ちちやす日記   こんげつぶんきのうあしたかこぶん


2002年02月28日(木) 父逝去の報あり
 朝10時16分、PHSの着信があった。職場にいるのに、しかも知らない携帯番号からの電話に、いぶかしく思いながら出ると、しばらく会っていない従兄弟からだった。すぐに叔父が代わり「驚くな、落ち着いて聞きなさい……」。
 変事だというのは声で分かる。90近い祖母が亡くなったのか、反射的に思ったところへ「お父さんが亡くなった」。電話の向こうに、号泣している声。父のいちばん下の妹、優しい叔母さんの泣き声。涙がこみあげてくる。こんなところで泣くわけにいかないのに。すぐ帰るからと電話を切る。自分でも動揺しているのが分かる。

 上司に聞いたことと実家の連絡先とを告げ、口頭で休む許可をもらう(連絡先のメモが、容易に書けなかった。よほど動転していたのだ)。葬儀もろもろを終えて戻るまで1週間は休むであろうから、今日中にやるべきことの目鼻だけつけて、同僚に急ぎ引き継ぎ。その最中にも、何度も涙がこぼれそうになる。なにもかも放ってというわけにもいかず、職場を出るのに1時間以上かかってしまった。

 帰り支度をしながら、ただきちさんに電話。着替えなど最低限必要なものだけ持ってきてもらう。彼は仕事が詰まっていてすぐには行けないと言い、来られるなら後で追いかけてきてもらうことにして先を急ぐ。危篤ではない、急いでも仕方ないとは言え、気がはやる。新幹線の乗り継ぎが悪く、1時間近く足止め。いらいらしつつも、あちこちにメールを送る。週末と来週に会う予定だった相手に延期の連絡。つい数時間前までの日常が、途切れてしまっているのを感じる。

 新幹線、在来線特急を乗り継ぐ。
 PHSの着信記録で気付いたが、9時53分に兄の携帯からかかってきていた。兄とは気まずいままだったので、着信拒否にしていたのだ。こんなことになるのなら。無数に繰り返す後悔の、最初のひとつだったかも知れない。

 夕刻にやっと最寄り駅に着く。駅前からタクシーに乗って家に着く。シャッターが閉まり、一枚だけ扉の開いた店(実家は自営業)に入っていくと、白い幕が張り渡され、線香の煙たちこめる中、父が横たわっていた。おだやかな、眠っているような顔。なのに、頬はもうすっかり冷たくて、こらえきれずにお父さんお父さんお父さんと、大声で泣いてしまう。

 ここからの記憶は飛び飛びになっている。

 午後8時に納棺。葬儀屋さんが来て、いろいろ手配してくれる。アルコール綿で遺体を清める。父の指にバンドエイドが巻いてあるのに気付く。見覚えのあるブルーのチェックのシーツごと、棺に納める。気に入っていた着物を一枚、上からかける。白と黄色の菊の花で顔のまわりを飾り、棺のふたを閉める。窮屈そうに箱に納まってしまった父は、もはや窮屈だと感じることもない。

 線香を絶やさぬように、蚊取りのようにぐるぐると巻いた、長い時間ともすことのできる線香が祭壇に供えてある。御飯のまんなかに突き立った箸。

 近隣に嫁いだ妹の家に、風呂をもらいにゆく。明日からはそれどころではなくなる、いまのうちにということだ。風呂上がり、いくつか電話。中学からの友人にだけは、今回のことを話しておく。先方には迷惑であろうが、支えが、わかちあう誰かが自分には必要だった。

 家まで送ってもらって、その晩はどこでどうやって眠ったのか覚えていない。


かこぶんきのうあした
ちちやすになんか送る




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