうでないことも、えらい勢いで記憶が消えていっており、常にリフレッシュしないといけない。加齢のせいか生活様式のせいか、辛いことを忘れたい潜在意識のなせる技か、たぶんそれら全部の複合効果だろう。なんにせよ難儀なことだ。

 奥手と言えば聞こえはいいが、ひたすらガキでオタクだった自分は、中・高校生時代には、恋愛するなどと考えたこともなかった。振り返ってみると、だいぶ人生ソンしたんじゃないか、と思うけど、精神的に成熟してなかったんだから仕方ない。現在だって年齢不相応にガキのままでありたいと思っていて、それはそれで問題なのだが、また別の話。
 そーゆー甘酸っぱい後悔と追憶と思い出とがもろもろ噴出しつつ、ドラマを楽しみ、登場人物に感情移入しては一緒にこころを痛めたりもする。有馬くんも宮沢さんもとてつもなく努力家で優秀なので、ナマケモノの自分には、その精神世界は計り知れない部分が多々あるのだけど、それでも青年期のナイーブさには共通のものがあろう(と思いたい)。

 宮沢父の昔話、いまの自分には直球で胸の真ん中にぶつかってきた。愛情深く育ててくれた祖父に恩返しがしたかった父の気持ち、それが果たせなかった悔しさ。原作を読み放映を見たときにも泣いたけど、今回もまたぼろぼろ泣いた。あーほんとにここんとこ、泣いてばっかりじゃん俺。
 もちろん亡父のこととオーバラップして泣けまくったのだ。たくさんたくさん恩を受けて、独り立ちするまで育ててもらって、最後は背中を向けたまま別れてしまった。ケンカしてたというのではないけど、父はこちらを向いていなかったし、自分も正面から見ることをしなかった。きちんと向き合う努力をしていたら、もう少しだけ後悔しなくてすんだかも知れない。

 親から受けた恩は子に返せばいい、と聞く。自分は子を生すことができないかも知れないから、せめて幸せに日々暮らしていきたい。遺伝子の半分とそそがれた愛情と、それを元にして自分で掴んできたものに、感謝と誇りを抱きながら。
 


2002年03月16日(土) 桜前線がかろやかに東京を駆けていった
16日、関東でソメイヨシノ開花宣言。暖かい日が続いて、すっかり春の陽気。もう一回くらい寒くなるかも知れないが、季節が移り変わってゆく気配がくっきりと。
というニュースだが、花粉を避けて陽光も浴びずに引きこもっている俺には関係ないね。行き付けのダイビングショップが連休中、練習会帰りに花見やるらしい。出たいけど田舎に帰ってるので出られない。がるるる。
職場での花見も、何年もやってないな。ハンズで買った「もじもじくん」スーツを着て井の頭公園の池に飛び込んだ@君、家の都合で田舎に帰っちゃったK君、いまはどうしているだろう。
桜前線は目に見えないが、薄いピンクの油性マーカーで引いたような、輪郭のにじんだ太いラインが、地図上をじりじりと移動していくような気配。うわ、いま頭上を通貨した。通ったあとには花びらがひらり。という案配な気がする。
 あるいは、うすぎぬをまとった桜の精が、風に乗ってふわりふわり、かすみのかかった春の空をよぎっていく。やわらかな陽光のもとで桜のつぼみが音もなく、いつのまにか花びらを広げている。

 いかんなーと思っていたら案の定、坂道を転がるよーに体調が悪化。常備薬の鎮痛剤を飲もうかと思ったけど、花粉症のと飲み合わせを聞いてなかったから、大事をとってやめておく。お茶飲んでじっとしてると少し、ましになってきた。低電圧か。絵を描かねばとスケッチブックを広げてみても興がのらず。「描かねば」でなく「描きたい」気持ちには、なかなかなれぬ。どこかに何かを置き忘れてきたか。

 週末にしかお話できない人のいる(いつもと違う場所の)チャットに行ってみる。うまいこと出会うことができ、話が弾んで(先方が合わせてくれていたと思うけど)、ちょっと夜更かし。この日記を読んでくださっているとのことで、お悔やみの言葉をいただく。読んでもらえたことが嬉しく、気遣いもありがたい。
 公開日記は自分の心覚えだけでなく、近況報告の機能もあるが、読んでもらえてこそ。こうして文をつづることに多少の意味があると知るのは、支えになり励みにもなる。


2002年03月15日(金) 休日前のハチミツのよーな時間
無印良品でお買いもの。ドライフルーツ、ハイネック・ノースリーブの春物ニット(紺基調)、お弁当箱用バンド(ベージュ)。バンドは、手帳を止めるゴムがゆるくてはずれやすいため、代わりにならないかと。はめてみたらジャストサイズでたいへん具合がよろしい。嬉しい。
東急でヨーグルトほか。タイムサービスで半額のおかずなど買う。
マニアックな書店、高円寺文庫センターへ。ある職業に就くための本をパラパラと見て、自分は根本的にカンチガイしていたなあと思う。やや途方に暮れる。→こんな書き方では、自分でも後でわからなくなりそう。
ヒロセでパン多めに買う。ベーコンエピがあったので2つ、クルミパン、黒パン。ラスクもあったが、ガーリックでなく甘い方だったので見送り。ガーリックのはたまにしか出来ないそうだ。不出来なパンを安く売っている日などもあり、手作り感満載のパン屋さんだ。表の貼り紙に「暖かくなってきましたので、手作りカスタードクリームは秋までお休みです」とあった。そんな良いものがあったとは! 知らなかったー。秋まで待つしかないのか。
 最近「いつもありがとう」と言われる。完璧に覚えられてしまったようだ。よほど言動が怪しかったのか。←自意識過剰。

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 職場でセクハラ防止研修。3月初旬にあったのだが、休んでいたので最後の回に混ぜてもらった。教育用ビデオがとてもわざとらしい演技の連続で、場内に失笑がもれる。うちにはセクハラなんてないと思ってたら、じつは配置変えになるほどの深刻な事例があったと知った。そんなことがあったのか。
 性別年齢立場さまざまな人が行き交う職場、お互い気持ちよく働きたいものだ。と、とってつけたよーにまとめてみる。

 うちに帰って、かなり多めの夕食をしたため(安いからとうっかり買いすぎてしまったり、残りものを忘れていたりなど。またデブるぞー)、『恐怖新聞・平成版』などを読み(25年ぶりの新作だそうで、無茶な企画だ。絵も話も、ずいぶんと薄味だった)、ぼーっとしているうちに『トリック2』の時間になった。わーい。面白い面白いと書いているが、じつはあんまり熱心に見ていない。とゆーか、ストーリーを追っているわけじゃなくて、あの独特で珍妙な空気を味わうのが好きなのだ。ひどいときは本を読んだりしながら、ギャグっぽいとこだけ見て笑っている。とてつもなく失礼でイイガケンだが、ミステリは好きでも謎解きができたためしがない自分には、こんな見方がちょうどいいような気がする。
 敬愛するKさんの日記では「1のほうが面白かった(2は菜緒子がオーヴァーアクト気味云々)」とあり、知人のメルマガでもあまり良い評価ではなかった。自分は1を見ていないために2を素直に楽しめているようだ。おかげで幸福な数ヶ月を過ごすことができて良かったのだが、その幸福も来週でおしまいである。さみしいのう。

 休みの前の晩。少々夜更かししてもいいんだと思う、黄金の時間。お茶飲んで雑誌ながめてPCをネットにつなぐ。チャットに行ったっけ。いやたぶん、ささっと掲示板定期巡回してメールチェックして、眠くなったから寝ちまったんだよ。


2002年03月14日(木) お茶は花粉症に効くのだろうか?
3/6 ぶん追加。
年度末で異動や退職の噂が聞こえる時期。自分は動くかなー。微妙。

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 たらこ御飯。イクラほどじゃないけど、魚卵全般に好きで、たらこもかなり幸せの味。薄いピンクのを御飯にのっけて、はふはふ食べるのはウマー
 食後にはりんご。箱でいただいて、お裾分けしてもまだたくさんある。熟れて柔らかくなってきているから(「みそになった」という言い方は方言か?)早く食べねば。お茶をたっぷり。

 努めてお茶を飲むようにしてから、アレルギーが軽減したような気がする。投薬しているので主にその効果であろうが、甜茶(てんちゃ)だけでなく、緑茶や烏龍茶も効くのだろうか。逆に、清涼飲料水を飲まなくなったのが良かったのかも知れず。対症療法とともに、良さそうなものはトライしてみようと思う。しかし甜茶の独特な風味には、なかなか慣れることができない。

 嫁ぎ先の家が建替え中でアパート住まいの妹が、公衆電話から電話をくれた。兄の様子、実家の諸問題、義姉の心配など話し合う。近くで見ているだけに、自分よりも妹にとって実家の問題は切実だ。とっとと家を出て遠くで気楽に暮らしていることには罪悪感を覚えるが、かと言って自分の生活を投げ出して援助することもできない。妹も同じだ。不満や不安に出口はなく、結論も出せず、ともかく連休にまた行くので直接話をしようと決めて電話を切る。

 チャットに行ったら久しぶりの人がたくさん来て、うっかり長居してしまう。寝不足がわかりきっているのに、意志が弱い自分はこれだからダメだ。「ネットに溺れるな」なんて、えらそうに人に意見する資格はない。

 田口ランディのエッセイを読んだからじゃないけど、ネットとリアル、ハンドルと本名、趣味と仕事、などについてこのところ漠然と考えている。作家やまんが家、ライターなど、もの書きの人がネットにかまけて本業をおろそかにしていたら本末転倒だし、個人商店がネットで名を売っても、商売に結びつかなければ意味がない。
 目的と手段が容易に逆転することと、打ち込めば打ち込むだけ、無限に時間を消費するのがネットとPCの恐ろしさだ。うまく使えばこの上なく便利な道具なのに。


2002年03月13日(水) ちょっと食べ過ぎですよ
3/73/11 ぶん追加。
誤字脱字ありそうだけど、もうええわー(ヤケ?)
残るは、3/1 〜 3/6 のぶん。

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父のふた七日。
キノクニヤみたいな高級スーパーでおかず買う。うひー、生タラコがウマー! でもこないだ田舎で食べたタラコのほうが甘塩で美味しかった。自分は生タラコでないとダメなのに、ただきちさんは焼いたのが好きと言う。なんでだ! 焼いたらパサパサするじゃんか! タラコ煮たのはまぁ許せるけどさー。些細ではあるが相容れない一点。うーむ、半生なら焼いた皮もうまいから、そのあたりで妥協点が見出せないか、どうか(などと書いてもただきちさんココ読まないし)。
盛大に醤油をこぼしてしまったので(バカ)、あわてて洗濯。とほほほ。100円均一で買った洗面器は厚みが足りなくてへにょへにょしているけど、立派に役立つよ。
不二家でケーキ。「ペコちゃんのほっぺ(いちごみるく味)」と生シュークリーム。「ほっぺ」いまいちかも。もう不二家で買わないー。いー。
よる、実家に電話。母は祖母の付き添いで病院に行ってそのまま病院泊。義姉はだいぶ疲れているみたいだ。あんちゃ、しっかりせえっしゃ! 嫁さんを心配さすなぁ(と書いてもココ教えてないし)。

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 食事(+甘いもの)、食べ過ぎなのは自覚している。イカクチョーかも。ストレスを甘味摂取で紛らわせている、わかりやすい。ずっとプール行ってないし運動しないから、確実に太ったですよ。やヴぁい。節制せねば。ねば。

 今夜のチャットはなんとなく話が弾まず、低調。俺が低調なのか(もちろん)、みんなも不機嫌だったり弱っていたりするのか? 自分は青ざめアイコン(「ちびまる子ちゃん」のように顔に縦線の入った、マンガっぽいアイコン)のまま発言を続けた。
 サミシーからチャット行くんだよ、会話を楽しみたいのだ。ほかの人はそうじゃないのか。気分悪くしに行ってるわけじゃあるまい?
 お互い多少のサービス精神がないと場が成立しない、それは承知している。「弱ってるからできない」というのはこっちの言訳に過ぎない。
 しかし、どんな返事を期待しているのか分からない言葉に、どんな反応を返せばいいものか。こっちのアンテナがにぶっていて、相手の言わんとするところを把握できていないのか。それとも単に嫌われてしまったのか(思い当たることだらけ〜)。わからないことだらけ。ネットに関する愚痴をあんまりココに書くのはいくないと自戒してたけど、書いてしまへ(ヤケ)。

 いろいろなことを「まあ、いいか」とあきらめてしまう。執着がないわけじゃない、自暴自棄というか、あまりにいろいろあり過ぎて、ひとにどう思われるかすら、どうでも良く思えてきているからだろう。良くない傾向。
 自己分析する余裕はまだある。おのれに対して姿勢制御、外交典礼の強化、諸々猛省を要請(ダジャレじゃない)。

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先週不在だったので1回抜けた碁アニメ、院生試験に合格して面白いところなのに、作画わるいよー。悲しい。伊角さんはまだ普通(?)。これから原作のように、どんどんどんどん美形の道を歩むのか。

同じく前回見なかった『ロング・ラブレター/漂流教室』。もう来週が最終回だよ、短いよー。相変わらず特撮が安っぽくて最悪。大きな得体の知れない外敵を、明確に写さなかったのだけは成功だ。基本設定が異なる以上、原作とまったく同じラストにはできないだろうが、最後はどう見せてくれるのか。静かに期待しつつ来週を待つ。

原作『漂流教室』をやっと読了(読みたい人、貸してもいいですよ)。実にこまかく丁寧に原作のエピソードやセリフを拾ってドラマにしているのが分かる。西さんの口を借りて未来人類(だよね? ネタバレかもなのでいちおう白字で)が語る言葉など、そのまま引用になっている。大事に作られているのだなあ、と原作派の自分も嬉しい。
 子どもの頃は怖くてちゃんと読めなかったが(Q君などもそう言っていたそうだ)、いま読むと面白い。波乱の連続で飽きさせないというだけでなく、大きなテーマを含んでSFとして、物語として優れている。そして、泣かされる。最後は涙なしには読めない。楳図先生は天才だと思った。


2002年03月12日(火) 久しぶりのひとに会う
2/222/28 ぶん追加。
書いてなかったぶんは、不定期・虫食いの不親切更新になります。更新状況は、最新の日記で随時告知します。

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 中野ブロードウェイ内、とある店で、ただきちさん、Nさんと待ち合わせ。首尾よく合流を果たしたあとは、ゆっくりできる喫茶店を探してうろうろ。誰も中野に詳しくなくて、結局ロッテリアに落ち着く。

 Nさんは絵や文章や音楽など、多彩な活動をしている。わたしは同人誌即売会でお手伝いしたことがあったり、ときどき会ってお話したりするくらいの仲。「借りたままだったCDを返さねば」というのをきっかけにして3月の頭に会う予定だったのが、わたしが帰省していたので延期になっていたのだった。

 話が弾んで、解散したのは22時過ぎ。「銀だこ」のタコヤキを2舟買って、バス+徒歩で遠回りしながら帰ることになった。タコヤキは熱々のほふほふのカリカリの中身がトロリ、で大変おいしゅうございました。

 辛いことが多くて少々まいっていて、なにもする気になれないと思っていたところ、Nさんに会って話してみて、元気を分けてもらったようだ。悲しい気持ちがすぐに消え去るわけではないが、前に進むよう促してくれる人の存在はありがたい。

 明日は父のふた七日。遠くから手を合わせるとしよう。


2002年03月11日(月) 春はやっぱり道明寺
 2週間ぶりに医者へ。花粉のピークは乗り切った模様。先週、特大のピークが来ていたのだそうで、帰省していたために、ちょうど避けることができたのだ。目薬など追加分を処方してもらう。

 駅の催事場で桜餅。白い餅じゃなくて、淡いピンクの道明寺のほう。こっちのほうが好きだ。塩漬けの桜の葉、香りと塩味を楽しみながら、葉っぱごといただくのがまた良し。
 愚痴を聞いてもらいたくて(迷惑な!)ご無沙汰の方にメールしといたら「明日なら会えるよ」との返事。ああ、明日は先約が。お会いしたいがなかなか会えない、とことんタイミング悪いのだなあ。縁が薄いのだとは思いたくないが。懲りずにまたお誘いしよう。

 眠かったので早寝。夢も見ず明け方に起きもせず、ぐっすりと眠った。


2002年03月10日(日) のほほんとしている
 自堕落でもある。実家はたいへんだとゆーのになあ。それでも、全部しょいこむことはできないので、自分は自分の人生をなんとかしつつ、できる限りの人的援助もする。過剰な感情移入は悪い癖だ。

書店、ダイビング雑誌など見る。『月刊ダイバー』に田口ランディのインタビューあり。
ドイツパン店でいくつか買う。デニッシュはうまいが、フランスパンはヒロセにかなわないなー。
100円均一ショップで洗面器と洗濯ネット。3つ買っても315円だ(あたりまえ)。

 夜、あまり楽しくないチャット。荒らしのよーな人がきていて、げんなり。
 なので、仮想人格(なりきり)で乗り切る(ダジャレでなく)。素の自分であったなら、たぶんブチ切れてしまったろう。連絡を取りたい人の動向について聞く。メール送っておいたので、そのうち連絡が取れるだろうと楽観視。

 ただきちさんは昨日の続きでおでかけ。
 またも早朝4時に目が覚めて(偶然だと思ってる)、手を合わせて二度寝しようと思ったところに、ただきちさん帰宅。びっくり。眠いのに運転するのはよくないから、無理しないで泊まってくればいいのに(自分が心配させてしまったのだが)。反省しつつ、その旨つたえる。


2002年03月09日(土) きょだつ〜
 朝早く目が覚めたのであるが、からだじゅうよれよれな気分でまた寝る。起きてごはん。洗濯して干して、あとなにをしていたのだろう。いつのまにか夜になっていたような。

 通販をお願いしていた同人誌が到着。ひゃほー。通販は手間がかかるのであまりしたくないのだが、メールのやりとりで手間と時間がいくらか軽減できて良かった。対応も親切、発送迅速。内容も、可愛い絵で誠実なつくりの本で、ほのぼのなごむことができた。

 寝て起きたら午前4時。うわあ、父の亡くなった時刻ではないか。どこへともなく手を合わせる。正式な数珠がないので、善宝寺の数珠ブレスレットをつけておくことにした。
 友人のPCを直しにいったまま帰ってこないただきちさんに「起きた。また寝るよ」などと携帯メールしたら、飛んで帰ってきた。心配させる気はなかったので、こっちが恐縮する始末。


2002年03月08日(金) 雑務をこなし、笑いもする
人から借りていたMOを返却。お会いできそうになかったので郵送。
前から約束していたGIジョーの復刻版を、ようやく荷造りして発送。
東急で牛乳とヤスダ(新潟にいるときだって飲まなかったのになー)のヨーグルトドリンク。うまーい。ファンになった。

 1週間ぶりに、ゆっくりテレビを見る。『トリック2』に笑いもする。教授のマヌケっぷり、菜緒子のカミソリのような切れっぷり。ステキだ。悲しいときにこそ、娯楽が心を癒すのだなあ。


2002年03月07日(木) 日常に復帰する初日
 父の初七日を終え、昨日帰宅。
 忘れないためにも、この1週間を振り返って書いておかなければとは思うが、筆が重い。書くことは癒しになるだろうか、少なくとも心の整理をする助けにはなるだろう。

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 1週間、ゆっくり休むこともできなかったのでさすがに疲れた。午前休暇をとり、午後から出勤。同僚からお悔やみの言葉とお香典。気にかけてもらえるのはありがたい。たまった仕事がなかなか終わらず、すこし残業。
 お世話になった人、実家、友人、あちこちに手紙を書く。遠くでなにもできない分、家には連絡を絶やさないようにしよう。祖母の病状もあるし、考えなければいけないこと、手続き、懸案事項が山積みだ。泣きたくなることばかりだけれど、泣いてばかりもいられない。

 ヒロセでブランデーケーキ(日持ちする)、東急でフリカケ(子どもたちや、炊き出し?の助けになるように)など買い込む。細々したものを荷造りして、夜遅くまでやっている郵便局へ行き、実家に荷物発送。


2002年03月06日(水) 初七日を終え、帰京する
 朝からお寺に行って、初七日の法要。葬儀の日に四十九日を繰り上げて行い、納骨も済ませたとは言え、七日ごとの法要はせねばなるまい。故人を思い出すとともに、気持ちに区切りをつけてゆくためにも。

 本堂で焼香をすませたあと、住職の話を聞く。法名の話(浄土真宗では「戒名」ではない)、仏教の成り立ちから近在にある真宗の寺の数まで、興味深い話題ではあった。仏典訓話と思われる「まだ死人が出たことのない家の唐辛子の種」の話の言わんとするところは、死別の苦しみは普遍のものだということか。父親を亡くした子ども、夫を亡くした妻、働き手を失った家、うち以外にもたくさんある。悲しいのは自分だけじゃない。すぐに悲しみが癒えないとしても、前を向いて生きなさいと、お釈迦様の昔から説きつづけられてきたのだ。

 法要のあと、近所のスーパーへ買い出し。お土産用の米菓いろいろ(キオスクで買うより、こういう袋菓子のほうが安くて美味しい)、それと、父の好きだった豆入りのおかき。最後に会ったときに食べていた殻つきの落花生も買い、仏前に供える。こんなことしかできないから、せめてなにかしら気持ちを込めたものを供えたかった。

 雑用をしているうちに夕方になり、祖母を見舞ってから帰ることにして、交代要員の叔母とともに病院に車で送ってもらう。義姉が、見えなくなるまで家の前で手を振ってくれた。
 祖母はだいぶ回復してきているとは言え、無口(あるいは不機嫌)に見える。あちこち痛くて苦しいのを、じっと耐えているから無口になるのだ。おばあちゃん、と呼んで手を握っても辛そうにしている。ひ孫たち(兄の娘ふたり)が顔を見せると少し笑顔になったが、すぐにまた寝返りをうち、押し黙ってしまう。「また近々くるからね」と挨拶をし、心を残しながら病室を辞す。

 病院の最寄り駅で、特急と新幹線の切符を買う。入場券のコレクションをしている人のことを思い出して、一枚購入。すでに持っている可能性もあるけど、この駅に来ることももうないだろうから、とにかく買っておいて、あとで聞いてみよう。
 PHSはもう電池が切れそうになっていて、待ち合い室の隅にある公衆電話にテレホンカードを入れて、新潟の友人に電話する。こういうとき、また携帯の使えない病院などでも、まだテレホンカードの活躍する余地はある。「これから東京に帰るよ」と言って、ちょっと声を聞くだけにしようと思ったのに、堰を切ったように涙があふれた。泣けて泣けてしょうがない。家族から離れて一人になったせいか、まだこんなに泣けるのかと思うほどに泣けた。そんな自分を見かねてだろう、友人が新潟駅まで来てくれると言う。悪いなあとは思ったが、素直に受けた。

 新潟に向かう列車の中でも、なにか思い出すたびに、ほろりほろりと泣けた。何度も何度も乗った路線だけど、こんな悲しい気持ちで乗ることはしばらくごめんだ。これからも辛いことはいくらでもあるし、最後の一回でないことは分かっていても。
 新潟駅では、新幹線ホームまで見送ってもらった。今度は友人の気持ちが嬉しくて泣きそうになる。悲しくても嬉しくても、涙に限りはないようだった。

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 帰省中に期限の切れていた通勤用の定期券を購入。明日からはまた、日常が始まる。これまでと違っていることは、父は遠くにいて会えないのではなく、もういないということだけだ。


2002年03月05日(火) 故郷の街を歩いた日
・銀行など 外回りの日
・子どもたちになつかれる


2002年03月04日(月) 祖母の付き添い → 今後のことを話し合う
・夕方まで病院にいる 雑用多々
・夜、家族会議


2002年03月03日(日) ひなまつりに雪が降る
・ひなまつり
・店開ける、観光客多し
・夜、祖母の付き添い(病院泊)


2002年03月02日(土) 冷たい雨のなかで
・朝、起きられない動けない(疲れすぎ)
・告別式(10:30〜 於:菩提寺)
・49日法要くりあげ
・納骨(ワイルドにせざるを得ず。しめやかさなど微塵もなし!)
・会食(親族への挨拶回り。へとへと。こういうの向いてない…)


2002年03月01日(金) 春の空に煙がひとすじ
 起きて、身支度して、急いでごはん。こんなときでもちゃんとお腹は空くし、食べなきゃ持たない。喪服に着替えて、親族はてんでに車に乗って火葬場へ向かう。空は晴れ、うすく雲がかかって春らしい日和。こんなときでなければ、うきうきと口笛でも吹きながら散歩したいような、そんな陽気。

 昨日、母は涙を見せなかった。辛くないはずはないのに取り乱さず、なすべきことを淡々と行い、弔問客に応対し、わたしまでをも気遣う。父のアドレス帳をひろげ、連絡すべきところとそうでないところを兄と相談し、電話をかける。電話口の向こうで泣き崩れるのをいたわりながら受話器を置く。母は気丈だった。

 数日前から体調を崩して寝込んでいた祖母には、言うべきかどうか迷った。衝撃で病状が悪化でもしたら、と誰もが思った。父は祖母を好きであったと思うし、祖母は長男である父を可愛がっていたのだから、最期のお別れをさせなければ心残りになるだろう。迷った末にそう結論づけて、祖母は物言わぬ息子と対面することになった。わたしはその場に居合わせなかったのだが、祖母も涙を見せなかったと言う。歯のない唇を強く引き結んで、身うちに全てを飲み込んで、別れを告げたのだろう。
 とても出歩けるような体調ではなかったから、叔母が付き添い、祖母は家に残ることになった。

 朝10時。親族の車はみんな出発した。残るは、棺を積んだバン一台。兄が運転し、棺のそばには母とわたしが付き添う。従姉妹(彼女の両親が亡くなったあと、父が親代わりのように心をかけていた)が、出棺に間に合うように到着するはずだったのだが、来ない。電話してみると、駅からのタクシーがちょうど家の前に着くところだった。挨拶もそこそこに従姉妹をバンに乗せて、出棺となった。

 うらうらと、春本番のような晴天。街を抜け、橋を渡り、川面が陽光にきらめいているのを見る。母は父に語りかけるように、どこを通りますよ、とつぶやいている。どこを見ても何を見ても、父と暮らした街の思い出がよみがえる。

 読経が終わり、順にもう一度だけ父に挨拶する。許されないことだけれど、父の遺体を燃やすのがとてつもなくイヤだった。ずっとこのまま、家に一緒にいたい。そんな思いが言葉になる前に、火が入った。
 棺が窯に消える寸前、最後の最後に、棺に手を添えて、母が泣いた。

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 この国では、人の死は聖職者ではなく、医師(または歯科医師)が確定することになっている。多くの人が病院で、医療機器に囲まれて最期のときを迎えるが、父は自宅で亡くなった。救急車を呼んだときには、すでに遅かったのだと言う。また、事故扱いのときは(かかりつけの医師がなく、1年以内に通院経験のない場合なども)警察と監察医が検死を行い、死亡診断書ではなく死体検案書を作成する(などということも、今回はじめて知った)。
 遺体を荼毘に付すときには「火葬許可証」、お骨を墓地に納めるときには「埋葬許可証」が要る。それらは死亡診断書を添えて市区町村役場に死亡届を提出すると交付されることになっている。

 故人や遺族の意志がどうあれ、勝手に埋葬など、絶対にできるものではない。人骨がそこらに散乱したらたいへんなことになるので、いちいち決められた手続きを踏むことになっているのだ。生まれるときも死ぬときもシステムと儀式の中。「遺骨を故郷の野山や海にまいてください」などというのも、そう簡単にはゆかない世の中なのだろう。

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 待合室で1時間半。ガラス越しの陽光が暖かく、子どもたちが無邪気に駆けまわる。お茶やジュース、お酒を配ったり、どんなときにも雑用は発生する。合間を縫って話をすると、皆とめどなく涙をこぼす。ポケットティッシュが足りなくなりハンカチを動員し、それでも足らずに洗面所で顔を洗い鼻をかむ。泣きはらしたまぶた、充血した眼。
 いまごろ父の肉体は骨と灰になり、煙は陽炎とともに空へとのぼっているのだ。

 「焼き上がり(この表現もなにか滑稽な気配がある)の10分前になったら待合室の掃除に行きますから電話をください」と葬儀屋さんに言われていた。放送が入ったので、兄に携帯で電話してもらう。それから全員で、(文字通り)骨を拾いにゆく。

 台車のうえに横たわった、ひとそろいの人骨。病み伏したわけでない急死だったから、父の骨はしっかりと形を残していた。長く入院して薬を飲んでもいなかったから、その色は真っ白だった。ボーンチャイナという、牛の骨灰を使った白く美しい焼きものがあるが、そんなふうな、白い白い骨だった。

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(続)

 疲れてきてまた書き終わらなかった。記憶が薄れないうちに書いてしまわねばいかんのだが。

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・熱い骨箱
・盛り塩、清め塩
・朱と金の祭壇
・通夜18:30〜、菩提寺にて
・法名を見る
・祖母の発熱、急変、入院
・当直医がいない?
・長い一夜


かこぶんきのうあした
ちちやすになんか送る




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