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| 2012年07月07日(土) ■ |
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| 『天日坊』 |
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『天日坊』@シアターコクーン
うーわー面白かった、よかったよおおお。五代目勘九郎が始めたコクーン歌舞伎と言うバトンを、六代目勘九郎が受け取ったようにも感じられました。勘三郎さんもこれを見て(ご覧になられたようでよかった)「俺だってまたすぐ出るもん!」とか思ってるかなあ。コクーン歌舞伎の座組がこれからどうなっていくか判りませんが、元気になった勘三郎さんをコクーンで、いやあらゆる劇場でまた観たいです。
それにしても…気の早い話ですが、勘三郎の『法界坊』、勘九郎の『天日坊』と言われる日が来たらいいななんて思ってしまいましたよー。昼夜で連続上演とかさ!夢が勝手に拡がるわ。この作品は六代目勘九郎のレパートリーとして、新しい歌舞伎座でも新橋演舞場でも平成中村座でも持ってけるのではないか。これは再演されると思うし、上演が重ねられていくと思います。て言うかまた観たい!なるべく早く!
明治以降上演されておらず「生きている人間が誰も見ていない」河竹黙阿弥の『五十三次天日坊』が、平成の世に宮藤官九郎の『天日坊』として甦る。得てしてご都合主義にもなる歌舞伎の常套句、「実は」「後の」を逆手にとった脚色は、現代の天日坊=若者の「俺は誰だ?」を悲劇として浮かび上がらせる。あのとき三婆から話を聞かなければ、酒を三婆に持っていったのが自分でなければ。人間に魔が差す瞬間を鳥瞰で観察し、魔が差した人間の背中に張り付いて心情を描写するかのような冷酷さ。普通の心根のいい子が一瞬の惑いで人生を反転させる、そんな境界線をゆらりと描く。
序盤はほぼ現代語調の台詞。笑いもトバしてて、この辺りは『大江戸りびんぐでっど』を思い出してぬぬぬこっからどう運ぶ?とドキドキ観ていたところもあったのですが、この笑いが後にはっとするせつなさ、悔しさとして効いてくる。天日坊が大江廣元と向き合うとき、兄弟のようにじゃれあっていたときの法策と久助の姿を思い出す。そして前半の現代語調があるから、大江屋敷詮議の場での七五調が、もう出会ったときのようには言葉を交わすことが出来ないふたりの立場を際立たせる。時貞と高窓の関係もそうで、登場時チャームとして提示されてさえいた遅刻と言う悪癖のため、時貞は高窓を守ることが出来ない。法策が何度も口にする「マジかよ!?」と言う台詞は、前半は笑いで、後半は翻弄される者へのせつなさとして迎えられる。
二度とあの時間には戻れない。後悔してもしきれない。宮藤さんのこういう悔しさの描写はとても手厳しい。
で、宮藤さんの構成、脚色の腕は勿論ですが、ブラッシュアップされてもやはり込み入っている場面と時間の並び、それに伴い変化する登場人物の呼び名(主人公だけでも法策、天日坊、義高と三つありますからね)を解りやすく提示した串田さんの整理術が見事でした。小屋の転換とその背景画(これも串田さん自ら描いている)で、今どこに誰がいて、何が起こるかをスピーディに示す。音楽、衣裳も含め串田さんの審美眼が隅々迄行き届いていました。そしてそれを全てとっぱらった大詰めの立ち回り。敵方を黒衣にし、真っ黒な壁面が徐々に迫ってくる。義高を知っている伊賀之介とかけはし、赤星はもうこの世にはおらず、天日坊は葬り去られた。法策を知っているのはもはや大江廣元と平岡平蔵のふたりだけだが、彼らはそのことを胸に秘めたまま生きていくだろう。戒名もなくあの世の手前で暗闇に呑み込まれる主人公の最後の姿は法策か、天日坊か、義高か。閉塞感で充満した舞台を見詰め、ただただ立ち尽くす(座ってるが)。この幕切れの、死(肉体的な、そして存在を消される――最初からいなかったことにすらされる。あの斬り合いで命を落としていなくとも社会的には存在しなくなる)の表現には総毛立ちました。
あと、所謂歌舞伎の型から逸脱した表現がどれも印象に残った。高窓を斬った後、地雷太郎とお六の間に流れる空気。そして裸舞台になってからの大立ち回り。今回立師に前田悟さんのクレジットがあり、新感線を連想するスピードの殺陣だったのですが、それに歌舞伎役者の身体を通し、自分の存在を命懸けでつかみ取ろうとしている若者たちの悲壮と言う心情を乗せる。勘九郎、獅童、七之助が魅せに魅せてくれました。若い世代ならではの、筋肉がしなる殺陣。がむしゃらであり乍ら武将の血を引く「義高」の片鱗を見せる、と言う複雑な法策の立ち回りを鋭さで見せた勘九郎さん、スバラゴイ(ヨタロウさん語)!
そう、そんでここの七之助くんがすごかったんですよ…客席のあちこちから歓声ともつかぬ声がわっと漏れたんです。あの舞台に駆け込んできたときの鮮やかさ、すごかった。駆け込んできたとすら認識させない、二本の脚を交互に動かして来たとは思えないみたいな…あのー情緒のない例えですがセグウェイに乗って来たみたいな……シュッてきたの、シュッて!全身から立ち上る殺気、絶命するときの美しさと言ったらなかった。命が肉体からパッと離れた瞬間が目に見えたかのよう…ツバメが戦場に飛び込み、撃ち落とされてぽとりと落ちる迄の数分を見るかのようだった。ああっセグウェイじゃなく最初からツバメって言えばよかった!
絶命と言えば新悟くん演じる高窓の最期も素晴らしかったよ〜(涙)『ヤマトタケル』のお父さんともども素晴らしい死にっぷりでした……!
そして音楽!トランペット(六管!)の調べは、登場人物たちの危うい心を照らし出してくれました。THE THRILLの平田直樹さんが音楽、メトロファルスでもおなじみ熊谷太輔さんが演奏で参加していたのも嬉しかった。と言えば、熊谷さんと関根真理さんは交互出演と言うことだったけど、千秋楽ってふたりとも出てませんでした…?あとツケ打ちが下手側から聴こえてくるのも新鮮でした。これは単にスペースの問題だったそうで、松本公演では上手側に位置するそうです(今回の附打、山��徹さんのtwitterはこちら)。
そんなこんなで座組が素晴らしかったよー!勘九郎さん七之助くんのもとに、同世代と後輩、胸を貸してくれる先輩たち、現代劇からのメンツが集った。獅童さん、ああいう刹那な役柄すごく合うね!衣裳(詮議の場以降の盛装すっごく板についてた)ともに大きな芝居が余裕と優雅に転ずる。ロックスターたるやの貫禄すらありました。あ、そういえば最後の大立ち回りの法策を見てたとき『浪人街』で獅童さんが演じた赤牛を思い出した。彼も絶命後、さまよう魂が呑み屋に帰っていくって描写があったんだ……。その獅童さんと亀蔵さんの、族の集会なやりとりにはちょー笑った…てか亀蔵さんすごい…お三婆さんのスロ〜モ〜といい、赤星のおっさんヤンキーと言い、なんでそんなにおかしいのか!なのに格好いいのか!コクーン歌舞伎初登場の巳之助くんと、新悟くんのカップルはすごく活き活きしてた、そしてかわいいそうだった……。歌舞伎役者たちと五七調で渡り合った白井さん、客席との橋渡しを担当した公園くん、そして真那胡さんも格好よかったわ…つーか白井さん、一幕の久助がちょー気のいい下男って感じだったのがまたよかった…これが二幕での、天日坊を裁く際の逡巡に活きた。また歌舞伎に出演してほしいなあ。
千秋楽だったのでカーテンコールも盛り沢山。勘九郎さん泣いてたみたい。黒衣さんたちも総登場、ラッパ隊が客席を練り歩く。3回目のカーテンコールでは、幕が上がるとお三婆さんがひとりゆ〜〜〜〜〜っくり帰っていっている後ろ姿が…これにはもう大ウケ。て言うか亀蔵さん、赤星からお三婆さんの扮装に着替えてるってのが!盛り上げ上手な獅童さんが煽る煽る、勘九郎さんもスライディングで登場、客席から呼び込まれた串田さんもスライディング。その後がまたおかしくて、再び幕が上がると今度はお三婆さんが猛スピードで舞台を横切ってった(爆笑)。勘九郎さんがサンバ踊って、俺はもういいからおまえが踊れと巳之助くんに促して(こういうとこ勘九郎さんほんと謙虚…)、いやそんなってなってた巳之助くんが意を決してサンバを踊り、こけ、新悟くんがああっ時貞さま!と駆け寄って抱き合ってたら幕が下りて来た(笑)いーやー楽しかった!
河竹黙阿弥と四代目市川小團次がこの上演をどこかで観ているといいな、なんて思いました。
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その他。
・あの、化け猫の声ってやっぱ彌十郎さんだよね……? ・ねこがこんなに出てくるとはー ・ねこの手ぬぐいほしかったー(売り切れてた)
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