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2006年08月07日(月)
文庫に「解説」を付けない作家

「この文庫がすごい! 2006年度版」(宝島社)より。

(本多孝好さんへのインタビュー記事の一部です。インタビュアーは杉本尚子さん)

【インタビュアー:ところで本多さんの文庫には、巻末に解説が付けられていませんね?

本多:文庫本を手に取った時に、まず解説から先に読むという人もいるじゃないですか。僕もわりとそうなんですけど、でも解説を読んで買う、買わないを判断するなら、そのぶん中身の文章を1ページでもいいから、いや3行でもいいから読んでみて、そのうえで読むどうか決めて欲しいと思ってるんです。

インタビュアー:しかし逆に、解説を楽しみにしている読者もいるのでは?

本多:それはその通りだと思います。ある編集者さんが「一冊の本を読み終わった時、いいものだと感じた読者というのは、その感情を誰かと共有したがるもの。そのために解説はとても有用である」ということをおっしゃっていて。賛同される方も多いのでしょうが、僕の中にはそういう思いってあまりないんですよね。むしろ、いい作品を読んだ時は、自分の中でひとりで大事にしたいタイプなので(笑)。だから、語弊がある言い方ですけれども、場合によってはちょっと解説がうるさくなってしまう時もあるんです。その選択はすごく難しいんですけど、とりあえず今は、解説を付けずにやってみようかなというふうに思っています。】

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 本が好きな人、とくに「文庫好き」には、巻末の「解説」を楽しみにしている人も多いのではないでしょうか。僕は「解説を読んで、その本を読むかどうか決める」なんてことはありませんが、自分が好きな人が「解説」を書いている本は、ちょっと「読んでみようかな」と思います。本文を読み終えたあとに「解説」があると、ちょっとだけ「余韻」を楽しめるというか、得したような気分にもなりますしね。逆に、単行本を読み終えたあとには、「これ、文庫のときには、誰がどんな解説を書くんだろうな」なんて、少しだけ損したように感じるときもあるのです。
 本多さんの話からすると、この「解説」を付けるかどうかというのは、ある程度は作家の裁量に任されているみたいです。確かに、作家によっては、全く「解説」をつけない人もいますし、他の人の「解説」ではなくて、作家本人が「文庫版あとがき」を書かれている場合もあります。「誰が解説を書いているのか?」で、好きな作家の「知らなかった交友関係」がわかったりすることもありますよね。この人は、僕が愛読している○○さんと友達だったんだなあ、というのが「解説」でわかったりもするのです。

 しかしながら、ここで本多さんが書かれているような「解説の弊害」があるのもまた事実なんですよね。素晴らしい作品のあとには、素晴らしい「解説」が書かれていれば文句はないのですが、なかには、「解説」を書いた人の主観の押し付けみたいな内容のものがあったり、全く関係ない解説者自身のことが延々と書かれていたり、かえって「ノイズ」に感じられる「解説」というのは、けっして珍しくはないんですよね。「この解説は読む価値がある!」と感動できるようなものは、少数派です。
 それなら読まなきゃいいのに、と自分でも思うのですが、それでも、目につくところに文章が載っていたら、読まずにいられないのが活字中毒者の悲しい性なんだよなあ。