嗚呼!米国駐在員。
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2005年01月31日(月) SO LONG ・・・ サミー・ソーサ

ついにサミーソーサがシカゴカブスを去る日が近づきつつあるようだ。



シーズン60HRを3度も記録しているのは、メジャーリーグ史上でサミー・ソーサしかいない。単独歴代7位の通算574本塁打を誇り、現役ではバリー・ボンズに次ぐ通算ホームラン数を誇るカブスの主砲は、ボルティモア・オリオールズへ移籍間近である。

連日地元紙はこの話題で持ちきりだ。
2004年は打率253、本塁打35本と振るわず、40本塁打以上は6年連続で途切れた。
おまけに最終戦では試合中に無断帰宅、チームメイトや監督との関係は悪化していた。昨年はケチョケチョにソーサをたたいた地元民も、カブスを去ってしまう現実を目の当たりにして、どちらかというと「信じられない」「信じたくない」といったところだろう。

過去にもソーサについては気になって書いたこと(ココ)があったけど、自分自身もあれだけの選手がまさかトレードに出されるとは思いもよらなかった。

ソーサはシカゴの華だった。マイケルジョーダンの後、唯一世界に自慢出来るヒーローだった。トレードで若手有望選手を得られるとはいえ、プロスポーツには表の成績だけで語れないヒーローがいてもいい。

勝たなくてはいけない球団から見れば、なりふりかまわず本気で来年は勝ちにいくという決断をしたという事だろう。そして、いくら実績と人気があるとはいえ、ソーサはチームに必要なしと判断しただけのことかもしれない。

守備位置につく際のおきまりの全力疾走。
打席での迫力、オーラ。スイング後の大きなジャンプ。もうシカゴのものじゃない。ヒーローのいない球団は面白くない。

何だか残念である。




2005年01月30日(日) アメリカの確定申告

久しぶりの休日。
1月に入って毎週出張に出ているし、ちょっと疲れがたまっていた。おまけに金曜日は職場で約12時間、途中でインスタント焼きそばを食べた以外はぶっ通しでパソコン画面と睨みっぱなしで、さすがに疲労困憊であった。やっとこの土日はのんびりできる。うれしい限りだ。

昼からはジムに行ってから、凍結防止用の塩まみれになった車を洗いに洗車場へ。もう真っ白になった車が長蛇の列で洗車待ち。久しぶりに愛車の黒のボディが表に出てきていい気分。

家に帰って確定申告。
アメリカに住む以上、サラリーマンであろとこれをやらなければならない。幸い、会社で契約している弁護士事務所の日本事業部とやらが、オンラインで対応してくれるのだけど、膨大な説明書を片手に一つ一つ打ち込むのは実に面倒くさい。

たとえ日本の銀行口座でも、残高含めて全ての口座情報を開示しなければならないし、わずかとはいえ金利所得があればそれも報告しなければならない。アメリカの銀行は、年間金利収入というのをしっかり明記して郵送してくれるのだけど、日本の口座はそんなサービスなどないようだ。もっとも日本の口座なんか金利ついてるんだろうか。

財テクに全く興味ないので、株も土地も報告する必要なし。寄付金、医療費、ローン、ギャンブル収入(こんなのも報告かよ)もすっとばす。自分の場合、面倒なのは銀行口座管理くらいなのだけど、その他に2004年に払った組合費はどうだとか、出張で海外に出た日数は合計何日か、だとか、日本で払った税金だとか、一生懸命調べなければ分からないような質問もある。

日本にいる時は、当然会社に任せっぱなしだったのだけど、こうしてアメリカで生活して「自分の事は自分で管理する」という当たり前の義務を目の当たりにする。アメリカに住む人は誰もがやっている事なのだけど、これまでのほほんと暮らしてきた自分が情けなく感じるときでもある。


2005年01月29日(土) FAと転勤

メジャーの移籍を巡って、上原と井川という日本を代表するピッチャーが球団ともめている。
FA権取得前の「わがまま」と位置づけられ、日本では非難の声が出ているというが、どうしても行きたいというのだからしょうがないだろう、と思う。というより、契約更改もせずに自費でキャンプインの状態寸前まで来ているのだから、もう日本には残りたくないというか残る訳にいかない、残された道はあらゆる手を使ってでもメジャーに行ってしまうしかない、というのが、選手の本音だろうか。

実力ある人間が、上を目指したいのに挑戦すら出来ないというのは不幸な話しだ。
ルールはルール、と片付けれるのは簡単な話しだけど、こんな気持ちで残っても果たして本人の為にも球団の為にもなるのだろうか、と疑問になる。

ちょっと話しは違うけど、うちの会社で海外駐在のFAを出したらどうなるか考えてみた。

まず年齢。入社年次の若い者ほど積極的に海外駐在に手を上げるかもしれないけど、受けるほうからすれば商売の基盤もない若手は遠慮願いたい、と言う現地法人が多いだろう。一方で実力ある若手というのはコストも安いし、各国で引っ張りだことなる。
そして地域。昔ならば人気はアメリカだったのだろうが、いまや完全にアジア。国でいうとタイか中国が人気か。

まあ入社して10年を越えると、仮に会社側から「好きな地域で駐在させてやる」と言われても、余計な打算が頭を駆け巡ってなかなかはっきりとした意思表示が出来ない人が多いだろう。たとえ興味もあるし生活してみたい国があっても、他の日本人駐在員と合うかな、とか、仕事の内容が自分に不向きではないか、とか、その地域に駐在することによる今後の社内の立場であるとか、要はどうでもいいようないろんな情報が邪魔してしまい、まっさらな状態で判断できなくなってしまう。

よって、まな板の鯉のごとく、経営側の決めた人事になすがままになる。
サラリーマンは転勤があるから大変だ、とかぼやく人ほど、実は会社の決定に従うしかない境遇に居心地のよさを感じているのである。

強烈な自己主張がある人は組織にこだわらない。
もしくは組織に属しながらもうまく自分の主張をかなえる人がいれば、そういう人が社内で出世していくという事であろう。


2005年01月28日(金) 日帰り出張 / 井口正式契約

朝5時、雪の降る暗闇の中、空港へ向かいデトロイトへ。

午前1件商談の後、午後に新規の営業へ。道が分からず迷い込んだ末に大きな会社にたどり着いた。ただ、どこにも何も会社名が無い。思い切って受付に向かい、恥のかけらもなく、ここはなんていう会社だ?と聞くと、

「GM。」

おお、なんと世界一の自動車メーカーに迷い込んでしまったのか。

何とか目的の会社へ30分遅れでたどり着く。相変わらず自分の英語力の無さにがっくりしながらも何とかミーティング終了。英語って子供のように簡単に喋れるようにならないな、やっぱり勉強しなきゃ駄目だな、といつも思うのだけど、全くやる気無し。困ったものである。

帰りの飛行機は爆睡。日帰り出張は答えるけど、やっぱり我が家で寝るのが一番。それにしても今日は寒かった。体感で−20℃を下回った。もう外へ出るだけで体力が消耗していくのが分かる。

そんな中、井口がシカゴでホワイトソックスと正式契約。この寒さにはビビッたんじゃないかな。チームメイトの高津は、開幕から不調だったものの慣れるに従って結果を出した。こうした日本人の前例があるから、最初は少々調子が悪くても客も暖かい目で見てくれるだろうし、チームも我慢してくれると思う。
日本ではファンでもなかったのだけど、こうしてみると実に井口に対して親近感が沸いて来る。

よく来てくれた、寒いけど嫌いにならないでくれ。



2005年01月27日(木) 現地採用日本人に “喝!”

今日は珍しく取引先を怒鳴りつけた。

相手は日本人。とある問題が起きて、某日系企業の担当窓口であるその男に状況を確認したところ、「それは私ではどうしようもありません。私に言われても困ります。」と、アメリカ人のような事を抜かしやがった。
「うちはお宅の会社と契約している。責任持って調べてくださいよ。」とつき返したけど、相手はなんと、「アメリカの商売とはそんなんじゃなくて、うんぬんかんぬん・・・」と逆に説教を垂れ出した。

温厚な(?)自分も黙っていられなかった。
「これ以上アンタと話しても埒があかない。もういいっ。」 
ガシャッ。

こちらも相手が日系企業の日本人であり、多少甘えがあったかのかとも思い自己を振り返ったけど、どうみてもこちらに非は無かったように思う。
ちなみにこの男、アメリカの学校を出てそのままこちらで就職した、いわゆる「現地組」である。現地組のほとんどは日本で就職して働いた経験がないのだけど、日本から派遣された駐在員と同じようにきめ細かな仕事をしている人も多い。従い、こちらも駐在だとか現地採用だとか、全く何の区別もなく接触するのだけど、コイツだけは違う。

前にも一度、非常に対応が悪くて日本の親会社に文句を言ったところ、親会社から丁重な侘びがきた事があった。こちとらそんなものが欲しくて文句を言ったのではない。しっかり指導して欲しかっただけである。

価格メリットのある米系企業ではなく、何故高い人件費を抱える日系企業を取引先相手として起用するのか?

言うまでも無い、我々にとって日本と同じきめ細かなサービスを得られるという安心感があるからである。アメリカに来て実感するのは、相手が日本人という安心感なのである。それなのに、仕事の範囲に線引きするような、都合いいところだけアメリカ人になって、どうするんだっての。

次はアメリカ人と英語でここまでやり合ってみたいけど、それは何年後の話しやら。はは。


2005年01月26日(水) レディファーストを運転にまで持ち込むな

アメリカで生活する上で無視出来ないのが、「レディーファースト」。レストランでもショッピングセンターでも、女性を先に通してあげる。スポーツジムの入り口を見ていても同じだ。これをやらないのは、アジア人くらいのものか。よく見ると、自動車に乗り込むときでも助手席の女性を先に通してから、運転席に入る男性も珍しくない。

対する女性も実に慣れたもの。
日本みたいに、「いえいえ、あなたこそお先にどうぞ」みたいな譲り合いは一切ない。アメリカの女性は道を譲ったこちらなど見向きもせずに、スタスタと先に歩いていく。

いつだったか、日本から出張に来た本社のお偉いが、アメリカに駐在している女性社員が日本に一時帰国した時の事を話していた。

「彼女、エレベーター降りるときに、俺の事気にもせずにスタスタ先に出てくんだよなあ。やっぱりアメリカにいるとそうなっちゃうんだよなあ。」

まあ、このオヤジもいい年こいてつまらん事にこだわるなあ、と思ったのだけど、なるほど、確かに日本では、“ホテルのボーイのようにエレベータの開ボタンを押して、目上の人を先に通す”のが部下の正しい振る舞い方なのかもしれない。

この習慣も慣れてしまえば全く苦にはならないし、実にスマートで気持ちいいものとは思うけど、車の運転もレディファーストと勘違いしているかのようなオバサンも多い気がする。働く女性が多いのはアメリカの特徴であり、朝の通勤者の運転手は半分が女性のような気がするのだけど、強引に割り込んでくる車や後方確認もろくにせずに自分勝手な運転をする車の運転手を見ると、これまた女性である確立が実に多い。

単に運転が下手なだけだろうか。
いや、常にレディファーストで人が道を譲ってくれる事に慣れきった女性が、車の運転にもそんな意識を持ち込んでいるように思えてならない。

こちとら運転手の性別を見ながら運転している訳じゃないんだから、もう少し気をつけてもらいたいものである。


2005年01月25日(火) ようこそ井口

ダイエーの井口が、シカゴホワイトソックスに入団する意思を固めたことが明らかになった。提示された条件は年俸230万ドル(約2億3700万円)プラス出来高払いの2年契約。正式決定すれば、日本人内野手としては松井稼頭央(メッツ)に続くメジャーリーガーが誕生する。ホワイトソックスには高津臣吾投手も在籍している。

ホワイトソックスは早々にラブコールを送っていたのに、ヤンキースやレッドソックスも獲得か、なんて噂があって中々決まらなかった。年明けには、しびれを切らしたホワイトソックスが「返事もないとは失礼だ」として獲得をあきらめたかのように、日本のインターネットには出ていた。
が、地元紙では井口獲得を前提にしたチーム作りがを進めていると書いてあった。日本のニュースもいい加減なもんだ。ちなみに、ホワイトソックスは中村ノリの獲得にも興味を示したというニュースが日本のネットで流れたけど、こちらでは一切そんな話しはなかった。奴はどうしちゃったんだろう。

メジャーで実績のない井口が年俸230万ドルとは、球団の期待も大きいし代理人もよくやったのではないか。3割15本80打点30盗塁はノルマだろう。でなきゃ、花形のショートでは使えない。日本人初の内野手である松井稼が、昨年大きく期待を裏切ったから、この井口の働き次第で今後の日本人内野手の相場が決まってくる気がする。ホワイトソックスなんて人気のない球団だから、井口も伸び伸び出来るんじゃないかな。

もっともそんな事よりも、「これで日本から客が来たら観光でホワイトソックスの試合に連れて行けばいいから、こちらは楽だな」なんて考えたりもする。去年までは唯一の日本人がクローザーの高津だったので、見に行った試合はどれも登板がなかった。そういう意味では勝手ながらやっぱり野手が欲しい。人気のカブスはチケットが取れないし、ちょうど良かった。


2005年01月24日(月) 再び冷凍庫生活へ

土曜日は今年初めてのゴルフ。汗ばむほどの日差しだったが、カラッとした天気でとても快適。久しぶりでボールが打てるか心配だったけど、普段の寒さで身体の血管と筋肉が収縮しているのか身体がびっくりして動きが悪かった。スコアは除夜の鐘だったけども、全く練習もしていないしこんなものか、と。

ホテルに戻ってCNNを見て、中西部から東海岸がとんでもない大雪になっている事を知った。フライトを調べるとキャンセルばかりで、日曜日の帰宅が出来るかどうか不安になる。といいつつ、ゴルフの後の焼肉とカラオケという日本人サラリーマン御用達コースを数年ぶりに味わって酩酊。

そして今日、予定通り午前11時の便でサンディアゴを発ち、太陽と青空に別れを告げる。そして、午後5時半に大雪に囲まれた空港へ戻ってきた。荷物が出てくるのに1時間以上待って、タクシーで我が家へ。

テレビをつけると、今朝まで宿泊していたホテルのすぐ近くで行われているBUICK INVITATIONALの最終日18ホールの生中継。ウッズが復活の勝利。日本飯屋で遭遇した日本人プレーヤー達の上位進出はなかったようだ。

こちとら外は−12℃。再び冷凍庫生活へ逆戻りである。あと3ヶ月半の辛抱だ。



2005年01月22日(土) サンディアゴで丸山に遭遇

出張先のサンディエゴ。
現地駐在員と晩飯に出かけた日本食飯屋で、丸山、田中秀道、谷口という日本人を代表するプロゴルファーらが食事をしていた。ちょうど、BUICK INVITATIONALでサンディアゴに来ていたんだった。

輪の中心はやっぱり丸ちゃん。
タイガーウッズと同じ組でラウンドした直後であって、やや興奮気味にその日のラウンドを振り返っていた。

「13番のあの距離でウェッジだぜ!信じられねえよな。」

ジーパンにポロシャツの丸山は、こう話しているとそこらへんの兄ちゃんと変わらない。1人で喋る丸山に、取り巻きの周りはうなずくだけ。

それにしても、実際に目にすると丸山も田中秀も実に小柄だ。この身体で300ヤード飛ばすんだから、信じられない。

外に出てのんびりタバコを吸っている丸山に話しかけようとしたけど、まあ話すこともないし、話したところでまあだからなんだ、という事もあってやめてしまった。いまさら、頑張って、もないだろう。というよりも、やはりオーラがあって近寄りがたかった。

日本なら大騒ぎだろうけど、店の客も、丸山がいるからっていっても別に誰も寄っていかない。まあ、こうして一流スポーツ選手に気軽に会う機会が多いのも、アメリカならではかもしれない。


2005年01月21日(金) 67億円 訴訟 / 機内の出来事、母は強し

昨日の日記の直後で驚いたが、今日、丸紅アメリカが提訴されたニュースが出ていた。
事情を知らぬ自分には何も言う事はできないが、何とも複雑な気分である。


今日は出張でサンディアゴへ。
冷凍庫の世界から一気に緑のある夏の世界へ。これが他の国ならいいけども、同じアメリカというのがどうにも納得行かない。だってサンディアゴの駐在員は一年中夏なんだから、あまりにも我々と違いすぎるで。

雪で1時間遅れた行きの飛行機。
座席に座ってのんびり離陸を待っていると、1人の金髪米人女性が隣まで来て、「席を替わってくれないか」と言ってきた。突然の事で何も言えず、唖然としてその女性を見つめていると、「Do you understand English?」となんとも屈辱的な事を言ってくる。
こっちは英語が分からないのではなくて、何で突然席変わってくれ、とこの女性に言われなくちゃならないのかが全く理解出来ていなかっただけのことだ。

「いや、アンタの言ってることはわかるんだけど・・・」というと、
「あなたはどこの国の方ですか。」と聞いてくる。

訳が分からないが、「Japan」と言うと、片言の日本語で、「スイマセン、アナタノセキ、ワタシノセキ、changeネ?」と言って来た。

そうこうしていると、女性の旦那と5歳くらいの男の子が自分の横にやってきた。ははあ、お母さんだけ離れた席になってしまったんだな、とようやく事情が飲み込めた。

まあ、当然変わる事はいとわなかったが、1つ問題があった。女性が示した席は14Fという普通のエコノミー席。自分はUNITEDのPREMIER EXECUTIVEというランクアップされた会員なので、ECONOMY PLUSという、エコノミーよりちょっと広めの座席である。4時間のフライトを窮屈なエコノミー席にわざわざ移るのは気が引けた。ただ、せっかくの親子3人のバケーションなのに、飛行機の席が離れ離れというのも気の毒だと思った。

そしてちょっと迷った挙句、席を立って譲ることにした。

離陸後、はるか後方の窮屈な座席から、その親子3人が座席で笑っているのを見て、席を変わってよかったなあ、と思った。

それにしてもあの女性、日本語喋れるとは驚いたな。


2005年01月20日(木) 訴訟の国アメリカ、現地スタッフに気を使う駐在員

うちの支店だと、現地スタッフが日本人駐在員の倍以上いる。
職場内で彼らといかにうまくやっていくかは、支店の業績に大きく影響するのだが、これが予想以上に困難だと感じる。

言うまでもない、ココは訴訟社会だからである。

カリフォルニア州にあるトヨタのディーラーの日本人社長は、一人の黒人の従業員が仕事をまじめにやらず、注意してもきかないのでクビにした。
ところがこの従業員は、社長が差別主義者で黒人である故に解雇したと訴訟を起した。そして同僚も社の幹部が差別をしたとデッチあげの証言をした。会社側は、日本人が黒人を差別するわけがないと裁判の結果を楽観していたが、実際の評決は会社は六十万ドル、六千万円を支払えというものだった。この従業員の月収は二千ドルで約二十何年分の給料を手にしたことになる。会社側は従業員を訴えることはできるが、二千ドルの従業員を訴えたところで求償はできない。結局泣き寝入りということになる。

解雇するというのは確かに常に訴訟されるというリスクがつきまとう。よってそれなりの注意と対策を会社側でも考えるのだが、解雇に至らずとも、普段の行動を注意をしただけでも、人種差別、学歴差別、年齢差別などありとあらゆる理由をつけて訴訟してくる場合がある。というより、実際にやられているのだが。

したがって、ある警告、例えば仕事中に仕事と関係ないインターネットをするな、と言って警告しただけでも、「私は人種が違うから差別された。あの人はやっていたのに何も言われなかった」と訴えられてしまう場合があるのである。というより、実際にやられているのだが。

アメリカでは、訴訟が明確なビジネスとして存在する。そして弁護士が自然増殖している。訴訟は一攫千金のチャンスがあり、大きなアメリカンドリームを実現する手段でもある。アメリカの法律の拡大解釈は滅茶苦茶であり、陪審員制度だって全くあてにならない。


という事で、我々日本人駐在員は言葉と対応に気をつけながら彼らに接する事になる。時には腫れ物を触るように。
不満があってもそれをストレートにぶつけずに、よく考えた上で適切な手順を取りながらそれを伝えねばならない。いちいち記録に残す作業なんかも必要だ。昨年、初めて赴任してきた先輩は、「なんで社内でいちいちアメリカ人に気を使う必要があるんだ、しかも仕事上のことで!」という、誠に最もな主張をされたのだけど、ここはアメリカ、郷に従わねばとんでもない事になるかもしれない。

まあ、アメリカ人の全員が全員そうでもないのだけど、中には会社からの不当な扱いを待っているかに見える知恵の働く従業員もいるから、やっぱり注意するに越したことはない。自分のような立場ならいいけど、責任ある管理者になれば扱いは大変だろう。

組織主義が浸透しており、かつ訴訟と聞いただけでビビる日本人にとって、何ともストレスがたまる部分ではある。
一方で、アメリカ人は実に個人主義であり、そんな日本人の勝手な心配など知ったこっちゃなく、自由にすき放題、伸び伸びやっているように見える。 同じ事務所の中のそんなコントラストも何とも面白い、なんて言ったら怒られるか。


2005年01月19日(水) 今期は風邪を引かないその理由

この時期、毎年必ずといっていいほど2,3回は咽喉が腫れて風邪を引いてしまうのだが、今年は全く風邪を引く気配が無い。どうしてかな?と思って、去年までの自分と今年とを比較してみたのだけど、今シーズン無意識に行っている事で思い当たる点が2つあった。

1. とにかく水分を補給している
咽喉が渇いてから、では遅い。デスクの上、ベッドの横、車の中、至る所にペットボトルを置いておき、気が付けば水分補給をするようにしている。もう、飲みすぎなぐらい飲んでいるから、乾気にも負けていないのかも。

2. 気がつけば目薬を点している
視力矯正手術がきっかけで、医者のアドバイスに従い1日に何回も忠実に目薬をさしている。雑誌で読んだけど、無意識のうちにドライアイになるケースは多いのだとか。目薬のせいで、心なしか目の疲れが減ったような気もする。ただ、これが風邪と関係しているかどうかは不明。

この2点は風邪予防と体調キープにはかなり効果的な気がする。

まあ、酒も飲むこと少ないし夜は早いしでココでは無茶な生活もしようがない。テレビもつまらないので睡眠時間も十分だ。外は連日のようにマイナス10℃で、血も凍る寒さが続いているけど、家の中はセントラルヒーティングで実に快適。湯冷めなんてこともない。
でも、こんな生活は楽だし慣れれば快適だけど、思ったよりも楽しいうということはない。

それにしても懐かしいよなあ、日本のうまい飯とにぎやかな街、キレイな女性...。

そうそう、風邪の話しだった。
一番いいのは風邪だとか病気だとか健康だとかを何も意識しないことなんだろうけど、こうして意識した瞬間に風邪引きそうだな。

(今日は大吹雪。)



2005年01月18日(火) 本社への不満が多い

今日は(1/17-Monday) マーチンルーサーキングJrの日。
由来はよく分からないし調べてもいないのだけど、うちの会社は祝日。ただ、祝日にならない米企業もかなりある。

朝、自宅でメールをチェックしていると、またまた本社の「やや」お偉いから嫌なメールが届いており、一気に気分が悪くなる。出世欲バリバリのくせに未だ中途半端な管理職のこのオヤジ、駐在経験は確かに豊富だけど、いわゆる先輩ズラというのだろうか。自分がアメリカにいた20年前の古い経験だけを頼りに、考えをおしつけるものだから、話が進まない。こちとら、最新の情報を取るためにこうして現地で駐在しているのに、その話を頭から否定して聞く耳をもたない。

当然のように状況は日々変化しており、そのスピードは速いのだけど、このお方はその変化についていけないのだろう。そして、ついていけない自分を認めたくないのであろう。最後の手段として、年下に対して威圧的にモノを言うしかないのである。

自分も、あまり独りよがりにならないようバランス感覚を常に忘れないように心がけている。特にこうして組織から離れて海外に駐在しているのだから、それは常に頭に入れているのだけど、それでも全く論理にかけた頭ごなしの物言いをされるとカッとくる。

なんで「お話にならない」と言われなきゃならないのだろうか。

気分がむしゃくしゃして、スポーツジムへ行き汗を流すも気分転換出来ない。たまらず夜になって、東京本社に電話をした。電話の相手は、そのボケオヤジの部下に当たる私の先輩。約40分、言いたいことを聞いてくれて、かなり気分が晴れた。

結局は駐在員というのも大きな母艦(日本の親会社)から派遣されただけ。所詮は海外では孤独でちっぽけな存在であり、仕事のストレスを分かち合う気の合う仲間も日本にいた時ほど多くない。
また、時差があるためにその場で話し合いも出来ないので、今日のようにモヤモヤを抱え込むことももよくある。

自分の場合、ストレスの相手は決まって社内だ。取引先などは、やはり利害関係がからむもの、という意識があるからだろうか、どんなに不本意な事態が起きてもストレスにはならない。

何故社内のやりとりに限って不平不満が多いのだろうか。社内というのは誰もがベクトルは同じであるべき、というようなおかしな意識(期待)があるからだろうか。どこかで、俺はお前達(本社)の為に海外に出て働いている、もっとよく見てくれよ、という甘えがあるのだろうか。いや、そんなもんはないつもりなんだけどなあ。


2005年01月17日(月) 震災から10年 / 丸ちゃんに一言

阪神大震災から10年

あの時自分は兵庫の尼崎市に住んでいた。
明け方の激しい揺れ、例えようの無い地鳴りとごう音。割れる窓ガラス、倒れる家具。寝ぼけながらもなすがままにするしかない恐怖。今でも忘れられない。

一瞬、第3次世界大戦が始まった、核爆弾を落とされた、と思った。
地震だ、と気がついてからも、日本中が大崩壊しているものだと信じきっていた。

街に流れるデマ情報。今じゃ、なんでだろ、と思うようなデマに、みんなが信じこんだ。街中のガス漏れの匂い、近くの酒屋の酒が全部ひっくり返って、アルコールの匂いも混じっていた。

地震の体験がないアメリカ人に地震はどうだった?なんてよく聞かれるのだけど、うまく説明なんて出来るわけない。

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夜はESPNでハワイの SONY OPENの生中継。
我らが丸山が、ランク世界一のビジェイ、そしてエルスと並んで1位。しびれる展開。結局丸山が逃げ切れず、どちらかというと自滅のような展開で2打差の3位。

「プレッシャーのかかく場面で俺は正確なショットを打つ自信がある。どのプロよりも一番練習しているから。」というビジェイ・シン。。プロは誰もがそんな自信を持っているのが当然なのだろうけど、実績という形で証明しているだけに、この男はいつでも不気味だ。結局、ビジェイの4打差逆転優勝で終わった。

丸山は残念だった。大きなチャンスを逃したという感じだろうか。
昨日までは、いい表情でラウンドしていたけど、今日は明らかに苦しい展開。まだ、今年のツアーは始まったばかりだから、これからも楽しみである。

それにしても、丸山のキャディーがフェアウェイでくわえタバコのままクラブを出し入れしているシーンが何度かテレビに映ったが、これはいただけない。確か、丸山も「回しタバコ」でそのよくタバコを吸うのだが、トップを走る丸山のそんなシーンが全米中継されぬかとひやひやした。

ふてぶてしいスポーツ選手は大好きなんだけど、活躍の舞台であるアメリカは正直タバコに対する目が厳しい。メリットがない事を、わざわざする必要はない。世界の丸山なんだから。




2005年01月15日(土) 外は冷凍庫 / 後味悪し

昨日、今日、と冷え込みがキツイ。気温8F、体感温度は−20℃。
会社の駐車場に車を停めておいたのだが、朝に置き忘れた車内のペットボトルが夕方には凍っていた。ちなみに駐車場は屋内だ。外は冷凍庫かいっ!!




昨日は、取引先の接待でJAPONAISというちょっとしたしゃれたレストランへ。カウンターは日本人の寿司職人が3人。驚いたのは客のほとんどが、おしゃれで着飾ったアメリカ人ばかりで日本人は我々だけ。店内の雰囲気もよくまるでマンハッタンのレストランにいるかのようだった。
カウンターに座って料理はおまかせ。上品なお造りから創作料理、最後に握りへ。ネタも新鮮で、ウニ、中トロ、ハマチ、どれも実に結構。

ところが、最後に酔っ払った我が上司がいつものように赤ら顔で説教を始めて、こちとら一気に気分が悪くなった。例え米国駐在支店長でも、日本の居酒屋で部下にグタグタといばりちらすオッサンと変わらない。クソオヤジはどこでもクソオヤジである。

と言う訳で、せっかくの料理も実に後味悪し。

今回は写真を貼り付けてみたけど、どうやってもサイズが大きくなってしまう。納得がいかん。これも、後味悪し。


2005年01月14日(金) 引継ぎのない米企業 /引退してフロリダへ行く社長

取引先の人から、会社を辞めるというメールが入った。それも別々の会社、2件から。

1件目は製造会社の社長。出社が今日が最後で、奥さんとフロリダへ移って悠々自適の生活を送るんだと。年齢は見たところ50歳前だから、見事なセミリタイアだ。 後継者は弟、と連絡があったけど、彼の事は見たことも聞いた事もない。

2件目は、直接の関わりがなかったけど、あるプロジェクトの責任者。こちらの窓口であったマネジャーも突然の上司の退職発表に驚いており、誰が引継ぎするかも何も決まっていないと言っていた。こちらも、時間をかけて話してきた案件が彼の退職で決裁者がいなくなり、全て頓挫してしまったので打撃が多い。なにやら、他の会社を買収してそこの社長になるんだと。

これらの連絡を受けて、個人主義だなあ、と思った。

組織主義、団体主義が浸透している日本では、何かヤバイ以外で突然の退職なんてないだろうし、退職や転勤があれば事前に余裕を持って引き継ぎする人を決める。そして、その旨、取引先には報告をする。海外駐在員だって、それは例外ではない。自分もアメリカに来て右も左も分からないまま、引継ぎ挨拶と称して前任者に全米各地の取引先を連れまわされた。

それにしても、奥さんとフロリダに移る社長は、どんな気分なのだろうか。
そんな話しはしたことがないけど、おそらく昔から決めていたに違いない。それを目標に今まで頑張ってきたのだろう。そして、会社も好調で業績を伸ばしているこの時期に、と決断したのだろう。早くカネをためて暖かい場所で夫婦のんびりして暮らしたい、なんていう理想論はよく聞くけど、実際に働き盛りでそれを実行した人は、自分の周りで初めてのことだ。確かに、身体も動かなくなる定年を迎えてからでは、気分も違うだろうし。

いくらカネがあっても仕事から離れることはなかなか出来ることじゃない。庶民にとっては、まさに夢のような話だ。


2005年01月13日(木) 決算 / 健康診断

昨日の温暖な気候から今日は一転して雪。1日で気温が20℃変わるというのも、身体には見えない影響がありそうなものだけどどうだろうか。

うちの会社の3/四半期の連結決算を新聞で見た。
会社が運営している海外駐在員向けのサイトがあってそこでも確認出来たのだろうけど、そんなもん人事関連以外はチェックしていないから、わが社のことながら新聞で情報を取ることが多い。しかも数日遅れで。決算内容は日本の景気回復に合わせてまずまずの内容だった。所属する米国現地法人は今ひとつの業績だけど、こうして本社が数字を出しているので少しホッとする。全体の数字がよければよいで、“ああ、今年の査定は誰もが期待しているから、期待通りの査定が出なければもめるだろうな” などと、いらん心配をしてしまう。こちとらすっかり蚊帳の外で高みの見物。ははは。


今日は赴任してはじめての健康診断に行った。
これまで面倒臭いので全く行く気も無かったのだけど、労働安全衛生法に基づいて必ず実施せよ、と本社からの矢の様な督促があったので、半ばやむをえず、である。

胃の透視検査でコップになみなみと注がれたバリウムを飲んだ。
日本で飲んだ事があったんだけど、こんなにまずかったっけ、こんなに量があったっけ?と思った。アメリカ人のおばちゃん2人に囲まれて、「頑張れ!」とか、「もう少し」なんて言われながら。ようやく飲み終わって、「どうだった?私の作ったミルクシェークは?おいしかったでしょ。」なんて言われるものだから、こちらも苦笑いするしかない。

その後日本と同じように一通り検査をするけども、なんだか手抜きされていると思う位、あっさりしている。
面談で、日本にいたときに毎回指摘されていた問題点を話すと、「まあ、大丈夫でしょう。そんなもんですよ。」で終わってしまった。確かに自覚症状はないけど、日本の医者がいかにも深刻そうな顔で、あれはするな、これは食うな、と繰り返していた事を考えると、ほんまにええんかいな? と逆に心配になってしまうくらいだ。
最後は「いたって健康!問題なし!」で検査終了。

まあ、気分は悪くはない。自分の体調がどうだ、とか最近は考えたこともなかったから、やっぱりそれが健康という事なんだろう。

ちなみに、今日の健康診断で約800ドル支払った。これでも安い方らしい。それにしても高いよなあ、米国の病院代って。


2005年01月12日(水) 日本人からのE-MAILはややこしい

今日は華氏60F(約16℃)まで気温が上昇した。これが明日にはマイナスの世界へ逆戻りだから、やっぱりどこか世界的に天候異常が出てきているのかもしれないな。


仕事上のE-MAILなのだが、色々と複雑な問題が出ることがある。
時差のある米国内、アメリカ人との交信はE-MAILの方が誤解も少なくはるかに便利なのだが、逆に日本の本社との交信の方が問題が多いと感じる事が増えてきた。

今日もいくつか、日本の本社の管理職から私宛のメールが飛び込んできた。
内容からすれば、先方がこちらに御願いをするべき趣旨のものだ。
ところが年下に作った文章というのが見え見えで、回りくどい言い方ながらもまず言葉使いがぶしつけだ。そして内容も高圧的、威圧的だ。こちらも日本人だから、あまり気分は良くない。そして、E-MAILの場合はプリントアウトして何度も読み返すから、そのたびにこちらの不満というのも知らず知らず膨れ上がる。日本の朝に合わせて、つまりこちらの午後6時に相手への返事を考えるのだが、その頃には相手への不満が憎悪に近いもの(こりゃおおげさか。)まで成長してしまい、そんな気持ちのままでこちらもメールをするものだから、相手に与える印象も悪く自然とギクシャクしたやり取りになってしまう場合がある。

相手をよく知っていればいいのだが、同じ社内でも知らぬ人も多い。会って話すとみんな良い人なのだけど、E-MAILだけのやり取り、そして文章に残ってしまうということは、実に怖いものである。日本語の恐ろしさという事でもあるかもしれない。その点、英語は敬語も何もないし、要求だけがコンパクトにメールされてくるので実に都合がいい。


そして、アメリカに来て感じることは、日本人ってこんなに完璧主義だったんだ、ということ。何か新しいことを始める前に、懸念点や不安な点は100%駆逐しようとする。その為に、物事を進めていくスピードが遅いし、細かい議論を延々と繰り返すはめになる。

これがアメリカ人とは違う。
アメリカでは、少々懸念点があってもそれを受け入れながら対応していこうとする。そして、自分達の仕事も変えていこうとする。責任者がGOサインを出したら、それが全てである。

そんな環境の違いを日本人に説明するのも一苦労だ。
「トップがやるって決断したんだから」 こんな説明は火に油を注いでしまう。

「何だその説明は? あの点は解消したのか、この点はどうするんだ? 客が良くても俺は納得いかない。ちゃんと仕事しろよ。」

もちろん懸念事項は契約書で縛っておくのだけど、それでも完ぺき主義の人は細部にこだわった議論をしたがる。突き詰めれば単に組織人として不安なだけなんだろうけど。こうした日本人の性質というのは、確かに自分もそうだったし、ある分野ではそれが評価を受けている事も否定できない。ただ、こうして世界のいろいろな人と仕事をしながら客観的に見た場合、それが果たして良い結果ばかりかというとそうでもない。

要はどうでもいいウザイ質問が多くて時間ばかり費やすのだ。

なんだか日本人の批判ばかりだけどそんなつもりではない。
まあ、自分も異国の地で仕事して、それがこうして自分の頭で色々考えるきっかけになっている事は、有難い事ではあるのだけど。


2005年01月11日(火) アメリカと日本のお偉いの差

まず、アメリカ人のトップは気さくだ。

仕事で米人企業の役員などに会う機会があるが、みな一様にFriendlyである。
アメリカ人は権威とか肩書きとかにあまりこだわらない人が多いようだ。みんなファーストネームで呼び合うし、自分のような下っ端が面談を直接申し込んでも嫌な顔せずに会ってくれる。それでいて常に自分の物差しももっているし、よく気を使ってもらえる。相手の背負っているものとその大きな権限を考えると、こちらが恐縮してしまうほどだ。


対して日本人のお偉いとなると話は別だ。
言葉通りに偉そうで、まさに権威主義バリバリである。うちの会社の役員も含めて、たかだか人に会うくらいでもあれこれと注文が多い。奴らの多くは自分で移動することさえ出来なければ、自分1人だけで取引先と話しをする事も出来ない。常にお付きの取り巻きがいないと不安になってしまう、というより、お付をつけることで自己顕示欲を示したいのかもしれない。
会議の前には必ず関連資料を作らせて、会議中に予想外の質問などされると後で顔をつぶされた、と下のものを叱責する。それに、まず自分のような若造の話しなど耳を傾けないだろう。

もちろん個々人の性格もあってひとくくりには出来ないけど、この傾向はそれほど外れていないと思う。それにしても、この差はどこから来るものだろうか。アメリカは個人主義が徹底されているのに対し、日本人は団体意識が強いのも1つの理由と言えるかもしれない。

それにしても、うちの会社の役員はろくなのがいない。
仕事も出来、かつ下に慕われるような人は、出世をしていない。

なぜだろうか。


2005年01月10日(月) 「日常会話」ほど難しい

今朝5時に出発でインディアナへ。
米人Rに運転してもらったので自分は助手席に座っていただけ。赴任して1年目はこうした米人と2人の出張も、道中何を話そうかなんて考えて緊張したものだけど、もうそんな事もなくなった。

午前中に1件ミーティング、その後移動して別の顧客とランチをしてからもう1件打ち合わせを。久しぶりに社内のアメリカ人と出張したのだが、やはり1人で出張するのとは違うと感じることがある。

それは「日常会話」だ。

1人で顧客を訪問する際、大体が仕事の話になるからこちらも内容は分かる。まあ、こちらが経験少ない日本人という事で、相手も気を使って喋ってくれる面はあるだろう。今日も仕事の話は特に問題なく意見交換が出来たとは思う。

問題は、仕事を離れたその前後の会話だ。米人同士が喋りだすと、もうさっぱり何を言っているのか分からない。もちろん英語力という大きな問題は別にすると、これは何故だろうか。やはりアメリカが自分に染み込んでいないからである。

例えばだけど、彼らの会話は日本の中でいうとこんなものだろうか。

「お前も井川みたいにわがまま通すと嫌われるで。」
「ドラクエで寝不足なんだよ。」
「やっぱ白組のトリはマツケンサンバだったよな。」

いずれも居酒屋談義程度の日常会話なんだけど、日本に馴染みのない外人がこれらの意味を理解するのは相当難しいだろうと想像する。
(まず井川とは? 例え、井川が阪神の投手、そしてFA前にポスティングを主張して球団ともめていると分かっても、何故自己主張がわがままか。そして嫌われるか? ドラクエとは? 何故子供がやると思われるゲームで大人が寝不足?紅白が国民的行事と分かるか?何故トリが重要?)

日本人はなんて事ない会話だけど、この背景は一言で説明し難い。

こんな感じでOPRAHがどうだとかの会話を米人同士でされてしまうと、こちらはさっぱりついていけないのである。(ちなみにアメリカ人なら誰でも知っている大人気のOPRAHはココ)。

よく英会話のレベルを聞かれて、「日常会話程度です」なんて謙遜して答える人がいるけど、実は日常会話ほど難しいものはないと最近強く感じるのである。


2005年01月09日(日) 嘉門達夫を見た

シカゴ商工会が主催する新年会に行った。

どこにこんなに日本人がいたんや?というほどの日本人ばかり1000人以上が年に一度に集まるのである。まあ一般的には、商工会の新年会、と言うだけで、ほとんどの人が全く興味を示さないのが世の常なのだけど、全員商品が当たる福引による豪華景品のオンパレードと日本からやってくる芸能人ゲストがお目当てで、実は毎年楽しみにしている人も多い。

実は今年は商工会のお手伝いをしていて、今年のゲストの嘉門達夫の会場入りから控え室での様子を近くで見ることが出来た。
その派手な風貌とは裏腹に、本番前は控え室でギター片手にじーっと黙っており、大丈夫かしら?と思ってしまった。

ところがいざ舞台に上るとスイッチオン。いきなりハイテンションで、得意の替え歌からトークまで予定の約1時間半をあっという間に盛り上げた。あの替え歌は、作詞作曲者や歌い手にも許可を取ってから世の中に出てくるのだけど、舞台では許可が得られなかった替え歌を披露してくれた。圧倒的に許可が得られないほうがブラック聞いてて受けた。いや〜、面白かった!

通常の日本でのコンサートならまだしも、海外に住む日本人相手しかも年齢層高めの客を相手にする公演って難しいだろうな、と思う。ましてや、こういう商工会がからんだ会は、冗談も分かりそうも無い難しい顔したお偉いオヤジばかりが前のほうに座るから、舞台に立つ方もやりづらいに違いない。
去年の綾小路きみまろ氏に続き、今年の嘉門氏もそのあたりうまく考えて公演を進めており、こちらも安心感を持って楽しめた。

プロに対しては失礼だけど、たまにはこうしてカネを取れる芸を見る、というのも悪くない。


2005年01月08日(土) 寿司はじめ

昨晩は、会社の日本人駐在員と新年会と称して寿司を。
少し遅れる、というボスを待たずに乾杯。
カウンターに座って、まずは中トロとハマチのお造りを贅沢に。よく脂がのっていて実にうまい。

テレビではハワイで行われているPGAツアーを生中継。
こちとら外は−8℃で、積もった雪がなくなる気配もない。ゴルフどころか外へ出るのもキツイ。「同じアメリカでこの差は何だ!これからは米国会議はハワイでで集まろう。」と言って盛り上がるのも、毎年冬になるといつもの事だ。

湯豆腐から少し焼き物をはさんで、握りへと。
特にサーモンとウニが絶品。ネタによっては築地から直送させているとか。ここは地味な店で、つい1ヶ月前まで知らなかったのだけど、ここは他のどの店よりも味が丁寧でうまい。

約1年半ぶり(?)くらいの日本酒熱燗を勧められるままに飲んでしまう。
「おちょこ」ってのも、すぐに注がれるからやっかいなものだな。自分のペースで飲める焼酎か何かにしておけばよかった。

会計はもちろん上司にスルーパスして、2次会へ。といっても、夜10時を過ぎて空いている店など2軒しかない。案の定、店には知った顔があっちにもこっちにも。久しぶりに夜中の1時まで過ごして、血も凍るような寒さの中を安全運転で帰宅。

今朝はかろうじて10時に起きるも、朝飯を食べて2度寝してしまい使いものにならならず。

極寒地の冬は食べること位しか楽しみがないのである。


2005年01月07日(金) アメリカで一番売れている車とは?

2004年の米国新車販売の統計が発表された。販売台数は1691万台。前年比1.4%UP、2000年の1740万台には及ばないが、引き続き高水準の販売が続いている。

が、その内容が大きく変わってきている事に、米国各紙は注目していた。
いうまでもない、日本車の大きな販売増と米国車BIG3の落ち込みである。日本車と米車の比率は、10年前の1994年には17%対73%だったのに対し、昨年2004年は26%対58%と今や日本車の追い上げが著しい。アメ車も平均4500ドルの新車値引きをして必死の抵抗を試みたのだが、その半分も値引きをしない日本車との差が逆に大きくなるばかり。

はっきりとは書いていないが、「何やってるんだ!BIG3!」といったあせりが各新聞の文面から感じられる。“自動車はアメリカのもの、日本なんかが追い上げてきて面白くない”というのは、一般論としてあるのは事実であろう。ただ消費者は正直だから、こればかりはしょうがない。それが数字に表れただけの話しである。

ところでアメリカで一番売れた車は、FORDのFシリーズ(写真)である。ここ数年連続で、アメリカではベストセラー。
日本ではなじみのないこの車、2004年で約94万台が売れた。ディーラーが1年中無休だったとしても、なんと1日あたり2600台が売れたのである。都市部ではこの手のピックアップトラックがそれほど売れているという印象は受けないかもしれないが、テキサスの田舎など行くと、周りを走っている車がピックアップトラックばかりなのに驚く。そう、アメリカの大部分を占める田舎でウケる車なのである。

かくいう自分も、アメリカのピックアップには憧れてDUDGEを購入した。5800cc340馬力のお化け車。ただ、2人しか乗れないし、燃費は悪いは走りは悪いは乗り心地は良くないはで、自分には合わなかった。そしてわずか半年で売却してしまった。

アメリカでしか大量に売れない車なのである。


2005年01月06日(木) 大雪出張2日目 帰りの飛行機は飛んだのか。

朝起きたら外は大雪。
出張先のホテルから、くるぶしまですっかり雪に埋もれてなんとか駐車場にたどりつく。自分の車がどこにあるかも分からないほどだった。なんとかドアを手探りであけて、窓ガラスだけはなんとか車に備え付けの雪かきで落とす。

雪はやまない。
視界も悪く、路面は凍結、そんな雪道を車でゆっくりと走る。雪で覆われて車の車種も分からない。どの車もノロノロ運転。でも、車外とは別世界の車の中にいるとふと不思議な気分になった。こんな悪条件、朝早くから車で走らざるを得ないのは、みんな仕事があるからだろう。大変だけどみんな頑張っているんだ、雪まみれの周りの車をみてそんな勝手な一体感を持ってしまった。
道中で何台も側道に突っ込んで動けなくなった車を見た。誠にご愁傷様である。

午前中は初めての訪問先なので、地図を片手に必死の運転。予定の時刻をとうに過ぎても目的地に着かない。雪でStreetも分からない中、またタイミングが悪い事に携帯に電話が入る。出なけりゃいいのに運転中に出てしまって、タイヤがすべるヒヤッとした瞬間がありすぐに電話を切る。そしてようやく訪問先に到着。

これが日本なら、「こんな天気の中よく来てくださいました。大変でしたでしょう。」と嘘でもそんな一言があるものだけど、アメリカではそんなねぎらいは全く無い。いや、それどころか、こんな状況でわざわざ来るなんてお前は危機管理が出来ているのか、ぐらいの事を思われる。案の上、午後のアポは天候不良でキャンセル、昼過ぎに雪道の中を空港に向かう。

午後1時半過ぎに空港着。スクリーンを見ると、予想通りほぼ全便が「DELAY」のオンパレード。万一のために上司に電話して宿泊許可を取った。
まいったなあ、何時間待ちかな、などと憂鬱な気分でゲートに取りあえず向かう。と、Unitedのカウンター職員が、「早く!早く!間に合うから。」とこちらに向かって叫ぶ。なんのこっちゃと思い、言われるままに航空券を差し出すと、その場で新たに航空券を再発行してくれた。
よくみるとその日の午前8時出発の便。どうやら5時間も遅れた便がようやく出発しようとした所に、うまくもぐりこめたようだ。

という訳で、なんと待ち時間ゼロで戻ってこれた。
その後の便はどうなったか知らないけど、これに乗り遅れたらと思うとゾッとするな。今頃まだ空港で待ちぼうけかもしれない。


2005年01月05日(水) 大雪出張

朝起きたら大雪。アメリカの天気予報はほとんど当たるんだなあ。
こんな日に限って飛行機で出張が入っているのは不運だが、これも仕事仕事。余裕をもってかなり早めに家を出る。ラジオのニュースでは、大雪で今日は小学校は休み、今朝の飛行機は400便が既にキャンセルになった、と気分が滅入るようなニュースを伝えていた。道路に出れば普段はがらがらの道が車で一杯、全く動かない。案の定、はるか前方で追突事故を起こしている。明らかに路面状態が悪いのに、普段と同じような運転をするバカアメリカ人があまりにも多い。そんなバカは迷惑をかけるだけなので、こんな日は黙って家で寝ていて欲しいのである。

おかげで、15分でつくはずの目的地が1時間以上もかかってしまった。
そして空港では案の定、キャンセルを食らった客でごったがえしている。チケット片手に、振り替え便はいつになるんだ、と怒鳴るオヤジ。こんな日はろくな事がない、自分のフライトもひそかにキャンセルになっている事を祈ったのだが、そうはいかなかった。セキュリティのゲートまで行くと、カウンターと違ってうってかわってガラガラ。こりゃラッキー、と思っていると、係員がこちらのゲートで、と自分を連れて行く。「なんで?」と聞くと、チケットに記された見慣れない記号を指差した。航空会社がランダムで客をピックアップして、その客は手荷物全てに検査を受けなけりゃならん、その客に見事に選ばれたんだと。やれやれである。

他のレーンは誰もいないのに、そのレーンだけは大混雑。
たまたま前には日本人6人連れ。パスポートを持っているのですぐに分かった。係員があれこれ質問をするのだけど、英語が分からないらしく何を聞かれても愛想笑い。久しぶりに見る日本人の意味の無い笑いも不気味だったけど、自分もアメリカに来た当初はそうだったんだろう。こちらは一刻も早くゲートへ向かってのんびりしたいのだが、黒人の係員もチンタラチンタラ人のカバンから全ての荷物をほじくりだして検査してやがる。後ろの白人のおばちゃんは、「It's Not Funny!!」と叫んでいたけど、状況は変わらない。あせっても何も変わらない、こうしたときはひたすら待つしかないのである。

ようやく飛行機に乗り込む。外は雪が降り続ける。そのうちに疲れて眠り込んでしまった。
ふと気がつくと、1時間経過しており到着予定時間。 ああ、到着か、と思って外を見たら、既に飛行機は到着していた。ラッキーラッキーと思ってよく見ると、なんとまだ出発していなかった。はあ〜。

目的地のデトロイトもクソ寒い大雪。レンタカーのバスまでの数十メートルが厳しかった。
雪道を慎重に車を運転して取引先へ。新年だしと思って、アメリカ人の好きなダンキンドーナツを手土産に。「12個分、適当に詰め合わせて」と店員のお姉ちゃんに頼むと、見事に高いものばかり詰めやがる。まあいいけど。
で、会計。

「US$5.15.-です。」えっ、たった5ドル?そんな訳ないだろう、と思いながらもそそくさと会計を済ませた。実にいい加減である。客の黒人が、お前のあの車はなんていう車だ?調子はどうだ?とペラペラと話しかけてくるが、こちらも急いでいたので適当にあしらってしまった。

客先とのミーティングを終えると、もう車が雪に埋もれていてどうにもならない。
かろうじてガラスの雪を取ってホテルへ向かうが、帰宅ラッシュも重なって大渋滞だ。こりゃ晩飯どうするかな?と思ったけど、チェックインしてから雪の中に出て行くのも面倒なので、選択肢のない中、SUBWAYに入る。

店員は、かわいらしい移民系の女の子。
店に入った瞬間、こちらをじっと見て「How are you doing?」。返事として、普段は「Good!」だけで終わらすのだが、ついつい「How about you?」と聞いてしまった。またまたこちらをじっと見てにっこりと、「I am Fine!」と答えるのも実にかわいい。サンドイッチを作ってもらいながら、「おいしいかしら?ちょっと量多かったかな」と言ってくるので、「このくらいの方が好きだから問題ないよ。」と答えると、「私が作ったんだから、きっとおいしいわよ。」と言ってきた。ワタクシ、大喜びです(←オヤジ)。お世辞にもサンドイッチは見た目がうまそうでもなかったのだけど、やっぱり料理は心。アメリカではこんなサービスを受けるのは珍しいことだ。まあ、疲れた1日。これくらいの事がなくちゃやってられん。

こうして今日もまた1日が終わる。明日もまた予報は大雪だ。
少なくとも12インチ、約30センチまで積もるらしい。帰りのフライトがキャンセルにならない事をひたすら祈るのみなんだけど。どうなることやら・・・。


2005年01月04日(火) 仕事始め / 一周年御礼

今日から仕事始め。
といっても、日本みたいにお偉いがうんちくを話す「年頭の辞」も、取引先への挨拶周りも乾杯も何も無く、いたって普通の1日と変わらない。でも、すっかりこの生活に慣れてしまった。そういや、毎年やってたなあ、挨拶周り。うっとおしいよなあ、ぞろぞろ連れ立って、みんな揃ってペコペコ頭下げて。もう出来ないかも、日本には戻れなくなってしまったな。


そうそう、今日はこの日記の一周年記念。
ちょうど1年前の今日、何を思ったか始めてしまった。当時の日付は1月5日だけど、最初は日本時間で記録していたので、実際は1月4日の今日がちょうど1周年なのである。

いや〜、よく続いたものだ。
最初は、せっかくアメリカに住んでいるのだから自分のために日々の出来事を忘れずに記録しておこう、程度の思いで始めた気がする。

ところが1年でカウンターが4万3千越え。
こんな色気もなにもないサイトを見てくれる人がいるだけでも十分なのに、リンクを張ってもらったり、またメールやメッセージなどをたまにもらってしまい、ついうれしくなってしまうと同時に実に恐縮してしまうのが本音。
一時、もっと写真や相互リンク先やBBSなども盛り込んで「見せる」サイトを作ろうかとも考えた事はあったけど、当初の目的を考えるとそれも本末転倒だし、第一そこまでやっていく才能も自分にはなさそうなので、相変わらず淡々とした文章だけのサイトである。

今後ともお暇な時にでも寄ってもらえれば幸いです。


2005年01月03日(月) 4連休終了 / 日本のテレビ番組を堪能

今日で4日間の貴重な休み終わり。
この4日間は大晦日の夜以外は特に予定がなかったので、毎日のんびり起床してジムに行って、後は家でCNNと日本のテレビ番組のビデオを見まくった。このビデオは知り合いに借りたもの。日本の友人が適当に番組を録画して送ってくれるという。もちろん番組の選り好みは出来ないけど実に貴重でどれも楽しかった。

バラエティは、とんねるずのみなさんのおかげですのベッカムと宇田多ヒカルの食わず嫌い対決。グルナイ。HEYHEYHEY!など。日本にいたときはほとんど見たことがなかったけど、なかなか企画的にも面白かった。これらの番組、アメリカでも十分通用すると思うんだけど、こちらの番組はスターを「いじる」なんて事はまずやらないから無理かなあ。特に久しぶりに見たナイナイの矢部がパコパコと芸能人の頭をたたいているのがとても違和感を感じた。日本は平和だ。
それにしても、バラエティとはいえ食事にからめた番組が多いのに驚く。日本人の食に対するこだわりもこうしてみるとよく分かるものだ。味もよくわからない、毎日ハンバーガーしか食っていないような連中には、こうした番組の趣旨がさっぱり分からないかもしれないな。

後はドキュメンタリー。
スーパーテレビ、情熱大陸、ガイアの夜明け、ZONEなど。どれも充実していて面白い。そういえば、アメリカにはこんな番組もほとんどないような気がする。
自分のように駐在員をしていると、ともすれば普段付き合うのは、昼飯から休日のゴルフまで同じ会社内の日本人だけという、実に偏った狭い世界にどっぷりと身を浸しがちだ。その意味では、こういった番組で「頑張っている人」を客観的に見るととても刺激を受けてしまう。単純かな。

やっぱり日本の番組が面白い。
でも、家で日本語放送(TV JAPAN)を入れてしまうと絶対その番組しかみなくなってしまうから、それは入れないようにしている。


明日から仕事か。
5日ぶりとはいえ、ずいぶん休んでしまった感じだ。
取引先はどこも土日が空けた今日3日から始まっているようだ。知らない間に携帯に仕事のメッセージも入っているし。いきなりネジ巻いて仕事しなきゃな。


2005年01月02日(日) 日本の5億ドル支援 - 少ないよ。

TSUNAMI被害で日本がUS$500Mil.の支援へ。

とりあえず今回の日本政府の「迅速」な決断は評価したいと思う。

額だけの問題でもないけども、金額上では最大支援国としてCNNでも散々取り上げられていたし、日本の存在感も世界でアピール出来ていると思う。ランク好きなアメリカ。今日の新聞では、早速支援額の順位が出ていた。

JAPAN : $500MIL.
UNITED STATES : $350MIL.
WORLD BANK : $250MIL.
BRITAIN : $95 MIL.
SWEDEN : $75.5MIL.
SPAIN : $68 MIL.
CHINA : $60MIL.
FRANCE : $57MIL.
:
:
SOUTH KOREA : $ 600,000.-

それにしてもなんなんだ、CHINAの$60MIL.って。
この国はODAが必要じゃなかったんかね。中国がアジアでの発言力を高めたいような動きに出ているという事だろうか。日本は中国のODAに3兆円以上を投じている。今後はもう要らんような気がする。

日本の$500MIL.
たまたま比較したら世界一で注目を浴びたかもしれないけど、中国のODA、そして日本が北朝鮮に支援した1兆円以上を考えると、少ない気がする。もうこの2国の支援はきっぱりやめて、その代わりにインド洋TSUNAMI被害に注ぎ込むべきではないかね。500億円っていっても、北朝鮮へおこなったコメ支援の半分以下だ。

今回は天災による信じられない被害。
「人災」による北朝鮮への支援などはもう必要ない。日本のしょーもない公共工事などの税金無駄使いよりも、復興費だけでポンと$1000MIL.くらい一気に出した方が、目に見える援助で日本の国際的な評価も高まると思う。

正月ボケの日本のTV局ではどんな報道がされているか分からないけど、少なくともアメリカではCNNだけでなくローカルニュースでも時間を割いて今回の津波被害を細かに報道されている。現地からの細かな報告、24時間の報道体制に釘付けである。日増しに明らかになる被害状況に心が痛む。

かくいう私メも、ささやかながらAMAZONを通じてRED CROSSに$100を支援する。見てもらうと分かるが、ココで今まで集まった民間からの募金総額が既に$1200MIL.を越えているのだ。

日本の支援金額$500MIL.は日本国内でどう報道されているか分からないが、こんなことに控えめな美徳は全く必要ない。今こそ最大限の支援をするべきだと思う。財源は、これから中国ODAと北朝鮮支援、そして無駄な公共工事をなくせばそれで十分である。

そして、日本はモルジブで実証された防波堤でも明らかになったように、水害や津波に関しては世界一熟知している。今こそそのノウハウを世界に伝えるときだ。アメリカじゃ、そこまで出来ない。頑張れ、日本。


2005年01月01日(土) 初詣に行けない人たちへ

大晦日は午前2時半まで友人宅で盛り上がった。
日本人6人、みんなはじめて見るマツケンサンバに全員拍手喝さい!! でも何で紅が勝ったのか不思議。


12月30日のこと、暇暇ムード蔓延の社内で、あるアメリカ人スタッフが聞いてきた。「日本は1月1日のNew Years Dayが大きなイベントと聞いたけど、何するんだ? みんなで集まってパーティーか?」

何するって言われてもなあ。パーティーってのも何か違うしなあ。

という訳で、「何をするかと言えば、元旦には初詣といって神社にお参りする人が多いな。」と答えておいた。この回答の為に、わざわざ神社(Shrine)の単語を辞書で調べた私は立派だ。

「お前も行くのか?」
「アメリカには神社ないからなあ。」

といっても、あれだけ大混雑する初詣なんて別に行きたくとも何ともないのだけど。あんなものはひとつの流れで行くもので、自分にとってどうしても行かねばならないものではない。

そうは言いながら、話の流れ上彼に対しては残念そうな表情をしたからだろうか。
このアメリカ人STAFF、仕事とはいえアメリカに住んでいるが為に初詣という、日本人にとっての大事なイベントに行けない僕のことを気の毒に思ったのか、メールであるウェブサイトを送ってきてくれた。

その名も、サイバー神社(Cyber Shrine)!!  ←クリック

お参りに行けない人の為にこんなサイトがあったとは!!
御丁寧におみくじまでついている。早速挑戦、結果は・・・。

海外在住の人、人ごみが嫌な人はこのサイトで運試しをしてみては如何?


Kyosuke