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2007年10月08日(月)
『その夜の侍』

THE SHAMPOO HAT『その夜の侍』@ザ・スズナリ

ああー、ぶっとばされた。これはシャンプーハットにしか出来ないな。あかほり(敬称略が敬称)にしか書けないな。罪の意識のない加害者と、時間のとまった被害者と、復讐の連鎖の断ち方と。いや、連鎖にはなっていない。何故なら加害者には罪の意識がなく、執着もないのだから。こんなやりきれなさを抱えて、ひとは「なんとなく生き」ていくしかないのか。

それでも希望の芽をそっと置いておく。その希望は小さな、些細なもので、またちょっとしたきっかけで失われてしまいそうなことだ。他人から無理矢理もぎとられることもあるだろう。そんな思いをするのはもう沢山だ。しかし、それでも生きていくのなら、希望がなければ。これはあかほりの覚悟なんだ。ここ迄書き切るのに、いったい何があったんだろうと思わずにはいられなかった。役者として前面に立ったことも含め、だ。

変化はもうひとつあって、今回珍しくワンシチュエーションではなかった。場がどんどん変わる。部屋を出て行く。屋外のシーンも多い。それを“場面転換なし”で描いた演出も鋭い。それぞれのシーンに必要な家具や小道具は殆ど舞台上に置きっぱなし。しかし屋外のシーンにすら違和感がないのだ。これ迄ワンシチュエーションで描き切るストーリー、そして“一室”の場作りが強固な演出(小道具ひとつ、散らばったゴミの位置にすら拘りがある等)のイメージが強かっただけに驚いたし、そこから離れた今回のストーリーに、新しい試みの(と思われる)演出が見事に機能していることにもただただ感嘆。

死んだひとは決して戻らない。それは物理的にひとが死んだ、と言うだけでなく、そのひとと話した他愛のないことや、中身のないどうでもいいことの数々が二度と戻らないと言うことだ。3年とどまった健一が留守電のメッセージを消去した後、彼はどう生きていくのか。多分、「なんとなく生き」ていくんだ。その「なんとなく」には、他の誰かが関わることがあってほしい、介入を許してほしい、ただただそう思う。

気になることがひとつだけある。赤堀さんのブログを読んでいるとあることに気付く。ある時点から書かれなくなっていることがある。「自分のためにはもう頑張れない」という言葉がひっかかる。今回のストーリーが、全てフィクションであることを願うばかりです。杞憂に終わってほしい。シャンプーハットの次回公演は来年10月、外部の作・演出仕事が来年3月に1本決まっている。赤堀さんがこれから何を書いていくのか楽しみだし、観続けていきたい。

だからこそ、劇場を出た外で談笑している出演者を見てホッとした…千秋楽だったからね。皆さん私服はかわいくて似合ってるしね。赤堀さんって衣裳の選択眼がすっっっっっごく鋭いよなー!以前衣裳について細かく指示入れる話をしてたけど、ホント絶妙だ。なんとなーく生きてる、冴えないひとが着るもの。生活に密着している、そのひとを表す服。

あーあかほりのことを書くとどうしてこうポエムになるんだ!(恥)でも彼の書くものの前では、自分を取り繕ったりごまかしたりしてはいけないんだ。まっすぐ向き合うしかない。

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いやもう打ちのめされちゃって帰り道は無言になりがち、口を開けば唸ってばかりだったんだけど(すんません…)、そんな中話した共通の友人の結婚式にカート・コバーン名義で電報を打つ話がもうツボでツボで(笑)しかもそのお祝い文がウィットに富み過ぎで腹がよじれた。楽しかった…。私は誰名義で電報打てばいいかな!マリリンマンソンですか!ラムシュタインの衣裳で式をあげればよい。血まみれコックさんとか呼べばいいじゃない。

あーこういう他愛のない話を憶えておきたいものです。絶対忘れたくないなー!それが役に立つか立たないかなんてどうでもいい。