原案帳#20(since 1973-) by会津里花
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2004年08月29日(日) IFF 「自分を読む」

★1・IFF
★2・「自分を読む」



★1・IFF

[2:09 04/08/30]記入

---------------------------------
西尾和美『今日一日のアファメーション』より引用

自分は生きるのに、あたいする人間です。
自分は、自分のままでいいのです。
自分は愛するに、あたいする人間です。
自分は、自分の居所をつくっていいのです。
自分を、うんと好きになります。


8月30日 心の穴に入って探求する

 依存症(アディクション)や共依存症(コ・ディペンデンシー)をあきらめたとき、心の中にぽっかり大きな穴があくのに気がつくでしょう。

 今まで、心をいっぱいに埋めていた依存や共依存の対象がなくなっていけば、穴があくのは当然です。いたたまれなくなって、急いで何か別のもので穴を埋めようとがむしゃらにならないようにしましょう。

 ゆっくり呼吸をしながら、体をゆったりさせてみてください。イマジネーションを使って、この穴の中に入って、じっくり穴を観察してみてごらんなさい。

 どれくらいの大きさですか。どんな色をしていますか。心の中にイメージを描いていくうちに、だんだん形が変わってくるでしょう。この穴と友だちになりましょう。この穴を大事にしていきましょう。この穴に本当に必要なものは何かを、心の奥深くのインナー・ガイド(道案内人)にそっと聞いてみましょう。自分で、これだと思える答が出るまで、何回か穴の中に入って探求してみましょう。

(以上引用)

……わたしは何かをあきらめたのだろうか。

---------------------------------

『男の勘違い』(齋藤学)読もうかな。
「全目次を見る」をどうか皆さんぜひご覧ください。「う〜ん、なるほど」という感じ。

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★2・「自分を読む」

今、実は2ヶ月以上出力しないでためていた、この原案帳#20の記事を、一気にプリントアウトした。

このところぐるぐるしてしまっている「加害者」の問題は、実は6月21日『わたしの被害者性』で既に一旦答えが出ている。
わたしはそれを読んで、その上で悩むなら悩めばいいのに、同じところ、っていうかもっと手前のところでぐーるぐるしてしまっているのだ。
なんて、アホらしい。

日記を続けるようになってわたしにとって有意義だと思うのは、やっぱり「自分を読む」ことによって少しは積み重ねのある思考ができることだ。
そうじゃないと、わたしは(最近またやってるように)いつまでも同じようなことを同じように「ぐーるぐる」と悩みつづけるしかできないのである。
ほんと、アホらしい。

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「自分を読む」というのとはちょっと違うけれど、わたしはいつも「自分は一人ぼっち」という勘違いをしている。
そりゃ世の中の誰も、他人の気持ちなんて本当のところを完全に理解するのは不可能に決まっていて、その意味では「誰でも一人ぼっち(We're all alone)」だ。

でも、どういう意図であれ「この人を応援しよう」「一緒にいよう」「支えよう」と思ってくれる人がいるのなら、その人のその気持ちは大切にするべきではないのか。

わたしは一人ぼっちじゃない。
それは、今日も実感したばっかりじゃないか。

弟だって、文句も言わずにわたしのこと、支えてくれてるじゃないか。

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ううう、明日は取材があるっていうのにぃ〜〜。
まだ何も考えてないよぉ〜〜〜。

今、[4:20 04/08/30]。
こういう時間に行動するのは止めれ>自分

2004年08月28日(土) 少し平安を取り戻した

★1・少し取り戻した平静/平安
★2・Re:「無茶」
★3・理由(わけ)



★1・「平静」?「平安」?それはよくわからないけど

あるところで
おまえはどうして妻と別れたのか
と聞かれて、以下のように答えた。

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わたしは自分が彼女に対して(たぶん今で言うなら)「DV加害している」という自覚は全くありませんでした。
ただ、彼女とわたしの間にとても多くの行き違いがあり、またお互いに傷つけあってしまったせいでお互いの気持ちがどうしてもわかりあえないようになってしまっていたこと、お互いに一緒に暮らすことでその傷はむしろ深まっていってしまうであろうこと、そういうことが見えてきたのです。

そうは言っても、当時のわたしには彼女の気持ちを推し量るような余裕はとてもなく、なんで彼女が怒って実家に帰ってしまったのか、ほとんど理解できませんでした。
ただ、彼女がそこまでするからにはわたしはよっぽどのことをしてしまったのだろう、ということだけはわかりました。

それで、彼女が逃げたことへの復讐も実は半分はあったのだけれど、「離婚」という結論を出したのです。

当時のわたしのやり方は、それすらも暴力的だったと思います。
けれど、結果的にはお互いに少しずつ心を落ち着けていって、お互いのことを以前よりは肯定的・受容的に考えることができるようになり、少なくともわたしは彼女の気持ちが少し理解できるようになってきました。

それはわたしにとってものすごく幸いなことです。
なぜなら、わたしは彼女を愛しているから。
誤解したままで憎しみあって離れていってしまうのではあまりにも悲しいから。
正直なところ、彼女の気持ちが理解できてしまうことは、それだけわたしにとって強い後悔や彼女の苦しみへの共感、どれほどわたしが愚かだったかの自覚、そういうものをもたらしてしまうので、できれば気付かないでいたほうがよっぽど楽だっただろう、という気さえします。
でも、それでもなお、気付いてよかった、と思っています。

彼女のほうでは、わたしを「ちゃんと憎む」ことができるようになっただけなのかもしれません。
わたしを忘れ去ることしか、彼女の心の平安を招くことができないのかもしれません。
でも、それならそれでかまいません。
彼女には幸せになってほしいし、そのためにわたしについて彼女がどう思うかということで、わたしのほうが振り回されるべきでもないと思うから。

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補足です。

>彼女のほうでは、わたしを「ちゃんと憎む」ことができるようになっただけなのかもしれません。
>わたしを忘れ去ることしか、彼女の心の平安を招くことができないのかもしれません。

と書きましたが、本当にそう思っているのか、それともわたしのことを肯定的に考えてくれているのか、そういうことは一切わかりません。
なぜなら、彼女から「もう一切連絡してこないで」と言われたから。
その真意もわかりませんが、彼女がどうしてもそうしてほしいのなら、そうしてあげるべきだと思うので、時々気が狂うほど話をしたくなってしまうことはあるけれど、とりあえず我慢できるようになりました(ついここ1年ほどのことですが)。

相手をちゃんと理解するのに、どうしてもお互いにちゃんと向き合って話し合わなければいけないかといったら、必ずしもそういうものではないような気がします。


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「DV加害」と言ってもピンからキリまである。
おそらく、わたしのしたことを聞いた男性のほとんどが「その程度なら」と思うのではないか。
わたしの言い分だって聞いてくれるだろう。「無理もないよ」と。

でも、同じことを聞いた女性の多くが「それは確かにDVでしょう」と思うだろう。
わたしがどれほど苦しかったかを長々述べても「そんなの言い訳よ。だからって暴力が許されるはずないでしょう」としか言われないだろう。
自分でもそう思うし。

そういうことが理解できるようになっただけでも、ある意味かなりの「無茶」をして女に戻った甲斐があったと思う。
もしも仮面の男を演じ続けていたら、自分の嘘をごまかすだけで精一杯で、男のことも女のこともわからないまま一生を終えてしまっただろう。
その間に、もしかしたら犯罪者になったかもしれないし(可能性は低くなかった)、自殺してしまったかもしれない。

わたしの選択は、決して間違ってはいないのだ。

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★2・Re:「無茶」

>ある意味かなりの「無茶」をして女に戻った

という「無茶」の中身。

わたしは男の子として生まれ、男の子として育てられ、当時(1960〜70年代)としてもちょっと極端なくらい「男らしく」としつけられて育った。
極端:「男子は家事をするべきではない」(笑) だから基本的に家事はほとんどできなかった。(恨みつらみ

思春期に入って自分がそのままでは女の子になんか戻れない、とわかってからは自分でもむしろ積極的に「男の子になろう(でも男っぽくなるのは嫌←矛盾!)」と思い、努力した。
(高校3年生の『原案帳』に「オレはやっぱり男なんだなあ」などと書いている。後で読み返して、そのページを焼き捨てたいと思ったけど)

そういうわけだから、わたしには「女らしさ」なんて、実は微塵も身についてはいない。
実は、そのことでここ数週間かなり悩んでいた。
それに、きっとわたしがここやもう一つの日記で書いていることを見て
「なんだこの文章、まるでただのオヤジそのものじゃないか!」
と呆れている人も多いだろう。

よく「里花さんは女性以上に繊細で女性的」とお褒めの言葉をいただく。
けれど、それにしたって、そんな「繊細さ」なんて、坊やの甘ったれでしかない、とわたしは感じてしまう。
女はもっとどっしりしっかりしているものなのだ。
少なくとも「自分の存在」については。(だから女性の自殺者は男性よりもはるかに少ない)

でも、それでもいいの。
ライブの時にいつも自己紹介でこう言ってるじゃん:
「は〜い、会津里花でぇ〜〜〜す!! こう見えても女でーす♪ とってもとってもとってもとーーーっても男っぽく生まれ育ってしまったけど、女なんでーーーす!」って。

自分らしくあること。
それによって人に迷惑をかけたり嫌がられたりするのでなければ、
それによって一人の人間としてちゃんと生きていけるのならば、
それが平均的に見て「男っぽい」か「女っぽい」かなんて、関係ない。
少なくとも、わたしは自分が「自分らしくある」ことで人に迷惑をかけてはいない。
迷惑をかけるのは、いつも「自分を見失う」時でしかないからだ。

男っぽいのだろうと女っぽいのだろうと、わたしはわたしが自分らしくあることを誇りに思うべきだ。
(ま、たった一つだけ前提があるけど:「自分が女であること」 ま、それは人に見せようと見せまいと変わらないことなので)

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★3・理由(わけ)

自分を取り戻し始めた理由(わけ):

・8月25日のEXPERIENCEでのライブ、練習も全くしてなかったし調子は最悪だったけれど、それでも歌えたし、歌に込めたい思いがお客さんにも伝わったから。

・続く27日、わたしが昨年所属していたグループ「ERO's Farm」のライブを見て(聴いて)、それがとても良かったから。

Eva Cassidyをもっとカヴァーしたい、と思うようになってきたから。

……なんだ。
やっぱりわたしって、結局「音楽でできている人」なんだなー(笑)

それで大成功するのもわたし次第だし、それで身を滅ぼすのもわたし次第。
だったら、前向きに受け止めて前向きのオーラ出しながら生きていくしかないじゃん。

求む! 会津里花のライブスタッフ! とりあえずはボランティア! でも将来は保証します(あなたの努力次第で)(笑)

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2004年08月26日(木) 「産む性」への嫌悪

『華氏911』を見て、それからお酒を飲んで帰ってきて、それから原案帳#22でさんざん言いたい放題を言ってたら、残念ながら気付いてしまった。

やっぱり、わたしは「産む性」が嫌いなのだ。
困ったものだ。
小さい頃から嫌いだった。
思春期の入り口のところで、一生懸命「産まない性」の妄想にふけっていたものだった。
いや、「入り口」だけじゃない。
わたしの性的な妄想の中で、「産む性」は常に排除されてきた。
実は「自分が子どもを産みたかった」というのも、本当は嘘だったのだ。

産まない女。(膣もいらない)
産ませることのない男。(っていうかこっちは露骨に「男性器のない男」)
これなら許せる。

男女がまぐわって生殖行為をして、それで結果として子どもが生まれる。
どういうわけか、わたしにはそのことが「気持ち悪い」と思えて仕方なかったのだった。

理性的には「生殖」が生命の最も基本的なことがらの一つであることは理解している。
でも、感覚的にはどうしても「気持ち悪い」のだ。

早熟で、そのことをかなり早い時期に知ってしまい、誰にもそのことを言わずにただ一人黙って「気持ち悪い」と思いつづけてしまったのだろうか。

元パはわたしに向かって
「あなたは父親には向いてない人なの」
と言った。
そうかもしれない。

生まれた子どもに対して、わたしはそれが生命であり一つの人格である、ということを実感したから無条件に愛した……つもりだったけれど、たとえばその子に自分が生殖によって精子を提供した、だからわたしが父親なんだ、とかいう理屈には、納得できてはいなかったのだ。
だからさんざん
「精子の提供者だからといって父親になれるわけではない」
と言い張っていたのだろう。

わたしはいったい、なんなんだろう。
所詮はただの「父親失格者」でしかないのだろうか。

でも、彼が生きていくこれからの時代、この国、この世界を、できる限り生きやすいものにできるためのことをしてやりたい、とは思っている。
直接彼に与えることができるものが何もないだけに、その思いはなおさら募る。
極端なことを言えば、彼が生きやすいようになるためには他の人間は邪魔にならない程度に減ってくれればいい、とさえ思う。
だから「殖えるな」と言っている。そういうところもある。
歪んだかたちの「親ばか」かもしれない。

戦争を極端に嫌うのも、彼に「殺す論理」を身につけてほしくないから、ということがある。
殺す者は殺されても文句は言えない。
わたしは彼に、殺すことも殺されることもなく、生き長らえてほしい。
「他人を蹴落として=殺してでも生き延びる」などという殺伐とした論理で生きてほしくはない。
共生してほしい。
全ての人と。全ての生命と。
自然の命ずるままに命を全うしてほしい。
神さまがその命を取り上げる時にだけは、それに従ってほしい。

-----------------------

今、[3:29 04/08/27]。
こんな時間にものを考えるものじゃない。
子どもに投影しているだけで、本当はわたし自身がそのように生きたいだけのことじゃないか。
こういう投影も、嫌だ。
わたし自身がさんざんされて、がんじがらめになってしまったものなのに。
親からも。「あの人」からも。
(たぶん、他にもいっぱいそういう目にあっているのだろう、わたしは。そのように育てられたので、そうされても「当たり前」としか思わないことが多いのだ)

でも、もしかしたら、親なんて所詮、自分が生きたかった道を、子どもに歩ませようとすることしか知らないものなのかもしれない。
自分の価値観じゃないことを子どもに与えるほうが、よっぽどおかしい……

願わくば、それが盲目の押し付けになりませんように。
できるだけ独り善がりでないものとなりますように。

神さまは、わたしが生きることを許してくださっている。
きっと。
たぶん。
もしかしたら。
……だめかも。

神さま、どうかわたしが生き延びることを、もう少しだけお許しください……

2004年08月24日(火) 虚無

決して実行したりはしないけどさ。

死にたい。

2004年08月22日(日) お見苦しいところを

@ケータイ

「原案帳#22」では、すっかりお見苦しいところをお見せしました。

本当は、フラバするような出来事(「あの人」からの手紙)があったんだから、薬で対処するとか、カウンセラーさんのところに行くとか、するべきなのでしょう。

それ以前に、薬を止めるのが間違っているのかもしれません。

でも、わたしは試してみたいのです。
薬なしで、どのくらい正気を保てるか。

今、たくさんの感情や記憶や思考が、わたしの頭の中を流れています。
メンタル薬を飲んでいた頃には、鈍っていた感覚です。
そう。
わたしは少しだけ、創造性を取り戻せるのです。

柳美里原作の映画『命』の他に。

渡辺多恵子『風光る』のコミック1〜5巻も読みました。

今日は動物園にも行ったし。

ズブロツカも(きついけど)おいしいし。

何かを思い出せそうなんです。


スロー・ロリス(日本平動物園)

2004年08月18日(水) 「シンガーソングライター」

さて、今日はGIDしずおかの定例会。

シンガーソングライターとしての会津里花というページを作りました。

そういえば、まだ8月15日の「八・一五らいぶ」について書いてない……

2004年08月14日(土) 「八・一五ライブ」の仕込み

昨日(8/13)の記事、書きますた。

〜★〜★〜★

明日は「八・一五ライブ」。
独自企画で単独出演なので、わたしが自分で盛り上げないと、誰も盛り上がってくれない=人が来ない=がっくり。しゅん。

それでは困るので、今回はちょこっといろいろ用意してみた。
・歌詞集(前から作りたかった)
・キャンドル(←お盆だし、終戦記念日だし)
でも、さすがにお金がかかった!(ってあたりまえでしょ>自分)

それだけやってたら、今日見たかった映画(しかも×2!)もライブも、行き損ねてしまった。
ごめんね、あゆちゃん!

それから、けっこう夜になってしまったけど明日のためのリハーサルということで練習してみた。
飽きさせない自信はあるけど、それでも全部で20曲近く!?
わたしがもつかどうか、それのほうが心配。
今夜はしっかり眠って、明日は気持ちよく起きれるといいなあ……
(ここ数年、まるで「眠りが怖い」かのように、いつまでもだらだらと起きている癖がついている。
1日を無為に過ごしてしまった、と感じれば、「まだ今日は眠ってしまってはもったいない」と感じるのも
無理はないかもしれないけど、
不健康なのは確か。
今日はさっさと寝てしまおう。でも暑いなぁ〜〜うう〜〜)

ちなみに、11日、13日と続けてステージ、その上その間の日もそれなりに練習しているので、
声もちゃんと出るしギターも(相変わらず下手だけど)いちおうちゃんと弾ける。

そうそう!
ギター、直した。っていうか、「すみや」で直してもらった。
購入してから24年も経っていると、さすがにプラスチックが腐ってくる。
ナットがぼろぼろになっていたのだ。
でもわたしはそれに気付かず、スカスカな音のままでだいぶ長いこと弾いていたような気がする。
直ってみると、うわー、なんでこの楽器でこんなにキレイな音が出るわけ!??と言いたくなるような仕上がり!
直して良かったー♪
24年間、ほとんど途切れることなく弾き続けてきたので、胴の鳴りはかなり良くなってる。
「これでも1万8千円?」と言いたくなるくらい(笑)

ちなみに、「すみや」のリペアの人は見たことない人だったけどちょっと年長で、ずっと東部の支店にいたそうで、リペアの腕は確かみたい。
いえ、決して若い人を信用してないわけじゃないんだけど。
うちからなら歩いて行けるくらいだし、なんだかんだ言ってけっきょくはこのお店に立ち寄ることが多いのだし、
これからは「すみや(静岡本店楽器店)」ともうちょっと真面目にお付き合いしようかなあ。
ギター以外の楽器もちゃんと置いてあるから、わたしの興味を制限することもないし。
(ギターしか置いてないお店って、確かに専門性が高そうなのはいいんだけど、
その代わり「ギター以外のことは考えるな!」という雰囲気があって、時々辛いのよねー……
もちろん、いちばんまともに弾けるのはとりあえずベースギターだし、次がギターだと思うので、
わたしもギターがいちばん、という人たちのうちに入るのだろうけど、「制限」されるのは嫌……
下手くそでもサックス吹いていたいし、同じ弦楽器でもチェロなんかには興味あるし。
もちろん、ろくに弾けもしないのにそれは放っぽりぱなしで次の楽器にコロコロ目移りする、なんてことはないけど……?本当に?)

〜★〜★〜★

これが終わったら、次は「119ライブ」!
今年は11月7日(日)だけど。
今度はゲスト呼ぶ!

2004年08月13日(金) やまぼうし「納涼Live!」

いやー、楽しかった♪
(ちょっとヒヤヒヤしてしまうところもあったけど)
えーと、出演順とか、どうだったっけ?

・しのちゃん (+里花=飛び入り!もー、ちょびちょびしちゃって>わたし)
・会津里花(ちょっとこだわって「お盆&平和特集」)
・Kaoru+MAYU姉妹(アイリッシュダンスとファンタジックキーボード)
・丸山研二郎+♥(ジャズっぽいギターでいろんな曲を)
・小沢さん(3段キーボード;ペダルまで付いてる!)
・マイコ(スタ☆レビ命!)
・しのちゃん(こっちが本当の出番)
・ママさん(今夜はソロで美声を聞かせてくれました)
・森下さん+MAYUちゃん(やまぼうし定番!しかもいつも以上に感動が)

記憶にだけ頼っているのでもしかしたら抜けているかも(ごめんなさい!!)。
大切な人が何人か出演してないけれど、それでもやまぼうしに出演するメンバーの大半が登場した。
わたしは、それだけの人たちが一堂に会して出演した、ということだけでも、すばらしいと感じてしまった。
それに、なんだかんだ言ってみんなうまいんだもん。
これで「1500円食事つき」は、実はかなり安いのでは?

さて、「ヒヤヒヤ」について。
わたしは「平和特集」ということで、洗練された「反戦歌」を歌ったのだけれど、その場にアメリカ人がいる、ということを意識しないで歌ったら、まるで「アメリカが悪い」と明言するような歌が出てきてしまって、後でそれに気付いてかなり悩んでしまった。
「この人にとって気分を害することになってしまったのでは」
でも、全て終わった後で"I'm afraid if you were hurt with my song...."とおずおずと言ってみたら、
"Not every American agrees with what Bush says!"と言ってくれて、
「気にしてないよ」とも(これももちろん英語でだけど)言ってくれたので、
それでようやく安心した。
ということは、わたし、自分の出番が終わってからイベント終了まで、ずっとくよくよ悩んでいた、っていうことじゃん!
(でも食事はかなり食べたけど(汗)

15日のライブに使う機材をしのちゃんから借りて車に積み込み……うわ、けっこう大変。
あとはその仕込みをすればOK。(これは明日のこと)

2004年08月12日(木) 明日はパーティ

やまぼうし、午後7時〜 1500円で食事つき。
わたしはギターとベースを持って、いそいそと出かける予定♪
楽しみ。

あと、8月11日の記事、書きますた。

そうそうそういえば、「会津里花研究」のトップページ、誰か「44444」を踏んでるんだよね。
思い当たる人、いらっしゃいましたらご連絡くださいまし〜♪
「キリ番記念」として、わたしのメいっぱいの愛をさしあげま〜す(!?)<うぞ

2004年08月11日(水) Accoustic Night! in Sunash

今日のライブは、出来の面ではなかなか苦しいものがあったけれど、気持の面ではとても良い内容でした。

セットリスト:
・People Get Ready
・ヒロシマの有る国で (←8月のヘヴィー・ローテーション!?)
・Nothing
・もう一度、歌おうよ
・The Rose

少しだけギターが上手になりました。
曲のまとめ方が、少し甘かったような気がします。

実は、途中から耳がおかしくなってしまったのです。
耳と鼻の間をつないでいる管があってふだんは途中で閉じているのだけれど、それが歌っている最中に突然、開いてしまった。
そうするとどうなるかと言うと、喉から鼻にも伝わっている声が、いったん口から外へ出たのを外耳で聞くのでなく、鼻から直接内耳に伝わってしまいます。
声がふだんの10倍くらい大きく、しかもボワボワな音で、聞こえてしまう。
もう、まともには歌えない……ところだけど、なんとか調整しながら、全曲歌いきることができました。
とは言っても、思いっきり声を出すことができなくて、後から録音したのを聞くと、かなり物足りない歌い方でした。ぐすん。

ステージから降りた後もしばらくそのままだったのですが、いつしかようやく、その管は閉じたようです。
原因はたぶん、発声にあるのです。あと、もしかしたら「歯」にも関係が?
今日すぐにお医者さんに行くことはできなかったけれど、できるだけ早めに行こうと思っています。

まあ、すぐに会津里花の歌が聞けなくなる、なんてことはないと思うのですが。

一つひとつのステージを、大切にしていきたいと思います。
それこそ、お客さんがどんなに少なくても、いえ、むしろ少ない時こそそれでも来ているお客さんのために、最高のステージを創り出したい、と思います。

あと、共演した人たちが素敵でした!
(わたしが最初だったのだけど)

☆雅流さん
☆Wataruさん
Misato & Shinさん

特に、ミサシンの発声の美しさとハーモニーの美しさ、リズムのグルーヴ感、そういうのを聞いていると、自分がやっていることがいかに「まだまだ中途半端」なのか痛感してしまうのです。
それで「わたしのこんな中途半端で下手くそなのはいけない!練習しなくちゃ!」と思わされるのです。
良い意味でお尻に火がつく感じ!

……なので、また練習しなくっちゃ。([0:43 04/08/13]こんな時間に!?……うるさくない程度に)

2004年08月10日(火) つらつらと

★1・つらつらと

〜★〜★〜次へ

わたしは充分に攻撃的な人間だ。
でも、そんなことをいくら言ってもどうせ人を脅すことにしかならないので、自分からは言わない。

……人から言われると、へこむ。
わたしはいつまでたっても誤解されつづけるのか。
ていうか、じょうずに表現できなければ、わたしの「攻撃性」だけがクローズアップされてしまい、わたしの言いたいことは相手に伝わらないのだ。

わたしは自分が嫌だと思うことについての対処のしかたがおかしい。

今、気持ちが少しささくれてしまって、嫌な気持ちになっているのを感じる。

わたしは父親から受けたあれこれの仕打ちを許していない。
でも、父性を拒否することは、社会適応を拒否しているのと同じことなのではないか。
母子は生物学的なつながりを持つ。
そのため、子どもが成長していく過程で精神的な癒着を不可避に抱えてしまう。
ある程度の年齢までは、それはむしろ健全だろう。
それがなければ母は子(赤ん坊)を育てられない。
けれども、「父」というのは(精子の提供者であることは多いのだろうけれど別にそうでなくても全くかまわない)とても社会的な存在で、母子の精神的癒着を断ち切る役割を持った人のことを言うのだそうだ。
その役割を完遂して初めて、子は自らが社会的存在へと「デビュー」していくことができる。

わたしには、そのプロセスがうまく働いていないように思える……

〜★〜★〜

「診断書」がほしい。
申し立て直前までのものがほしい。
申し立てそのものは、わたしの現実と今の「要件」では不可能だ。
だから、申し立てはしない。
でも、その要件以外の面でわたしが性別変更に価する、という診断が下されれば、それは「3年後の見直し」に向けて、大きな意味を持つだろう。
このことに協力してくれるお医者さん、誰かいないものか……

〜★〜★〜

明日、ライブなの。
それなのに、なんでこんなにダウンな気持ちになっちゃうの〜〜〜??

二人もの良いお友達と会っていろいろお話して、それはとても楽しかったのに。

昨夜遅くの電話?
……それに対してわたしは「嫌だ」と感じたのか。

うーん。わかった。
このダウナーな気持ちを、明日のライブではぶっつけてやろう!
(って、いいのか、それで??>自分??)

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2004年08月05日(木)

走り書き。

原案帳(since 1973-)2000年8月の記事を原案帳#20、つまりこのフォームに転記しますた。

いや〜…… 病んでますねえ……

8月1日の記事を書きますた。

2004年08月01日(日) 声高らかに 〜ftm日本10周年記念フェスティバル〜

★1・ftm日本10周年記念フェスティバル
★2・今月のライブスケジュール



★1・ftm日本10周年記念フェスティバル

声高らかに〜ftm日本10周年記念フェスティバル〜
日時:2004年8月1日(日) 開場12:30 開演13:00
場所:音楽の友ホール
東京都新宿区神楽坂6−30
電話03-3135-2115(場所の問い合わせのみ)入場料:1000円出演:zion wind community
トランス☆プロジェクト
敦賀ひろき
Jackie
Matthews
<一沙>NPO法人タートルエイト・平和創造文化事業部

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「性同一性障害」という言葉も定まっていなかった1994年7月2日、「FTM日本」という、当事者・支援者・研究者向けの交流誌が、アメリカで女性から男性への性別適合手術(いわゆる性転換手術)を済ませて帰国していた虎井まさ衛とういライターによって、創刊されました。インターネットが普及していなかった時代ですから、手作りのそのミニコミ誌は、数少ない情報源として重宝されたものです。そして現在のような情報過多の時代になってさえも、おかげさまで廃刊にもならずに続いており、とうとうこの夏で十周年を迎えました。その長い日々には性同一性障害を巡る動向にも目覚しいものがあり、今年七月には、ごうごう戸籍上の性別変更を一部の当事者に可能にする法律が施行されました。本日その十年の流れを広く祝う場で、地道な活動を続けている当事者アーティストの存在を世に知らしめるために、当事者本人が中心になったり参加したりしている団体に演奏・演技をお願いし、その才能をみなさまにご披露することを企画致しました。
未来へ向けてのエネルギーを感じていただければと思います。


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……というわけで、8月1日に出演させていただきました。

わたしにとって、この体験は大きな意味を持っていると思います。
なんていうか、自分のやり方は(決してそれに胡座をかいてはいけないと思うけど)間違っていなかったんだ、と思えるのです。
音楽的な実力が伴わず、ただ「ほんわか〜」としていればやさしい音楽活動、というわけではない。
でも、お客さんと舞台上の距離を、できるだけ縮めることができれば。
そう思ってやってきたことが、一定の成果をあげることにつながった、と思います。

とは言ってもね。
毎回毎回同じ曲目じゃあ、いずれつきあってくれているお客さんたちも飽きてしまうだろうから、これからがむしろ大変。
がんばらなくちゃ。……無理にがんばるのはできないので、自分を豊かに広げていきたい、という意味で。

あと、音楽を通じて人と関わることについても、今回はとても貴重な経験ができました。
決して一人きりではない、という気づきもあったし、反省すべきところも多々ありました。
この体験を、ぜひこれからの音楽活動に生かしていきたい、と思います。

聞きに来てくれた皆さん、本当にありがとうございました。
これからも精一杯、わたしにできることをやってがんばっていきたい、と思います。

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★2・今月のライブスケジュール

ところで、これからが実はすごいことになってしまっている:

8月11日(水)ライブハウスSunashにて

8月13日(金)ギャラリーやまぼうしにて
 (納涼ライブ!)

8月15日(日)同じくギャラリーやまぼうしにて
 (独自ライブ:「八月十五日によせて」)←まあ、お盆とか終戦とかにちなんだ歌を歌ってみたい、ということで……

8月25日(水)いつものEXPERIENCEにて、アコースティックライブ
 (まあ、やまぼうしなんかとは違う選曲でいきます)

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