嗚呼!米国駐在員。
<目次>戻る進む


2004年12月31日(金) 大晦日 - New Years Eve

朝9時に起床した時、既に日本では2005年になっていたけど、あけましておめでとう、は大晦日のこちらではちょっと早い。

アメリカではクリスマスが終わってから、「Happy New Year!」と挨拶する習慣がある。えっ、まだ新年じゃないのに、と違和感を感じたのだけども、これは、「I wish you have a happy new year.- 新年がいい年になるといいね。」という意味。日本では、あけましておめでとう、という意味に考えられているけど、アメリカでは違います。

1年のメインイベントが、アメリカではクリスマス、中国では旧正月であるならば、日本では年末年始というのがやっぱり大事なもの。
日本食スーパーに行くと、普段の倍以上のお客でごった返していた。普段は高くて手の出ない、魚や数の子などの料理が飛ぶように売れていた。おせち料理かな。ああ、どこにいても日本人は日本人、いいですな。
そうそう、既に日本で中継の終わった紅白歌合戦のビデオテープが15ドルで販売。これも意外に売れるのだ。


これから知り合いの家に行って、やっぱり紅白の録画中継を見ながら鍋と年越しそばを。日本にいた時は、大晦日に家族で紅白なんてヤダ、と思っていたのだけど、こうして海外に出てくると、離れ離れで暮らす家族にとってそれがとても大切なときだったんだな、という実感が沸いて来る。自分も年をとったのだろうか。

さあ、紅白、紅白。
日本で流行った(?)らしいマツケンサンバとか、ギターサムライとか、初めて見るのが楽しみ。ヨン様とかいうのも見れるんだろうか?韓国の人みたいだから無理か。


それでは、Happy New Year !


2004年12月30日(木) イチローの焼肉の食べ方

12月30日。ようやく仕事収め。
今日来たメールは1件だけ。こんな日に仕事か、変わった米系企業もあるもんだ、と思ったが、よくよくみるとうちの合弁会社からだった。無駄に時間があるというのも、全く仕事がはかどらず。まあいいや、どうせ来週早々からまた出社だ。


昨日は就業後、会社の先輩と焼肉屋へ。
忘年会もないしたまには贅沢しよう、と、この地区では一番うまい肉を出す店へと車を走らせた。この店、メジャーリーガーがよく訪れる店としても有名だ。店内にはメジャーの選手のリラックスした写真やらサインやらが一杯で、日本ならば少々目につくかもしれないけど、ここアメリカではなかなかいい雰囲気だ。

以前にもこの店で高津投手と遭遇した事を書いたが、年の瀬のこんな時には、メジャーの選手どころか、いつも客で一杯の店内もすいていた。

「特」のつく和牛ばかりを贅沢に。いつもの事だが、ここの肉は最高、うまかった。

店内もすいていて、食後に韓国人のおかみさんに色々聞いてみた。
新庄選手以外は全ての日本人メジャーがこの店に来たという。野茂や大家は、次の日登板の予定がなければ、結構酒を飲んで楽しいんだと。また、たいがいの選手は必ず付き人に運転手させて来るんだけど、ヤンキース松井はタクシーで来店するらしい。みんな酒が飲めるようにという配慮だろうか。

中でもイチローは、3連戦の試合で3日連続で店に訪れると言っていた。何度かイチローが韓国料理好き、という記事(ココ)を読んだ事があったのだけど、そこまで好きだとは驚いた。

焼肉は焼肉でも、イチローは量や食べ方、もちろん種類まで自分できっちりコントロールしているから、毎日でも全然平気だと言っていたらしい。うーん、うまい肉を目の前にしながら自分を制する事が出来るとは…。野球で自分をコントロールする難しさは素人には想像つかないけど、これは大変だと分かるな。まあ、毎日食ってりゃそれも出来るか。肉と一緒にビールは飲むようだ。

イチローの注文するメニューはだいたい決まっているのだけど、ある時、イチローが訪れた深夜に、その内の一品を切らしてしまった。それを聞いたイチローは「僕が毎日来るの分かっていて何でなくなっちゃったんだよ〜(笑)」とすねたらしい。あはは。

このおかみさん。
日本に帰っている高津投手にも電話したりすると言ってたし、かなりよくメジャー選手の「素顔」を知っているのだけど、実は全くの野球音痴。

今年は、高津投手からホワイトソックスの試合を招待されて観戦に行って来たのだけど、マウンドに登る高津の真剣な表情にとても驚いた、と言っていた。普段、店ではそんな表情とは無縁で冗談ばかりのお兄ちゃん。日本で名球会入りするほど実績を残した投手というのも後で知ってびっくりしたらしい。

また、イチローも店ではとても気さくであり、球場でもそうなのだと思って、「私が行ったら、グランドからちゃんと手を振って答えてよ。」と御願いした所、「ここはホームグラウンドではないから、ちょっとそれは難しいですね。」と丁重なお断りを受けたらしい。

この会話だけでなく、店内の写真からも選手のリラックスした表情が伺える。この
おかみさんが全くの野球音痴だからこそ、逆にメジャーの選手も心おきなく自分をさらけだせるのかもしれない。


2004年12月29日(水) 仕事が暇だと休まないアメリカ人

のんびりとした1日。
日本は28日で仕事納めだから、既にメールも何も来ない。クリスマス休暇なんてない、と言っていた中国からも何の連絡もないのは何故だろうか。アメリカでも取引先のほとんどが既に連休入りしており、昨日も今日もほとんど事務所の電話もならない。

つまり今週はめっきり暇で仕事もあまりない。ところがうちの支店のアメリカ人スタッフは見事に全員揃っている。
ニューヨークに電話したら、日本人駐在員は帰国やらVACATIONやらで誰もいないのに、やはり現地スタッフだけは全員出社していた。

どうでもいい時期に休み好きな現地スタッフが勢ぞろい、何故だろうか?

それは「暇だから」である。

現地のスタッフは、有給買取制度が適用されている。つまり、年間で決められた有給日数を消化しなかった場合、その日数分は会社に売る、つまり代わりに会社からしかるべき金額をもらう事が出来る。よって、年度末のこの時期、言葉は悪いが、「今週は仕事もなくてボスもいない。会社ではのんびりコーヒー飲みながらお喋りして1日過ごせるのに、休んだら損。」というような感覚らしい。全員が全員そう思っているわけではないのだが(特に経理関係は忙しい)、営業の多くはそんな感覚だ。

このように、営業社員であろうともスタッフのほとんどは成果給ではなく時間給の意識がすっかり染み付いている。

タバコを吸わないスタッフが、タバコを吸うスタッフを指して、「俺はタバコを吸わない。吸う奴と勤務時間が平等ではないのはおかしい。1日数分でも積み重なればこの差は大きい。代休をよこせ。」 と堂々と主張するくらいである。 
それでいて、遅刻した時にその事を指摘すると、「お前だって新聞を就業時間内に読んでいただろう。俺は新聞は読まないから一緒の事だ。」という、なんとも訳の分からない理屈をつけられたこともある。


何とも筋違いな自己主張能力だけを身につけてしまったこうしたアメリカ人は、どうしたものだろうか。
最初はこちらが日本人だから、もしくは日本の会社だから馬鹿にされているだけ、と思っていたのだけど、どうやらそうではないらしい。基本的にはみんな実に素直でいい人なのだけど、どう考えたって奴らの考えは何かがおかしい。


が、彼らばかりを責める訳にもいかない。
これは、時間給のような契約をスタッフと結んでいるうちの会社のせいだともいえるのだろう。
アメリカ人の中には、我々サラリーマンが足元にも及ばない程の実力者も多いのは事実だ。しかし、実力勝負ができる人、能力を売れると考えている人の年俸は恐ろしく高くて、とても採用出来ない。よって、年俸を抑えた形で採用しようとなるとこうなってしまう。
もっとも、それだけ実力ある方たちは、わざわざ日系企業などで働こうなんて思わないはずだから、やっぱり我々とは縁がないのかもしれない。


2004年12月28日(火) TSUNAMI - Sri Lanka

TSUNAMI - 日がたつにつれて、 被害の大きさが分かり唖然とする。

死者は6万人近くになりそうだ。
今朝の新聞の一面の写真。ズラリと並べられた被害者。その顔を覗き込んで確認する家族。

特に、スリランカの被害が大きい。
インドの涙と呼ばれるこの貧しい小国。報道では、被害者の数は2万人近く。

スリランカ 〜 自分にとって初めて踏み入れた海外の地。

それは学生時代、2週間のゼミ実習であったけど、就職活動直前のその旅は自分の人生に大きな影響を与えた。 

当時、海外で働いてみたい、という希望を持ったのも、つまり、今アメリカでこうして生活しているのも、スリランカで感じたものが大きかったからである。

あのスリランカの人たちから笑顔が奪われた。

何が出来るか分からないけど、今すぐにでも飛んで行きたい気持ち、本気である。

でも、思うだけで実際には何も行動にうつせない自分は、卑怯なのかもしれない。


2004年12月27日(月) 飛行機に預けた荷物が出てこないときのコメント

日曜日の昨日は何となく気分が重くて1日中寝てしまった。

確か去年もこの時期に風邪をひいた気がする。
よく考えれば、アメリカも日本も共通の休みの時期というのは、1年の中でもクリスマスから年末にかけたこの時期しかない。仕事からのプレッシャーから解放されて、気が抜けてしまったのだろうか。
普段、仕事上では色んな不満が一杯でストレスの源と思っていたのだけど、仕事がなければないで身体に変調をきたしてしまう。なんとも困ったものだ(笑)。


ホリデーシーズンで連日空港は大混雑。
そんな中、US AIRWAYSで乗客が預けた荷物が届かない、という出来事があった。被害は数千人というからしゃれにならない。

これに対してUS AIWAYSが発表したコメントには笑った。
「この原因は、23日の大雪による悪天候で予想以上に多い荷物作業者が病欠で休んだ為です。」

責任を従業員におっかぶせてどうするんだっての。
このコメントを受けて、当然のごとくUS AIRWAYSの労組が抗議しているが、経営陣は「本当に困った時に助けてくれなかっただろ」と従業員を更に非難。てんやわんやの展開となっている。

US AIRWAYSはCHAPTER 11による債権手続き(つまりは倒産手続き)を申請したり、過去も運営システムにトラブルを起したりで、あまり評判がよろしくない。今回の事件も、乗客の荷物だけを載せた特別便を8便に飛ばして対処しているが、未だに事態は収拾していないようだ。
また、24日と25日の2日で計320便をキャンセルしたが、「スチュワーデスで休みを取る人が予想以上だったから。」という、寝ぼけた理由を発表した。

もう経営陣も従業員もバラバラ。致命的な事件に加えて、無駄な出費。まさにこの会社、倒産まっしぐらだな。
今回の事件で「大幅な従業員の賃金カットをしなければ、2005年には破産せざるを得ないだろう。」なんていうコメントを経営側は出している。こんな飛行機会社だけには自分の命を預けたくない。


何より気の毒は、巻き込まれた乗客だろう。
テレビでも中継していたのだけど、被害者の多くは、たんまりクリスマスプレゼントをカバンに詰めて故郷に帰ろうとしていたアメリカ人。彼らにとっての大イベントを台無しにされた、と怒りも大きかった。

行き場を失った数え切れない荷物山。
待っていても届くかどうか分からない自分の荷物を待たざるを得ない状況。カウンターには数百人の行列。逆切れしている航空会社の職員。 おお、考えただけでも恐ろしい。

テレビでインタビューされていた人も疲労しきっていたけど、これがなかなかイカしていた。

「こないだUS AIRWAYSに乗った後は、もう2度と乗るまい、と心に決めていたのだけど、今回はそれを忘れてしまっただけの事だ。」

THIS IS FUN, ISN'T IT?

こんな時でもユーモアを忘れずにコメントするアメリカ人は素敵だ。もしかしたら、US Airwaysもユーモアを交えて談話を発表したのかもしれないとも思ったけど、それはあまりに不謹慎だろう。


自分の場合、これまでにカバンが破損していたことは2度あったけども、預けた荷物が出てこなかった事はない。その場合、それなりの保証はしてくれるようだけども、これだけ規模が大きくなると、航空会社がまともに対応してくれるか心配になる。ましてやこれだけ揉めている会社だし。

人の命を預かる会社なのだから、国としてももう少しまともに運営するような指導が必要と思う。


2004年12月25日(土) たそがれ清兵衛 / BOURNE SPREMACY / CHICAGO

25日クリスマス。
今日ばかりは店は全く営業していない。店どころかスポーツジムも何もかもクローズ。その上に予定も何もないときたので、今日は一歩も外へ出ずに家でのんびりDVD鑑賞三昧。

まずは、MATT DAMON 主演の「BOURNE SPREMACY」。実は中国で1ドルで買ったDVDだけど、映像も音楽も完璧のコピー版。これで十分。消費者は有難いけど、こんなの出回ったら販売元はやってられんだろうな。ちなみに、中国語タイトルは「謀影重重 2」。何のこった、意味が分からん。BOURNE IDENTITYの続編、という事だろうか。

結婚したくないが子供は欲しいというアメリカ人女性が求める精子の人気第一位、MATT DAMONが主演。いい男なんだろうが飛び切りハンサムではない、それでいて切実そうな顔であり、同性からも好感をもたれそうだ。

記憶を消された国家特殊工作員として、見た目以上にマッチョな身体で派手に飛び回る。インド、イタリア、ドイツ、ロシア、と、国をまたにかけながらも、鍛え上げられてスキのない動きには、男としての憧れ部分も感じる。世界のどこに行こうと見つけられてしまう、それでいて捕まらない、というハラハラした展開。
CIAがからんだストーリーは強引だけども、楽しめる映画。


次に見たのは「CHICAGO」。 中国語サブタイトル、「芝加哥」。(もうええって)。

見る前はなんだかややこしいミステリーだと思ったのだが、ミュージカルをバックにしてとてもテンポのいい作品。女優陣が実力派揃いなので、歌も演技も堪能できてあっという間に見終わってしまった。

かっこいいダンスシーンがこれでもか、と出てきて楽しめる。女性の方は、特に楽しめるのではないだろうか。少しださかったけど、リチャードギアがこんなに歌って踊れるとは知らなかった。アメリカにいる間に一度舞台も見てみたい、と思った。


最後に邦画、「たそがれ清兵衛」。山田洋二監督。これもコピーDVD。さすが中国、邦画もためらいなくやってしまいます。

真田広之と宮沢りえの安定した演技。久しぶりの日本の映画を見て、日本独特の「間」に安心感。自分が日本人であることにホッとする。
アラも無くそつない淡々とした展開。悪く言えば強烈なインパクトのない作品かもしれないが、古き日本のよき情景を背景として、1人のサムライの姿を淡々と描く独特な演出が、味わいを出していて素晴らしい。

米人に日本の映画を貸したことがあったけど、「とてもスローな映画だ」と言われた。確かに、ハリウッドと違って、男優も女優も無駄に会話しない日本映画。特にアメリカ人にはなかなか理解がしてもらえないかもしれないと思う。でも、こうした日本映画っていいなあ、と思うのは、自分がアメリカに住んでいるからこそだろうか。


2004年12月24日(金) アメリカ女性の買い物の仕方

クリスマス前日、イブっていうのか。身体が動かずに午前10時半まで睡眠。
外は見事な快晴なれど、気温華氏5F(摂氏−15℃)。ビールを買いに行くためにスーパーで入った冷蔵室の方がずっと暖かかった。いつでも外は透き通った、パリッとした冷たさ。ここまで来ると、気持ちよささえ感じるな。

クリスマス後の大バーゲンで何を買うか物色するために、プレゼントの買い物でごった返す近所のモールへ。

Yシャツ売り場での一こま。
40代くらいのアメリカ人夫婦。買い物ではよくあるパターンで、御婦人が旦那さんの為に手際よくシャツをいくつか取り出してきて、人の迷惑顧みずズラリと並べた。
旦那は明らかに嫁の選んだ少し派手目の色が気にいっていない。それをやんわりと言うのだが、嫁も全く譲らない。

「私、この色、だ〜い好き! 絶対にあなたにも似合うって。」

でも旦那は踏ん切りがつかない。せっかく愛する女房が選んでくれたシャツを、嫌だ、とは言えない様子が明らかだ。

展開が面白くなってきたので、近くでシャツを物色するフリをしながら事の成り行きを見守った。付き合い初めのカップルならまだしも、結婚して何年もたっているような夫婦で、こんな関係というのも実に辛そうなものだな、何て勝手に思ったりしながら。かくいう自分も、昔のことだが、付き合い始めた好きだった女の子がすすめてくれた服は全く自分の好みでなくてもホイホイ買っていた記憶がある。嫌だ、なんて言えなくて。

旦那は腕組みをしたまま、嫁の選んだシャツ5枚ほどと自分の選んだシャツ3枚くらいをずらりと睨んだまま動かなくなってしまった。
それを横で見ていた奥さん、たまらず旦那に言う。

「全部買っちゃいなよ。家でゆっくり見て、気に入らなければ後で返しちゃえばいいんだから。これっていい手でしょ。女の買い物っていうのは、そうやってするのよ。」

旦那は言われるままシャツを全部抱えてレジへと向かって行った・・。


アメリカでの大々的なクリスマスセールと買い物客を見ていつも思う。アメリカ人、特に女性の買い物ぶりってすごいなって。
なんというか、まるで何かに乗り遅れまいとするように、そして何かと競っているかのように、どんどん商品をカートに放り込んでいく。迷ったら考えない、迷ったらとりあえず買う。

そして、クリスマス後、特設の返品コーナーに、これまた山ほど商品を持ってくる。アメリカの返品風景は以前ココにも書いた通り。

消費大国アメリカ。クリスマスプレゼントに使う平均金額は1人あたり700ドルと新聞に書いてあった。こんな消費ぶりは、実はとても自分の性格にもあっていて、大好きなのである。こんな光景を見ながら、今日は下見のつもりだったのに、結局シャツ2枚とセーターをお買い上げしてしまった。
 
日本も庶民がためらわずに、欲しいものにじゃんじゃんカネ使うようにすれば、世間にカネが巡ってもっと景気がよくなると思うんだけど。結局のところ、日本が数字ほど景気回復を感じられないのは、こんな国民性の違いなのかもしれない。


2004年12月23日(木) 契約キャンセル / No news is a good news.

クリスマス直前。この連日、気温が−10℃くらいで安定してきた。
おかしなもので、氷点下を割ると気温は何度でも一緒に感じる。

多くの取引先が休みの中、こちらも出社しながらものんびりお休みムードで書類整理などしたかったのだが、なんと2件の契約キャンセルの連絡が来た。別々の米系企業から。

慌てて電話を入れるが、どちらの企業も昼からお休みで誰もつかまらず、既に年明けまでの大型連休入り。メールの打ち逃げってやつか。

ほんとうにアメリカ企業ってのは、契約もあっさりするのだけど、キャンセルもあっさりなのかね。こういうパターンでキャンセルというのは日本ではあり得なかったから、ちょっと驚いてしまう。
それにしても一体どうしたっていうんだ。世間のクリスマスショッピングムードに流されたっていうんかね。まるで、あれもこれもと何も考えず取りあえず買っておいて、後で要らない、って気が付いて返品するようなもんだ。もっと責任もって物事決めてくれよ、と思う。プンプン。
まあ、たまたまそれぞれのやむを得ない事情で2件キャンセルが来ただけなのかもしれないけど。自分の担当で契約キャンセルなんて年に2,3件あるかないかの話しであり、それがわずか半日で2件もやってきたインパクトは大きい。

キャンセルってのは何らかの不満があるに違いないからこちらの反省もしなければならないのだけど、あえて年明け早々電話して言ってやろう。
 
最高のクリスマスプレゼントを有難う」って。

-------------------------------------------------------------------------

日本人ってのは、どうも良い事も悪い事も細かく知りたがるんだな、と思う。自分もそうなのだと思うけど。

仕事上、今日の契約キャンセルのような悪いニュースについての背景は十分リサーチする必要があるのだろうけど、うまくいっている時は、「こういう理由でうまくいっている」というような報告をわざわざ入れねばならない。

日本から、仕事をやりっ放し(事後報告無し)のアメリカ人スタッフに対して、もっとfollowするよう伝えてくれ、と言われる事がある。
そんな時、よくアメリカ人に言われる。

NO NEWS IS A GOOD NEWS. だろ」って。

うまくいっている事をわざわざ連絡する必要はない、何か問題があれば連絡があるはずだ。どうしてお前らはそう仕事を増やしたがるんだ、って。

これって当たってるよなあ。それで事足りる国民性とそれじゃ済まない国民性。アメリカ人はあまり深追いしないけど、日本人って、ある日突然どうにもならない最悪の状況に陥る事だけは避けたがるから、うまくいってても常に情報を取っていないと不安になるんだよなあ。


2004年12月22日(水) 忘年会に誘われない上司

評判のすこぶる悪い上司が東京本社にいる。

恐らく自分で何かを作り出すことが出来ない人なのだろう。このお方は、部下が担当の仕事を途中で横取りして引っ掻き回してしまう。仕事上、この人の部署にこちらからもたまに連絡をする時があるが、「その件は今日から私が仕切りますから」とその上司に突然言われて困惑する。

これまでの経緯も何もしらないのに一体何が出来るのか。
権力とポジションを背景に、ただ威圧的にしかものが言えないから話にならない。

仕事を奪われた形の部下にこっそり電話をする。
「おいおい、一体どうなっちゃってるの?話にならないよ。」

「いや、あの件はあの人が全部やるっていうから、私は何も言えません。」
「その件で私に何も言わずあの人は自分だけで取引先に行きました。もう一切知りません。」と担当が切れている。当然だ。

人を育てるとか組織のあり方とかは一切無視。能力がないのに自己保身だけはしなくちゃいかん、っていうんで手っ取り早い方法を選んでいるのだろうか。内容が政治的決着が必要な重要事項ならまだしも、入社数年の若手でも対応可能な案件だからたちが悪い。それで仕事をしているフリをしているのだろう。

上司が全く信頼されていないこの部署。
この部署が、忘年会をやった、と聞いた。興味本位もあってちょっと気になり、東京に電話をした時に聞いてみた。

「忘年会やったんやって。なんや、みんな仲がいいんじゃないか。」

「いえ、結果論なんですが(笑)、あのお方だけは結局参加出来ない日に忘年会の日が設定されひっそりやりました。上司抜きで大いに盛り上がりましたよ。」

あはは。何が結果論だって。嘘ばっか。まあ、そうなるわな。

忘年会に誘われない上司。こりゃ、寂しいものだ。
もっとも、本人は気がついてないんだろうな。


2004年12月21日(火) ARE YOU READY? の大誤解

社内のアメリカ人のおばちゃんに、時間を取って社内システムのコンピュータ操作の指導をしてくれと頼まれた。

彼女のデスクに行き、

「ARE YOU READY? (準備はいいか?)」と聞くと、

「WHAT DO YOU MEAN !!!」と普段にこやかな顔が突然険しくなった。

何事かと思って聞くと、あなた何言ってるの!とこちらを睨む。

「I JUST WANNA TRIED TO MAKE A LECTURE FOR YOU...」と言うと、彼女は大爆笑。

理由を聞いてこちらも苦笑。

「ARE YOU LADY?] と聞こえたんだってさ。

やれやれ、冗談で済んでよかった。こんな事で訴訟されたらたまたもんじゃない。
それにしても、「あんた女か?」なんて女性に面と向かって聞く奴なんかいる訳ないっての。裏ではどうか分からないけど。


2004年12月20日(月) Vacation後の社内トークについて

久しぶりの出社で、案の定、机の上は大爆発。
優先順位を決めて1つ1つ取り組んでいく。出張帰りの時はそうもいかないけど、今回は休暇帰りなので、俄然やる気があってはかどる。それはそれで、なかなか充実感があってよろしい。


会社では、会うスタッフ会う現地スタッフから、「Vacationはどうだった?」と聞かれる。休暇後は必ず聞かれる。

こういう時は、“如何に素晴らしい休暇だったか”を丁寧に具体的に、かつ楽しそうに話す必要がある。日本人は(俺だけか?)、こういうトークがあまりうまくないような気がする。

人様が一生懸命働いている時に1週間も休んでしまった、といううしろめたさだろうか、どうも思ってもいないような否定的な面をかいつまんで話してしまうようだ。

「天気はよかったんだけど、やっぱり人ごみがすごくてね。」
「8時間のフライトはちょっと長すぎるね。」なんて。

こう言うと、アメリカ人は不思議そうな顔をする。そりゃそうだな。
せっかくのVacationに文句言うんだから。

これって、ねたみややっかみを気にする日本人の性格もあるんだろうか。
嫌だ嫌だ、ムラ意識というかなんというか。職場の日本人も休暇の度に疲れただのいう人がいる。じゃあ、いかなけりゃいいのに、と思いながらも、自分もついついそんな事を言ってしまって、はっとする時がある。

だから今日は、休暇は思いっきり楽しかった、と言いまくろうとしたのだけど、Vocaburaryの貧困さと、何したの?と聞かれても実はグダグダしていて何もしていなかった、という事で、うまく会話が続かなかったな。

まあいいか。


2004年12月19日(日) 時差ボケ / 「漂流街」

ハワイとの4時間という中途半端な時差が結構こたえる。
いっそ日本や中国のように昼夜が逆転してくれた方が、対処の仕方があって楽なものだ。昨晩も夜中に目覚めて眠れなくなった。今日は起きたら既に昼過ぎだった。

でもまあいいや。外はマイナス13℃だし、バケーション直後だからクリスマスバーゲンで散財する心の余裕もない。なんだか、Tシャツと短パンでうろうろしていたハワイの日々は夢だったのか、と思ってしまうほどの別世界。

せっかく日焼けしたのにすぐ元通りだな、こりゃ。


ハワイ往復のアメリカン航空の機中にて、「漂流街」 馳星周 著読了。

日系ブラジル人の主人公、マーリオ。
借金を抱えたうえにヤクザとトラブルを起こし、さらに激情に駆られ女を刺し殺してしまう。逃亡を図りながらも、関西ヤクザと中国マフィアとの間で覚醒剤をめぐる大きな取引があることを知り、敵も味方も分からない3人の男女とともにその金を強奪する計画をたてる。

追い詰められたマーリオが、最後の悪あがきを繰り返す。時には計算高く、時には場当たり的に繰り返す。もう滅茶苦茶で疲れてしまうほどだ。

人がどんどんえげつなく殺される物語なので、どちらかといえばあまり好きではないジャンルなのだが、とにかく展開が早くて面白い。引き込まれる内容に一気に読んでしまった。中国社会、ヤクザ社会も実にうまく書かれており、興味をひきつける。

あいのこ、と呼ばれる主人公の孤独と苦悩。信じるものはカネばかり。出てくる登場人物がみんな目先の欲だけで動くその単純さの裏の恐ろしさ。そして、やりたい放題に荒らしまくった主人公がそれでもなお故郷ブラジルに戻る事を夢見る執念深さ。

パワーのある作家だな、と思う。他の作品も読みたいな、と思った。
この本は数年前に日本の図書館で借りて読んだ覚えがあるが、ストーリーをすっかり忘れていたな。映画化もされたようだ。

明日から久しぶりに仕事か。


2004年12月18日(土) 久しぶりの更新

一週間のハワイ旅行から今朝戻った。
気温30℃の常夏の島からマイナス10℃の雪のちらつく街へと。落差が大きすぎる。

予定通りハワイではのんびりとだらけまくった。
ゴルフと海とビールと日本食。すっかり駄目な人。

たまたまだったが、ハワイ入りした翌日がホノルルマラソン。ハワイで色んな人から、明日走るのか、と聞かれた。そして、翌日には、マラソンどうだった?と聞かれた。

それにしてもホノルルマラソンは圧巻だった。もう日本人ばっかり。これでもか、これでもか、これでもかっ、という位、人並みが途切れない。誰もがみんないい顔だ。
意外に茶髪の若者が多い。それにしても、よくぞ42キロも走ろう、と思ったものだ。そのチャレンジ精神がうらやましい。

皆さんが苦しんでおられる反対車線をレンタカーですいすいと。すっかり駄目な人。

そして、マラソン翌日からは、ホノルルの街中でゾンビのように足をひきずって歩く若者が一杯であった。


実は今回の目的のひとつに昔から憧れていたサーフィンにチャレンジ、という密かな狙いがあったのだが(ちなみに泳げません)、視力矯正手術を受けてしばらくは水泳が禁止されていたんだった。泣く泣く断念。

それでも、海はきれいだし、空は青いし、天気は最高。久しぶりに見たたくさんの日本人も新鮮。ハワイへの国内旅行、悪くない。

そして、目当ての日本食。
ラーメン屋を選択できる贅沢さ。違う寿司屋に行ける満足感。アメリカ飯には目もくれず、ひたすらひたすら特にB級日本食を堪能。学生時代に嫌というほど食べた天下一品のこってりラーメンと、カレーハウス ココ壱番のチーズカレー400グラム。懐かしい味。

焼肉は、DFS横のHIROSHIが一番いい肉出していた。どれもおいしい。
ちょっと店員が怖い感じもするくらいサービスがいいんだけど、味にはこだわりがあるというのがよく分かる。高いけど文句無くうまかった。芸能人がよく訪れる店でも有名と聞いたけど、確かにたまたま名球会の東尾が店にいたな。


こうして1週間もネットや携帯から離れて家に戻ってくると、途端に仕事の事が気になってしょうがない。貧乏性というんだろうか。まあ、クリスマス前なのでそんなに動きはないはずなのだが、こんな時に限って色んな問題が起こっているものだ。

といっても、今更どうしようもないし、実はそんなに気にしていなかったりする。


2004年12月10日(金) 米人スタッフを辞めさせる苦労

会社がやめさせようとしているアメリカ人スタッフが何人かいる。

その中の1人が65を越えた高齢のおばあちゃん。法に守られてアメリカでは定年がないから、本人の意思でいつまでも会社に残れる。

仕事を離れれば実にいいおばあちゃんなのだが、パソコンも出来ないは動けないはモノ忘れは多いはで、正直言えば給料を支払う会社からみれば彼女の存在は単なるコスト増という主張は、納得せざるを得ない。やたらと理由をつけて適当に家に帰ったりするので、主婦業の合間に仕事に来ているようなものだ。

本人が、そういった事を自覚していれば言う事はないのだけど、残念ながら自覚のかけらも見られない。権利だけを主張して義務を果たそうという気はさらさらないように見える。

とはいえ、会社が本人に何か言えば、年齢や性別を理由としたDISCRIMINATION(差別)を理由としてすぐに訴えられてしまうから、会社側から正面きってあれこれ迫る訳にはいかない。“WARNING”というやり方もあるけど、結局のところ本人が「辞めたい」と言うのを待つしかないのである。

日本企業がなめられている、というのも、言葉は悪いがあたっているだろう。

なかには、こういった状況に対してどう対処して波風立てずに退職してもらうか、を指導する日系企業向けのコンサルティングまで存在するのだから、どの日系企業も似たような悩みはあるのかもしれない。


将来責任者になった時、部下をこうして追い込むような事は嫌だなと思うけど、会社経営をしていくならば、心を鬼にしなければならない時は必ず直面するのだろう。



明日からしばらく休暇!
南国でストレス発散や。


2004年12月09日(木) カナダで置き忘れてしまったもの

夕刻、カナダからアメリカに戻ってレンタカーを返す時にはじめて気がついた。

「あれ、コートないやん。」

顔面蒼白。

慌てて自分の行動を振り返る。
今朝はカナダで1件新規取引を狙う会社を訪問した。
その前に、近くのマクドナルドに寄って主要資料と相手の会社概要を頭にたたきこんでいたのだけど、そこでうっかりコートを忘れてしまった。

客先訪問終了時にも、ランチの時にも、帰りにカナダのアウトレットに寄り道した時(おいおい)も、米国に入る直前のDuty Freeで買い物をした時にも、途中で何度も車から乗り降りしたのだけど、コートがない事に全く気が付かなかった。

情けない限りのおっちょこちょいである。

出張の際は、ホテルにモノを忘れることがたまにあった。シャンプーとか歯ブラシとかだが。だから、よくチェックアウトの際に部屋をもう一度見回すようにしているのだけど、店にコートを忘れるとは思いもよらなかった。

外が寒けりゃこんなことにはならなかっただろうけど、比較的カナダは過ごしやすかった。まあ、天気にケチつけてもしょうがない。

で、どうしたか。

きれいさっぱりあきらめた。

もともと、飛行機でいつもコートがくちゃくちゃになるので、出張時には一番ボロいコートを着ていくことにしている。これは日本で確か6年くらい前に買ったコートで、すでにポケットに穴も開いていたので、そろそろ処分しなきゃ、でも愛着があってなかなか捨てれないな、と思っていた所であった。

不幸中の幸い、だったな。


2004年12月08日(水) 怒鳴るマスター / カナダへ

朝7時発のNW機でデトロイトへ。
空港はNorthWestのハブだけあって、他のターミナルとは格段に異なる扱いだ。その規模と清潔さに驚いた。とにかく広すぎて、移動用としてターミナル内にモノレールが絶えず走っているのも圧巻だ。ターミナル同士を結ぶものはよくあるのだけど、同一ターミナルの中にあるモノレールははじめて見た。ターミナルの端から出口まで歩いたのだけど、15分くらいかかってしまった。

今日のレンタカーはモンテカルロ。
自分じゃ絶対買わないけどレンタカーなら歓迎だ。気分よくハイウェウェイを飛ばして1件目の商談へ。

その後、いつも行く日本食やで昼飯。イクラ丼とたぬきうどんのセット定食を注文。カウンターに座って待っていると、すぐ隣に2人ずれのオデブな日本人が座ったので、空いている反対側に1つずれる。そして、カウンター越しのマスターらしきオヤジが、出来上がったイクラ丼を横の日本人に渡してしまう。
「それ私のじゃないです」

オヤジは明らかにムッとして、丼をカウンターに置いたまま担当ウェイトレスの若いインド人女性をどなりつける。

「カウンター番号が違うんだよ!何やってるんじゃ!(日本語)」

インド人、こちらを指差し、「He shifted! He hifshited!」 と慌てて弁明。必死の形相。

何か俺、悪い事やったか? 

カウンターに置き去りの丼を取ってイクラ丼を食べる。 店の選択肢がないというのは実につらい。

店にはおせち料理90ドルで予約受付中、などと書いてある。どこにいようと、日本人の正月はやっぱりおせち料理だな。

午後に場所を移動してもう1件面談をした後、そのまま車を運転してカナダへ向かう。

国境のイミグレで車に乗ったまま簡単な圧迫面接(のように見えるよな。足を窓に投げ出したままの陸軍兵士のようなスキンヘッドが色々聞いてくるんだから。)を受けて、カナダ入り。道路はキロ表示になり、ガソリンはリッター表示になる。車で1時間半走って目的地のホテルにチェックイン。適当に夕食の寂れたレストランを探して入る。チキンもリブも少量だ。やっぱりここはカナダだ。


仕事とはいえこうして出張に出てくるたびに、色んな発見があって自分の好奇心も少し満たされてきて、それはそれで心地よいものである。


2004年12月07日(火) 会社から贈るクリスマスプレゼント

なんだかバタバタとした数日だ。

こんな時に限って、クリスマスカードはどこの誰に送るのかチェックせよ、という回覧が回ってくる。

去年のリストを見ながら、削除したり加えたり変更したり。 こうして見ると、取引先や担当相手というのも1年でガラリと変わるものだな、と分かる。この1年、何も接点がなかった人も去年のリストにはかなり多く含まれていた。 
うちの会社にもどこの誰だか分からない所から、山ほどクリスマスカードが届くけど、そうした企業は毎年見直しをせずにそのままのリストを使っているんだな、と思う。だけど、別にもらって気分が悪いものでもないからそれでもいいのだろう。
まあ、クリスマスカードはさして問題ではない。

問題は、クリスマスプレゼント。
うちの会社は、御丁寧にクリスマスプレゼントを主要な取引先個人に対して送っている。費用は1人平均50ドル近くするので、それはそれで慎重に選ぶ必要がある。こちらは、ハムとかクッキー、チョコレートといった食べ物になるので、訳の分からない人に送りつける訳にはいかない。

これまたリストを睨みながら、「ああ、去年はチョコの詰め合わせだったから今年はクッキーかな」とか、「この人は1ランク上のサーモンにしよう」とか、相手の顔を思い浮かべながらそれでも適当に決めていく。
少し迷うのが、同じ取引先の中で何人かに送る場合。明らかにキーパーソンといえる人とそうでない上司がいる時、うちの会社にとってのキーパーソンに少々値の張る贈り物が本当は贈りたいのだけどやはりそんな訳にはいかない。まあ、たいていの場合は無難に同じモノを送るようにしているのだけど。
お世話になった中国の取引先もリストに加える。念のため確認したら、チョコはだめだけどクッキーなら発送出来るとの事だそうだ。

もっとも、こんな贈り物1つで商売がどう転ぶかまでは左右される訳ないのだけど、せっかく贈るからには多少の下心も出したいと思うのである。


2004年12月06日(月) 1ドル=90円を求めるGMの無責任さ

世界一の自動車販売を誇るGMの不振が止まらない。

11月の新車販売台数は30万台を割って前年同月比で−16.5%。
トヨタが4.4%、日産が25.7%と数字を伸ばしているのとは対照的な結果が出た。既に在庫は過剰、今後の減産体制も決定しており、ますます日本メーカーとの格差が拡大するのは明白となっている。

GMは来年に米国だけで7工場を閉鎖、従業員1万3千人を解雇する計画を出している。これは、単なる不振を越えて危機的な状況である。GMは従業員への医療費負担もかさんでおり、2003年で48億ドル。新車を1台売っても利益の1400ドルが医療費負担で吹っ飛ぶという現象に陥っている。

こうして日本メーカーとの差が広がる一方なのだが、GMは政府に対して1ドル=90円が妥当という持論を展開して圧力をかけている。自分達の車が売れないのは、為替によって日本車が恩恵をうけているせいだ、という、責任転嫁そのものである。

経営陣の失敗、そして全く魅力的な車を販売していないくせに何て身勝手な主張だろうか。

正直言えば、GMの車は全く魅力的ではない。トヨタがカムリ、ホンダがアコード、FordがF150という看板商品を掲げている強みがあるのに対して、GMは代表的なラインアップが何もない。唯一の秀作と思えるコルベットは一部の富裕層のものであって、あくまで特別な車である。

たまたま、アメリカという国が広大であり、イナカモノの人口が無視出来ないという事情でこれまで売れてきているだけの話。何でそんな事実に気が付かないのだろうか。 こうしたイナカモノは代々GM車を買い続けてきているので、何の疑いもなく車を買い替える際はGMのディーラーに向かう、ただそれだけの話である。まるで、彼らが大統領選挙で何の疑いもなくブッシュに投票してしまったのと同じようなものである。
確かにイナカに行くと、GMのディーラーはあちこちにある。言ってしまえば、そこしか買うところがないから売れているのだ。

賢明な消費者は、輸入車へとシフトしている。
代表的なのは日本車やドイツ社のみならず、韓国車だって伸び率19%と成長著しい。明らかに、GMがそっぽを向かれだしている。

そんな本質に直視せずに、相変わらず為替という目先の操作で自分達を優位に持っていこうと考えている。彼らは分かっていない。為替の為にたとえ10%日本車の価格が上がったとしても、GMには客は戻ってこないんだと。悔しければ、消費者が目を輝かせるような魅力的な車を作ればいい、本業で結果をだせ、それだけの事である。

とはいえ、GMという会社は全米一の民間企業といっても過言ではないから、米政府も耳を傾けざるを得ないであろう。なにせ、販売不振といってもアメリカだけで1日に1万台も新車を売ってしまうのだから。


2004年12月05日(日) 浅田次郎著 「蒼穹の昴(上/下)」

土日は気温2〜3℃前後を行ったりきたりで、比較的過ごしやすい週末だった。それにしても、最近はいつも午後4時過ぎで外は真っ暗になってしまう。何とも気分が重くなるものだ。

浅田次郎著 「蒼穹の昴(上/下)」ようやく読了。

これまで三国志を初めとした歴史物語はことごとく挫折してきたのだけど、何とかこの本は読めたかな、という感じだ。

主役は春児(チュンル)と梁文秀。
貧農の子であった春児は宦官、方や梁文秀は科挙を経て進士という、仲の良かった2人はそれぞれ違う道を歩みだすものの、着実に地位を高めていく。

宦官と進士とは交流することが禁じられているために、表面的な2人の交流は途絶えていくのだが、それでいて2人の間の深い信頼関係というのは着々と絆を深めていく様が興味深く描かれている。

宦官とは?科挙とは? この2人を通じて、こうした世界の仕組みについての理解を深める事ができる。のみならず、西欧列強に侵食される清朝末期と、一方で近代国家への革新をはかる新たな勢力の挑戦を描く壮大なスケールの作品となっており、こうした歴史の大きなうねりも無理なく掴むことが出来る。

それにしても、浅田次郎氏、何者ぞや。
恥ずかしながら、話題となった「鉄道員(ぽっぽや)」も「きんぴか」も読んだ事はなくてこの小説が初めなのだけど、歴史上の人物の描写のあまりにも細かいこと、詳細な文化的記述、見事なリアルさであって、どこが創作でどこがノンフィクションなのかの見分けもつかなかった。

大学受験の為に世界史で学んだ人物名や戦争。
当時は試験の為に暗記する単語でしかなかったのだけど、こうして大きな流れの中でそれぞれの出来事を捉えてみると、これまで知らなかったそれぞれの意味合いの大きさにうなずいてしまう。

日清戦争は日本と清国との戦争ではなく李鴻章軍との戦争だったなんて知らなかったし、香港島のイギリスへの租借条約の際の李鴻章の巧みな交渉術。列強に食い潰されていた清朝の混乱。

当時こんな本を読んで歴史に触れることが出来ていたら世界史も楽しかったろうに、と今になって思うのだけど、その当時は遊びほうけていたのでそんな事は考えもしなかった。まあ、よくあることだけど。

この本、初版は1996年で今から8年も前。タイトルも全然知らなかった。自分は一体何やってたんだろう。調べると、今は文庫本まで出ている。


実は、この本は両親がお勧めと言ってアメリカまでわざわざ送ってきてくれたのだが、自分の親がこんな歴史小説を読む趣味があったなどとは、全く知らなかった。出来の悪い坊主には、そんな話をしても無駄だと思ったのか、それとも、子供の手が離れてから、趣味の世界を広げたのだろうか。

いい本を送ってくれたものだと感謝。


2004年12月04日(土) ハワイのゴルフ 日本人料金

来週一週間はvacationを取ってハワイに行く。
実質、赴任以来1年半以上たって初めてのまとまった休みなので、たまにはいいではないか、と思うのだけど、あいかわらず日本人駐在の中には、「そんなに長くハワイなんて。新婚旅行じゃないんだから。リッチだよなあ。」と嫌味のひとつも言う人もいるのであった。まあ、別に気にしてないんだけど。

滞在中に何日かはゴルフをしようと思って色々調べているのだが、面白いことに気がついた。

「露骨な日本人料金」

あるゴルフ場のホームページ。表紙で、日本語とENGLISHが選べる。楽なので日本語を見ていたのだけど、料金は90ドルだった。ENGLISHの方がコースの情報が多いのかな、と思ってそちらものぞくと、何と料金は50ドル。アメリカのID(免許書)を出せば特別料金なんてところもあった。

また、別のコースに電話して予約しようとした時。
名前を述べて料金を尋ねると、「日本人か?」と聞いてくる。「そうだけど、アメリカに住んでいる。」と言うと、これまたホームページよりも安い価格を言ってきた。

日本人はハワイのゴルフ場で嫌われているんだろうか。
ややこしい客なのか、足元を見られているのか。

確かに100ドルという料金は、日本からすれば安い感覚でそんなに疑問も無く支払ってくるかもしれないけど、アメリカ本土からすれば、100ドルというのはちょっと勇気のいる価格である。

観光地とはいえ、こうした露骨な価格差というのは何だかあまりいい気分はしない。
というよりも、いちいち「もっといい値段があるんじゃないか」と疑わなければならないのが実に面倒くさい。東南アジアの露店の値切り交渉じゃないんだから。


2004年12月03日(金) ホテルの警報機 / 仕事貧乏は抜けきれず

昨晩の出張先のホテルには参った。
明け方に冷え込みが厳しくなったので、部屋の据え置きヒーターの温度を上げた。そのままベッドで眠りに戻ると、突然けたたましく部屋の警報が鳴った。

慌てて飛び起きるとヒーターが焦げ臭い。
すぐに電源を切って部屋の扉を開けて換気をする。臭いは収まったのだが、けたたましい警報は鳴りっぱなしで従業員も誰も来やしない。周りの部屋もさぞかし迷惑な事だろう。

しょうがなく内線1番のフロントに電話をする。

「おい!!この警報が聞こえるか!どうすりゃいいんだ?」

「こちらは FAREFIELD INN のフロントです. MAY I HELP YOU?」

「分かってるよ!!俺は客で今あんたのホテルの部屋だよ。警報が聞こえるかっての!!」

「YES, I DO.」

「だから音がうるさいんだって。止めてくれよ!!」

「警報機のフタを開ければ音は止まります。」 ガチャッ。

あ、ほんとだ、止まった。

それにしても、警報がなっても何もなしかよ。本当に火事だったらどないするんや。これじゃ警報機も何にも意味ないわな。まるで目覚まし時計がなった程度の扱いだ。

そもそも、なんだったんだろう、あのボロヒーターは。
おかげで朝の5時だというのに、目が覚めてしまった。まあ、アメリカの安ホテルチェーンなんて、防災意識がこんなもんだと良く分かった。

今日は朝に一件取引先とミーティングをしてから、ボストンまでドライブ。
昨日と今日で300マイル(480キロ)は走っているのに特に疲れもない。ハイウェイは渋滞もないし、空は天気だし、いい気分転換だった。

予定より4時間も早いフライトに乗れてシカゴへ戻る。
夕方についつい会社によって書類の処理と日本への出張報告書など。

いつものように午後5時ピッタリにアメリカ人スタッフが次々会社を後にする。

「ヘイ!何やってるんだ?今日は金曜日だぜ。ここは日本じゃないんだぜ。とっとと帰りなよ。」

2日間出張に出ていた上に、その帰りに会社によって遅くまで仕事をする感覚は彼らには信じられないのだろうか。自分も何やってるんだ、と思う。この仕事貧乏は何とかならんものかね。まだまだアメリカ人と同じ生活をするにはほど遠い自分を感じるのであった。


2004年12月02日(木) ボストン出張の1日

朝7時の便でボストン出張。
2度寝して起きたら5時半で慌てて身支度を整え、15マイルまでの空港までをハイウェイをぶっとばしてちょうど15分で到着。いつもごったがえしているsecurityは今日はすいていたので助かったけど、携帯電話を家に忘れてきてしまった。まあいいや、誰にも追いかけられないのもいいだろう、と思うことにする。

ボストンから西へ車で2時間の取引先へ。
空は快晴、ハイウェイはがらがらで気持ちいいドライブだ。ミーティングはわずか1時間で終了し、そのままホテルに向かいチェックインした時はまだ午後3時。ああ、のんびりした時間、最高である。

今回は珍しくボスの指示にしたがって出張したのだけど、取引先との訪問結果が珍しくボスの言った通りに事が運んだ。
ホテルから電話で一報入れると、「ほらみろ、俺の言った通りだ」と言わんばかりのおおいばりで御機嫌100%。あれこれ言ってりゃたまにはその通りになるだろ、と思いながらも上司が喜ぶ声を聞くのは悪くはない。たまには上司に従って見るものだな、と思った。ははは。

夜はホテルそばのレストランへ。
久しぶりにドラフトビールを3杯にスープ、サラダにフィレステーキ(レア)にシーフード。腹いっぱい。
そういえばアメリカでの1人の食事というのもすっかり慣れたな。
よく周りをみりゃアメリカ人のオヤジが1人で食事に来ているのが結構いる。アメリカで単身赴任はあるまいし、何でだろうか。
オヤジ2人組みも多い。会社帰りだろうか。ほとんどが判で押したように典型的な服装- ストーンウォッシュのジーンズに白のスニーカー、トレーナー。たまにキャップをかぶってる。ダサイよなあ。まあ、日本のサラリーマンのくたびれたスーツ姿も似たようなものか。

隣の2人組のオヤジは、会計も別々にしていた。お互いにビールも飲んでたしデザートも食ってた。日本の感覚だと割り勘だろうに、不思議なもんだ。

明朝に訪問先の会社で話す議題の予習をしないといけないけど、今日は疲れたのでもう寝て明日早く起きてやる事にしよう。


2004年12月01日(水) アメリカの大学を卒業して日系企業に就職

朝起きて外を見ると、一面雪景色。
雪が降る日はそこそこ暖かいので過ごしやすいのだが、道路が込むのと車が汚れるのは勘弁して欲しい。

今日はある会合で、アメリカの大学を卒業して就職したばかりの日本人女性2人と話をする機会があった。お2人とも日本を捨てて単身アメリカに乗り込んできただけあって、とてもしっかりしている。

いかにもキャリアウーマンという感じで、英語もネィイティブさながらの発音。気の弱い私なんぞは見ているだけで気後れしてしまう。

面白いのは、2人とも日系企業に就職していること。
それでも、職にありつくのに3ヶ月、4ヶ月とかかったと言っていた。「何でこんな寒い地域で就職したの?西海岸で就職すればよかったのに?」と気軽に聞いてしまったが、
職の場所を選ぶほどの余裕は彼女らにはなかったようだ。アメリカの大学を出たところで、新卒で米系企業に入れるのはそんなにたやすい事ではない。
米系企業にしたって、よほど日本との付き合いが深い会社を別にすれば、わざわざ日本人を採用する意味はないだろう。

日系企業であるからには、要所のポストは日本からの駐在員が抑えている所がほとんどではないだろうか。となれば、バリバリと重要なポストについて大きな権限を持って働きたい、そんな希望を持ってアメリカの大学を出たであろう彼女達は、これからどうしていくんだろうか、とおせっかいながらも思ってしまった。
うちの会社でも似たような境遇の人を現地採用している。その人はMBAを取っていても、日本からきた駐在員に勝る待遇とポストは残念ながら得られていない。

そう思うと、我々駐在員というのは、実に守られていてリスクのない立場だなあ、と思う。それは生きていく上で悪い事ではないけど、人間として男として、果たして魅力があるかといえばそうではないんだろうな、と思ったりした。



Kyosuke