ひとりごと。
kakone



 今年の夏は・・・

昨日は終戦記念日。終戦60周年。
60年か〜。長い月日だ。戦争を知らない子供たちさ〜♪と歌ってた私ももう立派なオバサンになった。
戦争体験を語る人々は高齢化し、これからは戦争の記憶は風化するばかりなのかな。
いつもはくだらない話ばかりだけど、今日は真面目に。

私が産まれたとき、母方の祖父はもうこの世にはいなかった。小さい頃、母からは「おじいちゃんはお船の船長さんで、お母さんが小さい頃に戦争で亡くなったのよ」と聞かされていた。私もそれ以上のことは聞かず、その話題はこの年になるまであまり語られることもなかった。
数年前に亡くなった祖母は私をとても可愛がってくれたし、祖父がいないからといって寂しい思いもしなかった。というより、祖父がいないのが当然だったのでそんなものだと気にもしてなかった。

今年は戦後60年の節目の年。
今年の夏は母から祖父の話を聞く機会が多くなった。
いままでそれについて母が話すことがなかったのは、祖父の死については戦時中、戦況の不利を示すものとしてひたすらに伏せられ、不明のことが多かったのが理由のひとつだったことを知った。


今年5月に発売された朝崎郁恵さんのCD「おぼくり」。
「嘉義丸のうた」という曲が収録されている。

「嘉義丸のうた」は昭和18年5月26日、第二次世界大戦中に、大阪から沖縄に向かう途中、奄美沖で魚雷をうけ沈没し多くの方が亡くなった「嘉義丸」の鎮魂歌として朝崎郁恵さんのお父様、朝崎辰恕氏が、当時作詞した歌。
長い間、公に歌われることを禁じられていたこの歌を娘さんである朝崎郁恵さんが歌ってます。


まさにその「嘉義丸」の船長が私の祖父。
朝崎郁恵さんのHPはコチラ
Infomasionの7月18日「こころふるえる日」には伯父達と生存者の方との再会の記事があります。
この歌が嘉義丸の数少ない生存者の方との伯父たちを引き合わせてくれたそうです。
祖父の最後が60年の時を経てやっとその子たちに伝えられた。知らされてなかった父親の最後の瞬間を知る事が出来て母も叔父たちも本当に良かった。

祖父を誇りに思います。私が生れるずっと前に亡くなって会えなかったけど、自慢のおじいちゃんだわ。

いつもの夏以上に戦争と戦後、これからの世の中のことを考えてます。戦争によって亡くなられた方と遺族の方に想いを馳せてます。

2005年08月16日(火)
初日 最新 目次 HOME