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2010年03月19日(金)
『ハート・ロッカー』

『ハート・ロッカー』@新宿武蔵野館 1

アカデミー賞受賞作品ですが、決して皆で楽しく観られる内容ではなさそうなのでそんなにロングランはしないかも、早めに行っとこうと週末のレイトと言う「仕事疲れがいちばんたまっていて、導入がヌルいと即寝てしまうコース」で観たのですが、眠くなる暇もありませんでした……。よかったとも面白かったとも感動したとも言い難い、しかし記憶にグッサリ刺さって忘れられない映画になりました。

キャスリン・ビグロー監督は『ストレンジ・デイズ』を撮ったひと、として記憶していました。個人的にはとても好きな映画。ラストシーンの2000年を迎えた街の光景がとにかく素晴らしく(話のツッコミどころはこれでチャラに出来る!)、ジュリエット・ルイスやスカンク・アナンシーがド迫力の歌を聴かせるライヴシーン(サントラも名盤!)、アンジェラ・バセットのちょう男ットコ前のアクションシーンと見どころも盛り沢山。そ・し・て!レイフ・ファインズがアクションものを!ワイルドなファッションに包まれたその中身はヘタレ!と言う新境地(笑)を見せてくれた作品でもありました。そう、これはアンジェラがナイトでレイフが姫のお話だったのです(妄想入ってきた)。いやーこんなレイフ、これ以前にもこれ以降にも観たことない。有難うビグロー監督!

で、今回キャストを前面に押し出した宣伝ってしてませんでしたよね。なので公開近くなってファインズさんが出てると知ってビックリ、しかもガイ・ピアースもデヴィッド・モースも出ている。えー!?となって俄然観に行く気になった訳です(そんな理由…)。以下ネタバレあります、未見の方はご注意を。

あのじさんが「キャスト押しにすると誰が死ぬかわかっちゃうからじゃない?」と言っていて、蓋を開けてみればその通りだった。冒頭10分程でガイ・ピアースが……あああ。予告編でもポスターでも使われている爆発のシーン、防護服を着て走っているのは彼だったんですね。と言う訳でええーと言う間にピアースがいなくなりました…いやーしかしほんのちょっとのシーンだったのに、彼が班の中でどんな役割を果たしていたか、部下たちにどんな態度で接していたかがよく伝わるものでした、流石。そしてファインズさんも…いやでもファインズさんはああなるとは思ってなくて、ガーンとなった!これは後で詳しく(笑)。モースはベラベラベラッとまくしたてるアホッぽい軍人のお偉いさんで、最初彼だと気付かなかった!お見事。

キャスト押しにしていなかった理由はもうひとつ、スターではない役者(ジェレミー・レナーごめん、でもこの作品で彼はスターになるのかも)が戦場中毒の人物を演じることで、この作品をフィクションとしては観られない――ひとごととは思えないものにする意味合いもあったようにも思いました。レナー演じるジェームズは戦場中毒であり、死ぬかもしれない中毒でもある。そして恐ろしいのは、注意深く観ていないと、それが狂気だとこちらに伝わらない程に自然なのです。彼のとっている行動が自然に見えてしまい、普通に納得してしまう。赴任してきた当初は部屋で爆音のミニストリーをかけているものの、新しい同僚への挨拶と、先任への悼みの言葉は誠実そのもの。仕事は確実にこなす、腕も確か。しかし何かがおかしい。爆発物のある地点へ躊躇もせず踏み込んで行く、危険な場所で防護服を脱ぐ、作業中に無線を断つ。

ところが、その一連の行動がだんだん「ん?おかしくないかも?自然なことかも?」と感じられてくるのです。防護服を着ていると作業しづらい。暑いし、動きづらい。ああ脱いじゃうよね。だいたいそんなん着てても着てなくても近くで爆発が起これば一緒だもんね。それなら脱いで確実に作業した方がいい。無線も爆発物を処理すると言うとても集中力を必要とする時に聴いてられるか、うるさいし、邪魔だ。しかし、そう思えてしまうためには、何かがすっぽり抜け落ちているのだ。それは何か?死ぬことに対する恐怖感だ。

あーこれを観て「ジェームズかっけー」とか思っちゃうひともいるんだろうな。確かに彼の仕事っぷりは感嘆する程です。しかしその背後に、彼の心がすっかり死に対して麻痺しているところ、そしてそれが高じて、死ぬかもしれない状況に常に自分を置いておきたいと言う中毒症状が見てとれるところが恐ろしいのです。任務を終え帰国した彼の家には、夫の帰りを待っている妻(ジェームズは「離婚したが、家にいる」と言っている)と幼いこどもがいる。妻とスーパーに買い物に行き、家ではこどもをかわいがる。ごくごく穏やかで幸せそうな風景だ。このシーンの、レナーの繊細な演技がまた素晴らしい。だからこそ、続くラストシーンが余韻の残るものになる。彼は、そんな生活がものたりないとでも言いたげに、なんだかんだと理由をつけてまた戦場へ出かけて行くのだ。負のループだ。

エルドリッジとかはまだまともなんだよね…かなり追い詰められているけど、医者に自分の精神状態を相談しているし、持久戦に持ち込まれた戦闘でおびえるさまも「おかしくない」ように映る。んーとややこしいな、この状況では「おかしくなる」ことが「まとも」=「おかしくない」ってことです。反面この時のジェームズは、目や口に虫が入ってもおかまいなしで淡々と敵情を観察している。その様子は「おかしい」が、いつ銃弾が飛んでくるか判らない状況で集中力を切らせないでいられる=平常心=「まとも」。となると「おかしい」=「まとも」。しかも受け取ったドリンクを先にサンボーンに飲ませる気配りを見せるんだよね…こういう「まともさ」が残っているので、ますます「ん?おかしくないかも?このひとまともかも?」と思わせられてしまうのです。しかしこれをまともだと思ったらかなりマズい。ジェームズは死に対してとことん無頓着。そしてその死は自分の死に関してだけなのだ。大怪我をして赴任先を離れることになったエルドリッジは、悪態をついているけどちょっと嬉しそうだった。自分の身体はだいなしになったけれど、ここから離れられる。怪我を負わせてくれて有難う、とも言いたげだ。それが一瞬表情に出る。これは「まとも」に見える。

この「人間としてのまともさ」がだんだん判らなくなっていくのが怖い。

人間爆弾に改造され損なって死んだこどもが親しくしていたイラクの少年に似ていて、その後ジェームズが取り乱すところがあるんだけど、そのシーンで「あ、まだ麻痺しきってない、彼は大丈夫かも」と思わせられたのも皮肉な話だ。あの状況ではまともでいない方がいいのだ。戦場に人間らしさなど必要がない。戦争は人間を人間でいられなくする。

余計なことを言わない台詞もよかった。サンボーンは何故こどもがほしいのか、それもおとこの子を、そして何故それがもう無理だと思うのか。ジェームズの「ひとつだけ残っている大事なもの」は何なのか。こういうところって、脚本家がうっかり筆を滑らせてその理由や根拠を書いてしまいたくなる見せ場でもあると思う。それが一切なかった。理由や根拠を詠うことで納得させられる程、それはイージーなものではない。声高に戦争反対を叫ぶよりも恐ろしく、戦争への嫌悪を突きつける作品でした。

ジェームズ役のレナーはホントすごかったな…顔見て思い出した、『ジェシー・ジェームズの暗殺』に出ていて「ジョシュ・オムに似てるなあ」と思ったひとだったわ。『ジェシー〜』ではそんなに出番多くないのに印象的だったんだよなあ…いやあ…すごかった……他の出演作も観てみたい。

さてファインズさんですが、目!目でわかった、目で!リネさんが声で判ったと言っていたので、ああじゃあパッと見判らないんだな…変装?ヨゴレ?とかってすっごいアンテナ張って探してて…私もあとちょっと出てくるの遅かったらバッテリー切れてたかも(笑)。ターバンぐるぐるで、目だけ出してたんだけど、ん、これ?これか?青い瞳!と思ったのも束の間、両腕がすっごい日灼けしてたんであれ?レイフこんな腕の色だっけ?いや『ナイロビの蜂』でもこれくらい灼けてたっけ?そういやあれも砂漠だったなあなんて思ってしばらくひとりでオロオロする。その後声を聴いて「まーちがーいなーい!」と安心(バカ)。そんでまあまたいやーんこんなレイフはじめてー!てなお調子者っぽいと言うかチャキチャキと言うかな役で、有難うビグロー監督と頭を下げたくなりました。銃撃戦になったらなんかヒャッホーイとでも言いそうな感じでしたよね…お、オモロい……。そしてターバン巻いた姿は『ロレンス 1918』以来で、コスチュームプレイ的な面でも楽しかった。楽しい時間は一瞬で終わったが。人間ってあっけなく死ぬね……。直前迄アヒャーイとか言ってたのにね…(言ってません)。そんな訳でファインズさん的にも見どころ満載でした。

と、面白おかしい感じで〆ないとやりきれない程に重い内容ですが、戦争反対のメッセージが濃密に込められている作品です、観るか観ないかで言ったら絶対観た方がいい。

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追記:その後これを読んであああそうなのかあ!と思いました。「アメリカがやるべき後始末」…。しかし主人公が戦争中毒(あーでも戦争だとニュアンスが違うか、戦場中毒か)だ、と言う印象は変わらないな…日常生活を送れない状態になっている描写から。あの場所にしか彼は身を置き続けられない。
・町山智浩×宇多丸 『ハート・ロッカー』 まとめ - Togetter
それにしてもミニストリーの曲の歌詞の解釈がアカデミー賞会員に伝わっていないだろう、と言うのは皮肉な話だな。だからこそ受賞出来たと言うことも