2005年01月15日(土) |
外は冷凍庫 / 後味悪し |
昨日、今日、と冷え込みがキツイ。気温8F、体感温度は−20℃。
会社の駐車場に車を停めておいたのだが、朝に置き忘れた車内のペットボトルが夕方には凍っていた。ちなみに駐車場は屋内だ。外は冷凍庫かいっ!!
昨日は、取引先の接待でJAPONAISというちょっとしたしゃれたレストランへ。カウンターは日本人の寿司職人が3人。驚いたのは客のほとんどが、おしゃれで着飾ったアメリカ人ばかりで日本人は我々だけ。店内の雰囲気もよくまるでマンハッタンのレストランにいるかのようだった。
カウンターに座って料理はおまかせ。上品なお造りから創作料理、最後に握りへ。ネタも新鮮で、ウニ、中トロ、ハマチ、どれも実に結構。
ところが、最後に酔っ払った我が上司がいつものように赤ら顔で説教を始めて、こちとら一気に気分が悪くなった。例え米国駐在支店長でも、日本の居酒屋で部下にグタグタといばりちらすオッサンと変わらない。クソオヤジはどこでもクソオヤジである。
と言う訳で、せっかくの料理も実に後味悪し。
今回は写真を貼り付けてみたけど、どうやってもサイズが大きくなってしまう。納得がいかん。これも、後味悪し。
2005年01月14日(金) |
引継ぎのない米企業 /引退してフロリダへ行く社長 |
取引先の人から、会社を辞めるというメールが入った。それも別々の会社、2件から。
1件目は製造会社の社長。出社が今日が最後で、奥さんとフロリダへ移って悠々自適の生活を送るんだと。年齢は見たところ50歳前だから、見事なセミリタイアだ。 後継者は弟、と連絡があったけど、彼の事は見たことも聞いた事もない。
2件目は、直接の関わりがなかったけど、あるプロジェクトの責任者。こちらの窓口であったマネジャーも突然の上司の退職発表に驚いており、誰が引継ぎするかも何も決まっていないと言っていた。こちらも、時間をかけて話してきた案件が彼の退職で決裁者がいなくなり、全て頓挫してしまったので打撃が多い。なにやら、他の会社を買収してそこの社長になるんだと。
これらの連絡を受けて、個人主義だなあ、と思った。
組織主義、団体主義が浸透している日本では、何かヤバイ以外で突然の退職なんてないだろうし、退職や転勤があれば事前に余裕を持って引き継ぎする人を決める。そして、その旨、取引先には報告をする。海外駐在員だって、それは例外ではない。自分もアメリカに来て右も左も分からないまま、引継ぎ挨拶と称して前任者に全米各地の取引先を連れまわされた。
それにしても、奥さんとフロリダに移る社長は、どんな気分なのだろうか。
そんな話しはしたことがないけど、おそらく昔から決めていたに違いない。それを目標に今まで頑張ってきたのだろう。そして、会社も好調で業績を伸ばしているこの時期に、と決断したのだろう。早くカネをためて暖かい場所で夫婦のんびりして暮らしたい、なんていう理想論はよく聞くけど、実際に働き盛りでそれを実行した人は、自分の周りで初めてのことだ。確かに、身体も動かなくなる定年を迎えてからでは、気分も違うだろうし。
いくらカネがあっても仕事から離れることはなかなか出来ることじゃない。庶民にとっては、まさに夢のような話だ。
昨日の温暖な気候から今日は一転して雪。1日で気温が20℃変わるというのも、身体には見えない影響がありそうなものだけどどうだろうか。
うちの会社の3/四半期の連結決算を新聞で見た。
会社が運営している海外駐在員向けのサイトがあってそこでも確認出来たのだろうけど、そんなもん人事関連以外はチェックしていないから、わが社のことながら新聞で情報を取ることが多い。しかも数日遅れで。決算内容は日本の景気回復に合わせてまずまずの内容だった。所属する米国現地法人は今ひとつの業績だけど、こうして本社が数字を出しているので少しホッとする。全体の数字がよければよいで、“ああ、今年の査定は誰もが期待しているから、期待通りの査定が出なければもめるだろうな” などと、いらん心配をしてしまう。こちとらすっかり蚊帳の外で高みの見物。ははは。
今日は赴任してはじめての健康診断に行った。
これまで面倒臭いので全く行く気も無かったのだけど、労働安全衛生法に基づいて必ず実施せよ、と本社からの矢の様な督促があったので、半ばやむをえず、である。
胃の透視検査でコップになみなみと注がれたバリウムを飲んだ。
日本で飲んだ事があったんだけど、こんなにまずかったっけ、こんなに量があったっけ?と思った。アメリカ人のおばちゃん2人に囲まれて、「頑張れ!」とか、「もう少し」なんて言われながら。ようやく飲み終わって、「どうだった?私の作ったミルクシェークは?おいしかったでしょ。」なんて言われるものだから、こちらも苦笑いするしかない。
その後日本と同じように一通り検査をするけども、なんだか手抜きされていると思う位、あっさりしている。
面談で、日本にいたときに毎回指摘されていた問題点を話すと、「まあ、大丈夫でしょう。そんなもんですよ。」で終わってしまった。確かに自覚症状はないけど、日本の医者がいかにも深刻そうな顔で、あれはするな、これは食うな、と繰り返していた事を考えると、ほんまにええんかいな? と逆に心配になってしまうくらいだ。
最後は「いたって健康!問題なし!」で検査終了。
まあ、気分は悪くはない。自分の体調がどうだ、とか最近は考えたこともなかったから、やっぱりそれが健康という事なんだろう。
ちなみに、今日の健康診断で約800ドル支払った。これでも安い方らしい。それにしても高いよなあ、米国の病院代って。
2005年01月12日(水) |
日本人からのE-MAILはややこしい |
今日は華氏60F(約16℃)まで気温が上昇した。これが明日にはマイナスの世界へ逆戻りだから、やっぱりどこか世界的に天候異常が出てきているのかもしれないな。
仕事上のE-MAILなのだが、色々と複雑な問題が出ることがある。
時差のある米国内、アメリカ人との交信はE-MAILの方が誤解も少なくはるかに便利なのだが、逆に日本の本社との交信の方が問題が多いと感じる事が増えてきた。
今日もいくつか、日本の本社の管理職から私宛のメールが飛び込んできた。
内容からすれば、先方がこちらに御願いをするべき趣旨のものだ。
ところが年下に作った文章というのが見え見えで、回りくどい言い方ながらもまず言葉使いがぶしつけだ。そして内容も高圧的、威圧的だ。こちらも日本人だから、あまり気分は良くない。そして、E-MAILの場合はプリントアウトして何度も読み返すから、そのたびにこちらの不満というのも知らず知らず膨れ上がる。日本の朝に合わせて、つまりこちらの午後6時に相手への返事を考えるのだが、その頃には相手への不満が憎悪に近いもの(こりゃおおげさか。)まで成長してしまい、そんな気持ちのままでこちらもメールをするものだから、相手に与える印象も悪く自然とギクシャクしたやり取りになってしまう場合がある。
相手をよく知っていればいいのだが、同じ社内でも知らぬ人も多い。会って話すとみんな良い人なのだけど、E-MAILだけのやり取り、そして文章に残ってしまうということは、実に怖いものである。日本語の恐ろしさという事でもあるかもしれない。その点、英語は敬語も何もないし、要求だけがコンパクトにメールされてくるので実に都合がいい。
そして、アメリカに来て感じることは、日本人ってこんなに完璧主義だったんだ、ということ。何か新しいことを始める前に、懸念点や不安な点は100%駆逐しようとする。その為に、物事を進めていくスピードが遅いし、細かい議論を延々と繰り返すはめになる。
これがアメリカ人とは違う。
アメリカでは、少々懸念点があってもそれを受け入れながら対応していこうとする。そして、自分達の仕事も変えていこうとする。責任者がGOサインを出したら、それが全てである。
そんな環境の違いを日本人に説明するのも一苦労だ。
「トップがやるって決断したんだから」 こんな説明は火に油を注いでしまう。
「何だその説明は? あの点は解消したのか、この点はどうするんだ? 客が良くても俺は納得いかない。ちゃんと仕事しろよ。」
もちろん懸念事項は契約書で縛っておくのだけど、それでも完ぺき主義の人は細部にこだわった議論をしたがる。突き詰めれば単に組織人として不安なだけなんだろうけど。こうした日本人の性質というのは、確かに自分もそうだったし、ある分野ではそれが評価を受けている事も否定できない。ただ、こうして世界のいろいろな人と仕事をしながら客観的に見た場合、それが果たして良い結果ばかりかというとそうでもない。
要はどうでもいいウザイ質問が多くて時間ばかり費やすのだ。
なんだか日本人の批判ばかりだけどそんなつもりではない。
まあ、自分も異国の地で仕事して、それがこうして自分の頭で色々考えるきっかけになっている事は、有難い事ではあるのだけど。
2005年01月11日(火) |
アメリカと日本のお偉いの差 |
まず、アメリカ人のトップは気さくだ。
仕事で米人企業の役員などに会う機会があるが、みな一様にFriendlyである。
アメリカ人は権威とか肩書きとかにあまりこだわらない人が多いようだ。みんなファーストネームで呼び合うし、自分のような下っ端が面談を直接申し込んでも嫌な顔せずに会ってくれる。それでいて常に自分の物差しももっているし、よく気を使ってもらえる。相手の背負っているものとその大きな権限を考えると、こちらが恐縮してしまうほどだ。
対して日本人のお偉いとなると話は別だ。
言葉通りに偉そうで、まさに権威主義バリバリである。うちの会社の役員も含めて、たかだか人に会うくらいでもあれこれと注文が多い。奴らの多くは自分で移動することさえ出来なければ、自分1人だけで取引先と話しをする事も出来ない。常にお付きの取り巻きがいないと不安になってしまう、というより、お付をつけることで自己顕示欲を示したいのかもしれない。
会議の前には必ず関連資料を作らせて、会議中に予想外の質問などされると後で顔をつぶされた、と下のものを叱責する。それに、まず自分のような若造の話しなど耳を傾けないだろう。
もちろん個々人の性格もあってひとくくりには出来ないけど、この傾向はそれほど外れていないと思う。それにしても、この差はどこから来るものだろうか。アメリカは個人主義が徹底されているのに対し、日本人は団体意識が強いのも1つの理由と言えるかもしれない。
それにしても、うちの会社の役員はろくなのがいない。
仕事も出来、かつ下に慕われるような人は、出世をしていない。
なぜだろうか。
2005年01月10日(月) |
「日常会話」ほど難しい |
今朝5時に出発でインディアナへ。
米人Rに運転してもらったので自分は助手席に座っていただけ。赴任して1年目はこうした米人と2人の出張も、道中何を話そうかなんて考えて緊張したものだけど、もうそんな事もなくなった。
午前中に1件ミーティング、その後移動して別の顧客とランチをしてからもう1件打ち合わせを。久しぶりに社内のアメリカ人と出張したのだが、やはり1人で出張するのとは違うと感じることがある。
それは「日常会話」だ。
1人で顧客を訪問する際、大体が仕事の話になるからこちらも内容は分かる。まあ、こちらが経験少ない日本人という事で、相手も気を使って喋ってくれる面はあるだろう。今日も仕事の話は特に問題なく意見交換が出来たとは思う。
問題は、仕事を離れたその前後の会話だ。米人同士が喋りだすと、もうさっぱり何を言っているのか分からない。もちろん英語力という大きな問題は別にすると、これは何故だろうか。やはりアメリカが自分に染み込んでいないからである。
例えばだけど、彼らの会話は日本の中でいうとこんなものだろうか。
「お前も井川みたいにわがまま通すと嫌われるで。」
「ドラクエで寝不足なんだよ。」
「やっぱ白組のトリはマツケンサンバだったよな。」
いずれも居酒屋談義程度の日常会話なんだけど、日本に馴染みのない外人がこれらの意味を理解するのは相当難しいだろうと想像する。
(まず井川とは? 例え、井川が阪神の投手、そしてFA前にポスティングを主張して球団ともめていると分かっても、何故自己主張がわがままか。そして嫌われるか? ドラクエとは? 何故子供がやると思われるゲームで大人が寝不足?紅白が国民的行事と分かるか?何故トリが重要?)
日本人はなんて事ない会話だけど、この背景は一言で説明し難い。
こんな感じでOPRAHがどうだとかの会話を米人同士でされてしまうと、こちらはさっぱりついていけないのである。(ちなみにアメリカ人なら誰でも知っている大人気のOPRAHはココ)。
よく英会話のレベルを聞かれて、「日常会話程度です」なんて謙遜して答える人がいるけど、実は日常会話ほど難しいものはないと最近強く感じるのである。
シカゴ商工会が主催する新年会に行った。
どこにこんなに日本人がいたんや?というほどの日本人ばかり1000人以上が年に一度に集まるのである。まあ一般的には、商工会の新年会、と言うだけで、ほとんどの人が全く興味を示さないのが世の常なのだけど、全員商品が当たる福引による豪華景品のオンパレードと日本からやってくる芸能人ゲストがお目当てで、実は毎年楽しみにしている人も多い。
実は今年は商工会のお手伝いをしていて、今年のゲストの嘉門達夫の会場入りから控え室での様子を近くで見ることが出来た。
その派手な風貌とは裏腹に、本番前は控え室でギター片手にじーっと黙っており、大丈夫かしら?と思ってしまった。
ところがいざ舞台に上るとスイッチオン。いきなりハイテンションで、得意の替え歌からトークまで予定の約1時間半をあっという間に盛り上げた。あの替え歌は、作詞作曲者や歌い手にも許可を取ってから世の中に出てくるのだけど、舞台では許可が得られなかった替え歌を披露してくれた。圧倒的に許可が得られないほうがブラック聞いてて受けた。いや〜、面白かった!
通常の日本でのコンサートならまだしも、海外に住む日本人相手しかも年齢層高めの客を相手にする公演って難しいだろうな、と思う。ましてや、こういう商工会がからんだ会は、冗談も分かりそうも無い難しい顔したお偉いオヤジばかりが前のほうに座るから、舞台に立つ方もやりづらいに違いない。
去年の綾小路きみまろ氏に続き、今年の嘉門氏もそのあたりうまく考えて公演を進めており、こちらも安心感を持って楽しめた。
プロに対しては失礼だけど、たまにはこうしてカネを取れる芸を見る、というのも悪くない。
昨晩は、会社の日本人駐在員と新年会と称して寿司を。
少し遅れる、というボスを待たずに乾杯。
カウンターに座って、まずは中トロとハマチのお造りを贅沢に。よく脂がのっていて実にうまい。
テレビではハワイで行われているPGAツアーを生中継。
こちとら外は−8℃で、積もった雪がなくなる気配もない。ゴルフどころか外へ出るのもキツイ。「同じアメリカでこの差は何だ!これからは米国会議はハワイでで集まろう。」と言って盛り上がるのも、毎年冬になるといつもの事だ。
湯豆腐から少し焼き物をはさんで、握りへと。
特にサーモンとウニが絶品。ネタによっては築地から直送させているとか。ここは地味な店で、つい1ヶ月前まで知らなかったのだけど、ここは他のどの店よりも味が丁寧でうまい。
約1年半ぶり(?)くらいの日本酒熱燗を勧められるままに飲んでしまう。
「おちょこ」ってのも、すぐに注がれるからやっかいなものだな。自分のペースで飲める焼酎か何かにしておけばよかった。
会計はもちろん上司にスルーパスして、2次会へ。といっても、夜10時を過ぎて空いている店など2軒しかない。案の定、店には知った顔があっちにもこっちにも。久しぶりに夜中の1時まで過ごして、血も凍るような寒さの中を安全運転で帰宅。
今朝はかろうじて10時に起きるも、朝飯を食べて2度寝してしまい使いものにならならず。
極寒地の冬は食べること位しか楽しみがないのである。
2005年01月07日(金) |
アメリカで一番売れている車とは? |
2004年の米国新車販売の統計が発表された。販売台数は1691万台。前年比1.4%UP、2000年の1740万台には及ばないが、引き続き高水準の販売が続いている。
が、その内容が大きく変わってきている事に、米国各紙は注目していた。
いうまでもない、日本車の大きな販売増と米国車BIG3の落ち込みである。日本車と米車の比率は、10年前の1994年には17%対73%だったのに対し、昨年2004年は26%対58%と今や日本車の追い上げが著しい。アメ車も平均4500ドルの新車値引きをして必死の抵抗を試みたのだが、その半分も値引きをしない日本車との差が逆に大きくなるばかり。
はっきりとは書いていないが、「何やってるんだ!BIG3!」といったあせりが各新聞の文面から感じられる。“自動車はアメリカのもの、日本なんかが追い上げてきて面白くない”というのは、一般論としてあるのは事実であろう。ただ消費者は正直だから、こればかりはしょうがない。それが数字に表れただけの話しである。
ところでアメリカで一番売れた車は、FORDのFシリーズ(写真)である。ここ数年連続で、アメリカではベストセラー。
日本ではなじみのないこの車、2004年で約94万台が売れた。ディーラーが1年中無休だったとしても、なんと1日あたり2600台が売れたのである。都市部ではこの手のピックアップトラックがそれほど売れているという印象は受けないかもしれないが、テキサスの田舎など行くと、周りを走っている車がピックアップトラックばかりなのに驚く。そう、アメリカの大部分を占める田舎でウケる車なのである。
かくいう自分も、アメリカのピックアップには憧れてDUDGEを購入した。5800cc340馬力のお化け車。ただ、2人しか乗れないし、燃費は悪いは走りは悪いは乗り心地は良くないはで、自分には合わなかった。そしてわずか半年で売却してしまった。
アメリカでしか大量に売れない車なのである。
2005年01月06日(木) |
大雪出張2日目 帰りの飛行機は飛んだのか。 |
朝起きたら外は大雪。
出張先のホテルから、くるぶしまですっかり雪に埋もれてなんとか駐車場にたどりつく。自分の車がどこにあるかも分からないほどだった。なんとかドアを手探りであけて、窓ガラスだけはなんとか車に備え付けの雪かきで落とす。
雪はやまない。
視界も悪く、路面は凍結、そんな雪道を車でゆっくりと走る。雪で覆われて車の車種も分からない。どの車もノロノロ運転。でも、車外とは別世界の車の中にいるとふと不思議な気分になった。こんな悪条件、朝早くから車で走らざるを得ないのは、みんな仕事があるからだろう。大変だけどみんな頑張っているんだ、雪まみれの周りの車をみてそんな勝手な一体感を持ってしまった。
道中で何台も側道に突っ込んで動けなくなった車を見た。誠にご愁傷様である。
午前中は初めての訪問先なので、地図を片手に必死の運転。予定の時刻をとうに過ぎても目的地に着かない。雪でStreetも分からない中、またタイミングが悪い事に携帯に電話が入る。出なけりゃいいのに運転中に出てしまって、タイヤがすべるヒヤッとした瞬間がありすぐに電話を切る。そしてようやく訪問先に到着。
これが日本なら、「こんな天気の中よく来てくださいました。大変でしたでしょう。」と嘘でもそんな一言があるものだけど、アメリカではそんなねぎらいは全く無い。いや、それどころか、こんな状況でわざわざ来るなんてお前は危機管理が出来ているのか、ぐらいの事を思われる。案の上、午後のアポは天候不良でキャンセル、昼過ぎに雪道の中を空港に向かう。
午後1時半過ぎに空港着。スクリーンを見ると、予想通りほぼ全便が「DELAY」のオンパレード。万一のために上司に電話して宿泊許可を取った。
まいったなあ、何時間待ちかな、などと憂鬱な気分でゲートに取りあえず向かう。と、Unitedのカウンター職員が、「早く!早く!間に合うから。」とこちらに向かって叫ぶ。なんのこっちゃと思い、言われるままに航空券を差し出すと、その場で新たに航空券を再発行してくれた。
よくみるとその日の午前8時出発の便。どうやら5時間も遅れた便がようやく出発しようとした所に、うまくもぐりこめたようだ。
という訳で、なんと待ち時間ゼロで戻ってこれた。
その後の便はどうなったか知らないけど、これに乗り遅れたらと思うとゾッとするな。今頃まだ空港で待ちぼうけかもしれない。
朝起きたら大雪。アメリカの天気予報はほとんど当たるんだなあ。
こんな日に限って飛行機で出張が入っているのは不運だが、これも仕事仕事。余裕をもってかなり早めに家を出る。ラジオのニュースでは、大雪で今日は小学校は休み、今朝の飛行機は400便が既にキャンセルになった、と気分が滅入るようなニュースを伝えていた。道路に出れば普段はがらがらの道が車で一杯、全く動かない。案の定、はるか前方で追突事故を起こしている。明らかに路面状態が悪いのに、普段と同じような運転をするバカアメリカ人があまりにも多い。そんなバカは迷惑をかけるだけなので、こんな日は黙って家で寝ていて欲しいのである。
おかげで、15分でつくはずの目的地が1時間以上もかかってしまった。
そして空港では案の定、キャンセルを食らった客でごったがえしている。チケット片手に、振り替え便はいつになるんだ、と怒鳴るオヤジ。こんな日はろくな事がない、自分のフライトもひそかにキャンセルになっている事を祈ったのだが、そうはいかなかった。セキュリティのゲートまで行くと、カウンターと違ってうってかわってガラガラ。こりゃラッキー、と思っていると、係員がこちらのゲートで、と自分を連れて行く。「なんで?」と聞くと、チケットに記された見慣れない記号を指差した。航空会社がランダムで客をピックアップして、その客は手荷物全てに検査を受けなけりゃならん、その客に見事に選ばれたんだと。やれやれである。
他のレーンは誰もいないのに、そのレーンだけは大混雑。
たまたま前には日本人6人連れ。パスポートを持っているのですぐに分かった。係員があれこれ質問をするのだけど、英語が分からないらしく何を聞かれても愛想笑い。久しぶりに見る日本人の意味の無い笑いも不気味だったけど、自分もアメリカに来た当初はそうだったんだろう。こちらは一刻も早くゲートへ向かってのんびりしたいのだが、黒人の係員もチンタラチンタラ人のカバンから全ての荷物をほじくりだして検査してやがる。後ろの白人のおばちゃんは、「It's Not Funny!!」と叫んでいたけど、状況は変わらない。あせっても何も変わらない、こうしたときはひたすら待つしかないのである。
ようやく飛行機に乗り込む。外は雪が降り続ける。そのうちに疲れて眠り込んでしまった。
ふと気がつくと、1時間経過しており到着予定時間。 ああ、到着か、と思って外を見たら、既に飛行機は到着していた。ラッキーラッキーと思ってよく見ると、なんとまだ出発していなかった。はあ〜。
目的地のデトロイトもクソ寒い大雪。レンタカーのバスまでの数十メートルが厳しかった。
雪道を慎重に車を運転して取引先へ。新年だしと思って、アメリカ人の好きなダンキンドーナツを手土産に。「12個分、適当に詰め合わせて」と店員のお姉ちゃんに頼むと、見事に高いものばかり詰めやがる。まあいいけど。
で、会計。
「US$5.15.-です。」えっ、たった5ドル?そんな訳ないだろう、と思いながらもそそくさと会計を済ませた。実にいい加減である。客の黒人が、お前のあの車はなんていう車だ?調子はどうだ?とペラペラと話しかけてくるが、こちらも急いでいたので適当にあしらってしまった。
客先とのミーティングを終えると、もう車が雪に埋もれていてどうにもならない。
かろうじてガラスの雪を取ってホテルへ向かうが、帰宅ラッシュも重なって大渋滞だ。こりゃ晩飯どうするかな?と思ったけど、チェックインしてから雪の中に出て行くのも面倒なので、選択肢のない中、SUBWAYに入る。
店員は、かわいらしい移民系の女の子。
店に入った瞬間、こちらをじっと見て「How are you doing?」。返事として、普段は「Good!」だけで終わらすのだが、ついつい「How about you?」と聞いてしまった。またまたこちらをじっと見てにっこりと、「I am Fine!」と答えるのも実にかわいい。サンドイッチを作ってもらいながら、「おいしいかしら?ちょっと量多かったかな」と言ってくるので、「このくらいの方が好きだから問題ないよ。」と答えると、「私が作ったんだから、きっとおいしいわよ。」と言ってきた。ワタクシ、大喜びです(←オヤジ)。お世辞にもサンドイッチは見た目がうまそうでもなかったのだけど、やっぱり料理は心。アメリカではこんなサービスを受けるのは珍しいことだ。まあ、疲れた1日。これくらいの事がなくちゃやってられん。
こうして今日もまた1日が終わる。明日もまた予報は大雪だ。
少なくとも12インチ、約30センチまで積もるらしい。帰りのフライトがキャンセルにならない事をひたすら祈るのみなんだけど。どうなることやら・・・。
2005年01月04日(火) |
仕事始め / 一周年御礼 |
今日から仕事始め。
といっても、日本みたいにお偉いがうんちくを話す「年頭の辞」も、取引先への挨拶周りも乾杯も何も無く、いたって普通の1日と変わらない。でも、すっかりこの生活に慣れてしまった。そういや、毎年やってたなあ、挨拶周り。うっとおしいよなあ、ぞろぞろ連れ立って、みんな揃ってペコペコ頭下げて。もう出来ないかも、日本には戻れなくなってしまったな。
そうそう、今日はこの日記の一周年記念。
ちょうど1年前の今日、何を思ったか始めてしまった。当時の日付は1月5日だけど、最初は日本時間で記録していたので、実際は1月4日の今日がちょうど1周年なのである。
いや〜、よく続いたものだ。
最初は、せっかくアメリカに住んでいるのだから自分のために日々の出来事を忘れずに記録しておこう、程度の思いで始めた気がする。
ところが1年でカウンターが4万3千越え。
こんな色気もなにもないサイトを見てくれる人がいるだけでも十分なのに、リンクを張ってもらったり、またメールやメッセージなどをたまにもらってしまい、ついうれしくなってしまうと同時に実に恐縮してしまうのが本音。
一時、もっと写真や相互リンク先やBBSなども盛り込んで「見せる」サイトを作ろうかとも考えた事はあったけど、当初の目的を考えるとそれも本末転倒だし、第一そこまでやっていく才能も自分にはなさそうなので、相変わらず淡々とした文章だけのサイトである。
今後ともお暇な時にでも寄ってもらえれば幸いです。
2005年01月03日(月) |
4連休終了 / 日本のテレビ番組を堪能 |
今日で4日間の貴重な休み終わり。
この4日間は大晦日の夜以外は特に予定がなかったので、毎日のんびり起床してジムに行って、後は家でCNNと日本のテレビ番組のビデオを見まくった。このビデオは知り合いに借りたもの。日本の友人が適当に番組を録画して送ってくれるという。もちろん番組の選り好みは出来ないけど実に貴重でどれも楽しかった。
バラエティは、とんねるずのみなさんのおかげですのベッカムと宇田多ヒカルの食わず嫌い対決。グルナイ。HEYHEYHEY!など。日本にいたときはほとんど見たことがなかったけど、なかなか企画的にも面白かった。これらの番組、アメリカでも十分通用すると思うんだけど、こちらの番組はスターを「いじる」なんて事はまずやらないから無理かなあ。特に久しぶりに見たナイナイの矢部がパコパコと芸能人の頭をたたいているのがとても違和感を感じた。日本は平和だ。
それにしても、バラエティとはいえ食事にからめた番組が多いのに驚く。日本人の食に対するこだわりもこうしてみるとよく分かるものだ。味もよくわからない、毎日ハンバーガーしか食っていないような連中には、こうした番組の趣旨がさっぱり分からないかもしれないな。
後はドキュメンタリー。
スーパーテレビ、情熱大陸、ガイアの夜明け、ZONEなど。どれも充実していて面白い。そういえば、アメリカにはこんな番組もほとんどないような気がする。
自分のように駐在員をしていると、ともすれば普段付き合うのは、昼飯から休日のゴルフまで同じ会社内の日本人だけという、実に偏った狭い世界にどっぷりと身を浸しがちだ。その意味では、こういった番組で「頑張っている人」を客観的に見るととても刺激を受けてしまう。単純かな。
やっぱり日本の番組が面白い。
でも、家で日本語放送(TV JAPAN)を入れてしまうと絶対その番組しかみなくなってしまうから、それは入れないようにしている。
明日から仕事か。
5日ぶりとはいえ、ずいぶん休んでしまった感じだ。
取引先はどこも土日が空けた今日3日から始まっているようだ。知らない間に携帯に仕事のメッセージも入っているし。いきなりネジ巻いて仕事しなきゃな。
2005年01月02日(日) |
日本の5億ドル支援 - 少ないよ。 |
TSUNAMI被害で日本がUS$500Mil.の支援へ。
とりあえず今回の日本政府の「迅速」な決断は評価したいと思う。
額だけの問題でもないけども、金額上では最大支援国としてCNNでも散々取り上げられていたし、日本の存在感も世界でアピール出来ていると思う。ランク好きなアメリカ。今日の新聞では、早速支援額の順位が出ていた。
JAPAN : $500MIL.
UNITED STATES : $350MIL.
WORLD BANK : $250MIL.
BRITAIN : $95 MIL.
SWEDEN : $75.5MIL.
SPAIN : $68 MIL.
CHINA : $60MIL.
FRANCE : $57MIL.
:
:
SOUTH KOREA : $ 600,000.-
それにしてもなんなんだ、CHINAの$60MIL.って。
この国はODAが必要じゃなかったんかね。中国がアジアでの発言力を高めたいような動きに出ているという事だろうか。日本は中国のODAに3兆円以上を投じている。今後はもう要らんような気がする。
日本の$500MIL.
たまたま比較したら世界一で注目を浴びたかもしれないけど、中国のODA、そして日本が北朝鮮に支援した1兆円以上を考えると、少ない気がする。もうこの2国の支援はきっぱりやめて、その代わりにインド洋TSUNAMI被害に注ぎ込むべきではないかね。500億円っていっても、北朝鮮へおこなったコメ支援の半分以下だ。
今回は天災による信じられない被害。
「人災」による北朝鮮への支援などはもう必要ない。日本のしょーもない公共工事などの税金無駄使いよりも、復興費だけでポンと$1000MIL.くらい一気に出した方が、目に見える援助で日本の国際的な評価も高まると思う。
正月ボケの日本のTV局ではどんな報道がされているか分からないけど、少なくともアメリカではCNNだけでなくローカルニュースでも時間を割いて今回の津波被害を細かに報道されている。現地からの細かな報告、24時間の報道体制に釘付けである。日増しに明らかになる被害状況に心が痛む。
かくいう私メも、ささやかながらAMAZONを通じてRED CROSSに$100を支援する。見てもらうと分かるが、ココで今まで集まった民間からの募金総額が既に$1200MIL.を越えているのだ。
日本の支援金額$500MIL.は日本国内でどう報道されているか分からないが、こんなことに控えめな美徳は全く必要ない。今こそ最大限の支援をするべきだと思う。財源は、これから中国ODAと北朝鮮支援、そして無駄な公共工事をなくせばそれで十分である。
そして、日本はモルジブで実証された防波堤でも明らかになったように、水害や津波に関しては世界一熟知している。今こそそのノウハウを世界に伝えるときだ。アメリカじゃ、そこまで出来ない。頑張れ、日本。
2005年01月01日(土) |
初詣に行けない人たちへ |
大晦日は午前2時半まで友人宅で盛り上がった。
日本人6人、みんなはじめて見るマツケンサンバに全員拍手喝さい!! でも何で紅が勝ったのか不思議。
12月30日のこと、暇暇ムード蔓延の社内で、あるアメリカ人スタッフが聞いてきた。「日本は1月1日のNew Years Dayが大きなイベントと聞いたけど、何するんだ? みんなで集まってパーティーか?」
何するって言われてもなあ。パーティーってのも何か違うしなあ。
という訳で、「何をするかと言えば、元旦には初詣といって神社にお参りする人が多いな。」と答えておいた。この回答の為に、わざわざ神社(Shrine)の単語を辞書で調べた私は立派だ。
「お前も行くのか?」
「アメリカには神社ないからなあ。」
といっても、あれだけ大混雑する初詣なんて別に行きたくとも何ともないのだけど。あんなものはひとつの流れで行くもので、自分にとってどうしても行かねばならないものではない。
そうは言いながら、話の流れ上彼に対しては残念そうな表情をしたからだろうか。
このアメリカ人STAFF、仕事とはいえアメリカに住んでいるが為に初詣という、日本人にとっての大事なイベントに行けない僕のことを気の毒に思ったのか、メールであるウェブサイトを送ってきてくれた。
その名も、サイバー神社(Cyber Shrine)!! ←クリック
お参りに行けない人の為にこんなサイトがあったとは!!
御丁寧におみくじまでついている。早速挑戦、結果は・・・。
海外在住の人、人ごみが嫌な人はこのサイトで運試しをしてみては如何?
Kyosuke