原案帳#20(since 1973-) by会津里花
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2002年02月28日(木) 断片集 金八先生 おまけの愚痴つき(^^;

★1・断片集
★2・今日の金八先生〜カムアウトと法律
★3・断片集(続き)

★1・断片集

=原案帳メールより=

送信者 : "章香(あやか)"
宛先 : jackie-matthews@syd.odn.ne.jp
送信日時 : 2002年2月28日 17:42
件名 : 原案帳 今日は断片集


ある機能不全家族の中で虐待されつづけた人のHPに感動。
いくつか似た経験がある…

タイタニックの沈没シーンで「主よ御許に近づかん」が流れるのか……
今NHKでかかっている(服部克久さんの番組)

*↑注釈:『主よ御許に……』は、私の母が最もよく歌っていた「愛唱賛美歌」だった。
今でも忘れられない、母が台所でこの歌をずうっと歌いながら炊事をしていたことを。


低気圧のせい?
だるい。

「だるい」と言えば、今日やっと、標準的な薬(プレマ…のほう)を買ってきた。
処方箋を主治医の先生に出してもらったのだ。
今までは強い薬(プロ…のほう)を1/4Tにして飲んでいた。
(詳しいことは、いつかちゃんとしたかたちで…m(._.)m)
確かに、この薬だと、飲んでから数時間後に、だるくなってしまうのだった。
今日まで、そっち(プロ…)。
明日から、プレマ。
(もちろん、その薬にだってそれなりに副作用はある)

「二つを区別すること」。

私は何かにつけて「過剰反応」してしまうので、周囲の人は私がいると気にしてしまって落ち着かないかもしれない。
滅多なことは言っちゃいけない、傷ついたといって大変なことになっちゃうから、とか。
最悪の被害者は、私の弟だ。

でも…
それに気づいた私が
「そうか、私はそんなに扱いにくいやつか。
やっぱり私には居場所はないんだ…」
なーんて思ってしまったらいけないのよね(^^;
「迷惑かけるからここから去ります」ではない。
(「ない」ばっかりで文を結んでしまったのは、なんだか書きにくい…っていうか、まだよくつかめていないからかも。)
「迷惑かけないように気を付けるから、いさせてください」だ。
それに、一方的に「自分のほうだけが迷惑」と考えるのは、返って気持ち悪い。
要するに、関係ない。
それか、「迷惑」と感じる、相手のほうの問題。

本当に迷惑なのか、
それとも
私が「反省」などしたら話がおかしくなってしまうのか。

――この二つを区別する賢さを。

なぜか?「断片集」の続きはここからジャンプ(^^;
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★2・今日の金八先生〜カムアウトと法律

今日の『金八先生』を見ながら、『お話しましょ♪#2
に書き込んでいった。

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今日の「金八先生」02.02.28
投稿日:2002/2/28(木)21:1

(リアルタイム)
ついに直はカムアウト……
でも、とても破滅的なかたちで、それは起こった。
金八先生はうろたえる。歯噛みする。

……そう。
多くの「カミングアウト」は、行くも帰るも許されないような状況で
行われてしまうのです。
それで多くの当事者は傷つき、
周囲の人も傷つけてしまいます。
早く、誰もが「安全」なかたちでカムアウトできるようになれば
いいのに……


「イエスタデイ」の秘密。
……つづく……

---------------------------------

孤立する金八先生。

委員長のお父さんは「神戸なんたら大学」=「岡山大学」のこと、の
「戸籍上の性別訂正」に関わっていたのね!

政則の報道事件を絡めて、
「情報公開」について論を進めていく、という展開だったのか!!

私自身も、微かにそのことは感じていたのだった。
過去の自分を偽り、隠したままで生きていくのは、
たとえそれが本人の主体的な選択だったとしても、
地獄に匹敵する苦しみなのだ。

たとえ「元は男だったのか」ということがわかって、
それで周囲の目がそれまでとは変わってしまっても、
嘘を気にしながら生きていくのよりも
ずっと安心して、安全に生きていけるのだろうと思う。

---------------------------------

「嘘」という言葉が金八先生からも出た。

真実を知ることの苦しみ。
それを分かち合うこと。

……ちょっと、ここからは「同時中継」中断します。

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「一人の勇気の火種を、みんなの勇気にしてください。」

生徒たちがみんな泣いている。
クサい芝居って言う人もいるかもしれないけど……
でも、つられて泣けるだけの演出なんだろうな、きっと。

直に勇気を渡しに行く、委員長二人。

クラスのみんな。

マスコミ。
もしも私があんなふうに囲まれてしまったら、
どんな反応をするだろう。
……きっと、「過剰反応」して、ぜんぜん必要ないのに
「そうですよー、私がぜんぶ悪いんです!!」とか
収拾のつかないようなキレ方をしてしまうだろうな。

だから、守られるべきだ。

自分のことを、一生隠して生きなければならない、と考えて、
自らを「恥のある者」「後ろ暗い者」「罪びと」のように
隠れながら生きることになってしまう人を、
少しでも減らしていくために。

誰もが、頭を高くして歩いていいのだ、ということを
実現するために。


---------------------------------

今回の放送を見て、私は改めて
「GID当事者が当事者であることを隠しながら生きるのは、
本当はとても悲しいこと」
という認識を強くした。

はっきり言って、当事者の中には今でも少なからず
「カムアウトなんか絶対にしない、すべきではない」
と思って生きている人たちがいる。
特に、
「何も言わなければ普通に女性として生きていけるのに、
なぜわざわざ好奇の目で見られるようなことをしなければならないのか。」
という人たちは、確かにぱっと見た目はとても
「戸籍上は男性」などとは信じられないような人が多い。
「勇気を出してカムアウトしたら、とんでもない目に遭った。
二度とそんなことをしてはならない、という貴重な経験だった」
という人もいる。

それらは事実だ。
私自身、そういう人を数名知っている。
もちろん、それが誰かなどということは、
私も決して明かしたりはしない。
なぜなら、明かすかどうかは本人以外誰も決めてはいけないことだからだ。

そうして、そういう人たちの抱える事実の前で、軽々しく
「でもやっぱりカムアウトしたほうがいいよ」などとは、
決して言えない。言いたくない。

でも、それらは確かに事実ではあるけれど、
あまりにも痛ましい事実であるように思えて仕方ない……

私は最近、機能不全に陥った家族に虐待を受け続けて、
ついには「犯罪」と呼ばれても仕方ないような行為に
自ら追い込まれてしまった人の記事を読んだ。
それは恐ろしいことだったし、何も知らない人がその行為だけ見たら、
「なんてひどいこと」と決め付けてしまうかもしれないようなことだった。

でも、私はその人に共感した。
そうして、決して「ばかだなあ、余計なことを書かなければいいのに」
とは、思わなかった。

おそらくそれは、彼女自身が向き合わないと、
これからの人生を生き抜いていけないから。

GID当事者を決して全く同じに扱ってしまって良いとは思わないけれど、
だからといって
「そういう犯罪者と自分たちは違う」
と拒絶してしまって良いものなのだろうか。


……

私はこのことについて、何度も考え方が変わる。
でも、「変わる」というより「加わる」というべきか。

誰も彼もが「木に竹を接ぐように」カムアウトしなければいけない、とは思わない。
でも、今日の鶴本直みたいに予断を許されないような状況とか、
そうでなくてもカムアウトするほうがしないよりも
周囲との人間関係をより良く築いていくことのできるような場面は
多くの人に訪れるのではないのか。

その時に、「そんなことは決してしてはならない」という価値観だけで
生きていたら、
カムアウトはいっそう不適切なかたちに終わってしまい、
いっそうその人は「隠し事」を強く握り締めなければいられないように
なってしまうのではないだろうか……。

法律によって、人は守られる。
政則のことを絡めることで、そのことが見えてきた。
私自身、かつて大学で、ほとんど勉強らしい勉強はしなかったけれど、
素晴らしい恩師に出会って
「法律には必ず守るべきものがある」
ということを教わった。
私たちGID当事者も、何かのかたちで法律によって守られる部分があっても
いいのではないか。

来週にもまだまだ続いていく。
もっといろいろ考えたいけれど、いずれビデオかなんかをそろえるとして、
今はここまで。

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★3・断片集(続き)、っていうか「ババアの愚痴」(-_-;

☆☆前の断片集はバイト終了後、帰宅途中で車を公演の脇に停めてケータイで書いたもの。
↓はこれから書く(AM1:08〜(^^;)


このところ、「フラバ(=フラッシュバック)」が多い。
私はもともと、何か大きな出来事があると、自分のことじゃなくても
まるで自分自身に起きたことのように大騒ぎする癖がある。

(あー、そうだ、「大騒ぎする癖」といえば、私、中3の頃に肘の骨を折って、
すごく痛かったのに、養護教諭の先生=おばーちゃん=が
「会津くん(仮)は大げさに痛がるのねえ」と言ってたっけ。
けっこうそれ、「トラウマ」になってる……って、
「トラウマ」扱いしていることも多すぎない?>自分)


話を戻して……

私は性虐待を受けた「被害体験」がある。
それがどんな内容のものだったか、今ここには書かないけれど(だってやたらと書くの嫌だもん)
どうも自分で思っているよりも傷は深いらしく、
ちゃんと思い出せないことが多いような気がする。

「忘れてしまったほうが幸せ……」

そう、そう。そのとおり。
すっかり忘れて、私の行動にも思考にも、何の影響も残していなければ、ね。

でも、私は、たぶん被害体験のせいで、
「加害者」にもなってしまったのだった。

「そうやって、自分に都合の良いことを……」

はい、はい。私もそう思っていました。
でも、それは、かなり高い確率で起こってしまう現象のようなのです。

私は、自分がしたことを、たぶん、きっと、いいえ絶対!!!! 許さないと思います。
(ささいなことに見えようと、重大なことととられようと、人を傷つけたことに変わりはない!)
けれど、そのことの「原因」や「きっかけ」を、ただ単に
「自分は異常だから」
で済ませてしまおうとしても、何の問題解決にもならないのです。

私は、自分で自分のことを常に厳しく尋問し、裁こうとする自分を、
一刻も早く解き放って、自由にしてやりたいのです。
「放免しても、この者は再犯することはないし、また二度と餌食になることもない。
また、万が一同じような被害に遭おうと、同じような加害に陥りそうになっても、
きっと自らその絶望の淵から抜け出して来られる、
そういう人間なのだ」
と、自らを信じられるようになりたいから。

今はまだ、せいぜい「身体感覚の面で決して性虐待とかをやる気にはなれない」
(明らかに数年前までとは感覚そのものが違う)
という程度の自信しか、ない。
吹けば飛ぶような、「自信」?とさえ呼べないようなもの。
しかも、それ、「男じゃないから安心」っていうだけで、別に
「女性だから……」というわけでもない。
強いて言えば、「高齢者」。

私の命のともしびが、以前と比べて数段小さくなっているのを、
ひしひしと感じる。

だからこそ、生きているうちに、私にできることはできる限り
やっておきたい、と思う。

あーあ。

こーんなババアの繰言、もうえーかん、聞き飽きたっけら。
ほいじゃあ、わたしも寝るとしようかね。
なんだか知らないけんが、体中、ぎしぎし言い出したみたい感じ、するで。

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2002年02月27日(水) ちょっと物騒ですが(^^; 正直な私

★1・余計なお節介
★2・正直だけど迷惑な私

★1・余計なお節介

とある「IFF」で(^^;、「恨みがつのる」という投稿をした人がいた。
それで、私は痛ましくて、ついついその人に宛てるかのように
下の内容を書き込んでしまった。
けれど、はっきり言って、それ、すごい余計なお節介。
なので、そこに書くのはやめて、ここに書くことにした。
いきなりその人や、他の人の目に飛び込むような書き方は、したくない。
ここなら、その人が「読もう」と思って初めて目にすることができるのだし、
読みたくない人はここまで来なければいいだけのこと。
……まあ、そうは言っても、「たまたま見てしまった」ということもあるだろうし、
……
ううーーん、ネットって、むずかしいなあ。

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Title:恨みの晴らし方?

子どもの頃から、父が憎くて仕方なかった。
中学〜高校の頃、好きで好きでたまらない男の子ができた。
同じ吹奏楽部の後輩だった。
思いは叶えられるはずがなかった。

高校まで続けられることになっていたはずの
吹奏楽部を、父の策略で辞めさせられた。
「もう死んでしまいたい、それとも恨みを晴らそうか」と思った。

そういう思いが募ってつのって、
もうたまらなくなってしまった。
今思うと、ちょっと「テスの魔力」という気がするけど、
何かをしないともう、いても立ってもいられない、
そんなところにまでなってしまった。

……で。
自分で死んじゃうのは、できなかった。
やたらとそういう想像はするけれど、
実行できないのは、心のどこかでわかっていた。
父を殺してしまう想像は……
心で思うだけでも、私は家にいられないと思った。
それほど、当時の私は支配されていたのだろうと思う。
今思うとちょっと情けないように思うけれど、
あの頃はそうだったんだから仕方ない。

ていうか、私は父のことも好きだったので、
たとえば「殺してやりたい」とか、そこまでは思っていないのだった。
ぜんたいに、私は「誰か人を殺すくらいなら、自分が死んだほうがまし」と
思ってしまうのだった。

そりゃ「殺してやりたい!!」と思うのと同じくらい憎んだ人も、たぶんいる……
と思う(ちゃんと思い出せないけど、たぶん……だって人はそういうものでは?
あれ、一般論になってしまった?
私やっぱり違うのかな?? わからない????)けれど、
とにかく「殺したい」「殺さなければ」とか、そこまではっきりと思ったことは、
幸いに一度もない。

……で。
それで。

できるだけ、自分のそういう思いがばれないように、
でも誰か分かってくれる人がいたらいいなあ、と思って
私は小説を書いた。
できるだけわけのわからない単語の羅列に見えるようにして、
その中にそっと、自分の思いを潜ませた。

たぶん、読ませたかったのは自分だろう。
あれから四半世紀たった今でも、
稚(おさな)い表現の隠された意味が解読できるのは、
書いた私自身だけだと思う。

1976年のベスト10ソングを聞きながら、
そんなことを思い出していたのです。


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で、その小説っていうのは、これ→『反(ANTI)
    (クリックすると本文が読めます↑)
実は、「恋愛小説」だったんですよ(^^;
まじで。

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★2・正直だけど迷惑な私

私はとても正直に自分のことを書く。
それをよく人に「書けるあなたは羨ましい」とか
「よく書けるねえ」とか言われるけれど、
私の心の片隅で、何か引っかかってしまう……

このところ、それをずっと気にしていた。
で、それはどうやら、具体的にいくつかのことがらがあって
気になっているんだ、ということがわかってきた。
っていうか、薄々気づいてはいたんだけれど、
言語化しないでちゃんと考えようとはしていなかったのだろう。

具体的なこと。
一つ。私は今年の初めに
「元パのことをネタにしないようにしよう」
と書いて誓った。
実際には、その言葉を裏切るように、私はこうして「元パ」という言葉を
出してしまっているけれど、
少なくとも「悪口」は書かないようにしよう、と決めたのだった。

ちょっと悲しいけれど、彼女と一緒に暮らし、子どももできて、
すごく大変だったけれど一生懸命生活しようとしていたあの頃が、
私にとってだんだん遠くなり、
何かのきっかけでフラッシュバックして苦しくなってしまうことが
ほとんどなくなってしまったからなのだろうと思う。

それに、私は彼女のしたことで苦しめられたとも思わないことはないけれど、
私のほうがその何倍もひどいことをしたのだ、ということが今ではよくわかるので、
そのことを思うと「恨み節」を吐き出す気もしなくなってしまうのだった。

むしろ、お互いにすれ違いながらも相手のことを愛そうと、
最大限の努力をしていたんだ、と思う。
ぐちゃぐちゃ難癖をつけて、そういうことを汚してしまいたくない。

あと、感情的なことはさておいても、私は実際に彼女に対して債務がある。
それを滞らせている今、何を偉そうに言えるだろう?

私はいくら元パとのこと、彼女への気持ち、そういうことを「正直に」書いても、
それで現実の負債を免れるわけではないのだ。

もう一つ。
つい最近、劇団の中の人間関係のことを少し書いたけど、
それが必ずしも相手とか周りの人に良いかたちで伝わるとは限らない、ということ。
私にたとえ悪意がなく、思っていることを「正直に」書いても、
人にはその言葉どおりに私の真意が伝わるとは限らない。
っていうか、私は「正直に」書いているつもりでも、
あんがい物事を裏側から言ったり、皮肉を込めてしまったり、
そういうことも「正直に」やってしまっているので、
それで私の言葉が誤解しやすい方向に歪んでしまっていることは
充分にありえるのだ。

それが人と人との距離だ。
たぶん、「何を当たり前のことを」とあきれながらここを読んでいる人が多いだろう。
私はその距離感が上手に保てない。
知らないうちに、私にしかわからないことを
「誰だって知っている、当たり前のこと」と思いながら言ってしまったり、
相手が思っていることを誤解したままで
「そう思っているなら、こう言えばわかってくれるでしょう」と
勝手に気を遣って、空回りしてしまったりすることも多い。

ただ……
そうやって誤解しあうことこそ、人間関係なのかもしれない。
私は、頭でそれがわかっていても、感覚的にその距離を感じることができないようだ。

「人間関係の方向音痴」とでも呼んでくださいな(^^;

あらら、話が逸れちゃった。
元に戻すと、「誤解」を計算に入れたら言えないようなことまで、
私は「正直に」書いてしまっていて、
それってもしかしたら人間関係にひびを入れるようなことにもなりかねないのに、
ということだ。

私のことをはらはらしながら見ている人も多いのでしょうね。
でも、私、自分に嘘をついて生きるの、あまりにも疲れてしまった。
嘘つきまくった挙句がこれかよ?! という「失望」っていうか「絶望」っていうか、
とても強いので、
少しでも人とつながって生きるために、
もう嘘はつかないことにしたのです。

---------------------------------

おまけ……

今日、コンビニの店長との会話で:
店長「午前中にお店にお客さんでかわいい女性っていうか、
章香さんと同じタイプっていうか同類っていうか、
そういう人が来たよ。
でも、骨格でやっぱりわかっちゃうなあ」
「私、骨だけは削らないことにしているんですよ。
寿命が無駄にちぢむだけのような気がするし、
自分じゃなくなっちゃうような気がするので」

もちろん、骨を削れば今よりももっと女らしく見えるようになるだろう。
あご、額、頬骨、顔だけでもこのくらいは必要。
ああ、そうだ、だいいち、このデカい身長をどうにかしようよ!
店長「骨を数ミリずつ削って身長を低くする方法も
あるんだって?」
それ言ったら、骨盤も削らなくちゃ。
脚だけ削ったらバランス悪くなるから、
上半身も削らないと。
それって脊椎?
脊椎削ったら、神経に損傷が?
鎖骨とか、……そうそう、だったら、手も大きすぎるから。
……
きりがない。
きっと私は、自分の姿を鏡で見て
「これ、誰?」
と呟くだろう。
そうして、目線がこっちを向いているのに気づいて、
それだけは変わっていないのに気づき、
「ああ、まだ女らしく見えない!!」
と嘆くのだ。

バカらしい。

私が私らしくあるための条件は、もう満たされてしまったように思うのだ。

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2002年02月26日(火) 今日も舞台♪ 「二・二六」と兄 初舞台、終了

★1・今日も舞台♪
★2・「二・二六」と私の長兄
★3・初舞台、終了
★4・2月24日の記事をUP
★5・たまたまテレビを見たら

★1・今日も舞台♪

24日ものべ95名!!
(『果汁炎』のみのお客さんも含めて)
2日間の総動員数はなんと、187名!!
(再入場者とかもいるようなので、
そのままチケット売上とかになっているかどうかは
知らないけど)

今日は平日だから少ないでしょう。
でも、早めに来ておかないと、いい席はとれないのね。
私のために来てくれたお客さん(含・弟やヘルパーさん)、
みんな立ち見になってしまったらしい(日曜日)。

予定通り、今日は今のところ(現在13:49)「寝込んでいます」。
コケるのも予定に入れるなんて、
つい数年前の私には考えられなかった。

「オレは男だっ、男だし責任ある社会人だっ。
会社に迷惑かけるわけにはいかないっ。
オレがコケるわけないんだっ。
コケるわけにはいかないんだっ。

……あ、でもけっきょくコケちゃった。
オレって、なんてダメダメなんだろう……
妻子を養うなんて、オレにはできそうもないことを
無理やりやってるのに、
誰も誉めてくれるどころか
ちょっとコケれば人間的にダメって決め付ける。
(注:本当は、決め付ける人なんて
そうたくさんいなかった。
いちばん私を責めたのは、たぶん私の中にいる
よくわからない「オヤヂ」だった)

コケてコケて、コケコッコー……」

やっぱりそう来たか。
(っていうか、押さえておかないと気が済まないのです(^_^;)

まあいいや、もうそろそろ動き出しましょう。
なんとかなるでしょう。
むくんだ顔を人前にさらすのは、
ちょっといやだけど、起きてあれこれ生活を始めれば、
私の時間もまた、動き出してくれるでしょう……

土日よりも更に良い演技を目指します。
みなさん、どうかよろしくお願いしますm(__)m

===@ばいおくん/寝床/午後2時前===

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★2・「二・二六」と私の長兄

そういえば。
私のいちばん上の兄(故人・享年46歳でした)が、
「二・二六事件」の年の同じ2月に生まれたのだった。
生きていれば、今年66歳……

兄が死の間際に遺した言葉は、とても恐ろしい叫びだった。
今、ちょっとここには書けない。
……ていうか、書いてもいいのかもしれないけど……
文字にすると、ちょっと。

その悲痛さのこととか、兄の病気のこととか、
なんだかいっぺんに思い出されて、
ちょっとメランコリィがぶり返してしまいそう。

66歳のお兄ちゃんに再会したくなってしまった。
優しい兄だった。
お兄ちゃんの存在は、なんだかとても悲劇に満ちていたような気がする……
もちろん、希望の光も遺して逝ったのだけど。

なんか、これ以上書くと、かえってお兄ちゃんに申し訳ないような気がするので、
これくらいにしよう。

今年、静岡の「二・二六」は、事件当日とは似ても似つかないような
穏やかで暖かい日です……。

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★3・初舞台、終了

あー…… 終わりました。

終わっちゃった。

本当に、感謝。
座長の佐藤さんに。
一緒に演技した、「鍋組」の3人に。
その他、一緒に舞台を作り上げた団員のみんなに。

そうして、この舞台を見に来てくれた、
すべてのお客さんに。

更に、オンライン、オフライン、それぞれに
私に関わりながら、
見守ってくれた多くの人たちに。

なんか、今はこれ以上、言葉を紡いでしまっても
この気持をうまく表せるような気がしないので、
これだけでも。

あと。
佐藤さんのお父さんとお話できて、私はとても嬉しかったのです。

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★4・2月24日の記事をUP

20020224・演じていて感じたこと
を、書き込みました。
今日の舞台よりも先に載せちゃうと、面白みが半減してしまったり、
他の役者さんたちに余計なことを考えさせちゃったりするのがいやだったので、
書いたのは24日の深夜だったけど、書かずにローカルで保存しておいたのでした。

まあ、一つの考えとして見てもらえれば。

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★5・たまたまテレビを見たら

送信者 : "章香(あやか)"
宛先 : jackie-matthews@syd.odn.ne.jp
送信日時 : 2002年2月26日 15:39
件名 : 原案帳


NHK教育
東大教授・山内なんとかさんのお話。
……
私が考えているのとよく似たことを言っている。

「市場原理主義」だって……!!
それも一種の「原理主義」じゃん……(-_-;

「文明間の対話」かぁ……
へーぇ、ネットでイスラムの人と話ができるのか。
(とか言いながら、微かに身構えている自分を感じる…)
まあ、抑圧的に育ってしまうと、
「馴染まない=嫌だ、嫌い、劣っている」という先入観を持ってしまうことが多いのかも。
でも、その一方で、さんざんどっぷり漬かってきた「オトコ社会」にうんざり、なんていうのもあるけど。

あ、いかん、話が逸れた。

なんだか、全体的に世の中が私の予想通りに
(それか「そうじゃないんだよね」と皮肉を込めて希望を述べたように)
なっていく。
もちろん、いいことばかりじゃないけれど、私の希望が叶うことが多いので、ちょっと嬉しいし、そういう面では自信を感じてしまう。

後は、実際に顔を合わせる人たちとの関係性を、
できる限り誠実な、信頼の持てるものにしていくこと……

って、それが大切なんじゃないの。
私は「順番が逆」なのよね。
(;_;)

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2002年02月25日(月) 舞台はとても良かったんだけど I. バーグマン

★1・し、しまったー
★2・イングリッド・バーグマン
★3・外務省とある議員

★1・し、しまったー

し、しまったー。
やっちゃったー。

舞台はなんとかうまくいったし、打ち上げもとても楽しかった。
2日間で180名以上という、この規模では「超大入り」を記録したほどでした。
私もまだまだ稚拙だけどなんとか演技できて、とてもよかった。

で、でも。
一つか二つ、墓穴を掘っているんです。
気づいた時にはもう遅かったりして。

少なくとも一つ。
劇団の中での人間関係の緊張(そりゃもちろん、それなりにありますよー、
全てバラ色で全員と信頼しあってるなんて、天国じゃあるまいし;
でも、それでもいろんな人とそれなりに話せたので、
少しずつでも信頼を築いたり取り戻したりする努力はできるようになってきたかも)から、
なんだかネットで人に絡んでいます。
しかも、本番前から絡んでいたのにも気が付いたし。
自分で見てイタすぎ。
バカみたい。っていうか、バカそのもの。
穴があったら適切に開いて埋めて……って、なんの話をしているんじゃ。
ふざけるな。>自分

あと、もしかしたらもう一つ。
昨夜お酒を飲んだのに、今日のバイト、午前中から交代して入ることにしてしまった。
それは自分で選んだことなので、言い訳とかしたくないけど、
体にはかなり負担をかけてしまうこと、覚悟しなくては。
たぶん、明日の日中は寝込んでしまうんだろう。
夕方の本番に備えて、体力を温存しよう。

ああ、そうか。
明日寝込んでしまっても許されるのは、ありがたい環境に生きているんだ、と
思えばいいんだ。
で、明後日は、今のところ明日の本番後の打ち上げで自重すれば
バイトも復帰できるかな、と。……思ってるんだけど、
ちょっときついかも。

こういうのを「だらしない」と思って怒る人もいるだろう。
「それができれば苦労はない。あんたは甘えているんだ」と。

全く反論できません。
確かに、私が「だらしない」せいで、他の人にしわ寄せがいくのは
事実なんだから。

あと、人にしわ寄せしてしまう前に、自分が抱え込む性格、
なんとかしないとね。
ピンチになりそうな時に限って抱え込む。

でも、それ、悪いけど、「会社員」という、自分には決して馴染むことのできない
社会的役割を与えられていた頃に身につけてしまった癖です。

(もうちょっと愚痴……「会社員」って、ただそれだけの職業って
この世には存在しないんだよね?

必ず、何か製品を作るだとか売るとか、宣伝をするとかお会計するとか、
一定の専門的領域があって、そのための組織で働いているということだよね?

それを一言で「会社員」と括ってしまい、あまつさえ
「世の中、誰も自分の好きな仕事なんかやっていない」とのたまう人が
たまーにいるけど(最近はもうほとんどいないようだけど
いわゆる「中年」以上ではまだまだ自殺しないで生き残っているような?)、
好きでもないことに生活の大半をかけて暮らすのって、
もしかしたらすごく不健康?

私はもしもまた行きがかりで
「会社員」(なんて自分では絶対思わないだろうけど)になっても、
「いやだけどがまんしてやる」なんてことは絶対にないと思う。
嫌だったら、休むし、辞めちゃうから。

やるなら、続けるなら、好きで続けたいし、
自分の仕事が無名の「会社員」だなんて思いたくない。
誇りを持って自分の社会的役割を引き受けるようにする。
「嫌な仕事」と思うのは、仕事そのもの、仕事全体じゃなくて、
もっと細かい一つ一つのこと。
そりゃ、一つのやりたいことを成し遂げるには、
残りの99、やりたくないことをこなさなくちゃならないのかも
しれないけどさ。

お父さんたち、大丈夫?
自分が「会社の歯車」とか「(捨て)駒」とか、思って仕事してない?
「逆らったら辞めさせられる」とか?
悪いけど、できるだけ早くそういう不健康な思い込みから
逃れてしまうことをお勧めします。
そうしないと、周りが迷惑だもん。
それだけはもう、後戻りしたくない。私は。

「失業率ン%」とか、マスコミが不健康な煽りをやっても、
そういうことに振り回されず、
ある意味「頑固に」「意固地になってでも」
「好きでやれる仕事」以外は選ばないように気をつけようと思う。
暴力的に「好きじゃないけど食ってくためにいやいや」仕事しなくちゃならないから
不況がひどくなってくんだと思う。

前にも書いたけど、
「お金」は人の価値観を数字に置き換えたものなので、
価値観が全体的に低下してしまえば
それに対応する数字だって正直に低下するのは当たり前、と思う。
不況を脱出するには、目先の「景気対策」とか言って
もう誰も夢なんか持つはずのない道路とか建物とかにお金をばらまいても
焼け石に水っていうか原理的にできるはずがなくて、
現実的に夢の持てることを、お金がどうとかいうのはまずおいといてでも
語ることから始めるのがいちばんだと思う。
夢を持ちたくてもお金がないから、では、堂々巡りじゃん。
まあ、私が今描いている夢は、たとえば無駄に作った道路が
使われなくなり、そこに草が生えてきて、
いつかそこが庭……なんて言っても奇麗事臭いから「藪」でもいいけど……に
なることだったりするんだけど。
そのままだと「お金」とは関係ないよね。
なんか、それだけ夢破れた傷が大きいのかも。
お金につなげられるような夢……見てみたいなあ……あはは……)

(追記:↑……すみません、みっともなくて。
二日酔いで……)

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★2・イングリッド・バーグマン

とっても恥ずかしいことを、恥ずかしげもなく言わせて。
もう酔っ払ってないよ。
(二日酔いだけど)
でもまあ、新鮮な驚きなので。

今、『夢伝説』という番組を見ています。
イングリッド・バーグマンのお話です。

で、この人、誰かに似ていると思った。
若い頃の写真が。

……

(いくら「恥ずかしいことを書く」と言っても、
「私に似てる」とまでは言いませんよ(^^;……似たようなもんだけど)

……

思い出した。
この人、私の姉によく似ているのだ。
目元とか。顔の形とか。口元とか。鼻とか。……鼻はさすがに、人種が違うか。

そうして、姉は、父ともよく似ていた。
父は、かなりのハンサムだった。
1910年、明治末の生まれの男にしては、
背も高かったし、顔もかっこよかった。
私は似てないんだけど。
私はどっちかというと、母に似ている。

いいじゃーん。
どうせ私は姉に対しても父に対しても、コンプレックスあるもーん。

あ、書いてるうちに、番組が終わってしまった。
「最後まで演技しつづけた女優」。
そうだったのか。
私は自分の家族にずうっと拘ってきたので、
「他人」の有名人とか女優・俳優などにはあまり興味を持ってこなかったのだった。

父はよく、マレーネ・ディートリッヒとか言ってたし、
ソフィア・ローレン、バーグマン、んーと、他にも……
あっ、そうそう、エリザベス・テイラーとか、
よく名前を挙げて誉めていたっけ。

私は、自分がそういうふうになれるとは思ってもいなかったので、
あんまり聞きたくなかったのだった。

人生の後半に、少しだけ近づくことができたかもしれない。
少なくとも、自分の表し方だけは。

まあ、もう遅いのかも……っていうか、そうとしか思えないんだけど。
今ごろ女になれても。

あらら、暗くなるなあ。
「20年前に」って恨み言言いたくなっちゃうか。

まあ、そういうふうには考えないように、と。

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★3・外務省とある議員

まったく。
ようやく多くの人が目を向けるようになったか。
「密室協議」。
20年以上前から、ある政党の新聞(「しんぶん」ってひらがなで書いてあるやつ)で
しつこく言われてきたのに。
ホント、イタいよね。

田中マッキー元外務大臣、自らの地位をなげうってまで
オヤヂ政治のみっともない現状に風穴を開けてくれたこと、
尊敬します。
もちろん、「だったらもっとうまくやれば良かっただろうに」という批判もあるでしょう。
でも、それで世間のオヤヂ族が道を開けただろうか?

2002年02月24日(日) 演じていて感じたこと(書きました(^^;)

★1・演じていて感じたこと

★1・演じていて感じたこと

共演ユニット『果汁炎(かじゅうえん)』のこと
『鍋と乙女』
『Taxi Driving』
『夢のまた夢』
(おまけ)

共演ユニット『果汁炎(かじゅうえん)』のこと
**原案帳メールより
送信者 : "章香(あやか)"
宛先 :
送信日時 : 2002年2月23日 19:14
件名 : 原案帳


自分の子に会いたい。
…と、もう一つのユニットのお芝居を見ながら思った。


送信者 : "章香(あやか)"
宛先 :
送信日時 : 2002年2月24日 12:56
件名 : 原案帳


自分の子に会いたい。
…と、もう一つのユニット「果汁炎(かじゅうえん)」のお芝居を見ながら、もう一度、思った。


と、二度も思った。
そういうお話だったのだった。
残念ながら本番そのものは見れない(自分たちの本番前だし、
客入れとか自前でやらなくちゃならないし、満席の上立ち見まで出たし)けれど、
リハや本番前の通しなどを見て、激しく共感してしまった。
役者さんたちは熱演していて、完成度も高く、
ファンも多いみたいだし、素敵な劇団なのだな、と思った。

演目は二つで、もう一つのお話は完全な「二人芝居」。
最後まで二人で演じきった技術はすごかった。
「周りに人がいる情景」だったし。

ふだんは「懐(かい)」という名前で活動しているそうです。
次に本公演があったらぜひ行きたい、と思いました。

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『鍋と乙女』
私自身が「鍋組」に「入れない」のを、私はずっと気にしてしまっていたのだった。
別に、先方は受け入れようとしてくれていたんだけど……

たぶん、小学生くらいの頃に、女の子のグループから締め出されてしまったことが
トラウマになってるんだろう(そういうことがあった)。ちょっと「寝汗」な気分(-_-;
あと、1週間コケてしまっていたのを「だらしない」と批判されているように感じていた。
実際そうなんだから批判されても仕方ないし、迷惑かけちゃったと思ったから
その後一生懸命フォローしたつもりだったんだけど、
一度失った信頼はそう簡単に回復できないもの。
それで空回りしてしまい、けっこう疲れた。

でも、(いなくてもいい時にいて迷惑だったかもしれないけど)
一緒にいさせてもらえて、結果的に私はかなり癒されたと思う。
まず、そのことに感謝。ありがとう「鍋組」♪

お芝居そのものは、3人でとても一生懸命練習して、共感できる内容になったと思う。
3人が3人とも「主役」に見えるバランスが微妙だけど、
いい感じに仕上がっていた。
3人とも声の張りがあって。
台本そのものの「仕掛け」も面白いし。
(筋書きは、ないしょ。見たい人は次回に向けてアンコールしてくださいね♪)

『Taxi Driving』
舞台裏で「声」を聞いていて、練習の時とはどこかトーンが違うのを感じた。
それも、とても良い意味で。
特にタクシー運転手役のIさん(ネット上では本名や普段の呼び名は見たことないので、いちおう匿名)。
声から姿を想像して、まるで本当に50歳前後のタクシー運転手のようだ、と感じたのだった。
妙な落ち着き方(若い人の持ってない種類の)とか、反応の鈍い慌て方とか、
突然キレるオヤジ臭さとか。
あらら、ひどい言い方? でも、そういう面では本人はかけ離れたタイプだと思うのに、
よくあれだけ表せたな、と思ってしまった。
いわゆる「化ける」ってやつ?

相方の女優、Oさんが技術や感性の面でかなりレベル高い(ように、
私にはどうしても見えてしまう……「レベル」なんて言っても、何が基準か
私にもわかってなんかいないんだけど(^^;)ので、
できあがったお芝居も、特にすごい出来になったような気がする。
昨日と今日でお客さんの反応ががらっと違うところも面白かった。
ひたすら笑うこともできるし、見ようによってはかなりブラックな内容だと気づくと
けっこうはらはらしながら見れてしまったり。
エンディングでお客が「息を呑む」のが、舞台裏にまで伝わってきた。
本当にすごい、と思った。

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『夢のまた夢』
いつの間にか、私も含めてぜんぶで12人(座長の佐藤さんまで含めると13人)。
全員出すの大変だったろうな、佐藤さん、と思っちゃったりして。
ほとんど割り込むような感じで私の役も作ってくれて、本当に感謝しています。
役者が多いと全員そろって、ということがなかなかできなくなるし、
私なんか役者は初めてでしかも(改めて)お芝居見たり関わるようになったばかりだったりして、
けっこう足を引っ張ってしまったと思う(更に、途中で1週間コケたし……もう拘るな、とも思うけど、
やっぱあれはイタかった……)。
でも、同じ出番の人たちが助けてくれたところもあったし、
佐藤さんは私を「じょうずに放っておく」ことのできる人なので、
のびのびとやらせてもらいました。

共演した11人の役者のみんなに、感謝、感謝です。

おお、そういえば。
ぜんぶで「12人いる!」
萩尾望都は『11人いる!』。
元になった民話は『座敷童子』。

打ち上げで誰かが言っていた言葉……実際の言葉は忘れちゃったけど……
の印象と重なる。
「みんな、めいめいがそれなりにそういうところは抱えているんじゃない?」

漫画の『11人……』より、「さらに一人多い」。
きっと、みんながそんなふうに感じながら、
それでも居場所を探している姿、
それがあのお芝居だったのでは。

ちょっと、そんな感じがします。


……(-_-;(-_-;うう。
とうとう、全部の演目について書いちゃった。
こういうの、やばい完全主義。
誰もこんなことしてくれって私に頼んでない。

余計なお世話ですみません。
もしもクレームとかあったら、どうかご遠慮なくお知らせください。
余計なことしてる自覚はあるので、
逆ギレしたりしませんから。……って、自覚なければ逆ギレするのかよ?!>自分
(いやその、自覚なければ誰でも「覚えのないこと言われた」って怒るんじゃない?……
いやいや、「怒る」じゃなくて、「驚く」か。
「驚く」→「怒る」に直結してしまうのは、たぶん「男という病」。
女はほとんど、そういう反応はしない。
あと、「誰でも」はやめましょう>自分;
「そういう人が多いと私は思う」)

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2002年02月23日(土) 速報・舞台デビューしました!

@ケータイ
明日も早いので、ぶっきらぼうだけど、手短に。

見守ってくれている皆さん、本当にありがとうございます!

本日、舞台デビューいたしました!
拙い演技ではありますけれど、精一杯演じることができました。

観に来てくれた方、本当に嬉しいです!
明日もがんばります!
よろしくお願いしまーす!!

それにしても、あんなにお客さんが楽しんでくれるとは、思わなかった。
「大入り」と言っていいほどの人が来てくれたし。
共演した劇団も、すごく味があるし、面白い!

もしかして、かなりおいしい状況にいる?>自分

2002年02月22日(金) ネットロア

★1・ネットロア『世界場もしも100人の村だったら』

★1・ネットロア『世界場もしも100人の村だったら』

「ネットロア」の定義:(便利ツール「新語辞典」より)

以下引用--------------------------

ネットロア

【netlore】
〔ネットワーク(network)とフォークロア(folklore)の合成語〕
インターネット上の都市伝説。掲示板やチェーン-メールなどを媒体に流通する。口承による都市伝説に比べ,伝播(でんぱ)の速度が速く,影響の範囲も大きい。


以上引用--------------------------

この「ネットロア」の中で生まれた「最高傑作」とでもいうべきものが、ベストセラーになっているらしい。
『世界がもし100人の村だったら』(池田香代子/再話 C.ダグラス・ラミス/対訳 マガジンハウス2001年、\838+税)
「伝説」なので著作権とか発生しないはずなんだけど、本になってそれが売れている、ということは、
きっと誰かが著作権を主張できるような状態になっているんでしょう。
だから、原文や日本語の訳文は、プレーンにコピペできる状態ではなかなか見つけられないみたいです。
(最強の「Goooooogle」を使っても、ちっともヒットしない……
ていうか、もしも実はできるんだとしても、今はそこまでの労力を払うほどの必然性は
私にはない;ただ「興味を持った」だけだもーん)

その代わり、『世界がもし1000人の村だったら (If the world were a village of 1000 people)』というのを、
ここで見つけました。
(『翔ソフトウェア(Sho's)』に掲載)

著作権のこととか、よく知らないままでやるので、怖いから「そっくりそのまま転載」とし、
転載元もリンクを表示しました。

以下転載--------------------------

世界がもし1000人の村だったら (If the world were a village of 1000 people)
Last updated on 02/15/2002 16:39:42.

The Originator and story behind "The Global Village" By David Taub より



世界がもし1000人の村だったら・・・

584人はアジアの人たちでしょう。
123人はアフリカの人たちでしょう。
95人は東ヨーロッパおよび西ヨーロッパの人たちでしょう。
84人はラテンアメリカの人たちで、
55人はソビエトの人たち (とりあえずまだリトアニアの人たち、ラトビアの人たち、エストニアの人たちなどを含む) で、
52人は北アメリカの人たちで、
6人はオーストラリアおよびニュージーランドの人たち。

村人たちはとてもコミュニケーションが難かしいでしょう・・・

165人が中国語を話すでしょう。
86人が英語で話すでしょう。
83人がヒンズー語かウルドゥ語。
64人がスペイン語。
58人がロシア語。
37人がアラビア語。

このリストが説明しているのは、村民のうちの半分だけの母国語です。

残りの半分の人たちは (数の多い順にいうと) 次のような言葉を話します。
ベンガル語、
ポルトガル語、
インドネシア語、
日本語、
ドイツ語、
フランス語、
そしてその他 200 の言葉。

この村に住んでいるのは・・・

300人のキリスト教徒
(183人のカトリック教徒、84人のプロテスタント、33人のギリシャ正教徒)。
175人のイスラム教徒。
128人のヒンズー教徒。
55人の仏教徒。
47人の多神教徒。
210人のその他のすべての宗教の信者 (無神論者を含む)

村人のうち3分の1 (330人) は子供たちでしょう。子供たちのうち半分は、麻疹やポリオのような予防可能な感染症に対して免疫が与えられるでしょう。
1000人の村民のうちの60人は65歳以上でしょう。
既婚の女性のうちで半分を下回る女性だけが現代的な避妊方法を使うことができるでしょう。
毎年 28人の赤ん坊が生まれるでしょう。
毎年 10人が死ぬでしょう。彼らのうちの3人は飢餓によって、1人は癌によって。
死ぬ人のうちの2人はその年の内に生まれた赤ん坊でしょう。
村人の1人はHIVウィルスで汚染されるでしょう。その人は多分まだエイズを発病していないことでしょう。

28人生まれて10人死んで、翌年の村の人口は1018人になるでしょう。

この1000人の村では、
200人が収入全体の4分の3を受け取るでしょう。
別の200人は、収入全体のたった2%しか受け取らないでしょう。
70人だけが自動車を所有するでしょう (彼らのうちの一部は1台より多くの自動車を所有するでしょう)。
およそ3分の1は清潔で安全な飲み水を飲めないでしょう。
村の670人の大人のうち半分は読み書きができないでしょう。

村では、1人当たり土地を7300坪持ち、
その全部で730万坪のうち、
90万坪は耕地です。
170万坪は牧場で、
230万坪は森で、
240万坪は砂漠やツンドラ、覆われた土地、そしてその他の荒れ地です。

森は急速に減少し、荒れ地が増加し、その他の土地はあまり変化しないでしょう。
村では、肥料の83パーセントが農地の40パーセントにまかれるでしょう。―― そしてその農地を所有しているのは最も豊かで物を与えられた270人です。この土地から出る余った肥料は湖と井戸を汚染するでしょう。
肥料の17パーセントは農地の残り60パーセントにまかれ、穀物の28パーセントを生産し、人々の73パーセントを扶養するでしょう。
その農地での穀物の産出量は、平均では、裕福な村民たちの分の3分の1でしょう。

もし世界が1000人の村ならば、5人の兵士、7人の教師、1人の医者がいるでしょう。

村の1年当たりの支出の合計は4億円を超え、武器と戦争に2100万円、教育のために2400万円、保健と医療のために1800万円支出されるでしょう。

村は、村を何度も粉々に吹き飛ばすだけの爆発力の核兵器を持っているでしょう。これらの武器は人々のうちのたった100人に管理されるでしょう。他の900人は、その100人がともに歩んでいくことを学習できるのかどうか、彼らにそれが出来たとしても、彼らが不注意か技術的なミスによってそれらの武器を爆発させるかもしれないということについて、そして彼らがいつかそれらの武器を取り壊すと決めたとしても、彼らが一体村のどこでそれらの武器を構成している危険な放射性物質の処理をするのかということについて、深く心配しながら監視し続けるでしょう。



翻訳: Sho's Software



オリジナル: The Originator and story behind "The Global Village" By David Taub からの引用

If the world were a village of 1000 people:

584 would be Asians
123 would be Africans
95 would be East and West Europeans
84 Latin Americans
55 Soviets (still including for the moment Lithuanians, Latvians, Estonians, etc.)
52 North Americans
6 Australians and New Zealanders

The people of the village would have considerable difficulty communicating:

165 people would speak Mandarin
86 would speak English
83 Hindi/Urdu
64 Spanish
58 Russian
37 Arabic

That list accounts for the mother-tongues of only half the villagers.

The other half speak (in descending order of frequency)
Bengali,
Portuguese,
Indonesian,
Japanese,
German,
French,
and 200 other languages.

In the village there would be:

300 Christians
(183 Catholics, 84 Protestants, 33 Orthodox)=
175 Moslems
128 Hindus
55 Buddhists
47 Animists
210 all other religions (including atheists)

One-third (330) of the people in the village would be children. Half the children would be immunized against the preventable infectious diseases such as measles and polio.
Sixty of the thousand villagers would be over the age of 65.
Just under half of the married women would have access to and be using modern contraceptives.
Each year 28 babies would be born.
Each year 10 people would die, three of them for lack of food, one from cancer.
Two of the deaths would be to babies born within the year.
One person in the village would be infected with the HIV virus; that person would most likely not yet have developed a full-blown case of AIDS.

With the 28 births and 10 deaths, the population of the village in the next year would be 1018.

In this thousand-person community,
200 people would receive three-fourths of the income;
another 200 would receive only 2% of the income.
Only 70 people would own an automobile (some of them more than one automobile).
About one-third would not have access to clean, safe drinking water.
Of the 670 adults in the village half would be illiterate.

The village would have 6 acres of land per person,
6000 acres in all of which:
700 acres is cropland
1400 acres pasture
1900 acres woodland
2000 acres desert, tundra, pavement, and other wasteland.

The woodland would be declining rapidly; the wasteland increasing; the other land categories would be roughly stable.
The village would allocate 83 percent of its fertilizer to 40 percent of its cropland -- that owned by the richest and best-fed 270 people. Excess fertilizer running off this land would cause pollution in lakes and wells.
The remaining 60 percent of the land, with its 17 percent of the fertilizer, would produce 28 percent of the foodgrain and feed 73 percent of the people.
The average grain yield on that land would be one-third the yields gotten by the richer villagers.

If the world were a village of 1000 persons, there would be five soldiers, seven teachers, one doctor.

Of the village's total annual expenditures of just over $3 million per year, $181,000 would go for weapons and warfare, $159,000 for education, $132,000 for health care.

The village would have buried beneath it enough explosive power in nuclear weapons to blow itself to smithereens many times over. These weapons would be under the control of just 100 of the people. The other 900 people would be watching them with deep anxiety, wondering whether the 100 can learn to get along together, and if they do, whether they might set off the weapons anyway through inattention or technical bungling, and if they ever decide to dismantle the weapons, where in the village they will dispose of the dangerous radioactive materials of which the weapons are made.





Copyright (C) 1997-2002 Sho's Software

以上転載--------------------------

今もうちょっとしつこく検索結果を開いてみたら、こんなのもありました。
世界がもし100人の村だったら
これは、面白いことにAdobeのアクロバット形式(PDFファイル)で掲載しています。
えっと、このページは『ドレミ A GOGO』というHPに含まれていました。
(こちらはリンクのみとしておきます;だって、PDFをここに直接貼り付けるとか、
私にはできないし、PDFにはそもそも「コピペ防止」という側面もあったと思う(?)ので)

それぞれ、承諾を求めるメールやカキコをしてみました。

以下転載--------------------------

<『ドレミ A GOGO』へ>
name = 会津里花
email = jackie-matthews@syd.odn.ne.jp
url = http://www1.odn.ne.jp/~ccp05090/
comment = こんにちは。
突然のメールをお許しください。
実は、『もしも世界が100人の村だったら』という「ネットロア」に興味を持ったので、私のHPでも紹介したいと思いました。
それで、Googleで検索してみたら、原文が紹介されているものがとても少なく、ドレミさんのものが適切だと思ったので、こちらのページにリンクさせていただきました。
事後承諾で申し訳ありませんが、不都合などありましたらお知らせください。
引用先は↓
原案帳#20(日記です)
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/51752/

では、失礼いたしました。

<『翔ソフトウェア(Sho's)』へ>
転載について事後承諾ですけど  投稿者:会津里花  投稿日:2002/02/22(金)13時26分55秒  ■  ★ 
こんにちは、はじめまして。
『世界がもしも100人の村だったら』に興味を持って検索したら、
ここにたどり着きました。
「ネットロア」という性質からも、どんどんコピペしていい、と思って
転載させていただきました。
著作権表示とかもあわせて転載しましたし、リンクもさせてもらいましたから
ネット上のそういうことがらについては配慮したつもりですけれど、
もしも不都合があればどうかお知らせください。
……今、他の人の書き込みとか少しだけ読んでみたけど、
私、ここに書き込んでいいのかしら……?
ぜんぜんわからない話題ばっかり……
失礼しました。

http://www1.odn.ne.jp/~ccp05090/

以上転載--------------------------

ネットの性質を考える。
コピペということについて考える。
決して悪いことをしているとは思わない。
でも、ちょっと「暴力的」にやっているような気はする。

でもね、たまたま昨日、美容院の帰りにふと、普段は寄らない書店に寄って
何気なく目について読んでしまい、
涙が流れるほど「情報の有益さ」に感動したの!!

だから、忘れないうちに。

この文章、というかデータそのものが、
なんか「書評」とか間接的なことをするよりも、
まずとにかく「コピペ」して、できるだけ多くの人々に伝えられてほしい、と思う。

その願いを込めて。

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2002年02月21日(木) 書きたい衝動(^^; 今日の金八先生……

★今日の金八先生……

なんか、いかにも日記らしい書き方でここ数日推移しているなあ……
いちいち書式で書かなくて。

昨日のメール:
送信者 : "章香(あやか)"
宛先 :
送信日時 : 2002年2月20日 12:30
件名 : 「キリンジ」


「雨は毛布のように」
aikoがコーラスに入っているそうな!


送信者 : "章香(あやか)"
宛先 :
送信日時 : 2002年2月20日 12:35
件名 : ラップ


そういえば、
まるでラテン音楽そのままモチーフにもらったような曲がかかっているな。
ペレス・プラードあたりの曲を音源−なんていうんだっけ?−にしてるみたい。

(追記:弟に聞いたら「あれ『マンボNo.5』だろ?」だって!
そういえばそうね……若者からお年よりまで、幅広い世代が聞ける?かな?(^^;)

と、バイトに出かけるちょっとの間にも、ちょこちょこ原案帳を意識しているのだった。

昨夜は、ある若い友人に、長いメールを書いて……消して、半分くらいの長さに書き直した。
最初から手短に書ければよかったのに、と思うけど、
どうやら私は「書くこと」それ自体が好きであるようだ。
でも、書き終えたら、けっこうへとへとになってしまった。
まあ、好きで書いてるので、「へとへと」と言っても心地よいのだけど。
少しでもその友人の助けになれれば、なかなか人の役に立つことの少ない今の私にとっても
心の支えになるのでした。

GID研究会の段取り(←うう、私、「段取り」ってめちゃくちゃ苦手(-_-;)もあるし、
(地元の地形図、じゃなかった都市地図とか見ておかなくちゃならない?
……うう、地図なんか見ても、私にはさっぱりわからない……)

おお、そうだ!
そういえば、今日は『金八先生』の木曜日じゃないの!
お話しましょ#2
↑書き込み、お待ちしていまーす♪

★今日の金八先生……

……ゼッタイに見たくないシーン……

弟よ、追ってはいけない。

暴力に駆られる男の顔は、もう決して見たくない……

「生きろ! 生きて、あいつを許すな!」

血を見ると目の色が変わるって……


ミッチーが「オカマの真似させて喜んでたくせに」って言ってた。
そうか、私は最初のほう見てないのでわからないけど、
何かそんなことがあったのね。

私は、そういうふうに「血祭りにあげられる」子を、冷ややかな目で眺めていた。
「ばかだなあ、バレちゃって……私みたいに、上手に隠さなくちゃダメじゃん……」
もちろん、はっきりそう思ったことはそんなにない。
多くは
「『オレ』は違う。アイツとは違うんだ!! 一緒にされないようにしなくちゃ!!」
と、戦々恐々としていたのだった。
小学校の頃のこと。あと、中学に入ってから……
ううん、違う。
中学に入ってからは、体が大きくなっちゃったので、
少なくとも「周囲から疑われる」ことはなくなった。
……
でも、皮肉なもので、そうなってしまうと、今度は自分が
どんどん「後戻りできない体」になっていくのが恐ろしくて……
そんな頃だった、まだ女の子にもなれそうな子に
おかしなちょっかいを出すようになったのは。

ああ、だめ。
思い出せない。思い出したくないのか……

「直」と「ミッチー」はついに対決する。

なんだか、フラバってる。
どんどん不安定になっていくのが、自分でもわかる。


私は、こういう話の中に、現実に生きていたのだろうか。

私の思春期は、あんなに激しかったのだろうか。

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2002年02月20日(水) アクセスカウンターとか。

なんか、気が付いたらこの日記へのアクセスが「3000」を超えていました。
本当にありがとうございます>アクセスしてくれた方がた

あと『文芸部長』のほうも、ちょっと使いにくいかなー、という気はするけれど
カウンターを取り付けてから「500」を超えました。
コンテンツからいうと、このページへのアクセスはあまり多くないのは
宿命なのですが、
それでも、私の作品に興味を持ってくださる方がいらっしゃるということは、
本当に嬉しいことです。

ああ、いけない。
今、6:35。
早朝覚醒ってやつですね。
今日もバイトとお芝居の練習。

今週末には本番です。
どうかチャンスのある方、おいでください……って、
私、ちょっと、いえだいぶ、恥ずかしいけど。
あんまり自覚がなかったけど、間際まで「迷い」があったのでした。
自分のこういう姿を舞台にさらしてもいいものか、と。
今はいちおうそれは乗り越えたような気がするけれど、
やっぱり恥ずかしいものは恥ずかしいのでした。

そうそう、それから。
昨日の記事の中で
「男女それぞれについて半分はわかるけど、あとの半分はわからなくなった」
というような意味のことを書きました。
それは、
「健全さ」
なのだろうと思います。
もしかしたら、無自覚であることは、ちょっとはかないような気もするけど、
余計なことを考えなくてもいいという「健全さ」なのかもしれない、と思うのです。
私は、もうどう転んでも「健全」とは言えません。

……

でも、先週の土曜日に出会った中学生たちの顔を思い浮かべると、
どうか健全に育ってほしい、と願わずにいられません。
でも、どういうことが「健全」なのか、私にはよくわからなくなってしまったのです。
それは少し、いいえ、かなりさびしいことです。
中学生たちと出会ったことについては、もう少し落ち着いたらちゃんと書きますね。

ああ、ちょっとメモするだけのつもりだったのに、
もうこんなに長くなってしまった。

2002年02月19日(火) 断片集

★1・断片集……しか書けん(-_-;



★1・断片集……しか書けん(-_-;

         

昨日は、自分の過去のトラウマにスイッチが入ってしまって
「怒りの衝動」で最初は大変なことになってしまったと思ったけれど、
なんだか「歩く」ということで、すっかり収まってしまった。
アトリエまで、片道30分近く歩いたのだ。
うちの地元は「冬、強風が吹く」という特徴がある。
これで雪でも降っていたら、間違いなく「吹雪」って呼んでちょうだい、っていう感じ。
でも、幸か不幸か、この強風(=実は季節風)は「北からやってくる〜♪」ので(^^;、
アルプス3枚越してくるうちに、すっかり乾燥してしまい、
冷たいことは冷たいのだけれど、必ず「晴天」とセットになるという、
おトクなメニュー(?)になっているのだ。
おかげで、時々「うっぷ、息ができないほどの強風!」とか、
「ああっ、こんなにデカい私でも飛ばされそう、はかないオンナが演出されてるワ♪」とか、
(ほらほら、そこっ、笑わない!!)
たっぷりと「冬の季節風」を味わうことができたのだった。

ていうか、実は私、この土地で生まれ育ったので、
この風に吹かれるの、あんがい好きだったりする。
ただし、風に吹かれるだけじゃなく、風邪を引いちゃったり、
今の時期だと花粉まみれになってしまったり、
というリスクも伴う、「諸刃の剣」、ドラマツルギー(ふっるーい)、なんだけど(^^;

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……と、そんなアホなことやってるので
(帰りは弟に迎えに来てもらったけど)
なんか、すごく健康的に眠くなることができる。
それで、昨日帰宅してからは、ほとんど何もせずに眠ってしまった。

はっきり言って、今はお芝居のことで頭がいっぱい。

ただ……
「優しくて話を聞いてくれそうな男」から、何度も電話がかかっていた。
悲しいけれど、私はもうこの人と付き合うつもりはない。
自らを性的暴力の真っ只中に置く生活とは、決別しなければいけないのだろう。
この人自身が「暴力的」というわけではないけど(でも少しそういう臭いがある)、
この人と私の間で、わずかな間にではあるけれど築こうとしている関係性は、
やはりどこかしら「暴力」を連想させるものを伴っているような気がしてならない。

もしかしたら、出会う場所が悪かったのかも。
暴力がそこかしこに滞留する、そんな中での出会いだったから。

最初のほうで「悲しいけれど」と書いたのは、その人のこと、嫌いじゃないから。
でも、暴力にさらされた記憶は、どんなに理屈で言いくるめようとしても、
体が覚えていて、こわばってしまうのだ。
これでは、どんなに気持があっても、相手にも失礼だし。
そのせいで、相手が暴発してしまったら、終わりだと思うし。

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……実は、この他にも書きたいことは山ほどあるのだった。
「第4回GID研究会」の参加について、連絡をくれたお友達が何人もいる。
けれど、今のところまともに返答できていない。
たぶん、お芝居の本番が終わってからでないと、私は動き出せないのだろうと思う。
「早くから段取りしておかないと、快適に参加できないじゃないか」とか
「予定が立たないと、他(職場など)との調整ができないじゃないか」とか
思われてしまうかもしれない。
すみません。
でも、取り急ぎ、できるだけのことはしますので、ちょっとお待ちください。m(__)m

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唐突だけど、「クリスチャン」の私がいちばんしなくちゃならないことって、
実は「自己評価を高く持つ」ということなのではないか。
今まで長いこと……それは洗礼受けてからもずっと変わらなかったんだけれど……
私はなんだか「神さまに対して自分はとても低いもの」という見方をしていた。
うまく頭の中で言葉にできないのだけれど、
自分を低く扱おうとすることこそ、神さまに対して最も失礼なのではないか。

(これ、ネタにしてはいけない、とわかっているんだけど……)かつて、アメリカ人の牧師さんが
私に対して「おまえは罪を犯したのだ!」と断罪したことがあった。
それは、「おまえは自分が罪を犯したという自覚がないんだろう」という言い方、というように聞こえた。
残念ながら、今でもその真意はわからないし、ともすれば相手のことを悪く詮索してしまいたくなる。
けれど、私はそんな詮索を止めてしまおうと思う。
だって、他人のことなんだから、わかるわけないじゃん。
ましてアメリカ人だもん。
私、アメリカに住んだこともないし、アメリカ人の知り合いもそんなにたくさんいるわけじゃない。
(むしろ、外国人でもアメリカ人以外の知り合いのほうがはるかに多い。
白人で英語を母語にしているけど、カナダ人とかイギリス人とかアイルランド人とかばっかりで、
アメリカ人は一家族だけだったかもしれない。
それでもアメリカにだけは妙につっかかるのは、もしかしたら「冷戦」とやらのせいかもしれない)
わからないことを詮索して、「わからない」といってやきもきするのはばかばかしい。

私は、今はまだ無理かもしれないけれど、
いつか、
誇りを持ってその牧師さんに許しを乞いたい。
誇りがあれば、謝れると思う。
神さまが私を選ぼうとしてくれたことに対して、私が「こんな低い私を選ばないでください」と
逃げてしまったことを。
あ、念のため。
「クリスチャンだけが神さまに選ばれている」なんて、ばかなエリート意識は持ちたくない。
他の宗教を信じる人には迷惑かもしれないけれど、
クリスチャンから見れば、全ての人間が、神さまにわざわざ選ばれたからこそ、
この世に生まれてくるのだ。
っていうか、そういうふうに見えるのだ。
だから、「異教徒」といってその存在を否定するのは、たぶんクリスチャンじゃないと思う。
私はそれでも、私はそういう人の存在を否定しないけど。私を否定しないでくれる限り。
でも、ちょっとイタいので、チャンスがあれば変わってほしいな。
あと、異教徒をクリスチャンに改宗させようとする人も、よけいなお世話は止めてほしいな。
キリスト教を信じていようといまいと、神さまの愛は変わらない、と思うもん。
もちろん、神さまと出会うチャンスは、全ての人に開かれていてほしい、とも思うけど。
この二つのことは、決して矛盾していないと思う。
私がこうやってぶつぶつ言うのも、できれば考え方、信じ方の違う人は放っておいてほしいな。
誰が正しいとか間違っているとか言い出すと、それは「戦争の始まり」になっちゃうと思うし。

うーん、やっぱりまとまってないなあ。
っていうか、やっぱりまだネタにして恨み言言ってしまってるのかなあ。

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……私の肩書き「日記作家」にしちゃおうかなあ。
でも、そんなの、インターネットだけでも、いやっていうほどいるじゃん。
私の「エンピツ」のID、「51752」だよ?
それって、この形式を借りて日記をつけている人が、たぶん5万人ぐらいはいる、っていうことだよ?
それに、こうやってオンラインで書き続けている限り、
私はこれで食っていくことはできない。
内容もまとまってないし。

でも、私にしか書けないストーリーは、確かにあるのです。
私が、私で、ある以上。

そうして、私は、私のストーリーを人に伝えることで、
お金をいただいて、生活を成立させていきたいのです。
生きたいのです。

深ぁーーーいため息……フウッ(-o-;

誰か、私の記事を「編集」するお仕事、初めはボランティアで、
でもちゃんとお金が入るようになったら、(どうせ僅かだろうけれど)お礼するので、
やってくれる人、いませんかぁ?

って、人に甘えちゃ、いけないよね。

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最近考える、私のもう一つの「肩書き」。
せっかくトランスセクシャルで、しかも「元は男のフリしてました(でもはっきり言ってかなり男っぽいぞ)」
なんて公言して憚らないので、
だったらいっそのこと「ジェンダー翻訳家・通訳」とでも名乗ろうかな、とか。

私は、自分の身体感覚が、(今は「良かった」とはとても思えないけれど)「男性」だったことを覚えているし、
否定しない。っていうか、できない。
その一方で、今は自分が「女性」と呼べる身体感覚を持っていることも、自覚できるし、
両者の違いもよくわかる。

もっと言うと、こんなに違うのに、ただ「あたりまえだろ」と言い合っていたら、
ほとんど何一つ理解しあえないだろう、とさえ思う。

男の人、あなたが咳をしただけで、時にはそれが女性に対して「暴力」になってしまうかもしれない、
なんてわかりますか?

女の人、あれほどえらそうにしている男が、実はどれほどびくびくして
あなたの言葉におびえ、傷ついているか、わかりますか?
そうして、女だったら大して苦労もせずに言葉にできるようなことがなかなか言い表せず、
ふと気が付くと言葉の代わりに手が出てしまっていた……
なんて、わかりますか?(もちろん、わかってやる義務はないけど;暴力は暴力だもん)
(余計な喩えだけど、某元外務大臣(女性)と
それに食ってかかった某元国会議員(男性……え?辞めてない?ヒドイ!!)の
子どもっぽい応酬は、私には「中学生と小学生」ぐらい差があるように見えた。
男性議員のほうがよっぽど怯えているように見えて仕方なかったのでした;
そりゃ既得権益とか族議員とかいろいろあるだろうけど、
そういうことがそもそも幼稚で、今の日本の政治がまだまだ全体的に
小学生の「お山の大将ごっこ」とちっとも変わらない、ということには
ご本人を初めとして政治家の男族は全く気が付いてないのよね……
小学生に台所を任せているのと同じような不安を感じてしまうのです……
って、私自身もそれとほとんど変わりゃしないんだけど;
うちの台所、汚いよー、母が見たら泣くだろうなー(-_-;)


どっちもわかるから私はえらい、なんてトンデモな勘違い、しそうだけど
しないように気をつけます。
(↑に書いた「余計な喩え」みたいなことを、いつまでも言うようになったら終わりでしょ? みっともない!)
何よりも、私は「男と女のことが半分ずつわかる」代わりに、
残りの半分はまるでわからなくなってしまった人間だから。
「男だったらわかるだろう?」「女だったらわかるでしょ?」
……と、いくら私を「仲間」として受け入れようとしてくれても、
残念ながら私にはたぶんわからないことが多すぎると思います。

それは、とても寂しいことです。
でも、それがいちばん「私らしい」と感じるのも、確かなのです。
私は自分の寂しさを少しでも紛らわすために、
せめて、あなたたち「男」と「女」の橋渡しになれたら、
きっととても嬉しいだろうと思うし、
たぶんいちばん人の役に立てる、
そんな気がするのです。

それすらもトンデモな勘違いなのかもしれないけれど。
そうだとしても、私、たぶん死ぬまで気がつかないのでは。
っていうか、気がつく能力があるんだったら、
家庭破壊したりしないよ、きっと。
今ごろどこかで、幸せな家庭で暖かく過ごしていることでしょう。

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2002年02月18日(月) 甘えてる? 泉鏡花

★1・甘えてる?
★2・↑のつづき
★3・補足(または「愚痴」)
★4・泉 鏡花

★1・甘えてる?

たぶんこれ、「錨(←隠語です(^^;)」だろうなー……。

ていうか、集団で何かをきっちりやらなくてはいけない、というとき、
私はそれについていけないことがよくある。
そういうとき、「甘えてる」と言われたり、思われたりすることも
よくあるようだ。
理由は、考えてみればあほらしいのだけど、
私がふだんは「そういうタイプ」に見えないから、なのだろう。

はきはきしていて、如才なさそうで。

でも、実際は、気を遣ってとても疲れてしまい、
次はもう二度とそこには行きたくない、と感じてしまうことも多い。
特に今、私が新たなジェンダーを生きようとしていることについて、
きっと周囲の人たちも戸惑ったり違和感・不快感を感じたりすることも多いだろうから、
その部分に抵触しないようにしなければ、と思うと、
かなりいたたまれなくなってしまうことも多い。

はっきり言います。
私は、甘えているつもりはありません。
でも、現実には「甘えている」としか言いようのないことばかりしています。
矛盾したことをいきなり言っていますけれど、
どちらも本当のことです。

ギャップを埋めるのは、無理にやろうとすると
たぶん壊れてしまうので、できること以外はやりません。

ただ……

そういう中で、少しでも、今一緒に集まっている人たちと、
良いものを作り上げていくことができれば、と思う気持ちは
変わりありません。

ゆっくり見守って、などとは言いません。
けれど、精一杯努力します。
わかってくれなくてもいいけど、それだけは本当です。

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★2・↑のつづき

1) はっきり言って、上の言い方は「過剰反応」だと思う。
2) せっかく親切に言ってくれていることに対して、冷静に反応できないと、
  いずれ誰も私に何も言ってくれなくなってしまう。
  ……っていうか、わかってるんだけどさ。

辛くて。

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★3・補足(……でも、世間では「愚痴」と呼ぶでしょう(-_-;)

言い訳です。
見苦しいからやめたほうがいいんだろうけど。
くだらないリクツかもしれないけど。
(*1〜*3については、この記事の終わりに注がつけてあり、リンクして行って帰ってこれます)
私は、「性自認*1」のとおりの体を手に入れました。
もちろん、それは「脳の性別」か「ファンタジー」か、よくわからないけれど、
それに医療にも限界はあるので完全にぴったりとはいえないけれど、
それでも私にとってとても満足のいくものです。
(よく「SRS*2すると頭がおかしくなる」だの
「適応できずに自殺しちゃう」だのいいますけれど、
それは自分でもびっくりするくらいありません。
こういう体になって、本当に幸せです)

でも、課題はまだまだ大きいのでした。
というのは、関係性の中の性別、つまり「ジェンダー*3」については
実はまだまだ「女性の側で全ての人間関係を築き上げる」ということに
慣れてはいないのです。
だから、正直なところ、
女性として当然そのように振舞うだろうと思われているようなところで
ぶすっと黙ってわけのわからない顔をしていることが
多いのではないか、と思います。

本当に皮肉なことです。
私は、自分が女性の側にいるはずの人間であると信じて疑わずに
もうン十年も生きてきたのに、
それが「ばれては生きていけない」という思いから
必死にそれを避ける努力をしてしまった挙句、
「女らしい」と言われるようなことが、ほとんどできなくなってしまいました。
まるで、自分の祖国が「敵国」であるせいで、
母国語が全くしゃべれなくなった移民みたいだ、と思います。

そのことが、とても辛いです。
けれど、私は負けたくはありません。
だって、そういう選択をしたのは、私自身だから。
今は、この選択を、誰のせいにもできないし、
したくもありません。
もちろん、行きがかりはいろいろあって、
だから人のせいにして楽にしたほうがいい、ということもあるけれど、
それでは問題解決しないので。

*1:「自分がどういう性別の人間か」ということを認識すること。
ふつうは「体のかたちや機能」で決まっているもののようだけど、
「脳のかたちや機能」「身体の外見的特徴」とか「生育歴」「周囲からの扱い」など
さまざまな理由で、一般的に多くの人が「当たり前だ」と思っているのとは
異なった認識になることがあるのです。 (→元の場所へ戻る)

*2:「性別再判定手術(Sex Reassignment Surgery)」の略語です。
私は自分にとってどうしても必要な部分の手術は済ませています。(→元の場所へ戻る)

*3:「性(別)」にはいくつかの視点から角度を変えて見ないと
わかりにくくなってしまうことがあります。
1.「体の性」
2.「心の性(=これが*1性自認)」
3.「見かけの性別」
4.「本人が役割として感じる性別」
5.「性愛の対象」
これらは一定のパターンをとっていることが多いですけれど、人によっては「ずれ」があることもあります。
このうち、3.と4.をまとめて「ジェンダー(性役割)」として扱うことがあります。
「ジェンダー(gender)」という言葉は流行っていますけれど、元々は言語学の用語で、
フランス語やドイツ語では、全ての名詞にどういうわけか必ず
「男性」「女性」(または「中性」)という区別がつけられていることをgenderと呼ぶのが始まりです。
はっきり言って「そんなものに性別つけてどうすんの?」と思うようなものも、
全て」二つか三つに分類されているのです。
(「太陽」と「月」がドイツ語とフランス語で男女さかさまになっている、とか(^^;)
ここから、遺伝子とか生殖とか、生物学的にどうしても決まっていること以外の「女らしさ」「男らしさ」を
まとめて「ジェンダー」と呼んでいます。 (→元の場所へ戻る)


ちょっと皮肉をこめて付け加えておくと、
たぶん「いつでもどこでも誰にでもゼッタイあてはめられるジェンダー」といのは、
この世に存在しないのだろうと思います。
私自身も含めて、本当は自分に当てはめる必要のないようなことがらまで自分に当てはめようとして
苦しみもがいている人は、この世にたくさんいると思います。
典型的なのは「男らしくしろ!」とか「女の子がみっともない!」とか言う人たちです。
それらの人たちは、まずご自分の「男らしさ」「女らしさ」の呪縛から自由になることを目指したらいいのに、と強く感じます。
だって、たいていはそういうことを言う人の表情は、痛々しいもん。
本人がそのことで苦しくて仕方ないのが、見えるもん。
(私も、そうでした。だからこそ、私は「男であろう」とするあまり、掃除も炊事もほとんどできない人間になってしまいました。
今の若い人たちの多くは、「男だから料理ができなくていい(できちゃいけない)」なんていう考えが
どんなにばかばかしいか、言われなくても分かっていると思いますけれど、
私が小さい頃に受けたしつけは、そういうものだったのです。
今それを取り返すのは、若い時に身につけるのよりもずっと大変です)
願わくば、できるだけ多くの人が、できるだけ楽にそういうことと向き合うことができて、
争いとか苦しみとか悲しみとかが少しでも減ってくれれば、と願っています。

あれ、後半は「皮肉」なんかじゃないや。まじです。

なんか、「補足」だったはずなのに、こんなにぐちぐち書いてしまいました。
こういうことをやると「気が済む」のは、私が男をやっていた頃に
「テストステロン(男性ホルモン)」の猛威で攻撃衝動が起きると、それを押さえつけるのによく使った手口です。
ごちゃごちゃと理屈をこねるのに脳神経を使うと、テストステロンの体内濃度が下がるのでしょうか。
(なんか、ばかばかしいけど調べてみようかな?)
これも、きっとその名残なんでしょう。

ちょっと精神的にまいっています。

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★4・泉 鏡花

ところで、全然話は違うけれど、
私のペンネーム「会津里花」の「元ネタ(の一つ)」である「泉鏡花」の小説を、
今ごろになって少しずつ読み始めました。
(ていうか、そんなことしている暇があったら芝居の段取りしろーーー!!
と怒られそうだけど、残念なことにこういうかたちでバランス取らないと、
また壊れてしまいそうなので……ユルシテッm(^o^;m)
短編〜中編みたいだけど、今だから読みやすいです。
ていうか、中学〜高校の頃は古文調の文体にまだ馴染めなくて、
「いつかそのうち読めるときが来るまで、とっておこう」
と思って手をつけなかったのでした。

この年になってから読み始めて、本当に良かったと思います。

まあ、内容は、はっきり言って少女漫画とかコバルト文庫とかに出てきそうな
どちらかというとわかりやすい、けれどドキドキしちゃうような内容なので、
古文に自信のある子なら、中学生が読んでも楽しめるかも。
(でも「古文に自信がある」って、よっぽどかも)
高校生なら、きっと楽に読めると思います。
その世代までに、「古文」の授業がイヤで
「古文なんて大っ嫌いだぁ!!!!」とかなっていなければ。
本当は、古文、すごく面白いよ。
教える先生、子供がその世界に入り込めるようなヴィジュアル資料を
たくさん用意してくださいね♪
男の子はヴィジュアル大好きだから♪
(「それが簡単にできりゃあ苦労はしないよっ!」
……は、はい……そうですね、よけいなことまで言いました、ごめんなさい(^^;)
……
ううーん、「少女漫画にコバルト文庫」は、言いすぎかなあ。
「レディースコミック」みたいなところもあるし。
シェイクスピアみたいな悲恋ものだし。

読むのは少しずつです。
一昨日『義血侠血』を読みました。
昨日は読んでません。
今日は時間があるかどうか。
すっかり読みきるのは、お芝居が終わってからでしょう。

そしたら、次は「徳富蘆花」だぁい♪
『不如帰』なんて、中学2年の時(国語の文学史の時間)から気になっていたんだから!
(でも「擬古文体」を敬遠していた……『不如帰』がそうだったかどうかは覚えてない;
他にも「明治ものは読まない」とか、ヘンなこだわりはあったと思う>中学〜高校時代)

ようやく、自由になったの。私。

楽しっ♪

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くやしい。
くやしいことが起きている。
しかもそれ、「悔しい」と感じるべきではないようなことかも。

2002年02月17日(日) メモ

・汗をかいてないのに顔を洗うと、肌が荒れる。
 まあ「いつでも誰でもどこでもそう」とは言わない。
 (例:砂漠で「顔を洗う」のは基本的に砂を使うのだろうし)
 今の私にとって、ホルモンバランスとか運動量とか食事とか考えると、
 どうもそういうことらしい、っていう程度のこと。

2002年02月16日(土) 断片集(ワーカホリック的忙しさ?!)

★1・断片集

★1・断片集

(ていうか、今1/17の朝なんだけど、昨日はいろいろありすぎて、書けませんでした。
今日も忙しいので、きちんと文章にしている暇ない。
取り急ぎ、タイトルと、忘れたくない最低限のことだけ。)


送信者 : "章香(あやか)"
宛先 :
送信日時 : 2002年2月17日 0:05
件名 : 原案帳


・弟が社員旅行に行くと言うので、見送りがてら一緒にコーヒー飲んだこと。
・中学で「授業」をやったこと。
・その後、東京に行って、某メンタル系講座に出たこと。


送信者 : "章香(あやか)"
宛先 :
送信日時 : 2002年2月17日 0:17
件名 : いろいろ


・原案帳ネタ:
深夜に電車に乗っている。
遅い時間なので、ちゃんと眠い。
こんな感じは、と思い出してみたら、たぶん十数年ぶり?
正常な感覚が戻ってきているようだ。

・Survival:
アキラと真奈が出会い、理解しあうことを書きたい。
アキラは自分の身体を認めるし、真奈は自分が「男の心が入った女」であることを認める。
二人は共に歩み始める。

……ちょっと、違うかなー……?

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2002年02月15日(金) ダウンぎみ(っていうか『YOU THE BEST』)

★1・ダウンぎみ……(ていうかコミック誌『YOU THE BEST』のこと)
★2・中森明菜
★3・「『無断リンク禁止』とか言う奴ら」
★4・うざい。

★1・ダウンぎみ……(ていうかコミック誌『YOU THE BEST』のこと)

@寝床の横にばいおくん連れてきて、寝起きのままの状態で書いてます。

昨日、雑誌YOUの別冊『YOU THE BEST』というのを買った。
この雑誌の創刊20周年を記念して、
掲載された作品の中から「代表作」と呼べるものの「連載第1回」を集めて載せている。

昨夜、ちょっと辛いことがあった。

今朝、その雑誌をちょっとずつ拾い読みしてみた。
いろんなことを考えてしまった。

(って書き出したら、FMでMieさんが"Imagine"なんてかけ始めた……
ちょ、ちょっと…… なんか、悲しくなっちゃうじゃん……)

ナースステーション
凍りついた瞳(め)
この他の作品

島津郷子『ナースステーション』(1994年3月号)
夜勤の様子とか、精神的に不安定になってしまう子とか、
読んでいるとなぜか「あ、これ、知ってる」と感じてしまう。

私は「他人事を自分のことのように捉えてしまう」癖がある。
きっと、良い方向に生かせれば、人の心に共感する高い能力になるんだろう。
でも、悪くすると、他人事に振り回されて、必要もないのにぼろぼろになってしまう、
そういう危険なところもあるのかも。
まさに「諸刃の剣」……吉野家ゴルゴみたい(-_-;
あ、話がそれた……

で。
「知ってる」と感じてしまうのも無理はなかった。
私自身が、本物の看護婦さんの深夜勤・準夜勤の送り迎えを、
およそ2年間にわたってやっていたことがあったっけ。
もういちいち誰のことかなんて書かないけど。
病院の前に車を停めて、その中で確か最高2時間くらいかな? 待ってたこと、あったっけ……
「海辺のほうまで走ってくれる?」と言われて車を走らせている横で、
問わず語りに彼女が「患者さんが*亡くなって……」とか「同僚が辞めちゃった……」とか
話してくれたこともあったっけ。
(*患者さんが亡くなることを業界用語でなんと言うか、教わってしまった)
うーん。
今は無理だけど、いつか全20巻(-_-;読んでしまいたい……
(って、買って読むことだけ考えてるでしょ?>自分)

ささや ななえ『凍りついた瞳(め)』(原作/椎名篤子『親になるほど難しいことはない』)(1994年9月号)
児童虐待のお話。
'94年当時、まだ児童虐待への対応がほとんどまともになされていなかった頃のお話なので、
行政のサポートがまるで「世界はここで終わり、あとは滝になって流れ落ちている(滝壷に落ちたら終わり)」
という感じだったのが、悪い意味で「印象的」だ。

それとも、「つるつるの白い壁に爪を立てて這い登ろうとするような努力」っていうのか。
あるいは「駆け込もうとしたら鼻先で扉をバタン!と閉められた」っていうのか。

「まだよく知られていないから」という理由で、あちこちでそういうことが起きているのに
「なかったこと」にされてしまうのは、私自身が抱えているテーマと同じ。

で。
そんなことを漠然と思い浮かべているうちに。
なんだか、私はなぜ「DV」のこととか、こうやって人前にさらけ出してしまおうとしているのだろう、と
改めて「なぞ」な気分になってしまったのだ。
(それでばいおくん立ち上げたんだけど)

DVの本読んで感想を送ったら、「加害者側からの反応はあなたが初めてだ」と返事がきた。
やっぱり、加害者は自分から悔い改めたりしないのか。
もちろん、加害している真っ最中の人が
「オレ今、DVしてる」とか、言うわけない。
っていうか、自覚がないからやってしまうんだし、
なんとなく「やばい」とは思っても、そのことが全体的に捉えられないから
逆に漠然とした不安とか違和感とか(時には恐怖とか)に駆られて
なおさら深みにはまっていくのだろうし。

でも、それでぼろぼろになり、家庭も失って、
あとは悔い改める以外にやることなんか残っていないような人、
いるんじゃないのか。
……私以外にも。

ていうか、私、「元DV加害者でしたー!」とか、大声で呼ばわっても
そんなの、はっきり言って身を滅ぼすだけで、それ以外に何も起きないんじゃないの?
世間の……っていうか、「世間」ってどこ?という気もするけど……男たちからは
「バカだな、あいつ(冷笑)」
と鼻で笑われて終わり、とか。
鼻で笑う男ほど、DVについては危ないというのに。

(ところで、DVについて心配している女性のみなさん;
DV男を見分けるのにいちばんわかりやすいのは、
相手との対話の中でそのことを話題にしてみて、
「笑う」男は要注意(=全く無自覚なだけにDVを否認しながら続ける危険性がいちばん高いし
そもそもこういう男がいちばんDVにハマりやすい)、
「気をつけなくちゃ」と受け止めてくれる男のほうがまだ安心(でもやっちゃう危険性が皆無ではない;
やっちゃった時に冷静に自分を見つめられる可能性は高い)、
「怖い」と怖がる男は超安全か要注意かの両極端(間違いなく被害体験アリ(-_-;)……
って書いてると、世の中の男はみんな「潜在的DV保菌者」?!とか思われそう。
でもね、読んだ話じゃ「ダンナの3人に2人はDV歴あり」なんだって! うう(;_;)
でも、それってその上の世代から3人に2人がDVを受けてきた、ということにもつながるのよ。
ああ、問題は根深い……)


それにしても。
「加害者」を強調する私って、そもそもきしょいし。
マゾ?
ああ、これは前にも書いた。
中世ヨーロッパのいわゆる「暗黒時代」に、キリストの受難図が、
絵画全体がやたら様式化しているのにそれだけ不気味にリアルだったりするのと、
どこか似ているような気もする。

……うう、グロい。

まとまってないからさー、まだちゃんと書けないんだけどさー、
昨日あったことのせいで(って言っても、それ自体はそんなにヒドいことじゃないし、
だから別に私「被害者」とかじゃないし、
私にも原因はある……っていうか、
人間関係で起きたことにどっちか片方だけが「悪い」なんてこと、ありえないと思う。
でも)、神経が痛んでいる、そんな気がする。

寝たの3時過ぎてたし。

せっかくチョコ買ったのに。
私はそんなつもりじゃなかったのに。
それに、何かおどろおどろしいことが起きたわけでも、ないのに。
(ちょっと私がいやだと感じただけなのに)

ああ、いかん。
こんなことにくよくよしてばっかいると、
どんどん自分が低くなっていく。
無理して背伸びすることはないけど、
わざと自傷みたいに自分のこと悪く言って、
それで更に自己評価を下げるなんて自家中毒みたいなことするの、
ちょっとアホらし。
立ち直ろっと コロッ。

この他の作品
『子供なんか大キライ!』(井上(き)みどり)(1995年7月号)
そーか、そーだったんかー。
「できちゃった」でなしくずしに親になってった、ってことなのね。
でも、この人、スチャラカなことばっかり書いてるようだけど、
なんかすごい説得力がある。リアル。(B型?(^^;)

『誰か彼女を止めてくれ』(小田ゆうあ)(1994年9月号)
なんか、このお話、テレビで見た?
それも、かなりヒットしたドラマ。
……そうです、そうなんです、私、知らないで読んでます。
しかも、ドラマのほうもかなりハマって見ていた(or ビデオ?
ってことは『ショムニ』? でもどっか違う……??)のに、
作品タイトル思い出せない……
求む>知ってる人!

『夫婦が指輪をはずすとき』(粕谷紀子)(1997年No.10)
なんだ、この人ずっと「破局モノ」書いてるのね。
はっはっは。
覚えがあるぞー。リアルだなー。
「夫の側」としても、でも同時に「妻の側」にも覚えがあるのは、なぜ?
(って、当たり前でしょ、私、男の外見しながらメンタリティは「嫁」だったんだから!)

『ロータス・ガーデン』(小塚敦子;登坂恵里香/原作)(2000年No.17)
あ、なるほど。割と新しいからタイムリーなのね。
ときどき「ライバルの構図」が鼻についてしまうことがある。
って、それはこっち(私)の体調、っていうか精神的なコンディションのせいだろうけど。
2000年に「新卒」かあ……
ってことは、1970年代後半の生まれ、ってこと?!
ぐわあっ、その頃私は高校生……
って、年の話はやめよう。(-_-;
ストーリーそのものの構造は目新しくないような気がするけど、
その中で生き生きとした主人公やライバルの姿がイイ。
「女だてら」とかいう言葉と無縁な感じが頼もしい。

もりたじゅん
私がYOUの系列を読み始めた昨年はあんまり書いてなかったけど、
実はずっと書きつづけている人だったのね。
25年以上前のファンとしては、心強い。
(この人、本宮ひろしの奥さんだと思ったけど、今はどうなのか確かめたことない……)

深見じゅん
いいなー。
『ぽっかぽか〜からんころん〜』の初回(1987年4月号←って、これももう「15年前」?!)。
今となっては古っぽいセリフ回しがいいの……。

森本梢子
ってこの人『ごくせん』(2000年No.1・2合併号)の絵柄だけじゃなかったんかー?!
↑……っていうか、私、知らなさすぎ。

あうう。
このままじゃ全部の作品の「書評」みたいなこと、やってしまいそう。
しかも、すぐ上に書いたように、私は1980年代〜90年代の「レディースコミック」を
ほとんど知らないのに!!!!
(それに、まだ全部読み終えてないし;星崎真紀とか)

ついつい、「失われた20年間(=男性化を目指した年月)」が惜しくて仕方なくなりそう。
……
ま、でも、
過去は「変えられないもの」の領域に属するのだから。って、これ、ここ数週間の口癖ね。
しつこく言うと、読んでる人も覚えちゃうでしょ?

いーのいーの、未来は「変えられるもの」なんだから。
これから、やりたいだけやれば、いーじゃない。

とか言ってるうちに、NHK−FMも「音の風景」なんてやってる11時前になっちゃったし。

どっとはらい。

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★2・中森明菜

NHK−FM『ひるの歌謡曲』。
(けっきょくFMつけっぱなしでお昼過ぎちゃった……)

あちこちHPを覗いたりしてるうちに、いつしか中森明菜がかかってる。

私は、この人を「尊敬」している。

「えっ?!」と思う人もいるかもしれない。

まあ、一度だけ間近で見たことある(麻布の「つづきスタジオ」で;私は電話番だったけどさ)、
とかいうのもあるけど、
私は何よりも『難破船』で手が震えているのを見たときから、
この人をほとんど無条件で「尊敬」してしまっているのだ。

ちょっと、ジャニス・ジョプリンあたりと似た生き方。
NHKのアナウンサー……中江陽三さんかな?……は「不器用な生き方」と言っている。

そうね、ちょとそんな感じ。
レコード大賞を2度も獲ったくせに、最近はあんまりメディアとかで見かけないし。
確たる地位を築いたようにも見えないし。

でも、私は、あの人の、楽曲に対する「入れ込み」or「入り込み」に
                  (↑前者が「いれこみ」後者は「はいりこみ」……わかるでしょ?)
芸術に魂を売った人間に特有のものを見出してしまったような気がしたのだ。

それは、もしかしたら、けっきょくそうはできずに人生の半分以上を過ごしてしまった
自分への「アンチ」として見ていることにもなるのかもしれない。

私が見た明菜ちゃんは、「とても変わった子」だった。
でも、私には「変わってる」というより「純粋」に見えた。
見せかけとかじゃなくて、本当に、
私が失ってしまった純粋さを、
持ち続けて生きている、と感じた。

だから。
いいじゃん、勝手に尊敬させてよ!

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★3・「『無断リンク禁止』とか言う奴ら」

「無断リンク禁止」とか言う奴ら
というのを見つけた。

このところ、ちょっとそんなふうに感じていたので、
「あ、やっぱり。ふう〜ん。」
と思ってしまった。

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★4・うざい。

MSNのHP見てたらめちゃくちゃむかついた。

> これにも気をつけなきゃ
> 思いっきりきれいになろうよ
> よく見かけるようになったよね
> オリンピックも始まるし
> 自分ばかりじゃなくたまには


何、これ?!
資本論かなんかでバカにされそうな宣伝文句じゃん。
マルクスあたりにコケにされて、悔しくないのか?>マイクロソフト、あーんどユーザー各位
しかも「英文和訳丸出しがカッコイイじゃーん、
だって日本はアメリカの植民地みたいなもんだからねー、えへへへへ」
みたいな。

アメリカ人はこういうのが平気なんだよね。
ううう……

気持悪い。吐き気がする。

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2002年02月14日(木) 断片集(ヴアレンタインとか?) 改名関連 本番間近

★1・(無題)
★2・断片集(ヴアレンタインとか?)
★3・本番近づく……
★4・改名関連

★1・(無題)

とある掲示板への書き込み:

---------------------------------

ううーん。
自意識過剰。
別に誰も、私のことをそんなに責めたり笑ったりしてないのに。
やーね。
自分のことを気にしすぎるのは、そろそろ飽きてきた。
なのに「つい癖で」そういう気分になってしまう。
で、こんなことを書くと、そのほうがよっぽど恥ずかしくて、
なんだかまるで太宰治の小説の文かなんかみたいに
「ああ、どうしよう、違う違う、そうじゃなくて、ああ、
だめだ、わかってもらえない〜〜〜〜」
と、堂々巡りの自滅……最近、そういうのを「ジサクジエン」とも呼ぶそうな……
になってしまう。

まっ、いいや。
ここまで茶化すのに神経集中したら、すっきりしちゃった。
失礼しました!

---------------------------------

と、こんな状態で、今日は始まる。

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★2・断片集(ヴアレンタインとか?)

AGFの「ドリップパック」が
大きめのマグカップの縁にかかっているのって
なんだかお風呂に入ってるおじさんが
浴槽の縁に肘をかけて
「ふうーー……」
って言ってるところみたい。

薬が終わりに近づいてきた。
1/4T/d(*「T/d」=「錠/日」のこと)ずつ飲む薬、1年続けてきたけど、
それなりに安定している。
でも、昨日は違う薬にしてみた。
こちらは1T/d。(いちばん一般的な薬)
ただ、私にとってのいちばん困った「副作用」、
それは「Melancholic」……「鬱」にはまること。
↑の「ドリップパック」、なんだかその予兆のような気も。

でもさー、ものが比喩的に見える、とかいうことも
「鬱の予兆」とかいって抑え込むのって、
よくないんじゃないの?>自分

……というわけで、ヴァレンタインですねー。
思わず「ヴアレンタインヌッ!」と、べたべたした発音したくなっちゃうくらい。
チョコ? もちろん、あげますよー♪
対象者、数名。

でも、「本命」がいない……
ううーーん。

男のこと。
甘える男が多いなあ。
でも、考えてみたら、私の周りに「甘えたい男」が集まってくるのも、
無理のないことなのだった。

だって私、「体がデカい」のをいいことに、
男をやっていた頃にはエラそうにしてたもん。
(まったくの偏見だけどさ、)女の子で体がデカいと、
エラそうにする子よりもちぢこまってる子のほうが
なんだか多いよね。
それって、なんだか違うよね。
もちろん、「デカい=エラそうにしていい」っていうのも
ぜんぜん間違いだと思うけど。

最近はデカくても堂々としている子が多くて、
良い傾向ぢゃ。

回復しつつあるから?思うこと。
私がかつて感じていた、関係性についての感覚。
そういうものが、なんだか思い出されてくる。

そうすると、なんとなく、
「あれっ? これって、男の感覚?」
とか思ってしまうことがあるけど、

自分の感覚が「男」と思っていたのが
そもそもの勘違いだ、ということがわかっているので
自分の感覚を信じて受け入れることにする。

それにしても、私って、こんなに男っぽい女だったのか。
(こら、そこっ、笑うなっ!!)(^^;

肌がかなり荒れてる。
せっかくのビボウが台無しじゃんかー。
(あ、自分で言うようになった…… 焦り始めたのね(-_-;)

でも、鏡に映った自分の顔が「好き」と思えること。
こんなこと、今までにあっただろうか。
……
あ、あった(^^;
中学生の頃。
私、対外的には
「中2で身長170cm超えてしまって女に戻るの諦めた」
って言ってるけど、
なんだか本当は、あの頃はまだ「女に戻れる」って
思ってたみたい。

14歳(中3)の私は、確かにまだきれいな体をしていたように思う……

思ったとおりに書くと、
なんだか矛盾が。(っていうか、カユいぞ、言ってること)
14歳の私は、自分の体を「女の子」だと思っていたのか、
それとも「男の子」だと思っていたのか。

オコタエシマス。

そのどちらとも、思ってはいませんでした。
ただ漠然と、「男性化しつつある」と感じ、
それを不安に思い、
「元に戻りたい」という気持ちを
なんとかして「今、ここ」という現実と結びつけようとして
「この体のままでいいから、男性化しているところだけがなくなれば」
などと思っていたのでした。

混乱していました。
けれど、精一杯だったのです。

この後、更に私は中学生くらいからもう「セックスフォビア(?)」みたいに
なっていた、って書こうかな、と思ったけれど、
なんだか疲れてしまったので、今はここまで。
(後で書くかも)

でもさー、「セックスフォビア」って、
どちらかといえば「成人向け」の言い方なんじゃない?
謎は深まる。
つづく(かも)……

ざっと推敲しながら追記:
自分で読んでて、カユい…… なんでこんなに恥ずかしいこと、
平気で書くようになっちゃったんだろ……??
しかも、何がカユいかって、文体がまるで
「1970年代の少女漫画」(っていうか、あの頃の原案帳の文体もそうなんだけど)
なのよね……
一種の「退行現象」か?
ま、まあ、つきあえる人はつきあってあげてください。
恥ずかしいメにあわせてしまって、すみませんm(__)m

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★3・本番近づく……

From: "章香(あやか)"
Date: 2002/02/14 木 午後 09:13:43 GMT+09:00
To: jackie-matthews@syd.odn.ne.jp
Subject: 原案帳


今、劇団の音・照明合わせ。
す・すごい!
うまい!
私、こんなすごい人たちと一緒に舞台に乗っても、いいのかしら?!

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★4・改名関連

今日、午前中に「静岡県弁護士会」というところに行った。
私の改名申請について、不利な条件のこと、
あと実際にどんなことがらを書いたら「有利」か、ということを聞くために。

やっぱり、弁護士さん曰く
「結婚歴があるのは不利なのでは」
とのこと。……?!
ただ、
「審判とか出てないので、ほとんどそのまま通ってしまっているのでしょう」
とも。
そ、そういうもんなんかー?!
あと、有益だな、と思ったのは、
「なぜ改名したいか、という『希望』だけでは弱いのでは。
なぜなら、『だったら通称名でもいいだろう』と言われるから。
改名しないとこういう不利益がある、ということを伝えるべき」
と。
なんだか書いてみるとあたりまえのことだけど、
自分で考え込んでしまうのでなく、第三者と対話する中で考えると
「じゃあ、実際にどんなことがあるのかな?」
というようなことについて、更にいろいろ考えることができるのだった。

それにしても、今日お会いした弁護士さんにも経験がないようで、
私「たち」はやっぱり希少なのだ、ということを改めて思い知らされた。
なんでこんなこと、わざわざ書くのかというと、
たとえば私は私としてこの世に生きていて、
自分のことを(一方では「こんなやつ、この世に一人きり」とか思っているくせに)
「そんなに珍しくはないのだ」
と思いたがっているらしく、
たとえば弁護士さんだったら誰でも、
私のような事例をいくつか知っているだろう(そのくらい判例集とかで勉強しているだろう)
とか、思ってしまっていたのだった。

ゲンジツは、そんなに甘くない。

夢は大きく、現実は厳しく!!” ……(^^;

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……このところ、「昼間の生活」が充実しすぎていて、
「夜のお相手」とか、ぜんぜん考えられなくなっている。

っていうか……

今は「カラダのカンケイ」、いや。誰とも。

仕方ないや、体目当ての男とは、別れよう。全員。←って、どういう意味??????

2002年02月13日(水) 涙


★1・涙……別のページへとびます(でも決してヘンな内容ではありませんよ)

2002年02月12日(火) いのちの質

★今日の予定は:
★1・いのちの質
★2・「いのちの質」への補足
★3・がんばりすぎたり、弱ったり

今日の予定は:
・法律相談(午前中)
・バイト(13:00-17:00)
・劇団(今日は必須じゃない…作業中心かな)

あ。
なんだ、これだけで終わりじゃん!
やり残し:
・日本語勉強
・製本化した「作品集」友人達に送る
・友人から借りたネームを読む

体力不足。
ぐすん(;_;)



★1・いのちの質

劇団に行く前に、と思っていつもの薬を飲んだら、
眠くなって眠ってしまった。

「QOL」という言葉がある。
英語で「Quality Of Life」という言い方の略語。
本来は「生活の質」というような訳語が適切な言葉だ。
GID(性同一性障害)治療も含め、医療において疾患の苦痛を緩和軽減し、
日常生活を安楽に営めることを目指す
、という意味合いをもち、
時にはその疾患に対する治療方針となることもあるようだ。

実は、母が亡くなった原因である「癌」に関わって、
「QOL」ということの深みに触れた思いがしたのだった。

というのは。
母の治療方針が、ほかならぬ「QOLの向上・維持」だったのだ。
そうして、それは、高齢の母にとってその癌が、
手術や放射線照射などの方法で完治させることのできないための
「次善策」だった、という意味でもあった。

最初、「医者の逃げ口上」という感じがしないでもなかった。
ただ、母にとって、現実には
「QOLの向上=苦痛が少ないことにより、体力の減退を防ぐ=最高の延命策」
ということになり、この治療方針は実は決して「次善策」なんかじゃなく、
「最善策」なのだ、ということが、徐々に理解できた。

それと。
私自身、ホルモン療法を受けてきたけれど、
それもある面で「QOLの向上・維持」を目的としている、と言えないことはない。
その理由については、私にとって「主治医」と呼んでもかまわないと思っている、
GID治療に関しては経験の豊富なお医者さんがおっしゃっていたことだけど、
私なりの思いも少し交えて書こう。

GID治療において、まあ確かに患者のなかのある人たち(含・私(^^;)は
最初から目標を「SRS(性別再判定手術)!」と決めちゃっている人もいるわけだけど、
もしかしたらそれは「思い込み・勘違い」かもしれない。

そうして、GID、というよりも広い意味で「性別違和」の最も主な症状は、
たとえば「MtF(男性→女性を訴える人)」においては
「男性的性欲または陰茎の勃起」
に対するものであることが圧倒的に多い(らしい)。

とすると、とりあえずその「男性的性欲または陰茎の勃起」を抑える対症療法を施すことによって
「性別違和」の原因が除去または緩和され、
そのことからくる苦痛があまり感じられなくなれば、
もしかしたらとりあえずそれで患者としては満足できて、
「手術まではしなくてもいいや(お金もかかるし怖いし、さすがに体にメスを入れるのは)」
と思うようになるかもしれない。

つまり、
「QOLの向上・維持によって症状が緩和され、事実上『完治』とは言えないまでも
それに限りなく近い状態になった」

ということになる。

なんか、まだるっこしい言い方ですみません。
ものすごーく簡単に言うと、
「ホルモン投与で、あの嫌な男性的性欲とか勃起とかなくなりました。
今はもう、『男の体のままで生き続けるのはもうイヤだ、死のう!』とか、思わなくなりました。
とりあえずそれで気が済んだので、手術とかはしなくていいです。
治療してくれてありがとうございます。感謝しています」
ということだ。

ただ、私はそれでは「気が済まなかった」(-_-;。
(このことについて、私はオンラインで「言わずに過ごそうとしていること」があるけれど、
それはいずれ……っていうか、多くの人に対して「ばればれ」だろうけれど、今はまだ。
ごめんなさい、私、弱いの)


一方では自分のGID治療において、そうして、もう一方で母の癌治療において、
私は「QOL」ということについて、体験し、考えさせられた。

母は死んで、私はまだ生きている。
もちろんそのことは別にどっちが勝ったとか負けたとかいうことではない。
死はとても怖いことで、できるだけ先延ばしにしたいとは思うけれど、
それ自体は決して悪いことではないし、
私も含めて今生きている人は必ずいつか死ぬので、
できるだけ穏やかにそれを迎えられれば、と思う。率直に。

私はGID治療を受けつづけてよかったと思っている。
なぜなら、
ちょっと大げさかもしれないけれど、
治療を受けなかったら、私は死んでしまっていたかもしれないから。

うーん、やっぱり、大げさ。
軽々しく「死」を振り回すのは、みっともない。
だって、「死んでしまっていたかもしれない」というのは、一言で言えば「自殺」のことだし、
私は世界中から嫌がられても、とりあえず自分から死ぬのだけは
最後に私の存在を許してくださっている方に対してあまりにも恐れ多いので
それだけはしないことにしているから。
少なくとも、今のところ。

その「方」って神さまのことだけど、きっと
「神さまを持ち出してそういうことを言うのは甘えてる」
とか思う人、けっこういるんだろうな。

うん。
私、甘えてるよ。
人間どうしだったらそこまで許されなくても、神さまだけは甘えていいんだもん。
全知全能だから。
その神さまが「おまえ、生きてていいよ」って甘やかしてくれてるのに、
それを反故にするなんて、悪くて悪くて。
ちゃんと甘えなくちゃ。

あっ、しまった。
話が逸れた。
どこから逸れたかと言うと、「GID治療を受ける」ということから。

私はGID治療を受けている。
確かに、精神的に「もう生きていくのはイヤだ」と思いつめてしまうことは免れて、
それからも生き続けることができるようになった。

ただ……

体力がとても衰えて、どうやら私の命は以前よりとても弱くなってしまったんだなあ、
と感じる。

今まで書いてきたこと……母の死も含めて……
そういうこと全般に思いをめぐらすと、
「QOL」という言葉が「生活の質(苦痛なく生きていけること)」ということだけじゃなくて、
「いのちの質」とでも呼ぶべき側面を持っているのではないか、
そんなふうにも思うのだった。

私のいのちの質が低下している。
そんなふうに感じてしまうのだ。

余計なことかもしれないけれど、
GIDを自覚して、それでも生きていこうと思う人がいたら、
できるだけ早い年齢のうちに、できるだけの治療は受けてほしいと思う。
今は昔と違って、きちんとお医者さんの指示に従いながらホルモン療法や手術療法を受ければ
心身ともに健やかに、きっと長く生きることができるのだろうと思う。

残念なことに、私はあまり日本国内で「性転換したお年寄り」を見たことがない。
(テレビで一人だけ見たことがある)
けれどそれは、医療によってGIDの当事者をきっちり救済する方策があまりなかったからなのではないか。
(そういえば、そのテレビで見た人というのも、アメリカで手術を済ませたのだった)

私自身が「もっと早く治療を受けたかった」という思いを強くするのと同時に、
そんなことも考えてしまう。
多くのGID当事者の「いのちの質」を高めるために。

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★2・「いのちの質」への補足

はっきり言って、「いのちの質」は医療を受けることを否認する人に対して
半ば反論のように書いた、という面もある。
ていうか、その人に対して怒っていて、むきになって書いた、ということではないけど。

その人は
「ホルモン打ちすぎて頭が飛んでる」
という言い方を引いていた。

順番が間違っている。
性別違和で頭が飛んでるから、
ホルモン打ったり手術受けたりしなければ生きていけないんじゃないの。

その人は
「不幸を売り物にしたくない」
と書いていた。

でも、惨めなのは百も千も承知で言うけれど、
「私ってこんなに不幸なのよ〜〜〜!! わかってえ〜〜〜〜〜〜っ!!」
と大騒ぎをする人には、そんなことをしなくてはならないほどの何かがある、
ということに対して、
私は鈍感でいたくない。
ていうか、私自身、そう見えるかも。
あんまりそういうことをしている自覚はないけど。

しゃあしゃあと書いちゃう。

私自身、まるで「脳が男」であるかのように、
男そのものみたいな生き方・考え方・感じ方をしていたことがあります。

でも、それ、懲りたんです。

きっと、本当は「男だから」ではないでしょう。
けれど、私の周りにも、ときどき
「理論的に正しい」
という言葉を振り回す人がいて、ほとんどは男です。

「正しいか誤っているか(→私は正しいんだ!!)」でものを言いたがる人は、
自分の感じたことを人に受け入れてもらうためには
「正しい」と証明されなくてはならない
と思ってしまっているのではないでしょうか。

でも、それって、自己評価が低いせいだと思う。

自己評価が低いまま、追い詰められてしまうと、
それでも感情的に爆発できないほど重症の人は
「私の言っていることは間違っているか?(正しいだろう?!)」
と居直ります。
まるで、その言葉によって、
自分の症状を最後の最後まで否認できるとでも言うように。

男だけではなく、女でもそうなってしまう人はいます。

でも、私は懲りました。

そんなことより、人の言葉に耳を傾け(ちゃんと読み)、
理解し、共感すること。
そのほうが、よっぽど大切だ、と思います。

もちろん、ものごとによっては
「正しいか、間違っているか?」
が、とても重大であることもあります。

でも、それはほとんどの場合、
「今、ここで、私にとって」
であるような気がしてなりません。

少なくとも、私は「他人事」なのに「それは正しい」とか「間違っている」とか
言う気にはなれません。

(ちょっと待て;推敲していて気が付いた。
何行か上に「順番が間違っている」と、私自身が書いてるじゃないの。
でも、それ、確かに「今、ここで、私にとって」にほかならない(-_-;
……っていうことは、これでいいのね?)


また、一般的に、私自身について起きたことでも、
過去のことについて「正しかった、間違っていた」を「判定」するのもやめました。

だって、今思い返せば「ああしなければよかった」と思うことでも、
「そのとき、そこで、その私にとって」
そうするほか、思いつかなかったのだから仕方ないと思うし、
何をどんなに言い立てても、
事実は事実、です。

(愚痴:「私は間違ったことをしてきてはいない」という人がときたまいます。
けっこうびっくり、トンデモなことを言う人だと思います。
ああそうか、そんなにびっくりしたからこんなふうに書きだしてしまったけど、
今は穏やかに眺めましょう。そんなに追い詰められている(いた)んだ、って)


これらの言葉を、この記事の冒頭で批判的に扱っていた人にではなく、
まず自分に言い聞かせたいと思います。

ていうか、自分に言い聞かせるように書いているのに、気がついた。

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★3・がんばりすぎたり、弱ったり

……と、ぐちぐち書いたのは、
今日けっきょく劇団のほうに行けなくて、しかも炬燵で寝てしまったからなのでした。
弟には「あなたが寝る前に起こして」と一言言い残したのに、
起こしてくれなかったようだ。
(ていうか、覚えのない座布団が脇に置いてあったので、それは弟がそうしてくれたのね……
本当は感謝するところなんだろうけれど、今は悔しさのほうが先に立ってしまっている(;_;))


それにしても……
ちょっと、病的。
私がもっと若かった頃……そうね、いつ頃からなんだろう……からなのだけれど、
……ていうか小学生の頃からだった!!……
私は、ときどき不意に
「コテン」
と寝てしまい、しばらく起きなくなってしまうのだ。

有無を言わさず、突然「コテン」となるので、
人に迷惑をかけることもあるし、自分でも困る。

でも、たいていは「だらしない」と思われるので、
それは悲しいと思う。

決して「気が緩んでいる」とか、そういう軍隊みたいなことじゃない(「軍隊」っていうのは皮肉)。
目の前がぐるぐる回ってしまうほど、耐えられない眠気なのだ。

でも、理解されたことはない。
だとすると、もしかしたら、私のこういうのって、
あまりそういう人が多くいないようなこと?

……
いいや、今はあまり考えないことにしよう。

どうしてもこの状態に耐えられなくなったら、
神経とかを扱うお医者さんに、診てもらおう。

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2002年02月11日(月) (昨日の補足) 「過去」に関するある意見

★1・(昨日の補足)
★2・「過去」に関するある意見



★1・(昨日の補足)

1.『アメリ
あんなに私が惹かれてしまったのは、
もしかしたら、アメリを通じて
私があんまりそのとおりには過ごせなかった「少女としての思春期」を
追体験しているからかもしれない。

でも、それでも、確かに私にとって
「少女漫画みたい」なのは変わらないのだった。
それに、そういうことが、私の身体感覚とか、小さな頃の感性とか、
そういうものと一致するのもまた、真実だと思う。

いつ頃から変わってしまったんだろう……?
世界が灰色になってしまい、
わざと作りつけたような「意味」がないと
生きているような気がしないようになってしまったのは。

私にとって、『アメリ』は、
それ以前の自分と世界を結びつけるなにか……
名づける、意味づける、そういうこともしたくないようななにか……
であるような気がしてならない。

なんか、大泣きすることがないのに、どこかとっても深いところに染み込むような、
そんなお話だったのだ。
で、まだ余韻に浸っていて、こんなことを書いている。

2.『花組芝居
昨夜、実は……(っていうか、自分で自分にした約束を守らない奴だなー、私(-_-;)
「寝る」って書いた後、ほんの少しだけ、NHK教育を見てしまったのだった。
日曜の夜といえば、例によって『芸術劇場』。
で、友人から聞いていた『花組芝居』の、
終わりのほうだけ見た。

といっても、「これだけはどうしても」っていうメールを2、3通書きながらだけど。
だから、正直言って、あんまりまともには見ていない。
断片的な印象。

声がきれい。
私は「男にならなくちゃ」と思って低い声を出そうとしてうまくいかず、
高い声も出せるままでいたくてビートルズとか太田裕美とか真似していたら
のどをつぶしてしまった、ということがあって、
裏声がすぐに出なくなる。
たぶん元からあんまりのどが丈夫じゃないらしい。
(あと、すごく話がそれるけれど、
私はよく「のど仏、ないねー」と褒められるけれど、
それってもしかしたら「甲状腺が肥大しているせい」なのかもしれない。
これはまだ、お医者さんに診てもらっていない……って、あれ?
甲状腺に起因する内科系の症状は、出たことないかも?)

女形の役者さんたちの「女声」が、とてもきれいなのが印象的だった。
(ただ、もちろん首筋のところを見れば、とても絞った発声をしているのはわかるので、
あれでのどをつぶしもせずに舞台が続けられる、ということは、
かなりしっかりした練習を継続しているのだろうな……)
お話が「幅広い」。
良い意味で、じょうずに「和洋折衷」しているように見えた。
これは、ちらちら見た限りなので、確かなことは言えないけど。

若い友人が『花組芝居』に研修で入ることになったという。
この劇団のHP(→「電脳版花組通信」)をちょっと覗いて見たら、劇団を始めた人たちは、
どちらかといえば私に近い世代だった。
でも、たぶん十数年前にこの劇団の母体が形成された頃は、
私はなんだか「和モノフォビア(? なんじゃそれ)」みたいな気分があって、
その頃に関わりがあったとしてもそこに入り込んでは行かなかったのだろうな……

「遅すぎる再出発」という言葉と
「今からでも遅くはない」という言葉が
私の中でせめぎあっている。

しかも、いずれにしても、私は過去を「なかったこと」にする気はない。

ときどき、こう言って励ましてくれる人がいる。
「過ぎたことにくよくよしないで、前を向いてがんばりなよ」
一見かっこいい言葉だけど、私は今では、この言葉に「だまされたくない」と思う。

前を向きなおすのに、過去のことを忘れたことにしてしまうのは
あまりにも不健康だと思うから。

……で。
えーーーっと。
なんでこんなこと、書くのかな?>自分
……あ、そうか。
わかった。
「もっと早く役者になりたかったーーー!!」
それが言いたいだけなのよね。
くよくよくどくど、理屈をつけたがるのは
「オヤヂ系」の癖だと思う。
なんだか、みっともないな。

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★2・「過去」に関するある意見

弟が借りたCDからMDに落としたのを聞いていたら、気が付いた。

『おやすみなさい』(aiko・詞/曲)より
以下引用-----------------------

絶対忘れたりしないよ あなたのこと
めいいっぱいの楽しさ

過去を愛しく思えるように
心こめて 最高のおやすみ

じゃあね、おやすみ・・・


以上引用-----------------------
(聴き取り歌詞を書き出したページが見つかったので、
そこからもらいました(^^; 表記とか、不正確かもしれません。でも)


なんだ、私と同意見じゃん。
願わくば、この気持が(今すぐ直接になんてゼッタイ言わないから)
いつか、届きますように。

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2002年02月10日(日) 今日は昨日の次の日……

★2・23:57 02/02/10

@ケータイ
(追記:これは朝9時頃に目覚めてすぐ書いた記事です)
くやしい。
なんでこうなっちゃうの……?

「もう寝る」と書いた1:25から、二つも「仕事」してしまった。
(一つはメンヘル系、もう一つは創作系;
世間ではそういうの、「シュミ」って呼ぶ人が多いらしいけど(^^;)

そりゃ、昨日の昼間とか一昨日とかにそれを始めてはいたけど、
まるで「私に残された時間はあと僅かなの……!!」みたいに
あれもこれも一日でやってしまおうなんて、縁起でもない。
おっと字数だ



★2・23:57 02/02/10

それでも今日は最後まで練習、というか作業につきあえた。
照明のお手伝いとかもできて、かなり充実した。

製本、できてきた。

そうそう、映画『アメリ』、観た!!
なんだかちょっと、少女漫画を見ているみたいだった。
とっても心が元気になる映画だった!

紹介してくれたせきこ、さんきゅ

リハ、やっぱり17日からになって、JUSTも行ける。
回り合わせが良くなって、よかった。

帰ったら、弟が声をかけてくれた。

0:02 02/02/11。
今日は本当に、もう何もやらずに寝ます。
自分に「睡眠障害」なんてレッテルまで貼るの、
さすがにいやだ。
……あ、寝がけに新井素子『チグリスとユーフラテス』、
ちょっと読みながらになるかも。 おやすみなさい。

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2002年02月09日(土) あああー。眠い

お昼過ぎからお芝居の作業をやりに、「伽藍博物堂」へ行った。

伽藍博物堂
(↑昨夜ためしに地図をスキャンしてみたんだけど、
文字がまるでつぶれてしまって、これじゃダメね(^^;)
音響のことをちょっと、それから道具のうちの一つに新聞紙を貼り付ける作業。
なんだか、久しぶりで公演前の劇団にいる、って感じになって、
わくわくしながら作業した。

ただ……
私、今朝、「朝から起きていた」のよね。
眠りの浅い私にとって、なんだか午前中から起きている、ってけっこうつらいかも。
(それに、かれこれ8年ぐらい昼夜が逆転した生活を送ってきているので、
いきなり「朝型」「昼型」の人間にはなれないわよー(-_-;)

夕方、いったん帰宅して他の用事を済ませ、
それからまた戻って劇団内の別ユニットがやるお芝居の稽古を
ギャラリーで見させてもらっているうちに、
疲れきってうとうとし始めてしまった。

こ、これはやばい。

一生懸命練習している人たちの前で舟をこぐなんて。

うああ、塾の講師してた頃の「研修」を思い出すよおぉぉぉぉ(;_;)
自分が教壇に立っているとき、目の前で居眠りされると、
「そんなに私の授業/トーク/etc...はつまらないのかーー!!??」
と、かなり傷ついたこともあったのだった。
(ちょこっとトラウマ体験?)
だから、自分がそれをしてしまったら、相手がどれほど傷つくかも、
ちょっとわかるような気がする。

うう、なんか申し訳ないことをしてしまった。
お芝居そのものは、ものすごく面白い出来になりそうで、
それが楽しみで見学させてもらってるのにーーーー。
ごめんなさい!>せきこ・りくこ・よしみ & 佐藤座長 m(__)m

今日も、もう寝ます。
今、AM1:20。
めんどくさいから、他のことはもうやんない。

おやすみなさーい。

2002年02月08日(金) 直った、けど…… 「Offline原案帳」 今日の予定

★1・直ったけど……
★2・(無題)
★3・「Offline原案帳」
★4・今日の予定



★1・直ったけど……

直ったけど、ダメ。
私、夜起きて朝までネットでうろうろしてたもん。
(今、6:23だって;ばいおくんの時計)

なんでこんなことになるの?

「DV」のことが、頭から離れない。
私は、「自分は被害者だった」と言い張るよりも
「そーだそーだ、確かにオマエが悪い」と言ってくれそうな
「私は加害者だった」という言い方を好むようだ。
でも、それは異常だ。おかしい。
何が私をそんなに責めるんだろう。


仕事がしたい。
人の役に立ちたい。
その上で、お金もほしい。
(人の役にも立たずにお金だけもらうのは、
やっぱりいや。
そういう人は、けっこういっぱいいると
思うけど)

私は今、何を書くべきなのだろうか。

あ。

もうこんな時間だし、ご飯炊かなくちゃ。

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★2・(無題)

↑それから、1時間半。
またあちこちに行って、自分がいかに何もできていないかを痛感してしまった。
改名する友人が数名。
私は、どういう理由か自分でもわからないまま、
改名の手続きに入ることさえできずにいる。

共依存相手の書き込みを見てしまった。
私が自分のことをはっきりとこの件に関して「被害者」といえることを、
再確認した。
ただ……「被害者」「加害者」って、犯罪じゃないし、たとえば賠償請求できるとか
そういうわけでもないんだけど。

動物は決して裏切らない……人は裏切るものだ……
自分だけを正当化しなければならないことに、自分の弱さを感じる。
でも、相手が私のことを「裏切った」と思うのと、
私が相手の存在によって自分の生活の基盤を
ほとんど壊滅状態にされてしまったと感じるのと、
「どちらもどちら」とだけ言うしかないのだろうか。

「裏切る」って、相手が私をおもちゃみたいに振り回すのに
私が一生付き合う、それを止めるっていうことが?
なぜ、こういう思いが届かないのだろう。
たぶん相手は「ぜんぜんそんなつもりじゃないのに」という弁解を繰り返すだろう。
でも、それなら、どうしてもそのように思ってしまう私の気持ちは何?
「譫妄傾向が強い人だから」?

そのことに配慮のできる距離の取り方は、できなかったのだろうか。
「毎週会うことになっているじゃないですか」
そのことが、人の命に関わる、そうまで言われて、
まるでそのことを脅しのネタにするように言われて、
私は本当に身動きできなかった。

私は私なりに、そのように思い込む自分が間違っている、と
ずっと考え続けてきた。
でも、「拒否したら、後が恐ろしい」という思い込みは、
かれこれ半年にわたって植え付けられつづけて、
それを相手自身の言動によって解消することは
もう不可能だったのだ。

この怒りの衝動は、いったい何?
くだらない記事で、日記を汚してしまった。
けれど、私がそう感じながらも書かずにいられないこと、
それはもしかしたら最も重要な「病理」、
それも関係性の病理を解き明かすカギになるかもしれない。

だから、とても辛いし、とても醜い内容だと思うけれど、
これはそのまま残しておくことにする。

最近、こういうのが増えたような気がするけど、
それだけ核心に迫っているのかもしれない。
……回復へ? それとも、破滅へ?
前者であることを、信じたい。


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★3・「Offline原案帳」

それにしても、私はしぶとい。
(どうやら私がアクセスできなくなった「原因(?)」を作った「下手人」は
またしても「MSN」らしいんだけど……っていうか「MSN」のせいにするの、
いいかげんでやめたら? という気もするけど……
私が「扱い方」を知らないだけなのかもしれないんだから)

オンラインがぶっ壊れていた間も、けっきょく適当な書式を作り出して、
「Offline原案帳#21(仮)」として運用していたのだ。
……っていうか、そのまま運用しつづけても良かったんだけど……
うちのPC、すぐにぶっ壊れるし、私がくだらないことをそれでも懲りずに書きつづけるのは、
確かに何か「発信したいことがある」からだし、
なので、オンラインサーバーを、できる限り使っていきたいと思う。
それは変わらない。

でもまあ、何でもかんでもオンラインにしてしまうのは危険の多いこと、ということにも気付いたので、
すっかりぶちまけてしまうのはやめにして、
自分に都合の良いことだけを表すようにしよう。

というわけで、「全部じゃない」んですけれど、オフラインの記事の一部を、
それぞれの日付のところにUPしました。

20020205★3・世界へ。
20020206★1・『ルート225』(藤野千夜)感想

特に『ルート225』の感想は、(私の文章は下手だけど)ぜひ読んでほしい。
っていうか、『ルート225』自体を読んでほしい。
いろんな意味で、とてもよい作品だと思う!

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★4・今日の予定

これから、お湯を浴びて、洗濯して、コンビニバイト。
その後、急いで帰宅して、(夕飯は弟が作ってくれるって?! わお♪)
お芝居の稽古に、復帰します。

なんで突然こんなに「元気」になってしまったのか。

弟とお話できたからです。

今、10:41。
さっ、動こう。
オンラインは、だから、たぶん今日はもう終わりです。

(掲示板にいろいろカキコしてくれた皆さん、一通り読んだのだけれど、
お返事するのはもう少し落ち着いてからにさせてくださいね(^^; ごめんなさいm(__)m)

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2002年02月07日(木) 生きています(でもヒッキー)

オンラインから外されて、3日め。
まるで仕事を外されて「リストラ見え見え」の、(元)バリバリサラリーマン(自称)みたい。
そういう人が、実は仕事にしがみついているだけで、中身が空っぽなのと同じように、
私も今、空虚感にさいなまれながら、ほぼ完全なヒッキーしてます。
生きてはいるけど、社会とつながっていない……

2002年02月06日(水) 『ルート225』(藤野千夜)感想

★1・『ルート225』(藤野千夜)感想



★1・『ルート225』(藤野千夜)感想

そういうことになるのかなー、と思っていたら、確かにそのとおりになった。
というよりも、私自身、そういうつもりだったらしい。

『ルート225』(藤野千夜・著/理論社・2002年) を読んだ。
本当は、もっと早く読むつもりだったけれど、ようやくチャンスがやってきた。
何がチャンスかというと、
オンラインで人の掲示板とかにごちゃごちゃおかしなことを書いたりする時間が
事実上、作れなくなった、というのが「チャンス」なのだ。

正直なところ、オンラインでも、人と話せないのはとても淋しい。
それに突き動かされるように、手作りで本を製本してみたり(といってもちゃちなものだけど)、
ばりゅちゃんでソリティアやってみたり。
でも、けっきょくそういうことってパソコンに「依存」しすぎているような気がして、
心の片隅でどれかの自分が前からつぶやいていた言葉、
「オンラインをちょっと離れて、藤野さんの小説とか読んでみたらどう?」
という言葉に従うことにしたのだった。

……と書いてみて、ちょっと「うへー」と思う。
私はいろんなものごとにすごく「影響されやすい」タイプだけど、
なんだか文体がすっかり藤野さんに似てしまったような。

いやいや、違う。
私にとって、藤野さんの文体は、とても自然だ。
もっとも、今どきの若い子が使う言葉については、私あんなに知らないけど。
でも、前に言ったことを自分で受けてそれに「注釈」入れてみたり「補足」したり、
あるいは前の言葉を自分で翻(ひるがえ)してみたり。

あと、ものの見方とか、興味の対象とか、
なんだか「覚えがある」という感じがして仕方ない。

似たような「属性」を持っているから?
「T's」であるということ(といっても、こちらはあちらのことをよく知らないし、
あちらはこちらのことをよく知らないので、「似たような」なんて決め付けてしまうと
お互いに気分悪いかも)、
「うお座B型」であるということ、
年齢も「1コ違い」であるらしい(つまり「同世代」)ということ。

まあ、これだけそろえば、さすがに……という気もするし、
逆にそうやって「属性」だけで決め付けるのはウザイとも思うし。

ていうか、こんなに共感させられてしまうのは、
むしろ「作家・藤野千夜の実力」であって、
それに引き寄せられる私が最初からそう、とかいうことではないのに
そこまで思わされてしまうのね、きっと。

……と、前置きばっかり長くなってしまったけど。
ストーリーを後のほうまで書いてしまうと、読んでいない人に申し訳ないから、
本の帯に書いてある程度のことだけをちらっと紹介すると。

中2の姉エリ子と中1の弟ダイゴは、なんだかよくわからないきっかけで
「パラレルワールド」らしき世界に迷い込んでしまう。
微妙にもといた世界とズレながらも日常はそんなに変わらず、でも「誰かのいない」世界……

ううーん、これじゃなんのことかわからない、っていうか。
これ以上書いてしまうと、読んだときの新鮮さが。
なので、お話はとりあえず、とてもありそうでなさそうな内容、
ていうより「なさそうでありそうな内容」、っていうべきかな。

例によって藤野さんの淡々とした文体が、心地よいです。
(でもどっかの都知事やってる人には「何が言いたいのかわからない」とかだそうで。
まあ、わかりそうにない人だと思うし、あの人にわかってもらっても気持ち悪いので、
別にいいんだけど)

終わりごろ、泣いた。っていうか、泣けちゃった。

あと、あちこちで笑えた。
なぜか、そういうところで「さすが芥川賞受賞後第1作!」とか
ミョーに納得してしまったりして。

それから、日本語がリアルなのが、とてもよかった。←これはあえて「太字」にすべき、と思う。
たぶん、お年寄りは「乱れた日本語を無反省に使っている」とか言う人もいるのだろうけれど、
言語学的に見て(といっても、私はまだまだ勉強始めたばっかりなんだけど)
たぶん今の10代くらいの子たちの間でほぼ定着している使い方の日本語を、
きっちり押さえて使っている。
文法的にも乱れはないし、モダリティの使い方とか(だけじゃないけど)、さすが。
こういうホメ方すると藤野さんには迷惑かな?

でも、あえて言いたい。
だって、きっと、世代的には私と同じなんだから「10代の子たちの日本語」なんて
自然に使いこなすことはできないだろうに、
ただ「使う」ということだけじゃなくて、気持ちや情景や筋立てを、
そういう日本語で構成しているのだ。

ううーん。
やっぱり、ヘンなホメ方?

でも、私は、その文体に、とてもリアルな息遣いのある、生きた人のみずみずしい心を見た、と思った。

「心」なんて言葉が出てきてしまったのはなんとも「陳腐」だけれど、仕方ないや。

私は、まだまだ藤野さんにはかなわない。

他にも、言いたいことはいっぱいある。
でも、作品の放つ微妙な雰囲気を、言葉にあてはめて壊してしまいたくないので、
このくらいにしようと思う。

そうそう、あと一つだけ。
ある人が「児童文学」と言っていた。
「理論社」という版元が、どちらかというと思いっきり「児童文学系」だということらしい。
私には、「小学生にはちょっと無理かな?」という感じに思えた。
でも、中学生くらいだったら、とても共感できる内容なのではないか。
主人公と同じくらいの世代。
ただしもちろん、決して「子ども向き」で「大人にはちょっと」という感じではない。
っていうか、私が自分に置き換えても、充分に共感できるし、
いろんな面から見て、大人にとっても読み応えの高い作品だと思う。
(それは上に述べてきたとおり、ってくどいな>自分)
その意味では、私に「児童文学(?)」ということをサジェストしてくれた人が言っていたように
「芥川賞作家の児童文学への参入」というのは、確かに過言ではない、と思った。
それもすごい、と思う。

というわけで。
興味のある方、ぜひぜひ読んでみてもらいたい。
私は3時間くらいで(予想どおり)「一気に」読んでしまったけど、
この1500円(税別)は、決して高くはなかったと思う。
っていうか、値段のことを忘れてしまうくらい(だから上には書き忘れて、最後に書いているの!)。

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2002年02月05日(火) (Offline原案帳#21=仮=より)

オンラインできない間も、けっきょく書いてた日記。
でも、↓見て分かるとおり、かなり思いつめてしまいました。

★3・世界へ。

★3・世界へ。

世界へ。
何もしてあげられないまま、
ただ迷惑だけかけていなくなってしまう私を
どうか許してください。

迷惑のかけついでに、私が死んだら、
「追悼コンサート」を開いてください。
できるだけ、私の知り合いのミュージシャンには
たくさん出てもらって
できるだけたくさんの人を呼んで
できるだけ大掛かりに
お金もかけて
何人かの人が困り果ててしまうような
そんなコンサートにしてください。

どうせ迷惑をかかけただけで終わってしまうのなら
みんなの心を少しだけ揺さぶって
それから忘れられたいです。

今、まだ生きている私が
死ぬことについて思いを寄せると
怖くて怖くて
たまりません。
だって、きっと
死んでしまうということは
私の意識なんてはじめから
なかったかのように
「無」になり
はじめのうちは
少し悲しんでくれる人も
いるかもしれないけれど
そのうち誰も
私のことなんか知らない時が来て
わたしなんか
最初からいなかったかのように
静かになってしまうのです。

今はまだ、死にたくありません。
でも、私が誰にとっても何にとっても迷惑で
生きていてもあまり
人の役には立っていないのだ と
そういう気持ちが
私の心からどうしても離れなくて
苦しくて、苦しくて
仕方ないのです。

だから、せめて、世界へ。
私が死んだら、人騒がせで大げさな
コンサートを開いてくださいね。

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2002年02月04日(月) 決して忘れてはいけないこと。

@インターネットカフェ

もしかしたら
私があんまり危険なことを書いているので
「制裁を下した」のかもしれない
誰か でも 神さまじゃない 人が

"I LOVE YOU"

作:会津里花
 

「愛してる」っていうことさえ
「危険なもの」とされるような事件が
あちこちで報じられた
(↑このタイトルは
ウィルスメールのタイトルだったこともある)

でも 騙されちゃいけない
「愛」はとても幅の広い感情で
安全なものにもなるし
危険なものにもなる

危険なほうが多く報じられたのは
ニュースというやつが
危険なもののほうを
より好むから

決して危険な愛が
昔より増えたから
なんてことじゃ ない


("I LOVE YOU"/会津里花)

自分自身で書いているくせに、こんなに大切なことを忘れて、どうするの。



……というわけなんですけれど、
いずれにしても不明な原因で、
私が自宅でインターネットサイトにアクセスすることが
できなくなってしまいました。

(今朝から)
あまりよく知らないのに原因をあれこれ詮索するのは、
上にはあんなふうに書いてしまったけれど、
所詮は無意味なのに空恐ろしい思いばかりを加えていくような結果にしか
ならないと思うので、
ちゃんとした原因→対策が分かるまでは
あまり考えないことにしようと思います。
(なので、私はこれから最低1週間は
ほとんどインターネットもメールも、できなくなりました
)
だいたい、それでなくても、なんだかネットにハマりすぎで
ヤバいんじゃない、自分? と感じていたし。
ケータイでも1日に230字ほどは書けるということもわかったし、
(「タイトルやタグも込みで250字」とか?)
しばらくそういうペースで生きていきます。
それで命に関わるわけじゃなし。
ねえ?>自分

(オンラインではじめてコミュニケイトできるお友だちと
お話できなくなってしまうのは寂しいけれど、
仕方ないです……
むしろ、オンラインが途切れてしまっても、
お互いに「それぞれの持ち場で生きている」ということを
信じていこうと思うし、
それでむしろその人の存在が私にとって重みを持つ、ということも
確かにあると思うのです)

ではでは、しばしのお別れ……というわけでも、ないじゃん。
↑けっこう重症だと思う、私。

2002年02月03日(日) 転載(TSFJより) 「概念遊び」

★1・転載(TSFJより)
★2・「概念遊び」
★3・ヲヤヂ文法?
★4・昨日の文字数、他
(とても心配になってしまい、1件削除)

★1・転載(TSFJより)

Re:TS中核群:わたしは産まれたときから女だった
投稿者---里花(2002/02/01 01:05:17)


こんばんは。

たぶん「中核群」ではないと思う、私の場合のこと、書きますね。
おかしいと思われるかもしれないけれど。

1.生まれた頃……たぶん「男の子」「女の子」ということはわかっていなかったんじゃないでしょうか。
後から思えば、「たぶん最初から女の子だったんだろうな」と思いますけど。

2.気が付いたきっかけ……よくありそうな話ですけど、
確か父親に「好きな色を選びなさい」と言われて、「赤」を選んだら、
「好きな色」って言ったくせに「赤はやめておきなさい。女の子の色だから」と言われて、
「ウソつき」と思いました。
そのとき、「私は(直感的には、とか感覚的には?)女の子」と感じました。
それが、確か幼稚園くらいの頃だったと思います。

3.おちんちんがあるのがおかしい、と本格的に思うようになったのは、中学に入ってからです。
それまで、小学校の頃はそんなに困っていませんでした。
というのは、あまり気にならなかったから。
でも、(第二次性徴は私の場合、むしろ早熟だったようで)10歳ぐらいのときに「精通」があって、
「なに、これ??!!」とすごいショックだったのは覚えています。
ああ、そうか、それで「なんでこういうものがついてて、こんなことになるんだろう?
これは何かの間違い」と思ったのですね。

あと、家族の中で、なぜか私は自分が父親ではなく、母親と「同じ側にいる」と
いつも思っていました。
それを確信したのは、確か小学校の中ごろからだったと思います。
それは、その後父が死んでからも、昨年母が死んでからも、変わってはいません。

4.でも、内心は「おかしい」と思うのに、私は「男子校」に入れられてしまって、
そうなったらもう「男の子になるしかない」ので、
(それに、中学2年の頃にはもう身長が172cmぐらいあったんですよ(-_-;
「こんなデカい女、いない」と思いました。)
それからは「男の子らしくする努力」をするようになりました。
その頃には、どこでどういうふうに教えられたのか、
「体が男のかたちをしているのなら、男になるしかない」と決め付けていて、
それでも「ある朝目覚めたら、男の体だったのは夢だった」ということが本当に起きないか、と
毎日お祈りしてはいたけれど、
高校に入る頃には
「そんなこと、あるわけないじゃーん」
と醒めてしまっていました。

どんどん男っぽくなっていく体が醜くていやで、
まるで自分が「デビルマン」に変身でもしていくようで、
できるだけ体が隠れるような長いコートとか着てばっかりいたこともありました。

5.高校を卒業する時に、町で突然男の人に声をかけられて、
私は内心すごく嬉しかった(……スミマセン、正直な気持ちです)のですが、
実は「体が目当て」で、
「このままではハマる」と思って、
大学に入ってからはまるで「マッチョ」にでもなるかのように、
「音楽やってカッコイイ男」「女の子を好きになる男」を目指しました。

でも、なぜか「スポーツ」は嫌いでした。
だって、筋肉質になるのはいやだったんだもん。
もしかしたら、何かきっかけがあって、
ちゃんと「女に戻っていい」時が来るかもしれない、と思っていたから。

6.大学を卒業してから、すぐには就職しませんでした。
だって、そのまま会社とかに入ってしまったら、「男のまま」じゃん。
っていうか、「男でいるなら音楽やってなくちゃダメ」という
何かわけのわからない思い込みがあって、
でもその前の「男でいるなら」にムリがあることに自分でも薄々気づいていたらしく、
けっきょくその道も中途半端にしてしまいました。

7.で、最後に東京での暮らしが破綻して、
正直言うと「姉」みたいに慕っていた女性に相談して、
(っていうか大学の時の彼女だったんですけど)
そのまま結婚することになって、
「寿退社」して郷里に帰ってしまったのでした。

前にどこかでタイトルのような議論をしたとき、私は
「そんなのおかしい」
と言っていたような気がします。

でも、上に述べたように、私の記憶では、
そりゃ「例を挙げろ」と言われれば「女の子っぽい遊びが好きだった」とか挙げられるけど、
男の子っぽい遊びがぜんぜん嫌いだったかと言えば、
ウルトラマンとかも好きだったし、自動車も好きだったし、
どちらともつかなかった、というのが本当のところです。
っていうか、「性別について、幼児の頃はわかっていなかった」としか
言いようがありません。

ただ、いつの間にそう思うようになったのか、自分でも覚えていませんけれど、
けっきょく
「いつか女の子に戻れる」
と思いながら、たぶん思春期頃から後の人生を送ってきた、
そんな気はします。

今は、私の言っていることは筋が通っていないのかもしれないけれど、

>中核群とは 心と体のギャップを 物心ついた頃から感じている人の事
>
>
>わたしは 中核群TSです

>「だから 産まれた時から女だった」という表現が理解できるし 使ってます

という言葉、理解できると思います。

あと、私が「自分は中核群ではない」と言わなければならないのは、
「男のふりをしよう」と思えば、そこそこできてしまった、ということだと思います。
実際、(言ってしまうのはとてもイヤだけど)結婚とか仕事とかが破綻しなければ、
とりあえず「死ぬまで我慢できる」と思っていたもん。
「死ぬまで隠しとおして、自分ひとりでお墓に持っていってしまえば、
誰も困らない」って。

はっきり言って、そんなのムリでしたー、あはははは。

だって、おかしな隠し事するから、結婚も仕事も破綻するんだもん!

で。

すごく嫌な言い方だけど、私はたまたま「男としてパスしやすいタイプ」だったから、
「中核群」として育たなかったのかな、という気もします。
体が大きく育っちゃった、とか。
おちんちん切ってしまおうと思ったことも何度かあったけど、
なぜか高校生ぐらいの頃には「女性器と男性器の発生系統的な起源は同じ」とか
生物の教科書とか資料集とかひっくり返して、
「これでも女の子と元は同じかたち」と納得しようとして、
どうにかなっちゃったし。
(でも、理解のしかたが歪んでいて、未だに「ウォルフ管」と「ミュラー管」の区別がつかないままなんです。
何度も確かめて、その都度「ああ、そうだったんだ」と納得するのに、
なぜか次に思い出すと覚えてない? 何、これ?)

他の人たちもいろいろとレスしているみたいだけれど、
とりあえず、私が自分について思っていること。

Yxxxさん、私、あなたの言葉、今ならわかるよ♪

他の人たちの言葉も、少しずつですけれど、
読んでいこうと思います。

失礼しました。

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★2・「概念遊び」

「性のカテゴリ」

私は「性」について考えたり語ったりするのに、
やたらと「カテゴリ分け」して考えるのが好きです。
で、今までは「4分法」を使っていましたけれど、
あちこちの議論を見ているうちに、なんだかもう一つ考えたくなってきたので、
それを含めてもう一度「5分法」として以下紹介します。

*「そういうリクツって無意味」と言われるでしょうけれど、
もしかしたらめいめいが「自分のこと」を語るだけでは
共感しきれないこともあると思うのです……
そういうときには、相互理解の手立てとして、
こういう一見「お遊び」のようなことをして、
まあくだらないことなのかもしれないけど、それをいちおう「同じ土俵」だと思って
お互いそこに立ってお話することも
たまにはいいのじゃないでしょうか……
自信がないので、よそには公表しないんだけどさ……


セックス=生物学的性(または性別)。その大半は「遺伝子」によって決定づけられる。
 (sex)
 (後の3つから「フィードバック」を受けて変化する部分も、僅かながらあると思う)

ジェンダー=社会学的性(または性別);セックスを「素材」として成立する。
 (gender role)

ジェンダー・アイデンティティ(性自認)=上記の「セックス」とジェンダーの「仲立ち」として成立する。
 (gender identity)
 (当然かもしれないけれど、「セックス」⇔「ジェンダー」の両者からフィードバックされるかたちで形成されていく)
 (時には「セクシャリティ」からフィードバックを受けて形成されることも;「彼に愛されたいから私は女(であるべき)」とか……)

New!(?)「ジェンダー・アピアランス」=外見的性(または性別);「性自認」に影響を与える。
 (gender appearance)  ふつう「パス/リード」と呼ばれているものだけど、
 「パス」というと「パスする=良いこと」/「パスできない(リードされる)=悪いこと」みたいな「単純な優劣」に支配されてるみたいで。
 それ、実はキリスト教的男女観を無反省に取り込んでしまっていると思うけど?
 (私は決してキリスト教が間違っているとは言わない……ただ、2000年前の書き方をそのまま今に当てはめるな、って感じ(-_-;)
 けっきょく、まるで「同じ身体障害でも自分で歩ける人は『良い』けど歩けない人は『悪い』」というのと
 同じことを言わなければならないところにハマってしまっているような……うう、それじゃ、なんか「差別」?(;_;)
 なので、あえて新しい概念を作ってみた。

セクシャリティ(セクシュアリティ)=性指向;「性的対象」としての性別。
 上記の4つ(sex, gender role / identity / appearance)を総動員し、
 更に「xq28」とかいう遺伝子その他の身体環境やら生育歴やら、その他の文化やら政治やらによって決まる。
 「性指向」そのものが文化。
 ただ、「関係性の性別」つまり「関係性」の中で初めて成立する、というのは
 「ジェンダー」のつく3つのカテゴリについても言えることなので、どう違うかを考えたほうがいいのかも。
 今はよくわからない。

あと、私がいつもこだわる割にわかってもらえない……というか、こだわってる私自身よくわかんないんだけどさ、
「ジェンダー」と呼ばれるものにはとても多様な方向性を内包していて、たとえば
・ジェンダー・ロール:自分→周囲に対して「どういう性別として振る舞い(or扱われ)たいか」ということ
・ジェンダー・アピアランス:自分←周囲から「どういう性別として扱われるか」ということ
・ジェンダー・アイデンティティ:「周囲→自分→周囲」という枠組みの中で中心となる「自分」を
 総合的に「どういう性」として評価・判断するか、ということ

全てが「関係性の中だけで決まる」とも「生物学的に規定されている」とも、決め付けたくはない。

---------------------------------

ふう。
やっと言えた、ホンネ
……ていうか、ただ「ホンネ」っていうのもちょっと違うかな。
この間、頭の中で渦巻いていたけど、整理がつかずにぐだぐだしていたこと。

あとは、これをめいめいの当事者が「自分の場合」に当てはめてみる……
で、「同じ」なら共通認識が語れるし、「違う」のなら理解しようとすればいい、
それだけのこと……と思うんだけど。
「同じ」「違う」というだけのことなのに、いつのまにか「正しい」「間違っている」と混同されるのが、
なんだかイタい。

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★3・ヲヤヂ文法?

(*「原案帳メール」より)
送信者:章香(あやか)
日時:2002年2月3日 5:45
宛先:jackie-matthews@syd.odn.ne.jp
件名:原案帳


「それは違うだろう」
と、否定から対話に入る人とは、あまり話したくない。
以前と比べて、私はそう言われると黙ってしまうことが多くなったし、
でも相手がこちらの話をしっかり聞かないうちに「頭ごなし」に否定しているのが、
まざまざとわかるからだ。
(こちらが肯定していることを、はじめて自分が言い出したような言い方で言ってみたり)
ああ、恥ずかしい…
なんでヲヤヂって、自分を外から見る視点を持てないんだろう…
しかもそれ、私も以前はそういうところがあったような気がするし…

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★4・昨日の文字数、他

わあお、昨日の文章、「400字詰×28枚と13行」だって!!
約11400字?!……
原稿料「1枚1000円」だとしても、2万8000円……
1日の日当としては、まあまあじゃないの……
税金とか経費とか、一切含むとしても……

まめ知識 d(^_^)
「日給」でもらうお給料の、だいたい大雑把に言ってその「2倍」が
雇用者側の「人件費」と考えられる、って知ってた?
「給料安くてこき使われて、経営者はさぞかし儲かってるんだろーなー……」
なんて、今どき思ってる人は少ないと思うけど、
もしもいたら要注意。
実際には「経営者」なんて、ぜんぜん儲かってなんかいまへーん!!
なんかムナシイ贅沢をしてるのは「同業者に対する見栄」とか
「営業上のディスプレイ」とかそんなもんで、
本人はそんなことしてても心から楽しめてなんかいないものです。
だって、贅沢そうにしている人ほど、なんだか不健康そうな顔しているもん。


と、モーソーは膨らむのでした……
(金曜日に書いたのは、実は人を笑わせたくて創作してるのではなかった、とか(-_-;)

密かにやってる人はよくいるだろうけど、自分の日記にUPして
自分で「さらす」なんて、私くらいのものか……

追記:
今ちょっと、デパスでらりってましゅ。
……なんて、そんなこと書くとやばいし、
ODとかの問題に心を痛めている人に申し訳ないのかもしれないけど、
それは踏まえてるつもり。

だってえー、私、1錠しか飲んでないんだよ!!
それでもこんなにきいちゃうんだもん!

だからむしろ、「心にきくクスリ」っていうのは
よほど気をつけて服用しなくちゃいけないんだ、と思う。

私、今ことさらに「デパスでラリって……」なんて書くのは、
お医者さんから処方されたときに
「これは睡眠薬がわりに使ってください」
と言われたし、ふだんは飲んですぐに寝てしまう、
で、実際でパス飲んで寝ると間違いなく
ほんの10分か15分(?? ちゃんと覚えてもいない)で眠れるのに、
今はちょっとおかしな時間(確か夕方6時頃だった)に飲んでしまい、
その後寝ようとしていないので、
「処方箋どおりではない飲み方」をしていて、
それってある意味「OD(オーバードーズ……クスリの過剰服用)」と同じようなことだと思うので、
反省を込めて書いてるのです。

どうですか?
この文章が、ふだんの私から考えても、更に「なんかおかしい、異様だ」というの、
わかります?

どうかどうか、皆さん、軽々しく「OD」なんて、しないでくださいね。
……っていうか、ああ、わかった、「知りもしないくせに、そもそも話題にするな!!」
っていうことですね。
本当に、その通り。
会津里花っていうのは、とんでもないやつだ。

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2002年02月02日(土) しんどい 「疾患」か「個性」か 他

……しんどい。

書き出しの時間=「4:46 02/02/02」(/w メモ帳機能)
「しんどい」理由。

あ、その前に、大急ぎで書きたいこと。*↓*
(なので「しんどい理由」そのものは→ここから……(-_-;)
あと、ついでに
★田中外相更迭?! と
★「疾患」か「個性」か(←「別ページ」になってしまいました……) も
ここから……


私は「女性からの侵入が怖い」と思っている、ということに、
ついさっきようやく気が付いた。
っていうか、薄々そう思ってはいたのだろうけれど、
根拠がわからなくて曖昧に捉えていたのだった。
「それじゃね〜」といって電話を切ろうとすると
「あ、それでね」と話を長引かせるのって、
「侵入」じゃないだろうか。
私自身もそうしてしまうことがあり、
「う、今のは相手にとってイヤだっただろうなー」と思ったりするけど、
そう思わされたことだって、何度もある。

つい今しがた気が付いた、というのは、
たまたまとある友人とお話していて、
そういうふうに話を長引かせられなかったからだ。
その友人とは、性自認や性指向について、
かなり似たところがあると思うので、
私としては「安全に対話できる相手」だと思っている。
その子とお話して、その終わりに
「じゃあね、このへんで」
とあっさり電話を切ることができて、……
でも、そのときなんだか、ちらっと
「それって当たり前のことなのに、なぜそんなふうに思うのかな?」
と感じたのだった。
そしたら、過去に私が、私のことを「男」と勘違いする女性から
割と「しつこく」迫られていた時のことを
ぽんっ
と思い出してしまったのだった。

そうか、そういうことか。

そうして。
私はなぜか、「母に抑圧されていた女性」と話が合うことがある。
私自身は「父に抑圧されていた」過去を持つので、
なんだかすれ違っているはずなのに、なぜだろう、と思っていた。

でも、私の場合、「母」ではなく「他人」なんだけど、
「女性から侵入される」という点では
同じなのではないか。

そう思ったら、なんだかいろんなことが符合してきて、
半分は「ほっ」とするし、
あとの半分は「ぞっ」ともするのだった。

電話をかけてきてくれた友人に、そのタイミングとか内容とか、
あとそもそもその友人が私の友人であるということに、
心から感謝したい、と思う。
ねっ、Mちゃん♪




で。
「しんどい理由」。
(っていうか、言い訳です)
この部分の書き出し時刻=「5:29 02/02/02」

予定を決めていなかった。……忘れていた。
 「ダブルブッキング」に近い状態なっていた。劇団の練習と、「安全な」お店と。
 お店のママには、もう3度目くらい…… なんてだらしない。
 (こういうことの積み重ねが「だから性転換者はダメ」というレッテル貼りにつながりかねない;
 念のため、決してそんなことはないと思う!!)
昨日「金八先生」のことからいろいろ書き込みしすぎた。
 (けっきょく朝まで起きていてしまった)
風邪をひいているらしい、やっぱり。頭いたいし、だるい。
(ここから長い……)『ジャンヌ・ダルク』を見た。
 ちらっとだったけど、充分過ぎるほどだった。
なぜこれが「しんどい理由」なんかになるのか。

宗教とFtMと暴力。
昨年『ボーイズ・ドント・クライ』を見た時のショックが、
そっくりそのまま
フラッシュバックしてしまったのだった。
夜の11時頃だった。
だから、急いで支度して出かければ、「お店」は間に合ったはずだった。
けれど、起き抜けにいきなりそんなものを見せられて、
私は自分が身動きができなくなっていくのを
まざまざと感じてしまった。

私は「性と暴力」ということに、
心底、体が竦んで動かなくなるほどの恐怖を
感じてしまう。

なんでそんなのつけてたの?……弟よ。
消しちゃえばよかったのに、なんでしばらく見つづけてしまったんだろう。
うう。

あと一つ、「しんどい理由」。
 今日、出かけます。
そうして、まさに、「性と暴力」のことを考えなくてはいけないのです。

「加害者でもあるし被害者でもある」とか言いながら、
けっきょく私は自分が加害者である、ということにばっかり気を取られている。
上のほうにインディゴで書いた記事も、
実はそういうことだったような気がする。

私は、ある女性から、たぶん5年くらいの間、……いや、6年だ、
ずっと「侵入」といえるような行為を受けつづけていた。

でも、私に対して、加害者の女性は決して私に対する侵入を「加害」だったなどとは認めないだろう。

念のため、これは私の元パのことを言っているのではない。
今、むしろ、私には、元パが私に対して強い罪悪感に慄き、
彼女自身が「自分の罪」の意識と戦いながら、
同時に育児と仕事と家事、三つをなんとかして鼎立させながら、
しかも自分の親との間の問題も、誰の助けもなしに……それは、わからないけど……
克服していこうとしているはずだ。
そんな彼女を、私はやっぱり、尊敬する。
いつか必ず、助けてあげられるようになりたい。
(消極的な方法であれ)……
(彼女の許を去る、というかたちで「最も消極的な助力」はしたけど……)


比べるのは、なんだか後ろめたいしどこか気持ち悪いような、居心地悪いような気がする。
(だいいち元パに悪い)
でも、私に対する加害者の女性も、その人なりの事情があったのは
いろいろ知っているので、あまり責める気にもなれない。

たぶん、けっきょくのところ、
知り合ってしまった、出会ってしまった、ということ、
そのこと自体が、不運だったのだろう。
それに、客観的に見たら、「加害/被害」という関係とは言えないのかもしれない。
単なる「共依存」……

でも、私の反応は、半年間全く電話に出られなくなった、とか、
人の命に関わること、ということに囚われて
その関係から離れることを許されないでいる、と感じていた、とか、
果ては、自分の家族を完全に犠牲にしてでも、
その女性と会ってどうでもいい会話をしながらお茶を飲む、ということだった、とか、
そういうことなのだ。

もう一つ、念のため付け加えておきたい。
その女性と私が知り合った頃、私はまだ「男のふり」がうまくいっていた。
だからこそ、その女性から「男」として扱われ、「男」を求められ、
私は耐えられない思いをしながらもそれに関わり続けたのだけれど、
一つだけ、幸運だったことがある。
その女性と、肉体関係を持たないですんだのだ。
それは私がトランスしていくのと同時並行みたいに起きていたので、
もしかしたら私は自分の「貞操」を守るためにトランスし始めたのかもしれない、とさえ思う。
そうでなければ、
私はその女性が、……自覚があるかないか知らないけれど……
っていうか、自覚があったらそんなことゼッタイしないと思うけど……
陰に陽に、私に誘いをかけてきたのを、
拒みきれなかったかもしれない。

そうして、その後、誰も気づかないように、
私はこっそり、逃げ出していただろう。
たぶん、「失踪」程度ですんだだろうし、
「新宿駅西口前」とかいう住所のことも知っていたから、
そういう立場を選んだかもしれない。
でも、もしかしたら、私が遺してきた家族のことを思い出すのに耐えられず、
この世から逃げ出していたのかもしれない。


はははは。
私のことを「典型的な男」と思ってくれても構わないよ。
でもね、自分が置かれた立場に誠実であろうとすることって、
「男女」に関係ないと思いませんか?

書いてて、なんだかひどく腹が立ってきた。
死にたいほど。
相手が全面的に悪い、とは思えないだけに、よけいに。

(どんな場合だってそう……
私は、ふつうなら自分の正当性を全面的に押し出して、
相手が悪い、だから謝れ、と言っていいはずのところ、
どうしても「自分も悪い」と思ってしまうし、
そのように言ってしまう。
「世の中キビシイ」と叫ぶ陰惨な人々のせいで、
「常識」というものは
(本当は完全に正しいかどうかわからなくても)
自分は正しい、相手が悪い
(という態度をとることが「自らの責任を果たす」という意味になる)
ということを要求する。
そんなことして争いごとを招き、
けっきょく「戦争」を縮尺しただけのようなことになるのは
いやだから、私にはなかなかできない。
「そんなことないよ。あんたは充分、鈍感だから」
と言ってくれる、心優しい人もいるだろうけど、
自分で気づくことのできない部分は、本当に気づかずにやってしまっていて、
気が付いたらそれを正当化することなんかできもせずに
ただただ罪に慄くタイプなんです。
像が蟻を踏んづけるようなことをしていることは多々あります。
字数は多いし、体はデカいし、無意味に頭がいいし。
けれど、それは本当に「気が付かない」からで、
気づくことのできない自分に対してはとても情けないと思うし、
どうにかしなくては、と努力しつづけているつもりなんです。
「ウソつけー」と思う人は、まずご自分の中のそういう面を割り引いてから、
私を見てください。
私だって、人が誰でもけっきょく自分のことしか見えないし考えられもしない、
ということに、ここ10年以上、傷ついたままでいるのですから!!)


こんなこと、いくら言っても、誰も許してくれない……

もう終わりにしたいのに、気持ちとしてけりがつかない……

そうか。わかった。
こういう感覚、「男のふり」していた頃によくあったっけ。
ホルモンバランスとか、状態が悪いからだ。

私の中でまだ腐臭を放っている「オトコ」が、
なにやら情けないことを申しています。
とてもみっともなくて見ていられないとは思いますけれど、
どうか許してやってください。
心根はやさしいのだけれど、
自分を守ったりかばったりすることが苦手で、
けっきょく自分からめんどうなことに巻き込まれていくことが多いのです。
そのせいですっかり傷ついてしまったし、
傷を癒すことも知らないし、
たぶんもう立ち直れないのだろうと思うけれど、

だいじょうぶ。
代わりに、ちゃんと隠し持っていた「女」の私が、
ちゃんと生きていきますから。


は、は、は、は、は!
書き込み終了時刻=「6:45 02/02/02」



★田中外相更迭?!

これもまた、
「は、は、は、は」とか
気持ちの悪い笑い方しなくてはならないような気が。

もう数日前に起きたことなのに、
今はできるだけ「ニュース」というものを見ない、聞かないようにしているので、
全く知らなかった(-_-;
まあ、知っていても知らなくても、私自身のことにはそんなに大きな影響はないのだろうけれど。

それにしても……
やっぱり「サル山体質」は変えられなかったのね。

私はどういうわけだか、田中さん、というか「マッキー」には同情的だ。
(あんた「自民党大嫌い」だったんじゃないのー?!>自分)
まあ、故・田中角栄氏の娘、ということもけっこう大きいかもしれないけれど、
(なぜか、田中氏……おとうちゃんのほう……は、うちの父の「良い面」の象徴のような気がする。なんでだろ?)
それ以上に、彼女の言動が好きだった。
それこそ、「抑圧的・支配的男性原理」っていうか「鎌倉時代以来不変のヤクザ体質」っていうか、
1000年もおんなじ体質で政治を続けようとするなよー……(by 時宗/うぞ)
そういうものにほとんど物怖じせず……たぶん「鈍感」だったからなんだろうけど……
そういう「男にしかわからないもの」をずばずば壊していこうとする姿勢。

政治ってね、男にやらせているから陰湿で残酷なのよ。
女の田中真紀子が言いたい放題言っても、それを「追い落とす」ようなマネをしないですむようになれば、
こういう一方的な評価……それのことを「偏見」と呼んでもらってもかまわないよ……も
しないですむようになるのに。
まあ、某赤ん坊みたいな男の子議員が議会でのさばってるようじゃね。
なんなの、あのオヤヂ?
「オトコってのはなあ、こんなふうに幼稚なものなんだよぉっ!! 悪いかぁっ!!」
みたいな。うぐぐ。
けっきょく「喧嘩両成敗」みたいなことになったけど、
私は田中氏(娘のほう)は許せても、あのオヤヂは許せない。
気持ち悪い。

まあ、それでも、「男は家の外に出たら7人の敵がいる」を地で行くような「伏魔殿」の窓を
勇敢にも開いてみせたのだから、
田中さん、お疲れさまでした。

(この後、某「K.O.出身の総理」の人気が、実は田中さんのおかげだったということが
すっかり露見して、今の内閣は滅んでしまうのだった……
めでたし、めでたし)
デマだけは止めなさい!!>自分
(「書いたら勝ち」とか言うか? ……でも、この件だけは書かずにいられない!!!!
たとえ「卑劣」と言われても!)
*あと「男は家の外に出たら……」というのなら、
家でお母さんに面倒見てもらってください。
ヒッキーしてればいいじゃん。
無理して外に出て「戦わなくては!!」なんて力むから、
殺伐としちゃうのよ。

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2002年02月01日(金) しょーもない計算。

「1日平均3000字」。
……って、まだ言ってるよ、この子は。
で?
「かける、確か2、3日書かなかったから、26日、っていうことにして」
……??
「78000字。これを400字詰原稿用紙で割ると」
……はいはい。
「195枚。で、1枚3000円、原稿料がもらえるとして」
……お、おいっ。
「わあ、58万5千円だ!」
……ちょいとっ、1枚の原稿料がそんなになるわけ、ないでしょ?
「え? そうなの?」
……肝心なこと知らないで計算するなよー。
「は、は、は。じゃ、googleで調べてみよっと」
……ご丁寧なことで。
=30分経過=
「あ、あったあった♪」
……どれどれ、見せてよ。
『出版事情第1回・作家の収入』だって」
……ふうん。
「ほらほら、あったあった! 『2000円〜5000円』って書いてある」
……でもそれ、「相場」でしょ?
「だからいいじゃん」
……っ、じゃなくって、「相場」っていうのはそこそこ軌道に乗ってる作家の話でしょ?
「だって、私、書けるよ?」
……そ、そういう話じゃなくて。
「1日に3000字平均で書いてるじゃん?」
……だ、だからね……
「それが売れれば」
……そう、「売れれば」。
「売れれば……うっ、そ、そうか」
……ってあんた、今まで気がつかなかったっていうのーー??
「だっ、だって!」
……「だって」何よー。
「だってね、字数の計算から入っちゃったんだもん」
……はあ。……ったく、そういうのを典型的な「たぬき」って言うのよ!
「たぬき?」
……もうっ、はっきり言わせたいか! 「取らぬ狸の皮算用」!!
「あはははっ、そうじゃんねー!」
……他人事じゃないっ、あんたのことだよ!
「でもさ、だってさ、面白いじゃーん♪」
……ああ、もうだめだ。つきあいきれん。
「ねね、でもさ、『原稿用紙1枚、1000円〜2万円ぐらいまで』って書いてあるよ♪」
…………
「そうすると、さっきの、えーと、『195枚』だっけ、それに、そうねー」
…………
「最初は駆け出しだから『1枚1000円』で我慢するとして、」
……おい。
「195かける1000円は、19万5千円! これなら、」
……おーい。
「暮らして」
……おぉーーーい。
「いけるかも♪」
……をいっ。
「はいっ?」
……あんた、けっきょくわかってないんじゃない。
「え、そうなの?」
……まだ、こいつは……。そうなの、じゃないよー!!
「えへへ」
……えへへ、じゃないよー!! あんたねー、それ、全部「原稿が売れれば」の話でしょー?
「うん、そうだよ」
……あんたが書いてるわけのわかんない、偏見だらけで人を不快にさせる文章、本当に売れると思ってんの??
「うん♪」
……。
「?」
……わかった。じゃ、最初にもらった「19万5千円」で、サングリアのパエリア、いちばんいいの、おごってね。
「う、うん、いいよ、それぐらいだったら♪」
……お、おめでとー。っていうか、おめでてーよね、あんたは!!
<了>


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