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2006年09月30日(土)
「金は天下の回りもの」という幻想

「papyrus(パピルス)2006.2,Vol.4」(幻冬舎)の「村上龍 Money Talks Vol.4」より。

【Q2:金は天下の回りものと言いますが、ちっとも回ってきません。金持ちのところに集まるように出来ているような気がしますがどうなんでしょう?

村上:「天下の回りもの」という言い方が曖昧です。回るというのは、あなたがもらったいくばくかのサラリーが、コンビニでオニギリ代になり、その代金の一部がコンビニの従業員の時給として払われ、またオニギリ屋さんにも入り、そのお金がまた何かに使われるという「循環」を意味しているだけです。当然あなたの銀行預金が企業の設備投資に使われたり、払った税金で地方にダムができたりというような循環もあります。
 それは配分ではなく単なる循環なので、たとえ100万年待ってもあなたにまとまったお金が回ってくる可能性はゼロです。投資や融資、それに起業することで循環するお金を「すくい取る」方法もありますが、それは圧倒的にお金持ちのようが有利です。お金持ちはお金を持っているだけではなく、「情報」を持っているからです。】

〜〜〜〜〜〜〜

【たとえ100万年待ってもあなたにまとまったお金が回ってくる可能性はゼロです】ああ、なんて身も蓋も無い回答なのでしょうか!でも、これが「現実」なのでしょうね、きっと。少なくとも「金は天下の回りものだから」と夢想するばかりで、坐して大金が転がりこんでくるのを待っているだけでは、お金はただ「通り過ぎていくだけ」なのです。宝くじで一発逆転!とか言ってみても、結局ギャンブルで唯一の「勝者」は、胴元なのです。

 僕自身は、この「金は天下の回りもの」という概念は嫌いではなくて、「直接自分の利益になることではないけれど、まあ、今こうして誰かのためにお金を遣ったり寄付したりしておくことが、何か将来の利益を生むかもしれないから」というおおらかな気持ちは、けっして人間にとってマイナスではないと思うのです。みんなが際限なく「利益追求」をしていったら、やっぱり、あまりにも殺伐としていて生きにくい世の中になってしまいますしね。
 しかし、この村上さんの回答を読んでいると、生まれつきの資産家では無い人が「お金持ち」になるためには、相当の努力が必要である、ということを痛切に感じます。ライブドアの堀江社長のやり方には問題があったのかもしれませんが、逆に、あのくらいやらないと、その「壁」を打ち破ることはできなかったのかもしれません。
 まあ、僕自身は、「自分には回ってこないなあ」なんてボヤきつつも、普通に生きていくほうがラクだな、という気もしてしまうのですけどね。



2006年09月29日(金)
「ミッキーマウスの保護」と「星の王子さまの解放」と

「週刊SPA!2006.10/3号」(扶桑社)の鴻上尚史さんのコラム「ドン・キホーテのピアス・586」より。

(鴻上さんが、弁護士の福井健策さんが『中央公論』に書かれた「著作権」に関する文章を読んで考えたこと)

【福井さんによると、今、著作権の世界では、廉価版のDVDの品質問題や訴訟問題(1953年問題と呼ばれたりしています)などがありますが、一番、問題なのは、「期間一律20年延長問題」なんだそうです。
 以下、福井さんの文章を僕なりに紹介・理解すると――。
 アメリカは、映画の著作権を、1978年に19年間延長して、さらに'98年にはまた一律に20年延長しました。現在、映画は、公表後70年ですが、このままいくと、また20年後の2018年には、20年の延長をするだろうと予測されています。
 いえ、ひょっとすると、いきなり、「映画の著作権は、永遠に切れない」と宣言するかもしれません。
 アメリカは、ミッキーマウスの登場する映画を、パブリック・ドメインにすることはないだろうと予測できます。そんなことを、認めるはずがないのです。
 それは、もちろん、映画がアメリカの重要な「輸出品」だからです。これは、ヨーロッパでも同じです。
 文化が重要な輸出品である限り、それを手放すわけにはいかないのでしょう。
 で、著作権は、輸出元の現地の法律に従うので、日本も発表後70年にしないとまずいと、圧力をかけてきたのです。結果、日本でも、映画は、2年前に公表後50年から70年になったのですが、今、日本では、映画以外の著作物の著作権が、「クリエイターの生前全期間と死後50年間」から、「クリエイターの生前全期間と死後70年間」に延長されそうになっています。動機は、もちろん、欧米の外圧です。
 欧米では、'90年代に、一律20年間延長しました。結果、文学や音楽などの著作権は、作者の死後70年になりました。日本もこれに従えというのです。
 日本は、来年中に結論をだすと約束したそうですが、これに対して、福井弁護士は、「欧米主導の期間延長路線に追随するか、別な著作権のあり方を世界に発信できるのか、日本はよほど慎重にとるべき道を考えた方がよい」と書きます。
 どうして、死後70年に安易に賛成しない方がいいのか?
 福井弁護士は書きます。
 著作権の保護期間が20年間、延長されることで死蔵作品が増加するだろう。「文学であれ音楽であれ、多くの作品は市場でそう長生きはできない。50年後も経済価値を維持できる作品は全体のほんの2%であるという指摘もある」。
 つまりは、出版しても売れないから死蔵する。著作権が切れていれば、インターネット上にパブリック・ドメインとして公開することも(『青空文庫』という優れた活動があります)可能なのに、著作権の保護期間が続いていれば、それもできなくなる。
 けれど、売れないから価値がないのかというと、「歴史・文学の再発見」という意味で、その価値は計り知れない。(死後、評価が高まった作家は、たくさんいます)けれど、そもそも、アクセスできなければ、その価値を発見することもできないのです。
 欧米は、売れる映画を守ろうとして、最初は、14年〜28年だった著作権を70年まで延ばしました。結果、ビデオにもDVDにもならない、私たちがアクセスできない死蔵の映画が増えたのです。
 その映画に、はたして価値がないと言えるのか?
 そして、もうひとつの問題。私たちは、先人の文化を受け継ぎ、改変し、読み直して、作品を作ってきた、この「創造のサイクル」が失われる可能性がある、と福井弁護士は書きます。
『レ・ミゼラブル』も『オペラ座の怪人』も著作権の切れた有名小説を元にミュージカルとして花開きました。ディズニー映画は、『ピーターパン』や多くの過去の物語に基づいています。こういうことができなくなる、というのです。 去年、書店には、『星の王子さま』が並びました。これは、著作権の保護期間が切れた結果です。ここから、また、素敵な何かが生まれるかもしれません。それは、著作権が切れて、パブリック・ドメインになったから可能なのです。】

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 去年、『星の王子さま』の新訳本が多くの出版社から一度に出たのは、こういった「事情」があったのですね。あの「新訳本」で初めてこの作品に触れたという人も、かなり存在したのではないでしょうか。しかしながら、同じように著作権の保護期間が切れてしまった作品というのは、それこそ毎年「星の数ほど」あるにもかかわらず、『星の王子さま』のように「保護期間終了後も商品として価値があると判断される作品」というのは、非常に希少なものなのです。福井さんは、【50年後も経済価値を維持できる作品は全体のほんの2%であるという指摘もある】と書かれているのですが、この「2%」ですら、かなり贔屓目の数字なのではないかと僕には思われます。現在書店に並んでいる本のうち、50年後にまだ商品として売られている作品なんて、今すでに定番になっている「名作」を除けば、ひとつの棚に一冊あれば良いほうなのでは……

 この度重なるアメリカの著作権延長は、「ミッキーマウス保護法」などと陰では言われているそうです。まあ、確かにディズニーにとってはミッキーマウスがパブリック・ドメインになってしまってはたまらないのでしょうが(もちろん、アメリカという国家にとっても非常に大きな「特産品」ですしね)、そのディズニーも、「人魚姫」や「白雪姫」のような「先人の作品」をアニメ化して繁栄してきたというのは皮肉な話です。「産業」になってしまえば、スタッフの生活もかかっているわけですし、クリエイターとしての矜持のために「じゃあ、みんなのものにしよう」というわけにはいかないというのもわかるのですが……
 ただ、その「ごく一部の作品」のために、「お金なんて要らないから、少しでも沢山の人に見てもらいたい」と作者本人も考えている作品がそのまま埋もれてしまう結果となっていることも事実です。著作権というのは、「相続人全員の共有」というのが原則なのだそうで、この「保護期限」が切れる前の作品を世に出そうと思えば、相続人全員の許可が必要になります。50年近く前の作品ともなれば、それこそ当事者すら知らないような「相続人」を探し回ったりしなければならない場合も出てくるわけですから、やっぱりそれは、かなりの「計算」ができるような有名作品でもない限り、「ワリに合わない」ことなのです。もし「著作権が永遠のもの」になってしまえば、それこそ「埋もれた作品」を発掘して紹介するのは、ほとんど不可能になってしまうのです。だって、100年前に亡くなった無名作家の「相続人全員」なんて、いくら少子化が進んだ社会でもそう簡単には探せませんから。

 「商品」にならないような作品は、もうすでに「無価値」なんだよ、と割り切ってしまうというのも、ひとつの考え方なのかもしれませんが……

 



2006年09月28日(木)
武蔵美の『裏ハチミツとクローバー』伝説!

「ユリイカ」2006年7月号(青土社)の「特集・西原理恵子」より。

(西原理恵子さんとみうらじゅんさんの対談「カルマは急に止まれない」の一部です。おふたりの共通の母校である武蔵野美術大学の話)

【みうら:武蔵美は今や『ハチミツとクローバー』ですよ。よく知んないけど(笑)。

西原:なんか、感じよくなっちゃってさ、カチンとくる(笑)。私は大学1年の頃からエロ本のカット描きをしてたから、私の『ハチクロ』なんて「エロ本描きと、バイト先のミニスカ・パブの往復」(笑)。

みうら:おれの『ハチクロ』は大学の3年で『ガロ』デビュー……したんだけど、金もらってないからまだ1回もちゃんとマンガ家デビューしてないんだよね。

(中略)

西原:『ハチクロ』ではセックスとかしてるの?(笑)

司会者:――してないです。

西原:フェラチオとかもない?

司会者:――ないです(笑)。

みうら:オレも母校のことが気になってパラパラと読んだけど、フェラチオ・シーンは残念ながら出て来なかった(笑)。青姦もなかったし、学祭のときにマリファナが回ってた話も出てなかったし、演劇部の女の子がステージで放尿した重要なシーンもなかったよ(笑)。

西原:勝手に武蔵美がモデルになっちゃっただけなのか。

みうら:武蔵美も「イメージ上がった」って言って喜んでるんじゃないの。西原さんの頃はまだ「カックン幽霊」の話ってあった?

西原:カックン幽霊?

みうら:一号館で前方を歩いている女の人の首がいきなり後ろ向きにカックーン!ってなるっていう。

西原:私のときは、「太宰犬」。玉川上水沿いを歩いている犬を「チッチッチッ……」って呼ぶと、振り返った顔が太宰治(笑)。

みうら:すぐにそれが太宰治だってわかるトコがスゴイね(笑)。太宰犬っていうんだ……。

西原:だから上水沿いを歩いて帰るときは気をつけろと。あとは、1年生は毎年必ず彫刻やらされるでしょ? それで1回「仏像」っていうテーマが出ちゃったらしいんだ。そしたらもう60何人がみんなでブッサイクな仏像を彫っちゃって、出来上がったあと家に持って帰りたくないんで、バンバカ玉川上水に投げ捨てて行った。それを地元の老人会が「仏像がこんなところに〜!」って、きちんと祀っちゃったことがあった。それが八百羅漢みたいで、もんのすごくイヤな感じだった(笑)。

みうら:久しぶりに日本も廃仏毀釈があったと思ったんじゃないの(笑)。

西原:おかげで夜の玉川上水がすっごい怖い。「探してると絶対に自分に似た顔があるんだよ」って……違うだろ!みたいな(笑)。

みうら:オレらの時の彫刻のテーマは「自分の顔」だった。そんな課題できやしないんで、似たような課題が出てた多摩美に夜忍び込んで、自分に似たようなヤツを持って来て。上からちょっとだけ彫ったのを提出したら「あまり似てないな」って言われた(笑)。でも一応それで単位取ったよ。

西原:私の時の課題は、アフリカの仮面みたいなのを彫れってヤツで。隣の木工科に行って糸ノコを貸してもらって丸く切って、1日でちょいちょいとやるだけの要領のいい奴が続出(笑)。そしたら「世界の安田」って言われてる教授が「このエッジをこうして切るのは非常に繊細な過程で素晴らしい」と。違うよ、糸ノコで切ってんだって。老いたな安田も(笑)。】

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 人気マンガ『ハチクロ』こと『ハチミツとクローバー』の舞台の美術学校のモデルとされている武蔵野美術大学出身の2人による、『ハチクロ時代』の話。いや、『ハチクロ』みたいな大学生活なんてありえねえ!という点では同感なのですが、西原さんとみうらさんみたいな学生時代というのも、それはそれで「一般的」とは言い難いような気もしますけど。
 でも、ここで語られている「武蔵美伝説」の数々は、豪快でバカバカしく、それでいて「太宰犬」みたいに、「いかにも美大らしい」要素も含まれているのですが、こういう「大学時代のバカバカしい思い出」って、きっと、誰にでもひとつやふたつはあるのではないかと思うのです。糸ノコで切った「仮面」を「繊細な過程が〜」なんて絶賛する偉い教授の話なんて、似たような話は僕の大学時代にもありましたし。
 外部からみれば「高名な教授」であっても、学生にとっては、「ちょっと変わったオジサン」でしかなかったりもするんですよね。卒業して同じ世界に入ってみてはじめて「教授と自分とのあまりにも遠い距離」を僕も実感したものです。
 誰の人生にも『ハチクロ』は、あるのかもしれません。それが、あのマンガみたいにピュアなものだとは限らないとしても、ね。



2006年09月27日(水)
児玉清、「アタック25」の長寿の秘密を語る

佐賀新聞の記事「児玉清さんインタビュー」より。聞き手は峯岡浩子さんです。

【峯岡:児玉さんが司会を務める「パネルクイズアタック25は、今年で32年になる長寿番組。最近はお笑い芸人の博多華丸さんが司会の様子を物まねして話題となり、番組もさらに注目を浴びているようですが、ここまで長く続く魅力をご自分でどう分析されますか。

児玉:2つあると思います。1つは番組が目立たなかったことです。パッと人気が出ても、必ず、そのあとは下降線をたどるだけですから。クイズマニアに支えられて、気がついたら長く続いていたという一番いいパターンでここまできました。そういう意味では最近、華丸さんのお陰で注目されるのは、有り難く嬉しい半面こわくもありますが。

峯岡:2つ目はなんですか。

児玉:この番組は人生そのものなんですよ。回答者1人が調子よく答えていても、途中でリズムを崩す時がある。別の人の調子が出てきて、予想と違う人が勝ってしまう。山あり谷ありです。また最後の一問で、赤が答えれば青に大逆転勝ちという時に、今まで全然答えてなかった白がポンと正解を答えて終わってしまう。人生の縮図がそこにある。勝負の分かれ目の時に答えが分かっていても、「もし、間違ったら」とボタンを押せない人がいるんですよ。収録が終わったあと「あの時、押していたら」「押していれば」というわけです。後悔は先に立たず。間違いを恐れず、勇気を持ってボタンを押すことが、人生においても必要ですね。】

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 博多華丸さんのネタであらためて注目されている、この「パネルクイズ・アタック25」なのですが、華丸さんのネタがあれだけ多くの人に受け入れられるのも、「アタック25」そのものが「誰もが一度は観たことがある番組」だからなのですよね。僕は今まで「あっ、『アタック25』観なくちゃ!」と思ってチャンネルをあわてて合わせた記憶は一度もないのですが、それでも、けっこうこの番組を観ているのです。日曜日の昼間という時間帯もあり、それほど高い視聴率を期待されているわけではなく、スポンサーも理解があるのかもしれませんが、それにしても、「アタック25」よりも、はるかに人気があるクイズ番組はこの30年あまりの間にたくさんあったのに、ずっと生き残り続けたのは、この「アタック25」だけなんですよね。最近は、「実力勝負の視聴者参加型クイズ番組」というのは、ほとんどみられませんし。
 この、児玉さんが「アタック25」について話されているインタビューを読んでみると、児玉さんは、「目立たず、一気に消費されなかったこと」と「シンプルだけれども、『人生そのもの』を反映しているシステム」が、「アタック25」をここまで長続きさせてきた原動力だと考えておられるようです。僕はテレビの向こう側の解答者に「ここでなんで勝負しないのかなあ」なんてついつい言いたくなってしまうのですけど、実際は僕自身も「勝負の分かれ目の時に答えが分かっていても、『もし、間違ったら』とボタンを押せない人」なのです。
 「勇気を持ってボタンを押さなくては!」と思いつつも、間違って「ここで立ってしまわれたっ!」と児玉さんに言われたら恥ずかしい、という逡巡って、やっぱりありますよね……



2006年09月26日(火)
「ゴミを捨ててくれない」高級ホテルの流儀

「その道のプロが教える『一流の客』といわれる技術」(知的生活追跡班[編]・青春出版社)より。

【連泊したホテルでの出来事だ。初日に部屋で仕事をし飲み食いもしてかなりのゴミが出た。客室の小さなゴミ箱はすぐにいっぱいになる。仕方ないので入りきらない空のペットボトルを、それが明らかにゴミだとわかるよう、ゴミ箱にくっつけて部屋を出た。
 夕方戻ってみると、部屋は綺麗に清掃されている。もちろんゴミ箱も空の状態だ。だが捨てたつもりのペットボトルだけ、相変わらずゴミ箱と並んで放置されていたのである。
 一瞬、ズサンな仕事をしているなと思いかけたが、その客はすぐに気づいた。それが「明らかにゴミ」だというのは自分の論理。99パーセントそう見えてもゴミ箱に捨てられていない以上、ハウスキーパーは思い込みでは行動せず、あくまでも「床に置かれた客の私物」としてそのままの状態を保ったのだ。
 ペットボトル1つにこの心配り。ホテルとはすごいものだと感心していたら、極めつけのエピソードがあった。帝国ホテルのルールというか習慣である。
 このホテルでは、客がチェックアウトしたあとももう1日、その客室にあったものはすべて保管しているという。ゴミ箱の中のゴミにいたるまでである。
 客がしばらくたってから、大事なメモをついうっかりゴミ箱に捨ててしまったことに気づいたという、確率としては限りなく発生し得ない事態に備えているのだ。驚くべき心配りという他ない。】

〜〜〜〜〜〜〜

 ちょうどこれと同じような体験を最近僕もしたばかりだったのです。某高級ホテルに宿泊する機会があったのですが、飲み終わって空になったあとのペットボトルをテーブルの上に置いて出かけて、夜になって戻ってきたところ、部屋は確かに清掃されているにもかかわらず、ペットボトルはテーブルの上に置いたまま。「世界的に有名なホテルのはずなのに、ゴミも捨ててくれないなんて、なんだか気が利かないなあ」なんてちょっとがっかりしたのですけど、その対応はまさに「一流ホテルの流儀」だったのです。ゴミ箱の中の「お客がゴミだと明確な意思を示したもの」の他は、どんなにゴミのように見えるものでも従業員の判断で捨ててはならない、という。しかし、こういう「驚くべき心配り」に対して、「ちゃんと片付けとけよ」なんて怒ったりする人もけっこういるような気もしなくはありませんが。

 さらに、帝国ホテルでは「すべての客室の部屋の中にあったものを(ゴミも含めて)1日は保存する」という話に至っては、「最上級の気配り」の凄さに驚愕してしまいます。ちなみに、帝国ホテルの客室数は1019室もあり、それぞれの部屋の中のものを「どこの部屋にあったものか」がわかるような形で保存しておくというのは、たった1日とはいえ、多大なスペースと手間を要するはずです。かかるコストに比べたら、なんと報われる機会の少ない「気配り」なのでしょう!

 超高級ホテルというのは、建物や家具やアメニティグッズのような、目に見える豪華さだけが「サービス」ではないということなのですね。とはいえ、そういう「サービス」の分もしっかり宿泊料金に含まれているというのも、紛れもない事実ではあるのですけど。



2006年09月25日(月)
「討論」に勝つためのテクニック

「狂気の沙汰も金次第」(筒井康隆著・新潮文庫)より。

(「討論」というエッセイの一部です)

【週刊誌や雑誌などに載っている座談会を見ると、必ずひとり、他の人よりよけい喋っているやつがいる。誰かが2、3行発言すると、次には必ずそいつが10行か20行喋っている。
 こういうのを見るとぼくはその男を叩き殺してやりたくなる。他の人の発言を封じているのではないかといった気遣い、喋りすぎると他の人の発言時間を奪うことになるのだという自覚など、さらさらない。少し喋りすぎたのではないかという反省もない。20行喋って、少し発言を控えるかと思っていたら次の発言者の尻を蹴とばして、またぞろぺらぺらやり出すといった按配である。
 こういうやつに限ってインテリ面をしていて、自信満満、エリート臭ふんぷんである。そして庶民の無神経さを攻撃したりなんかしている。
 テレビ出演の依頼をことわり続けて1年になる。それというのも、こういった連中のなま臭さがほとほといやになったからである。
 連中の方にしてみれば、そうでなくては生きていけないぐらいに思っているのだろうが、そう開きなおっているところがますます鼻につく。
 聞くところによれば、テレビなどの討論会では、他の発言者のいうことを聞いていてはいけないのだそうである。
 誰かが喋っている間、自分が次に言うことを考えていなくてはいけないのだそうだ。そして誰かが喋り終れば、いや、まだ喋っていても、すぐに喋り出すといった具合でなければその番組は面白くならないのだそうだ。
 なるほど表面的にはお喋りが連続するわけで空白は生れないだろう。だがこの意見には、「視聴者なんて、どうせ発言内容をそれほど深く理解してはいないのだ」という思いあがりがある。
 以前テレビの番組で、ぼくが喋っていた。
 すると同じ出演者のひとりが、話なかばでだしぬけにテーブルをどーんと叩き、「なるほど」と叫んだ。なるほどというぐらいだから、ぼくの意見に同調してくれるのだろうと思い(これは誰でもそう思う)まだ喋りたいことはあったのだが、とにかくお喋りを中断すると、ご本人はテーブルに身をのり出し、「ところで、話はぜんぜん違いますが」】

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 この『狂気の沙汰も金次第』は、昭和48年刊行のエッセイ集なのですが、これを読んでみると「討論のやり方」に関しては、この30年でほとんど進歩していないのかもしれないな、という気がしてきます。
 確かに、自分が誰かと会話しているときのことを考えてみれば、本当に相手の話を聞いてから答えているときって、言葉を返すのに少し間ができますよね。もちろん、反応速度は人それぞれなのでしょうけど、やっぱりテレビの討論番組の出演者のあの反応の速さは異常です。あれはやっぱり、「相手が何を言っているか」なんて考えずに、「自分は次に何を言うか」に集中しているに違いありません。でも、観ている側としては、そんな「噛み合わないけれど、大きな声で間が空かないやりとり」のほうが、誰かが喋ったあとで少し間があいて、それから他の誰かがポツリポツリと言葉を選んでいる討論よりも「議論が盛り上がっている」と思い込みがちで、結局それが、こういう「お互に言いたいことを言っているだけの討論」が垂れ流されている理由なのでしょう。そしてそれは、テレビでの「討論」に限ったことではないのです。逆に言えば、「討論上手」だと多くの人に思わせたいのなら、相手の話など聞いていてはいけない、ということなのですよね。
 ただ、芸能人ではない僕としては、めんどくさい会議で、こういう「ひとりで20行、30行と喋ってくれる人」がいてくれると自分が喋らなくてもいいから助かるなあ、と感じることも少なくないのですけど。
 



2006年09月24日(日)
『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』は、なぜ、あんなに売れたのか?

『ダ・ヴィンチ』2006年10月号(メディアファクトリー)の対談記事「わたしにもベストセラー新書が書けますか?」より。

(対談されているのは、辛酸なめ子さんと、『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』の著者・山田真哉さんです)

【辛酸:手元にある『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』の帯を見ると130万部と書いてあるのですが、いまは何万部ぐらい売れているのでしょうか。

山田:148万部ですね。ただ、人に言うときはキリのいいところで150万部にしています。

辛酸:100万部を越えると2万部も端数なんですね……。私の本は山田さんの端数分ぐらいが売り上げ数の相場なので。

山田:100万部越えたら2〜3万部は惰性ですよ。

辛酸:惰性、ですか。

山田:惰性というのは、とくに営業しなくても1ヵ月にそれぐらいは売れるということ。「ミリオンセラーだから買おう」という方々がいらっしゃるので。でも、ミリオン達成までにはかなり営業戦略的に仕掛けています。たとえば増刷するたびに毎回帯を変えたり。それでも、本の売れる要因は”商品8割・営業2割”と言われているんですよ。保険だったら「商品2割・営業8割」だけど、本は商品力、中身に依存している。

辛酸:タイトルも大事そうですね。『さおだけ屋は〜』以降、タイトルに「なぜ〜なのか」というのが増えましたし。

山田:新書は装丁で違いが出せませんから、タイトル勝負なんです。売れる本のタイトルには2つのパターンがあるんですけど、ひとつは”共感を取りにいく”。ふたつめは、”斬新さを狙う”。最近だと『ウェブ進化論』や『会社法入門』といったような、新しいテーマを扱っていることがタイトルでわかるものです。『さおだけ屋は〜』は”共感を取りにいく”パターンですね。

辛酸:共感が取りにいけるものだと、はじめて知りました。

山田:『さおだけ屋は〜』は、タイトルのマーケティングリサーチ期間に1年かけました。自分の主張を押しつけるようなものではダメ。相手は何を欲しがっているのか、それを知るのがポイントです。

(中略)

山田:新書だけではなくほかの本もそうですが、「読者に最後まで読み切らせる」というのがもっとも大事です。これは出版の極意。最後まで読み切らないと人は口コミしてくれないですから。とくに新書は通勤時間や仕事の休憩時間に読まれることが多いので、読み切らせるのは大変なこと。だから僕は1エピソードをだいたい10分で読めるように設定しています。

辛酸:もしかして、書きながら時間を計ったりしているのですか?

山田:当然、計ります。いつもストップウォッチを用意しています。

辛酸:!

山田:僕にとっては当たり前のことですよ。僕の本は「10分の休み時間に1エピソードが読める新書」。メインターゲットのことを知り尽くさないと新書は必ず失敗します。また、起承転結、もしくは序破急をつえて、読みやすくし、最後に実生活の知恵などを織りまぜて説得力を強くすることも重要です。あと、プロフィールの書き方も大切。僕は神戸出身なのですが、プロフィール欄の出身地や学歴などに地方色があるとその地方の人は親近感を抱いてくれます。

(中略)

山田:もうひとつ忘れてはならないのが、広告です。同じ出版社の新書のなかに、ビッグタイトルはないかどうかを調べる。

辛酸:浜崎あゆみと同じ方式ですね。

山田:ええ、そうです。B'zとジャニーズが同じ日にリリースしないのと一緒ですね。出版社が新聞に掲載する新書の広告はスペースが限られていますから、同じ出版社の新書のなかで同じ発売日にビッグタイトルがあると、自分の本が小さく扱われてしまう。だから、以前、齋藤孝さんとバッティングしそうになったときには「山田真哉の名前がいちばん大きく出せる月に出版させてください」とお願いしました。】

〜〜〜〜〜〜〜

 『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』が大ベストセラーとなっている山田真哉さんが明かす「新書を売るためのマーケティング戦略」。僕も『さおだけ屋〜』のタイトルに惹かれて買ったのですが、あの本がここまで綿密な準備を経て世に出た本だとは思いませんでした。こういう裏話を読むと、なんだか自分が見事に踊らされてしまっているようで、ちょっと悔しいような気もするんですけどね。
 言われてみれば、新書というのは同じ出版社のシリーズは同じ装丁ですから、書店でアピールできる要素って「タイトル」と「著者」だけなんですよね。そして、「今、話題の本」あるいは「話題の人が書いている」というのが売れるためには非常に大事であるということなのでしょう。新聞広告も、そんなに効果があるのか疑問だったのですが、山田さんのこの発言内容からすると、けっこう重要な要素のようです。しかも、一番大きく載ることが大事なんですね。確かに、よっぽどの「新書マニア」でない限り、通勤の際に手に取るのは一冊だけでしょうから。
 僕にとっては、新書って、大きさも内容もなんだかちょっと中途半端な気がしてあまり好みの媒体ではないのですけど、出版する側からすれば、あえてそういう「ギリギリのところ」を狙ってああいう形になっているようです。あまりに難しい内容だとみんな最後まで読めないし、あまりに簡単すぎると、役に立たないと判断されるし。
 まあ、山田さんほどキチンとマーケティングをしている著者は、あんまりいないと思うのですけどね。
 



2006年09月23日(土)
みのもんたが「仕事中毒」になった理由

「月刊CIRCUS・2006年12月号」の記事「何度でも甦る 業界最強不死鳥たちの足跡!!」より。

(週に34時間のテレビ出演をこなす、「世界一テレビに出演している男」こと、みのもんたさんの「3度の挫折」について)

【最初の挫折は就職活動の頃だった。
「当時日テレのアナウンサーだった徳光和夫さんに憧れ、各テレビ局を受験するものの全滅、落ちこんでました」(大学時代の友人)
 結局はラジオ局の文化放送に内定し、若者に人気の深夜放送『セイ!ヤング』のDJに大抜擢、一躍人気者に。ラジオ界でスターになり、テレビにも出演するようになったが、これが2度目の挫折の序章。
「部署異動で日勤のニュース読みに回された。事実上の左遷、リストラです。原因は、まあ周囲のやっかみですかね」(文化放送関係者)
 結局、文化放送を退社しフリーになるが、仕事は軌道に乗らず…。
「家族のために、父親が経営していた水道メーター会社・日国工業(現・ニッコク)に就職、5年ほど営業マンとしてライトバンで全国を回る日々を選んだんです」(夕刊紙記者)
 みの本人も「この時期が最もつらかった。もうこの世界には戻れないと思った」と語っている。これが3度目の、そして最大の挫折。
 その後『プロ野球珍プレー好プレー大賞』(CX系)のナレーションで注目を浴び、一気に大ブレイク。
「干された時期があったからこそ、スケジュール表の空白をひどく嫌う。征服欲ですよ。すべての時間に出演したいんです」(梨元勝氏)
 今のみのを支えているのは、この征服欲にほかならない。それを教えてくれた3度の挫折。今日の「8時またぎ」は、いいですか。まずはこれです、挫折なくして成功なし―。】

〜〜〜〜〜〜〜

 いまや日本テレビ界の「帝王」である、みのもんたさんの挫折経験について。僕は怠惰な人間なので、どうしてみのさんがあんなにスケジュールをぎっしり詰めてテレビに出演し続けるのかかねがね疑問だったのです。これ以上稼いでも税金で持っていかれるばかりだろうし、かえって視聴者に飽きられるのではないかと不安にならないのかな、とも思いますしね。
 でも、この記事を読んで、みのさんの「仕事中毒の理由」が、少しわかったような気がしました。この記事では、それは「征服欲」だと書かれているのですが、そういうポジティブな感情というより、むしろ「また干されるかもしれない」という潜在的な恐怖感のほうが強いのではないか、と僕は感じたのです。
 僕にとっての「みのもんた」という人は、「珍プレー好プレー」以降の印象しかなくて、「面白いナレーター」が、いつのまにか「テレビの帝王」になってしまったという印象なのですけど、こうしてみのさんのこれまでの人生を辿ってみると、あの「思いっきりテレビ」での下世話すぎるくらいの視聴者とのやりとりなどは、みのさん自身が「ひとりの営業マン」として実際におばちゃんたちと接した経験が生かされているような気がします。確かに、高学歴のエリートとしてテレビ局に入ったり、小さい頃から芸能界で活動してきた大スターには、テレビを実際に観ている「一般視聴者」というのは、実感できないものではないでしょうか。
 
 結果的に、みのさんは、自分の「挫折経験」をフルに生かして、現在の地位を築いているのです。でも、どんなに成功しても自分のスケジュールの空白が許せない人生というのは、少しだけ、せつなくもありますよね。



2006年09月22日(金)
幻になった、キンチョー「コックローチ」のCM

「休みの国」(中島らも著・講談社文庫)より。

(中島らもさんが、いろいろな「記念日」について書かれたエッセイから。「即席ラーメン記念日」の項の一部です)

【即席ラーメンの元祖は、言わずとしれた「チキンラーメン」である。チキンラーメンは日清食品の創業者の安藤百福氏が大阪府池田市にあった自宅で研究を始め、1958年8月25日、商品化に成功した。いろんなフォロワーの即席ラーメンが山のように出たが、その手軽さにおいて、うまさにおいて、チキンラーメンを抜くものはついに出現しなかった。
 日清食品は今や世界的大企業である。
 コピーライターをやっていた頃、友人のカメラマンからこんな話を聞いた。
 その人が芦原橋の中華屋でラーメンを食べていると、汁の中からゴキブリが出てきた。当然、店のおばはんに文句を言う。
「おばちゃん、ゴキブリ入ってるやないか」
 するとおばちゃんはその人の背中をどんと叩いて、「わっかい者が好き嫌い言うてどないすんねん」。
 ある日、電通の堀井さん(キンチョーのCMなどで有名なクリエイター)とバカ話をしていると、偶然この話が出た。堀井さんは呵々大笑して、
「その話、おもしろい。絵コンテにしてチキンラーメンに持っていこう」
「え。堀井さん、いくら何でも日清はこのCMは受けてくれませんよ」
 堀井さんはしばらく考えた後、
「そしたらキンチョーへ持っていこう」
 結果的に、この話はキンチョーの「コックローチ」のCMとして制作され、まず九州地方でオン・エアされた。
 途端に視聴者からクレームの山。
「ごはんを食べているときにこのCMを見て気分が悪くなった」
 という人たちが大量に出たのだ。結局このCMはお蔵入りとなった。でも、おれはギャラとして30万円もらった。】 

〜〜〜〜〜〜〜

 この「チキンラーメン」商品化成功の日にちなんで、8月25日が「即席ラーメンの日」とされているそうです。多少のマイナーチェンジはされているのでしょうが、50年近くもコンスタントに売れ続けている「チキンラーメン」というのは、ものすごい商品ですよね。この10年くらいの間だけでも、多くの即席ラーメンが発売されてはあっという間に消えていったというのに。

 ところで、らもさんの話は途中から脱線して「ラーメンの中にゴキブリが入っていた話」のCM化についての思い出を書かれているのですが、そういえば、僕の地元のラーメン屋でも「ラーメンのスープの中におばちゃんの親指がドップリと浸かっていて、それを指摘したら、『熱くないからだいじょうぶ』と言われた」なんていう伝説がありました。こういう話には、おばちゃんがよく似合うみたいです。

 しかし、いくらなんでも、このネタは、日清食品のCMには厳しいですよね。少なくとも商品のイメージアップにはつながらないし、ラーメンを食べる気が無くなってしまいそうですから。これを実際に制作してみたキンチョーは、現在のCM戦略からもわかるように、かなりCMに対して冒険心が強い会社だったに違いありません。
 まあ、ネタとしてはけっこう面白いと僕も思うのですけど、確かに、テレビを視ている人にも、それぞれのシチュエーションというのがありますし、ラーメンを食べている最中の人だって視ることはあるでしょうから、抗議が殺到するのもわかります。現在だったらどうだろう、と考えてもみるのですが、やっぱりこれはちょっと難しいかな。
 



2006年09月21日(木)
三國清三シェフを「発掘」した男

「帝国ホテル 厨房物語」(村上信夫著・日経ビジネス文庫)より。

【もう一人、忘れがたい弟子がいる。「オテル・ドゥ・ミクニ」のオーナーシェフ、三國清三君である。
 三國君は、田中健一郎君とほぼ同世代だ。私が総料理長だった当時、札幌グランドホテルから帝国ホテルに志願してやってきた。正社員の枠がなく、パートタイマーで採用したが、やる気があって、よく気がつく男だった。何にでも一生懸命で、良い意味での「欲」があった。
 駐スイス大使への赴任が決まっていた小木曽さんが「専属コックにいい人はいないか」と打診してきたとき、頭に浮かんだ何人かの候補者の中から、私は三國君を選んだ。当時、三國君はまだ二十歳の若者、しかも帝国ホテルでは鍋や皿を洗う見習いだったため、料理を作ったことがなかった。
 では、なぜ私は三國君を推薦したのか。彼は、鍋洗い一つとっても要領とセンスが良かった。戦場のような厨房で次々に雑用をこなしながら、下ごしらえをやり、盛りつけを手伝い、味を盗む。ちょっとした雑用でも、シェフの仕事の段取りを見極め、いいタイミングでサポートする。それと、私は認めたのは、塩のふり方だった。厨房では俗に「塩ふり三年」と言うが、彼は素材に合わせて、じつに巧みに塩をふっていた。実際に料理を作らせてみなくても、それで腕前のほどが分かるのだ。
 8年間のヨーロッパ修行を終えて帰国した後、三國君はホテルの調理場には戻らず、「街場のレストランで腕試しをしてみたい」と、東京・市ヶ谷のレストランに行った。これが後にオーナーシェフとして実力を蓄え、飛躍する基礎になった。私の修行時代を思い返してもそうだが、目の色を変え、汗だくで奮闘する若者には、目をかけてくれる人が必ずいる。】

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 「オテル・ドゥ・ミクニ」の三國清三さんといえば、いまや日本を代表するシェフのひとりなわけなのですが、修行時代に三國さんの才能を見出し、海外修行のお膳立てをしたのが、当時の帝国ホテルの総料理長だった村上さんだったそうです。それをきっかけに、三國さんは成功への階段を上っていきます。もちろん、これを読んだだけでも、三國さんは料理人、あるいはサービス業に就く人として卓抜した才覚を持っていたということは伝わってきます、いずれにしても成功した人ではあるのかもしれませんが。

 このエピソードを読んで僕が驚いたのは、当時「総料理長」という厨房のトップであった村上さんが、「鍋や皿を洗う見習い」でしかなかった三國さんの仕事をしっかりと見ていた、ということでした。そして、村上さんには、その「鍋の洗い方」や「塩のふり方」を見ただけで、「実際に料理を作らせてみなくても」三國さんの料理人としての才能がわかったのです。
 やっぱり「目利きの人」というのは違うものなのだなあ、と感心してしまいました。鍋の洗い方ひとつにしても、見る人が見れば、その「違い」がわかるなんて。

 そして、僕はこのエピソードを読んで、非常に反省させられたのです。
 もし僕が三國さんの立場なら、「ちゃんと料理さえ作らせてくれれば、才能があるところを見せてやるのに!」なんて苛立ち、「こんな雑用なんてくだらない」なんて嘆きながら、適当に鍋を洗っていたのではないかと思います。でも、そういういいかげんな姿を、見ている人はちゃんと見ているのです。三國さんが「目立つ仕事、派手な仕事だけをキチンとやって見せようとして、日頃の雑用をおろそかにする人」であれば、きっと、村上さんに高く評価されることはなかったはずですし、料理人として成功することは難しかったことでしょう。
 結局、「チャンスを与えられたら頑張るのに」と言いながら日頃の仕事に手を抜いているような人の前には、いつまでたっても「チャンス」はやってこないのです。万が一チャンスが巡ってきても、普段適当な仕事しかやっていなければ、いざというときに突然すごい結果が残せるわけもないんですよね。
 「チャンスがない」って僕たちは考えてしまいがちだけれど、目の前にあるありきたりな仕事にこそ、本当のチャンスは隠れているのかもしれません。実際は、「千里の馬は常にあれども、伯楽(馬の素質を見極める人)は常にはあらず」という格言があるように、「その才能を見つけてくれる人」に巡りあえるかどうかというのも、重要なポイントなのでしょうけど。



2006年09月20日(水)
「クレームをつける側」の憂鬱

「私は、おっかなババア〜すっぴん魂4」(室井滋著・文春文庫)より。

(タクシーの運転手に道順を指定しようとしたら、「素人が口を出すな!」などと暴言を吐かれまくった(さらに道にも迷われた)という知り合いの女性(ミコさん)の話を聞いて、そのタクシー会社にクレームを入れた室井さんだったのですが……)

【さて、それから私はハタと考えた。
「明日ね、朝方、運転手のおっちゃんが仕事から戻ったら、ちゃんと事情を聞いて、改めて御連絡しますっていうことなんだけど……。何だかこれ、ちょっとヤバいかもよ」
 ミコちゃんの目を覗き込んで、神妙な声をあげると、彼女はキョトンと小首を傾げる。

ミコ「何が?」

私(室井)「タクシー会社の人の態度がね……」

ミコ「会社の人までひどいの?」

私「いや、そうじゃなくって……。会社の人はひたすら申し訳ないって、すんごく低姿勢なのよ。でもね、ちょっと、ひっかかるんだよな〜」

 実は、タクシー会社の人、詫びつつも、こんなことを言った。
『事情を聞いた上であまりにもひど過ぎる場合、そういう運転手には、うちの会社としても仕事してもらうわけにはまいりませんので、即刻、対処しなければ』……と。
 確かに今のこの御時世、仕事がうまく見つからず、あるいは、会社等をリストラされて、タクシードライバーに転職する人は山のようにいるのだろう。
 問題のある危険なドライバーを教育し直す手間よりも、やる気のある新入社員を採用した方が、会社的にはリスクが少ないので……と、言いたいのであろうが……。

私「つまりね、おっちゃん、クビになっちゃうかもってこと!」

ミコ「え〜!? クビッ?」

私「どう、ミコちゃん。おっちゃんがクビんなったらスッキリする? いい気味だって思う?」

ミコ「いやぁ、それ、また別のことですよね。あいつには腹は立つけど、この件でクビにされたんじゃあ、何だか私も……ちょっと寝覚めが悪いっていうか……」
 あれほど泣いて怒っていたミコちゃんであったが、さすがに人の重大事を自分が決定してしまうのは嫌な様子だ。
 そりゃあそうだろうと、私も思う。
 しかし、それにしても困った。
 こちら側がさらにもうひと押しして苦情を申し立てるなら、本当にそうなってしまうやもしれぬ。
「あのね、ミコちゃん。これ、けっこう大事だから、もういっぺん頭冷やして、よ〜く考えてみようよ」
 私はミコちゃんの目を見つめて、落ち着こうよと提案した。
 たった一度しか会ったことのない人の人生を左右してしまうのも勿論嫌だが、おっちゃんがクビになった場合に、もうひとつ恐るべき事態になるかもしれぬ危険性がある。
 それは『仕返し』だ!
 だって、道順がおかしいとクレームつけただけで、あんなにキレてしまうおっちゃんなのだ。万一、クビになんかなろうものなら、ただで済ましておくはずがないのでは……と、私は考えた。
「ねぇ、ミコちゃん。あのタクシー、予約で来てもらったんだよねえ」
 私はミコちゃんに確認をとった。すると――。
「なかなか前日に予約して来てくれるところってなくって……。出掛ける直前の予約っていうのはけっこうあるじゃないですか。けど、つかまんないと大変だから、やっぱり前日予約のところでないと……。前の夜に電話入れて、時間と、うちの電話番号と、住所と、名前を相手方に……アッ」
 ミコちゃんはそこまで自分で説明すると、私が何を言いたいかが分かったらしく、目を真ん丸に見開いて息を呑んだ。

ミコ「ヤ……ヤバイです」

私「でしょう? ヤバイよね」

ミコ「ギャア〜うう」

私「言っちゃったんだよね、名前も電話番号も住所も……。住所はどこまで? マンションの名前とか、部屋の号数とかも喋っちゃったの?」

ミコ「ええ、全部……。だって今朝、運転手さん、部屋の前まで呼びに来てくれて、ピンポーンってベルも押したんだもの……。ど……どうしよう、うちまで来ちゃったら。恐〜い〜」

 ミコちゃんはにわかに蒼ざめてアワワと震え上がった。
 もし、彼女が、怒り狂ったおっちゃんに待ち伏せされたり、いやがらせの電話攻撃を受けたり、突然怒鳴り込まれたとしても、タクシー会社はもう一切の責任など負わないであろう。
 何故なら彼らは、おっちゃんをクビにすることで、今回のタクシートラブルの責任を全て取ったという形にしてしまうからだ。
 それでは、そうなった場合、ミコちゃんは一体誰に守ってもらったらいいのだろう。
「やっぱり、もう警察しかないって思うんですけど、今の時点じゃあ、まだ待ち伏せされたわけでも何でもないですもんね。何をどう保護すんだよって言われちゃいますよね」
 ミコちゃんは深い深い溜息をついた。
 その溜息を聞きながら、私も大きな大きな溜息をついた。
 お互いに黙りこくったまま、しばし時間が流れた。
「で……、どうする? 危険でも、さっきの怒りをこのままぶつけて、相手にあやまってもらうまでやる? それとも、脅える毎日はパスしたい?」
 やがて、私の方がそう先に口を開いた。
「悔しいけれど、あんなことでひどい目に遭うかもって、毎日ビクビクすんのはもっと嫌……」
 ミコちゃんは唇を噛みながらボソッと漏らした。
「OK、そんじゃあ、忘れ物の化粧品返してくれさえすればもういいって、先方に言うからね」
 本当に悔しかったが、私は再びミコちゃんのお母さんの声に化けて、タクシー会社に電話を入れたのであった。】

〜〜〜〜〜〜〜

 このエッセイはこれでおしまいで、その後の「後日談」についてはこの本の中には書かれていません。ほんと、これを読んだだけの僕でさえ、「なんて理不尽な話なんだ!」と憤ってしまうようなエピソードなのですけど、じゃあ、ミコさんはこの酷い運転手を徹底的に追い詰めるべきだったのか?と考えると、やっぱり、僕の身内や友人が当事者であれば、「悔しいけど、深入りしないほうが安全」だと判断すると思います。
 こうしてエッセイに書かれているのを最初に読んだときには、「こんなふうに事なかれ主義に逃げてしまう人ばかりだから、なかなかマナーが良くならないし、他の人もこういう迷惑運転手の被害を被ってしまうんだよなあ」という憤りもあったのですが、こんなふうに、「相手があまりにも話が通じそうもない人」の場合には、かえってクレームってつけにくいですよね。

 「クレームをつけることによって自分が得られるメリット」と「クレームをつけることによって予想されるデメリット」を比較すれば、多くの場合「デメリット」のほうが大きいのです。よっぽど高額のお金やモノでないかぎり、「クレームをつけて、相手と折衝する」という行為に見合っただけの「報酬」って、ほとんど得られないのですから。僕もいろんなことに腹を立てながら生きているものの、実際に「相手に知られるような形でクレームをつける」ことはほとんどありません。めんどくさいし、万が一「慰謝料」が10万円出たとしても、そこに辿り着くまでのお互いのやりとりを想像するだけで、うんざりしてしまうのです。そりゃあ、1億円もらえるのなら、やるかもしれませんけど、実際は、そんな慰謝料が発生するような事例なんて、ほとんどありえませんし。

 こういうのって、気が弱そうで文句を言いやすそうなドライバーは些細なことでもクレームをつけられる一方で、このエピソードに出てくるような「ヤバイ人」は、「仕返しが怖いから」「もう顔も見たくないから」ということで、多少のことではクレームをつけられなかったりするのだろうなあ、と僕は思いました。
 「やたらとクレームをつけまくる人」に対して、僕はあまり好印象を抱いてはいないのですが、彼らはものすごく「勇気がある人」なのかもしれませんね。



2006年09月19日(火)
「敷居の低い人」として生き残るという戦略

「マンガ入門」(しりあがり寿著・講談社現代新書)より。

【自分がサラリーマン時代にクリエイターに何か発注する時考えたのは「敷居の高い人に発注するか?」「敷居の低い人に発注するか?」でした。
 パッケージやポスターにはいろいろなデザインの仕事があります。全てが誰も見たことのないようなオリジナリティとクオリティをかねそなえた立派なものである必要はない。バリエーションでいいもの、サイズ対応でいいもの。ある程度保守的な市場向けで逆に個性的すぎるデザインはリスクが高いもの。そういった仕事が案外多い。
 それらはいわゆる「センセイ」とか「アーティスト」ではなく、普段いっしょにお酒を飲むような、ギャラもそんなに高くなく、スケジュール的にも無理を聞いてくれて、しかもデザインを改悪するようなスポンサーサイドの事情もくんでくれるような、そういった、「敷居の低いデザイナー」にお願いすることがほとんどでした(もちろん、腕は確かな人たちです)。
 逆に、商品の新発売時のキービジュアルになるような作品や今後のイメージ作りの基礎になるような重要なアイテム、なんとしてもその新鮮さで他社製品より、一歩抜きん出て、市場への浸透をはかりたい時などは、力があって有名でギャラも高く、個性的でアーティスティックな、いわゆる「敷居の高いデザイナー」に依頼します。
 もちろん力もあって敷居の低い人もたくさんいましたが、発注するデザインの目的によって、なんとなく大きくその2つに「デザイナー」を分けていたような気がします。どちらがいいとか悪いとかではなく、どちらも大切です。
 さて、それをマンガにあてはめてみた場合、「自分は敷居の低い人」になるか、逆に「敷居の高い人」になるのか? そんなことを考えました。会社を辞めるにあたって有名なデザイナーからアドバイスを受けました。
「やりたいことだけやったほうがいいよ」
 と、つまり自分のやりたいことだけやっていれば、仕事の質も上がるだろうし、それで認められれば、そういった自分がやりたい類の仕事ばかりくるようになって、さらにその人のイメージを確固たるものにし、評価も上がり、いわゆる「敷居の高い人」になれる、と。
 なるほどそれはいい。たしかにそうなれればいいな、と思いました。

 しかし自分には決定的な問題点がありました。「やりたいもの」がハッキリしないのです。
 やりたいものがないわけじゃない。でもアレもコレも描きたい。ギャグもシリアスも描きたい。「やりたいもの」がわかりやすくひとつにまとまらないし、それによってイメージが固定されて、一種類の仕事しかこないようになったら、つまらないな、と思うのです。
 そのうえ、ボクはそこに至る間、若気の至りで反オリジナリティみたいなものをかかげ、パロディを中心に描いていたせいで、すでにもう充分ワケがわからなくなっている。いったいここからどうイメージを収斂していけるだろうか?
 長いサラリーマン生活の中で、一人のタレント、あるいはひとつのイメージともいうべきものが現れ、大きく評価されたかと思うと、数年後にあきられてゆくケースをいくつも見てきました。あきられてからのイメージチェンジは、昔のイメージにひきずられ、非常にむずかしそうに思えます。
 もちろんひとつのスタイルを築きながら、それがひとつの時代の顔になり、常にトップを走り続けるアーティストもいます。しかし、自分がそれになれるとは到底思えなかった。
 ボクは「しりあがり寿」をどうしたかったのか、その時点で最大の願いは、マンガ家としてなるべく長く描き続けること、そしてその時その時に自分の描きたいものを自由に描き続けることでした。
 そんなことを考えると、どんどん自分のやりたいことをしぼるというのが難しく思えてきました。
 その結果たどりついたのは、「敷居の低い人」になって仕事は「何でも受ける」ということでした。きっと何でも受けていれば、自分がダメな分野の仕事はこなくなって、自然に仕事の幅が収斂してゆくだろう。逆にいつまでもいろんな仕事がくればそれでいいじゃないか、と思うようになりました。
 しょせん、仕事は相対的なものです。自分がいくらガンバっても同じ分野にもっと才能のある人がいたら、自分には仕事はこない。とにかくいろいろやってみれば、そのうちライバルがいない自分を活かせる分野の仕事が自然と多くなるでしょう。
 それに「敷居の低い人」の条件では、「ちゃんとシメキリは守る」とか「内容にワガママを言わない」とか「電話はちゃんと応対する」とか、サラリーマン的なものが必須です。これなど13年サラリーマンをやった自分にはうってつけです。しかも特にイラストやカットなどその場その場にどう適したものを素早く描くか、というような視点も会社のころさんざんやってきて、あまり苦にならない。
 そしてなによりも、食えなくなることのコワさが先に立って、ボクは「しりあがり寿」にどんな仕事でも受けさせるようにしました。】

〜〜〜〜〜〜〜

 もちろん、しりあがり寿さんに全く「才能」がなければ、プロのマンガ家として生き残ることはできなかったと思います。でも、この「食っていくための戦略」というのは、すごく勉強になりました。
 専門職の場合はとくに、「ナンバーワン」になりたい、それがムリなら「オンリーワン」として認められたい、という気持ちは誰にでもあるのではないでしょうか。しりあがりさんの言葉を借りれば「敷居の高い人」として、「この仕事はこの人にしかできない」と周囲に認めさせたいのです。でも、実際のところ、多くの「専門職」でさえも、「この人にしかできない仕事」というのはほとんどありません。仕事の大部分は、「その資格がある人なら、誰にでもできるもの」なのです。まあ、そうでないと「資格」の意味がないですよね。
 実際に仕事をしていると、「これは自分の専門じゃない」とか「こんな仕事、他の人のほうがうまくできるはずなのに」という場合ってけっこう多いのです。「なんでこの仕事を僕のところに回してくるんだ……」と、「仕事の押し付け」に対して不快になることも少なくないのです。そして、「これは自分の仕事じゃない!」って、周囲に自分の「専門性」をアピールしたくなることもしばしばです。
 しかしながら、「仕事を頼む側」の立場で考えると、できれば「敷居の低い人」に頼みたくなるのが人情というものでしょう。「敷居の高い人」に頼むのはコストがかかる場合がほとんどですし、「そんなの俺の仕事じゃない!」と怒鳴り返してくるような人に頼むよりは、それほど高い技術を持っていなくても「ああ、いいよいいよ」と快く引き受けてくれる人のほうが頼みやすいのは間違いありません。いやまあ、どうしてもその人じゃなければダメ、ならともかく、実際は、プライドほどの「専門性」を持っている人はごくわずかなんですよね。ごくごく一部の頂点を目指す人以外にとっては、「生きていくための手段」として「敷居の低い人になる」というのは、非常に有効なのではないかと思います。「なんでもやる人」というのはバカにされがちだし「結局は何もできないのと同じ」なんて揶揄する向きがあるのも事実ですが、「敷居の低い人」というのは、やっぱり重宝されるんですよね。少なくとも「プライドばかり高くて何もやらない人」よりは、「そんなに凄いことはできないけれど、人が嫌がる、あるいは面倒くさがる仕事を気軽に引き受けてくれる人」のほうが、現場では役に立ちます。もちろん、全く何もできないくせに口や手ばかり出してくる人では、どうしようもありませんが。
 まあ、大きな組織の中では、あまりに「敷居が低すぎる人」は、かえっていろんなものをなすりつけられてパンクしてしまうリスクがあるし、専門外のところに深入りしすぎて失敗し、「できないことを引き受けるな!」なんて責められてしまうこともあるので、「敷居の低さの匙加減」というのも、けっこう難しいものではありそうなのですけどね。
 



2006年09月12日(火)
「文学新人賞」に応募する人々

「文学賞メッタ斬り!リターンズ」(大森望・豊崎由美共著・PARCO出版)

(大森望さん、豊崎由美さんの「メッタ斬り」コンビと島田雅彦さんの公開トークショー「文学賞に異変!?」の一部です。大森・豊崎両氏の文学賞の「下読み」についての話から)

【島田:1回に何本読むの?

豊崎:賞によって違いますけど、たとえば、わたしも前にやったことのある乱歩賞だと80本くらいは読むことになりますか? 一次選考で。

大森:そうですね。しかも、今のエンターテインメントの賞はほとんどが長編賞なんで、400枚とか500枚とかのを何十本も読むことになる。文芸誌の公募新人賞で1000とか2000とか応募が来るのは、大体100枚くらいの中短編ですよね。それとは全然違って、下読みはエンターテインメントのほうが大変なんです。まあ、全部読むかっていうと……。

豊崎:ざっと目を通せばわかるものも結構あるから。ただ、乱歩賞はちょっとわけが違って、わりあい本気度とレベルが高い人が応募してくるので、一目でわかる屑が少ないんですよ。小説現代新人賞の下読みを1回だけやったんですけど、こっちはすごかった。短編の賞なんで、読むこと自体はラクだったんですけど、もう二度とやりたくありません、すごく消耗するんで。なんで大森さんがあんなにたくさんの賞の下読みができるのか、わけがわからない。やっぱり心がないからだと思う(笑)。

大森:楽しいですよ、世の中にはいろんな人がいるなあって。実際、応募作を見てると、もう希望格差社会の縮図ですよ。東大出て現在はアルバイトの45歳とか、人生もいろいろ。最近で一番多いのは団塊の世代の男性。

島田;なるほど。今後もっと増えるんじゃない? だって、定年になるの、今年あたりからだもんね。

大森:そうですね。それと、筆歴に自分がいままでに出版した著書のタイトルを挙げる人の数がものすごく増えてる。新人賞応募者2000人のうち100人ぐらいはそうじゃないかな。版元はたいがい碧天舎とか文芸社とか新風舎とか。共同出版、協力出版ってやつです。要は自費出版ですけど、出版社がお金を出して書店の棚を買って、そこに自社刊行物を並べる、そういう商売が大流行してる。小説を出版したいという意欲はものすごく高いですね。これをなんとか有効活用する方法があれば。

豊崎:そういう人たちを一箇所に集めて、どこか収容所みたいなところに入れて、そのむやみやたらな表現欲というエネルギーを何かに有効利用できれば……。

島田:なんでそっち行くのよ。

大森:そういう人たちは50万、100万出して小説を本にしてるわけ。でも新人賞に応募するのはタダだから、なんでもかんでもどんどん送る。

豊崎:読む人の気持ちも知らないでね。

大森:歴史の長いミステリの賞だと、プロ作家の応募がやたらに多かったりするんですが、新設の派手な新人賞は、ほんとにずぶの素人の応募が多くて、何も知らないから電話でいちいち質問する。聞いた話だと、一番多かった質問は、「これもし当たったら、印税がもらえるんでしょうか」。

島田:宝くじじゃないんだから(笑)。

大森:当たるか外れるか。懸賞に応募する感覚の人が多い。

豊崎:でも2千何百本もあったら、そんなところもちょっとはありますよね、当たり外れみたいな。

島田:でもまあ、大した数じゃないんだよ。ちょっと前、一番就職難の頃の出版社の新卒採用の競争率がやっぱり2千倍くらいですよ。文藝春秋とか新潮社あたりね、そこに編集者として採用される確率が2千分の1だとすると、同じようなもんだよね。でも出版社には福利厚生あるけど、新人賞はないでしょ。だから福利厚生のある出版社のほうが勝ち組なんじゃないのって(笑)。確かに日本人が抱え込んだ未来に向けての諸問題、環境問題や政治の問題もさることながら、やっぱりメンタルな問題で。定年退職した人たちが、膨大な暇を持て余すという現実はあるわけだ。老後の蓄えっていうのは、ほんとは定年退職したらもう遣えばいいんだけど、実際はどうしようかと迷う人生が20年くらい続く。その中で一番ローコストな投資として、小説を書く。原稿百枚くらい暇にあかせて書いていく。どうせ行くところもないんだから、図書館にでも行けばいいわけです。そればかりだと心が病気になるかもしれないから、町の区民会館とかのプールで泳ぐでしょ、で、健康になるでしょ、そうやって日が過ぎていくわけです。そうこうするうちに、やっぱり1年に付きニ、三百枚の原稿は書けるよね。しかも定年を迎えるまでには経験も積んでいるだろう、辛酸も舐めただろう、病気もしただろう。辛酸を舐めて病気したら、普通の純文学は書ける、書く資格はある。

大森:ほんと病気の話多いですね(笑)。あと海外生活の話。やっぱり、ちょっと普通と違う経験をすると、これは小説になるなと思うんでしょうかね。

豊崎:人が死ぬ話は?

大森:それはあんまりない。年寄りの人が書くのは、むしろ若いとき、子どものときの話ですね。団塊の世代なら中学校時代の話。70代になると、学童疎開の思い出話がすごく多い。

豊崎:疎開(笑)。実際問題、歳取るとつい一昨日何食べたかは覚えてなくても、子ども時代のことはありありと思い出せるっていいますしね。】

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 「活字離れ」が叫ばれて久しい昨今なのですが、「読者」はあまり増えていないにもかかわらず、「小説を書く人、書きたい人」というのは増え続けているのは間違いないようです。確かに「自費出版」とか「共同出版」って、最近よく耳にしますしね。
 でもまあ、「読む側」からすれば、書いているのが身内とか知り合い、あるいはどこかでよっぽど話題になっている本でもないかぎり、この手の「共同出版本」を積極的に読もうとすることは少ないのではないでしょうか。僕は、そういう本が並んでいるコーナーは、基本的に通り抜けるだけという感じです。わざわざ(というのは失礼なのでしょうけど)そんな本にまで手を出さなくても、世の中には僕がまだ「死ぬまでに読んでおきたい本」がたくさんありますから。もちろん、出版する人は「これをキッカケに大ベストセラーになるかも……」なんて淡い期待を抱いているのでしょうけど、結局のところ、そんなに甘い世界ではないのです。まあ、その「期待」が買えるのなら、50万とか100万というのは、そんなに高くはない投資なのかもしれませんけど。

 確かに「小説を書く」というのは、老後の趣味としては、ギャンブルや骨董よりはリスクが少なく、コストもかからない「優等生」であるのも間違いありません。身内の恥をさらしまくるような私小説をベストセラーするような筆力でもないかぎり、大きなプラスを得ることはなくても、大損害を受けることもなさそうだし。極端な話、今ならパソコン1台とプリンターがあれば「執筆」することそのものは、誰にだってできますしね。資料集めも、インターネットに繋がれば、かなりのものが(信憑性には問題があるものも含まれるにせよ)、無償で手に入ります。結局はみんな同じような話を書いて、「下読み」の人たちを嘆かせているというのが「現実」なのだとしても。

 ここで島田さんが仰っておられる「編集者には福利厚生があるけれど、新人賞(受賞者)にはない」というのは、ひとつの現実ではあるのですよね。編集者というのは、「わがままな作家に振り回されるかわいそうな職業」というイメージを持たれがちなのですけど、実際のところは、編集者ほどの収入を得ている作家(あるいはその志望者)というのは、ほとんどいません。老後の趣味としてならともかく、若者の「就職先」としては「ハイリスク、ローリターン」なのですよね基本的に。しかも、新人賞を獲ったところで、その後の作品が書けるとも売れるともかぎらない。「小説を書きたい人」がどんなに増えても、「小説を書いて食べていく」というのは、全然「簡単」にはなっていないのです。

 ところで、これを読んで、僕も自分の子ども時代のことをどのくらい思い出せるか試してみたのですが、ほとんど断片的なことしか浮かんできませんでした。僕の記憶力が悪いのか、それとも、もっと歳を重ねてくると、かえって小さな頃のことを思い出せるようになるのでしょうか。



2006年09月11日(月)
『劇団、本谷有希子』の「自意識過剰」と「計算」

「papyrus(パピルス)2006.2,Vol.4」(幻冬舎)の「終わりなき旅」第4回・本谷有希子さんへのインタビューの一部です(文・河合香織)

【高校を卒業後は女優を目指して上京し、演劇の専門学校で松尾スズキのゼミに入った。大学へ行こうかとも考えたが、勉強をしたくなかった。自意識のピークはことときだった。

本谷有希子「周りは役者志望ばかりで、いかに自分がこいつらと違うかっていうことを日々考えていました。アピールして、失敗していた。あははは。実は違わないですから。違わないのに。違うフリみたいな小ざかしい真似をして」

 本谷の作戦は、まずはしゃべらないクールなキャラを演出することだった。学校の飲み会に参加しても、『大勢は苦手なの』と言って、外でひとりで風に当たる。もちろん、他人から見える場所で、だ。さらに、不幸な陰を演出し、両親のことを聞かれると、『ちょっと』を目を背け、親が亡くなったような印象を持たせるようにした。実際は、両親とも健在だ。

本谷「壮絶な人生を歩んできたに違いないみたいに思われたかった。バカですね。だから、学校の同級生が今の私を見たらすんごいびっくりするはずです。あ、本谷さん笑うんだって。当時は、頭のいい人は笑わないとおもってたんですね。『エヴァンゲリオン』の綾波レイみたいな感じで。アニメをちゃんと見たこともないのに髪形とかも意識していた」

 卒業後何もすることがなく、バイトだけの時期が一年続いた。女優には見切りをつけたが、何をしていいかわからなかった。それでも何かをしなくてはと思い、2ヶ月かけて戯曲を書いた。周りの人に見せたらおもしろい、やろうとなって、その戯曲を公園するために劇団を立ち上げた。1回きりのつもりだった。
 それから6年、今でもひとりの劇団というのはどうしてだろうか。

本谷「劇団の濃い感じが面倒くさいなって。劇団のあのどろどろした感じ、こいつとこいつとができちゃったとか、妊娠しちゃったよとか、主宰と寝たらセリフが増えるとか、そういう蜜なコミュニケーションが苦手で。現代っ子なんで」

 文芸誌編集長に勧められて書いた小説が、3年前に雑誌に掲載された。アルバイトをしないでも暮らしていけるようになったのはその頃からだ。今はネンに2回の公演、2本の小説を発表する。
 劇団に自らの名前をつけたのは計算だ。

本谷「20歳で、劇団主宰で、女性で、という人はいなかったから、ウリになると思い、一目で女とわかる劇団名にした。あと、集団に名前をつけることが恥ずかしかったこともある。中学のときにバスケットのグループを作ったんですが、ヤンキーの子が『ローズパープル』って名前をつかた。うちらのどこが『パープル』で『ローズ』なのかって。それを意識しすぎて、絶対普遍的なものにしようと思って、自分の名前にしたんです」

 だからこそ、本谷有希子は本名だ。しかし、名前が知られてくると困ることもあるという。

本谷「歯医者で名前を呼ばれるときも、『もとやゆ〜』と呼ばれると慌てて『は〜い』と答えたりしています。すごい自意識過剰なんですけど。んないないよ、うちの近所の歯医者に私を知っている人なんて、ってわかってるんですけどね。電車に乗っても見られている気がして、私だってわかって見てるのか、景色を見てるのかわからなくて、その人が降りるまで悶々としている」】

〜〜〜〜〜〜〜

 「劇団、本谷有希子」主宰、『生きてるだけで、愛。』で芥川賞候補にもなられた本谷有希子さんが、自分のこれまでの半生を振り返って(といっても、本谷さんはまだ27歳なんですけど)。
 ちなみに、本谷さんの言葉にもあるように、「劇団、本谷有希子」の構成員は本谷さんひとりだけで、「演劇界のどろどろした人間関係を嫌って」役者やスタッフは新しい公演のたびに集めてくるのだそうです。確かに「マンネリ化」や「ずっと一緒にやっていくことによる人間関係のしがらみ」は少なくなるかもしれませんが、実際には、その方式だといろいろと面倒になることも多そうではあります。既知のメンバーであれば端折れるような「お約束」でも、みんなに一から説明しなければならないのだから。
 このインタビューを読んでいて思ったのは、本谷さんというのは、本当に「自意識過剰な人」なのだなあ、ということでした。でも、ここに書かれているような「聞いてあきれてしまうような過剰な自己演出」のひとつやふたつは、誰だって記憶にあるような気もするのです。もちろん、僕も「違うフリみたいな小ざかしい真似」をしたり、「頭がいいと思われるために笑わない」ようにしたりしていたこともありました。さすがに、綾波レイの髪型を意識したりはしませんでしたが。
 ただ、そういう「過剰な自己演出の時代」を忘れてしまうこともなく、それに自ら溺れることもなく、微妙な距離感を持ち続けられていることが、小説家・演出家としての本谷さんの魅力なのかもしれません。普通は、そういうのって「なかったこと」にしてしまいたいものだから。
 この本谷さんのインタビューを読んでいて思い出したは、あの寺山修司のことでした。彼もまた、自分の「家族」や「生い立ち」を演出し続けた人だったのです。
 時代の違いもありますから、本谷さんと寺山さんを比較するということそのものがナンセンスなのかもしれませんけど。



2006年09月10日(日)
『地球特捜隊 ダイバスター』を救え!

「日経エンタテインメント!2006.10月号」(日経BP社)の「特集・エンタ業界の大疑問100」より。

【Q5.民放でスポンサーのない番組があるって本当?

 本当。深夜帯や短いニュースなどは、スポンサーがつかないことがある。現在フジ系で放送中のバラエティ『FNS 地球特捜隊 ダイバスター』もそう。これは、特にスポンサーなしで成り立つ仕組みがあるわけではなく、途中でスポンサーが降りてしまったから。
 ”信子という名前は天然パーマが多い!”など面白ネタを調査するこの番組が、今も継続できている理由は2つ。1つは番組制作コストをスタッフの熱意で最小限に抑えていること。もう1つは視聴者の存在。着うた1日700ダウンロード、DVDは発売1週間で1万枚を超えるなど、熱烈なファンがついているのだ。番組制作スタッフ曰く「スポンサー募集は引き続きしていますので企業の方よろしくお願いします!」とのこと。
「アニメがバラエティ番組界に定着したら面白い」(スタッフ)という新しい試みもナイス。継続を望む。】

参考リンク:『FNS 地球特捜隊 ダイバスター』

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 僕も最初に偶然観たときには「なんだこの番組は?」と唖然としてしまったのですが、今ではほとんど毎回観ています、この『ダイバスター』。ちなみに、DVDも持ってます。しかし、深夜番組とはいえ、アニメの絵には使いまわしが多そうで動きもぎくしゃくしているし、お金かかってないなあ…と感じていたのですが、こういう理由があったのですね。そりゃあ、スポンサー無しではお金をかけたくてもかけられないのは致し方ないところです。 それにしても、スポンサーがいない番組は自動的に打ち切られると僕は思っていたのですが、こういうケースも稀にはあるということなのですね。深夜の「歌う天気予報」にそんなにスポンサーがつくというのは考えにくいし、テレビ局の「自主制作枠」みたいなのもあるらしいです。
 まあ、考えようによっては、文字どおり「視聴者が支えている番組」とも言えるでしょう。もちろん、いくら視聴者の支持があるとはいえ、こんなふうに「制作費テレビ局持ち」で番組が作れるのも、スタッフの熱意と深夜帯という時間の放送だからには違いないのですが。
 いくら反響はあっても、さすがにゴールデンタイムに同じことをやるのは、難しいでしょうから。
 うーん、でも、スポンサー側にとっては、いくら熱狂的なファンが多くても『ダイバスター』の視聴者というのは、ちょっと特殊というか、大企業にとっては、あんまりアピールするメリットがないかも……



2006年09月09日(土)
ビル・ゲイツに愛された女たち

「週刊アスキー・2006.8/15号」(アスキー)の記事「'08年に引退宣言!!ビル・ゲイツとマイクロソフトの30年」より。

(「ビル・ゲイツのガールフレンドたち」という項から)

【学生時代はあまり女性に縁がなかったビル・ゲイツが、最初に真剣にお付き合いした女性は、ジル・ベネット。ディジタル・イクイップメント(DEC)の販売外交員で、当時27歳(ゲイツと同い年で、なんと誕生日も1日違い)。
 '83年夏、マイクロソフト社員の自宅パーティで初めてゲイツに出会ったとき、彼女は「どうして32ビットのコンピューター用のソフトを開発しないの?」と訊ねたため、”32ビット”というあだ名を付けられることに。仕事一筋で身なりに無頓着な彼を清潔に保つため、彼女とゲイツの母は、いつも追いかけまわしてシャンプーさせていたという。仕事が忙しすぎて会う時間がなかなか取れないゲイツは、ジルに対し、「君がスティーブ・バルマー(現マイクロソフト社長)の彼女だったらいいのに。そうすれば、僕が忙しいときでも寂しくないし、会いたいときはすぐに会える」と、爆弾発言。結局、'84年末、ゲイツは彼女に振られてしまう。
 失恋の痛みもなんのその、彼が次に見つけた恋人は、6歳年上のやり手実業家アン・ウィンブラッド。ベンチャー・キャピタル会社のオーナーで、彼女自身も億万長者。大変頭のキレる女性で、2人で休暇旅行を過ごすときは、”物理学”、”バイオテクノロジー”など、テーマを決めて2人で読書三昧。「ビル・ゲイツを前にしても怖じ気づかず、彼の話に知的に張り合うことのできる、貴重な女性だった」とは、当時の友人の評価。3年付き合ったのち、アンもゲイツの家族たちも2人の結婚を望んでいたが、ゲイツ自身はまだ身を固める決心がつかなかったようだ。'87年12月、ゲイツの姉クリスティーの結婚式で、2人は正式に破局。
 そのほか、マイクロソフトの女性社員に手を出して社会が険悪な雰囲気になったり、短期間だけ付き合った女性は何人かいるようだ。
 以外なところでは、アップルの重役を務めたこともあるハイジ・ローゼン(現在はベンチャー・キャピタリスト)。ボストンのマックワールドエキスポで彼とダンスする姿を目撃されたり、彼の家にお泊りするなど、恋人とウワサされたこともあったが、実際はただの友だちだったらしい。
 最後の恋人は、マイクロソフトの従業員メリンダ・フレンチ。'87年に入社直後、ゲイツの目に止まりデートを重ねる。在社中は、『エンカルタ』などマルチメディア製品のプロダクトマネージャーをしていた。数年間別れたりくっついたりを繰り返し、'93年3月にゲイツがついにプロポーズ。翌年1月にはめでたくゴールインし、現在はワシントン湖のほとりにある豪邸で共に暮らしている。メリンダは彼より9歳年下だが、年より落ち着いて見える。結婚後、ゲイツの身なりが以前を比べて断然おしゃれになったのは、彼女の努力のたまものに違いない。】

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 下世話といえば下世話な話ではあるのですけど、ビル・ゲイツという人は、あれだけのお金と社会的名声を得ているにもかかわらず、真剣に交際していた女性というのは、みんな仕事関係の人ばかりみたいなのです。ほんとうに「仕事人間」なのだなあ、とあらためて感じてしまいました。彼が望めば、ハリウッド・スターとだって、付き合えたかもしれないのに。
 まあ、「君がスティーブ・バルマー(現マイクロソフト社長)の彼女だったらいいのに」なんて、これを読んでいた僕ですら「それはNGだろ!」とツッコミを入れてしまいたくなるような発言で、ゲイツさんは、少なくとも「恋愛上手」とは思えません。「追いかけ回されてシャンプーされていた」なんて、犬じゃないんだから……
 それでも、これだけの恋愛遍歴があるのだから、やっぱりたいしたものなのですけどね。恋人との休暇旅行でテーマを決めて読書三昧という話には、ゲイツさんの知識欲の凄さも感じますし(と同時に、そでは、僕にとっては「休暇」じゃなくて「合宿」だなあ……」と呆れてもしまうんですけどね)。
 この記事には、妻のメリンダさんとジル・ベネットさん、アン・ウィンブラッドさんの写真が掲載されているのですが、メリンダさんは他の2人に比べて華やかな美しさはないのですが、落ち着いた雰囲気の女性に見えます。「趣味はジョギングで、クルマ好きのゲイツとは正反対」なのだとか。最後は家庭的な女性を選んだ、ということになるのかな……

 実際は、こういう「仕事関係の女性とばかり付き合う大社長」というのは、職場の人間関係がぎくしゃくしてしまう原因になるので、周囲の人たちからすれば困ってしまう面もあるでしょうね。
 ゲイツさんが結婚されていちばんホッとしているのは、実は、マイクロソフトの関係者だったのかもしれません。とくに、スティーブ・バルマー社長あたりは、「これで槍玉に挙げられたりしなくて済むな……」と胸をなでおろしていたのではないでしょうか。



2006年09月08日(金)
オシム監督の「潔さ」

「Number.660」(文藝春秋)の特集記事「オシムの全貌。」より、「智将を知るための5つのエピソード」(木村元彦・文)のなかの1つ。

【'02年にグラーツを去った真相に見る”潔い気質”。

 リーグ戦優勝2回、カップ戦優勝3回、チャンピオンズリーグ出場3回。就任以来、オーストリアの中位クラブだったグラーツを飛躍的に成長させたオシムは何故このチームを去らなくてはならなかったのか? クラブのハネス・カルトウニック会長との確執が原因とされている。
「中立的な立場からモノを言おう」とコメントをくれた地元紙クローネン・ツアイソンのカリンガー記者によれば、発端は会長が、常勝を求め始めたことによるという。チームは生き物であり、世代交代も含めて調子には波があることを前提とするオシムの考えは理解されなかった。
 チャンピオンズリーグ出場という歓喜から時は経ち、やがて溝は深まって行った。メディアに対し、会長が故郷ボスニアについて中傷的な発言をしたことをオシムは許せなかった。またオシムに対する給料の不払いが表面化する。クラブの経済事情を知るオシムは和解を望んだが、クラブ側は高圧的な態度に出たため、やむなく裁判に。一説によると、不払い金額は15万ユーロだったが、弁護士料なども含んで37万ユーロに膨らんだという。裁判には勝ったが、クラブの経済事情を考え、オシムは分割払いを認めた。カリンガーは言う。
「彼はカネが欲しくて裁判をしたんじゃない。その証拠に支払われたものはすべて寄付しているんだ」。クラブを去った今も、関係者の尊敬を集めており、スタジアムの道具係の人たちは、オシム夫妻が日本にいる間、グラーツの自宅の周りを自発的にパトロールしているという。】

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 これを読んで、オシム監督というのは、本当に「欲が少ない」人だなあ、と僕は感じました。彼の能力と実績であれば、ヨーロッパのもっと大きなクラブの監督として君臨することも可能だったでしょうに。実際に、ジェフ市原の監督として来日する前にも、そういうオファーはたくさんあったらしいですから。そして、こういうオシムの「潔さ」というのは、いかにも日本人好みでもありますよね。もちろん、オシムは単に潔いだけではなくて、サッカーに関してはものすごく頑固な信念の人でもあるのですけど。
 グラーツとの裁判だって、得たお金を全額寄付するつもりだったのであれば、わざわざ面倒な裁判などやる必要はなかったようにも思えるのですが、それをあえて正さずにはいられない不器用なところもまた、オシム監督の一面なのです。

 しかし、これを読んでいて僕が考えさせられたのは、「オシムは、なぜそんなケチ臭い会長のクラブではなくて、イタリアのセリエAやイングランドのプレミアリーグのビッグクラブで指揮をとらなかったのだろうか?」ということです。彼自身の故郷・ボスニアからあまり離れたくないというこだわりもあったのかもしれませんが、潤沢な資金で次々に補強ができるクラブなら、「調子の波」もそれほど大きくない「常勝チーム」を作ることも可能だったのかもしれないのに。まあ、そういう「ビッグクラブ」ではないチームを自ら育てて強いチームにしていくことこそが、この智将の「こだわり」であり「悦び」なのでしょうし、その集大成が、今回の日本代表監督就任なのかもしれません。

 それにしても、このオシムの「潔さ」というのは、彼自身の能力を考えると、ちょっと勿体無いような気もします。もし彼がもっと野心家であったなら、より巨額の給料やワールドカップで優勝を狙えるようなチームの監督の座だって、けっして不可能ではなかったはずだから。
 それでも、辞めたクラブの関係者が、ずっと不在の自宅を(もちろん、何の見返りもなしに!)パトロールしてくれるというオシム監督の生き様は、本当に魅力的なものですし、この世界的な智将と日本との出会いが幸多からんことを願ってやまないのです。



2006年09月07日(木)
「オーディオ・ブック」を自主制作する作家たち

『ダ・ヴィンチ』2006年9月号(メディアファクトリー)のコラム「海外出版レポートNeo」(文・荒元良一)より。

(アメリカの作家のさまざまなプロモーション活動を紹介している文章の一部です)

【今回、(NYタイムス電子版の)記事で取り上げられたのは、オーディオ・ブックという媒体である。その名が示すように、本で記される言葉を朗読するタイプのもので、車社会のアメリカでは、通勤時の車の中で聞いたりと日本以上に需要が多い。オーディオ・ブックの主流は、近年まではカセット・テープだったはずだが、やはりというべきか、ここへ来てネット上にアップし、購入者がダウンロードするものも出てきた。
 さて、問題はここからである。オーディオ・ブックにすると、確かに新しい読者を開拓できる可能性が生じるのだが、語り手やエンジニアを雇ったり、録音スタジオをおさえると当然コストがかかる。おまけに、語り手が複数になった場合や、有名な俳優を起用すればさらに費用はかさむから、どうしても出版社側は二の足を踏む傾向にある。
 しかし、だからといって、作家の中には、出版社が重い腰をあげてくれるまで、手をこまねいて待てない人間もいる。このあたりが強気というか、積極的というか、アメリカ人の気質がよく出ているのだが、気概のある作家が、オーディオ・ブックの自主制作に乗り出す傾向があるらしい。
 たとえば、記事で紹介される作家のひとり、ジュリアン・ルービンスタインは、ハンガリーのアイスホッケー選手が銀行強盗に変貌したノンフィクション『Ballad of the Whiskey Robber』(これが実話というのも凄みがある)を書き上げ、さらに読者を増やそうとオーディオ・ブック化の話を、本を出版したリトル・ブラウン社へ持ちかけた。しかし、本の実売数が1万5000冊そこそこの状況では、制作費を捻出するのは厳しいと断られる。
 ならばと一念発起した著者は、友人でもある録音技術者に頼み、出演者には主人公である元アイスホッケー選手本人(監獄からの出演)、旧知の作家仲間や俳優、ミュージシャン等からのサポートを得て、ついにオーディオ・ブックを完成。その熱意に動かされ、ついに出版社もネットでの販売に至ったという。
 他の作品としては、サラ・ヴォウェル著の『Assassination Vacation』でスティーヴン・キングが同じように声の友情出演し、人気TV番組『セックス&ザ・シティ』でレギュラーだった俳優のマリオ・キャントーンが参加する『Rococo』(アドリアーナ・トリジアーニ著)など、オーディオ・ブックが話題に上ることは少なくない。しかしながら、出演者や技術者のほとんどがボランティアであるのを考慮すると、まだ採算性があるとは言い難い。記事が示すように、作家がコンピューターを駆使し、録音、編集はもとより、肉声も「作る」時代がいずれ到来することになるのだろうか。】

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 アメリカの作家の多くは、新刊を出すと朗読会やサイン会という形式で、あの広いアメリカ国内を巡ってプロモーション活動を行うのだそうです。まあ、日本でも大手書店でのサイン会というのは、かなり頻繁に行われているのですけど。
 そして、アメリカの「スターダムの域に達していない作家」たちは、自費でプロモーションのために地方まわりをすることもあるのだとか。アメリカでは、作家として生きていくのもかなり外向的でなければ難しいのだなあ、と感心してしまいました。しかし、そんなに売れていない作家だったら、地方まわりをしてもそんなにプロモーション効果そのものがあるのかどうか、疑問にも思えるのですけど。かなりのお金をかけて、閑散としたサイン会場に辿り着いたとしたら、すごくショックですよね……
 映画化されて話題になっている、トルーマン・カポーティの伝記を読んでみても、確かに、良くも悪くも「タフ」でないとアメリカで作家をやっていくのは難しいのでしょう。

 ところで、この「オーディオ・ブック」の話なのですが、日本では「本を読むよりよっぽど高くつく」この「オーディオ・ブック」という媒体は、一部の固定ファンがいるアニメ作品などを除けば、ほとんど発売されることすらないようです。しかしながら、車社会で長時間の運転が多いアメリカの人たちにとっては、確かに「使い勝手の良い媒体」ではありそうですよね。そして、ネットからデータとしてダウンロードできるようになれば、カセットよりもかさばらないし、手間がかからず割安なのではないでしょうか。さすがに映像化するのはお金がかかりすぎるかもしれませんが、音声だけなら、それほどコストもかからないでしょうし。

 しかしながら、この「オーディオ・ブック」を「売り物にできるクオリティのものにする」というのは、かなり難しいことのようです。「音だけ」だからこそ、朗読者の技量や出演者の声の演技がいっそう重要であって、「素人がただ読むだけ」というようなものでは、かえって居眠り運転を誘発してしまうだけになりそうですから。
 よほどの人気作品以外、結局は、作家自身の「人脈」とか「自己負担」に頼らざるをえないということみたいで、そういう点でも、アメリカで作家をやっていくというのは、なかなか大変なことなのだなあ、と痛感させられるのです。ただ、優れた作品さえ書いていればいいってものじゃない。

 僕は乗り物酔いしてしまうほうなので、携帯オーディオプレイヤーを使って交通機関内で「聴ける本」というのは、けっこう興味深いのですけど、実際に「長時間の観賞に耐えうるもの」は、そう簡単には作れない、ということなのでしょうね。
 それにしても、「監獄から出演」っていうのは、すごいなアメリカ……



2006年09月06日(水)
ある精神科医が語る「本当に怖い話」

「週刊SPA!2006.8/15・22合併号」(扶桑社)の特集記事「体験者が語る『会社の会談』」より。

(精神科医・春日武彦さんによる、「私はこんな話が怖い!」という項の一部です)

【職場では結構自殺している人なんかも多いんだけど、怪奇体験というのはまったくないですよ。患者自身が怪談というのはあるけどね。

(中略)

 俺にとって「こりゃ怪談だなあ」と思うのは、「子供が帰ってこないんで、ベンチで待っていたら30年たちました」みたいな話ね。あと以前聞いた話なんだけど、とある有名な実業家が亡くなったときにさ、その奥さんが火葬される前の棺桶に向かって、「あなた、怖くないですからね」って言ったらしいんですよ。こういうのがむしろ怖いんだよね。何考えてんだろうと思うよ。この棺桶の例なんかはさ、もちろん奥さんの愛情から出た行為とも思えるけど、一方で、棺桶に入っている側からすると、そんなこと言われたら余計に怖いじゃない? だいいち、体験したこともないくせに、「怖くないですよ」なんて言えるわけない(笑)。なのに言ってしまう。ここには奇妙に歪んだロジックがある。と同時に、この奥さんの「取り返しがつかないことになった」という罪悪感と喪失感が、この話を聞く者が持っている罪悪感とか喪失感にそのまま訴えかけるところがあるわけでしょ。それがいや〜な感じを生むわけで、怖い怪談っていうのは、つまり、受け手の「知っていること」であったり、「あり得たかもしれない過去」が歪んだロジックを経て現れ出るところに生まれるんで、単に超常現象にあいましたじゃつまらないよね。】

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 春日さんは、現在『文学界』とう雑誌で、「不気味なもの」についての連載をされているそうなのですが、僕も本当に「怖い」と感じるのは、ハリウッド映画で描かれているような大パニックの場面ではなくて(あれはあれでドキドキはするものですが)、この実業家の妻のエピソードのように「ごく当たり前のような光景のなかに隠されたズレ」のような気がします。
 いや、もし僕だって意識のある状態で火葬されたら「怖い」どころの騒ぎじゃないですし、そんなこと心配するくらいなら焼かないでくれ、と言いたくもなりそうです。でも、その一方で、そう言いたくなってしまう、夫の死を感じつつも夫が何かを感じられるような状態であって欲しいという妻の思いというのも、僕にはよくわかるのです。「ちょっと気持ち悪いエピソード」ではあるけれども、不快かと言われると、それほどでもないんですよね。自分が体験したことはなくても誰かに「大丈夫だよ」としか言いようがない状況っていうのは、そんなに珍しいことではないですから。

 僕にとって、この話そのものがちょっと怖いのは事実なのですが、それと同時に、この話を「ロジックが歪んでいる」ということで「とても怖い話」だと認識してしまう人が大勢いるのだ、ということにも、ある種の「怖さ」を感じてしまうのです。人は、そこまで「ロジックの不整合」に対して、敏感でなければならないのだろうか、と。
 現代人というのは、未開の地や未知の生物に対する「怖さ」というのは、かなり克服してきていると僕は思います。それは人間にとっての「進歩」であるはずです。
 でも、その一方で、「歪んだロジックを突き詰めすぎない包容力」みたいなものを失ってしまっている人が増えてきているような印象もあるのです。
 この話の場合、ああ、この妻はまだ夫のことが心配なんだな、で思考停止してしまえれば、そのほうがずっと幸せなのではないかと思うのですけど。
 



2006年09月05日(火)
アメリカ人にとっての「大食い選手権」

「本の雑誌」(本の雑誌社)2006.8月号の「連続的SF話・265」(鏡明著)より。

【うーんと、次は「Eat This Book」著者はRyan Nerz。
 IFOCEの歴史を書いた本なんだけれども、タイトルを見たとき、アビー・ホフマンだったっけ「この本を盗め!」というタイトルの本があったことを、思い出した。アメリカのカウンター・カルチャーの黄金時代ですね。と言ったところで、わかる人は、ほとんどいないんだろうな。
 IFOCEは、「International Federation of Competitive Eating」という団体の略称。ごらんのとおり、「大食い競技国際協会」ということ。1997年に設立されたっていうから、テレビ東京とどっちが早いかっていう感じかな。あ、局ではなくて「大食い選手権」の方ね。
 小林尊が、ニューヨークのホット・ドッグ早食い大会でチャンピオンになったというニュースをテレビで見たときに、アメリカでも同じようなことをやっているんだなと思ったのだけれども、こんな協会があるなんて、知らなかった。で、この本を買ったのは、もちろん、IFOCE(アイ・フォースと読む)この団体のことを知りたいと思ったからだけれども、それ以上に、巻末に挙げられている競技とチャンピオンのリストが、欲しいと思ったからだ。だって、馬鹿なんです。ウインナ・ソーセージ、アスパラガス、ベークト・ビーンズ(スプリントと長距離の2種類がある)、牛タン、バースデイ・ケーキ(!)、バター、キャベツ、フライド・ポテト、ホット・ドッグ、ハンバーガー、スパム、おにぎり、タコス。うーん、これで、半分もいっていない。アメリカ人の食卓に、あるいは、口に入るものすべてが、競技の対象になっているんじゃないか。
 で、こんなものが、団体として成立するなんて、ありえないと、思うでしょ。でも、たとえば、フライド・チキンの大会は、何と、アイスホッケー用の会場で行われて、2万人以上の観衆が集まるんだってさ。アメリカではNASCARという普通の車のレースが人気だけれども、同じことで、あ、おれでも出られるかも、という気持ちになるのが、人気の理由だという。
 面白かったのは、初期の大会では、だいたいデブの男がチャンピオンになっていたのだけれども、2004年のフライド・チキン競技で、ソニヤ・トーマスという50キロもないような女性がチャンピオンになり、デブの夢を打ち砕いたという。そして、何よりも、小林をはじめとする日本人チャンピオンの出現が、ショックだったらしい。ちなみに小林尊はIFOCEのランキング1位だとか。初めて、日本人競技者に敗れたアメリカ人のチャンピオンの感想は「パール・ハーバーの再来だ!」
 何か、インチキがあるのではないか。あんなに小さな日本人が、あんなに食べられるのは、おかしい! あいつは、手術で第2の胃を移植しているとか(牛か!)、もう一列、歯を移植しているとか(エイリアンだろ、それは!)、ドラッグを使っているとか、色々な噂が出た。中には、この日本人たちの秘密を知るために、独学で医学の勉強をはじめ、論文まで書いてしまった元チャンピオンもいる。本気なのである、アメリカ人は。】

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 「フライド・チキン大食い大会」に、2万人以上の観衆が集まるなんて、アメリカでの「大食い選手権」人気は凄いのだなあ、と驚いてしまいました。まあ、諸外国、とくに食べものがそんなに豊かでない国からすれば、日本での「大食いブーム」というのも、かなり異常なものではあったと思うのですが。しかも、あのテレビ番組って、美味しそうな食べ物をやたらと参加者が詰め込みまくっていたので、やっぱり「味わって食べないのは勿体ないなあ」とはすごく感じました。そりゃあ、口に入れたら吐き出したくなるような食べ物で「大食い」をやるのは難しいのでしょうけど。
 日本では、「大食いの人」は、さまざまな食べ物に対するオールラウンドな適性が求められるのに対して、アメリカでは「種目別」になっているみたいなのです。ベークト・ビーンズに至っては、「スプリント」と「長距離」にまで分かれています。陸上競技みたいだ……
確かに大食いの人にもそれぞれ「得意な食べ物」がありそうなので、ベストパフォーマンスを見るという意味では、この方がいいのかもしれません。逆に日本の場合は、「苦手なものをどう克服するか」というのに興味を持つ人が多そうです。
 それにしても、バターやキャベツの大食いなんて、まさかバターをそのまま飲み込んだり、キャベツを丸ごとかじったりするのでしょうか?
 
 この文章を読んでみると、アメリカ人というのは、日本人のように「至高のもの」を喜ぶばかりではなく、「自分に手の届きそうな競技でがんばる人々」を観るのも好きなのだな、ということがよくわかります。モータースポーツにしても、日本人は最高峰であるF1には非常に人気があるのですが、NASCARのような「普通の車のレース」に興味を示す人というのはごくひとにぎりのマニアだけですし。そして、そういう「身近な英雄」が、日本からやってきた男に打ち負かされるのは、とても悔しいものだろうなあ、というのもよくわかります。
 僕も小林尊さんがどうしてあんなに食べられるのか本当に疑問だし、本当に「第2の胃」でも移植していてくれれば、僕も彼らもスッキリできるのでしょうけどねえ。まあ、そんな大手術をしたら、かえって食べられなくなるとは思いますが。



2006年09月04日(月)
個性的な披露宴における「ジャストマリード号」体験記

「サワコの和」(阿川佐和子著・幻冬舎文庫)より。

【私が20代の頃、結婚式を挙げようと思ったら、たいていの人は結婚式場かホテルで披露宴をやったものである。自ら経験がないので詳しいことは知らないが、当時、友達の披露宴には数知れず招かれた。そしてどれもだいたい同じような中身だったと記憶する。
 司会者が立ち、仲人さんが新郎新婦の紹介をし、主賓の挨拶、乾杯の音頭、お色直し、キャンドルサービス、ケーキカットに花束贈呈。ホテル側が提案するプログラムに則れば、ほぼ滞りなくコトは進む。
「お前たちのときは、そういうつまらん披露宴はするなよ」と、父からきつく諭される以前より、我々兄弟は個性的な結婚式を挙げようと企んでいた。いくら企んでも実行できない妹をさしおいて、まもなく兄が結婚することになったとき、
「盛大な披露宴なんてやらないよ。そのかわり馴染みの教会の裏庭で小さな手作りのパーティをしたあと、親族だけの食事会をすることにしたから」
 兄は宣言し、家族は感心し、当日を迎える。チャペルでなごやかな式が執り行われたのち、裏庭へ移動。風が強く、セットした髪の毛は乱れ、紙ナプキンが飛んでいく。供されたご馳走はサンドイッチとジュースのみ。昼どきにお腹を空かした招待客が、心なしか物足りなさそうな顔でたたずんでいる。
 そしてシンプルパーティが終わると、兄の友人一同によって色とりどりに落書きされた缶カラつきカラフル車を新郎自らが運転し、皆に送られつつ、新婚夫婦は次なる食事会会場へと出発した。
 さて、親族の食事会も無事終わり、新婚さんは、ハネムーンへお出かけになるという。
「え、じゃ、この車は誰が運転して帰るの?」
 兄に尋ねると、
「お前、持って帰っといてよ。俺たち、空港に持っていくわけにいかないからさ」
 おかげで私は車体に大きく「ジャストマリード」と描かれたハデハデ車をただ一人、着物姿で運転するはめになったのである。こんな恥ずかしいこと、どうして私がしなければならないんだ。なにアレ、きっと新郎に逃げられた花嫁だぜと、信号で止まるたびまわりの歩行者に笑われ見つめられ、それはひどい目に遭った。こんなことなら定型披露宴にしたほうが、よっぽど楽だった。
 ことほど左様に個性には、多大なる面倒と義務と苦痛がつきまとうことを肝に銘じておかなければいけないのである。】

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 そういえば、僕は何度も(少なくとも10回以上は)結婚披露宴に出席しているのですがこの「披露宴会場から缶カラつき車でハネムーンへ出発!」という新婚さんを見たことがありません。最近は、そういうのは流行ではないんでしょうね。もっとも、阿川さんのお兄さんが御結婚された当時でも、アメリカ映画の中ならさておき、日本でそんなことをするカップルは珍しかったのかもしれませんが。

 僕も結婚披露宴というのに出席するたびに「こんなワンパターンな式を自分はやりたくないなあ」なんていつも思っていました。しかし、周囲の人もみんなそう言っているわりには、結局大部分の披露宴が「典型的の枠内」におさまってしまうのは何故なのだろう?と考えていたのですが、結局のところ「個性的な披露宴」というのは想像以上に難しい、ということに尽きるのかもしれません。ここに描かれている阿川さんのお兄さんの結婚式でも、おそらく、この企画を考えついて実行するまでは、「風に飛ぶ紙ナプキン」とか「ジュースとサンドイッチという食事に物足りなさを感じる招待客」なんていうのは、想像してもみなかったはずです。もしかしたら、当人たちは、当日も気付いていなかった可能性もありますし、そのほうが幸せだったのではないかとは思いますが。
 ほんと、典型的な披露宴っていうのは、つまらないんだけど、とりあえずよくできたシステムではあるんですよね。新郎新婦に近い人たちはそれなりにみんなで楽しめて、半分義理で出席しているような人たちも、とりあえずゆっくり出てくる食事やイベントを眺めていれば、とくに疎外感を抱くこともなく時間を過ごして会場を去っていけるのです。最近流行りのハウスウェディングなどでは、参加者にもある種の「積極性」が要求されそうです。
話し相手に恵まれなかったらかなり辛い時間を過ごさざるをえなくなるのではないでしょうか。
 たぶん、阿川さんのお兄さんたちは「質素で親近感あふれる式」をやりたいということだったのでしょうし、それは、この文章からも伝わってくるのですが、自分が招待客であれば、「もうちょっと御馳走が出てくるかと思ったのに、なんだか寂しいなあ」とか、「せっかく美容院で髪をセットしてきたのに……」なんていう気分になりそうではあるんですよね。「個性的」というのは素晴らしいことだけれども、「個性的」だからといって、必ずしも優れているとは限らない。現実にはむしろ、「個性的だけど失敗」してしまうことのほうが多いのではないでしょうか。披露宴を盛り上げるための要因は、芸能人がたくさん来るようなものでないかぎり、式そのもののオリジナリティというよりは、本人たちの熱意や周囲の友人・親族たちの親愛の情の深さであるように僕は感じます。
 もちろん、「個性的で楽しい披露宴」の経験も僕にはあるのですが、実際は「ただ個性的であれば良い」のではなくて、ちゃんと手間をかけて準備が整えられていればこそ、「個性」というのは生きるのです。ダメな「個性」って、「非常識」だと受け取られがちだし。
 ただ、これを読んでいると、その「ジャストマリード号」の運転経験というのも、時間が経てばいい思い出になっているような気もするんですけどね。こうして、エッセイのネタにもできていることですし。



2006年09月01日(金)
恐るべき「本のしおり」たちとの遭遇体験

「三四郎はそれから門を出た」(三浦しをん著・ポプラ社)より。

(「本にはさむもの」というエッセイの一部です)

【本を読むときの作法には、人それぞれ、こだわりがあるだろう。中でも、「なにをしおりとして使うか」というのは、読書作法的に重要な問題だ。
 古本屋で働いていたころ、「こんなものをしおりがわりにする人がいるのか!」と驚くようなものを、いろいろ目撃した。買い取った本のあいだから、しおり(および、しおりがわりのもの)がはらはらと舞い落ちる。そのたびに私は、人間の裏面を覗き見る思いがしたものである(ちょっとおおげさ)。
 帯をしおりがわりにしている人は、けっこういた。あと、文庫や新書に挟まれている、「結婚相談所」や「新刊案内」の広告の紙。それらを細かく裂いては、読みやめるたびに挟んでいく人も多い。十数ページごとに点々と紙が挟まっているので、どういう割合でどこまで読んだのかが一目瞭然でわかる。後半になるにつれ、加速度的に挟まる紙の数が減ると、「物語にぐいぐい引き込まれたんだな」と推測して、こちらも楽しい気分になる。
 事務用クリップやティッシュペーパーやお札をしおりとして使う人もいた。お札には気をつけて……。かなり多くの人が、本に挟んだことを忘れて古本屋に売っちゃってますよ〜。あ、もしかしてあれはしおりがわりじゃなくて、ヘソクリだったのかな。
「なにかを挟むなんて面倒くさい」とばかりに、ページの端っこを折っちゃう人もいる。2ページおきくらいにページが折れていて、「きみはもうちょっと落ち着いて本を読め!」と言いたくなるものもあった。
 もちろん、しおりに格別に気を配る人も多いようだ。手作りらしき布製のもの。薄い金属でできたもの、細かい切り絵になっている紙のもの。革もあった。ありとあらゆる材質、デザインのしおりが、古本のあいだには挟まっていた。
 すごく古いしおりや、素敵なデザインのしおりは、捨てずに作業場の壁に貼っておいて、店員みんなで眺めて楽しんだものだ。
 しかし、上記のように無害だったり麗しかったりするしおりばかりではない。
 世の中には、実に恐ろしい物をしおりがわりにする人が存在するのだ。覚悟はよろしいか?
 まずは、陰毛。
 文庫の「天(ページの上側)の部分から、何本もの縮れた黒い毛が、ぴょこぴょこと覗いているのだ……! 買い取った本の手入れをしようとページを開けかけた私は、「ひぃっ」と悲鳴をあげて、その本をゴミ箱に捨てた。
 いったいなにをどうしたら、あんなものをしおりにしようという発想が生まれるのか。わざわざ抜くわけでしょ? 痛くないのか? わからない……。そしてその本を、平然と古本屋に売る神経がまた、わからない……。
 次に、鼻○ソ。
 もう、汚い話でホントにすみません。私もなるべくならこんな話はしたくないんだが……。
 これまた、古本屋で作業中のことだ。文庫のページが開かない。なんだか糊のような、ゴロゴロした固形物であちこちのページがくっついちゃっているのだ。「なんだ?」とバリッとページを開いてみた私は、糊の正体に気づき、「ぎいやああああ!」とまたもや叫んだ。
 なんという不逞の輩がいるのであろうか。本に、本に鼻○ソを挟むなんて! 紐のしおりがついてるじゃないか。おとなしくそれを使ってくれよ、頼むよ。だいたいこれじゃあ、読んでいる途中で前のページを読み返すことができないじゃないの。「ふくろ綴じ」を自分で勝手に作るなっつぅのー!
 かく言う私は、本にあらかじめついている紐状のしおりや、広告がわりに挟んである長方形の紙のしおりを、ありがたく利用する。面白味のない、当たり前の読書作法で恐縮です。
 たまに、けっこう厚さのある単行本なのに、しおりがついていないものがある。私はそういう場合、「んまあ、どういうことかしら!」とひとしきり憤ってから、カバーの折り返し部分を仕方なくページに挟む。この方法だと、本が傷んでしまう。やはりなるべく、本にはしおりをつけておいてもらいたいものだ。ぷんぷん。

(中略)

 陰毛、鼻○ソの他にも、動物の毛や(どうやら猫の毛が生え替わる時期で、大量にあった抜け毛をしおりとして活用したらしい)、爪など(爪切りで切ったらしき三日月型の爪の欠片が、あちこちのページに挟まっていた。「なんかの呪術か?」と気持ち悪かった)をしおりにするのは、やはりどうかと思うのだ。】

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 好きな本に囲まれて働けるなんて、いい仕事だよなあ……なんて僕は古本屋で働くことに憧れていたのですが、この三浦さんの体験談を読むと、古本屋というのもラクじゃないな、と痛感させられます。というか、このエッセイの中では三浦さんは「陰毛しおり本」をゴミ箱に直行させていますが、もしかしたらその「しおり」を取り除いて売っているところだってあるかもしれません。古本屋で買った本には、こういうリスクもあるのか、と愕然としてしまいました。車でも「あまり安い中古車は事故車の可能性がある」なんて言われますが、あの「100円均一本」なんていうのは、まさか、この手の本なのでは……
 まあ、ここまでとんでもない「しおり」を挟んで、そのうえその本を古本屋に売り飛ばそうなんていうツワモノは、多数派ではないと信じたいところではあります。そもそも、買い取ってもらうときに、店員さんが気付いて、「これは何ですか?」なんて尋ねられたらどうするつもりだったのだろうか。

 しかし、実はこの「しおり」に関しては、僕もあまり偉そうなことは言えません。こういう文章をずっと書いているものですから、本を読みながら、日々ネタになりそうな文章を探しているのですが、本によっては、「これは使える!」というような場所が、何か所もあったりするわけです。そういう場合には、本についている紙のしおりや紐だけでは全然足りないので、結局、本の端を折って目印にしてしまうことが多いのです(ただし文庫限定。新刊書はもったいないので、端は折らずに「ここだ!」というところ限定でしおりを挟みます)。それで、端が折り目だらけになった本を人に見られたりするのって、ものすごく恥ずかしかったりもするんですよね。「これって何の目印?」なんて聞かれて、「いや、あとで参考にしようと思ってね」なんてしどろもどろになりながら言い訳をしなければならなかったり(こういうものを書いているのは内緒なので)。でも、これをやってしまうと、もう、古本屋には売れません。

 ところで、ちょうどこの項を読み終えたとき、僕は「使える!」と小躍りして、この部分にしおりを挟もうとしたのですけど、この「三四郎はそれから門を出た」という本には、紐のしおりがついていなかったので、僕もカバーの折り返しの部分を本に挟まざるをえませんでした。全然三浦さんのせいではないのですけど、なんだかとても悲しかったです。