原案帳#20(since 1973-) by会津里花
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2002年02月06日(水) 『ルート225』(藤野千夜)感想

★1・『ルート225』(藤野千夜)感想



★1・『ルート225』(藤野千夜)感想

そういうことになるのかなー、と思っていたら、確かにそのとおりになった。
というよりも、私自身、そういうつもりだったらしい。

『ルート225』(藤野千夜・著/理論社・2002年) を読んだ。
本当は、もっと早く読むつもりだったけれど、ようやくチャンスがやってきた。
何がチャンスかというと、
オンラインで人の掲示板とかにごちゃごちゃおかしなことを書いたりする時間が
事実上、作れなくなった、というのが「チャンス」なのだ。

正直なところ、オンラインでも、人と話せないのはとても淋しい。
それに突き動かされるように、手作りで本を製本してみたり(といってもちゃちなものだけど)、
ばりゅちゃんでソリティアやってみたり。
でも、けっきょくそういうことってパソコンに「依存」しすぎているような気がして、
心の片隅でどれかの自分が前からつぶやいていた言葉、
「オンラインをちょっと離れて、藤野さんの小説とか読んでみたらどう?」
という言葉に従うことにしたのだった。

……と書いてみて、ちょっと「うへー」と思う。
私はいろんなものごとにすごく「影響されやすい」タイプだけど、
なんだか文体がすっかり藤野さんに似てしまったような。

いやいや、違う。
私にとって、藤野さんの文体は、とても自然だ。
もっとも、今どきの若い子が使う言葉については、私あんなに知らないけど。
でも、前に言ったことを自分で受けてそれに「注釈」入れてみたり「補足」したり、
あるいは前の言葉を自分で翻(ひるがえ)してみたり。

あと、ものの見方とか、興味の対象とか、
なんだか「覚えがある」という感じがして仕方ない。

似たような「属性」を持っているから?
「T's」であるということ(といっても、こちらはあちらのことをよく知らないし、
あちらはこちらのことをよく知らないので、「似たような」なんて決め付けてしまうと
お互いに気分悪いかも)、
「うお座B型」であるということ、
年齢も「1コ違い」であるらしい(つまり「同世代」)ということ。

まあ、これだけそろえば、さすがに……という気もするし、
逆にそうやって「属性」だけで決め付けるのはウザイとも思うし。

ていうか、こんなに共感させられてしまうのは、
むしろ「作家・藤野千夜の実力」であって、
それに引き寄せられる私が最初からそう、とかいうことではないのに
そこまで思わされてしまうのね、きっと。

……と、前置きばっかり長くなってしまったけど。
ストーリーを後のほうまで書いてしまうと、読んでいない人に申し訳ないから、
本の帯に書いてある程度のことだけをちらっと紹介すると。

中2の姉エリ子と中1の弟ダイゴは、なんだかよくわからないきっかけで
「パラレルワールド」らしき世界に迷い込んでしまう。
微妙にもといた世界とズレながらも日常はそんなに変わらず、でも「誰かのいない」世界……

ううーん、これじゃなんのことかわからない、っていうか。
これ以上書いてしまうと、読んだときの新鮮さが。
なので、お話はとりあえず、とてもありそうでなさそうな内容、
ていうより「なさそうでありそうな内容」、っていうべきかな。

例によって藤野さんの淡々とした文体が、心地よいです。
(でもどっかの都知事やってる人には「何が言いたいのかわからない」とかだそうで。
まあ、わかりそうにない人だと思うし、あの人にわかってもらっても気持ち悪いので、
別にいいんだけど)

終わりごろ、泣いた。っていうか、泣けちゃった。

あと、あちこちで笑えた。
なぜか、そういうところで「さすが芥川賞受賞後第1作!」とか
ミョーに納得してしまったりして。

それから、日本語がリアルなのが、とてもよかった。←これはあえて「太字」にすべき、と思う。
たぶん、お年寄りは「乱れた日本語を無反省に使っている」とか言う人もいるのだろうけれど、
言語学的に見て(といっても、私はまだまだ勉強始めたばっかりなんだけど)
たぶん今の10代くらいの子たちの間でほぼ定着している使い方の日本語を、
きっちり押さえて使っている。
文法的にも乱れはないし、モダリティの使い方とか(だけじゃないけど)、さすが。
こういうホメ方すると藤野さんには迷惑かな?

でも、あえて言いたい。
だって、きっと、世代的には私と同じなんだから「10代の子たちの日本語」なんて
自然に使いこなすことはできないだろうに、
ただ「使う」ということだけじゃなくて、気持ちや情景や筋立てを、
そういう日本語で構成しているのだ。

ううーん。
やっぱり、ヘンなホメ方?

でも、私は、その文体に、とてもリアルな息遣いのある、生きた人のみずみずしい心を見た、と思った。

「心」なんて言葉が出てきてしまったのはなんとも「陳腐」だけれど、仕方ないや。

私は、まだまだ藤野さんにはかなわない。

他にも、言いたいことはいっぱいある。
でも、作品の放つ微妙な雰囲気を、言葉にあてはめて壊してしまいたくないので、
このくらいにしようと思う。

そうそう、あと一つだけ。
ある人が「児童文学」と言っていた。
「理論社」という版元が、どちらかというと思いっきり「児童文学系」だということらしい。
私には、「小学生にはちょっと無理かな?」という感じに思えた。
でも、中学生くらいだったら、とても共感できる内容なのではないか。
主人公と同じくらいの世代。
ただしもちろん、決して「子ども向き」で「大人にはちょっと」という感じではない。
っていうか、私が自分に置き換えても、充分に共感できるし、
いろんな面から見て、大人にとっても読み応えの高い作品だと思う。
(それは上に述べてきたとおり、ってくどいな>自分)
その意味では、私に「児童文学(?)」ということをサジェストしてくれた人が言っていたように
「芥川賞作家の児童文学への参入」というのは、確かに過言ではない、と思った。
それもすごい、と思う。

というわけで。
興味のある方、ぜひぜひ読んでみてもらいたい。
私は3時間くらいで(予想どおり)「一気に」読んでしまったけど、
この1500円(税別)は、決して高くはなかったと思う。
っていうか、値段のことを忘れてしまうくらい(だから上には書き忘れて、最後に書いているの!)。

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