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〜〜ぱるたの子育て日記〜〜



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■…2007年08月11日(土).......広島慰霊の旅
8日から一泊二日で、ジュンコ・ユイマ・私の姉・姉の娘チカちゃんと私の5人で、広島慰霊の旅に出かけた。

飛行機に乗って広島へ。お昼すぎに市内に入り、宿となる全日空ホテルへ行き、遅いお昼を取ってから出かける。まずはホテルから元安川沿いを歩き、原爆ドームへ。川沿いの道は散歩道のようになっていて、木陰が気持ちよい。いたるところに慰霊碑や詩碑があり、様々な言葉が刻まれている。

原爆ドームは、まわりに柵がめぐらされ、すぐそばに寄ることはできない。私が子供の頃に訪れたときはすぐそばまで行って壁にさわったように思うが、記憶違いか。

元安橋を渡って、平和記念公園に入る。慰霊碑にたどり着く頃には、背中に汗がたらたらと流れるのが分かるほど暑い。2日前に平和記念式典が執り行われたばかりなので、慰霊碑の周りはまだ花でいっぱいだった。

慰霊碑の前に立つと、向こうに原爆ドームが見える。みなで手を合わせ、お参り。

報道によると「この1年間に死亡が確認された5221人の名前を記した原爆死没者名簿3冊が慰霊碑に納められた。名簿は91冊、死没者は25万3008人となった。(時事通信社)」そうだ。母の名前を直接目にすることはできないが、名簿に名前を加える申請をした父の所には、広島市長の名の下に、まちがいなく母の名前が記されたことを証する書類が届いた。

原爆手帳を持っている人が亡くなれば自動的に名前が加わるのかと思っていたが、そうではなく、申請をした人だけが名簿に加わる。申請せず亡くなった被爆者の方もきっとあるだろうに・・・そんな思いもわき上がる。

原爆資料館に行って見学。元気だったユイマもだんだんと口数が減り、うっすら涙ぐんでいるような表情をしていた。私も、淡々と当時のことを伝える映像を見ているうちに、胸がいっぱいになってくる。

夜は、市内在住のいとこの家に行き、翌日は伯父伯母(いとこの両親)のお墓参りに行くことに決めた。

9日は朝ゆっくりめの時間にホテルをチェックアウトし、まずは三瀧霊園へ。母の姉にあたる伯母が亡くなったのは6年前。ユイマもわずかに大伯母のことは覚えていた。ジュンコに至っては本当によくしてもらったので、お墓参りができて良かったと思う。古本屋を営んでいた伯父は、ジュンコの成長に合わせて本当にぴったりの絵本をいつも送って下さっていた。そのことも改めてお礼を言う。生きているうちに、お礼を言えなくて本当にごめんなさい。

昨夜のいとこの話だと、三瀧霊園からぐるりとハイキングコースなどもあり、三瀧寺もおもしろい場所だと聞いていたので、言われたとおりに歩いてみると、確かに三瀧寺がおもしろい。真言宗のお寺らしく、奥の院を巡っていくと羅漢さんやお地蔵さん、慰霊の碑たくさん。世界平和の視点から十字架などもあって、なんて懐の深いこと!
秋になると、もみじがとても見事なのだそうだ。夏の暑い日は緑のもみじが私たちを涼しくしてくれる。三瀧の名の通り、三つの瀧があるようで、どこに行っても水の流れる音がして、それもまた涼しさを感じさせてくれる。

空点庵という茶店で一服した後は、比治山公園へ。母からよく比治山の名は聞いていた。この山を越えて女学校に通っていたとか。
比治山公園の展望台から市内を一望したあとは、時間もあることだし、せっかくだからと、市立ひろしま美術館へ行った。チカちゃんの夏休みの宿題の一つに、美術館を見て感想を書くというのがあるらしく、また、絵を勉強しているジュンコも、県立美術館、現代美術館、市立美術館の3つのうち、見るとしたら、市立美術館に行きたいというので。
ジュンコの言うとおり、常設展がすばらしく、また、たまたま開催されていた「山岡コレクション」も興味深く見ることができた。
これも母が巡り合わせてくれたプレゼントだと、嬉しくなる。

はやめに空港に行き、おみやげなど買ったあと、夜のフライトで東京に戻ってきた。

広島の街にはいたるところに慰霊の碑が建っている。でも、いくら建ててもおいつかない、祈っても祈ってもまだ祈り足りない。そんな気がしてくる街だった。



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