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| 2026年10月29日(木) ■ |
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| ニューニッポニア展『東京グランギニョルとその時代』 |
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ニューニッポニア展『東京グランギニョルとその時代』@手と花
「演劇のなかでどんなに時間が跳んでも現実の時間はそのまま流れている」「空間に音をどう落とすか」「場所となかよくなる」等々貴重な話は勿論、飴屋さんの音響操作を実際に観られた(聴けた)のがもうね……。どんな球が来ても即反応するリベロのような浜里さんの進行も素晴らしかったです。ギニョルのOB・OGもいらしてました『東京グランギニョルとその時代』
[image or embed] — kai (@flower-lens.bsky.social) 0:39 · Oct 30, 2026
あなたの飴屋法水はどこから? 私はM.M.M.から! という訳で東京グランギニョルには間に合わなかった世代です。厳密にいえば実体験がM.M.M.からで、ギニョル自体はTECHII(なつかし)で『ワルプルギス』の記事を読んだのが最初かな。コシミハル、三上晴子の活動とともに。その頃私は宮崎在住の高校生、雑誌ってほんと有難いわね。
今年はギニョル解散から40年。4作品を残し風のように消えたギニョルについて、その時代について、飴屋さんに話を聴く会。ニューニッポニア/浜里堅太郎さん主催の『ニューニッポニア』展「街にチラシがあったころ〜ぼくを育てた80〜90年代カルチャーの断片」内のトークイヴェントです。浜里さんは17歳で『マーキュロ』再演に出会い、ギニョルの門を叩きます。M.M.M.、テクノクラートにも参加し、その後ニューニッポニアとして様々な活動を展開していきました。開演前、ご本人による前説がありました。YMOをはじめとするポスターやチラシ(フライヤーというよりこっちのがしっくりくる)を収集していたところ、スナックニューニッポニアに来訪したひとたちが貴重な資料を提供してくれるようになった。自分としてはだいじな作品をお預かりしているという気持ちとのこと。
展示も超濃厚だったので日を改めて見に行きたい。YMO関連は特に貴重なものがいっぱいです。個人的にギャッとなったのはこれ(LÄ-PPISCHの表記!) #ニューニッポニア展
[image or embed] — kai (@flower-lens.bsky.social) 0:42 · Oct 30, 2026
ZINEも買えたので読む #ニューニッポニア展
[image or embed] — kai (@flower-lens.bsky.social) 1:08 · Oct 30, 2026
会場である手と花の壁一面に張り巡らされた80〜90年代カルチャーの断片は、圧倒される物量でした。物販にも興味津々。
さて本編。ギニョルの4作品について30分ずつ話し、その流れで使われた楽曲を聴くという進行を浜里さんは考えていたようですが、飴屋さんの「いいじゃない」という言葉と共にその段取りは雲散霧消。話していくうちに思い出していくこともあり、濃密な話題が多岐に渡りました。飴屋さんの話はあっちゃこっちゃ跳ぶんだけど、どの単語が出ても、どの曲をかけても、浜里さんが瞬時に反応し、解説してくれるのにおお……となる。曲をかけたらすぐ「この曲は誰のなんという曲で、どのシーンで流れました」とスルスル出てくる。演出家と演者としての関係も垣間見られたというか。飴屋さんが「このリズムで息を吐いて、吸ってってやったんだけど」と曲をかけると、すぐに浜里さんがスーッ、ハーッと息づかいのリフレインを再現したりととにかく反応が早い! 飴屋さんが何をいうか、それにどう接するか、という緊張感がひしひしと感じられ、聴いているこちらも終始固唾を呑んで聴き入りました。
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web上に書いてよさそうなところ、印象に残ったことをおぼえがき。記憶で起こしているのでそのままではありません。前後した話を便宜上まとめている部分もあります。
・今何時? 19時からなので、ピッタリから始めましょう (これがその後の時間の話になる)
・実は状況劇場を辞める一年前から劇場を押さえてたの。唐(十郎)さんには本当にいろいろ教えてもらったけど、あるシーンで音楽と役者たちの動作プランを提案、起用されたとき、出来上がったものは自分が考えたものとは違ってた。いい悪いじゃなくて、自分が思うものではなかった。それで自分でやってみようと思った
・丸尾末広さんの作品は『ガロ』で読んでいて好きだったので、旗揚げ公演のポスターを描いてもらおうと思って。編集部に電話して「仕事を依頼したいんですが」といったら、当時はおおらかな時代だったので自宅の電話番号を教えてくれて。それで本人に電話して『マーキュロ』のポスター画を描いてもらった。5万円用意して、これで描いてくださいって。それが最初。丸尾さんは出演もしたし、グランギニョルのことをいろんなところで話して広めてくれた
・嶋田久作くんは佐野史郎さんのバンドを観にいったらキーボードを弾いていて。オールバックで。それで面白いひとがいるなあって ・浜里:ベースではなくて? ・そのときはキーボードだった。当時彼は役者志望とかでは全然なくて、東大の生協でレジ打ちのバイトしてたの。オールバックで。レジ打ち ・浜里:存在感…… ・面白いなって。台本を渡して出演考えてみてくださいっていったら出てくれることになった
・『マーキュロ』初演は4公演。初日はキャパ60の劇場で15人だった。実は舞台裏で泣いてたの。お金もかかっているし、どうしようって。でもその後は倍々で増えていった。1日目15人、2日目30人、3日目で60人。4日目は120人。ぎゅうぎゅうに入れて (90年代半ばくらい迄はそういうの普通だったかも。消防法が厳密になってから通路迄ギチギチに人を入れることは禁止になりました)
・それで話題になっていって、細野(晴臣)さんと越美晴ちゃんが来てくれたの。このふたりを桟敷で体育座りとかいう訳には行かないので、僕が音響操作してるところの横で観てもらった。美晴ちゃんはすごくちっちゃくて、本当にちっちゃくてビックリした。オレンジ色のコートを着ていた。それをよく憶えているな ・細野さんは自分の曲が使われているシーンを観て「暴力的に聴こえる」といってた。自分では暴力的だなんて微塵も考えずにつくった曲がそう聴こえたって。もしかしたらそういう要素が自分にあって、それがこうしたシーンで使われることによって表出したのかもしれないと話してた。細野さんと坂本(龍一)さんの曲をよく使ったな、本当によく使ってた
・浜里:あの三上という役は、三上博史からとったんですか? ・え、三上? 三上何? ・浜里:三上博史 ・三上晴子のこと訊かれるかと思った ・浜里:違う違う、この頃三上晴子さんとはまだ出会ってませんね ・なんだったっけな、三上博史ではない。なんとなくつけたんだっけな
・浜里:徳光和夫の番組に出ましたね。『マーキュロ』の1シーンをスタジオで (1985年6月9日に放送された『徳光和夫のTVフォーラム』にギニョルが出演し、番組用に構成した『マーキュロイド』を実演。YouTubeに動画あります) ・あれはテレビ用だったから、実際のシーンとは全然違って。照明も明るいままだったし ・浜里:実際はもっと暗くて、サス(ライト)で足が浮かび上がるような感じでしたよね (客席から番組に出演したというOGが声をかけてどよめき) ・OG:人が足りないからって出ることになって、女の子だとわからないようにマスクをしてました ・そうだったの!?(憶えていないらしい)
・浜里:そういえば、登場人物が並列で足踏みするシーン多いですよね。『マーキュロ』もそうだし、その後も……『転校生』も『4.48サイコシス』にもそうしたシーンがありましたね ・いわれてみればそうだな。好きなんでしょうね (『ドナドナ(donor-donor)』もそうだったね!)
・ついピッチといってしまうんだけど、テンポ、BPMだな。それを落として使うことが多かった。遅くする。当時はもうちょっと速かったかな。歳もとったし、今の自分の感覚に合ってくる。どんどん遅くなる(実演) (今回はCDJを使っていたけど、当時はこれをオープンリールで操演していたと思うとヒェーッとなるな……ループをかけ、BPMを落とし、フェーダーで音の肌ざわりを変える。『マーキュロ』冒頭に使われたPiL「Four Enclosed Walls」のドラムパターンをループで鳴らしたときの衝撃! マジで震えた) (細野さんの『銀河鉄道の夜』ostや、教授の「マ・メール・ロワ」に『Esperanto』からもあったかな。あとはレジデンツにアンディ・パートリッジに…他にもいろいろ。独自の音響で聴けて震えっぱなしであった)
・浜里:『マーキュロ』では舞台上に時計がかかっていて、それは劇中のシーンに応じて動くのではなく、実際の時間を刻んでいましたが、あれは何か狙いがあったのでしょうか ・あれはそのまま劇場に掛けてあった時計だったんじゃない? わざわざ置いたりはしてない。でも時間きっかり、というのは考えてた。19時開演だったら19時ぴったりから始める。演劇のなかでどんなに時間が跳んでも、現実の時間はそのまま流れているということは意識してる
・浜里:「場所となかよくなる」とよくいってましたよね ・うん。「空間に音をどう落とすか」ということを常に考えて音をつくる。稽古場だったり劇場だったり、場所によって音も変わるじゃない。その場所にどう音が落ちるか、落とすかということはよく考えた
(上階から音楽、やがてどすどすというステップ音) ・手と花店主:すみません、上の階が舞踏とかコンテンポラリーのダンスをやってるところなんです。いつもはこんなに音しないんですけど…… ・(ぼそっと)負けそう…… (大ウケ。こちらで音楽をかけるとそれも気にならなくなり、コラボみたいになった・笑)
・浜里:『ガラチア』は『帝都物語』からですが ・どうつくってもいいからってことで、実は原作読んでない(笑)。あらすじだけ読んで……荒俣宏さん観に来てくれたけど、面白かったみたい ・その後『帝都〜』は映画になったけど、『ガラチア』で久作くんは加藤じゃなかったの。でも映画では加藤になった。面白いよね ・そういえばジェイムズ・ブラウンが公演した武道館前でチラシを配ったりした。何人かは来てくれたかも
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(質疑応答) ・Q:先ほどの「三上」ですが、フルネームが三上由紀夫なんですよね。三島由紀夫と同じ表記の「由紀夫」ですし、三島作品からインスパイアされたものも…… ・ああ、『午後の曳航』(即答) ・Q:三島に影響された部分ってあるんでしょうか ・うーん、そんなにないかな。でも『午後の曳航』は好きで……猫を解剖するくだりあったでしょう。そういうのが印象に残って
・Q:(若者! 開演前トイレで飴屋さんとすれ違って静かにひゃーッとなってた子/ごめん質問忘れた!) ・うーん、ないっ。ごめんね。はぐらかしてるわけじゃなくて、本当にそうなんです
・Q:演劇、現代美術、動物商といろんな活動をしてきていますが、どういった意識の変化があったのでしょうか ・意識とかはしてなくて……自分でこれやるって決めてやったのって25歳迄で、それ以降は依頼されたものをつくってきた。PARCOからこういうのやって、といわれて『SKIN』をつくったり。演劇にしても美術にしても、こういうのをやりませんかという話が来てやってる。でも、やるからには真面目に一生懸命やってます
・ひとりでやるようになったのもそうした流れからかな。『SKIN』ではもうひと対マシンみたいになって、身体(しんたい)の限界を見たい、スポーツに近い感じになってた。(記録撮影をしている大橋二郎さんに向かって)大橋くんをマシンに乗せてぶん回したり、ね ・大橋:あのときは本当に死ぬかと思いました(真顔)。役者ってのはいないから、皆台詞も叫んでばかりでうわーっ、うらーって大声で ・そういうとこもスポーツみたいだったよね。役者志望の子っていなかったし、劇団でやってこう! みたいな意識もなかったし、だから4作で終わったんだと思う ・そして身体がどうなるかを見たいなら、(演者に負荷をかけるのはさまざまな意味で限界なので)自分の身体を使ってやるしかないってことになった。それで自分で輸血したり、箱に入ったりするようになった
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文字に起こすとそっけない感じだけど、質疑応答では相手の顔を見てしっかり話しておられました。曲をかけるときも「これ大きいよ。ビックリしないでね」とか事前に声を掛けていた。トーク中ずっと会場の音の返りを注意深く聴いていてようで、途中浜里さんに「ここにいるとハウるよ」「もうちょっと声張ったら」と指示を出しつつずっとフェーダーを動かし、トークの音声も調整していたようだった。
客席にギニョルのメンバーを見つけた飴屋さんが、その都度パッと花が咲くような顔になってたのが印象的でした。30人くらいしか入れないところでチケットは即完だったんだけど、皆自力でがんばってとったって。いい話。逆によく自分チケットとれたなと思った。あとお金のこととかちゃんとしてるよなあと思った。だいじよねそういうの。丸尾さんへの依頼にしても、すごいちゃんとしてる。依頼されたからつくっているという職業演出家的な発言も興味深かったです。
いやー貴重なトークだった。やっぱり飴屋さんは身体のひとだなあと改めて思いました。このひとは自分の身体を使い切るつもりだ。これからも見ていきたい。つくる場所を見ていきたいし、つくる音を聴き続けたい。
手と花の店主さんもとても気持ちのよい方でした。また行きたい!
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