初日 最新 目次 MAIL HOME


I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
kai
MAIL
HOME

2015年04月18日(土)
『正しい教室』

『正しい教室』@PARCO劇場

苦々しいんだけど何故か最後はほっとする。蓬莱竜太のこういうとこ、厳しくて優しいとこ。2006年に上演された三田村組『仰げば尊くなし』の改定版。

地方都市の同窓会。それぞれ事情を抱えてる。招かざる客の訪問に、現在と過去に起こったある事件がリンクする。どこ迄が躾なのか、どこ迄が教育なのか。幼い頃受けた傷はどこ迄が「あなたのせい」なのか?

起こったことはある意味、運によるものでもある。事故か事件か、謝罪か謝礼か。年齢を重ねると分かってくることは多いが、ではその分別の手はどこ迄伸ばしてもいいのか。「あなたのせい」にし続けているのは、自分の弱さではないのか。それぞれがそれぞれの事情を知らないからこそ言ってしまったことは罪なき言葉になるのだろうか? 反面教師と言う言葉はどうにでも扱える。それを用いてますます自分を律するか、ますます堕落するか。無傷でいられるひとはいない。思い当たる節は誰にでもある。

子供の狡猾さ、残酷さに対して大人はどう対処すればよいか。そこに教育がある。しかしそれすらも、ほんの少しの「ズレ」で、とりかえしのつかないことになる。言い放たれた「ズレてんだよ、生き方も、ヅラも!」と言う言葉に該当しない人物はいないのではないだろうか? ヅラはともかく。

鬱屈を抱えていても抜きどころを知っている“番長”、受容と寛容の“ガリ勉”。端から見るといじめなのではと思えるそれを全く意に介していなかった“アパッチ”。彼らの置きどころが蓬莱さんのカラーに感じた。演じる高橋努と岩瀬亮、有川マコトのテンポ良いやりとりが楽しい。深刻を軽妙に転換して生きて行く彼らの姿は、“委員長”と“マドンナ”をより悲しく見せてしまう。「誰かのせい」には出来ない部分を、ひとは必ず持っていると言うことが露になってしまうからだ。

そしてどちらにも振れず、事情を知らない人物から「自分ひとりで気ままに生きている」と思われてしまう“ケムコ=猫娘”にいちばん心が寄ってしまう。彼女がいちばん危ういように思う。彼女の無事を祈るような気持ちになる。そして近藤正臣演じる元教師。憎むべき人物なのだが、その人物だけが最終的に自分のしたことの非を認める。そこにちょっとした安堵がある。

冒頭に書いたように、不思議と後味は悪くない。それぞれの事情を抱えていても、とりかえしのつかないことが起こっていても、人生は続いていくし、心を少しでも軽くする修復方法があることをひとはどこかで知っている、と思えるからだ。それはほんの少しの時間気晴らしをすると言うことだ。気晴らしをする、その時間だけ問題を忘れられる。登場人物たちがハマっているパチンコやネズミ講もその一種だが、それは自分がこうして舞台を観に出掛けていることとさほど違いはないように思う。気晴らしにお金が絡むこと、他人を巻き込むこと、と言うことについて考える。そして、教育を仕事にすることの連鎖についても考える。全ての教師はかつての生徒なのだ。

砂羽さんと小島さんの声ほんと好き。音量に関係なく声に張りがあり、ささやき声でも遠くに届く。

思えば近藤正臣初めて舞台で観た。役柄はヨボヨボなんだけどカーテンコールではシュっとしてて仕草ひとつひとつが格好よい。終演後マリス師に「足でピアノ弾いてたひとだもの」と言われてはああっとなる(笑)。