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2010年09月16日(木)
『表に出ろいっ!』

NODA・MAP番外公演『表に出ろいっ!』@東京芸術劇場 小ホール1

娘役が黒木華さんの回。いやー…身につまされる話だったわ……。それにしても速度、濃度の高いこと。75分の中にみっしり詰まっています。以下ネタバレあります。

信じることの愉悦と恐怖。『ビリーバー』に続き、ここでも“信じる”ことについて、それにまつわる信仰と宗教についてが出て来た。野田さんは“信じる”ことを巡る三部作を展開中で、『表に出ろいっ!』はその系譜。家族はそれぞれが信仰するもののために家を空けようとする。ひとりが家に残らなければならない。家族間には戦争が起こり、命の危機がやってくる。

ひとは自分の信じるものについて語る時、なんて恍惚とした表情をするのだろう。しかしそれはまだ“信じようとする”≠“信じる”の段階だ。“信じようとする”=“信じることを決意する”になると苦しい、信じると決めてからが苦しい。信じ続けることは難しく、辛い。ひたすら孤独との闘いになる。自分がいちばん理解し信じていると思っている対象は、他者にとっては何の価値も持たず、理解出来ないものだからだ。

だからこそ排他的になる。寛容さを持たなくなる。非常に危うい。自分の命を賭ける価値があるものは、他者にとっては「薄汚いもの」かも知れない。

落とし穴なのは、対象がアイドル、テーマパーク、グッズで展開されていた序盤はまだ笑えるのです(身につまされるけどな…)。ところがそこに『ザ・キャラクター』でもキーワードになっていたあの“書道教室”が出て来る。やんやと湧いていた場の空気が凍ったように静かになりました。観客の皆が『ザ・キャラクター』を観ている筈はないのですが、娘に指示を出している人物がただならぬものだ、と言うのを伝える演者と演出は見事でした。ここから家族はどんどん不穏な方向に転がっていきます。家族がそれぞれ信じるものは神と言っていい存在なのかも知れません。それが宿る対象が宗教でもアイドルでもテーマパークでもグッズでも、側面としてはそう変わりはないのです。紙一重の恐ろしさを感じさせる展開でした。

そしてそこには家族のありよう(この「ありよう」の台詞が勘三郎さんから出て来なくて、野田さんがやれやれって感じで教えてたんだけど、それがもう長年つれそった夫婦のようなやりとりになってたのでウケつつ感動した)も浮かび上がります。妻は夫を「大嫌い」だった。夫は妻が妊娠した時「どうしよう」と言い、姑は跡継ぎになる男子ではないと判った孫を「堕ろせ」と言った。娘は母親だけに祝福されて生まれてきた。「何一つ信じられるものが、ここにはない」。

ここから家族はまた何を“信じようとする”=“信じることを決意する”かを迫られる訳です。誰でもいい、自分を救ってくれるならば。そしてその扉を開けたのは泥棒でした。なんたる皮肉。そして滑稽。神さまはやっぱり人間を玩具としか思ってないよねー。反面、自分を救ってくれるのなら誰だっていい、誰か、誰か、と求める人間の欲にもアホ程笑い、アホ程絶望しました。

爆笑と戦慄のジェットコースター。野田さんと勘三郎さんがガチンコですもの、どこ迄アドリブか判らんよ…台詞も前後してそうだし(笑)。でもそういうところすらも魅せてしまうのは流石です。黒木さんも声がいい、動きがいい。Wキャストの太田さんはどんななのかな、観たかったな。

それにしても野田さん、おばちゃんとかおばーちゃんとかやるとホンットハマりますね。プログラムで勘三郎さんが「歌舞伎の女形として招きたい」と言ってましたけどホントにもう…『THE BEE』での母親役でも同じ動作があったけど、倒れているこどもの身体(特に脚)をさする動作がすごく胸に迫るんですよね。薬もない、治療も出来ない状況で、目の前で自分のこどもが死にかけている時する動作と言ったらやっぱり身体をなでる、さするんだろうな…それしかないよな……と言う。

『THE BEE』と言えば、セピア調の照明使いも共通していました。あれ肌色がものすごく気持ちの悪い色になるんだよね。異常な環境を示すものとして非常に効果的。ラストシーンの、外部から家に入って来る光も素晴らしかったです。