今朝、ユイマと萩山の病院へ。
9月1日の発作から今日までの間に、再度の発作、投薬、私たち夫婦の欧州旅行などもあり、この1ヶ月半は長かった。
担当医は私たちの話に良く耳を傾け一言も漏らさない勢いでカルテに書き込んでいく。もちろんぷみぷみの証言記録も読んでもらった。 今日の先生はJ大とは全く違って、これだけのことを観察できるとは素晴らしい、看護師になれる!とぷみぷみのことを褒めて下さった。
そして、結論としては、やはり「てんかん」 正式な診断名としては、「特発性全般てんかん」というものだそうだ。
てんかんという病気について、正しい認識をしてもらうためだろう。ユイマに対して、大変ていねいに病気のことを説明してくださり、また、治療についても、現在の日本にいることがどれほどラッキーなことか、くりかえし説く。
曰く。 医療もままならない後進国だったら、あるいは50年前の日本だったら、あなたはてんかんの治療を受けることができなかったかもしれない。でも今あなたは日本に生まれたおかげで非常に安価に良い薬を手に入れることができる。薬さえ飲めば、発作を抑えることができ、パイロットや宇宙飛行士というようなもの以外の職業ならどんな仕事にもつける。投薬治療を行い2年間発作が起こっていないと証明されれば、運転免許も取ることができる。 それに、あなたは男性だから、結婚しても全く問題がない。女の人なら妊娠中にどんな薬でも赤ちゃんに影響があるから、リスクがあるけれど、男性はそういう心配は無い。ただ、相手の人に病気のことや薬のことをわかってもらわなくちゃいけない。そのためには、あなた自身が病気のことをきちんと理解していなくちゃいけない。
・・・これらの説明を、素直に頷きながら聞くユイマ君であった・・・
先生のお話では、薬は25才くらいまでは飲み続けることになるだろう、とのこと。で、薬の量や種類については、日常的な指導になっていくので、専門病院を紹介してくれた。今度は国分寺の病院だ。
帰宅してすぐ国分寺に連絡を入れる。が、その病院も大変混み合っていて、萩山の紹介状をもってしても、予約は1ヶ月以上先。11月27日にやっと取れた。
これで、国分寺に行くまではJ大をつなぎに使うことに決まった。MRIもJ大で撮ったら、データは国分寺に持って行く予定だ。
さてユイマの反応。
晩ご飯のときに、妹たちに向かって「妹たちよ、俺は、じつは「てんかん」だったのだよ」とおどけて言っていたけれど、本当のところは「てんかんと聞いて、しょぼんとしていた」のだそうだ。 でも、今日の先生の説明のおかげで、薬を飲み続ける覚悟はできたのではないかしら。 だって、もし薬を飲まなかったらどうなるか、ということもちゃんと聞いたのだから。
ちなみに、もし、薬を飲まなかったら、発作が頻回になっていき、知的にも問題を来していく、とのこと。この知的障害を来すという説明が、ユイマには一番効いたようだ。
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