ちちやす日記   こんげつぶんきのうあしたかこぶん


2002年04月30日(火) 咲け咲け満開キミの花よ
 ↑ジャスラック未許諾(ぉ

 くもりのち雨。置き傘は安くて小さいビニール傘。

 ちょこっと取り乱したり泣いたりしながらもユルイ感じで日常は続くので出勤。帰りにはヒロセ寄ってラスクとか買い、ただきちさんとソバ屋へ行く。治ったと思ってた腹は冷えるとシクシク痛む。ソバ大好きなのに食えねえよなあ。消化よさげなきしめん。ただきちさんの鴨せいろ美味そうなんで汁ちょっともらったり(合鴨の油が! 激ウマー!!)。

 部屋の中まで空気が湿っていて、洗濯ものの渇きが良くない。

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 コンビニで食玩を買うただきちさん。タミヤの戦車シリーズ(+チョコ菓子:韓国製の小石みたいなストーンチョコ:サクサクしてて結構うまい)を3個も買って、そのうちの2個がダブリ。

 ソフビっぽいセブンとキングジョー(+ラムネ)も買うが、あんまり嬉しそうじゃない。「欲しかったんじゃないの?」と聞くと「あんたが欲しいって言ったんじゃないのか」。いや俺はそんなに欲しくなかったっつーか買っても飾れないからガマンしようかと思ったんですけど。まったく奴は後先かんがえずにオトコマエな買いっぷりだよ、ちきしょうめ。

 ってことでトレーディング希望。もらってくれる人も条件つき募集(応談)。

【放出】←「はなてん」ではなし
シャーマン戦車(詳細不明:お問い合わせください)
セブンとキングジョー
なぜかブルース・リー絵はがき
さらにブルース・リーのステッカー
ボトルキャップ アメデオ(リンゴ)
ボトルキャップ よく分からんアレ
ボトルキャップ 名作劇場シークレット

【捜索】
ボトルキャップ アメデオ(リンゴ以外)
ボトルキャップ バロン
ボトルキャップ ラスカル

 ダメもとで気長にだらだらお待ちしてます。

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 脈絡なくアニメ関係の曲を入れたMD聞きまくり。<タイトル

 現実逃避、突き詰めることをせず、ときが過ぎ去るのを待っている。否応なしに辛い現実が眼前に突きつけられたときに持ちこたえることができるのか(そのときになってみなけりゃ分からんよな)。

 一人でなんでも背負わなくていいのは救いだ。兄はそのへんどう考えているのか知らないが。逃げられるだけ、支え合う人がいるだけ、幸福なのであろうよ。


2002年04月29日(月) 箱からあふれる
 ただきちさんはおでかけ。帰ってきて「疲れたから寝る」とのことなので、入れ替わりに出かける。

 目的もなく歩いて歩いて歩いていたら、いきなり血行が良くなったせいかシモヤケみたいに足がかゆくなった。大きい書店とか巡る、さんざん迷って本を一冊。まんが喫茶でとぐろを巻いて数刻。
 ただきちさんが出てくるとゆーので待ち合わせる。車で拾ってもらって、ファミレスに行くよと言われて、発進しかけたところに

 メールが来た。

 兄から。ばーちゃんが再入院だとのこと。追いかけて電話も来た。急変というわけでなく、大事をとっての入院で心配は要らないよと。

 考えないようにしていたものがふたを押しのけ溢れ出す。

 どうってことない。どうってことない。
 連休後半、切符が取れたら帰ればいい。
 無理しなくてもいい。

 必死で自分に言い聞かせる。

 こないだ読んだ清水義範の本に「突き詰め不全」というのがあり、(生半可な知識ではもちろん判断はつかないのだが)自分もそういう傾向があるように思われた。困難にぶちあたったとき、正面から相対するのを避ける。全力で逃げる。自分の弱い面、イヤな面。それは兄や父にも共通するものはあったと思う。

 なんだかなあ。バランスがとても悪い。一度にひとつのことしか考えられない。楽しいことも、仕事のことも、自分の生活のことも、並行して処理しなきゃいけないのに、田舎のことを考えると気もそぞろになる。自分がちゃんと立って、足元をかためないといけない。しゃんとしろ、しゃんと。


2002年04月28日(日) ねういったらねうい
 そりゃあ徹夜なんかしたら眠いわな。連休の中日を、だらだら過ごしてしまったさ。本を読んだりごろごろしたり。ふー。

 洋画劇場で『シュリ』を見る。

 人物の名前が容易に覚えられないのと、顔の見分けがつかないのには閉口。同じアジアとは言え、日本人と微妙に違う。男性の髪型などが似てるので混乱するのだ。キャラ立ててくれよ、とか思う。
 やっと約束ごとや人物関係が飲み込めてきて、ストーリーも一気に終盤へ向けて加速。そうか、こういう話だったのか。少しほろり。魚と水槽が物語のキーになっているだけでなく、ラブシーンの背景・前景に使われている理由、違うかもしれないが、とある映画の本歌取りかも、と思った(そっちは未見なのだが)。


2002年04月27日(土) 朝までシヴヤ
 夕方から渋谷へ。人ごみに酔う。なんであんなに人がいるのだ。ハンズで待ち合わせ、喫茶店で打ち合わせ(脚韻ではなし)。

 19時からは飲み会。と言ってもアルコールは控えめでえんえん打ち合わせ。歓送迎会シーズンで長居できなかったので、カラオケボックスに場所を移す。久しぶりに脳を使ったのでクラクラした。経験値が足りないうえにテンション低いのでなにも出てこなくて自分が歯がゆかったりするが、例によって「しょせんオレ」だから。でもって、人の鋭い意見を聞いているのは楽しい。

 終電間際に解散。

 帰る予定だったが、名残惜しいのと話題が尽きないので終電ぶっちぎる。ただきちさん迎えにきてくれるカモ、とは言ってたが、眠そうだったのでメール入れて、朝まで飲み屋コース。濃い人たちの会話のキャッチボールを堪能。卓球やテニスのラリーのように、美しく途切れなくいつまでも続くのだ。

 早朝に渋谷駅を歩くなんて、初めてじゃなかろうか。カラスがゴミ集積場にたむろしている。空気が冷たく張り詰めて街が白い。眠って電車を乗り越さないように注意しつつ帰宅、ばったり寝るしかなかった。


2002年04月26日(金) 怪奇ぢごくまんじゅう
 ↑意味なしタイトル。あとで消すよ。24日(水)のぶんは気が向いたらあとで書くよ。向いたらな。と思ったが。タイトル思い付かないから残しておこう。

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 びみゃうに眠い。いや、すげぇ眠い。うー困った困った。困りながら出勤したら、バスで寝こけてしまった。スーパーベルズを聞くと安眠効果がある、と言い切ってよろしいのか、単なる寝不足か、おそらくは後者。

 昼に歯医者。掘って洗って詰めての3回目。歯髄の炎症も治まってきたろうに、まだ仮詰。根気が続かなくてここで行くのをさぼると後が怖い。1週間〜10日おきに1回で、6月に突入すると思われる。はやく終了しないものか。

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 マガジンZ購入。
 『仮面ライダー Spirits』スーパー1の完結編。「月の兎」のくだりで涙ぐむ。外国人の見た仏教説話→タフでおひとよしな「ウサギ」、ストーリーへの織り込み方がうまい。今回は第一部完結にふさわしい力作ではあったけど、号泣度でいくとストロンガー編の方が上。というかあれは良すぎ! 単行本は6月だそうで、待ちすぎて焦げそうになる。

 きめ技を見開きで見たいとか、アスラの過去を掘り下げてほしいとは思うが、全体のバランスからしてぎゅうぎゅうに詰め込んでも精一杯なのだろう。エピソードを切って切って、残った部分には無駄が見当たらない。原画展で特に感じたことだが、ロングの描き込みも丁寧で、小さいひとコマの描写すらおろそかになっていない。
 なのに見開き大ゴマ(手抜き)マンガの迫力とスピーディーさに慣れてしまっていて、地味で詰め込み過ぎに思えることもある。もっとページ数があったら(増ページはスケジュール的に無理なのだろうけど)、と贅沢な望みを抱いてしまう。ソレはわがままというものだ。

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 池袋、ビックカメラほか。
 PHS の新機種を見て、カタログをもらう。ライトEメール無料というのが大きな魅力で、本体+機種変更費用もすぐに取り戻せそう。なのだが、どうしても気に入ったデザインがない。いまの機体がまだ使えるのに新しいのを買うのも抵抗がある。判断保留とする。

 『めしや丼』へ。カツオたたき定食売り切れ、がっかり。
 安くてゴハンのおかわり自由というところが餓えた若人に人気なのであろう。ネギまぐろ丼、まぐろはうまいがネギが少ないのは不満だ! 青ネギがちらっとしか載ってない。と思ったらタマネギ薄切りが敷いてある。なんかだまされた気分。うまかったことはうまかったんですけども。

 ところでこの店は「めしやどんぶり」って読むのか? →「めしやどん」らしい。確証なし。『なか卯』のお品書き「丼ぶり」(どんぶりぶり?)と同程度に謎。

 本を読んだりしてなんだか夜更かししたような。明日から三連休だし。わーい。


2002年04月25日(木) 牛+海鮮+野菜しゃぶしゃぶ
 雨。なんかまた寒い日が続くのう。体調イマイチなので、靴下を履き忘れないようにしている。忘れるものなのか、という問いには、サンダルはいて歩いてるからだと返答。パンプスは論外、スニーカーも足に汗かくから好きじゃない、寒くなければ一年中裸足にサンダルで暮らしたい。

 26日発売予定の早売り雑誌をGETしにゆこうと思ったが、雨で寒いので断念。たぶん神保町まで行けばいいのだろうが、どの店に売っているのかも分からない、そんな状態で行くのは無謀であろう。
 ネタバレおっかないと警戒しつつも2ちゃんのあのスレ読みに行ってしまうし。完結編も、それに続くであろう第2部も、楽しみだ〜。

 ただきちさんの腹減り具合(中途半端な空き具合、ソバ類はダメ)と俺の希望(なにか暖かいもの)をすりあわせて、『しゃぶしゃぶ温野菜』へ。わーい。
 緑黄色野菜(ニラ!)とキノコ、タンとロースと霜降り(ひゃほう)。キノコ類ばかウマ。特にマイタケが「うおー」というほどうまかったので追加してしまう。肉はふつーに美味しゅうございました。やっぱポン酢が基本ですかねえ、まぐまぐ。

 仕上げに中華麺を頼んでみる。ツルツルしてうまい。しゃぶしゃぶで麺類を頼むとき、ポン酢やゴマダレで食べるのはイヤだなあ、と思っていたら、ここのはちゃんと塩ダレをつけてくれる。鍋のスープで薄めて、つけ麺にしていただく。タレがまたウマー。鍋にかなりダシが出ているので、そば湯のようにタレを薄めて飲む。薄めても塩分とり過ぎだー。とは思ったがうまさに抗いきれないわしら。なのだった。
 満腹になったー、と言いつつコンビニで、イチゴ杏仁豆腐を買って帰る。

 睡眠サイクル狂っているらしく無性に眠かったのでとっとと寝る。


2002年04月24日(水) 俺史上1・2を争う恥ずかしいこと
 とても日記には書けないようなアホなことをやってしまった。前に一度あって、そのときも書けないと思ったが、今回はさらに上を行っている。ああ。

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 なんとか自分の中で折合いがついた (c)webやぎの目 ので書いてみる。いや全然たいしたことじゃないんですけど。

 いつも乗るバスは私鉄駅とJRの駅を循環している。最寄り駅からバスに乗って、その日はMDで『MOTER MAN(山手線)』を聞いていた。道路は渋滞気味で日和うららか。もうじき目的の駅に着くなと思ったあたりで、いつしかうとうとしてしまった。

 はっと目覚めて、強烈な違和感を抱く。おかしい、バスが最寄り駅の近くを走っている、しかも反対車線。どういうことか。うわあ。駅に着いて、また出発点に向かいつつあるのだ。時間にして約30分、きっちり記憶がない。聞いていた曲は山手線の進行通り、たしか品川あたりだったのに、今は巣鴨に到着していた(もしかして電車の運行とほぼリアルタイムっすか? あの曲)。

 居眠りしてひとつ乗り越したりとかはたまにあるけど。いくらなんでも30分も熟睡、乗り越すにもほどがある。いつもより早めに出たというのに、これではもちろん大遅刻だ。本当のことは言えないから具合が良くないからとゆって同僚に電話。すげー凹む。

 電車に乗り、また別路線のバスに乗る。恐ろしいことに、ここでもまた乗り越してしまった。バス停ふたつばかり歩いて戻りながら、もうダメだ、俺どうしちゃったんだろうと動揺しまくり、精神的にボロボロ。睡眠サイクル狂ってていくら寝不足でもこんなことは初めて。自分が信じられなくて、多少の恐怖すら覚えながら、とぼとぼとと出勤。という顛末でありました。

※これっきりかと思ったら、数日後にまた乗り越した。それからはもう再現してないけど、夜のネットしばらく禁止にしようとその時は本気で思った。


2002年04月23日(火) そんなこと言われてもオレ医者じゃないし
4月18日分に追加。

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 なーんとなく腹具合が悪いのが続いていたところ、今日になって痛みが右側の足のつけねあたりに移動してきた。盲腸って右側だったっけ? 痛みが移動したりするのだろーか?
 すでに盲腸を切っているただきちさんに聞いたら「そうかモナー」と。ぎゃあ。本当に盲腸だったらガマンできないくらい痛いらしいので、もうちょっと様子見、あかんかったら土曜にでも医者に行こう。近所の病院はヤブっぽい気配がするが、診断くらいできるだろーて。

 中華料理店でコーンスープを頼んだら、どんぶり一杯になみなみと出てきた。どうみても5〜6人前はある。食べきれず悔いを残してお勘定。次回からは「何人前相当ですか」と確認してからオーダーしる(命令形)。

 激烈に眠かったのでさっさと寝る。なんのこたーない、ちょっと横になるつもりが、あっさり意識を失ってしまったのだ。


2002年04月22日(月) おいしいむぎのほ
 ヒロセに珍しくベーコンエピがあったので、嬉しくて3つ買う。麦の穂に似た形状の、ベーコン入りフランスパン。検索してみたら比較研究しているページがあった。店によって味や出来具合にだいぶ差のあるパンなのだ。

 ご主人に「これどうやって食べますか」と聞かれる。予想外の質問に面食らっていると、「ブロックをひとつずつちぎって食べませんか?」。ああ、そういう意図か。「ちぎって食べますねえ」「これは火の通りが良いから口当たりもいいんですよ」などと。パンに愛情持っているのだなあ、ご主人。

 ネットカフェで時間をつぶしていたら待ち合わせに振られ、しおしお帰る。

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 先週末の胃痛はおさまり、食事もヘヴィでなければ支障なく摂れるが、ときどき重苦しかったり、起床時にムカツキ感がある。やだなー。胃薬を処方してもらおうか。

 抗アレルギー薬と点鼻薬をさぼっていたら、てきめんにハナミズの攻撃が再開してティッシュペーパー屑の山を築く。自業自得。寝込むほどではなくとも、なーんとなく調子悪いというのは困る。やっぱ完調ではないのだなあ。


2002年04月21日(日) こころのかえるところ
 雨。充電充電。

 落ち着くこと気持ちの良いこと身体と心が求めることをする。ごはん食べて熱いお茶を飲み、軽い読みものやマンガ読んでゆっくり風呂に入って早めに寝る。

 こころのかえるところ。
 求めていた場所にゆく。

 しばらくの間、楽しむことを拒否し、罪悪感を抱いたりもしていた。だけども人間という生物は、根本のところでは快感なしでは生きられない。肉体を維持するには補給が必要で、感情の動きなくしては精神的に死んでいるも同様。
 こんなことを自分に言い聞かせないと楽しめないとしたら、難儀なことだ。もーちょっとラクにいきたい。

 素直になれる場所があるということ、(いつでもとは言わないが)望むときにそこへ行けることは、立ち上がる力になり勇気をくれる。 


2002年04月20日(土) 寝ても寝ても寝ても眠いッ!
 不眠症の皆様には羨望とか恨みとか抱かれるほど、イヤになるくらい寝た。っつーか全然イヤじゃないのだ、眠っていられるものならいつまででも寝ていたいが、そうもいかんので仕方なく起きる。
 気がかりな夢を見ており覚えていようとしたのに、覚醒とともにつかみどころなく消え去ってしまった。俺はアンドロイドではないが脳が記憶を整頓するための『デフラグの眠り』だとするなら、夢なんか忘れてしまったほうがいいのだろう。

 ただきちさんのお土産、テイクアウトの『地獄丼』(正式名称不明:「なに買ってきたの」「ぢごくどんぶり」「えー??」)と、金曜に確保しておいたヒロセのパンをもそもそ食べる。(C)ぼのぼの/いがらしみきお
 『地獄丼』は美味しかったので決して「もそもそめし」ではないのであるが。まあとにかく食べてまったり。

 なんのこともない休日。そのおかげでいくらか充電できたのではないか。

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 金曜の夜にはコミックスを買い、いったん帰宅してから一駅歩いて別の本屋へ。さらに文庫とコミックスを買い、韓国家庭料理の店でサムゲタンを食す。鶏肉の質などは本場にかなわないと思われるものの、もち米と漢方の材料(高麗人参、ナツメ、ニンニクなど)の入った、とろりとしたスープの旨みが素晴らしい。弱った内臓に栄養がしみ込むようで、しばらく悩まされていた胃痛も心なしか軽減したようだ。

 やっぱ休息と栄養だな。精神にはマンガで補給(ドーピング?)。


2002年04月19日(金) 精神疲労時の栄養補給
 疲れには休養、病気には薬と栄養。手助けになるものはあれど、回復する力は自分自身のものであって、お手軽に「癒してもらう」という考えは、根本のところでは間違っていると思う。心の傷についても同様で、時間と、その人の持つ力が治癒を可能にする。『癒し系』って言葉も胡散臭いなあ、とあらためて思う。

 ひとの手で触れられるとき、体温を感じるとき、ほっと安らぐ気持ちになる。ときには支えて欲しいと思う。けど、全体重をひとに預けたらいかんのじゃないか、そんなことが繰り返し心に浮かぶ。頼りたいくせに、一人で立つことに拘泥する自分には笑ってしまう。

 苦しいです、助けてほしいです。
 書くものにもありありとそれが読み取れるはずなのに、やせ我慢を続けている。

 どうしたいのか、自分でも分からなくなってきている。栄養とってたくさん寝て起きて、くだらない遊びにふけるとしよう。気晴らしに遊びに行ったり、活発に動いたり走ったりできるようになったら、身も心も健康になったと言えるだろう。かつて一度でも健康であったことがあるのか、という疑問はさておいて。

 もうしばらくはアイドリングする。エンストもしつつ。


2002年04月18日(木) からっぽ
 不満やイライラがたまってくると、絵や文を書きたくなることが多い。「かくこと」への主たる動機は外界への愛情の発露でも内面の表現でもなく、逃避と発散の手段に過ぎない。テスト前に暇つぶしに没頭する学生と似たようなものだ。
 現在、ストレスだらけなのに心が創作に向かないのは、エネルギーそのものが枯渇しているのだろう。

 要充電。

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 胃が痛い。と言っても、胃であるのか十二指腸であるのか不明。精神的なものより物理的な原因だろうと推測する。

 理由はともかく、無意識に上体をかがめて腹部をかばってしまうほど痛い。のろのろとしか歩けない。体表面の裂傷擦過傷なんかと似た痛み、体の内部に傷がある感覚。『ガスター10』など服用すると効くのだろうが、これまで胃薬を飲んだことがないので気後れがする。それにもう、薬局の開いている時間でもなかった。

 1日2日痛むだろう。初めてのことじゃないし、放っとけば治るのだ。空腹ではあったので、にゅうめん(そうめんのあったかいの)と大根おろし食べて、早めに就寝。

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 やっぱ一晩寝たら(ほぼ)治りました。そんなものだ俺の胃痛なんて。


2002年04月17日(水) 花は野にあるように
 父の遺した覚え書きや日記を、家に帰るたびに少しずつ読んでいる。涙にくれて中断してしまい、なかなか進まない。父が日々どんなことを考えていたのか、生前は話し合うこともあまりなく、今になって悔やまれる。
 読んだ本の感想、新聞記事の抜き書きなどの中に、『花は野にあるように』という引用があり、調べてみると、利休の言葉らしかった。父はなぜ、どんな気持ちでそれを記しておいたのか。訊ねても問いを受け取るべき相手はいない。相手の占めていた空間に(実在も、心の中でも)ぽっかりと穴があいてしまう、人が死ぬというのはそういうことなのだと実感する。

 自分はPCとワープロソフトによって、思うことを文にまとめる術を得た。手書きでやるよりもダイレクトに、労力をかけずに出力することができる。はじめて自転車やスクーターに乗って行動半径が一気に広がったように、機械の補助は能力を拡張してくれる。

 父の日記は手書きだった。ブルーブラックのインクが入った細字の万年筆で、癖のある読みづらい文字で、日々思うところを綴っていた。キーを打ち、PCやソフトの使い方を覚える余暇などなかったと思うし、仮にそれができたとしても、内面を見つめ、定着させるには、たぶんキーボードでなく、手に馴染んだ万年筆が必要だったのだ。

 だけどもし、父がキーを打っていたならば、思いの丈をもっと楽に(自由に?)綴ることができたのではないか。そんな考えが浮かび、いや、そんなこともあるまいと即座に否定する。父は、兄が(一時期は稼業や家族をそっちのけで)PCとネットにかまけていることを苦々しく思っていたからだ。
 私自身がネットに惑溺しまくって生活パターンが乱れてしまっており、人のことを言える義理はないし、兄の気持ちもよく分かる。免疫のないものに熱中しやすい、困った血筋なのだ。

 モニタは向かう者の内面を写す鏡で、見たい姿だけを映し出すことがある。幻想に溺れる兄を見て、父は同じ道に踏み込むことに恐れを抱きながらも、ほんの少しだけ、機械を使ってものを書くことへの誘惑を感じてはいなかったか。父がモニタに表示されるテキストに向き合い、内面を掘り下げていったとしたら、その内的世界からは、どんなものが出力されていただろう。
 いくつかの条件が満たされて、父がPCをいじっていたならと、詮ない想像をしてみる。娯楽に耽るということのない人だったから、周囲の状況や自分で嵌めた枷から解き放たれ、純粋に書く喜びを味わえたなら、いくばくかの心の自由を得ることや、そして、もう少しだけ喜びのある晩年を過ごすことができたかも知れない。

 『花は野にあるように』。
 この言葉を書き写したとき父の心にあったのは、生き方なのか、顧客に対する態度への戒めだったのか。

 利休の意図や茶の湯の心は、現在の自分には分からない。いつか一端なりとも理解できる日がくるかどうか。いま、父の残したものを読んで感じたのは、「野に咲く花のように、自然に、自由に生きられたら」、引用にそんな願いが込められていたのではということだ。父の真意はどうだったのか、自分はこれから先ずっと考え、探し続けることになるだろう。

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※17日未明に書いたものを改稿しました。


2002年04月16日(火) 止まるも往くも
 花屋の店先に大きな花入れがあって、サツキとユキヤナギの大枝が活けてある。天に向かって伸びる枝、いのちが燃えているみたいな紅と白。

 停滞気味。疲れるようなことはしてなくとも、いくら寝ても眠いことがある。

 昨年暮れ頃から田口ランディを読み始めた。幻冬社から文庫が出て平積みになり、『コンセント』の映画化が決定して、そのあたりがきっかけだろうか(正確には、その頃、読んだ人にすすめられた)。
 先般、盗作の疑いがあると報道され、なんでまたと思ったら、1年ほど前からネットの一部では周知の事実であったらしい。告発サイトや関連の場所をざっと眺め、こういうことだったのかと納得もした。
 それじゃあ、12月に読んで「面白い」と思った俺の目はフシアナサンだったのか、“ランディマジック”の術中にあったのか。パクリだったとしても、欠点がたくさんある作家だとしても、自分はあのとき、綴られた文章に輝きと魅力を読み取ったのだ。その輝きが、作者が自分の力で作り上げたものでないとしたら、悲しい。っつーか、やりきれない。

 「不幸の連続」などとは言うまい、「とんでもない目」に遭っている人がいる。肉親が衰えたり死んだりすることは誰にも訪れる。なんでこれしきのことが耐えられないとおのれの不甲斐なさを嘆き、一方では、耐えて受け入れて乗り越えて、進んでいけるかどうかは人それぞれなのだと自分に言い聞かせる。
 四十九日の法要は心身ともに疲れていたので欠席した。はっきり言えば、バックレたんだよ。ひどいなあ俺、おとうさんゴメン。とか思いながらも出かけることをしなかった。生きている人と顔を合わせるのが辛いからなー。人間関係って面倒くさー。亡くなった人に対しては後悔と悲しみを覚えるのみ、生きてる人のほうがよっぽど手がかかる(自分含む)。

 週末ずっと引きこもっていたら、業を煮やしたただきちさんによって外に連れ出された。新宿まで行って映画。『聖石傳説』という台湾映画。伝統芸能の人形劇に特撮やCGを加えて、見たことのない画面効果を作り上げている。ものを作り出す人のちからは素晴らしい。

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※訂正(2002.4.18) 幻冬 → 幻冬 でした。


2002年04月03日(水) ひとりになる瞬間がある
■きのうの分にちょっと追加。
■足の親指の付け根んとこが痛むよ、あうー。
 マッサージ効かなかったのか、それとも揉まれたせい? 靴が合わないのが最大の原因と思われる。うー今夜もシップ貼って寝よう。
■あちー。

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 ひとりになる。誰も頼れない。そう思ってしまう瞬間がある。「助けてくれる人はいるのにそんなに思いつめるのは危ない」というのが真実なのか、本当は誰もひとりなのであって、その事実を見ないようにしているから生きていけるのか、どちらなのか分からない。
 社会はおおむね幻想を共有することで成り立っているような気はするので、できるだけ幻想を信じてみよう。


2002年04月02日(火) やはう〜(やる気なさげな声で)
 うーん。日記とまってます。どーにもこーにもな状態なのですがー。ガス抜きの機会でもあるので、暇を見つけたら書きます。不定期更新で。

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 肉親の死に対する悲しみを、自分の中でうまく処理できてないことを思い知りました。俺けっこー平気じゃん、冷たいんじゃないの? って思ってたら、単にふたをして押し込めていただけだったようで、他の要因でストレス増加したところ、あっけなく堤防決壊、涙だだ漏れ。ってな具合でした。
 同情されても問題解決にはつながらんし(してほしくもない)、カウンセリング等に行って愚痴吐いて気が楽になるなら、他人に迷惑かけずに済みますわな。

 「がんばれ」って言葉は、無責任かつ無遠慮に感じるから好きじゃないです。「がんばるな」も同様。無茶だとしても、つき進まなければならないときもある。休めるなら休むし、弱音も吐きたい。問題は、それを許さない環境や、心の動きなのです。「悩みを言ってくれたらよかったのに」と人は言うけど、言えたら悩んでいないし、周囲の誰も重荷を肩代わりしてくれるわけでもない。

 重荷を重荷であると感じないようにするのは気の持ちよう。淡々と処理できるように、心のコントロール回復をはかりたいです。

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■スターバックスのロゴ入りバッグ(黒)購入。わーい。
 軽くてよさげ、ちょっと生地が薄くて、へにょっとなるのが不満と言えば不満。
■稲庭うどん+いなりセット。
■万年筆みたいなペン購入(漫画専門の画材店にて)。
■リフレクソロジー(足マッサージ)。
 30分だけと思ったが、あまりの気持ち良さ(と足の疲れ)で延長決定。

 おかげで終バスに乗り遅れ、別路線のバスに乗って、さらに一駅分ぶん歩いて帰った。
 沿道の八重桜は濃い桃色、白に近いピンクなど、様々な色を見せている。若々しい緑の葉とともに咲く八重の花は、彩りもかたちも愛らしい。
 以前はあまり好きでなかった八重桜、昨年、造幣局の通り抜けに行ってその良さを認識したのだった。今年は早めの日程で、4月12日(金)〜4月18日(木)までの7日間。一度見てみる価値はあると思う。


かこぶんきのうあした
ちちやすになんか送る




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