初日 最新 目次 MAIL HOME


I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
kai
MAIL
HOME

2011年11月25日(金)
『太陽』

イキウメ『太陽』@青山円形劇場

腹を据えて行ったけどやっぱり打ちのめされるなー、前川さんホントすごいの書く。役者さんたちも素晴らしい。苦しいし考えることも多い、けど見逃せない。二時間で頭も心もフルに使う。どんなに落ち着いて観るつもりでも感情を揺さぶられ、どうしようもない気分で劇場を出る。こういう体験が忘れられなくて、こういう体験に出会いたくて、だから劇場通いが辞められないのだ。

それにしてもここ迄書くとは。そして自分はこうだ、とちゃんと決着をつけている。その決意に爽快なものはない。それでもこうだ、と描いた。以下ネタバレあります。

SF。どんな恐ろしい場面にもひとの優しさと言うものは存在するし、同時にどんなに穏やかなひとでも自分の大切なものを奪われて平静ではいられない。果たしてそうか? 醜く美しい、それはどれもが人間の姿。種族が違えど、変化すれど、集団が形成されればそこには必ず階級が発生する。平等な世界なんてありはしない。では、どうする? そこ迄描く。登場人物がそれぞれの立場から、「自分で考え」て、選択する迄を描く。そして勿論、そこで問題は解決などしないのだ。人生は続き、それどころか自分の死後も続く。そして、この種族も、いや、どの生物もいずれは滅亡する。ノクスの万能感は実は進化ではないし、キュリオの感受性は社会の役に立たない。どちらもお互いの持っているものに一種の羨望を感じているが、それが何を意味するのかを理解していない。

しかしそこでハッとさせられるのは、その“ひとの優しさ”を感じさせたのが生まれつきのノクスである門番であり、感受性の醜悪さを露にしたのが当のキュリオたちだったところだ。キュリオからノクスに変異した娘は躁状態にすら映る不気味さでその万能感を唱え、その気分を以前感じたことがあるだろうノクスの医者は自分たちのことを「病気だ」と結論付け、自らの命を終わらせようとする。ノクスの門番とキュリオの男の子が心を通わせ乍ら衝突する経緯は、個人対個人では全く問題ではなかったことが、それぞれが所属する社会的立場によって顕在化すると言うことを見せつける。そして、この世界では社会に所属しない、と言う選択はないのだ。では、どうする。門番は「それは自分で考えるんだ」と言い、男の子はノクスになると言う選択を捨てる。

台詞がない場面での緊迫感や日だまりのような安堵感が、瞬間瞬間で入れ替わる。物語の世界観を立ち上げる前川さんの演出家としての手腕と、演出の意図を理解しその世界の住人となる、役者陣の懐の深さにも唸らせられる。出演者全員が、「この気持ちは何だろう? どう名付ければいいのだろう?」と言った感情の表現を、これしかない、と言った形で提出してくる。嬉しい筈なのに悲しみの涙が流れる、愛情を感じている筈なのにそれが何か理解出来ない。これは言葉には出来ないものだ。舞台にしか存在しない、言葉に変換出来ないもの。

安井順平さん(医者)にはもってかれた…ノクスの幸福を語り乍ら、キュリオへの罪悪感を拭いきれない。あらゆるシーンでその葛藤が表情の端々に出る、声のトーンに出る。浜田信也さん(門番)には寂しさがつきまとう役が似合う。彼が生まれつきのノクスだった、と言う設定は、理性が感情を兼ねることが出来るのではないか? それは進化なのではないか? と思わせられる希望のひとつになっていた。複雑な難しい役だと思うが、浜田さんの透明感漂うニュートラルな演技は、ノクスへの好感と無自覚の悲哀を同時に感じさせた。盛さんと伊勢さん、有川さんと岩本さんがそれぞれ演じるノクスのパートナーシップ、キュリオの愛情表現が違う質感として感じられたのもおおきなポイント。加茂さんと大窪さん(キュリオからノクスへの変異を選ぶか迷う若者たち)の感情の振り幅の大きさは若者にしか直面出来ない葛藤に満ちていて、その後のふたりの選択にも胸が痛んだ。そしてキュリオの醜さを全面的に引き受けた森下さんは恐怖感を抱く程のユニークさ。限られた出番でガッチリ存在感を示していた。

「朝」がくる恐ろしさと「夜」の静かな美しさを表現する照明と音響、要所要所の音楽も素晴らしかったです。ここ迄描ききった前川さんと演じきった出演者、舞台をあの世界に立ち上げたスタッフの方々に感服。現時点で今年のベストワン。



2011年11月23日(水)
『マネーボール』

『マネーボール』@新宿ピカデリー スクリーン2

プロの野球選手とプロの人買いの話。野球のみならずスポーツ好きにはグッとくるところがあると思うー。ハリウッドにしては地味なのかも知れないが自分はこういうの大好き。以下ネタバレあります。

主人公のオークランド・アスレチックスゼネラルマネジャー、ビリー・ビーンは実在する人物だそうで、映画化にあたってスティーヴン・ザイリアンとアーロン・ソーキンが創作部分を加えて脚本を書いたそう。どこ迄が創作かは判りませんが、映画化されるだけのことはある魅力溢れる人物なのだと思います。しょっちゅう何かをつまんでる(反面“食事”のシーンが全くない)、筋トレ大好き、自チームの試合を観ない、遠征には同行しない…一見偏屈な印象を与える彼の真意を示すエピソードがさりげなく、しかし丁寧に積み重ねられていきます。反面選手たちの背景や感情を表す場面は極力抑える。一分一秒を争う電話交渉のシーンは、早口でまくしたてる台詞でテンポよくスリリングに見せる。

「高卒で44歳」のビリーは「イェール大学卒の25歳」のピートを相棒にスカウトし、マネーボール理論を実践に移していきます。打率ではなく出塁率、被安打ではなく与四球、奪三振率。あらゆるデータを検証し、少ない予算で適材適所の選手を集める。自分たちの経験と直感を誇りに思っているチームのベテランスカウトマンたちや監督は、この革新的な方法論に反発します。

結果としては、アスレチックスが成功したとは言い難い。しかし、そこにあるのは野球が好きで、野球のために限られた条件のなかで全力を尽くすプロの裏方たちの姿です。勝てば監督のおかげ、負ければGMのせい。出塁だけを期待されて代打に立ったスコット・ハッテバーグがホームランを打つ。太り過ぎて走塁が苦手なジェレミー・ブラウンが必死に走るも転倒、しかし打球はスタンドに吸い込まれている…と言ったような、確率論だけでは済まされない夢や奇跡をどこかで誰もが信じている。そして、その夢や奇跡を導きだすのも確率論だと信じている。だから迷いや揺れが出る。そこが魅力的に描かれる。

ビリーが遠征に同行しないのは、必要以上に選手と仲良くなるとクビを斬りにくくなるから。試合を観ないのは、自分が試合を観るとチームが負けると言うジンクスがあるから(それを知っているのは娘だけ…いや、きっと周囲の人間は判っている。進言出来るのが彼女だけなのだろう)。高額な契約金でスカウトされ、大学進学をやめてプロになったが鳴かず飛ばずに終わった自身の苦い経験を踏まえ、選手の長所と配置を慎重に追究する。冷徹にも映るそのどれもが、勝つための選手を集めチームを作る、プロのスカウトマンだからこその行為です。ロッカールームのソーダを無料にしたエピソードもよかったな。

日々そんなビリーの姿を目にし、ピートはプロのスカウトマンとしての姿勢を学んでいく。手腕を高く評価され、レッドソックスからひきぬきの話がきて迷うビリーにピートはジェレミーのビデオを見せる。彼はビリーに「あんたは間違ってない」と言っているように感じました。ピートも野球が大好きで、チームのために自分の持てる能力をフルに発揮したいと思っている。これは彼の成長の物語でもあるなあ、いずれガッツポーズも上手くなるよ(笑)。あ、あと何げにアスレチックスのオーナーがいいひとだったと思った…いいひとと言うか部下を信じてると言うか。レッドソックスのオーナーも紳士。ナベツネに見せたい(笑)。

ビリーとピートのチャレンジは今も続いている(その後ピートはアスレチックスを離れたそうだが)、と言う終わり方もよかったな。ドラフトやら、巨人の騒動が続いている時期に観たこともありしみじみした。原作読んでみよう!

複雑な人物像をあらゆる角度から見据え立体的な魅力としてたちあげたブラッド・ピット、ジョナ・ヒル、フィリップ・シーモア・ホフマンはそれぞれ存在感のある演技で素晴らしかったー。あとハッテバーグを演じた役者さん(クリス・プラット)がよかった!

最後に心に残ったエピソード。離れて暮らしてる娘と一緒にギターを買いに行って、お店でギターを試演し乍らハミングしてる娘にそれ唄って〜と言って、唄いだしたその歌詞を聴いて、ええそんな歌だったの?とガ〜ン(ポカーン)みたいな表情になるビリーがよかった(笑)。その曲(歌詞をちょっと変えている)が最後に効いてきます。Lenkaの「The Show」と言う曲だそうです。「パパはバカ」、「ショウ(=野球)を楽しんで」。

-----

・どうでもいい話
ライヴで菊地さんがセットリストやら告知の紙やらを見る際メガネ外して紙持った腕をのばーして目を細めて見る行為にキュンキュンきていたものだが、今回ブラピ(の役)が老眼鏡着けたり外したりしてるさまにもキュンキュンきた。これって老眼萌えか



2011年11月19日(土)
『ノーアート・ノーライフ』

NYLON 100°C 37th SESSION『ノーアート・ノーライフ』@本多劇場

珍しくケラさんのごあいさつが折り込みチラシの束に入っていました。普段のナイロンの場合、キャストスタッフのクレジットと、出演者の今後の予定を記載したリーフレットは折り込まれますが、ケラさんがわざわざ(売りパンフ以外に)ごあいさつを配布するのは珍しい。

と言う訳で10年振りの再演、初演の感想はこちら。初演も秋だったか、この季節に毎日スイカ用意するのも大変だよなあ…と思った憶えがあるわ(笑)、思えばこれがケラさん初の男芝居だったんですね。キャストの入れ替わりは大山くん→喜安くんだけかな。

清々しいくらい初演と感想が変わらなかった。すごい安定感。作品の普遍っぷり、ケラさんの揺らがなさに感服。ケラさんの他の作品と変わらず上演時間は長いし脱線する会話も多いけどそれが全く気にならないところもすごいな。ウェルメイドな舞台と言ってもいい。

しかし、件のケラさんのごあいさつにあった「世の中との折り合いをつけられ」ない、そしてそれは「表現衝動のみならず、生活全般に広が」り、「3.11以降、より顕著に、絶対的なものの不在を感じている」歯痒さはより大きくなり、2011年の今だからこそ感じられるものがあったのも確か。芸術は有事にまず不必要だとされる。政治に利用される。そのことを考えた。そして、個人的には、今また『フローズン・ビーチ』を観たい。改訂は必要になるし、出演者に関しても難しいだろうけど……。

ただただ衝動に従い、見返り等求めず、周囲と切り離されたところで自由に表現が出来るのはオケタニだけだ。そしてオケタニの才能とその作品は、清々しい程に役に立たない。ひとの心を動かすだけだ。そして彼はあっさりその才能を捨ててしまう。

役に立たないけれど、ひとの心を動かす。ひとの心を動かすからこそ利用される。そうなる前に、オケタニは才能をあっけらかんと手放したのだ、自分で意識することなく。天才だからね。

と、今は思ったりした。オケタニは穏やかに暮らして(穏やかと言っても、本人の頭のなかはそりゃもう凡人には理解出来ない世界が拡がっているのだろうが)誰にも利用されることなく一生を終えられるといいなあ、なんてことも思ったなー。スイカと虫に囲まれてさ、幸せでさ。三宅さんがこの役にぴったりすぎて怖いくらい。それはなんだ、天才とバカは紙一重、に見えてしまうそのルックスがあまりにも…その……賞賛すれば賞賛する程ほめてないみたいに聴こえそうで難しい………。

あー、そして大倉くんの手が綺麗って初演でも思ってた、再演でも幕が開いた途端に「大倉くん、手が綺麗…!」と思った(笑)なんだろあの冒頭のシーン、何故か大倉くんの手に目が行くんだよね。(贋作)芸術家の手。



2011年11月18日(金)
『往転』

『往転』@シアタートラム

チラシの情報だけを見ると、「アンチェイン・マイ・ハート」「桃」「いきたい」「横転」から成るオムニバス形式の芝居かなと思っていたのですが、実際に舞台に載っているものはひとつの流れになっていました。しかし、しかしこの脚本は構成と言うかたちでとても手を入れられたのではないか………。それ程、こりゃ青木さんの力がすごく多大だなあと言う印象を個人的には持ちました。開演前の挨拶、“現在”の入れ込み方も含め。このパワーバランスって…うぬううう。このことは自分の邪推であるし、出演者の巧さ含めとても心に残る作品だったけど、なんとも言えないひっかかりが残った。以下ネタバレあります。

福島経由で仙台へ向かう夜行バスが横転事故を起こす。6人の乗客中2人が亡くなり、1人の乗客と1人の運転手が行方不明になる。時系列を並べかえ乍ら、乗客たちがバスに乗る経緯、それぞれの事故後を追う構成です。要所要所で左右の壁に日時を表す文字や、“調査団”を連想させる扮装をした人物たちが撮影した映像が映し出されます。

亡くなったひとりの女性は、全員父親の違う「生み散らかした」こどもたちに自分の遺骨を分配してほしいという母親の遺言を忠実に守り、最後の目的地に向かう途中で事故に遭う。出発前、数年前に別れた男性が会いにくる。リストラされたばかりで、妻子のもとに帰りづらい彼は、その遺骨分配の旅に同行することにする。道中ふたりはいろんなことを話し、いろんなことを思い、男性は深夜バスが休憩で停まったSAに留まり事故を逃れる。彼は女性の遺骨をひきとり、家にも帰らず、旅を続けることにする。

中心はこのエピソードで、いろんな形の鎮魂と、図らずも道を外れてしまったひとたちの姿が描かれていくのだが、どうにも物語の焦点がぼやける。何故この路線のバスなのだろう。桃農家の風評被害と調査団を連想させる人物たちは、エピソードとして必要だったのだろうか。どうしようもなく滲み出る現在と、意図的に組み込んだ現在の肌触りの違い。意図的でもいいのだ、今と言う状況を反映させたいと言う思いなのだろう。しかしイヤな言い方だが、ただ、それだけのことのように感じてしまった。そしてその提出方法を説明過多に感じてしまったことが残念。

出演者は皆素晴らしかったなー。聖子さんの人生の機微を感じさせる表情、弱さを隠し続ける強さを表す声色、仕草のひとつひとつ。優柔不断を絵に描いたような人物が、最後に決断したことの大きさと重さを感じさせる、大石さんの清々しい最後の姿。底抜けに明るく図々しい典型的なオバチャンが、実は息子に金をせびる程に浪費癖を患っていたことを告白するときの陰の濃さは流石峯村さん(唸った…)、仗さんの、金にスレて人間不信そうなのに実は情に厚い人物も印象深かった。自分の性に迷い、常にイラつき悩む女の子を演じた穂のかちゃんもよかったなー。ふたりの人物を演じた柿丸さんの切り替えも見事。市川さんと浅利さんは、行き着く先が不明瞭な難しい人物像をしっかり舞台に立たせていた。

聖子さん、峯村さん、大石さんはもう随分長いこと観ている役者さん。彼らがこういう、人生の後半を迎えた人物を演じる年代になったのだなあ、そして自分もそういう年齢になったのだなあ、としみじみした舞台でもありました。以前は気付かなかったことに気付けると言う意味では、嬉しいことでもある。

あ、あと選曲がものっそい80年代の坂本龍一周辺で、曲が鳴る度ギャッとなりました(笑)。しみついてる……。



2011年11月17日(木)
『エオンナガタ』

『エオンナガタ』@ゆうぽうとホール

ロベール・ルパージュが演出でラッセル・マリファントが振付、それをシルヴィ・ギエムが踊るコンテンポラリー。と思っていたら……いやはや3人がガッツリ組んだコラボでした。ルパージュもマリファントも踊り、ギエムが台詞を語り歌を唄う。18世紀に生きた両性具有のスパイ、シュヴァリエ・デオンの数奇な運命を辿った70分間のストーリー。男性と女性、そしてその両方を持ちうる性。フランス、イギリス、ロシアと言う3つの国とその言語。デオン(EON)を3人のパフォーマーが体現する。

ルパージュを観たのは2006年に上演された『アンデルセン・プロジェクト』(ルパージュ版白井さん版)以来。これを観ていたおかげか、今回の作品にもすんなり馴染めた感じがしました。ある人物の一生をルパージュの手法で描く。昨年来日した『ブルー・ドラゴン』を逃したのが悔やまれる…最近ではMETの演出も手掛け、すっかり大御所ディレクターのイメージですが、舞台に立つ彼の若々しいことと言ったら。身体がビュンビュン動く。序盤のテーブルを使ったシーンではギエム、マリファントと丁々発止であり乍ら絶妙なコンビネーションのダンスを見せてくれました。その反面、老いて亡骸へと変化し解剖されていくエオンの最後の姿を演じたのも彼。不思議な説得力がありました。年老いてはいない、けれど生命の炎は徐々に小さくなっていく人間の姿。しかしその灯りは最後の瞬間迄灯りなのだ。

基本的な演出、枠組みはルパージュのものだと思いますが、そのなかで演者がどう動くか、どう生きるかと言ったこまかい部分は3人のアイディアを持ち寄ったもののようでした。マーシャルアーツの引用はマリファント、布をまとうことで動きを美しく見せるギエム。そして三人の共通点、愛情溢れる日本文化へのオマージュ。歌舞伎や文楽を連想させるモチーフが、随所にスタイリッシュに織り込まれています。前述の『アンデルセン・プロジェクト』のアフタートークでも指摘されていましたが、ルパージュは上演を重ねるごとに作品をどんどん変えていく(上演される国、言葉、文化を柔軟にとりいれる)タイプの演出家だそう。「映像の魔術師」とも言われる彼ですが、今回は「光の魔術師」と言った方がいいかも。ギエム演じる女性エオンとマリファント演じる男性エオン、そしてルパージュ演じる第三の性のエオンが、照明とセットの鮮やかな転換とともに次々と入れ替わっていくさまには幻惑されました。ゆったりした動きのなかでそれを行う箇所も多々あり、それは演者の高い身体能力を要求されるもの。落ち着いて観られるのはギエムとマリファントのポテンシャルあってこそ。

テーブルやボードをスライド、回転させることによって時間も空間も自在に移動する。四角く区切られたピンスポ、登場人物の心象風景を可聴化にしたかのようなノイズ。照明デザイナーはマリファントとの共同作業を数多く手掛けているマイケル・ハルズ、サウンドデザイナーは『アンデルセン・プロジェクト』もこのひとだったジャン=セバスティアン・コテ(すごく独特で心地よいんです)。芳醇なアイディアに溢れ、整然とした美しさを提示したおふたりの仕事っぷりにも魅了されました。そして衣裳のアレキサンダー・マックイーン。全身纏足みたいな印象すらあるのですが、ダンサーたちが着るものなので開放的。ボンデージ&ディシプリン的なものが意識され、エオンが常に抱いていたであろう“抑圧”を感じさせる衣裳でした。流麗なラインなのにそこはかとなく恐ろしい…マックイーンの生霊がステージにいるようだった。いやマックイーン死んじゃったから生霊じゃないか…残念だよ……。

そして女優・ギエムの魅力が満載でした。男装を禁じられ、クリノリン(この名称だって今知った…)で拘束された(ように見えた)エオンの悲しみを、静かにしかし饒舌な所作で表現。ひとつだけもらった勲章をだいじそうに胸につける仕草、小さな部屋に押し込められ膝を抱えるその姿は、ちいさなこども(少年でもあり少女でもある)のようなはかなさでした。声もいい。ギエム演じるエオンとルパージュ演じるボーマルシェのシーンでは、前半は台詞を交えたコメディ、後半は前半での動作を踏襲しつつボーマルシェを誘惑するエオン、と言う妖艶な図式で見せる。鏡を介したマリファントとの対峙も官能的でした。

ギエムはこの作品を「ダンスのあるスペクタクル」と称していました。トップクラスのパフォーマーとスタッフが作り上げた非常に美意識の高いステージ。在り方は対照的ですが、『ザ・ショー・マスト・ゴー・オン』に続き、短期間で「ダンスと音楽、それらと密接に関わった演劇」を観ることが出来たのは幸運でした。



2011年11月13日(日)
『猫背シュージ vol.2』

『猫背シュージ vol.2』@下北沢SHELTER

第二回。休日のお昼にシェルターでゆる〜いトークライヴ…の筈が、終始ゲラゲラ笑っていたので頬骨が痛い。

前回を踏まえて流れを考えたか?段取りよく進行。しかしあまり段取りがよいとグダグダじゃなくなるので、そこらへんの塩梅がぬるめのおふろな感じで気持ちよいですよ。例えば前回はごはんをよそうのが手間で(そりゃ100人↑分のごはんを紙皿に、ですから)皆でいただきます、迄時間かかったりしたことから考えたのか(でもおいしかったのよー!)、今回のひとくち料理は「味付けうずらのたまご」。ひとつずつ紙コップに入れて配膳、サクサクッと。

前回はウチでも手軽に再現出来たが今回は…煮豚の煮汁を用意するためまず煮豚を仕込まねばならない(順序が逆・笑)。かつお、こんぶ、しいたけの出汁に煮豚の煮汁を加えて漬け込んだもの。八角の風味がほんのり、でも和の味!うまーい!

今回は開演前に出演者への質問募集があり、それをネタにしたトークも。「どうにも料理上手になれません、自分の料理をおいしいと思えません。どうすればいいですか」、「就職する会社就職する会社倒産します、どうすればいいですか」等々にオクイさんと猫背さん、楠野さんで一所懸命答えます。皆さんひとがらが出る…オクイさん何げにいいひと……そして楠野さんドS……。猫背さんのお芝居への関わり方について聞けたのがよかったな。出演作を選ぶ基準とか。公演が終わりに近付くと寂しくなっちゃってめそめそして若い子に慰めてもらうとか、かわいい。その反面終演後酒が入るとトラになる(笑)ここらへんはtwitterでもご自分から暴露されてますが(笑)。

twitterと言えばオクイさんや松尾さんのネガティヴツイートは芸になっていて面白いと言う話も。ホントにねー。いやまあ身体だけはだいじにね……。

そして今回はゲストがいらっしゃいました、顔田顔彦さん。ウワサのマジックを見せてもらえたぜ!種が見えるぜ!本人ずっとテンパってるので終始段取りが悪いぜ、もはやそのテンパリっぷりも芸の域か。あまりにも段取りが悪く周りの助けが悉く無効になるのでオクイさんがキレておった。そのキレた自分にハッとしてシュンとなるオクイさんかわいい。そしてグダグダマジックを終えた顔田さんに優しくなるオクイさんいいひと。

そんな顔田さんでしたが、最後の最後にはハトを出してくれたよ!すごーい!しかもハトさんおとなしく賢いそしてかわいい。マジックにつかうため自分で飼っているそうで、その飼育が大変だと言う話も。『欲望という名の電車』でも出てきたハトはやはり顔田さんちのだったんですねえ。そう今回、春に上演された『欲望という名の電車』の出演者が3人いたので、そのときの思い出話とかも楽しかったです。顔田さんがいかにおちつきがないかって言う(笑)。

面白動画コーナーも引き続き。それにしても『氣志團現象』DVDに偶然松尾さんが映り込んでたってのには大ウケした。偶然にも程がある!しかも松尾さん完全に素の顔(爆笑)そりゃそうでしょう、ただ通りかかっただけだもの…。腹がよじれた2時間ちょいでした、楽しかったー。



2011年11月12日(土)
『ザ・ショー・マスト・ゴー・オン』

『ザ・ショー・マスト・ゴー・オン』@彩の国さいたま芸術劇場 大ホール

フェスティバル/トーキョー(F/T11)五本目、ラストです。F/T11のクロージングでもあるジェローム・ベルの『ザ・ショー・マスト・ゴー・オン』。めーちゃーめーちゃー面白かった!身体、現在、瞬間、普遍。ダンスだけでなく、音楽と密接に関わった演劇に興味のあるひとにはグッとくる!端々にあらゆる仕掛けが施されていて、シンプルに舞台上で起こることを楽しむことも出来るし、出演者やスタッフのバックグラウンドを探りたくなる魅力にも溢れている。いやージェローム、策士だわー。以下バリッとネタバレします。

28人のダンサーとDJが出演者。オーディションで選ばれたのは26人だそうなので、2人はスカウトだったのかな?(この謎はアフタートークで明らかになります。後述)ダンサーの出自はさまざま。快快の篠田千明さん(二日目は降板)や冨士山アネットの長谷川寧さん等、実際にダンスカンパニーで活躍されているひともいれば、足立智美さんや今井尋也さんと言った音楽家もいる。ダンスでステージに立つのは初めてなのでは?と思わされるひともいる。年齢は17〜67歳、身体的特徴もバラバラ。音響卓はステージと客席最前列の間に置かれており、さい芸の音響スタッフの方がDJとして曲をかけていく(一曲ずつ、CDをセットして鳴らす)。

果たしてかかった曲のタイトルが、舞台上で繰り広げられることになります。えーと、使用曲もネタバレしますね(と言うか自分用メモ)。

-----

01.Tonight(Jim Bryant, Marni Nixon / Leonard Bernstein / West Side Story ost)
02. Let the Sunshine in ―太陽の光を入れよう(The 5th dimension / Galt Mac Dermot / Hair ost)
03. Come Together(The Beatles)
04. Let's Dance(David Bowie)
05. I Like to Move It ―それを動かすのが好き(Reel 2 Real)
06. Ballerina Girl(Lionel Richie)
07. Private Dancer(Tina Turner)
08. Macarena ―恋のマカレナ(Los del Rio)
09. Into My Arms ―腕の中へ(NIck Cave & The Bad Seeds)
10. My Heart Will Go On(Céline Dion / Titanic ost)
11. Yellow Submarine ―黄色い潜水艦(The Beatles)
12. La Vie En Rose ―ばら色の人生(Édith Piaf)
13. Imagine(John Lennon)
14. Sound Of Silence(Simon & Garfunkel / The Graduate ost)
15. Every Breath You Take ―見つめていたい(The Police)
16. I Want Your Sex(George Michael)※これどうだったっけか…リストにはあるが記憶にはない
17. Killing Me Softly With His Song(Roberta Flack)
18. The Show Must Go On(Queen)

-----

かかった曲のタイトル部分が唄われるタイミングで、ステージ上部のスクリーンにその曲のタイトルが字幕表示されます。オペが一箇所ミスって、「Into My Arms」の最中に「My Heart Will Go On」のタイトルが出てしまったのが惜しかったー。何やるか判っちゃったもんね(苦笑)。でもこの作品を宴会芸やネタものと言う文脈で片付けたら、それ以上のものは見えて来ない。さて、舞台は整えられている。想像力でどこ迄遊べるか。

「Tonight」は完全暗転。「Let the Sunshine in」で照明が灯り始め、「Come Together」でダンサーがステージ上に集まってくる。これは…これって……と固唾を呑んで見守っているときた、「Let's Dance」!ダンサーたちが思い思いの動きで一斉に踊りだす。いやホント思い思いで好きに踊ってます。客席側が一気に弛緩した雰囲気になりました。プレイヤーからCDを出して、次の盤をセットしてPLAYボタンを押す作業がその都度あるので曲間が空くのですが、「Let's Dance」後のダンサーたちは激しく動いたのでハアハアゲホゲホ言ってる。静かな場内にそれが響き渡るのでウケる…ああ、こういうことか!それじゃあ遠慮なく楽しませてもらう!F/T11のクロージングと言う祝祭感覚もあったか、そこから盛り上がりましたねー。歓声や口笛が飛んだり、拍手が起こったり。

キチッと振付らしい振付があったのは「Macarena」くらいかな。と言ってもこれはジェロームの振付ではなく、当時大流行りした「マカレナダンス」。所謂“ダンス”が起こらない曲もあります。「Yellow Submarine」ではセリが降りた奈落から黄色い照明が照らされるだけ。続いての「La Vie En Rose」はバラ色の照明が客席を照らす。そのタイミングで遅刻して来た客が係員に案内されて入場して来たものだから、演者が客席側から現れたと勘違いした観客の視線が集中、大ウケでした。同時に無言で苦虫を噛みつぶしたような表情の観客もいたことでしょう。

そのうち、ダンサーたちのバックグラウンドに興味がわいてくる。「Ballerina Girl」で上手側にいた女の子は実際にバレエをやってそうだな、動きが素人とは違う。とか、素晴らしい歌声を披露したふくよかな女性はオペラの心得があるのだろうか、等々。衣裳(私服かな)もそれぞれ個性がある。観客と地続きのような、観客の鏡でもあるような彼らが、今ここにいて生きているのです。

1シーンだけ、ステージに流れない曲がありました。出演者がイヤフォンを装着し、DJのキューとともにポータブルプレイヤーのPLAYボタンを押し、サビの部分になったらそれを大声で唄うのです。知ってる曲も知らない曲もあった。「あいわなびあどーっぐ!」と絶叫する男性、「俺の話を聞け〜」「わかりはじめたマーイレボリューション」「ふぁんふぁんうぃひっざすてーっぷすてーっぷ」、あちこちで爆発するメロディ。サビ以外の彼らは沈黙し、イヤフォンから聴こえているであろう曲に没頭しています。終わった順に退場していく。最後に残った女の子は「いきのーこーりーたーい、いきのーこーりーたーい」と唄い、笑い声と拍手をあとに退場。何故あの子にはあの曲だったんだろう、それともあの曲は自分で選んだもの?彼らはどういった思いでステージに立っているのだろう?

彼らはステージ上で飛び跳ね、身体を動かし、ハグして、タイタニックのポーズを組体操のようにとって(笑)、ゆったりと死体となり甦る。ザ・ショウ・マスト・ゴー・オン、フレディ・マーキュリーの歌声とともに立ち上がり客席をまっすぐ見つめる彼らに盛大な拍手と歓声がわきました。90分の、音楽と身体の物語。

-----

そしてアフタートークが60分超(笑)ジェローム・ベルがかなりのお話好きで、しかもその内容がものっそい面白い!予定の時間を大幅超過です。そしてビックリ、ジェロームの通訳として出て来た女性が、先程迄ステージに立っていた方だったのです。この方の通訳がまた絶妙で、演出家と作品のバックグラウンドをちゃんと理解したうえで、微に入り細にわたりなおかつ解りやすい言葉にして、ジェロームの話を伝えてくださった。前回ジェロームが来日した際、「『ザ・ショー・マスト・ゴー・オン』の日本公演に出て!」と口説き落としたのも頷ける、魅力溢れる通訳さんでした。

なんでも初演(2001年)は相当な物議を醸したそうで、「こんなのはダンス公演ではない」「チケット代を返せ」と随分叩かれたそう。上演する国によって反応も様々で、その土地で上演された時期も反映される。イスラエルでは自爆テロ後の追悼行為としてある沈黙がステージ上にあるのを耐えきれず観客がパニックになってしまったり、政権が交替したばかりのブラジルでは何をやってもお祭り騒ぎ状態だったそうです(客席がな・笑)。興奮して客席から乱入して踊りだしたひともいたとか。「『Imagine』や『Sound Of Silence』のシーンで、観客が騒がず舞台を鑑賞していたのは日本で3カ国目です」だって。唄いだしちゃうひとがいた国もあったそう、わ、わかる……(笑)。反面「日本での上演でこんなに盛り上がるとは」と驚いていたようでもありました。

「偶然」に起こることは沢山ある、それぞれのシーンの発想は曲のタイトルのみから、歌詞を全部理解してないと楽しめないなんてことはないんだよ、と強調していたジェローム。質疑応答でとんだ多少トンチンカンな質問(「英詞がわからない日本で上演することについてどう考えてるの?私はわかるけど(ドヤッ)」「今回のF/T11は震災がテーマなんだけどこの作品を上演した意味は?」等)にも、ユーモアを交え乍ら丁寧に応えておりました。ちなみにジェロームはフランス人、この作品上演をオファーされたのは昨年。

いずれこの「誰もがメロディを聴いたことのある曲」が無効になるときが来るでしょう。この作品の有効性はいつ迄続くか。曲を替えればいい、と言うことにはならない。音楽の流通方法が刻々と変化している今、誰もが知っている曲は確実に減りつつある。

件のイヤフォン装着のシーンで唄われる歌については「歌詞に“私は、私が”が入っている曲をそれぞれ選んできてもらった」とのこと。唄われた部分の日本語は理解しているようだった。この公演のためにジェロームが来日したのは11日だそうだけど、それ迄演出助手や日本上演スタッフが細部を詰め、必要な情報を的確に彼に伝えている印象がありました。ハプニングが起こる迄の準備は万端と言ったところか。偶然と言っていても、「生き残りたい」と唄う女の子をあのシーンの最後に残したのは、確実に演出がありますよね。それを「震災から連想される言葉」と受け取るのは観客の選択です。

そして「見つめていたい」のシーンは原題の“Every Breath You Take”ではなく歌詞中の“I'll be watching you”から発想されたシーンのように思えました。それは邦題が“I'll be watching you”に繋がっているのを知った上での日本上演版なのか、他の国でも同じなのか、とか気になることも沢山。それを言ったら「My Heart Will Go On」のシーンは、歌詞からの発想ではないわね(笑)。アイディア一発ものと思われそうですが、実は綿密に設計された作品に思えました。それを「偶然だよ〜」と言うのも快感だろうなー。ジェロームったらーとか言いたくなる。今回も感想を検索してみると、賛否まっぷたつに分かれています。ニヤニヤしてるジェロームの顔が浮かぶようだよ(笑)。いやホント面白かった。上演された国の数だけ、観たひとの数だけこの作品はあるんだなあ。また観たいよー!

あーそれにしても「The Show Must Go On」は珠玉の名曲ですな…フレディの声含め。ベジャールの『The Show Must Go On』ラストシーンも思い出したなー。

と言う訳でフェスティヴァル/トーキョーで観たのは5作品。どれも刺激的で面白いものばかりでした。エキサイティングな舞台をありがとー、次回も楽しみにしています!



2011年11月11日(金)
『Re-boot!! Anniversary event 「劇団鹿殺しRJP vs LASTORDERZ vs メトロファルス」』

『Re-boot!! Anniversary event 「劇団鹿殺しRJP vs LASTORDERZ vs メトロファルス」』@Shimokitazawa GARDEN

なんとも『CLOUD』な対バン…と思っていたら実際そうだったそうで、門人くん曰く「6月に舞台をやったときトモロヲさんとヨタロウさんとご一緒して、本当に楽しかったんです。それでこれはもう絶対対バンしたい!と思って、呑みの席でことあるごとに『対バンしましょうよ対バンしましょうよ』って言ってたんですけど、あんまりしつこく言うと嫌われちゃうかなっと思って、大人のひとに入ってもらってちゃんとオファーして実現しました」だって。

と言う訳で門人くんの気合いの入りようがハンパなく、空回り寸前迄アクセルふかしよりました。寸前てとこがミソで、流石押さえるところは押さえる。おーもーしーろーかーったー。鹿殺しRJPは映像でしか観たことなかったんで、ようやくライヴで観られて嬉しかったです。新曲も聴けたし!サさん曰く「ZIN-SAY!を彷彿とさせる」。ああ……(笑)。いつかホントにサマソニに出てほしーわ!投票してるわよ!てかフジの苗場食堂とかところ天国とかもよさそうよ。赤犬と対バンしてほしーわ!と言うか確か赤犬とは縁あるんじゃなかったっけか…関西ベースで……。

トップバッターはLASTORDERZ。いつの間にか安齋さんが顧問ってことになってて、打ち上げにしか来ないと言うことになっていた。震災後画家宣言したそうですよ。好きにやれば良い…打ち上げはおごってくれるらしいから……(笑)で、森若さんが正式メンバーになっておりました。華やかさとちゃんとしたギター(笑)が加わった!Drsも面影の横銭さんだし、なんかだんだん演奏がちゃんとしてきている…これはバンドのコンセプト的にはどうなのか(笑)。しかしいろいろ力づけられる、このバンド観てるといやマジで。トモロヲさんは格好いいなあ、例え「さっき自分が吹いた水で滑って危なかった」つってても(笑)。身体だけはだいじにね!だいじ!

二番手メトロファルスは6人体制。ちなみに雨、「雨かー。あーメトロがライヴするからかー」と素で思えるようになって何年か。ヨタロウさんとバックホーン山田くんと丈青は干ばつ地帯ツアーとかすればよい。それはともかく。同日ムーンライダーズ無期限活動休止の報が入り、多くの縁があるメトロをこの日に観るのはなんとも複雑な気分でした。メトロもメリィさんが再来年で引退宣言をしているし、ヨタロウさんは多忙ななか東北通いを続けてる。時間は過ぎるね、ずっと続くものなんてない。

年末のライヴはないかも?まだ判らないけど…と言うことで、11月に聴く「ドンペリ、ノエル、サンタマリア」は沁みた。HONZIのことを思い出した。HONZIが亡くなったあと、ヨタロウさんは相当に参っていた。FABでの涙は忘れられない。歳をとればとる程、見送るひとは多くなる。せめて身体だけはだいじに、そのときが来る迄は音楽を聴かせてね。こちらも聴いていくし。

で、鹿殺しRJPで沸いて沸いて、アンコールは全員+安齋さん(「まだ終わってなかったの?もう打ち上げだと思って来ちゃったよ!」)でポーグスの「Fiesta」、最後の最後はメトロ+鹿ネーネーズ(女優陣)で「米の歌」。もう相当深い時間になっていたのですがアンコールは止まず、チョビさんとオレノさんが出て来て挨拶、おひらきとなりました。そういやポーグスも来日決まってるんですが、シェインは来ませんいや来ます、と二転三転してるな…シェインもボロボロだからね。元気でいてほしいよ……。

と言う訳で、門人くんよかったねえと言いたくなる対バンでした。いやホントよかったね。いいイヴェントだったー。



2011年11月10日(木)
『ラブリーベイベー』

『ラブリーベイベー』@東京グローブ座

いやあ、いい舞台だった…作家が若いんだなあと思わせられるところは多々あれど、書いていることに誠実に向き合ってる。出演者もそれに真摯に応え、丁寧に丁寧につくられた印象でした。そうやって差し出されたものには、こちらも素直に向き合える。

何度も交わされる「ごめんなさい」と「ありがとう」。どちらもわるくないのに。どちらも言葉だけでは足りない程感謝しているのに。相手をいたわり、相手を思いやり、彼らは何度も同じ言葉を口にする。とてもせつない、愛しい舞台でした。以下ネタバレあります。

セクシュアリティやジェンダーと言ったフックはありますが、「そのひと」のジェンダーがどうこう、と言う以前の「そのひと」そのものをどう愛しているか、どう愛するかを考えさせられる内容です。日本の法律では、男性と女性なら結婚出来る。生物学上の女性であればこどもが生まれると言う可能性もある。登場人物たち(特に恋司と愛斗)は社会的に普通とされることが出来ない。この障害を置いているので、彼らの「そのひと」を思う気持ちがよりストレートに解りやすく伝わります。そして、社会的な立場を除き個人対個人として向き合えば、どんな恋愛にも問題は皆無ではない。

個人的には旭はズルい(逆ギレじゃねーか)と思うし、遥はお芝居の登場人物としては観ていて楽しめるけど、傍にいてほしくはない(笑)。遥と香澄は共依存な感じもしたなあ。どちらも不器用ではあるけど、香澄はああやって遥に干渉され、激情をぶつけられることでしか自分が愛されていると言う実感を抱けないのかなとも思いましたよ…し、しんどい……。

と言う訳で、恋司と愛斗以外の人間模様で観ていてツラかったのは今日子と耕介。耕介は旭のことを気に病むことはないよー新しい彼氏はいいひとだし幸せになりな!と思いつつ、でもあんなことされちゃあさあ……旭ズルい!ヒドい!都合良過ぎる!と後味わるーいし、今日子はこれからずーっと遥と香澄を見て生きていくのか!そんなんつらすぎるわ……。第三者からするとあんな男(女)忘れてしまえよ〜新しい恋をしなよ〜とか思うけど、当人はそんなカンタンに諦めたり忘れたり出来るものではないでしょう。ヒー(泣)もうやだ。

どんなことがあっても最終的には感謝だけが残る、と言うふうになればいいけど、なかなかそうもいかない人生いろいろ。

恋司が一年かけて愛斗の死を受け入れる喪の仕事についてのストーリーでもあります。日々をだいじに。ささいなことのつみかさね。思い出は残る。留まっていてはいけない。どちらにも「ごめんなさい」の思いはあるだろうけど、「ありがとう」を伝えられたのは本当によかったよね……。

と言うように、すっかり登場人物を登場人物として捉えられたのもよかったです。終わってからはいやー伊達くんゲイ役妙に合うわーとか思ったものですが(笑)上演中はそういうことに気が散らないくらい集中して観られた。一途な思いを時とともに整理していき、その過程で生じる葛藤や悲しみと言った感情のうつろいをしっかり見せてくれた恋司役の三宅くん、先立つ者のつらさと相手を大事に思う気持ちを静かに体現してくれた愛斗役の菅原さん。『ラブリーベイベー』と言う小説のなかで生きる、小島さんの凛としつつも憂いを秘めた美しさも特筆ものでした。三宅くんと菅原さん、三宅くんと小島さん、どちらのラブシーンも美しかった。そして秘めた思いを全て呑み込む今日子役の吉本さん。これ演じるのしんどいだろうなー…素晴らしかったです。

線香花火、流星群等モチーフの扱いと、それにまつわるエピソードも丁寧に描かれてたなー。外の季節の移り変わりを伝え、鏡にもなりうる大きな窓の存在感もよかった。3階席迄線香花火の火薬の匂いが漂ってきたり、キスの音がハッキリ聴こえたりと、扱いづらいグローブ座の構造(音がものすごく響く、1〜3階席迄空間がスコーンと抜けている)を味方につけていた。どこ迄意識して作ったかは判らないけど、いい作品はこういう引きがありますね。

構造はシンプルだけど深い。ひとすじなわではいかない、余韻の残る舞台でした。いいもの観た。

-----

以下よだん(長い)

・菅原さんが綺麗な菅原さんだったよ!(綺麗なジャイアンと同じニュアンス)よかった!
・いや私、菅原さんとの出会いが『紀雄の部屋』でのプロレスキモヲタだったから…これが刷り込みで……同じひととは思えない!役者って怖い!
・『紀雄の部屋』はいい映画だったなー
・で、綺麗な菅原さんて誰かに…と思ってて気付いた。山川冬樹さんだわ
・いやー猫ホテ退団早々大仕事…いい役を有難う三宅くんと言いたくなる
・で、この日の朝公式発表?(記事が出た)だった菅原さんが出演するスズカツさんの新作『7DOORS』の仮チラが早速置かれていたのでゲット。いやあいいタイミングでした

・ところでこの芝居、同じグローブ座で上演された篠井さんとスズカツさんの『欲望という名の電車』(2007年)に出ていたひとが3人もいたんで個人的にジーンとなっておった。小島さんは身重と言う設定もあったしね

・旭がナンパした男の子、岩瀬亮さん…岩瀬さん……終演後パンフ見て気付いた。このひとサンプルの『ゲヘナにて』に出てたニジンスキー好きっこダンサーだ!あの恥ずかしい衣裳の!(爆笑)今回の衣裳は普通のいいものでしたよ(お祭り仕様)…いやあビックリした
・いやはやこのキャスティングどなたが…他のメンツも曲者揃いでしたし。三宅くん有難うと言いたくなる(だいじなことなので二回言う)

・パンフと言えば、出演者がアンケートに答えてる頁があるんですが、三宅くんと菅原さんと小島さんがほぼ同じ回答をしているところがあって感動。通じ合ってるー
・そしてパンフと言えば、菅原さん伊達くん小島さんらが口を揃えて「おじさんなので」「(自分が)若くない」「(作品が)若いなぁ」と言っていたのがおかしかった…いやあ、身に沁みるわ
・しかしそうやって、年長さんたちが若い子の書いた作品をしっかり舞台に立ち上がらせようとしてるさまってのがすごくよかったなー

・そう三宅くんて自身でもすごく舞台観てますよね。何度も遭遇してる。そんなに毎回同じ日に観る筈もないから、普段から相当な本数の舞台を観てまわってるのでしょう。スズナリで見掛けたときはビックリした。本当にお芝居が、舞台が好きなのだろうなあ
・若手作家/演出家の抜擢も含め、毎回自分のやりたい企画をしっかり提案している感じがします。周囲のスタッフもそれにしっかり応えている印象。マスを相手にしつつの、この仕事のやりかたは尊敬するなあ
・それにしても三宅くんは山口百恵のような陰と言うか暗さがあるよ…(若者には解らないたとえ)バラエティ番組等では見せない魅力が彼の舞台にはありますね



2011年11月06日(日)
『ROCK OF AGES』

『ROCK OF AGES』@東京国際フォーラム ホールC

いやはや楽しかった、80年代をリアルタイムで通過している世代にはたまらんもんがありました。

如何に当時のアメリカのヒット曲が日本国内に溢れていたかってのを思い知らされましたわ。MTVも地上波でやってたし、CMに起用される曲も多くて街に溢れていた。そしてそこで気付いたのは、個人的には自分てつくづくイギリスのバンド好きだったんだなあと…(笑)これあんまり自覚してなかったんだけど。アメリカのロック、ポップスって、積極的に探さなくても自然と入ってくるものが多かったんだなーと改めて思いました。

それはともかく、西川さんもカーテンコールの際話していたり、スズカツさんがパンフレットで言及されていたように、この作品は所謂ジュークボックスミュージカル。ストーリーのつじつまが合わないところがあったり、使用楽曲の歌詞がそのまま台詞に繋がったりする唐突さ等「曲に馴染みがあり、歌詞もある程度知っている」観客にはとても楽しいが、そういうものを期待せず観に来たひとからするとなんだこりゃ?となってしまう、と言う印象は確かにありました。日本語で上演する難しさもあります(訳詞は『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』でおなじみ北丸雄二さん)。そして楽曲が楽曲なので爆音でないとショボい。その辺りはいい感じでしたが、そうなると歌詞が聴き取れないと言う…ロックミュージカルって本当に難しいなあと思いました。スズカツさんのテキストもパンフレットを買ったひとしか読まない訳ですしね。読んだとしても言い訳としてとってしまうひともいるだろうし。それにしても「スズカツが上演台本をこうしたんだろう!いや違うんです!」の辺り、これ迄どんだけツッコまれたかを窺わせるわ…「(今回は)違うんです」と言いたいのか(涙)。いいじゃん気にすんなよ!これはスズカツさんが構成を名乗る限りずっとついてまわるでしょうよ。険しい道を行くのね〜そう決めてるんだしいいじゃない。

しかしいちいちこう説明して迄も日本で上演したかったのだと思います。西川さんの言葉にはその思いがひしひしと感じられました。それだけの魅力がある、それを日本でも伝えたい。チャレンジの連続だったと思います。

で、前述の課題をこういうものだと納得してしまえば(あともともとミュージカル好きなひとってそこらへんの了解も最初からあると思う)全然オッケー、とても楽しめる。何しろ楽曲がポップでゴキゲンなものばかり。リアルタイムでこれらのナンバーを知らないであろう若い子たちも結構いましたが、いやはやそういう子たちは対応力が鋭い。西川さんのファンの子たちが多かったと思いますが、なんと言うか西川さんあればこのひとたちあり、と言うか、すごくいいヴァイブなんですよ。陽性と言うか。いい子たちだわー。リピーターも多かったのでしょう、日本初演にも関わらずシーン毎の反応が早い。この観客の反応がステージ全体の盛り上がりを左右していたところもあったと思います。いい関係。

そしてこれは大きい、あたりまえのことかも知れないが案外そうでなかったりもする、キャスト全員歌がいい!ミュージカル畑のひととポップ、ロックアーティストの混成チームですが、ロックナンバーを唄うキャストとストーリーを進行させるための「言葉をはっきり伝える」楽曲を唄うキャストの配置が絶妙でした。そして要所要所は、芝居も歌もしっかり出来るひとが押さえている。MCよろしくステージ全体の進行を仕切る川平さんは開演前のアナウンスから大活躍。なだぎさんもよかったー。いやはやいい座組。そしていいものが聴けるといい反応がある、観客も正直です。

スタッフとキャストの熱意が感じられる、好感の持てる作品でした。そしてスズカツさんはホント愛される演出家ですね、うふー。カーテンコールも楽しかった、消〜臭〜力〜♪も聴けたし!(笑)楽しい東京千秋楽でした。

最後にひとつ。「正しい行為」はひとに言われて決めるものではない。でも、自分は正しいのだろうかと迷い苦しんでいるひとが「あなたは正しい!」と声をかけられることはどれだけの勇気と励みになるか。声をかけるかかけないか、自分で決めるか決めないか。そこがパンクとの分かれ目かな。



2011年11月05日(土)
バックホーンですよ

ここ10日間でバックホーンのライヴ3本行ってまして、まとめて書こうと思っているうちにどんどん忘れていった。アハーン

10月25日BLITZ、10月31日AX、11月5日日大商学部学園祭でございました。AXは仕事が終わらず後半40分程しか観られず。学園祭は変則と言えばそうなので、今回のツアー『魂のマーチ』をちゃんと観たのはBLITZのみですね。いやしかしどれもいいライヴであった。BLITZでは山田くんの声が高音からもうすごくよく出てて、ツアー序盤だからかななんて思ったのですが、その後の2本でも大丈夫でしたね。それにしても、喉のコンディション云々に限らずこのひとの歌と言葉はぽーんと懐に入ってくる。聴き手の心を力づくでこじあける訳でもなく、懐柔する訳でもなく。柔らかいけど強靭。

学祭に行ったってのもそれこそ十数年振りで、場の雰囲気含め楽しかったです。そうそう、体育館なので音がかなり厳しいんだ。それでも学生さんとスタッフがこの日のために一所懸命作り上げた場が陽性で、居心地がいい。松田くんも指摘していたけど、体育館にひとつひとつガムテで固定された千脚のパイプ椅子は当然手作業で、学生さんたちが設置したもの。迎えられたバンド側も、それに敬意を示している。内容は通常のツアーと変わらない迫力でした。いいもの観た。

それにしても松田くんのMCは毎回すべりっぷりも含めて面白い。日大では気のいい兄貴分で、BLITZでの下ネタ(中学生男子は喜び中学生女子はドンびきするであろう類の)を嬉々として話していたひとと同一人物なのが非常に残念で喜ばしいです(笑)。いやでもBLITZのMCは中学生男女じゃなくても苦笑しきりでしたわあははははは。そんなに言いたかったか!そのネタを!

あと栄純と岡峰くんのコーラスワークが沁みた3本でもありました。ホントいいバンドだね。



2011年11月03日(木)
『ヨコハマトリエンナーレ 2011』

『ヨコハマトリエンナーレ 2011』

三ヶ月もやってるし〜なんて言ってたら最終週、結局この日しか行けず。前回(三年前)も同じパターンだった…学習してない。しかし暑くもなく寒くもなく、灼ける程晴れてもいないいい気候だったので移動も快適よこはま散歩。すごい歩いた。ひとつひとつの建物が大きいから全部近くに見えるんだけど、実際そこに辿り着くにはかなり距離があるんですよね。広々とした海も傍にあるため距離感が狂う港町の楽しさ。

一日しかまわれないので、横浜美術館と日本郵船海岸通倉庫にしぼって観ることに。横浜美術館開館と同時に入場、しかし結構な行列。流石に最終週で休日ともなれば混雑しています。となると時間とのせめぎ合いになるので自然と足が向く作品は、

1. 最初から観ると決めていたもの
2. パッと目がいくインパクトのあるもの
3. 名前に馴染みがある作家のもの
4. もともと知っているもの、過去観たことがあるもの
5. その他

となります。で、自分がだいたいこの区分で行くと、

1. 八木良太、田中功起、湯本豪一
2. イェッペ・ハイン、佐藤允、野口里佳
3. 立石大河亞、マックス・エルンスト、マイク・ケリー、ダミアン・ハースト
4. 荒木経惟、石田徹也、オノ・ヨーコ
5. 池田学、落合多武、クリスチャン・マークレー

と言うところ。横浜美術館所蔵作品もあるので、マグリットやロトチェンコ、マン・レイも観られた。歌川国芳は会期中の展示替えでもう観られなくなっていた。

田中さんは以前『六本木クロッシング』や『ウィンター・ガーデン』で観た作品が強烈に作家名とともに記憶されていた。今回映像作品を含むインスタレーションで、大混雑のため映像が観られなかった…それでも十分面白かったんだけど、帰宅後笠原出さんが個人的なベストは田中さんのビデオ作品とツイートされているのを読んでガーン。いつか観られる機会を待ちたい…しかし今回のために作ったっぽいものなので、今を逃したってショックは大きい(泣)。

落合さんはやはり『ウィンター・ガーデン』で観た作品がとてもかわいらしくユーモアに富んだもので、失礼乍ら名前を失念していたのにも関わらず作品を観た途端(前回観たものとは別作品だったのに)「あ、あの作家さんだ!」と思い出した。八木良太さんは無人島プロダクションがらみでチェックし続けていて、アナログプレイヤーを道具としてもサウンド出力装置としても追究し続ける姿が魅力的な作家さんです。今回の、ターンテーブルをろくろ使いして作った陶器と、その際に発生するサウンドの展示も面白かった。

そういえば八木さんも『ウィンター・ガーデン』に出展していた。今思うといい展示観たなあ…原美術館と言うそう広くはないスペースに、これだけ素敵な作品が集まっていたんだ。キュレーター松井みどりさんの慧眼に感動。

アラーキーのエリアは、亡くなる迄のチロ、亡くなってから一年のチロ、被災花、自身の古希、と言った、いつもと変わらないアラーキーの個人史。膨大な展示作品のなかにあっても、ぽっとした、静かな白い光を放っているようだった。混雑した場内でも、たったひとりで作品と向き合えるような静かな写真たち。いい時間を過ごせました。妖怪研究家である湯本豪一の妖怪画や昔のおばけ屋敷ポスターコレクションも面白かった。保存状態がいいものばかりだったなー。

オノ・ヨーコの電話がかかってくるかも!な『TELEPHONE IN MAZE』には行列が。鏡とアクリル板に囲まれた迷路のなかに電話が設置されている。以前回顧展で観たときは『テレフォン・ピース』と言うタイトルで、ブースがないものでした。「かかってくるかも?」と言うワクワク感を持って鑑賞出来る好きな作品です。これって「かかってくるかも」と言う思い(期待だったり、幸せな気分だったり)を持たせてもらえることで成立する作品だと思っているので実際通話出来なくても何の問題もないし、そういったコンセプトを作品に込めるヨーコさんの変わらないポジティヴさに感銘を受ける。

が、帰って検索してみたら、通話したひとの話が見付かりました。おおお!

・A SMILE IN THE MIND『今度はオノヨーコから電話がかかってきた〜!』

実際にかけてくるヨーコさんにまたも魅了されてしまった。そして展示会場から帰ってきても作品と関われる楽しさ。いい話を読めた、有難うございます!

反面こんなこともあったそうです(笑泣)ざ、残念だったね……。

さて今回いちばん印象に残ったのは、ノーマークだったクリスチャン・マークレー『The Clock』。ふらりと寄ったブースの入口には、24時間で一回のループ作品とのクレジット。どういうこと?と入場してみると……。

最初は、ああ、これ映画フィルムを編集してるんだなー、どういう作品なんだろう?と思っていたのですが、丁度午後2時が来たのです。2時、2時、2時のシーンが流れ出す。2時を指す時計台のシーン、男が腕時計で2時を確認するシーン、女が部屋の置き時計が2時を指すのを見るシーン、2回ポッポと鳴く鳩時計。その後も時間が進むにつれ、そのときを示すシーンが流れ続けるのです。映画作品から「その時間」のシーンをカットアップして編集したもの。それが24時間分ある…お、お、面白い!!!

うわー全部観たいヨー!と思ったものの、このままでは他の作品が観られなくなると30分程で退場したのですがああ観たい、残りも観たい!しかし開場時間は11〜18時、そもそも全部を観ることは不可能なのでは…と思っていたら、一日だけ24時間上映したとのこと。ぎゃー。

・『クリスチャン・マークレー「The Clock」24時間上映決定』

なんでも即完したらしい。トイレ等で出入りはオッケーだったそうだけど、ごはんとかどうしたのかしら……。『24』みたいに一時間ずつDVDでリリースとか、無理だよねえ…権利関係とか難しそうだし。製作過程を考えると気が遠くなる。個人的には観た30分のなかに『L.A. コンフィデンシャル』のシーンがあったのが嬉しかったです。あーまたどこかで上映してください!

クリスチャン・マークレーのインタヴューはこちら。

・ART iT『クリスチャン・マークレー インタビュー』

慌ただしく観ましたがホント『The Clock』に遭遇したのは収穫でした。前回より地味な印象だった横トリでしたが、予算が少ない等いろいろ大変だったようです。それでもやっぱり面白い作品に出会えたのは嬉しいことでした。