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〜〜ぱるたの子育て日記〜〜



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■…2007年08月12日(日).......ヒロシマ慰霊旅行・・・ジュンコの日記・・・
ジュンコの了解を得たので、彼女の日記をこちらでも公開。

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8日9日と広島旅行にいっていました。

いつどういう経緯で知ったんだかもう思い出せなくて、でも小学生の私が奇妙な熱意をもって、図書室の分厚い原爆記録写真集やら被爆体験手記やら読みあさっていたことからもう低学年の頃には知っていたんだろう、去年の暮れに亡くなった祖母が被爆者であったということ。

夏ごとに原爆死没者慰霊式で石棺に名簿をいれてるようす、テレビで一度は皆見たことあると思うけど、あれ被爆者手帳持っていても、申し出ないと特に何もないまま終わってしまうのね。初めて知りました。
テレビがないので今年の名簿追加のようすを確認してはいないし、お骨が入っているわけでもないけれどとにかくおまいりするための旅行でした。
資料館の地図や航空写真を指差して確認したり、住んでたお家が爆心地から1.2キロ、通ってた学校の場所は…なんて話をしながら街を歩くなんて本当思ってもみなかった。それこそなんだかテレビのドキュメンタリーみたいで、現実感の薄さに気が遠くなる感じがする。でもそんな自分に憤りも感じる。一瞬で鉄骨ひしゃげて石が溶けて5キロ先まで窓ガラスが割れて壁にも人にも突き刺さって川には炎と数えきれないくらいの死体って全部本当の話なのに。身内がそこにいたのに

私にはかろうじて原爆も戦争も「他人事」ではないから、というか本当は世界中の誰も他人事であってはいけないのだけど、でも日本の世界のわるい人らは、存命する被爆者の老衰を、こういうことをなるべく早く皆が忘れてくれることを、62年間じりじりじりじり待っているわけでしょう、一番ゆるしちゃいけないのはそういうことと思う。
一番必要なのは、何遍でも思い出して、体験していなくても勉強して、あのとき何があったのか、それがおこるとどうなるのか、あの時より技術が発達してる今それがおこったらどんなことになってしまうのかって少しでも考えたり話したりすることと思う。

ところではだしのゲンがドラマ化されたそうで、もちろん上記のとおり家にテレビのない私は未見なんですが、原作で一番こころに残ってるシーン、被爆したおじさん(離れの畳の上でずっとねてる)の皮膚にわいた蛆をピンセットでゲンがとってあげるっていうところ、血便を出して血を吐いて苦しむところ、骨をすり潰した粉を飲めば血を吐いたり毛が抜けて死ぬことはないっていう迷信にすがって焼け野原で人骨を集めるおばさん、ちゃんとドラマの中に出てきてましたか?
出てきてないならちゃんとみんな原作よんでくださいね。ギギギ

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注釈)1.2キロ:私たちも、母も、被爆地点は爆心地から1.2キロと聞かされていたが、よく調べるとたぶん0.8キロだったのではないか。1キロ圏内では、半分の人が即死状態だったことを思うと、彼女が生き残ったことは奇跡としか言いようがない。
しかし、その奇跡が、生涯、母には罪の意識となってつきまとっていたことを、私たち娘はつい最近知ったのだった。

注釈2)ギギギ:はだしのゲンで、被爆者が苦しむときの擬音として描かれていた。



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