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2006年08月31日(木)
「私はモニターを通してはできない」

西日本新聞の記事より。

【「夜回り先生」として知られる元横浜市立高校教諭の水谷修さん(50)が、27日に宮崎市のホテルで開かれた「第54回日本PTA全国研究大会みやざき大会」で、会場設営への不満から「私はうそつきは嫌いだ」などと大会事務局を批判後、予定していた講演を突然キャンセル。約8400人が集まった会場が騒然となった。

 同大会実行委によると、水谷さんは同日午前11時から「さらば、哀(かな)しみの青春」と題して約1時間半の講演を予定。3300人収容のメーン会場のほか近隣に2会場を用意、各会場をモニターで結んで中継する予定だった。だが、26日深夜になって水谷さんから「会場を分けるとは聞いていない。契約違反だ」「聴衆に直接話し掛けないと私の話は伝わらない」などと、電話で講演中止を伝えてきたという。

 実行委は講演直前まで説得。水谷さんはいったん登壇したが、「私はモニターを通しては(講演が)できない」などと発言。「今日は申し訳ありません」と謝ってステージを下り、タクシーで会場を後にしたという。

 月野健一郎実行委員長(宮崎県PTA連合会副会長)は「会場を複数用意するというのは事前に何度もファクスなどで通知し、了承をもらっていたと思っていた。一方的にうそつき呼ばわりされ心外だ」と話す。宮崎市内のPTA役員の男性(50)は「直接の話し掛けにこだわるなら、なぜテレビに出るのか。遠方から休みをとって来た人もいるのに」。広島県からバスで来た女性も「これだけ大勢の人がいるのに…。教育者としてあんまりです」と話していた。

 西日本新聞は、出版社を通して水谷さんへの取材を申し込んでいるが、連絡が取れない状態。

 水谷さんは2004年に横浜市を退職。現在は少年非行問題に詳しい教育評論家として全国で講演活動などを行っている。】

〜〜〜〜〜〜〜

 最初にこのニュースを読んだときには、「なんで?」と思いました。だって、「夜回り先生」は、本を書いたり、マンガになったりもしているのだし、テレビにだって出演しているのだから。御本人は、「ライブのつもりで話を聞きに来たのに、モニター中継だったらお客さんにウソをついたことになる」と仰っておられたそうですが。まあ、確かにそれはそうなのですけど、「入場料」を取ってのイベントでなければ、満員で会場に入れなかった人たちは、「モニター中継でも話を聞いてみたい」と思うのが普通ではないでしょうか。僕は最初、この話を聞いたとき、「まさか、あんまり一度にたくさんの人に話を聞かせると、今後の講演が売れなくなるからなのでは…」とか「ギャラアップのためにゴネたのでは?」などという、黒い想像をしてしまいました。「夜回り先生」は、ボブ・サップじゃないんだから、実際は運営側との「見解の相違」に尽きるのでしょうけど。でも、このイベントを企画・運営していた人たち、あるいはこの講演を楽しみにしていた人たちが、かなり失望したことだけは間違いないでしょう。なんとか落としどころが見つけられればよかったのだけれど……
 この件に関しては、どちらが正しいのか(あるいは、どちらも正しかったり、正しくなかったりするのか)というのは、お互いの言い分が錯綜しているところがあって、なんとも言えない面はあるのですけどね。

 ところで、僕がこの話について考えさせられたのは、「モニターを介すること」によって、どういう影響があるのだろうか?ということでした。
 僕はときどき舞台とかコンサートを観に行くのですけど、やっぱり、その「現場」にいるというのには、大きな価値があるものなのだなあ、と感じることが多いのです。それは、「音圧」というような物理的な刺激においてもそうですし、その場の「空気感」という点においてもそうです。演劇で言えば、テレビやビデオでの「演劇中継」というのは、正直あんまり面白く感じられないことが多いのです。それは、その場にいることの「緊張感」が無いこととか、カメラがあらかじめ選んだ「ひとつの視点」でしか観られないということとか、周囲の観客の反応が伝わってこないこととか、いろんな要因があるように思われます。劇場で舞台を観ていると、テレビで「中継」を観ているよりよっぽど疲れるのは、それだけ「観ることに集中できる環境」であるということの裏返しなのでしょう。
 映画にしても、『タイタニック』ですら、居間でお菓子をボリボリやりながらゴロンと横になって観ていれば(そして、いいシーンで携帯電話が鳴ったり、宗教の勧誘の人が家のチャイムを鳴らしたりするのですよこれが)、真っ暗で張り詰めた空気で満たされている映画館で観るよりは、はるかに「感激度」は違うはずです。確かに、何かを伝えようとするときには、「観る側の環境」っていうのは、かなり大きな影響があるんですよね。
 ですから、この「夜回り先生」の講演だって、御本人がおられる講演会場では、それこそ咳払いをするのもためらわれるような雰囲気なのかもしれませんが、モニター会場では、聴衆も多少はリラックスして話を聞くことにはなるはずです。どんなに広い会場であっても、現場にいる人たちよりは、モニター会場にいる人たちのほうが、「伝わりにくい」のは間違いなさそうです。そして、「夜回り先生」は、「モニター越しにポテトチップを食べながら話を聞いている人たち」に傷つけられた経験があるのかもしれません。もともと「現場で子供たちに接する」ということに重点を置いて活動してきた人ですし。
 その一方で、「直接話すこと」にこだわるのだとすれば、かなり効率が悪いことも事実です。テレビ番組に出演すれば、一度に1千万人の人に語りかけられるのに、同じだけの人に「直接話す」ことにこだわるとするならば、東京ドームを200回くらい満員にしなければなりません。それは、現実的にはまず不可能なことです。

 正直、僕はこの話、けっこう気になるんですよね。「夜回り先生」は、ひょっとしてものすごく体調が悪いのでは?とか、ストレスで精神的に不調なのでは?とか想像してしまって。
 「夜回り先生」は、最初の頃は、「たとえ誤解されることがあったとしても、自分が聞いた子供たちの声を世の中に届けたい」と考えて、本を書いたり、テレビに出演したりしていたはずです。
 でも、この話からすると、先生は、「誤解を覚悟で多くの人に語りかける」よりも、「誤解を少なくするために、語りかける相手や状況を選ぶ」ようになってしまっています。
 これは、「何かを伝えようとする人間」にとっては、かなり重大な「変質」なのではないかと、僕には思えるのですが……



2006年08月30日(水)
若くして出世する人は音痴になりやすい?

「ダ・カーポ」590号(マガジンハウス)の記事「新・ダカーポ探検隊・第84回」より。

【「この音(ラ音)で、”ふぅ〜、ひぃ〜”と声を出してみて。はい、OK。では音を上げて(シ音)”ふぅ〜、ひぃ〜”」
 蒸し暑い7月下旬、都内のマンションの一室。講師が弾くピアノの音に合わせてネクタイ姿の男性が発声練習している。別にレイザーラモンHGのまねでもないし、出産時の呼吸法を学んでいるわけでもない。音痴矯正レッスンなのである。
「次は(ラとシを)行ったり来たりします。”ふぅ〜(ラ音)、ひぃ〜(シ音)、ふぅ〜(ラ音)”。(ラ音からシ音へは)東京から大阪へ行く感じ。あ、今のは大阪を通り過ぎて神戸行っちゃった。もう1回、はいブラボー、いいですよぉ。あぁ、今度は名古屋で途中下車しちゃった」
 新幹線の駅を音痴にたとえて指導しているのは高牧康さん。音痴矯正メソッドの権威でBCA教育研究所の主宰者だ。高牧さんのスケジュール帳は常にびっしり。生徒は不思議と大企業などのエリートが多い。
「昇進して部下ができました。もう飲み会で1曲も歌わないといういうわけにはいかなくなった」
「転職を機にカツラを付けることにしました。ついでに音痴も直そうと思って」
 冒頭の生徒も大手コンピューター会社の部長(49)だった。他に弁護士や裁判官、政治家もいる。20代のOLはこう話した。
「挙式が憂鬱です。ウエディングドレスは楽しみだけどチャペルで賛美歌を歌うのが不安で」
 妊娠した女性は、おなかの中のコに何かを歌っても自分の声では逆に胎教に悪いと感じた。
 就職活動と並行してレッスンを受けたり、合コン2次会のカラオケ対策という学生もいる。
 生徒は最初、音痴のレベルをチェックするために『メダカの学校』を歌う。隊員もやってみた。30年ぶり。正直恥ずかしい。だって講師と向かい合ってのマンツーマンである。その後、高牧さんが弾く音を自分の声で出せるかどうかのテスト。これが案外難しい。半音から1音ズレる。でも、音痴の人はこれが2〜3音ズレ、お経のようになる。ミ音を出すべき時にドの音程になる。高牧さんは言う。
「音痴は、音程を作るのどの機能がうまく働いていないのが理由。音程は伸び縮みする声帯によって作られる。声帯を動かす筋肉に問題があると、音域が極端に狭くなる(低音に偏り高音が出せない)。最初のドレミぐらいしか出せない。違った音を頻繁に出しているうちに合っている音も分からなくなる」
 やがてコンプレックスとなて歌を毛嫌いするようになる。高牧さんは生徒に「歌は元気よく明るく! 感情豊かに!」などと小学校の音楽教師のようなアナログなことは口にしない。生徒たちが安心するのは「歌は理性、デジタル」という言葉だ。音程はヘルツ、音域はオクターブ、音量はデシベル、ブレスの長さは秒。自分の発した音痴な声は専用の機器で目に見える”数字”として確認できる。音程が少し低ければ少し上げる。自己制御できるのだ。
 前出の部長はこの日が最後のレッスン(通常1回45分のレッスンを5回で費用は5万円)。

(中略)

 高牧さんによれば、若くして出世する人は音痴になりやすいという。上司という威厳を保ち、部下への指示はヒステリックではなく低い渋いトーンで。そんな意識がいつしか音域を狭くする要因になるそうだ。部長は言う、「40代後半にもなるとね、苦手なことをそのまま放置してはいけない気になるんです。どうしても克服したかった」。】

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 これを読んで、「若くして出世する人は音痴になりやすい」というよりは、「こうして音痴矯正レッスン」を受けるような、ある種の「完璧主義者」の人は出世しやすい、と考えるべきなのかもしれないな、と思いました。実際はカラオケの席では、中途半端に上手い人より、ちょっと音程が外れているくらいの人のほうが歌ったほうが、場が盛り上がったりもするものなのですが、まあ、そういうのは当事者にとっては、やっぱりコンプレックスだったりはするのでしょうね。正直、ここに出てくる「賛美歌が歌えない」とか「胎教に悪い」というような人の場合は、「音痴」というより、あまりにも物事を深く考えすぎるタイプであることのほうが問題なのではないかという気もするのですが、こうして「音痴矯正レッスン」を受けることによってそういう不安が払拭されるのであれば、5万円はそんなに高くはない金額なのかもしれませんね。

 この文章を読んでいると、実はほとんどの人が、多かれ少なかれ「音のズレ」を抱えているということがわかります。それが半音から1音くらいであれば「普通」で、2〜3音になれば「音痴」だと評価されやすい、というだけの話で、ごくごく一部の「絶対音感」を持っている人を除けば、要するに「程度の差」でしかないのです。

 しかし、「音痴」なんていうのは、別に誰かに迷惑をかけるわけでもないし(「ジャイアンリサイタル」とかをやるのなら話は別でしょうけど)、むしろ、周囲からみれば「微笑ましい、愛すべき特性」ではあるわけです。自己陶酔してマイクを握って話さない人とかよりは、よっぽど好感を持たれやすいわけで、そんなに頑張って「矯正」しなくてもいいのになあ、と「歌がとりたてて上手くもなければ、音痴と笑われるほどでもない人間」である僕には思えてなりません。
 少々歌が上手くったって、合コンでモテるくらいしかメリットはなさそうなんだけど(それが重要なのかな……)。
 



2006年08月29日(火)
ホテルに「聖書」が置いてある理由

「雑学図鑑・知って驚く!!街中のギモン110」(日刊ゲンダイ編・講談社+α文庫)より。

(「ホテルにはなぜ聖書が置いてある?」という項から)

【ホテルの客室には、なぜ聖書が置かれているのだろう。
 日本ホテル協会に尋ねてみたところ、次のような答えだった。
「聖書は、ホテル側が積極的に置いているわけでもないんです。ギデオン協会という団体が個々のホテルに対して、”海外では寝る前に聖書を読む習慣があるので、外国人宿泊客向けに”と、寄贈してくるんです」
 ギデオン協会とは、アメリカ発祥のプロテスタント系信徒組織で、現在、世界179ヵ国で聖書の普及活動をしている。日本のギデオン協会によると欧米のホテルにある聖書も、ギデオン協会寄贈なんだとか。
「日本では戦後、日本人の再教育にはキリスト教が必要だと考えたマッカーサーが、宣教師派遣を本国に要請しました。ギデオン協会が日本に渡ったのもそれがきっかけです。現在、主に学生を対象に年間約90万冊の聖書を配布しています。ホテルへの寄贈は外国人客向けという名目もありますが、日本語も併記してあります。ホテルの聖書がきっかけでクリスチャンになった人もいます」(日本国際ギデオン協会)
 ギデオン協会の聖書は、市販の新共同訳新約聖書と同じ内容。しかし、表紙に協会の名を入れた特注版で、冒頭には「災難のときの救い」「疲れたときの休息」など、場面に応じたお薦めページの紹介が加わっている。「ホテルは単に寝泊りの場所ではなく、悩んだり行き詰まった人が利用することもあります。人生に悩む人に読んでもらいたいんです」(ギデオン協会)】

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 あの「ホテルの聖書」って、なんだか気になりますよね。確かに、どこのホテルにも置いてあるので。子供の頃、はじめてホテルの机の引き出しの中に聖書を見つけたときには、このホテルは宗教団体に支配されているのだろうか?と不安になったものですけど。
 この「ホテルの聖書」、僕も真剣に読んだことはないのですが、何度かパラパラとページをめくってみたことはあります。とはいえ、結局のところ「興味を持つ」前にテレビのスイッチを入れたり、手持ちの本を読みはじめてしまうことばかり。今の世の中、他に娯楽はいくらでもありますから、あの「ホテルの聖書」を読みふける人というのは、そんなにたくさんはいないのではないでしょうか。
 にもかかわらず、「どこのホテルにも置いてある」のには、こういう「理由」があったんですね。もちろんギデオン協会としては「布教活動」の一環ではあるのでしょうけど、ホテル側としても「まあ、置いておいて悪いものではないかな」ということで、こうして続いている習慣なのでしょうね。でも、本当に欧米人は、寝る前に聖書を読むのでしょうか?
 ところで、僕がこの話を聞いていて思ったのは、ギデオン協会って、けっこうお金持ちなのだなあ、ということでした。ホテルに置いてある「聖書」って、けっして華美な装丁ではありませんが、表紙とか革張りで高級そうですし、年間90万冊もこういう聖書を「無償で」配っているとのことですから、原価が1冊100円としても、それだけで1億円くらいのお金がかかるはずです。著者印税が要らないというのは、かなり大きいのかもしれませんが、それにしても、配布するための手間なども考えれば、すごいコストになりそうです。
 「ホテルの聖書がきっかけでクリスチャンになった人がいる」というのが話題になるくらいの効果しかないのなら、本当に「効率的な布教活動」なのかどうかはちょっと疑問なのですが、そんなケチくさいことは言ってはいけないのでしょうね。ホテルの聖書で、独り「災難のときの救い」を読むような状況には、あまりなりたくないものですが。



2006年08月28日(月)
長澤まさみ、もう逃げられないぞ!

「週刊ファミ通」(エンターブレイン)2006.9.8号の映画『ラフ』の紹介記事の「原作者・あだち充先生インタビュー」より。

【インタビュアー:あだち先生は青春マエストロと言われておりますが……。

あだち充:(笑)一時期は青春じゃないものがやりたかったけど、ここまでくると、この作風を極めてやろうと。だって、もう高校生描いて30年ぐらいでしょ。連載しているマンガといっしょに、高校を何校も渡り歩いたよ。

インタビュアー:やっぱり先生にとって高校生活というのは特別なものでしたか?

あだち:大きいですね。マンガばっか描いてたけど、それでも日々いろんなことがあったから。僕は文科系で体育会系の苦労をしていない。現実を知らないから『タッチ』みたいな作品が描けたんですよね。

インタビュアー:『ラフ』の亜美や『タッチ』の由加、『みゆき』など、妹キャラというカテゴリーを作ったのは先生だと勝手に思っているんですが……。

あだち:妹が欲しかったからね。理想の妹を描いたという部分もあるかも。

(中略)

インタビュアー:先生の作品はこれまでにアニメ、ドラマ、映画といろんなメディアで登場していますが、今回はどうしてオーケーを出されたんですか?

あだち:そりゃ、長澤まさみの水着が見られるということで……。

インタビュアー:(笑)やっぱりそうでしたか!

あだち:『タッチ』はレオタードかと思いきや体操着で……。『ラフ』ならもう逃げられないだろうと思った(笑)。そもそもマンガのテーマを水泳にしたのもヒロインがいつも水着で読者サービスが文句なくできるから。でもプールで水着ってのが当然すぎて、あんまり色っぽくなかったのは計算外だった(笑)。】

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 「青春スポーツマンガの巨匠」、あだち充。僕は学生時代はあだちさんの作品って、あまりにも理想的・健康的すぎる気がして、あまり好きじゃなかったんですよね。「こんなかわいい幼馴染なんて、いるわけねえだろ!」とか「いくら才能があっても、付け焼刃で甲子園に出られたりしないだろ!」とか。ほんと、文科系の僕にとっては、「こんなのありえねえ!(でもちょっと羨ましい)」世界ではありました。
 しかし、このインタビューを読んでみると、実は、あだちさん自身も「マンガばかり描いていた、文科系の青春時代」を送っていたみたいなのです。御本人の分析によると、むしろ「現実の体育会系」に染まっていないからこそ「理想の体育会系の世界」を描くことができたのかもしれません。やっぱり、実際に自分が体験していたら、「これはちょっと美化しすぎだよな」とか、ちょっと引いてしまう面もあるでしょうから。
 そもそも、『みゆき』みたいな妹なんて現実にはいないですよね絶対。そこを「嘘つき!」と否定するか、「こんな妹がいたらいいなあ……」と憧れるかによって、あだち作品を好きになれるかどうかというのは分かれてくるような気がします。

 それにしても、『タッチ』での長澤まさみさんの「体操着」には、確かに、多くの人ががっかりしたと思われます。正直、僕もちょっと失望しました。そんな浅倉南、ありえないだろ……と。まさか、原作者のあだちさんまでもが、同じようにがっかりしていたとは知りませんでしたけど。
 でも、『ラフ』のヒロインの二ノ宮亜美は「高飛び込みの選手」ですから、さすがに「もう逃げられない」ですよね長澤さんも。いくらなんでも、体操着で高飛び込みはできないでしょうし、『ラフ』を映画化するのなら、飛び込みのシーンを全くやらないわけにもいかないはず。

 ほんと、あだち充というマンガ家は、サービス精神旺盛な人だなあ、と思います。でも、御本人も仰っているように、せっかく長澤さんを水着にすることに成功しても、実際に観てみたら、「プールに水着って、当たり前すぎて、あんまり色っぽくない」のかもしれませんが。



2006年08月26日(土)
「選挙に出馬しないこと」の難しさ

「泣き虫」(金子達仁著・幻冬舎文庫)より。

(1995年、プロレスラー・高田延彦さんが「さわやか新党」から参議院選挙に出馬を要請されたときの話)

【妻を伴って出向いていった先には、なんとしても高田を選挙に担ぎ出そうと意気込む男たちがずらりと顔を揃えていた。現役の国会議員が1人もいないまま”さわやか新党”なる新党を立ち上げた彼らにとって、知名度の高い高田は絶対に取り込まなければならない存在だったのだろう。高田は次々とデータを提示され、出馬すれば当選は間違いないと畳みかけられた。後にまったく根拠のないことが判明することになるデータだったが、彼の耳にはいたって説得力のあるもののように聞こえた。
 それでも、高田は出馬の誘いを固辞し続けた。彼自身にその気がなかったというのもあるが、なにより大きかったのは、妻の反対だった。
「絶対に無理だから、ノブさんにはできないからってね。そりゃそうなんです。いつもぼくの一番近くにいる向井にとって、こんな唐突な話、青天の霹靂以外の何ものでもなかったでしょうし、まったくわけがわからない行動だったと思います。話を聞くまで、ぼくって参議院と衆議院の区別もあやふやだった人間でしたからね。でも、向こうはまったく諦めなかった。当時、ぼくの家は鉄筋の3階建てで、1階がガレージ、2階が寝室ってつくりになってたんですけど、寝室のカーテンがブラインド・カーテンだったんです。真夜中の2時か3時だったかなあ、寝室でテレビを見てたら玄関のチャイムが鳴った。こんな時間に来るのはさわやか新党の人しかいない。チャイムを無視する。ところが、ブラインド・カーテンの隙間からテレビの光が表に漏れていたらしく、外から”います、いますよ、だってテレビ見てる”なんて声が聞こえてくる。近所の手前もあるので、居たたまれなくなって出ていくと、黒塗りのベンツから数人の男が出てきて、高田さんがいないと始まらないって話がまた繰り返されるわけです」
 ぶしつけな深夜の訪問に怒りを覚えなかったわけではない。だが、しつこいまでに繰り返される「あなたしかいない」という言葉は、少しずつではあるが、心の隙間に入り込みつつあった。安生の渡米が交渉ではなく単なる道場破りのみで終わってしまったため、ヒクソンとの対戦が実現するめどはまったく立っていなかった。ヒクソンを新たなターゲットに据えることで、懸命に萎えかけた闘志をかきたてようとしてきた高田は、再び、日々の目標を失いつつあった。会社に目を向ければ、人間関係のトラブルが手の施しようのないレベルまで達しようとしている。己の無力ぶりを痛感しつつあった高田にとって、一般社会の常識を乗り越えてまでの勧誘は、怒りをかきたてるものだったのと同時に、自分の存在意義を実感させてくれるものでもあった。】

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 いまから10年前くらいの話なのですが、僕はこの本を読んで、「そういえば、高田延彦って、選挙に出たことがあったよなあ」と思い出しました。ちなみに、結果は周囲の目論見通りにはいかず、あえなく落選。選挙に出るためにCM契約を断ってしまって、その違約金まで払わなければならなくなった高田さんにとっては、本当に大きなダメージだったようです。
 そういえば、僕も高田さんの出馬の話を聞いて、「なんで高田延彦が、いきなり選挙に?」と非常に疑問もあったし、そんな柄じゃないだろ、と否定的な観かたをしていた記憶があるのですけど、御本人にとっても、「予想外の出馬」だったのですから、僕がそう感じたのもムリないかな、という気がします。

 それにしても、この「高田さんを出馬させるための”さわやか新党”の説得工作」を読んで、僕は驚いてしまいました。乗り気な人を「タレント議員」として祭り上げるだけではなく、消極的な人に対して、こんな洗脳まがいのことまでして出馬するように仕向けるなんて。
 もちろん、新しい党で知名度もゼロに等しい”さわやか新党”にとっては、高田さんという「票が稼げる候補」の獲得は死活問題だったからここまでやったのでしょうけど、それにしても、夜中に自宅に乗り込んでくるという話には、恐怖感すら覚えます。そして、彼らはまた「高田さんの知人から紹介された」という繋がりもあって、あまり邪険に扱ったり、相手に恨みをかうようなことはやりにくかったのようです。

 すべての政党がこんなやり方をしていることは無いとは思うのですが、それでも、「有名人が選挙に出る」理由には、こういう「説得工作」の影響が多かれ少なかれありそうです。もし、ターゲットになってしまったら、それこそ、「選挙には絶対に出ない」ということをよほど強く心に誓って、周囲の人にもそれをきちんと理解しておいてもらわないと、逃れるのはかなり難しいことのように思われます。
 「タレント議員」なんて、目立ちたがりの芸能人が自分の意思でやることだと考えがちだけれど、実は、周りの「出馬させたがる人々」のほうが「問題」なのかもしれませんね。



2006年08月25日(金)
「機動戦士ガンダム」に貢がれ続ける男

「週刊朝日」(朝日新聞社)2006年8月4日号の「マリコのゲストコレクション」第325回より。

(作家・林真理子さんと作曲家・三枝成彰さんの対談の一部です)

【林真理子:今までも小さいオペラはやってらしたけど、本格的なグランドオペラは「忠臣蔵」が初めてですよね。

三枝成彰:そう。あれが初めて。

林:あのとき、三枝さんがすごい興奮してて、「毎日、舞台に向かって射精しているみたいで気持ちいい!」と言ったの、私、すごく印象的で覚えてる。そしたら佐藤しのぶさんが「まあ、スケッチをなさるの?」っておっしゃったんですよね。(笑)

三枝:やりたいことがやれた達成感でしょうね。射精というのは。

林:「忠臣蔵」はすごい話題になりましたけど、お金もメチャメチャかかったんでしょう? 舞台で花火が上がったり、大演出家を起用したり。

三枝:演出をウェルナー・ヘルツォークというドイツの映画監督にやってもらって、美術が石岡瑛子さん。お金かかったよねえ。死ぬほどかかった(笑)。シンプルな舞台なんだけど、舞台だけで1億ぐらいかかったかな。入場料収入が4千万円で、かかったお金が5億2千万。

林:ひぇ〜! 残りの4億……。

三枝:4億8千万は、基本的に皆さまのご浄財にすがったんです。

林:「Jr.バタフライ」も、すごくお金かかってるわけでしょう?

三枝;これは2億7千万ぐらい。「今度はお金のかからないオペラをやろう」と島田(雅彦)と話して、登場人物を減らしたんです。

(中略)

三枝:まあ、お金はないですね(笑)。ほんとにない。僕はたぶん、港区の高額所得者ランキングの100位以内にいるんですよ。

林:お金持ちがウジャウジャいるこの界隈で、100位以内……。

三枝:でも、現実にはお金がない。事務所の借金がすごいんですよ。

林:今度のオペラでも増えちゃう?

三枝:たぶん2千万ぐらい足りないんじゃないかな。もちろん企業に協賛していただくんですが、それでも足りなくて、この会社で負担するのが2千万ぐらい。

林:三枝さん、絶対ファーストクラスには乗らないですよね。もし協賛してくれる企業のトップが近くに乗ってて、自分がファーストだったらどう思うかって。

三枝:絶対ファーストには乗らない。エコノミーでも平気。今度のイタリアもエコノミーで行くんです。オペラは趣味なんですよ。だからカネを稼ぐことができないでしょう? ドラ息子みたいなもんですね。

林:愛してしまったんだから、仕方がない?

三枝:そう、深情け。好きなことをやっているんだから僕は幸せなの。だから苦労ではないんですよ。

林:三枝さん、「機動戦士ガンダム」の音楽も書いているんですよね。あの印税ですごく儲かったって喜んでましたけど。

三枝:「ガンダム」がなかったら、僕はオペラできなかったと思う。20年前ぐらい前に作曲したやつですよ。それがゲームになってお金になり、ビデオになって、LDになってお金になり、今度はDVDでしょう。1セット数万円するのが、30万セット売れたんです。

林:すご〜い! 「ガンダム」が三枝さんのオペラをつくり上げたんですね。】

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 僕にとっての三枝成彰さんといえば、「ガンダムの音楽を作った人」というイメージのほうが強いのですが、御本人からしてみれば、ガンダムの音楽というのは、「勝手に貢いでくれる愛人」みたいなものなのかもしれませんね。最初にガンダムの音楽を作られたときには、こんなにお金になるとは思ってもみなかったのでしょうけど。ゲーム、ビデオ、レーザーディスク、今回のDVD……、それらのBGMとして三枝さんの曲が使われれば、それこそ「黙っていてもお金がどんどん入ってくる」わけです。確かに、あの音楽がなければ「ガンダムらしさ」がだいぶ失われてしまうのも事実なんですけど。
 それにしても、オペラというのは上流階級の娯楽だというイメージがあったのですが、ここまでお金がかかるものだとは知りませんでした。5億2千万!「金のかからないもの」でも、2億7千万!いくら「オペラは入場料が高い!」と観客が愚痴ってみても、入場料収入というのは、収入の1割くらいにしかならないそうです。しかし、それだけお金を集めてもオペラをやりたい、という三枝さんの「オペラ愛」というのも凄い。僕だったら、企業からの「浄財」が4億8千万も集まるのだったら、5億2千万円ものオペラを作るのではなくて、3億円くらいのコストのオペラを作って残りを懐に入れちゃうのではないかと思います。そういうセコいところがないのが、たぶんん、三枝さんのところにお金が集まる理由のひとつでもあるのでしょう。そして、「ファーストクラスに乗らない」なんていうエピソードも、三枝さん自身が「パトロンという人種の気持ちがわかる」人間であることを物語っているようです。やっぱり、あんまりガツガツしすぎていては、お金っていうのは寄ってこないのかもしれません。
 ああ、でも僕が今までに「ガンダム」につぎ込んだけっこうな額のお金が、僕が観たこともないような高尚なオペラに使われているというのは、不思議な気分であるのと同時に、ちょっと寂しくもあるのです。なんだか、自分がさんざん貢いでいた恋人が、そのお金を他の男に貢いでいたような、そんな感じなんだよなあ。



2006年08月24日(木)
「アカの他人の披露宴に出席する」という仕事

「週刊SPA!2006.8/15・22合併号」(扶桑社)の特集記事「ラクして稼ぐ『リアル錬金術』大全」より。

出席代行(結婚式1回につき1万2000円程度)
 本来なら、数万円包んだうえに他人の幸せを見せつけられるのが結婚式。しかし、アカの他人の披露宴に出席するだけで、カネになるというオイシイ商売があるという。話を聞かせてくれたのは、出席代行を副業とする浦野浩二さん(仮名)。

「呼ぶ友達がいないとか、式の直前にケンカして来れなくなったとかで空いた席の穴埋め役です。相手方の親戚の手前、新郎がニートだと体裁が悪いので架空の上司役を、なんて依頼もありましたね」

 なかには、スピーチや歌の余興を頼まれることも。

「依頼者とは事前に打ち合わせをして、本番に挑むんですが、以前、新郎の親戚と同じ席になったことがあって。『××高時代の友達なら、○○校長知ってる?』なんて話を振られて焦りました。
 そんなときは、すかさずトイレに緊急避難するという浦野さん。

「引き出物をもらえてカネになるんだからラクですよ。たまに、依頼者から『引き出物を返せ』って言われることもありますが(笑)」】

〜〜〜〜〜〜〜

 以前、「披露宴に友人が全く出席してくれない女性」がネットで話題になっていたことがあって、そのトピックに対して、このサービスを紹介するコメントを書いていた人がいたのです。正直、僕はこんな商売が成り立つのだろうか?と半信半疑だったのですが、こうして雑誌にもとりあげられるくらいですから、本当にやっている人がいるのは間違いないようです。

 「1回1万2千円」で食事つき、お土産つきであれば、土日祝日の「副業」としては、悪くないような気もします。結婚式の「引き出物」って、そんなに欲しいものかと問われればちょっと疑問ですし、「披露宴への出席」ともなれば、それなりの格好をしてくることも「仕事のうち」でしょうから、着ていく服や装飾品などの「設備投資」もそれなりにかかりそうではあるので、「1万2千円」でも、それほど「ワリがいい」かどうかは微妙なところですが。
 しかしながら、「赤の他人の結婚式」に出るのって、けっこう辛いものがありますよね。いや、「新郎あるいは新婦とは親友だけど、他に誰一人知り合いがいない披露宴」と「新郎も新婦も全然知らないけれど、出席者は知り合いばかりの披露宴」とで、どちらか一方に出席を強制されるとしたら、僕は絶対に後者を選ぶので、「他の出席者を知らない」ことのほうが辛いかもしれません。まあ、そういう人の結婚式の場合は、「顔見知りの出席代行仲間が大勢」なんてこともありそうですけど。

 僕の場合、披露宴への出席というのは、よほどの「公用」が無いかぎり断っては失礼のあたるものだという意識があるのです(たぶん、多くの人がそうだろうと思います)。でも、やっぱりそこに出席するときの「熱意」というのには温度差があるものだし、中には、「せっかくの週末なんだし、御祝儀だけ置いて帰っちゃいたいなあ……」というようなこともあるのです。それでも、出席しているうちに、それなりに幸せのおすそ分けを貰ったような気分になっていたりすることも多いのですが。

 こういう話を読むと、「そんな状況なら、わざわざ披露宴なんかやらなきゃいいのに……」なんて考えてしまうのですが、僕自身にしても「じゃあ、お前には自分の披露宴に呼べる『友達』が、そんなにたくさんいるのか?」と問われたら、あまり自信がないのも事実なんですよね。「仕事上の付き合いの人」まで呼べばきりが無さそうだし、「本当の親友」となると、片手でさえ余るかもしれません。「絶対呼びたい人」と「呼ばなくてもいい人」は分けられるとしても、その境界線を引くのって、すごく難しい。
 人にはいろいろな「事情」ってやつもありますし、「友人」「上司(あるいは部下などの仕事仲間)」「親族」のすべてを完璧に揃えて、「普通の披露宴」をやるというのは、当たり前のことのようでけっこう大変なことみたいです。
 



2006年08月23日(水)
『どんなタイプの人が好き?』のナンセンス

「NAMABON」2006年8月号(アクセス・パブリッシング)の辻よしなりさんの連載エッセイ「バイブルはもういらない」第46回より。

【「どこが好きかと問われて、ここが好きと言えるのは、本当の恋ではない!」
 人を好きになるとき、何を考えて心動かされるか? それは、容姿だったり、性格だったり、仕事をする強さだったり、笑顔だったり、人それぞれの理由は千差万別だろう。
『彼は優しいから……』
『彼女は一歩下がってくれるから……』
 なんて話をよく聞く。自分の場合も、胸に手を当てて考えてみたりすると、似たような答えが返ってくることが多い。
 しかし、そんなことをいっている段階では、まだ運命の人には出会えていないと、尊敬する先輩が言っていた。
 人生を共に過ごしていく相手とは、好きになる理由の見つからない人だそうだ。何故か心惹かれる。他人にはわかってもらう必要がない、自分が満足できればそれでいい。条件をつけてそれに見合った人を探そうということ自体が、自分に嘘をつくことにつながる。
『どんなタイプの人が好き?』
 こんな異性との会話の常套句は、ナンセンスだということなのだ。たまに、
『好きになった人が好き!』
 とあっけらかんと言う人がいるが、これ稚拙なんじゃなくて、真実を突いている言葉なのかもしれない。
 私には経験がない。
 眼が大きいとか、脚が長いとか、ユーモアがわかるとか、一緒にゴルフに行けるからとか……。そんな感情でしか女の人を好きになったことがなかったと思う。
 理由のない恋愛。
 何故だか心惹かれる相手は、はたして私の前に現れるのだろうか。いろいろ小さいことに囚われずに、まっさらな状態で女の人に遭遇できるのか?
 自信は全くない!】

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 「どんな人がタイプなの?」という質問に対して、『好きになった人がタイプ!』って答える女性ってけっこう多いですよね。なんとなく「はぐらかされてるなあ……」という感じだし、話を続ける糸口もつかめないので、そんなふうに答える女性はちょっと苦手だったのですが、この文章を読んでみると、それもひとつの「実感」なのかな、という気もしてきたのです。
 例えば、「お金持ちだから」「優しいから」というような「他者とのスペック比較」により誰かを好きになった場合は、「よりお金持ちな人」「もっと優しい人」というのが目の前に登場してくる可能性は、けっしてゼロではないはずです。そうなると、結局「上位機種」に心が移ってしまうのも、自然なことなのかもしれません。まあ、購入する側にも「愛着」とか「懐具合」ってやつもあるのでしょうけど。
 
 実際は、「好みのタイプは○○」なんて公言している人も、必ずしもその宣言どおりの人と交際しているとは限らないし、「ゴルフに一緒に行けるから」というような理由だって、本当は、「うまく説明できないけど好き!」な人に「一緒にゴルフに行ける」というプラスアルファが加わっているだけなのかもしれないのです。自分では、その「付加価値」のほうを「好きな理由」だと思い込んでいるだけで。
 だって、「一緒にゴルフに行ける人」とか「優しい人」なんていうのは、それこそ、星の数ほどいるはずなのだから。
 「ハードなスカトロプレイを一緒にやってくれる」とか「ネットゲームを不眠不休で24時間一緒にやってくれる」というような、レアな「共通の趣味」ならともかく。

 ただ、「何故好きになったのか、理由がわからない人」のほうが、確かに、ずっと付き合っていくには退屈しないような気もします。一生かけて、その「理由」を探すっていうのも、悪くないかも。

 実際は、「なんでこんな人、好きになっちゃったんだろう……」と本気で後悔してしまう場合も、珍しくないのだけれど。



2006年08月22日(火)
トムとジェリー、仲良く禁煙しな。

時事通信の記事より。

【英国の子供向けテレビチャンネルで放映されている米国製アニメ「トムとジェリー」の中の喫煙シーンが、視聴者からの苦情を受けてカットされることになった。放送番組などを監督する英情報通信庁が21日、明らかにした。
 同庁は匿名の視聴者からの苦情を受けて調査を実施。その結果、「トムとジェリー」を放映している子供向けチャンネル「ブーメラン」が、喫煙を美化・容認するようなシーンのカットに同意したという。
 このアニメでは、主役の一方である猫のトムがメス猫に好印象を与えようとして手巻きタバコを吸うシーンや、トムのテニス相手が大きな葉巻をふかすシーンが登場する。
 同庁は「トムとジェリー」について、作品自体は評価しながらも、喫煙がさほど社会問題化していなかった1940、50、60年代に製作されたため、喫煙がごく当たり前のことであるように描写されており、見過ごせない点があると指摘した。】

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 僕自身はタバコは吸いませんし、タバコの煙は苦手です。子供の頃は乗り物酔いしやすかった上に、バスや電車の中でのタバコの煙でさらに気分が悪くトイレに篭りっきりになることもしばしばでした。職責上も「タバコの害」をアピールしなければならない立場ですから、この「カット」に関しては歓迎すべきなのでしょうけど、なんだかやっぱり、すごく「違和感」があるのも事実なんですよね。
 少なくとも、タバコは現代人にとって「健康に悪い」(ある種の癌の発生率を上げたり、血管障害のリスクを高めたりする)ことはわかっているのですが、だからといって、「歴史上の喫煙シーン」を「無かったことにする」のは、「正しい」ことなのでしょうか。いや、「正しい」か「正しくない」かで言えば、たぶん「現代人にとっては正しい」のかもしれないけれども。

 僕が好きな小説や映画の中にも、喫煙シーンはたくさん出てきます。『ノルウェイの森』なんて、嫌煙派である僕でさえも、読んだらタバコを吸うかビートルズを聴きたくなるくらいだし、昔の映画俳優がタバコをくゆらせるシーンのなかには、実に魅力的な場面も多いのです。でもまあ、もし彼らの「カッコよさ」を表現するためのアイテムが覚醒剤や大麻であれば、やっぱりそれを美化するようなシーンは御法度でしょうから、いまや、タバコというのは「麻薬」なのだというのが「喫煙シーン削除派」の言い分なのかもしれません。そして、「タバコは麻薬である」というのはひとつの「客観的な事実」でもあるわけです。
 でも、そう言い始めたら、「暴力シーン」とか「飲酒」とかはどうなんだ?というのもあるんですよね。
 僕自身は、人類にとっての「タバコの記憶」というのは、けっして全否定されるほど悪いものではないような気もしているのです。今でも、農作業の合間に手を休めて「一服」しているお年寄りを見ていると、「あんなふうにリラックスできる方法があるなんて、ちょっと羨ましいなあ」とか思ったりもしますし。医者としては「タバコは悪」なのですが、ひとりの人間としては、「体には悪いのかもしれないし、これから生まれてくる子供たちには吸わせたくないけれど、長年タバコに親しんできたお年寄りにまで、「タバコを吸うなんてバカだ!」と説教できるほど、僕は立派じゃありません。そりゃあ、マナーを守れない「迷惑スモーカー」には腹が立ちますし、「やめてくれると助かる」のは間違いないんですけど。
 戦争映画などで、束の間の安息の時間にタバコをふかしている兵士の映像を観ていると、「もしタバコが無かったら、何がタバコの代わりをしてくれるのだろう?」とも思うのです。もしタバコが無かったら、兵士たちは出撃前に「ニンテンドーDS」とかやっているのでしょうか。うーん、本当にそうなりそうで怖いな。

 「喫煙」そのものの是非はさておき、「トムとジェリー」という作品が長い間親しまれているのは、別に人道的だからでも文化的だからでもなくて、単に「ちょっとブラックな要素が含まれている、面白いスラップスティックコメディ」だからなのです。そして、流行り言葉で言えば、タバコを吸っているような「ちょいワル」なところも、子供にとっては魅力だったりするんですよね。毒気を抜きまくった「品行方正」なだけのコメディなんて、一体誰が観るのでしょうか?
 そもそも、「トムとジェリー」って、喫煙シーン以上に「問題がある」シーンも少なくなさそう。

 どんなに「タバコを吸う映像」を削除していっても、人類にとって「タバコを吸っていた記録」があるのは紛れもない事実です。そして、僕みたいに今まで本当にたくさんの喫煙シーンを観てきた人間でも、必ずしもヘビースモーカーになるとは限らない。
 もっとも、今の子供たちには、「大きな葉巻をくゆらせる」=「偉そうにしている」というような連想が難しいでしょうから、かえって喫煙シーンを削除したほうがわかりやすくなったりするのかもしれませんけど。



2006年08月21日(月)
「日本人は閉鎖的で外国人に冷たい」という嘘

「文藝春秋」2006年9月号の対談記事「ゴーン夫人とシャネル社長・ゴーン家の『夫操縦法』教えます」より。

(カルロス・ゴーン夫人のリタ・ゴーンさんとシャネル社長のリシャール・コラスさんの対談の一部です。コラスさんが、大学入学前の17歳の夏休みに日本に一人旅をしたときのことを思い出して)

【リタ・ゴーン:どうしてまた、地球の反対側の日本を旅先に選んだのですか。

リシャール・コラス:本当はアマゾンに写真を撮りに行く予定だったのがダメになって、エールフランスの機長をしていた父に「日本は素晴らしい国だから行ってみれば」と勧められたんです。父の日本土産の根付とその包装紙に使われていた浮世絵が家にあって、昔からキレイだなと憧れてもいたんですね。それに、日本に行けば夢にまで見たニコンのカメラを安く買えるかもしれない、と(笑)。

ゴーン:35年前の日本には、まだ外国人も少なかったでしょう。

コラス:でも、あの頃の日本人は、英語は話せなくても心をこめて迎えてくれました。僕はあのとき、自分が”ガイジン”だという思いをした記憶がまったくない。出会う人、出会う人がみんな親切で「泊まる場所が決まってないなら、うちにおいで」「どこかに連れていってやろう」と言ってくれる。40日間の旅で、ひと晩ユースホステルに泊まった以外は全部、日本の民家に泊めていただきました。夜行バスの後ろの席に座っていた青年に誘われて、彼の故郷の瀬戸内で盆踊りしたこともあった。

ゴーン:その精神はいまも変わりませんよ。「日本人は閉鎖的で外国人に冷たい」とよく日本人自身も言いますけれど、私は声を大にして反論したい。日本人こそ本当の意味でオープンな人々です。海外では、話し相手の発音やイントネーションが違うだけで「分かろうともしない、聞こうともしない」人々をたくさん見てきましたが、日本では、日本語のできない私が何か伝えようとしても、皆さん一生懸命「分かろう」としてくれます。日本人ほど一生懸命、人の話を聞こうとする人々はいません。

コラス:日本人の深い理解力、洞察力は、世界中を見渡しても他にない美点ですよね。いま鎌倉に建設中の新居に、純日本風の離れを造っているんですが、日本の大工さんというのは職人であるとともにアーティストなんです。木材を選ぶのにも「この樹齢700年の木の声を聴くんですよ」とおっしゃる。私は彼と話すたびに、その森羅万象に耳をすまし、理解しようとする態度に、日本文化の厚みを感じるんです。この深い理解力は、日本企業のビジネスマンの中にも生きているのではないでしょうか。

ゴーン:カルロスはいつも、日産で仕事をしたことが自分にとっていかに大きな財産になったか話しています。ものづくりに対する日本人の一生懸命さ、そしてそれに応える一部の消費者たちの厳しい視点に大きな感銘を受けたようです。

コラス:日本の消費者のレベルの高さを説明するときにいつも使う例え話があるんです。
 以前ジバンシィに勤めていたときに、ブティックからドレスが一着戻ってきたことがありました。お客様が不良品だとお怒りだという。ところが見たところ、生地はキレイですし、カットもパーフェクト。唯一、裾から少し糸がぶら下がっているだけ。フランス人だったら、自分でハサミで切って済ませるでしょう?

ゴーン:(大きく頷いて)間違いなく、自分で切るわ。

コラス:参考までにアメリカ人に見せたら、気がつきませんでしたよ。ここに難があると説明しても、こんなのアメリカ人の感覚では難に入らないわよという感じで、日本人の求めるクオリティだけが特別に高いんです。
 アメリカ人は、ものはプライスが低い方が良くて、食べ物も空腹が満たされればいいという考え方。アメリカ人の中にも洗練された人はいますけど、全体的に見たら日本人の方がずっと敏感です。ものには魂があるということを、ごく普通の市井の人々さえもが分かっているんですから。私どもの商品の価値が分かる、お目が高い方が多いはずです(笑)。】

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 まあ、このお二人の「立場」を考えれば、重要な顧客である日本人の悪口を「文藝春秋」で喋りまくるわけにはいかないでしょうから、多少は割り引いて聞く必要はありそうですが、この対談を読んでいると、確かに「日本人は閉鎖的」だというのは、もしかしたら「思い込み」にすぎないのかもしれないという気もしてくるのです。
 考えてみたら、日本人は外国人を「言葉が通じないから」という理由で「敬遠」しがちなのですけれど、その一方で、話しかけらればなんとかその言葉の意味を分かろうと努力はしますし、そもそも「話が通じないのを申しわけなく思う気持ち」というのは、少なくとも「言葉が通じない相手は無視するのが当然という考え方」よりも、はるかに「開放的」なのかもしれません。いや、「通じる」ことに比べればはるかに下だし、自慢するほどのことじゃないと言われれば、それまでなんですけれども。
 それでも、コラスさんが語られている「35年前の日本人」の、現代日本人である僕からすれば、おせっかいなのではないかと思えるほどの「親切さ」に比べれば、確かに「日本人は閉鎖的になってきている」とも言えそうではありますね。

 しかし、このお二人の対談の引用の後半部を読んでみると、やっぱり、日本人というのは「異質」なのかな、とも感じます。それが良いか悪いかはさておき、「なんで日本人というのは、こんな些細なところにクレームをつけてくるんだ?」という疑問を持つ外国人が多いのでしょう。世界基準としては、このお二人のように「お目が高い顧客」を喜ぶ人ばかりではないというか、こういうふうに良いほうに考えてくれる人のほうが少数派なのではないかと思われますし、この「難ありドレス」の件に関しては、この二人の対談の内容にすら、ちょっと嫌味が含まれているような……
 例えば、アメリカ産牛肉の輸入問題にしても、日本側としては、「あんないいかげんな加工をして、BSEになる可能性があるような肉を輸出しやがって!日本人をナメてるのか!」という考え方が多数派なのですが、アメリカ人は「日本人をナメている」わけではなくて、「アメリカでは、あれで十分」というのが根底にあるからこそ、日本の要求が理解できないのだと思われます。それでも「商売」なんだから、顧客のニーズに合わせるのが当然なのでしょうけど、そういう「基準」の違いというのは、大国にとっては受け入れ難いのかもしれませんね。

 でも、どうなんでしょう実際のところ。やっぱり、ジバンシィのドレスの裾から少し糸がぶら下がっていたら、クレームをつけるのが日本人として普通なのでしょうか?
 そういうのって、むしろ人種とか民族っていうより、個人個人の「要求水準」の問題のような気がするし、僕はクレームつけるのがめんどくさいので、そのくらいなら自分で切ってしまうと思うのですが。
 



2006年08月19日(土)
文庫の「解説」が無くならない理由

「ダ・ヴィンチ」(メディアファクトリー)2006年9月号の「出動!TORO RESEARCH(トロ・リサーチ)・第23回」(取材・文:北尾トロ)より。

(「日本独特の読者サービス『解説』って?」というタイトルで、文庫の「解説」について書かれたものの一部です)

【文庫にはいつから解説がつくようになったのだろう。正確なところはわからないが、老舗の新潮文庫では昭和22年、文庫の発行を再開するにあたり、第1回配本である『雪国』(川端康成)で、初めて解説がつけられたという。当時の文庫化作品は純文学作品が主流。解説の役割も文学史的な位置づけや作家・作品論といったオーソドックスなもの。時代的に古くなっている作品を文庫という形で蘇らせていたため、鑑賞の手助けになるような内容が求められたわけだ。
 状況が変わるのは昭和50年代に入ってから。映画とタイアップして成功した角川文庫の影響で、それまで名作の殿堂入りを意味していた文庫が、エンターテイメント系小説やエッセイなど、なんでもありの様相を呈するようになる。作品の傾向が変われば解説に求められるものも変わるのは必然。文学作品の評論的なものから、読後感を共有できるエッセイ的なものが登場するようになり、現在へとつながっていく。

(中略・以下は、新潮文庫編集部の佐々木勉さんへのインタビュー「どうして文庫が変わっても『解説』は無くならなかったのか?」の一部です)

佐々木「平成に入るとますます競争が激しくなり、解説者に有名タレントが起用されたり、パブ効果を期待してコラムニストや新聞記者が書くなど多様になっていきました。でも、ネームバリューに頼るだけじゃなく作品に愛情を持つ人なら無名の方でもいいのではないかということで、最近ではライターさんに頼んだり、書店員さん等の非文筆家を起用するケースも出てきています」

 ううむ、凄いことになっているなあ。必ずしも効果的とは言い切れないのに、解説なんてやめちゃえ、というふうにならないのも不思議だ。やっぱりアレか、文庫本には解説がついててあたりまえ、という読者のニーズは版元として無視できない、と。

佐々木「それも確かにあります。単行本と同じ形では売れ行き的にも不安だからお得感を出したいわけです。でも、ぼくらの存在証明として何かしたい、という気持ちもあるんですよ」

 ん、どういうこと?

佐々木「個人的な意見ですけど、文庫編集者って悲しい面があって、元になる本があるからと、大きいものを小さくしただけだと思われがちじゃないですか。当然、文庫編集でのプラスアルファを示したくなるわけです。で、時代小説なら地図や家計図をつけたりと工夫をするんですが……」

 そうか。解説は、何かしたい文庫編集者にとって貴重な”腕の見せどころ”なのだ。佐々木さんが理想とするのは、本編のあとで解説を読むと、全然違う物語が立ち上がってくるようなもの。読者の読みを超える読みを提示してほしいという。】

参考リンク:活字中毒R。「文庫に『解説』を付けない作家」

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 村上春樹さんや本多孝好さんのように「文庫に『解説』を付けない作家」がいる一方で、文庫編集者としては、「解説」こそ腕の見せどころ、という面もあるのですね。もちろん、文庫編集者というのも、考えてみれば「どの作品を文庫化するのか?」というリサーチから、版権の交渉や装丁など、「仕事」はたくさんあるのでしょうけど、確かに、目に見える形で、自分がこの本に関わった証を残したいというのは、ものすごくわかるような気がします。やっぱり「もともとある本を小さくするだけだから、ラクでいいねえ」なんて思われるのは心外だろうし。

 それにしても、「解説」のルーツというのはかなり古いものである一方で、現在のような「本編と乖離しているような解説」が流行しはじめたのは、けっこう最近なのだな、ということがわかります。そして、今となっては半分ネタ的にすら思われる「角川文庫」というのは、実は、文庫本の世界にさまざまな影響を及ぼしているのだ、ということも。それまでは「すでに功成り名を遂げた名作の殿堂」だった文庫という媒体が、流行の発信地になったのは、あの角川文庫の功績が大きかったのですね。僕はあの「ねらわれた学園」とか「セーラー服と機関銃」といった角川映画の全盛期を小学校時代に体験しているのですが、角川文庫の「メディアミックス」の歴史的意義なんて、当時は考えてみたこともありませんでした。まあ、そんなこと考えてる小学生は、あんまりいないでしょうけど。

 でも、そういう「とにかく有名人が解説をする」という流れも、少しずつ変化がみられてきているのも事実のようです。先日、絲山秋子さんの『イッツ・オンリー・トーク』という作品の文庫を読んだのですが、その本の「解説」を書かれていたのは、ずっと絲山さんを応援してこられた一書店員の方でした。これはけっこう冒険だったと思うのですが、「本当に作品を愛している1ファンの言葉」には、なんだかとても新鮮な感動があったんですよね。最近、書店で手作りポップによる作品紹介がされているところも多くなってきていますが、僕はああいう「無名の人の思い入れ溢れる推薦文」を読むのがけっこう好きで、つい、紹介されている本を手に取ってしまうことも多いのです。薦めてくれている人の顔が見えるというのは、とても魅力的なことではないかな、と感じます。

 たぶん、これからも文庫の「解説」という文化は続いていくのでしょうし、僕も「こんな解説付けるなよ…」と嘆いたり、「解説だけで読んだ価値があった!」と喜んだりするのでしょう。なんのかんの言っても、やっぱり、無いと寂しいのも事実だし、こうやって「解説語り」ができるのも、本好きの楽しみのひとつなのかもしれませんね。



2006年08月18日(金)
「mixi」での中傷は、安全でも適切でもありません。

産経新聞の記事より。

【岩手県内にある大学の元水泳部員の男子学生(20)が、アルバイト先の書店で顔や腕を包帯で覆った皮膚病患者の写真を隠し撮りし、インターネットに「ミイラが来店」などと中傷する書き込みを繰り返していたことが17日、分かった。同じ悩みを抱える患者らからの抗議メールを受け、水泳部のホームページが閉鎖に追い込まれたほか、大学側にも抗議が殺到。学生から事情を聴き、厳重注意を行ったという。
 学生のバイト先の近くには、重度の皮膚病治療で名の知られる総合病院があり、撮影されたのは、そこに入院する患者の外出時の姿とみられる。大学側などによると、書き込みは7月9日に2度行われた。バイト先の書店を訪れた患者の写真を携帯電話のカメラで撮影した上で公開し、「ミイラが来店」「刺激臭を観測…くせぇ」などと中傷した。
 書き込みが、会員登録型のソーシャル・ネットワーキング・サービスで行われたことから個人が特定され、巨大掲示板群などを介して批判の声が広がった。
 抗議のメールを受け、水泳部は7月27日付で「元部員の軽はずみな言動でご迷惑をかけた」などとする謝罪文を掲載し、ホームページを閉鎖。大学は28日に学生を呼び出し、「学生として、人として不適切な行為」などと学部長名義で注意した。】

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 もちろん、この学生の発言内容は、「人間としての品性が疑われる」ものであることは間違いありません。いや、人間誰しも、そういう「ダークな考え」が浮かんでくることはあるのでしょうが、それを口に出すのは、やはり「許すわけにはいかない」と思います。その「罪」が「謝罪すれば大目にみてもらえる」レベルなのか、「学校を追われ、社会的制裁も受けまくる」レベルなのかはさておき。
 
 ところで、僕はこの記事を読んで、ちょっと怖くなってしまいました。この男子学生は、ソーシャルネットワーク(SNS)にこの書き込みをしていたらしいのですが、それが同じような病気を抱えている患者さんの目に留まって糾弾され、さらにそれがコピー&ペーストされ、「某巨大掲示板群」に晒されて、このような大きな事件になったようです。
 たぶん、この男子学生は、公衆の面前で同じことを言うほどの「勇気」(こんな酷い中傷に「勇気も何もあったもんじゃないかもしれませんが)は全くないと思うんですよね。あるいは普通のブログだったら、こんなことを書く前に、自制心が働いた可能性も高いと思います。
 でも、これが「会員制のSNS上」だからこそ、彼は「暴走」してしまったのではないでしょうか。「どうせ、知り合いしか見ないだろうから」って。
 この某SNS(というかmixi)の日記というのは、「公開制限」をかけていなければ、会員でなら誰でも閲覧することができるものです。しかしながら、現実的に「自分のマイミクではない人」に見られる可能性というのは、自分のプロフィールによっぽど可愛い女の子の写真でも使っていないかぎり、そんなに高いものではないのです。この男子学生も、友達同士での「黒い嘲笑」を共有するためにこんなことをしたのでしょうけど、それが「内輪の話」だけではすまないのがネットの怖さ。いまや500万人を超える会員数を超える「mixi」は、もう、「閉鎖されたプライベートな場所」ではなくて、mixiそのものが、「小さなインターネットそのもの」なのです。「ブログに書けないような本音を書く」場所のはずだったSNSでさえ、もう、「隠れ家」にはなりえない。むしろ、「書いた人がすぐに特定される」というリスクのほうが大きいくらいです。

 実際「友人のみ公開」にしていたとしても、もしその内容が「仲間」の一人によってコピーされ、「某巨大掲示板群」に晒されたりすれば、それはもう、「友人のみ公開」だったから、なんていう言い訳は通用しないでしょう。「オフレコ」のつもりの発言でも、みんなに聞こえてしまえば、「言わなかったこと」にはできないのです。ですから、極端な話、自分のパソコンのWORDに書いた他人の悪口が、スパイウェアによって誰かの手に渡り、晒されたとしても、「そんなことを書くなんて酷い人間だ」と糾弾されてしまうのではないかという気もします。
 そもそも、この事件に関しても、大学に責任を問うたり、本人が所属していた水泳部のホームページを荒らしたりするのに、どのくらいの「意味」があるのかは甚だ疑問です。大学に通っていたことがある人なら、大学というのは「人格形成の場」ではないということは理解しているはずだし、水泳部に所属していたからあんなことを書くような人間になったわけではないというのも、わかりきったことのはずなのに。もちろん、そうやって周囲を責めることが、本人に対するプレッシャーになるのは事実なのでしょうが、正直、そんなふうにとばっちりを受けて責められるほうは、いい迷惑でしかありません。
 まあ、「誤解を招くようなことは書かない」しかないとは思うのですが、それにしても、なんだか気が滅入る話ではあります。
 結局、皮膚病の患者さんのことを差別するのをやめるというのが目的なのではなくて、「差別をしている人間を、生贄としてさらに差別して快哉を叫ぶ」というのが目的の「負の連鎖」にしか、僕には見えないのですよね。



2006年08月17日(木)
NGフィルムが語る、チャップリンの「ヒューマニズム」

「知るを楽しむ〜私のこだわり人物伝」2006年6月の「チャップリン〜なぜ世界中が笑えるのか」(大野裕之著・日本放送出版協会)より。

(完璧主義者であったチャップリンは、NGフィルムをすべて焼却していたそうなのです。しかしながら、1980年代に焼却を免れた400巻ものNGフィルムが発見され、それにすべて目を通した著者・大野さんの感想の一部です)

【こうしてあしかけ二年かけて全てのテイクを整理・分析したのですが、チャップリンの聞きしに勝る完璧主義者ぶりには、驚愕を通り越して見ているこちらが疲れ果ててしまうほどでした。同じシーンを何十回と撮り直す。どれだけ面白いギャグでも、ストーリーにとって少しでも無駄な演技ならばカットする。その結果、当初は2分間ほどあったシーンも最終的にはわずか10秒ほどになってしまうのです。
 NGフィルムを見ると、実は『質屋』の翌年に作られた『チャップリンの霊泉』(1917年)では、最初の方のテイクにユダヤ人差別のギャグがたくさん出てきます。しかし、何度も撮り直しているうちに、そのようなギャグは消えて、誰もが心から笑うことの出来るギャグに変わっていきます。
 実は、『自伝』には、中途半端に人種問題を扱ったがために、失敗してしまった苦い思い出が書かれています。チャップリンが18歳のときのこと。この公演で認められれば、主役級のコメディアンとして認められる大切な舞台。ところが、チャップリンは、そこがユダヤ人地区だったにもかかわらず反ユダヤ的なギャグを含む出し物をしてしまい、公演は見事に失敗してしまうのです。
 チャップリンは『霊泉』を何度も撮り直していくうちに、「この映画をもしユダヤ人が見たら笑ってくれるだろうか」と考えたに違いありません。
 他にも、『チャップリンの冒険』(1917年)のNGフィルムには、性的にいやらしいギャグがたくさん撮影されていますが、これも最終的にはカットされています。
 差別的なギャグ、性的にいやらしいギャグは、安易な笑いは取れますが、不快に思う人も多く、ましてや世界中の人を笑わせることはできません。安易な笑いではなく、あくまでも万人が心から笑うことのできるギャグを求めて、チャップリンは苦闘した……ここに「なぜチャップリンは時代や国境を超えて人を笑わせることが出来るのか」という謎をとく一つの鍵があります。

(中略)

 よくチャップリンは笑いとヒューマニズムの映画人だと言われます。中には「純粋な」笑いだけじゃなくて、涙やヒューマニズムなどの「不純な」要素があるから嫌いだという人もいます。
 しかし、そんな方にこそ、チャップリンのNGフィルムをすべて見た私から一言いわせていただきたい。彼のヒューマニズムというのは、頭でっかちなものではなく、純粋な笑いを求めて苦闘した結果、体得した力強いものなのです。生っちょろいヒューマニズムなら、時代や国境を超えて笑わせることは出来ないでしょう。笑いとは厳しいものだということをNGフィルムは教えてくれます。】

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 何作品かは観たことがあるのですが、僕も「チャップリンの作品」というものに対して、「お涙頂戴」的な印象を持っていて、正直、ちょっと苦手ではあったのです。サイレントの作品が大部分であることもあり、やっぱり「古い」ように思えますし。
 でも、この「チャップリンのNGフィルム」を観ての大野さんの感想を読んで、なんだかチャップリンの作品が長い間世界中で愛されている理由が、少しわかったような気がしました。
 大野さんのNGフィルムの「検証」によると、チャップリンが「ヒューマニズム」に辿り着いたのは、もちろん、彼自身の人柄とか人生観による面も大きいのでしょうが、結局のところ「より多くの人を笑わせるには、どうすればいいのか?」という試行錯誤の末だった、ということのようです。
 完璧主義者であったチャップリンは、差別的なものは下品なものも含めて数多くのギャグをフィルムに撮り、それを何度も撮り直し、そして、「誰かに不快感を与えてしまう可能性があるギャグ」を排除していったのでしょう。そして、結果的に「最も多くの人に受け入れられる」と判断されたものが、「ヒューマニズム」だということだったのです。そういう意味では、チャップリンは、「作品をヒットさせるために『ヒューマニズム』を取り入れた」のですから、ものすごく「計算高い」とも言えるのかもしれません。少なくとも、チャップリンという人は、「安っぽいヒューマニスト」ではなかったということはよくわかります。むしろ、純粋に「世界中の最も多くの人に伝わる笑い」を求めるという目的に沿った「ヒューマニズム」だったのでしょう。
 大野さんは、「世界中で愛されるチャップリンの魅力」について、このように書かれています。

【日本と同じように世界中でチャップリン映画の翻案がなされています。香港には香港のチャップリンがいて、インドにはインドのチャップリンがいます。しかし、例えば香港のチャップリンは私たちから見ればカンフーにしか見えませんし、インドのチャップリンはよくあるロマンティックなインド映画にしか見えません。つまり、日本人がチャップリンの「情」を愛したように、香港人はチャーリーの類まれな「身体能力」を、インド人は「ロマンス」を強調して受容したわけです。
 もっと広く世界中に目を向けますと、チャップリンがフランス人の目をひいたのはその冷徹な社会批評でしたし、弱者が強者に立ち向かう点はオーストラリア人のお気に入りだそうです……チャーリーには異なった人々が異なった風に共感出来る様々な要素が折り畳まれているのです。】

 結局のところ、チャップリンというのは、「さまざまな魅力を併せ持った笑いの求道者」だったということなのかもしれません。だからこそ、さまざまな国の人に時代を超えて愛されてきたのでしょうね。



2006年08月16日(水)
「だめんず」に引っ掛かる女性の見分けかた

「爆笑問題の文学のススメ」(爆笑問題著・新潮文庫)より。

(爆笑問題のお二人(太田光、田中裕二)と眞鍋かをりさんの司会で、気鋭の作家をゲストに迎えるトーク番組「文学のススメ」を書籍化したものです。倉田真由美さんがゲストの回「ダメ恋愛克服のススメ」の一部)

【田中:かをりちゃんは「だめんず・うぉ〜か〜」ではないの?

かをり:ダメ男に引っ掛かったことは一度もないですね。安定志向なんで、暴力とかも振るわれたことないし、お金をたかられたこともない。

太田:かをりちゃんはおじさんキラーだから。

かをり:そんなことはないですよ!

太田:金持ちとしか付き合わない。

田中:そんなことはないだろ!

太田:54歳の会社社長とか49歳の医者とかね。

田中:誰だよ、それ! なんで年齢だけそんな具体的なんだよ。

倉田:眞鍋さんの場合、服装を見てても、「だめんず」じゃないですよ。センスいいから。

かをり:服装を見ただけでわかるんですか?

倉田:大体わかりますよ。結局、服装選びも男選びも、司令塔は自分一人なので、同じようなセンスが出るんですよね。だから、アバンギャルドな服着てる人ってアバンギャルドな男を選ぶし、「どこで買ったの?」みたいな変なブローチつけてるような人は、個性的な変な男を選ぶ傾向がある。

田中:外見的には服装なかに表れるんでしょうけど、内面的に「こういう性格の人はダメな男にひっかかっちゃう」っていうのはあるんですかね?

倉田:初めて付き合った男がメチャクチャひどくて、そっから壊れちゃうっていうのもあるんだけど、多いのは、学習しないタイプの女の子。そういう子って、「ひどい男と付き合っちゃったわよ。以上」って感じで、次はまた最初から繰り返しますよね。どんどんリセットしていくだけ。

田中:それって、結構「悲劇のヒロイン」を気取っちゃってるところもあるんじゃないですか?

倉田:ああ、あるかも。メチャメチャたかられてるんだけど、「あたしって彼に尽くしてるの」みたいな感じで、ちょっと嬉しそうにみんなに言って回ってたりしますからね。

太田:例えば、「危険な男」が好きっていう人もいるじゃない。そういう女性は「だめんず・うぉ〜か〜」に多いでしょ。

倉田:そうそう、多い。

太田:そういう女の人って、「あたしがいてあげないと、この人ダメになっちゃうんじゃないかしら」って勝手に思ってるケースが多いよね。

倉田:だから、芸人さんと付き合うような女の人って割とそうじゃないですか?

田中:いや、どうなんだろうなあ。僕はまったく危険じゃないと思うんですけど……。

(中略)

かをり:でも、芸人さんって、売れるか売れないかどっちかだから、そういう人と付き合う女性って勇気があるというか……。

倉田:人生を賭ける相手としては危険でしょう。バクチですよ。】

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 「見かけで人間を判断するな!」なんて、ファッションセンスがなく、それを磨こうというマメさもない昔の僕は、憤っていたものです。
 しかしながら、こうして30年以上も生きて、いろんな人を見ていると、倉田さんが仰る「服装選びも男選びも、司令塔は自分一人なので、同じようなセンスが出る」という言葉の意味、すごくわかるような気がします。
 中学校の生活指導の先生の「服装の乱れは心の乱れ」なんて言葉に「ケッ!」とか反発していたのだけれども、確かに、ちゃんとした生活をしている人というのは、ブランドとか値段とは関係なく、清潔で他人に不快感を与えない服装をしていることが多いし、その逆もまた真だな、と思うのです。僕の「ファッション不精」は相変わらずで、今だに周囲から「その組み合わせ、おかしくない?」とか苦笑されたりもするのですけど。
 
 そして、この「学習をしない女の子」って、けっこう多いですよね。「前に付き合ってたひどい男」とようやく別れたはずなのに、新しく付き合いはじめた相手は、「うーん、前の男とすごく似たようなタイプにしか見えない……」という女性。前に「派手で遊び好きで金遣いが荒い男」に苦労させられたのなら、「地味でも堅実な男」を選べばいいと思うのだけれど、やっぱり、異性の「好み」というのは、そう簡単には変わらないみたいなのです。それで、結局同じ「失敗」を何度も何度も繰り返してしまう……

 あと、傍からみたら、絶対に「利用されてるだけ」みたいに見えるのに、本人は「私がいないとあの人はダメになっちゃうから……」っていう「尽くすタイプ」の女性もけっこういます。そんな男、「あなたがいてもいなくても既にダメ」だと思うのだけれど、本人にとっては、逆に「自分が尽くしがいのある相手だったら、どんな男でもいい」みたいなところもあるみたいで、男女関係というのは、本当にいろんなパターンがあるものだな、と考えさせられることは多いのです。あんまり他人に迷惑がかからなくて、当人たちが幸せならば、とやかく言うようなことではないですけどね。

 しかし、眞鍋さんの「ダメ男に全く引っ掛かったことのない人生」というのも、なんだかそれはそれでつまらないような気もします。
 僕も「だめんず」の一員だからなのかもしれませんが……
 



2006年08月15日(火)
「なぜ死ねるのか?」という問いへの特攻隊員たちの「答え」

「日刊スポーツ」2006.8/13号のコラム「見た聞いた思った」より。

(このコラムは、日刊スポーツの10人の記者が、毎日交代で書かれているものです。村上久美子記者の回の一部)

【俳優今井雅之(45)が監督・主演した映画『THE WINDS OF GOD-KAMIKAZE』(8月26日公開)を見た。映画は現代の米国人が1945年8月に日本人となって時空移動し、特攻隊員として太平洋戦争末期を過ごすストーリー。先日の試写会で、今井があいさつした。
 もともとは舞台用に今井が27歳の時に作ったもので、これを映画化した。今井は100人以上の元特攻隊員に話を聞いた。
 「なぜ死ねるのか―と。テレビや映画の見過ぎで、お国のため、とか、そんな気持ちでなぜ、若い命を散らすことができたのか、と分からなかった」。
 今井が問うと、答えは単純だった。「みんなね、命令を受けた時は『頭が真っ白になって、出てくるのは母ちゃんの顔だった』と。で、すぐに『母ちゃんが目の前で殺されるのは嫌だと思った』と。そして言うんです。『誰だって、自分の母ちゃん、守りたいと思うだろ? 僕らはただただ、母ちゃんを守りたかった、それだけだ』って…」。
 そして、ある元特攻隊員は、仲間の出撃を見送った前夜の思い出を話してくれたそうだ。「酒を飲みながら『この時代に生まれたことを恨んでいこう』と言い合った」。母の見舞いを受けた隊員の中には、何時間も母の手を握り「死にたくない」と泣き続けた者もいたというう。しかし、その隊員も出撃命令を受けると、任務遂行に旅立った。
 残念ながら、特攻兵たちの体当たりは、そう確率が高くなかった。南洋上に、無念にも沈んだ者も多くいた。特攻出撃の際には、成果を確認し基地に戻る役目を果たす機も同行し、万一、敵前逃亡する機があれば、それを撃ち落としたという。
 悲壮としか言いようのない作戦だったが、兵士の素顔はごく普通の若者だった。だから今井は「等身大の特攻隊員を描こうと思った」と語る。撮影場所には、飛行場のあった鹿児島を選んだ。1ヵ月以上、鹿児島ロケを敢行し、鹿屋市でも撮影。特攻戦没者の慰霊祭にも参加している。
 「兵士が見た最後の故国をスクリーンで伝えたかった」。この言葉を今井から聞く前に、上映を見た。飛行場のシーン。青々とした緑の山、たくましい日差し、風のにおいを感じさせる大地…に、鹿児島が浮かんでいた。】

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 この『THE WINDS OF GOD』という作品、昨年の9月に山口智充さんと森田剛さんの主演でドラマ化されており、観られた方も少なくないのではないかと思います。この作品、今井雅之さんが27歳のときに書かれたものだそうですから、もう、初演から20年近くになろうとしているんですね。僕はこの舞台のことはかなり前から知っていたのですが(残念ながら、舞台を観たことはありません)、これを書くときに、今井さんが「100人以上の元特攻隊員から話を聞いた」というのは初耳でした。今井さんにとっても、まさに「渾身の作品」だったのでしょう。

 それにしても、この「特攻隊員たちのナマの言葉」には、僕も胸を打たれてしまいました。
【「なぜ死ねるのか―と。テレビや映画の見過ぎで、お国のため、とか、そんな気持ちでなぜ、若い命を散らすことができたのか、と分からなかった」。】
 という今井さんと同じように、僕自身もずっと考えていたのです。そしてたどりついた一つの結論は、彼らは、国家によって「洗脳」されて、正常な判断力を失っていたのではないか、というものでした。そうでもないと、あんなことできるわけがない。
 でも、特攻隊員たちは、「完全に洗脳されていた」わけではなかったのです。当時、彼らが得られた(であろう)知識の範囲では、「自分たちが戦わなければ、母ちゃんが目の前に殺される」というのは、まぎれもない「現実」でした。そして、彼らは「母ちゃんを守るために自分のできることをする」ために、「特攻」していったのです。
 現代人の感覚からすれば、「マザコン」とかなんとか揚げ足を取られてしまうのかもしれませんが、要するに、彼らは「国」とか「天皇陛下」というような「大義名分」のためにではなくて、自分の目の前の大切な人を守るために、粛々として死んでいったのです。それは、現代人にとっての「妻」とか「恋人」とか「家族」のためと言い換えても良いでしょう。
 彼らの多くは、死にたくはなかったし、「こんな時代を恨んでいた」のです。彼らも、僕たちと同じような「人間」だったのだし、逆に、今の世の中に生まれていれば、ニートやオタクになっていたかもしれません。
 ただ、彼らが「正気」のまま「特攻」していったのだと想像するのは、正直、かなり辛い面もあるのですけど。

 今日は8月15日です。
 小泉首相の靖国神社参拝などもあり、「国家」としての日本のありかた、外国との接し方について、さまざまな論議がなされています。
 でも、忘れてはならないのは、「戦争で、本当に苦しむのは誰か?」ということだと思うのです。
 日本の「国家の品格」も大事なのかもしれないけれど、こうしてネットで発言している一人一人の大部分は、「国家」を動かし、兵士を駒にして戦争ゲームができる存在ではなくて、「戦場で殺したり殺されたりしなければならない人々」ではないのでしょうか。

 特攻隊員は、けっして、「特別な若者たち」ではなかったのです。好きで「悲劇のヒーロー」になったわけじゃない。
 だからこそ、「普通の人間」である僕たちは、総理大臣の立場ではなくて、彼らの立場になって、もっと「進むべき道」を考えてみるべきだと思うのです。
  



2006年08月14日(月)
「俳優バカ一代」三国連太郎伝説!

日刊スポーツのインタビュー記事「日曜日のヒーロー〜第529回」三国連太郎さんへのインタビューの一部です。

【日本映画界屈指の怪優には、数多くの伝説がある。それは三国伝説と呼ばれ、役作りへの執念、役にのめりこんだ時の俳優の恐ろしさを感じさせるエピソードだ。1957年「異母兄弟」。一回り以上年上の田中絹代さんと激しいラブシーンを演じなければならなかった。

三国連太郎「馬小屋で乱暴してしまうシーンがあったのですが、抱え込むとどうも違和感がありました。考えてみたら自分の母と同い年。メークで老けてみても、どうも落ち着かない。思いついたのが僕が生理的に年を取ればいいんだと。そうすれば心のひずみがなくなり、自然な演技になると」。

 知り合いの歯医者を訪ね、上の前歯を1本残らず抜いてくれと説き伏せた。

三国「友人の俳優西村晃には『お前は本当にバカじゃねえか。抜いちゃったらもう生えてこないぞ』と言われましたが、どうせいつか抜けて落ちてしまうもの。それなら、ちょっと早くてもいいやって」。

 1958年、「夜の鼓」でじゃ有馬稲子さんを殴って失神させた。

三国「あれは今井正監督が悪い。有馬さんが『殴ったふりでは芝居に見えてしまう』と言っているので本気で殴ってと言われた。驚きました。殴ったら有馬さんが起きてこない。次のセリフがあったのですが困って言えませんでした」。

 僧侶の役が決まれば、半年以上前から頭をそり上げて、地肌を日に焼く。

三国「坊さんの頭が青々しているわけはありません。でもそのおかげで面白そうだなという役が来ても、断るしかありません」。

 脚本を100回以上、声を出して読み、のどを痛めた。「復讐するは我にあり」で緒形拳に事前に何も言わずにつばを吐きかけ激怒させた。高倉健と共演した作品で深作欣二監督とセリフについて口論になり、上野駅前で一日中スタッフを待たせた。「宮本武蔵」で和尚を演じたときは、部屋で一晩中待つ場面で内田吐夢監督に相談なしに小便に行く場面を付け加え、激怒され、逆ギレして降板…。

三国「伝説というのは、たいてい虚飾にまみれておりますが、今、尋ねられたのは珍しく事実ばかりです」。】

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 俳優生活55年。現在83歳になられる三国連太郎さん。まさに、日本を代表する「怪優」の名にふさわしい役者さんです。
 それにしても、この「三国伝説」の数々には驚かされます。僕は以前、ロバート・デ・ニーロが役作りのために髪を抜いたり何十キロも体重を増やしたり減らしたりしていたというエピソードや、ニコラス・ケイジが役作りのために「奥歯を抜いた」というエピソードを聞いたことがあるのですが、三国さんのやり方は、さらに徹底しています。上の前歯を全部抜いてしまったら食べるのにも困るでしょうし、見た目の印象だってだいぶ変わってしまうはず。そして、見た目を変えることが目的なのではなく、自分の体を高齢者に近づけることによって、「自分の『違和感』を解消するため」だというのですから、本当にすごい「役者バカ」です。しかし、当時の歯科の技術は現在に比べたらはるかに劣っていたでしょうから、その撮影の後は、大変だったのではないかと思います。ほんと、西村晃さんではありませんが、「役者バカ」の「役者」は要らないのではないか、とか、ついつい言いたくなるほどです。そもそも、よく歯医者さんは抜いてくれたものです。

 三国さんのそういう「なんだかわけのわからないほどのこだわり」がある一方で、和尚役のときの「坊さんの頭が青々としているわけがない」という発想には驚かされてしまいます。まさに、徹底したリアリズム。あの「スター・ウォーズ」は、「ピカピカではない、ちゃんと汚れている宇宙船が登場するSF映画」としてファンを魅了した一面もあるのですが、確かに「役作り」のために髪を剃って坊主頭になる人は多くても、それを「年季の入った坊主頭にする」ということまで考えている役者というのは、ほとんどいないのではないでしょうか。あるいは、そう思いつつも、他の仕事との兼ね合いなどで、できない場合もあるでしょうけど。ハリウッド・スターのように1作で何十億円のギャラが貰えるわけではない日本の俳優たちにとっては、いくら「デニーロ・アプローチ」を目指しても、「見返りに乏しい」といい現実もありそうだし。
 しかし、こういう「役作りへのこだわり」と「歯なんてどうせいつかは抜けちゃうんだし」という「こだわりのなさ」がひとりの人間に同時に存在しているというのは、非常に興味深い気がします。

 このインタビューのなかで、「今、尋ねられたのは珍しく事実ばかりです」と三国さんは答えておられますが、ということは、他にも虚実入り混じった「三国伝説」がたくさん存在している、ということなのでしょう。観客としては目が離せない役者さんなのですが、きっと、監督や共演者にとっては、別の意味で「目が離せない」役者さんなのでしょうね。
 



2006年08月13日(日)
「ブロックの女王」宇多田ヒカル

日刊スポーツの記事より。

【宇多田ヒカル(23)が12日、都内で行われた人気ゲーム「テトリス」の真剣勝負で14連勝を含む31勝9敗と大きく勝ち越した。5歳から同ゲームに打ち込んでおり、発売元でイベントを主催した任天堂社員や、30人の愛好者たちと激戦を繰り広げた。

 歌っているときは絶対に見せないメガネ顔。レンズの奥の目がいつものようにうるんでいない。「よっしゃ〜っ!」。鋭い視線が大型スクリーンに浮かび上がった「WIN(勝利)」の文字を確認する。宇多田はゲームを知り尽くした任天堂の情報開発部スタッフとの5本勝負を3勝2敗で制した瞬間、両腕を突き上げた。「すごい楽しい。本当に遊びに来ちゃったみたい」。ブロックが高く積み上げられ、ゲームオーバー寸前のピンチを切り抜けた末の勝利。国内で史上最高のアルバム売り上げ記録を持つ歌姫もこの日ばかりは、勝負に厳しいゲーマーに徹していた。

 同イベントは今春発売された「ニンテンドーDS」のソフト「テトリスDC」の愛好者が「テトリス好き」を公言する宇多田と対戦するイベントだった。応募者の中から選ばれた30人が出場。小学生から女子大生、OL、会社員のお父さんなど幅広い層が集まった。

 取材陣の多さに動揺したのか、立ち上がり2連敗を喫し「ライブではこんなに緊張しないのに」と唇をかんだ。同ゲームの上限得点9999万9999点を記録したこともあるテトリス名人が「やばいよ〜、ちょっと待って。まじかよ〜」と弱音も吐いた。

 流れを変えたのは小学生の女の子と対戦した3試合目。初勝利を収めて「ああ、よかった」と大きく息を吸うと、その後は10連勝。高速で落下するブロックを巧みに組み合わせて消していく妙技に何度もどよめきが起こった。こつは「ないです」と手の内を明かさないが、抜群の集中力と瞬時の判断力を発揮して「テトリスはスポーツです」と言い切った。長嶋茂雄さんの「野球とは人生そのものです」と同じような座右の銘なのだろうか。

 任天堂スタッフを下した勢いに乗り、14連勝もマーク。31勝9敗の好成績に「どんどん楽しくなってきた」。参加者は「歌もうまいけどゲームも強い」と意外な一面に驚いていた。】

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 日刊スポーツの紙面のほうには、眼鏡姿でゲームに集中している宇多田さんの写真が掲載されていて、ああ、こうしてみると宇多田さんってけっこう「文化系女子」なのだなあ、とか思ってしまいました。
 宇多田さんの「テトリス好き」は非常に有名なのですが、この記事を読んでみると、腕前のほうもなかなかみたいですね。まあ、3試合目で「小学生の女の子を真剣勝負で負かしてひと安心」なんていうのは、ちょっと「おとなげない」ような気もしますけど。
 宇多田さんは、1983年生まれで現在23歳。僕とはちょうどひとまわりくらい違います。「テトリス」、とくにゲームボーイ版が日本で流行ったのはちょうど僕が高校生くらいのときです。その時期から、まだ5歳だった宇多田さんは「テトリス」をやっていたのです。5歳のときから「テトリス」がある人生なんていうのは、僕にはいまひとつ実感がわかないんだよなあ。

 そういえば、僕が高校生のときにも、周りに何人か「テトリス名人」がいました。彼らは、一度「テトリス」を始めると、自分から止めないかぎり、もう終わらない。当時、僕も彼らに「どうしたらそんなに上手くなるの?」と尋ねてみたことがあるのですが、彼らは一様に「慣れ」と「うまく言葉にできないけれど、なんとなくどう操作すればいいのか見える」と言っていました。この記事を書いた記者は、宇多田さんが「手のうちを明かさない」と書かれていますが、たぶん、宇多田さん自身も「コツとかタネなんてないけど、パッと見た瞬間にどう操作すればいいのかわかって、自然に手が動く」のではないかと僕は思います。レベルが上がってくると、少し考えているうちに、ブロックはもう積み上がってしまいますしね。

 こういうのって、「ゲームがちょっと上手い人」と「達人」の間には「超えられない壁」みたいなのがあるんですよね。そして、僕は所詮、すごく練習して、ようやくゲームボーイの「テトリス」でロケットが飛ばせる程度の「ゲーマー」でした。それに対して高校時代の僕の周りの「達人」たちは、みんな有名大学にひょいひょいと、まさにテトリスのブロックを消していくように(僕にはそう見えたのです)、合格していきました。それ以来、僕にとって「テトリス」というのは、「天才を判別するためのリトマス試験紙」のような存在のゲームなのです。だから、この「宇多田テトリス伝説」を読むと、「やっぱり宇多田ヒカルって凄いんだなあ」と素直に降参してしまうんですよね。
 まあ、「テトリス」が上手くても宇多田ヒカルになれるってわけじゃないんだけどさ。



2006年08月12日(土)
「マンガ家」と「サラリーマン」を両立する方法

「マンガ入門」(しりあがり寿著・講談社現代新書)より。

(大学卒業後、13年間もサラリーマンとマンガ家という「二足のワラジ」をはきつづけていた時代を振り返って)

【よく人から「二足のわらじは大変だっただろう」と聞かれることがあります。答えは「いいえ」です。
 そりゃ、ひとつしか仕事をしていない人にくらべれば多少忙しい思いはするかもしれませんが、好きなことをするんだったら、何もしないでゴロゴロしているよりは忙しくしてるほうがよっぽどいい。しかもお金を使う遊びではなく、お金が入ってくるマンガ描きなのだから、楽しいし、お金も入るし、一挙両得でした。はけることなら本当に何足のワラジでもはきたい気分でした。
 でもおそらく、誰でもが二足のワラジをはけるものでもないのでしょう。
 まず本人の性格に向き不向きがある。たとえば二足のワラジに向かない性格、それはこだわり性、完璧主義です。昼は会社ではたらいて、夜はマンガを描く。正直言ってどちらも満足できる出来に上がるのはむずかしいことです。かといってどちらかの完成度にこだわってもう一方の時間まで侵食したら、侵食されたほうがさらにおろそかになってしまう。その点ボクは自分に甘く、ベタを塗り忘れても登場人物の顔が途中で変わっても、あまり気にしませんでした。
 ボクは会社に通勤する途中の電車の乗り換え駅で、マンガ頭を会社頭に切り替えていました。そして会社で自分の意見を通せなくても、「オレにはマンガがあるからいいのさ」と考え、マンガがうまく描けないときは「マンガが売れなくても会社から金もらってるから困らないのさ」とか、それぞれを精神的な逃げ場にしていた。それがいつでもボクの気持ちをラクにしてくれました。
 でもそんな個人の性格より二足のワラジに大切なのは周囲の理解でしょうか。
 ボクはマンガを描いていることをずっと会社にはだまっていました。でも、85年に『エレキな春』が出る前、他の人から耳に入ったらまずいな、と思って部長に「こういう本を出します」と報告したのです。すると部長は「自分たちが休日に趣味でゴルフをやるようなものだから、かまわないよ」とおっしゃってくれた。その上、課長は人事部まで行って「こういう人間がいるがマンガを描かせてやってほしい」と言ってくれました。
 ボクのほうも会社から信頼感を得るために、会社に迷惑のかかるような表現をひかえるようにしました。世の中というのは、そこの社員が趣味で描いているマンガと、その会社のつくる製品の良し悪しを、なぜかイメージでつなげてしまうオソロシイものだと思ってたので、あまりひどい描写や物議をかもすような表現をしませんでした(他人からみたらそーとーひどいと思われていたかもしれませんが)。
 加えて、本名、会社名、顔写真の3つは決して出さないように決めました。これも必要以上に本人を通してマンガと会社が結びつかないようにするためです。

〜〜〜〜〜〜〜

 しりあがり寿さんは、多摩美術大学のグラフィックデザイン科を卒業されたあと、キリンビールの宣伝部に13年間勤めながらマンガを描かれていたのです。「宣伝部」というのは営業職などに比べれば、比較的そういう「社外活動」みたいなものに対しておおらかなのかもしれませんが、しりあがりさんは、サラリーマンのあいだは、つねに「仕事優先」の原則を崩さなかったそうです。【結局、徹夜でマンガを描いてそのまま会社に行ったことは何度かあったけど、13年間、マンガのために休むということは一度もありませんでした】と、この本には書かれています。そういう「二足のワラジ」状態だと、いくら「理解がある」会社でも、本当に体調が悪くて会社を休んだとしても「あいつは休んでマンガ描いているんじゃないか?」なんていうような目で見られたりもしそうですしね。

 それにしても、これを読んでいると、確かに「二足のワラジ向き」の性格というのはあるのではないか、と僕も思います。「個々の作品に対して完璧を求める」人にとっては、こういう生活は困難なものでしょうし、逆に、怠惰すぎる人には、とうていこんなハードワークは難しいでしょう。普通、仕事かマンガのどちらかに偏ってしまって、生きていくための手段としては、どちらかを捨てざるをえなくなるはずです。そういうふうに考えてみれば、この「絶妙なバランス感覚」というのは、ある種「二足のワラジをはくという目的への完璧主義」のたまものなのかもしれません。
 でも、しりあがりさんは、13年間「二足のワラジ」を続けられた理由を「自分の努力のたまもの」だとは書かれていません。この引用した文章のあとで、「妻もマンガ家で、休日はアウトドアや旅行ではなく、一緒にマンガを描くことにつきあってくれた」ことや「宣伝の仕事が面白かったからやめられなかった」と仰っています。確かに、「周囲の理解」というより「幸運な環境だった」と言うべきなのでしょう。いくらものわかりの良いパートナーであっても、13年間も我慢を強いられては、「爆発」するのではないでしょうか。キリンビールのような一流企業の社員の給料であれば、よっぽど贅沢しなければ、もし会社員としての給料だけになったとしても、経済的にすごく厳しくなるということもないでしょうから。もちろん、無理をせずに合わせることができるパートナーを選ばれたのはしりあがりさん自身なのですけど。

 結局のところ「二足のワラジ」というのは、やっぱり「非常に難しい」のですよね。本人の性格や環境というさまざまな要因がうまくいかないとできるものではないし、ずっとそれを続けていくとなれば、よほどの「幸運」が必要なのでしょう。
 しりあがりさんのサラリーマン時代は1994年に終わりを告げるのですが、その時代には「2ちゃんねる」が無かったということも、ひとつの「幸運」だったのかもしれませんし。



2006年08月11日(金)
「お盆」の不思議

「週刊現代」(講談社)2006年8月19・26日合併号の酒井順子さんのエッセイ「その人、独身?」第127回より。

【夏は、死の季節です。
 お盆、怪談、そして戦争の記憶。ギラギラとした日差しに照らされている木々の葉を見ていると、まさに「命の盛り」という感じがするものですが、しかし日の光に照らされることによって、葉っぱの生命は確実に終わりに近付いているのであるなぁ。……なーんていうことを考えるのは、私が既に「夏だ! 海だ! 太陽だ!」みたいなことにウキウキしない年齢になっているからなのでしょう。
 東京のお盆は7月ですから、私の実家にも7月半ば、お坊さんがお経をあげに来て下さったのでした。時間に遅れてきた兄達に、
「……ったく、このスットコドッコイ!」
 と叫ぶ母の声を聞きつつ、「『スットコドッコイ』って、久しぶりに聞いたなぁ」などと思いつつ、そして夏物をお召しとはいえとても暑そうなお坊さんの頭から汗が流れ落ちるのを眺めつつ、「夏がやってきたことだ」と、私はお経を聞いていたのでした。
 お盆には死者があの世から戻ってくる、という発想は、よく考えてみると突拍子もないものです。お盆の時期にはわざわざ皆が休みをとり、実家に戻って死者の霊を迎える……という話だけを聞いたら、「どこの部族か」という感じも、する。
 しかし、この「あの世とこの世の距離が意外と近い」というのは、日本人の感覚の特徴かもしれません。いわゆる祖霊信仰というものかもしれませんが、親などを見ていても、何か悩み事があったりすると、墓参りに行って気分を晴らしたりしているらしいのです。
 先日、私は青森の恐山の大祭に行ってきたのですが、そこにもイタコさんに死者の霊を降ろしてもらいたいと願う善男善女が、たくさん集っていたのでした。
 大祭のときはイタコさんが勢揃いするそうなのですが、かつては30人からいたというイタコさん達は高齢化が進み、今や8人くらいしかいないのです。各イタコさんの前には長い列ができていて、整理券など存在しないので、誰もがひたすら待つしかない。人気があるイタコさんの列では、時に5時間とか10時間も待つこともあるのですが、それをも厭わないほど、「死者ともう一度会いたい」という気持ちが強い人達が、集まっているのです。】

〜〜〜〜〜〜〜

 そう言われてみれば、確かに、「お盆」っていうのは、かなり「突拍子もない」発想ですよね。この夏のいちばん暑い盛りに、死者の霊が一斉にあの世から戻ってくるなんて。もし僕が死んでしまったら、もうちょっと気候の良い時期に「里帰り」したいと思うのだけど。
 そして、「自分は無宗教だし、非科学的なことは信じない」と思い込んでいる人の多くが、「先祖に会うために」実家に帰省したり、お墓参りに行ったりするわけです。これほど多くの人々に親しまれている「宗教的行事」というのは、世界にもそんなに多くはないのかもしれません。この「お盆」の時期は、独特の人の流れが日本全体にできるくらいなのですから。
 避暑のためのバカンスでも大きなイベントのためでもなく、これだけ多くの人間が大移動する「宗教的行事」というのは、けっこう奇異なものなのではないでしょうか。
 まあ、日本人の多くにとっては、「お盆」というのは一種のバカンスであるというのも事実なのですが(でも、大概疲れ果てて帰ってくることになるんですけど)。

 「お墓参り」は、僕自身が子供の頃は辛気臭くて嫌な習慣だったのですが、ここに書かれているように、自分が年をとるにつれ、死者への祈りであると同時に、生きている側にとっても、ある種の「気分転換」という面もあるのだと感じるようになりました。死者と対話することによって、自分の命の「永続性」を確認できるし、生きている人には言えないような悩みや迷いも、死者の前では素直に相談できますし。年を重ねるにつれ、「弱音を吐ける年上の人」というのは、減っていく一方ですが、「死者」は、いつでもそこにいてくれるのです。

 それにしても、「オーラの泉」の江原啓之さん人気の影響などもあるのかもしれませんが、ここまで「イタコ人気」がすごいものだとは思いませんでした。僕は正直、本当に死者の魂というのがこの世に戻ってくることができるなら、あんな立派なことばかり言うわけないと感じてしまうのですが、「死者ともう一度会う」ことによって、自分の人生の「宿題」をなんとか解決したいという切実な願いを持っている人達が存在しているということは、否定できないでしょう。僕だって、状況によっては、同じような心境になるかもしれない。
 後から、「生きている間にちょっとだけ勇気を出して聞いておけばよかった……」なんて後悔することばっかりなんだよなあ、結局は。



2006年08月10日(木)
「冥王星」をめぐる悲劇

「九月の四分の一」(大崎善生著・新潮文庫)より。

【「冥王星って知っている?」
 僕はヒースローまで見送りにきてくれたトニーと、別れるまでの約三十分間、初めてその話をした。
「プルートー?」
「そう」
「もちろん知っているさ」とトニーは紅茶を飲みながら言った。
「僕は、そのことで時々、存在というもののあまりのあやふやさに不安になることがある。あるいは、その不安の象徴がその星なのかもしれない」
「祐一」
「なんだい?」
「知っているかい、冥王星の歴史について」
「まあまあ」
「冥王星の存在を信じていたパーシヴァル・ローウェルという高名な天文学者がアメリカにいた。彼は冥王星の発見のために何年も費やして、何千枚もの宇宙の写真を撮り続けた。そのために巨大な天文台を莫大な資金を投入して造った。しかし、結局発見することができずに、絶望のなかでそのままこの世を去ってしまうことになる。その遺志を継いで半ばアルバイトのような形で雇われたカンサスの農夫だった青年がわずか1年間の観測で発見してしまうんだ」
「クライド・トンボーだろ?」
「そう。ところがね、あとでローウェルが撮った写真を調べると、膨大な量の写真の中に冥王星が写っていたことがわかったんだ。発見に失敗したと思いこんでいたローウェルは打ちひしがれ、写真を真剣に分析しなかった。だから、写っていたものの彼はそのことに気がつかなかった」
「皮肉だね」
「ああ。天文台の設備もスタッフも熱意さえも何から何までローウェルが造り上げたものだからね。まあいいさ、それは。それでね、何で僕が冥王星について知っているかというね、それは冥王星という名前に関係がある」
「死界の王だよね」
「そう。その名前をね、つけたのがベネチア・バーニーという名前のオクスフォードの女生徒だったんだ。1931年頃のことだと思う。九番目の惑星という世紀の大発見、それに何と名前をつけるかで世界が大騒ぎになった。おそらく公募もされたんだろう。百も二百も候補が上がった。多くの人はローウェルと命名したがっていた。しかし一人の女生徒がプルートと言いだして、あっという間に世論がそれを支持していった。アメリカ人が発見したことにイギリス人が名前をつけるのはどういうものかという反発がもちろんアメリカ国内にあったんだけれど、そのネーミングのあまりの絶妙さにやがて抵抗できなくなってしまった」
「暗闇の中にかすかに光る、在るのかないのかさえもあやふやな星に死界の王だものね。ほんとうにぴったりだ。暗黒の中にその瞳だけが輝いているという感じで」と僕は薄いコーヒーをすすりながら言った。】

〜〜〜〜〜〜〜

 現時点で、「太陽系で最後に発見された惑星」である「冥王星」に関するエピソード。観測技術の進歩により、冥王星というのは、本当に「惑星」と呼んでもいいのか?なんていう議論も最近は行われているようなのですが、まあ、現実的に「惑星から格下げ」なんていうことは、まず起こりそうにはないようです。
 それにしても、この「冥王星」の発見に関するローウェルの悲劇には、なんだかいろんなことを考えさせられます。高名な天文学者であった彼が多くのものを失って追い求めたものを、彼の仕事を受け継いだ無名の青年が、わずか1年で発見してしまう。それは、ローウェル自身にも「見えていたもの」のはずなのに。ローウェルは劇的な新発見を求めるあまり、自分の「失敗」を丁寧に検証するという冷静さを失ってしまっていたのかもしれません。でも、そういうのって、本当に「よくあること」なんですよね。
 さらに、彼の功績を称えて「ローウェル」になったかもしれない新惑星の名前まで、結局、「冥王星(プルートー)」になってしまった。
 もっとも、太陽系の惑星には、ギリシャ神話の神々の名前をつける慣習があったので、新惑星が「冥王(プルートー)」と名づけられたのは、一人の女生徒の力というより、先例に従っただけ、という面もあるのですけど。

 なんだか、この話には、人生のめぐり合わせの残酷さを痛感させられます。そして、人というのは、どんなに自分では「わかっている」つもりでも、その先入観によって見えているはずのものが見えなくなってしまうものなのだなあ、とあらためて思い知らるのです。
 しかし、言われてみれば当たり前の話ですが、太陽系に惑星がひとつ増えるというのは、ものすごいことなんですね。それが、実生活にどのくらいの影響があるかはさておき。



2006年08月09日(水)
川原泉さんの「ハッピーエンドの美学」

『ダ・ヴィンチ』2006年8月号(メディアファクトリー)の川原泉さんへのインタビュー記事「あなたは『笑う大天使』を知っていますか」より。

【川原作品の少女たちは、貧乏だったり、けっこう不幸な境遇にいても、悩み続けたりしない。ごはんを食べたら、ちゃんと元気になる。

川原「彼女たちは自分で不幸な境遇だって、気づいていないんですよね。自覚がない。私んちも貧乏だったんだけど、クラスでとびぬけて金持ちの子の家に行くまで自分ちが貧乏だったって気づかなかったんです。そういうものなんですよ。比較の問題」

そんな彼女たちに、川原さんは、最後に必ず幸せな結末を用意してくれる。

川原「私の作品は、基本的にはハッピーエンドです。昔ね、短篇小説で、読み終えて自殺したくなるような暗い気持ちになるものがあって(笑)。読者にお金を出してもらっている以上、そういうのはちょっとね。いままで1つだけ、微妙にハッピーエンドじゃないものがあるんですけど、それにしたって桃の木の下に埋められた死体は永久に発見されないだろう、というもので(『Intolerance…―あるいは暮林助教授の逆説』)。ある意味ハッピーエンドとも言えますし」】

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 もし、川原さんが昔、「読み終えて自殺したくなるような暗い気持ちになる短編小説」を読むことがなかったら、今の「川原泉の世界」は、全く別のものになっていたのかもしれません。
 僕は以前、パソコンのゲームで、「何十時間も遊んだあげく、最後には自分が敵のボスに乗り移られてバッドエンドになってしまう」というのをやったことがあります。こういう「作品」というのは、たぶん、作家側にとっては、「斬新なエンディング」だという意識があったと思うのです。受け手としても、確かに「衝撃」はありました。現に、20年近く前に一度遊んだだけのゲームなのに、僕はいまでもそのゲームのことを覚えていますしね。でも、やっぱり正直なところ「あんなに苦労したのに、あんな結末じゃイヤ」ではありました。クリアするために使った時間返せ!とか。

 ベタな「ハッピーエンド」って、創作側としては、なんとなく思考停止に陥っているようでイヤなのかもしれませんが、大部分の受け手というのは、救いようのない結末よりも、「安易なハッピーエンド」を求めているのではないでしょうか。その「作品」に愛着があればあるほどなおさら。
 映画や本であれば「衝撃の幕切れ」でも、2時間ちょっとの時間のことですが、マンガの場合は、連載中からの読者にとっては、「結末」にたどり着くまで、何年もかかっている場合も少なくありませんし。
 まあ、必ずしも「ハッピーエンド」ならいいというわけではないでしょうし、安易なハッピーエンドは、かえって安っぽいイメージを与えてしまいがち。実は、「うまくハッピーエンドにもっていく」というのは、けっこう難しいことなのかもしれません。その点では、川原さんの「読者にお金を出してもらっている以上、気持ちよくしてあげなくては」というプロ意識には驚かされます。そこまで「読者」のことを意識しているのか、と。逆に、「読者の期待を裏切ってやろう」なんていう衝動に駆られたりすることはないのでしょうか。

 それにしても、【桃の木の下に埋められた死体は永久に発見されないだろう】とう結末が、なぜ「ある意味ハッピーエンド」なのでしょうか?その作品を未読の僕には、かえって気になるなあ。
 



2006年08月08日(火)
『ゲームセンターCX』有野課長の告白

「CONTINUE Vol.28」(太田出版)の記事「史上最高の大特集・ゲームセンターCX」の「有野課長、独占インタビュー」より。

(いまやフジテレビ721の看板のひとつになった、人気ゲームバラエティ『ゲームセンターCX』の有野課長こと有野晋哉さん(よゐこ)のインタビューの一部です。インタビュアーは、多根清史さん)

【インタビュアー:『ゲームセンターCX』に出演される前から、ゲームはお好きだったんですか?

有野:そうですね。こっち(東京)に来てからは友達がおらへんかって、ゲームをアホみたいにやり出して。で、仕事行く前に「さくらや」に寄ってバカバカ買って、説明書読んだだけで遊ばないとか、いっぱいありましたね。

インタビュアー:子供の頃は、どんなゲームを遊んでました?

有野:うちにファミコンが来たのは中2ぐらいで、それまでは友達の家に行ってやってたんですよ。(「よゐこ」の相方で中学時代からの同級生の)濱口君の家が偶然に葬式の日に呼ばれて、子供部屋で『ボンバーマン』やりながら、お通夜やってる家の2階で「死ねー死ねー」って(笑)。

インタビュアー:多人数で遊べるゲームが中心だった?

有野:友達と遊ぶときはそうですね。ゲーセンで2人協力プレイをして、(ゲームオーバー後の)コンティニュー10秒の間に片方が(千円札を)崩しに行って、エンディングを見るまでやってましたね。

(中略)

インタビュアー:では最後に、有野さんにとってゲームとは何ですか?

有野:うーん……(長考)。仕事になっちゃったもん、ですかね、趣味のはずが仕事になってしまったもの。子供の頃の憧れの職業だったはずが、仕事になるとこんなに辛いものなのか、と(笑)。】

参考リンク:『ゲームセンターCX』

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 僕もこの『ゲームセンターCX』、楽しみに観ています。とはいっても、うちでは「フジテレビ721」は映らないので、たまに深夜にやっている特番やDVDでしか観られないのですけど。
 それにしても、この「有野課長」が語る「ゲームの光景」、ものすごく懐かしく感じながら読みました。僕も有野課長と同世代で、同じような環境でゲームをやっていたので。
 いや、いくらなんでも、お通夜やっている家の2階で「死ねー死ねー」はマズいと思いますが、確かに、子供ってああいう場では我慢できずに騒いでしまったり、周りの人は忙しくて面倒みきれなかったりするので、「部屋で遊んでなさい」なんて、現場から隔離されることが多いんですよね。しかし、そこで『ボンバーマン』なんて……

 僕も子供の頃、「ゲームで遊ぶ」あるいは「ゲームを作る」ことを「仕事」にできたら、どんなにいいだろうなあ、とずっと考えていました。しかしながら、現在『ゲームセンターCX』で、「難関ゲームをクリアすること」を「任務」にしている有野課長を観ていると、やっぱり、「クリアしなければならない」というのは、けっこう大変そうだなあ、と痛感してしまいます。そんな状況下でも、ものすごく嫌そうにゲームをやるようになったわけでも、やたらとゲームが巧くなるわけでもなく、昔の僕たちがやっていたような間抜けなミスでやられながらもずっとゲームに夢中になっている有野課長というのは、どこにでもいそうで、実際はなかなかいないゲーマーなのではないかなあ、と思えてなりません。
 御本人は、「趣味を仕事にしてしまった」ことに対して、ちょっと後悔されているみたいなんですが、これからも体に気をつけて頑張っていただきたいものです。やっぱり僕たちくらいの年齢になると、夜更かしゲームは体にこたえますからねえ……



2006年08月07日(月)
文庫に「解説」を付けない作家

「この文庫がすごい! 2006年度版」(宝島社)より。

(本多孝好さんへのインタビュー記事の一部です。インタビュアーは杉本尚子さん)

【インタビュアー:ところで本多さんの文庫には、巻末に解説が付けられていませんね?

本多:文庫本を手に取った時に、まず解説から先に読むという人もいるじゃないですか。僕もわりとそうなんですけど、でも解説を読んで買う、買わないを判断するなら、そのぶん中身の文章を1ページでもいいから、いや3行でもいいから読んでみて、そのうえで読むどうか決めて欲しいと思ってるんです。

インタビュアー:しかし逆に、解説を楽しみにしている読者もいるのでは?

本多:それはその通りだと思います。ある編集者さんが「一冊の本を読み終わった時、いいものだと感じた読者というのは、その感情を誰かと共有したがるもの。そのために解説はとても有用である」ということをおっしゃっていて。賛同される方も多いのでしょうが、僕の中にはそういう思いってあまりないんですよね。むしろ、いい作品を読んだ時は、自分の中でひとりで大事にしたいタイプなので(笑)。だから、語弊がある言い方ですけれども、場合によってはちょっと解説がうるさくなってしまう時もあるんです。その選択はすごく難しいんですけど、とりあえず今は、解説を付けずにやってみようかなというふうに思っています。】

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 本が好きな人、とくに「文庫好き」には、巻末の「解説」を楽しみにしている人も多いのではないでしょうか。僕は「解説を読んで、その本を読むかどうか決める」なんてことはありませんが、自分が好きな人が「解説」を書いている本は、ちょっと「読んでみようかな」と思います。本文を読み終えたあとに「解説」があると、ちょっとだけ「余韻」を楽しめるというか、得したような気分にもなりますしね。逆に、単行本を読み終えたあとには、「これ、文庫のときには、誰がどんな解説を書くんだろうな」なんて、少しだけ損したように感じるときもあるのです。
 本多さんの話からすると、この「解説」を付けるかどうかというのは、ある程度は作家の裁量に任されているみたいです。確かに、作家によっては、全く「解説」をつけない人もいますし、他の人の「解説」ではなくて、作家本人が「文庫版あとがき」を書かれている場合もあります。「誰が解説を書いているのか?」で、好きな作家の「知らなかった交友関係」がわかったりすることもありますよね。この人は、僕が愛読している○○さんと友達だったんだなあ、というのが「解説」でわかったりもするのです。

 しかしながら、ここで本多さんが書かれているような「解説の弊害」があるのもまた事実なんですよね。素晴らしい作品のあとには、素晴らしい「解説」が書かれていれば文句はないのですが、なかには、「解説」を書いた人の主観の押し付けみたいな内容のものがあったり、全く関係ない解説者自身のことが延々と書かれていたり、かえって「ノイズ」に感じられる「解説」というのは、けっして珍しくはないんですよね。「この解説は読む価値がある!」と感動できるようなものは、少数派です。
 それなら読まなきゃいいのに、と自分でも思うのですが、それでも、目につくところに文章が載っていたら、読まずにいられないのが活字中毒者の悲しい性なんだよなあ。
 



2006年08月05日(土)
川上弘美さんと「名無しさん」の終わりなき闘い

「オトナファミ」2006・SUMMER(エンターブレイン)の記事、映画『時をかける少女』の原作者・筒井康隆インタビューより。

【インタビュアー:ゲームやネットが普及して、『時かけ』が世に出た時と比べて全く違う世の中になっています。先生はパソコン・メールをお使いになられますが。

筒井:メールは本当に必需品だね。そもそも、ワープロでパソコン通信を始めたんだよ。ワープロの”機能”というメニューの一番下に<パソコン通信>ってあった。弁当箱のような巨大なモデムとつなげてね。その後ホームページを作る時に、画面が見られないといけないっていうんでマックを買って、以来マックなんだ。だから今ほとんどの映像がウインドウズ対応だけで、見られなくて困ってる。去年買ったのになあ!ネットも、僕の未公認のファンクラブがあちこちにあるから、それを覗くよ。僕が入ると大騒ぎになるから、そっとね。あと、悪口は読まないこと。相手はこっちが有名人だと無茶苦茶なこと書いてきますよ。ネットの会議室なんかでも、ヘンなやつが入ってきて嫌味を言うんですよ。例えば川上弘美なんかは悪口を言われて、反論してもまたされちゃうから、自分で自分の手を押さえて「やめるんだ! やめるんだ!」って苦難してたみたいです。僕は、自分のファンがいっぱいいる中で負けたら恥だから、ぎゃんぎゃんやり返すし、いざとなったら活字があるから。新聞連載かなんかでそいつの名前出して反論しちゃえばまず勝ちます(笑)。】

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 『朝のガスパール』で、日本初の「ネット連動小説」を書かれたりしてパソコンにはかなり造詣の深い筒井さん。いまだにマックしか持っていないというのは、ちょっと意外でした。稼いでおられるのだから、ウインドウズも買えばいいのに、とかちょっと思ってみたり。
 このインタビューでは、筒井さんが「自分のファンクラブのサイトを覗いている」ことがわかります。作家だって人間ですから、世間での自分の評価というのは、やっぱり気にならないわけがないみたいです。もちろん、ファンサイトに「直接介入」する人は少数派なのかもしれませんが、検索で上位に挙がるようなサイトに関しては、本人が訪れている可能性というのは、けっこう高いのかもしれませんね。
 しかし、いくら有名作家でも、ネット上で自分の悪口が書かれていれば、やっぱり悔しかったり、悲しかったりするみたいです。筒井さんの話のなかにある【例えば川上弘美なんかは悪口を言われて、反論してもまたされちゃうから、自分で自分の手を押さえて「やめるんだ! やめるんだ!」って苦難してたみたいです】なんてエピソードを読むと、そのとき川上さんが身悶えている様子が目に見えるようです。独りでディスプレイの前に座って、自分の手を押さえて「やめるんだ!」と自分に言い聞かせている姿というのは、想像してみるとかなり滑稽なシチュエーションではあるのですけど。

 「有名税」だと言うけれど、やっぱり誹謗中傷されれば悔しいのは当たり前です。相手がただの「名無しさん」で、失うものが何もなかったりするだけに、そういう「不毛な闘い」は、自分にメリットがないとわかっていても、反論したくなるのが人情だろうと思います。
 「ブログの女王」こと眞鍋かをりさんは、先日、あるテレビ番組のなかで、「悪口みたいな(書き込み)は、見たら負けなんですよ」と発言されていました。眞鍋さんは、当然、「自分も悪口を言われている」ことを知っているわけです。でも、負けないためには、「知らんぷり」するしかない。
 筒井さんみたいな「武闘派」はごく少数派で、大部分の有名人は、「やめるんだ!」派なのでしょう。見ず知らずの人に悪口を言われるのって、けっこうキツそうだよなあ、いくら相手が「名無しさん」でもねえ。



2006年08月04日(金)
アメリカ製品についている馬鹿げた法的警告

「訴えてやる!大賞〜本当にあった仰天裁判73」(ランディ・カッシンガム著・鬼澤忍訳・ハヤカワ文庫)より。

(「警告したぞ!」というコラムから)

【毎年、ミシガン訴訟乱用監視団によって「おかしな警告表示コンテスト」が開催されている。その目的は「訴訟および訴訟への懸念のせいで、常識でわかることを製品で警告せざるをえなくなっている現状を明らかにする」ことである。アメリカ製品についている馬鹿げた法的警告をいくつか挙げてみよう。

●「体を洗うのには使わないでください」―トイレ用ブラシ

●「乗ると動きます」―子供用キックボード

●「動作中は、刃から食物などを取り除かないでください」―料理用電動ミキサー

●「子供を乗せたまま折りたたまないでください」―ベビーカー

●「すべての説明、注意書き、警告を理解できない、あるいは読めない場合は使わないでください」―ビン入り排水管クリーナー

●「緊急時に消音機能を使わないでください。音が止んでも火は消えません」―煙探知機

●「注意:燃える恐れがあります」―暖炉用の薪

「警告表示が訴訟に悩まされる現代社会の象徴です」とミシガン訴訟乱用監視団のロバート・ドリゴ・ジョーンズ代表は言う。監視団のウェブサイトでは、馬鹿げた警告表示の投稿を受け付けている。 (出典」:mlaw:org)】

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なんだこれは!と思わず笑ってしまったあとに、なんだか悲しくなってくるような話です。「説明や注意書きを読めないなら使うな」って、読めない人は、この警告そのものも読めないのでは…とかも、つい考えてしまうのですけど。
 それにしても、薪に「燃える恐れがあります」っていうのは、かなりシュールな「警告」ですよね。燃えなかったらクレームをつけられた、というのならともかく、「じゃあ、何のための薪なんだ?」と。もしかしたら、自然発火した事例でもあったのでしょうか。
 世の中には、濡れた飼い猫を乾かそうとして電子レンジに放り込んで死なせてしまい、「電子レンジの説明書には、猫を乾かすのに使うなとは書いていなかった」ということで裁判になったという「都市伝説」もあるらしいので、それこそ、「人間がやる可能性がある、あらゆる行為に対して、あらかじめ警告しなければならない」ようになりつつあります。
(ちなみにこの「電子レンジ猫事件」は、作り話らしいです。僕も今回調べるまで、事実だと思いこんでいました)

 この本の中には、停車している車の中で、マクドナルドのコーヒーを膝の間に挟んでいたところ、それをこぼしてしまって大やけどを負い、マクドナルドに対して『コーヒーが熱すぎる』という訴訟を起こして勝訴したステラという女性の訴訟など、数々の「それは自己責任じゃないの?」と言いたくなるようなたくさんの訴訟の事例が紹介されており、「とりあえず訴えてみる」という人はけっして少なくないのだな、と暗澹たる気持ちになってしまいます。「訴えられる側」のリスクに比べて、「訴える側」が失うものは、それほど多くないことが多いですし。結局、企業側としても、バカバカしいと思いつつ、「説明責任」を果たすために、こういう「警告」を書かなければならないのは、ものすごく悲しいことですよね。これは「ユーザーのための警告」というより、「訴えられない、あるいは訴えられても大丈夫にしておくための警告」でしかないのだから。
 そして、「取扱説明書」はどんどん分厚くなっていき、誰もそんなものは読まなくなってしまうのです。最近の電化製品なんて、たいがい正式の「取り扱い説明書」の他に「ひと目でわかる簡単操作説明」が付属していますしね。
 
 それにしても、非常識な使用法をしていたにもかかわらず訴訟を乱用する人たちがいて、訴訟乱用監視団がいて、そして、その監視団の活動を観察している僕たちがいて、という構図は、なんだかとても虚しいイタチゴッコのような気がしてなりません。訴訟というのは「弱者にとっての最後の砦」であるのは事実ですが、「訴えるためのあら探し」と「訴えられないための企業努力」なんていうのは、もっとも不毛な時間と資源の使い方のように思われるのです。



2006年08月03日(木)
亀田興毅が教えてくれたこと

読売新聞の記事より。

【世界ボクシング協会(WBA)ライトフライ級王座決定戦12回戦(2日・横浜アリーナ)――同級2位の亀田興毅(19)(協栄)が同級1位のフアン・ランダエタ(27)(ベネズエラ)を2―1の判定で下し、世界初挑戦で王座を獲得した。
 亀田は19歳8か月の若さで世界王座奪取に成功、井岡弘樹(18歳9か月)、ファイティング原田(19歳6か月)に続き、日本ボクシング史上3番目の若さで3人目の10代チャンピオンとなった。
 日本ジム所属の世界王者は、過去最多タイの6人。

 ◆“本物のプロ”の洗礼、試合内容は完敗◆

 信じられない判定だった。亀田が新王者となったが、試合内容は完敗だった。
 怖い物知らずの若者がいきなり“本物のプロ”の洗礼を受けた。1回、ランダエタの右フックをまともに受けてダウン。屈辱と未知の経験に、亀田の表情から余裕と、いつものふてぶてしさが消えた。
 前王者が複数階級制覇を目指して返上したライトフライ級王座を、1階級上のフライ級と、1階級下のミニマム級で戦ってきた選手が争った一戦。筋肉が力強く隆起した亀田と、やや線が細いランダエタが、リング上で拳を交えた。
 デビュー戦から、亀田は11戦すべてをフライ級で戦ってきた。自他ともに認める豊富な練習量で、体力負けした試合は1度もない。ガードを固め、グイグイと距離を詰め、ロープ際に追い込んで連打を見舞うのが“定番”だったが、百戦錬磨の試合巧者には通用しなかったように見えた。
 一方、元WBAミニマム級王者のランダエタは、同級では、リーチの長さと身長の高さを武器に、鋭いカウンターで実績を築いてきた。1・3キロ重い階級で体格の利は失われたが、キャリアでは相手を大きく上回る。表面的な見かけとは裏腹に、防御の技術、パンチの多彩さでは、明らかに亀田より一枚も二枚も上だった。
 常に前向きだった亀田の姿勢をジャッジが評価したのかも知れないが後味の悪い判定だった。】

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 僕は「亀田三兄弟」って、大嫌いです。なんで嫌いかっていうと、ああいう人たちと道端で遭遇したら怖いもの。なんであんなチンピラみたいな人たちのことを一生懸命応援している人がたくさんいるのか、全然わかりません。そもそも、「元チャンピオンだけど、今はすっかり弱くなってしまっている人」とかを相手に連勝街道を驀進したり、危なくなったらローブローで勝利なんて、卑怯で下品だと思うしね。
 それでも、昨日の試合はテレビで観ていました。さすがに世界戦となれば、今までよりまともな相手と勝負することになるだろうから、できれば亀田興毅が「馬脚をあらわす」ような惨敗を喫してくれればいいな、などという「黒い期待」を抱きながら。
 最初のラウンドでの亀田のダウンで、僕の望みは9割くらい満たされたような気がしたのです。「ざまあみろ、相手が『本物』なら、これが当然の結果だ」と。
 しかしながら、その後の12ラウンドまでの亀田興毅のボクシングは、アンチ亀田である僕にとっても、「やっぱり、けっこう強いんだな」と感じさせる内容でした。最初にダウンして、目のまわりも切ってしまっているという不利な状況のなか、最後まで攻めようとし続けた亀田のスタミナと気力は、「悔しいけど、コイツは近い将来にはタイトルを獲るんじゃないかな」と思わざるをえなかったのです。
 テレビの実況と解説者のあまりにも亀田贔屓っぷりには、閉口してしまいましたが。ランダエタが亀田のパンチを避けると、「ランダエタ、逃げる!」だもんなあ。じゃあ、自分から右の頬を差し出せって言うのか。
 12ラウンド終了のゴングが鳴ったあと、解説の「亀田贔屓コメントをさせられていたもと世界チャンピオン」も、「まあ、今回は残念でしたけど、亀田はよく頑張ったし、まだ若いんだから、これからですよ」というようなコメントをしていました。アナウンサーの「まだわかりません。微妙な判定になります!」という言葉も、「ま、それあなたの仕事だからね」と苦笑していたのですが……
 「勝者・亀田!」という判定を聞いたとき、全国でどのくらいの人が、その判定に「納得」できたのでしょうか。亀田の勝利を願っていた人たちですら、絶句した人も多かったはずです。
 亀田は1ラウンドにダウン1回、それ以外のラウンドは、まあ互角だったとしても、僕の知っているボクシングの「常識」では、「ランダエタの勝利」は動かないはずでした。しかしながら、「判定」は亀田の勝利。
 それにしても、「ホームタウンデシジョン」というのは、どの採点競技にもありますし(というか、環境に慣れていて、大勢の地元の観客に後押しされる「ホーム」の状況というのは、採点競技でなくでも有利なのです)、僕も今までいろんなスポーツで、「不可解な判定」を見てきましたが、これはあまりに酷すぎます。1ラウンドのダウンという、誰が観てもわかる「基準」もあっただけに。

 この「判定」に対して、試合を中継したTBSには、たくさんの抗議電話がかかってきているそうです。それこそ、回線がパンクしてしまうくらいに。
 そして、今まで「亀田人気」を煽ってきたメディアも「微妙な判定」だと報じています。
 僕の印象では、この試合、亀田が内容通り「判定負け」であれば、「亀田はよくやった」と多くの人が感じたと思いますし、最後まで闘い抜いた彼の今後のさらなる成長にみんな期待したはずです。アンチ亀田の僕も、試合内容そのものについては、「けっこう強いんだな」と感心したくらいですから。
 しかしながら、「勝ってしまった」あるいは「勝たされてしまった」がゆえに、亀田にはこれからずっと、「不可解な判定で勝った、後ろ暗いチャンピオン」というイメージがつきまとうことになるでしょう。それは、どう考えても、彼自身にとって、プラスにはならないと思われるのですが。

 ただ、僕はこんなふうにも感じています。
 「スポーツの世界」というのは、それを観るものたちにとっては、この地球上では、数少ない「比較的公正なルールのもとに、優劣が決まる世界」のはずです。あのシドニーでの篠原の不可解な負けやWBCでのアメリカの審判の誤審などの「あってはならない例外」はみられるものの、優勝が期待された地元チームが予選リーグであっさり負けてしまったり、歴史に残る名プレイヤーが「引退試合」で頭突きをかまして退場になってしまったりする「理不尽」こそが、スポーツのリアリティなのです。
 今回の「微妙な判定」について最も感じたのは、「ボクシングというのは、『スポーツ』ではないのだな」あるいは、「これが『スポーツ』のひとつの現実なのだ」ということでした。というか、これはもう「興行」以外のなにものでもない。
 試合内容云々よりも、「どちらがお金になるか」「どちらが視聴率を稼げるか」という「勝負」に、亀田興毅は勝ち、それが「判定」に大きく影響したのです。
 そして、そういう意味では、「惨敗しているのを期待」しながらも、チャンネルを合わせ、こうして彼のことを話題にしている時点で、僕は亀田やTBSに負けてしまっているのでしょう。たとえそれが「批判的」であっても、みんなが関心を持っているかぎり、「お金になるコンテンツ」として、彼らは消費され続けられます。本当に亀田が「嫌い」ならば、僕もテレビのチャンネルを合わせるべきではなかったのです。
 本当に問題なのは、「勝たされてしまった」亀田よりも、「亀田を勝たせてしまった人々」のはず。
 
 今回の「判定」について、おそらくさまざまな「裏」があったものだと思います。それには亀田一家が直接関与していたのかどうかはわかりませんし、少なくとも、彼らだけの力では、世界戦の判定を「行司差し違え」にするなんてことは不可能なはずで、そこには、もっと大きな「利権」のようなものが関わっていたものと考えられます。
 テレビとかメディアなんていうのは、「公正」なものではない。
 僕たちが幻想を抱いている、スポーツの世界の「公正さ」というのも、絶対的なものではない。
 そもそも黙っていてもみんなが「フェアプレイ」をするのなら、それを呼びかける必要性なんてありはしないし、絶対にみんながドーピングをしないのなら、それを検査する必要なんてありません。
 たぶん、僕たちの知らないところで、こういう「ズル」が山ほど行われているにもかかわらず、多くの場合、そのことにみんなが気がつかないのです。それはもちろん、スポーツの世界に限ったことではなく。
 今回の判定は、あまりにも亀田興毅が「あからさまに負けすぎて」しまったために目立ってしまいましたが、これはまさに「氷山の一角」のように思われます。
 きっと、自分でも気づかないうちに「ランダエタ役」をやらされている人って、たくさんいるのでしょうね。
 もしかしたら、僕もそのひとりなのかも……
 



2006年08月02日(水)
「貸した金返せよ!」と言えない人々

「キミは他人に鼻毛が出てますよと言えるか」(北尾トロ著・幻冬舎文庫)より。

(普段の生活で、簡単そうに思えるけれど、実行するのは困難な些細なことを実際にやってみるという体験記の一部です。「知人に貸した2千円の返済をセマる」という項から。

【貸し金の催促。これは、いずれやらねばと思っていたテーマだった。大きな金額ではない。そうだな、数百円からせいぜい2千円どまりの、細かい金の貸し借りについてだ。
 やっかいなモンダイだと思うのである。なぜやっかいなのかといえば、それは額が小さいがゆえに貸すのを断りにくく、いったん貸してしまったら今度は額が少ないゆえに返済をセマりにくいからだ。
 たとえば缶ジュース。ノドが渇き、ちょいと自販機でという場面で、隣にいた友人が言う。
「あ、小銭ないや。貸しといて」
 わずか120円。これを断れる人がいるだろうか。だけど、これがクセモノなのだ。あまりにも軽い借金だから、借りたほうはすぐに忘れてしまうのである。
 タバコ代しかり、電車賃しかり。すぐ忘れる。ヘタすりゃその日のうちに忘却の彼方。
 一方、貸したほうは忘れない。自分が借りたときは忘れても、貸したときは100円だってきっちり憶えている。おごったんじゃなくて貸したんだから返してほしいよなと思う。自分には当然その権利があると考える。
 ところが、これが言えないんだよなあ。額が小さければ小さいほどケチなヤツだと思われそうで、口に出すのがはばかられる。
「この前、オレが出したジュース代、120円返してくれ」
「いつか切符買うとき小銭足りなくて30円貸したろ。あれ返せよ」
 高校生までならなんとかなっても、いい歳してマジな顔で言えるか。ぼくはダメだ。これができるのはかなりの猛者だと思う。ためらっているうちに時は流れ、ますます言えなくなってくる。貸した次に会ったとき言えなきゃもうキビシイだろう。額が多少増えたとしても”借金らしくない借金”であるかぎり事情は同じだ。
 この時点できっぱりあきらめがつけばいい、あの金は貸したのではなくあげたのだと納得できればいい。でも、それができないから困るのだ。
 いまさら言えない、でも忘れられない。ここから小銭貸し人間の苦悩が始まる。モンダイの核心が、金そのものから、”金を借りたアイツ”や”貸したオレ”の人間性になってくるからだ。
『んもう、鈍いな、さっきオレが自販機からジュース買うときわざとモタモタしてみせたのに、なんで思い出さないんだよ。小銭だからってことか。だけどなあ、そういうことじゃないだろこれは。人間、信頼関係だからね。きっちり行こうぜきっちり。だいたい言えないオレもオレだよ。自販機の前で「この前はオレが払ったから今日はお前の番な」と言えばよかったんだ。そうすればアイツも思い出して「すまんすまん」とでも答えたに違いないのに。もうダメだ、絶好のチャンスを逃した。こんなことすら言えず、相手を疑っているオレは小物なのかも……』
 こんな感じのネガティブ思考になってしまい、しばらくして(だいたい数か月かかってしまう)やっと苦い気分が抜けたころ、また小さな金を貸してしまうのである。そんな自分が嫌で、善意のカタマリになってみたかったのか、衝動的に大金を貸したことすらあるほどだ。つくづく器が小さい。
 ぼくは自分をケチと思わないが、貸した金のことはなかなか忘れられないし、そのほとんどを取りっぱぐれるということを長い間繰り返してきた。「返してくれ」と言えずに数十年である。借りたときには平気で忘れ、そのことを指摘されると「うるさいヤツだな」とか思うくせに、自分が貸すとくよくよ心を痛める。どこかで歯止めをかけなければこの先もずっとそうだろう。】

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 ああ、この気持ち、僕にもよくわかります。なるべくお金の貸し借りはしたくないし、するべきではないと日頃から考えているのですが、「額が小さいがゆえに貸すのを断りにくく、いったん貸してしまったら今度は額が少ないゆえに返済をセマりにくい」というのは、まさにその通りです。自動販売機の前で「120円貸して」と言うのは簡単でも、その場を離れてから「120円返して」と言うのは至難の業。なんだか、「返して」って言うほうが、かえって図々しい人間みたいな気分にもなるのです。
 いや、今のそれなりにオトナになった僕にとっては、ジュース代とかは、催促するほうが精神的ストレスが大きいし、ケチだと思われるのもイヤなので、もう「お互い様」だと奢ったことにしてしまうのですが、例えば、飲み会で立て替えたお金、数千円から1万円くらいの金額となると、諦めるのもちょっと勿体無いし(そもそも、奢る義理なんてないわけだし)、さりながら、そのくらいの金額を執拗に催促するというのも、なんだか気が滅入る話ではあるのです。翌日に最初に会ったときに、「あっ、昨日の飲み会のお金!」と言えればいいのですけど、そのタイミングを逸してしまった場合には、非常に言い出しにくくなってしまいます。でも、そこで「まあいいや」と綺麗さっぱり忘れてしまえればいいのだけれど、そういうのって、貸した側はなかなか忘れられないんですよね。
 そしてさらに、そのくらいの金額のことを思い悩む器の小ささや、同僚や友人を恨めしく感じてしまう心の狭さをあらためて自覚し、落ち込んでしまいます。別に、貸した側が何か悪いことをしたわけではないはずなのに。
 しかしながら、一社会人としては、こういう小さなお金を貸すことをひたすら拒否しながら生きていくのは、かえって煩わしいことも多いのです。

 かのカエサルは、「借金の名人」として有名だったそうです。各地のスポンサーから多額のお金を借りていたカエサルなのですが、彼にお金を貸していた人々は、その金額があまりに大きかったがゆえに「貸したお金が返ってこなくなることを恐れて、よりいっそうカエサルを支援せざるをえなくなってしまった」のだとか。
 お金の貸し借りというのは、ときに、人間の心を異常に屈折させてしまうことがあるみたいです。実際は、相手は単に忘れてしまっているだけで、ちょっと勇気を出して「返して」と口に出せさえすれば、大概のこういうお金は返してくれるはずなんですけど。



2006年08月01日(火)
なぜ素直に「好きだ」と言えないのか?

「と学会年鑑GREEN」(と学会著・楽工社)より。

(と学会会長・山本弘さんによるあとがき「あばたがかわいい女の子の話」の一部です)

【どんな趣味でもそうだろう。バイクにせよ、釣りにせよ、鉄道模型にせよ、古本や切手の収集にせよ、アイドルや声優の追っかけにせよ、興味のない人間から見れば「なんであんなものに夢中になれるの?」と不思議に思えるだろう。古いオーディオ機器やSLやクラシックカーや第二次世界大戦中の飛行機を愛する人も多い。そうした古いマシンは現代の最新マシンよりも性能が劣っているのだが、そんなことファンには関係ない。好き嫌いは主観的なものであって、性能の絶対的な優劣で決まるわけではないからだ。
 同様に、古書マニアが古書店を回って古本を集めるのは、古本が現代の本より優れているからではない。僕らが特撮番組を見るのは、優れているからではない。単に好きだからである。
 ところが困ったことに、ファンの中にはそう思わない者もいる。「良い」と「好き」の区別がついておらず、自分が好きなものは良いものなのだ、と思いこみたい者が。
 もう30年近く前になるだろうか、京都大学のキャンパスを歩いていたら、学内で行われる『ゴジラ』の上映会のポスターが貼ってあった。そのコピーがあまりにもおかしかったので、今でも記憶している。

<自衛隊を踏み潰し/核の怒りに炎吐く/人民の英雄ゴジラ!>

「人民の英雄ちゃうやろ! 人民踏み潰しとるやんけ!」と、僕は(心の中で)笑ったもんである。この人たちは『ゴジラ』を見るのに、こんな大層な理屈をつけなきゃいけないのかと。
 だいたい、反核を訴えた作品だから良いというのであれば、広島・長崎の悲劇を題材にした映画や、『世界大戦争』『渚にて』のような核戦争ものの映画でもいいではないか。なぜ怪獣ものでなくてはいけないのだ?
『ウルトラ』シリーズにも同じことが言える。特撮ファンはよく、「故郷は地球」や「ノンマルトの使者」や「怪獣使いと少年」といった異色作を挙げ、これらがいかに素晴らしい作品であるかを力説したがる。でも、あなたたたちが『ウルトラ』を見てるのはそんな理由? 本当にそんなテーマに魅せられたから見ているの? ゴモラやエレキングやツインテールはどうでもいいの?
 違うでしょ? 怪獣が好きだから、特撮が好きだからでしょ?
 なぜ素直にそう言えないのか。自分の好きなものが高尚な作品であると、どうしてそんなに思いこもうとするのか。
 僕はけっこうずけずけと批判を言うほうなので、よく反発を受ける。以前、腹を立てたある作品のファンの人から、「あなたが自分の好きな作品をけなされたらどんな気がしますか?」という反論を受けた。
 僕の返答は「どうも思わない」である。特撮番組にせよ、アニメやマンガや小説にせよ、僕は自分の好きな作品が欠点だらけであることを知っている。誰かがその作品の欠点を指摘したなら、それはおそらく、かなりの確率で正しい。僕は「ええ、まったくおっしゃる通りです。あれはおかしいですよね」とか「確かにそういう見方もあるでしょうね」と答えるだろう。
 どんなものにでも欠点はある。「俺の好きな作品は素晴らしい。欠点などない」と主張するのは、自分に作品を正しく評価する目がないと表明しているに等しい。そんな人間に愛されるのは、作品にとってむしろ不幸なのではないだろうか。】

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 まあ、今から30年前という「時代性」には配慮すべきだとは思いますが、「人民の英雄ゴジラ!」には僕も失笑してしまいました。『ゴジラ』という作品には「反核」の思想が反映されているらしいのですが、確かに「反核」だから素晴らしいというのであれば、ここで山本さんが挙げられている作品群や「黒い雨」でも観たほうが、はるかに「素晴らしい」ということになりそうですよね。でも、とりあえず僕たちは、自分の「好きなもの」に対して、「面白いから」という理由だけではなんとなく自信がもてなくて、そこに「芸術性」とか「社会性」とかを付加して、「芸術的だからすごいんだ!」「社会への批判が込められている!」とか言いたくなってしまうんですよね。だって、「面白いから好き!」じゃあ、褒めている自分が頭悪そうだし。
 ここで山本さんが書かれていることは、「他人の趣味」に対して、つい茶々を入れてしまいたくなる人間たちにとって、耳の痛い話なのではないでしょうか。確かにクラシックカーに「今の車のほうが快適なのに」とか昔のMacを集めている人に「最新の機種のほうが、処理速度が速いのに」なんて言うのは、ナンセンス極まりない話なんですよね。彼らはそもそも「快適さ」や「処理速度」に感銘を受けて、その古い車やパソコンに愛着を抱いているわけではないのですから。「遅いのはわかってるけど、好きなんだよ!」と言われたら、もう、沈黙するしかありません。

 でも、ここで山本さんが書かれている「自分の好きなものを他人から批判されても『何も思わない』」という心境には、今の僕はまだまだ遠いです。やっぱり好きなものをけなされると腹も立つし、わざわざそんなこと言わなくても…と、言い返したくもなるのですけどね。
 「欠点も含めて受け入れる」のは「愛」なのだと言われれば、その通りなのだけれど、せめて自分の趣味の世界くらいは、「盲信」してみてもいいんじゃないかなあ、という気も、少しだけするのです。