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2015年09月26日(土)
木ノ下歌舞伎『心中天の綱島』

木ノ下歌舞伎『心中天の綱島』@こまばアゴラ劇場

演出はFUKAIPRODUCE羽衣の糸井幸之介。木ノ下歌舞伎作品は杉原邦生演出でしか観たことがなく、FUKAIPRODUCE羽衣マナーの「妙ージカル」もお初です。近松門左衛門の『心中天綱島』を観るのもお初。いやはや、かなりもってかれました。

楽曲と歌詞がとてもいい。劇中五曲、ストーリーと登場人物の心情をテーマに紡がれる言葉がメロディとともにとても印象に残る。一回しか聴いていないのにしっかり耳に残る。歌詞カードが配布されていたので終演後読んで噛み締められるのもいい。とは言うものの、字面で読まなくとも言葉はしっかり伝わるので、最後の「愛と死」は節ごとにドカンドカンとウケてました。浄瑠璃パートを語りとヴァイオリンでやったところも効果的(武谷公雄の語りがまた巧い!)。

対してどこ迄狙いであったかが判断つきかねるが、出演者の歌唱力の差が激しい。唄い方のスタイルもまちまちで、これは個性がどうこうと言うよりも舞台で歌を聴かせる(言葉をはっきり伝える、演じているキャラクターを反映させたうえで唄う)技術の差を感じてしまい、こうなると「妙ージカル」と言うのは単にパロディなのか? と感じられてしまうのが残念。歌詞はしっかり伝わっているだけに惜しい。

これらは演者だけの責任と言い切れない。舞台装置の床が平均台を配したもので、その不安定な地盤が演者の身体の不安定に直結している。立ち位置が安定しないため発声も揺らぐ、動きに気をとられているのが観ている側からもはっきり感じられてしまう。登場人物たちの地に足のつかない生き方を表すのだろうと演出の狙いは理解出来るものの、脚に青タンをいくつもつくっている役者もいて気になってしまう。「怪我しませんように」「事故が起こりませんように」とハラハラしてしまい、気が散ってしまう。

出演者たちが自ら転換も行い、その地盤に床を張って演じられた紙屋の場面(「箪笥の思い出」)が出色の出来。日盞鴫隸蕕犬觴J識劼醗謀貂司蘖蕕犬襪さんの交感の推移に集中出来た。箪笥から出てくる手紙、指輪等のモチーフ選択とその扱いが細やか。聖人かと言いたくなる程のおさんの献身と抑圧、暮らしの場に足を降ろした途端現実的な後悔が露わになる治兵衛。文字通り地に足のつかない治兵衛と小春の道行との対比が強い印象を残したが、そうなると平均台を辿々しく渡り乍ら演技をする場面が殆どの小春は分が悪い。演じる島田桃子への負担があまりにも大きいと感じてしまう。動きを抑制した「錆びた時計」での島田さんは恋に苦しむ女性の心情をせつなく表現していて素晴らしかっただけに!

まーそれにしても治兵衛が煮え切らないダメ男の典型で、妻の出産にびびって逃げたり心中相手にためらい傷刺しまくりで(描写もかなりヒドい)おめーはよう! と言いたくもなる…日發気鸛農欧蕕靴ぁ幣弌法また小春とイチャイチャする場面やおさんとの恋が育っていく場面の描写が巧いんだ、にくらしい! このかわいらしさが心に残るだけに、心中の顛末は因果応報ではあるものの、それにしても酷い話よのうと思わせられる。横恋慕してる太兵衛がまた嫌な奴でよう…演じた小林タクシーは舅五左衛門(おさんの父)も演じていて、これがまたふたりともヒドい人物なのよ、憎らしい程巧いのよそれが。治兵衛おば(おさん母)と河庄女房演じた西田夏奈子がまたいい、歌は抜群に巧く、コメディ的なパートも客を巻き込む力がある。声といい風貌といい、ex.第三舞台の山下裕子を思い出した。

と言うのも、先日ぴーとさんと武谷さんが声も顔も吉田朝に似てるとやりとりしたばかりでな……。武谷さんは今回治兵衛の兄、粉屋孫右衛門役。これがまた惹きつけられる演技で、現代口語と当時の言葉を織り交ぜて語っても違和感がない。所作のひとつひとつが絵になる。非常に色気もある役者さんですし、今回観ていて武谷さんでガッツリ恋愛ものの芝居を観てみたいと思いました。今迄観た作品、どれも年長で若者を見守る立場の役ばかりなので。

はーなんか巧い巧いばかり言ってますが歌と動きに不安がある以外はホント試合巧者の役者ばかりだなと思わせられたんですよ…それだけに平均台と歌のちぐはぐさを自分のなかで消化出来なくて、この作品がわけのわからないポジションで心に収まってしまった。

木ノ下裕一と糸井さんのアフタートークも面白かったです。木ノ下さんの性別問題、もはやツカミのネタにしてますね(笑)。治兵衛と小春が死の道行で通る橋の距離感は、大阪に住んでいるとより実感出来るようです。



2015年09月22日(火)
『NINAGAWA マクベス』

『NINAGAWA マクベス』@シアターコクーン

この演出で観るのは初めて。蜷川幸雄が過去の焼き直しはしたくない、でも今回は「市村(正親)たっての希望」で…なんて仰ってましたが、そのあとに続く「一人の俳優が人生の経験をかけてマクベスのセリフを言いたいと思うのなら、友情として俺も抱えようということ」にいたく感じ入る。この記事は一月のもの。観られる日を待っていた。劇場に足を踏み入れた瞬間視界いっぱいに拡がる、妹尾河童美術によるあの“仏壇”に圧倒される。それを浮かび上がらせる暗くも柔らかな照明は吉井澄雄によるもの。老婆がふたり、ゆっくりと入場してきて扉を開ける。ゴールドシアターの田村律子と百元夏繪だ。

この光景が観られただけで、もう満足だった。そういえばゴールドのひとたちは「シェイクスピアとか古典をやりたいのに、蜷川さんは現代作家ものばかり持ってくる」と言っていたな(笑)。キャストが発表される以前から、あの老婆たちを演じるのはゴールドの面々だろうと思っていたので、その点にも、ネクストシアターの面々が参加していることにも感じ入る。感じ入ってばかりだ。

市村さんは「消えろ、消えろ、つかのまの蝋燭! 人のいのちは歩き回る影法師、哀れな役者にすぎぬ。 精一杯出番を勤めるが、それが終われば、なにも残らぬ。」を、よく通る声で囁くように発した。マクベスの焦燥、諦念、あらゆる感情がこもった言葉だ。これが「人生の経験をかけた」台詞なのだと心して聴く。台詞を全て言い尽くしたマクベスは、胎児のような姿で骸になる。まさに人生ひとまわり。

吉田鋼太郎演じるマクダフ、ノリにノッている役者が戯曲中最もおいしい役をやる。最近バラエティ番組で「声張り芸」のように舞台での発声を披露している吉田さんが、水を得た魚のように舞台上でその声を使う。それを実際に舞台で聴けることも嬉しい。橋本さとし演じるバンクォーの、欲を交えた人間味あふれる声。魔女のひとり、中村京蔵の声は立ち居振る舞いともども抜群の存在感。そしてマクベス夫人の田中裕子、表裏一体の二面性を持つ声。柳楽優弥演じるマルカムの、力強くまっすぐな声。

美術と声。個人的にはこれに尽きた。

『マクベス』と言うストーリーを追うことに関しては、まず最初に「新演出」で観ておいてよかった。勿論リアルタイムで今回の演出を観ていれば、それは深く心に刻まれるものになっていたと思う。しかし刷り込みがこちらだとインパクトが強過ぎ、蜷川さんの戯曲を読み解く力の深遠さに気付くのが遅くなったかもしれない。舞台両袖に座する老婆の目を自分の目に重ねるときが今だったことに感謝したいし、その機会をつくってくれた市村さん、蜷川さんに感謝したい。

内田健司演じる小シーワードの衣裳がダースベイダーに見えてちょっとニヤニヤした。やはりひと味違う。



2015年09月21日(月)
カタルシツ『語る室』

カタルシツ『語る室』@東京芸術劇場 シアターイースト

うわーイキウメでこうもせつない気持ちになるとは。思えば今回はカタルシツ名義、カタルシツと言えば『地下室の手記』で、こちらもせつない作品であった。オカルトとも言える現象を理詰めで検証するイキウメ、カタルシツではその追究の果てに顔を出すひとの思いが描かれた。

モノローグは事件を巡る証言でもあり、対象者に言いたくても言えない言葉でもあり、宙に浮いた思いを吐露するものでもある。対して舞台上で実際に相手に放たれる言葉は容赦がない。耳を塞ぎたくなるような差別的感情も露わになる。しかし前川知大は、落ち着いてその感情の在り処を探し、そして示す。疑心暗鬼になった根拠、防衛本能から起こる攻撃性。それらを責めることはしない。「絶対に許さない」人物は存在するが、それは当事者である立場から逃げた者だ。理不尽なことは起こる。どうしようもないことは起こる。それに対して何も出来ない。傷つき混乱する人物たちには時間が必要だ。そして時間が経ったとしても、傷は決して癒えない。その傷と生きていくしかない。その経過を丁寧に描く。

舞台中央には大きな木が一本。しかしよく見ると、その枝は幹と切り離され宙に浮いている。あのひとはモノローグで語られたあの子だ。この子は彼が話していたあの子だ。証言とともに枝と幹が繋がっていく。この場所から姿を消したひとの足首を掴むような予感が、時間を行き来して実感となったとき、心に沸き起こる暖かい思い。登場人物が知らないことを知っているのは観客だけで、「あの子はここにいるよ」「あのひとはここに来たよ」と言う思いは舞台には届かない。そのせつなさ。ストーリーの発端となるこんな事件は決して起こってほしくないが、事後も生きていかねばならないひとたちの関係がこんなふうになればいいのに、と言う希望を残す。

別れ別れになった登場人物たちは、本人の知らないところで出会い、少しの間ともに過ごす。彼らは二度と会うことがないだろう。しかし、いつかどこかで会えるといいな、会えますように、と祈る。その祈りはどこへ届くのだろう。これは私の「語る室」になるのかもしれない。

許しの人物を盛隆二が好演。板垣雄亮演じる霊媒師のキャラクターはホンによるものか本人の造形によるものか気になるところ。とても魅力的だった。ストーリーテラーとも言える安井順平は、起こったできごとを客観的に眺める公人と、家族を案じる私人の心境を語ると同時に、登場人物と観客との橋渡しの役割を果たす。中嶋朋子の混乱に満ちた怒りは恐ろしく、同時に痛い。時間と空間の迷子となった大窪人衛のサヴァイヴァル術は笑いを呼び、迷子の子孫とも言えるきょうだいを浜田信也と木下あかりが悲観的にならず演じる。いい座組みでした。



2015年09月20日(日)
『タンゴ・冬の終わりに』

『タンゴ・冬の終わりに』@PARCO劇場

2006年版だけ観ています。清水邦夫の戯曲を蜷川幸雄以外の演出で観るのは、『楽屋』以外では初めて。今回の演出は行定勲。

オープニングの『ニュー・シネマ・パラダイス』っぷりにはちょっと「ズルい!」と思ったが、映画の力を感じたし、行定さんの映画への愛情も感じた。思えばこの作品の舞台は映画館の客席なのだ。スクリーンの裏側から劇世界を覗く、と言うこのアイディアには図らずも涙。この映像を使う演出に、舞台役者だと信じて疑わなかった清村盛が映画俳優だったら? と想像する。

過去観たときにはあまり気に留めなかった「清村盛」と言う名前の由来や、盛の故郷であるこの土地についてもいろいろ思う。自分には今迄これといった縁のない土地だ。日本海側は、翌日観た舞台の作者、前川知大がよく持ち出す地方でもある。劇作家の出身地が作品にもたらす効果についても、いろいろと思うところあり。季節感、温度感、そして湿度感。そこに住まうひとたちの影響を及ぼす(かもしれない)土壌。

とは言うものの、やはりいちばん強烈だったのは物語と三上博史の一騎打ち。「どこ迄一緒に狂えるか?」。それは役者が観客につきつける命題だ。過去の幻影に生きる盛が観る光景を観客は観ることが出来るか。幻影であるこども時代の同級生、恩師、死んだ姉は具体的に舞台に現れ、それは生身の役者が演じている。盛が心眼で見ているものを肉眼で観るしかない観客。語り部でもあるぎんは、誰よりも(ひょっとすると盛よりも)役者だ。神野三鈴の声の良さ。前回観たときの、秋山菜津子の声も素晴らしかった。その声で、盛を過去のものとして葬る。それにすこし救われた気になる。救われる、と言えば、ユースケ・サンタマリアの距離感にもそれを感じた。ユースケが演じた役はいちばん救われない役なのにな。それが残酷。

そういえば行定さんは『ブエノスアイレス午前零時』からのタンゴ繋がりだったんですね。



2015年09月19日(土)
KERA・MAP #006『グッドバイ』

KERA・MAP #006『グッドバイ』@世田谷パブリックシアター

太宰治の『グッドバイ』が原作。未読なんですが、太宰と言うよりケラさんだ〜と言う趣で観ました。いやはや皮肉の利いたコメディ、暖かくなる心と裏腹に首筋が寒くなる幕切れ。ケラ作品て何がどう出るか判らないスリル満点ブラックボックス方式と、そうだこういうのが観たかったと膝打ちまくりのウェルメイド方式がありますが、今回は後者。常に高品質な作品を届けてくれるチームだけにブラックボックスな部分もちょっとほしかったと思ってしまったのは贅沢か。贅沢です。

出演者が形作り彩る登場人物のキャラクター、小野寺修二による振付、美術、衣裳、全てがスタイリッシュで眼福でした。登場人物の回想を後方の奥の層で表現したりとレイヤー使いの装置も機能的な分、「転換や衣装替えに時間がかかるからこうしてるのかな」と思ってしまう場面も。しかしそうだったとしても、女優たちがポーズをとる場面には見とれてしまいます。主人公の愛人たちがずらりと並ぶ図は壮観。そこに小池栄子を配さないところがまた贅沢。

それにしてもケラさんの舞台はつくづくリズムがだいじよなと思う。台詞の間合い、テンポがコメディとシリアスのガイドにもなる。ちょっとしたズレでだいじな要素が失われてしまいそうな繊細な組み立て。このリズムを体得している役者は多くないし、だからこそキャストもだいじ。

(元)妻と愛人たちのマウンティング合戦には笑い乍らもヒーとなり、その滑稽さを抽出させる演出に唸る。愛情と人情、無償と契約、意識無意識に関わらずお互いがお互いを利用してしまうひとの業等、人間の標本を見ている気分にもなる。ひとは常に誰のものでもない。しかし、その人生のどこで誰と出会い、誰と過ごすかは自分たちだけでは決められない。思えば前述の「ブラックボックス」はここにあるのかもしれない。男に入れ込み精神的に不安定になる女、表向きは明るく振舞うが情念の深い女、ドライな関係を装い実は優位に立っておきたい女、独占欲の強さと裏腹に自分の価値を知っている女。彼女たちは最後、笑顔で彼らを祝福し乍ら「厄介払いが出来た」と思っているかもしれない。「彼にお似合いなのはこれくらいの女だ」と思っているかもしれない。しかし女たちは皆、男に惹かれていたのは間違いない。

そんな厄介な男を仲村トオルが素敵に演じる。素敵だわ。これは憎めないわ。同時にこういう男に縁があったらたいへんよなあとも思ったわ、縁がなくてよかった(笑)。先日古田新太が結婚前付き合ってた女全員と手を切ったエピソード、これが出来てしまう男の愛嬌な! って話してたんですけどそれを思い出しましたね…遺恨が残らなかったかとか刺す刺さないは別としてね……。

小池栄子、水野美紀、夏帆、門脇麦、町田マリー、緒川たまき。舞台を華やかに飾る女優たち。それにしても小池さんのゴージャスっぷり…容姿だけでなく人間の大きさと言おうか、演じる人物を輝かせるその生命力、こりゃ何演じても惹きつけられるわと思わされてしまう安定感、惚れる。そして輝くと言えば池谷のぶえ! ある意味男の命運を握っていたのは彼女が演じていた人物たちではないか。その変幻自在なキャラクターと虹色の声、後ろの席の男のひとがすっかり彼女(彼のときもあったが)の魅力にあてられてしまったようで、登場する度に嬉しそうな笑い声をあげていてこちら迄なんだか嬉しくなりましたよね……。

女たちとは裏腹にちょっとみじめな男たち。主人公に嫉妬し、主人公を羨み、自分を責め、その自分に酔う。個人的には山崎一のさびしさに惹かれた。

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・『さらばあぶない刑事』仕様の『グッドバイ』フライヤー
『グッドバイ』上演劇場でだけ配布されてるのかな、粋なことしますねえ。裏面は『さらばあぶない刑事』仕様になってます



2015年09月18日(金)
高橋徹也 レコ発ワンマン『The Endless Summer 2015』

高橋徹也 レコ発ワンマン『The Endless Summer 2015』@STAR PINE'S CAFE

10月21日リリース予定(会場では先行販売されました)、『The Endless Summer』レコ発。メンバーはVo、G:高橋徹也、B:鹿島“KID”達也、Drs:脇山広介(tobaccojuice)、Key:佐藤友亮(sugarbeans)。アルバムクレジットによるとあとひとり、Pedal Steel Guitar:宮下広輔が二曲でクレジットされていますが、宮下さん以外はレコーディングと同じメンバー。

ライヴ後連休に入り、その間ほぼ毎日芝居を観ていたので記憶がおぼろぼろになっております。素晴らしいライヴだったことだけは確信があるのですが具体的にどうってのが思い出せない〜。しかしこのまま忘れてしまうのはさびしいので断片のおぼえがきだけでも。

・それにつけてもバンドのゴリゴリっぷりよ。どファンクなリズムにあの艶のあるヴォーカルがのったときのブワッと感! よっ大統領!(小学生並の語彙でお送りしております)
ライヴ直後興奮してツイートしたやつ。バンドゴリゴリ。これな! これな! やはり鹿島さんが凄まじく、高橋さんをはじめバンドの状態をよく見ていて「今このコンディションならこれくらいもいけるだろ、もっといけるだろ」と言う感じで攻める攻める。そこに佐藤さんがのっかるのっかる。そうなると高橋さんの歌や演奏も様相が変わる。曲は生きもの、と言うのをこうも見せつけられるとライヴの虜になりますね。
この日ちょっと高橋さんの喉の調子があまりよくなかったようで、高音がかなり苦しそうだった。ときには声がひっくりかえることもあった。声が揺れると鹿島さんがキッと高橋さんを見る、と言う場面が何度か。しかしこれ、「おいおい大丈夫かよ」と言う感じではなく、「声の状態がこうなら演奏をこう展開しようか」と瞬時の判断に利用していたようにも思えました。考えすぎか?

そしてこのメモについて補足しとこう…自分でも何だろうとちょっと考えたものもあるが……。

・無印良品のひとをダメにするソファ
単に「Night & Day, Day & Night」の歌詞を聴いてて連想したことですね……しかしこじつけかも知れんがこの曲はこのソファで聴いたらより実感出来そうな。起き上がれなくなりそう。高橋さんの描く気だるいSFみたいなAOR

・「チャイナカフェ」の鹿島さんコーラス
ビックリした! バンドでのライヴを観るのが二度目なので判らないんですがこれってレアなのだろうか、初めて聴きました

・ピック弾き
これも鹿島さん。いんやどう弾いてもゴリゴリだなこのグルーヴマスター!

・SBフリーキーからムーディ迄
SB=佐藤さん。バンドのグルーヴの舵をとっているのは鹿島さんだが、そこにいちばんはやく反応するのが佐藤さん。ソロは勿論リズム展開もくるりと変えてくる。高橋さんの曲には確固とした世界観を強く感じるが、その世界をこの角度から見るとこう違って見えるよ、と言う指針を示してくれる

・ジョンスペ
「大統領夫人と棺」の謎の動きがジョンスペがテルミン演奏する姿に似てたので。てかこないだサマソニでジョンスペ観たから思い出したんだな…あれはエアテルミンだと思うことにした

その他。

・ギターはメインがジャズマスター、『ブラックバード』のみギブソンES-330。エフェクターもご本人のツイートに詳しく。

・高橋さんの衣裳は『The Endless Summer』のジャケットと同じもの。なかなか他のひとが着こなすのが想像しづらい…モダンと言われるの、解るわ〜
・アンコールでメンバー全員『夏(の終わり)』がテーマの衣裳だったと明かされ撮影OK(!)に。皆で手をつないでバンザーイと挨拶。おおおこんな光景が見られるとは
・途中のMCで「『大統領夫人と棺』を出したときにポスターを作ったんだけど、ふと自分のポスターを売ると言うあつかましさに気付いて耐えられなくなって売るのやめた」と言っていたひとが〜。照れ臭そうにしてるのがまた微笑ましい
・しかしこのポスター、在庫があるし「自分が耐えられるくらいの枚数だけ持ってきました」とのことで今回販売されてました。購入致しました(笑)

しかしご本人の気恥ずかしさはともかく、高橋さんのアートへの愛情と拘りは一貫して感じられることで、それは自身の作品にもしっかりと反映されている。CDをはじめとするフィジカルなフォーマットによるアート、ライヴで表現する形にならないアート。それらがリスナーに届き、たからものになる。今回のアルバムのアートワークも素晴らしいが、そのジャケットで彼が手にしている額縁は、ここ最近のライヴで小道具として使われていたキャンバスや額装用のマットに繋がってハッとした。額縁によって切り取られている海、夕日、自分の姿。世界が額縁によって絵になっていく。音楽と言うものも、作り手により切り取られた世界なのだと思う。ちなみにこの額縁、以前twitterでも話題になったので備忘録としてリンク張っときます。個人的にはジョニ・ミッチェルが連想されました。

・2015年03月23日 - Twilog

『The Endless Summer』のアートディレクションは木村豊。長年高橋さんと組んでいる方ですが、考えてみればレコード会社を移籍したり離れたりするとそのまま関係も終わるデザインチームは少なくない。間を置きつつも今でもコラボレーションが続いているのは、お互いがつくるものへの敬意と愛情、そして何より「組んだらいいものが出来る」と言う確信があるのだろう。そうそう、今春のMdNでとりあげられた『ベッドタウン』の記事もとても面白かった。今とりあげたと言う点からしても、長く印象に残る仕事だったのだなと思います。

・MdN『木村豊[Central67]の名盤設計図』

個人的には先述の「Night & Day, Day & Night」もそうだったけど、今回は「犬と老人」にもSFを感じた。歌詞から連想されることも多いけど、とても高いところから、それこそ地球のとある風景を見降ろす視線、それは神の視点とも言えるけど、そこ迄格式張ったものでもない。藤子・F・不二雄の描く土管のある空き地をふと思い出した。昔はあったかもしれない、今はどこにあるのだろう? 創り手と聴き手の心が交信するかのような、実在しない思い出。ふわふわした気分で会場をあとにしました。

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セットリスト(高橋さんのツイートより:12

01. 5分前のダンス
02. ドライブ
03. The Orchestra
04. 微熱
05. サマーピープル
06. 赤いカーテン
07. Night & Day, Day & Night
08. シグナル
09. 怒りを込めて
10. チャイナ・カフェ
11. ブラックバード
12. ハリケーン・ビューティ
13. 大統領夫人と棺
14. 真っ赤な車
15. 夜明けのフリーウェイ
16. バタフライ・ナイト
encore
17. ユニバース
18. 犬と老人

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2015年09月13日(日)
mouse on the keys『the flowers of romance』発売記念ミニライヴ

mouse on the keys『the flowers of romance』発売記念ミニライヴ@CUTUP STUDIO

CUTUP STUDIOは渋谷タワレコのB1Fにあるスタジオ。そういえば『an anxious object』が出たときもここでリリースイヴェントやりましたね。当時はSTAGE ONEってスタジオ名だった。それで思い出したが、ここでやったイースタンユースが一時間で一曲作ってレコーディングしちゃおう企画は面白かったなあ。

と言う訳で、タワレコ購入特典のライヴです。今回はmotkの三人+ネモジュン+ケンジー(group)の五人編成。sxふたりって編成は初めて観た。ケンジーくんも初見、groupってバンド名がまた検索泣かせ、どういうひとなのか謎なままですョ…しかし演奏は格好よい。sx同士の丁々発止、ヒリヒリな音。

「The Lonely Crowd」はじまりで、序盤は曲間を空けず、拍手する間も与えず進む。インストア故短時間、どんどんやるぜ俺はやるぜと言う感じか。繋げなかった楽曲も導入部分はインプロ展開でした。編成の影響なのかこれから始まるツアー用なのか、結構ブリッジ部分を変えてきていたのでイントロ入る迄どの曲か見えないものもあり面白かったなー。コード入ってきてあっあれか! と気付いた瞬間の楽しさよ。

段差がないのであんまり視覚はよくなかったが、結構近い距離でドラムを堪能。ドラミングだけでなく声も堪能……と言うのも、川さんすごい声で合いの手入れるのな。特に「Toccatina」、あんなにパートパートで叫んでたっけ? もはやおはやしに聴こえる…そしてブレイク毎に腰が浮く。中腰でバッシャバッシャ叩く。ポンチさんが「興奮して二本足で立ち上がってリードがビーンてなるいぬみたい」と言ったのに大ウケです。やっぱシーザー……「ワンワンワン!」「やめなさいアキラ!」みたいな。やっ、なんか毎回茶化しちゃいますが演奏すごく格好いいんですよ! 反面MCがユルいのがまたいい。この日は素面のようでした。

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・INTERVIEW: mouse on the keys | Arban
インストア後のタイミングで出たインタヴュー。バンドを始めたときのコンセプト、読むと成程! と思う。知らなくてもいいっちゃいいんだけと、アハ体験と言うか…清田さんが軌道修正した話は興味深かった。
清田さんと言えば、今出てるKeyboard magazine(2015.10)の記事と併せて読むとまた面白い。ここメンバー全員そうだけど、結構年齢いってから今の楽器を本格的に始めてるんですよね…素地はあれど。それであんな演奏が出来るようになるのかとたまげます。人生何をするにも遅すぎるってことはないわ〜



2015年09月12日(土)
『夜への長い旅路』

『夜への長い旅路』@シアタートラム

役者の仕事が減ってきた父、医療ミスが原因で薬物中毒に陥っている母、その加療の原因となった弟、アルコール依存気味の兄。憎み合って傷つけあって、それでも離れられないタイロン家が過ごす、昼から夜。

ユージン・オニール作品は『喪服の似合うエレクトラ』しか観たことがなかった。そのとき強く感じたのはアメリカと言う国の闇と、そこで生きる家族の縛りあい。『夜への長い旅路』でもそれは確固としたものとして描かれていた。しかも、今作はオニールの家族がモデルとなっている。自分が生まれなければ、あの子を産まなければ、自分の病気を伝染さなければ、あの医者に診せなければ、このひとと結婚しなければ、お金があれば……お互いを責め、自分自身を責め、罪悪感をさとられまいと攻撃的な態度を示し、自己嫌悪に陥る繰り返し。家族全員が罪の意識に苛まれ続ける。そしてお互いを許そうと努力する。お互いを許すことは自分が許されることでもある。激しい口論や取っ組み合いのあと、どちらかが部屋を家を出ていくが、結局は皆帰ってきて、ひとつの部屋に集まる。

観ていて疲れる作品ですが、言葉のひとつひとつに惹きつけられるような力があること、それを語る役者が皆魅力的なこと、美術や照明が登場人物の心情に寄り添うかのように繊細に変化すること等、ヒーつらい! と思い乍らも入り込んで観てしまったなー。台詞に関しては田中圭と満島真之介の兄弟もかなりよかったのですが、とにかく益岡徹と麻実れいの夫婦が絶品。格式張った言葉遣いや名前を連呼する等の翻訳調が気にならない。怒鳴ったり声を割っても言葉が明瞭。特に麻実さんは、弱り切った病人のささやき声も禁断症状による狂乱の叫びもピシリと通る。不安定な精神を抱えていると言う役柄を反映し短いシーンでもコロコロと声色が変わるのですが、その変化のスピードに観客の耳がしっかりついていけると言うのはさりげないことだけどすごいなと思った。そして麻美さんのブランチで『欲望という名の電車』を観たくなった。

言葉とは裏腹に、身のこなしにはちょっと違和感が。アメリカ人ならあれくらいのスキンシップはするだろうと頭では納得出来ても、それにしても過剰に感じる。振付? と思ってしまうような不自然なポーズも。客席からはこう見えるだろうと考えに考えたのだろうな、どのシーンも絵画のように構図がキマるな、と感心はするものの、その考えました感が透けて見えてしまうような印象だったのは残念。

と言いつつ、オープニングの家族四人が肩を抱き合い寄り添うシーンの美しさにはほろりときた。そして長い旅路の末辿り着いた夜、家族にしばしの休息が訪れたかのような幕切れ。その安らぎが続くとはとても思えず、幕開けのこのシーンを懐かしく思い出す。余韻の深い舞台でした。

あと個人的な感想としては、今『ソニック・ハイウェイズ』を観ているところなので、アメリカって国の大きさ(国家としての影響力、多様な人種、土地の広さ)について考えることも多かった。隣の家迄何kmとか、病院や商店迄何百kmとか、その無人地帯で事故や事件が起こったら……? この「物理的に目が届かない」感じ、日本に住んでいると想像しづらい。それにしても『ソニック・ハイウェイズ』、日本語でしっかりしたレヴュー書いてるとこ見付からないなあ…アルバムだけじゃなくてこの映像作品の、ひとの感想が読みたい〜。

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・神奈川大学大学院『言葉と文化論集』第9号「ユージン・オニールの家庭劇の系譜」吉岡健吾(PDF)
検索してて見付けました。タイロン家とオニール家の共通点についての詳細はこちらをどうぞ。読むとしょんぼりします



2015年09月10日(木)
『幕末太陽傳』

『幕末太陽傳』@本多劇場

1957年に公開された川島雄三監督の映画が原作。2011年末、新宿地下街にこのポスターが貼られていた。

・映画『幕末太陽傳』デジタル修復版

色鮮やかで美しいデザインのポスター。「生きるんでぃ!」と言うコピーも印象に残った。たいへんなことが起こった年の瀬、このポスターを見掛ける度に少し気持ちが華やいだ。毎日そこを通るのが楽しみになった。あらすじを読み、『居残り』『品川心中』が挿話として使われていることを知る。このふたつの落語は知っていた。ますます興味が沸く。結局映画館へ行く時間がとれず、でも映画館で観たくて、DVDには手を出さないまま四年。今度は劇場でもらう大量のチラシ束をめくる手が止まった。

・舞台『幕末太陽傳』オフィシャルWEBサイト

こちらの宣美も見事。しかも佐平次を青木崇高が演じると言うじゃありませんか。他のキャストもかなり好みなうえ演出が江本純子、これは気になる。ウキウキと改装された本多劇場へ。椅子の座り心地がよくなってましたよ。

序盤は怒涛の展開と聴きなれぬ江戸弁に戸惑う。言葉遣いに役者が振りまわされてしまっているなあと感じる場面も正直あった。聴く方(観客)だけでなく演者も台詞と格闘しているなと思う。しかしそれらを幕末の騒々しさだと受け取れば、あとはもう楽しさばかり。ワクワクドキドキ、おそめとこはるのキャットファイトも見ものです。ここらへん江本さんの味が出ていたような(笑)。登場人物たちが自ら舞台上へと装置や小道具を持ち込み、場面が地続きになる転換が特徴的。三段ほどになっている舞台の立ち位置により、時間と場面がスピード感を持ってジャンプしていきます。衣装替えし乍ら出てくる役者さんもいて、これはそういう狙いなのかホントに着るのが間に合わなかったのか微妙に判らなくなっているアップアップな感じがもはや面白い。ドタバタシーンは本当の意味でドタバタして見えた(笑)。音楽は伊藤ヨタロウ、メトロファルスのリスナーでヨタロウさんの曲は長年愛聴していますが、近年は粋な劇伴を書くひととしての信頼感も増しました。

「おっと、その幸せがおいらの苦手」「地獄も極楽もあるもんか、おいらまだまだ生きるんでぃ!」。台詞のひとつひとつに胸がすく。『居残り』『品川心中』以外にもさまざまな引用があったようで、そこらへんの知識があればより楽しめたかもしれません。「首が飛んでも動いてみせまさァ!」は『四谷怪談』からだよね。それとも江戸の流行り言葉だったりしたのだろうか? 自分の勉強不足もあるけど、映画が公開された当時はこういった娯楽、文化が庶民に浸透していたのだろうなあと思う。

青木さんの佐平次、それはもう魅力的。この愛嬌は貴重だなー。野中隆光が気のいい若旦那を好演。このひとシャンプーハットでも映像の仕事でも、ホントおっかない残忍な人間を演じることが多いので、そうだよこういう役も出来るひとなんだよー! 素敵なんだよー! と叫びたい気持ちに(笑)。おそめを演じた田畑智子は三味線も披露、和服での身のこなしがサマになる。和服と言えば、宍戸美和公の衿の抜き方も素敵でした。

年配のお客さんも多く、ドッと笑いが起こる場面もしばしば。映画版をリアルタイムで観ているであろうひとたちにこの舞台はどう映るのかなと思っていましたが、楽しんでいる方が多いようでした。やっぱり映画館で観たいな、家でひとりでひっそり観るよりきっと楽しい。いつになるか判らないけど、名画座をチェックしておこう。それにしてもこの映画に出たときのフランキー堺って、28歳だったんだ…綺麗な顔立ちですよね。

映画版でナレーションを務めた加藤武のコメントが舞台版の公式サイトに載っていた。「おーい、あっちの御連中よ。済まない。この舞台を観てからじゃないと私は逝けなくなっちゃった。」加藤さんは七月に亡くなった。ご本人も、江本さんをはじめとするスタッフキャストも、とても残念な思いをしただろうな、と思い、楽しい作品に少しせつなさを残した。

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・日本映画の傑作『幕末太陽傳』を江本純子の上演台本・演出により舞台化! 破天荒だが粋で憎めない佐平次役に、青木崇高が挑む!|e+(イープラス)Theatrix! Pick Up



2015年09月05日(土)
『RED』

シス・カンパニー『RED』@新国立劇場 小劇場

マーク・ロスコの話な訳ですが、彼については代表的な作品群と、最期についてを類型的に知っているだけだった。その有名な『シーグラム壁画』が、シーグラムに飾られることがなかったのは何故か? 彼の傍にいたかも知れない助手とのやりとりからその謎に迫る。脚本は『グラディエーター』『007 スカイフォール』等、映画での仕事で成果をあげているジョン・ローガン。翻訳・演出は小川絵梨子。マーク・ロスコ=田中哲司、助手=小栗旬のふたり芝居。

シーグラム壁画の謎を追うと言うミステリ、アート制作の舞台裏とそれにまつわる芸術家の苦悩、ふたりの人間の交感の物語。話の層が厚く味わい深い。ロスコが助手を雇ったのは労働力の必要に駆られてであり、その助手の感性に興味がある訳ではない。助手にはケンと言う名前があるが、それを知ることが出来るのは作品紹介のテキストやパンフレットからのみで、彼は劇中一度もロスコから名前を呼ばれることがない。冒頭からロスコは膨大な言葉を吐く。それは独白のようであり、ひとあたりよく接しようとする助手をはねつけ、聞き手に何も期待していないかのように響く。この台詞量、近年哲司さんが出演してきた舞台を連想させる。よくこんな台詞憶えられるなと言った現実的なことから、では何故彼にこういった作品へのオファーが多いのか、どうして彼はそのオファーを受けるのかと言ったこと迄いろいろと考えさせられる。そして彼が舞台で演じる人物には、常にと言っていい程死の色が濃い。

助言等必要ない、お前には何も聞こうとはしていないと言うロスコだが、それでも彼は助手との対話から何かを探し当てようとしているようでもある。あることをきっかけに彼は助手の過去を知り、それに応えるかのように自分の過去をぽろりと話す。時間の経過とともに、その交感の時間が増える。助手には同世代の「仲間」がいると示唆されるような場面も挿入され、対してロスコにはそういった人物がいないさまが浮かび上がる。いたとしてもその仲間は既に死にとりこまれ、自身の未来を侵食してきている。身体の老いはイメージを筆に落とすことを困難にし、それに伴い決断に迷いが生じる。助手はロスコが解りきっている現実を突きつけ、ロスコは助手がそう言ってくれることを待っているかのようにすら見えてくる。それはロスコから助手への、アートと人生のリレーのように映る。ラストシーンは助手の巣立ちのようにも、ロスコが助手を解放したかのようにも解釈出来るが、それは感傷的すぎるだろう。ロスコの最期を暗示させるような場面もあり、センチメンタルとは離れたところで尾を引く。

芸術への理解と言うものは抽象的である場合が多いが、鑑賞者の目に映るものは絶対に万人同じではない。抽象画と言われていても具象画に見えるひとはいる。そしてそのイメージを言語化出来なければ感動を共有しづらい。言葉が持つ数多のイメージを操る劇作家の孤独にも重なるようだった。劇中連呼された「いいね!」は、SNSへの示唆にもとれたが原語ではどうなっているのだろう。Facebookにおける「いいね!」は、英語版では「Like」。芸術への理解は翻訳でもある。

赤と黒と言う色からイメージされる台詞の応酬、そのイメージを目の前に差し出すかのような、表情豊かな照明は服部基によるもの。前述したような死のイメージをまとう哲司さんと対峙する小栗くんは、未来を感じさせてくれる輝きを持つ助手像。長身のふたりが100号はゆうに超える(パンフによるとF150号とのこと)キャンバスを塗りつくす場面は圧巻。息があがるふたりを息をつめて見つめる観客、緊迫感が持続する小劇場の空間もいい。コミカルなやりとりもあるので終始眉間に皺を寄せて観る小難しさもない。そういう時間があるから尚更せつないのだが。それにしても飲食し乍らのシーンはたいへんだろうなあ、これをマチソワも結構あるひと月半続けるのか……と違う面でも役者のたいへんさにしみじみする。

『ART』と同じ年に観られたのもよかった。『RED』は創作者側から、『ART』は鑑賞者側からの視点。

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・PAPERMAG: Backstage with Red's Eddie Redmayne
・英語生活:エディ・レッドメイン【37】2009年のインタビュー記事、舞台REDレッド
2009年の英国初演では助手をエディ・レッドメインが演じたんですねー。そのときのインタヴューが興味深かったので張っておく。自身の「color-blind」について、色を扱う作品に出演することについて、テクニカル的なことから心情から。自身の髪の色について話されることについての戸惑いも