浅間日記

2004年06月30日(水) 流通の話

自分が梅干などにチャレンジしたものだから、
梅の木に実が大きく熟れて残っているのを見ると、
ものすごくもったいなく見えてしまう。
「お宅のあれを、私に漬けさせてください」と乗り込みたくなる。
調子のいいことサザエさんの如しである。

市場では、キロあたり800〜1000円近くで売られているものが、
100m先の庭先で放置され、道端にボタボタ落ちているのも不思議な感じだ。
遺体が流れる横で人々が沐浴をするガンジス河のように、
時間や場所の巡り合わせによる、命の色々な在り様が混在する。



銀行窓口に預金を引きおろしに行ったら、五千円札については、
新貨幣の発行が近く流通量が少ないため、新札の用意ができないと言われた。
一葉の新5千円札の登場も11月を目処と、間近のようだ。

また新紙幣には色々なしかけがしてあって、かなり高級仕様である。
紙幣とは製造コストが製品の価格に反映されない、不思議な製造物だ。
「旧紙幣は偽造されやすいから8掛けで流通」というふうにはならないのだろうか。



2004年06月29日(火) 三種の神器無用論

あちこち奔走。
大学の売店を物色。
専門書を容易に入手できる場所がこんな近くにあったことを忘れていた。
街の本屋へ出るより早く、便利至極である。何冊か購入。



参議院選挙立候補者のウェブサイトの更新は、
ほとんど止まっているらしい。
これは、ウェブサイトの更新行為が、公職選挙法で頒布を制限している「文書図画」にあたるためだ。
管轄の総務省によると、セキュリティ上の問題などを理由として、
選挙活動におけるウェブサイト解禁のめどは立っていない。

調べてみると、既に3年も4年も前から議論にはなっているようだ。
各政党や候補者のサイトの中には、
できるだけ鮮度の高い情報を多くアップしておこうと、
公示日直前に駆け込み更新した形跡もみられる。

この法改正が待ったをかけられているのは、
ウェブサイトのように双方向性があり、不特定多数の人間が同時に閲覧する場での
選挙の戦い方が、政治家先生に未だ整っていないので、法改正はだめだ、
という理屈なのだろうか。

「俺はグーしか出せないからパーは出すな」というルールでは、
もはやそれをジャンケンとはいわない。
投票者である国民にとってインターネットは既に成熟した情報源であり、
選挙に関する情報を得たいというニーズは当然のものだと思う。
投票者の利便性をないがしろにして、候補者の都合、
しかも選挙戦略などを優先する選挙で、
投票率が低いのも当然なんである。

あのうるさいだけの選挙カーと、
街中にあふれかえるポスターと、
人の時間に勝手に割り込んでくる電話なんかが、
候補者選びに一体何の役にたつと思っているのだろうか。

だいたい投票の「お願い」なんかされても困るのである。
選挙を、政治家の人気投票と勘違いしていやしないか。

バスクでテロのあった後の、スペインの選挙結果と、
その後の対イラク政策を思い出す。
あの事件の真偽は今でも定かでないということは差し引いても、
今回の選挙は、国民の、そういう決断を迫られている選挙なのだ。



2004年06月28日(月)

かさのかぶった月が出ている。
窓からぼんやり見える。

明日は雨か。



2004年06月27日(日) berry berry and berry

山の家にたどり着いた時には、既にそこらじゅうが
スグリの甘い匂いでいっぱいだった。

先客である父母への挨拶もそこそこに、熟れ具合を確認しにいく。
透き通った、ドロップのような桃色の果実を口にすると、
独特のノスタルジックな香りが広がる。

次に確認すべきは、ヤマグワの実。
たっぷりと実をつけ、枝が垂れ下がっている。
他の虫や生き物にも等しくチャンスが与えられているから、
先客が手をつけていないか注意して口に入れる。
この桑の実は、ジャムにすると生食とは違う風味に変身し、
パンケーキとの相性は抜群だ。肉のソースとしても大変よい。

畑の端にあるグミ(おそらくナワシログミ)の実は、
宝石のように朱色の光沢豊かな実を、
さくらんぼのようにこれ又たわわに実らせている。
しかしよく熟していなければ大変渋みがある。

Aは平気な顔をして6つも7つも食べていて、
一体この人の味覚はどうなっているのかしらと思う。
初めての試みで、今年はホワイトリカーに漬けてみる。

足元には真っ赤な蛇苺。鮮やかな赤が初夏の若草に映える。
しかしこれは観賞のみであり、残念ながら食べられない。
イチゴについては、もう少し時期を待って登場する
キイチゴかクマイチゴを楽しみにすることにしよう。

春先に植えられた当初には、
「こんな土地にないもの植えて」とぶつぶつ言ったことを忘れ、
僅かに実をつけたブルーベリーを口にして、
うん、美味いわこれ、などと都合のいいことを言う。

山の植物は結実の季節を迎えている。
みずみずしく、香りがよく、適度な酸味が特徴的で、
食用に改良される前の原始的な果実の味が楽しめる。
採っては食べ、食べては採り、という作業もまた楽しい。

だからここしばらくの間、植物図鑑に
「初夏に結実、実は可食」と書いてある潅木類は、要チェックなのである。



2004年06月26日(土) 美しい親子

エンピツ日記の水沙さんは、このところ思い悩んでいる。
友達どうしで遊びたい年頃になった息子の海渡君を、
一人でやっていいものかどうかということについてだ。
他の子について一緒に遊べるかどうか、
一人で帰ってこられるかどうか、
怪我や事故などないかどうか。

こういう心配をする理由には、
海渡君がダウン症という特徴をもっていることがある。

WEB日記の読み方というのは様々な方向があり、そのことに
特別な法則や決め事などはないのだけれど、
一つの日記を継続的に読んでいると、
一つ一つがどんなにささやかで平凡な一日の記録だったとしても
それはその人のある種の生き方や考え方に基づいて成されている、
ということが、だんだんと見えてくるように思う。

全くの偶然で目にしたこの「海渡の風景」という日記に対して、
少なくとも私はそう思っている。
平凡でありドラマティックである海渡君の生活記録には、
水沙さんのしっかりとした子どもへの眼差しが綴られている。

「海渡の風景」では、
海渡君の素敵で面白い行動や言葉が綴られている。
成長に伴う発達の記録、小学校などでの周囲の手助けへの感謝の思い、
また障害をもった子への理不尽なふるまいに対する毅然とした抗議。
そしてしばしば、「海渡はニコニコして」とか「嬉しそうに」とか、
彼の幸せそうな様子が綴られる。「海渡の風景」の中で海渡君は本当によく笑う。
海渡君は水沙さんを信頼し、子として満たされているのがよくわかる。
そのことは、読者である私をも優しい気持ちにさせてくれるのである。

生まれながらにして障害のある子どもを育てるということは、
−ここに紹介する以上、恐るおそる自分の言葉をもたねばならないのだが−
産んだ瞬間から、我が子の、あるシリアスな特徴に対峙し、
不安と困惑の中から、親として子として共に生きていく意志を
通常よりも意識的に積み重ねていく部分が、あるのではないかと思う。

上手く表現できないけれど、
親としての強さや、親子や家族の関係の豊かさは、
そうした大変な苦労の中で確実につくられているのだな、と、
この日記から思うのである。



佐世保の事件の後で、「育てやすい子」というキーワードが
週刊誌などに登場しているようだけれど、どんな人間でも秀でた部分と
足りない部分があり、その中で生きている。人間は、工業製品ではないのだ。

そして秀でた部分と足りない部分を、そっくりそのまま受け容れることが
親心である。
「育てやすい子を産みたい」というのは、親心というよりも、
より便利なものを追い求める消費者の気持ちであり、
子どもにとってはさぞつらい境遇だろうと思う。



水沙さんの日記への、言葉の追いつかない思いを
補足してくれる文献があったので引用する。
−解きかけの方程式の、解答を見てしまった気持ちである。

(野村庄吾著「乳幼児の世界 -心の発達-」(岩波新書)後書き 以下引用)

「子育てはたしかに楽しいことも多いが、それだけでないものがどうしても残

ります。赤ちゃんでも大きくなれば、本書で述べてきましたように、いつまで

も親の意のままになるペットではありません。いろいろの家庭や社会の矛盾が

そのなかに噴き出てもきます。子どもがとくに障害をもつ場合の心身ともに苦

しい育児は、他の人の想像を絶するものがあります。このような苦しみの中に

も、育児を放棄せず、あらゆる発達の可能性を追求していく親たちのたたかい

の姿があります。このような親を前にして、楽しい子育ての面だけを強調する

きにはなりません。しかし、誤解をおそれずにいいますと、そんな場合でも、

これを乗りきっていくとき、あるいは他の親では気付かないような我が子の発

達を少しでも見出したときは、普通の育児では知りえない深い人間観に根ざす

親の喜びを知るといわれます。そんな親の姿に私たちも学んでいく必要がある

と思います。」



2004年06月25日(金) メニューに食べたいものがない食堂

参議院議員選挙に向けた話題が増えてくる。

「選挙区選挙」として実施される参議院では、
都道府県で○人という議席配分がなされている。

現行制度では、この議席配分が人口比率に対応していないため、
1票の重みに格差ができてしまう。
2001年の参院選では、東京都と鳥取県での格差は1:5.06であるそうだ。

このことは、憲法のいう「法の下の平等」に違反する可能性がある、
といわれているらしい。
経済同友会のサイトで詳しく説明されている。

もう少し具体的な不公平感を想像すれば、
都市部の有権者の意見が反映されにくい構造、ということだろう。

もしくは、「落選した自分より得票数が少ないのに、
議員バッジをつけて永田町を闊歩している人がいる」、
というセンセイの不満もあるのだろうか。



選挙区選挙というのは、レストランのプリフィクスメニュー、
和風に言えば日替わり定食のようなものだから、
食べたくないものが含まれている場合があるし、
食べたいものが含まれていない場合がある。
つまり、完全なる選択は望めない、という訳である。

正直な話、所詮プリフィクスメニューで、
1票の格差も何もないんじゃないのか、と思う。

新鮮な魚が食べたければ、北海道から九州、沖縄まで
ネットでベストな産地を選び、翌日には採れたてが届く時代だ。

国会議員だって、環境問題やイラク問題、年金など、
国民が共有している問題に対しベストな国策が実現できる人を、
全国の候補者のなかから選びたい。
それが国政選挙に対する国民のモチベーションだと思う。

なのに、オールジャパンでの選択の自由がない選挙区選挙というものは、
峠ひとつ超えれば言葉も習慣も異なる他国であった時代の、
過去の遺物としか言いようがない。

有権者になって間もない20代の若者達の多くは、
「オラ方の○○センセイをぜひ中央へ」などとは
絶対に志向しない。

投票率が下がるのも、当たり前なんである。

しかし投票は国民の義務であり、
選挙制度には不満と疑問があるけれど、
メニューに食べたいものがないレストランを避けるように
選挙に市場の論理を働かせては、自分の首をしめるだけだ。

投票日まで、自分に言い聞かせなければならない。



2004年06月24日(木) お世継ぎを!その2

2003年の合計特殊出生率の集計値を
年金法成立の12日前に把握していたとのニュース。

合計特殊出生率とは、
一人の女性が一生に産む子どもの数の平均を示す数値で、
2003年の統計値では1.29なのだそうだ。

計算値が狂うだろう、という言い分なのだと思うが、
年金問題についてはそれ以前の問題が多すぎであり、
年金を計算する上での出生率の多少の違いなど、
もうどうでもよいのではないかと、乱暴に考える。

それよりも「年金」という文字と「出生」という文字を
新聞記事などで併記しないでほしい、と、
個人的にはそこのところに筋違いの不満を抱く。
次世代に甘える卑しい概念だ。

子どもがどれだけ増えるか減るかなんて、
年金と同じぐらいあてにならないものだし、
問題は国民の数ではない、質だ。

国民の質にかかわる問題、つまり健康と教育と福祉の政策は、
やればまあいいんじゃないの、というヌルいレベルではなくなっている。

健康と教育と福祉が「満たされて当然」であった幸せな時代はとうに過ぎ、
意図的に作っていかなければ、深刻な社会問題を引き起こす。
ここ数ヶ月間のうちに嫌というほど見聞きした子どもや親子に関する陰惨な事件も、その一つである。

日本という国全体がぐらつき、社会の信頼感が危機に瀕する。
次々に起きる陰惨な事件に追われるようにして
国民を家畜のように服従させようとするような法律をつくっても、
国民の質は向上しない。
政治に新しい認識とセンスが、待ったなしで必要だ。

次世代に年金をせびる前に、やることは山積みである。



2004年06月23日(水) 疲弊

夏風邪を引いてAが発熱。めずらしいことだ。
2日間みっちり付き合い、過ごす。

子どもと正面から向き合うことは、仕事とは違う疲弊感だ。

という訳で、ぐったりしている。




2004年06月20日(日) いい塩梅だ

6月に入るとこの辺りの女たちは
とりつかれたように梅の加工に邁進する。

物資の行き届かない山国であった頃の遺産なのか、
梅に限らず、保存食づくりには強迫的な気風さえ感じる。
我が家もこの気運にお相伴すべく、5kgほど仕入れる。

青い梅は、Aのジュース用。
青梅は梅酒が通例だったが、譲歩することにした。
煮沸したビンに青梅と蜂蜜とりんご酢を入れ、
きっちり蓋をする。お楽しみは2ヶ月後。
Aは自分用というのが嬉しいらしく、
始終、中の様子を検査している。

次に、黄色く熟した南高梅を、塩漬けにする。
梅、塩、梅、塩、と順に重ねていく。
最期に全量の四分の一ぐらいの塩で蓋をして、
Hの運動用の鉄アレイを重しに乗せて、完了。

天日干しを開始する土用の日まで、
梅にカビが生えないように、
きれいな梅酢があがってくるようにと心血を注ぐ信州人は、
6月20日の今日現在、相当数存在すると思われる。

こういう季節限定の加工業務は、
日々の暮らしに追われる中で、年や季節のスパンで物事を考え
気持ちを安定させるきっかけになるのだ。

だから、「梅漬けは面倒だけれど、やらないとその年はずっと落ち着かない」
という女たちの会話が、
この街のここそこで聞かれるのである。



2004年06月19日(土) 草刈り多国籍軍

イラク自衛隊多国籍軍参加を決定。
愛読させていただいている「JIROの独断的日記」でも、
憲法前文とあわせて詳細を書かれていた。

この方のタイトルにある「独断的」というのはご本人の謙遜かご愛嬌で、
事実の積み重ねから理論的に意見を述べる、
まことに正統派の時事社会日記である。
小泉首相の一連の「独断的なふるまい」のようなものとは違うのである。



地元の新聞では、今月9日のG8首脳会議の際に撮影された
ブッシュ大統領と小泉首相の2ショットとともに報じられている。
私の嫌悪するところの、職務上ホモの匂いがぷんぷんする。
プレスの前ぐらい、ネクタイを締めろといいたい。



そんな瑣末なことはよいとして、多国籍軍参加については、
方向性と決定プロセスの両面で、違和感を感じている。

しかしそれを上回る、違和感以上のものを感じさせるのが、
「(多国籍軍に参加していないと)、
治安が悪化し他国が撤退するときに、
暫定政権から自衛他は残ってくれと頼まれかねない」
という、撤退を探る計算が外務省にあるらしいことだ。

あちらが出るから我が方も仕方なく、
できるだけ形式的に負担のないように、というのなら、
明日うちのまわりで行われる、町内会の草刈りと全然変わりない。

一国で判断し動けない事情とは、一体どういうことか。
そんな国際政治上の軋轢が本当にあるのか。
日本は自らそういう役どころに身を置いてしまっているのではないか。

よくわからないことだらけである。



2004年06月18日(金) 東大の壁

養老孟司を酒の肴に、Hと深酒。一昨日前のことだ。

「唯脳論」「バカの壁」以降続く氏の著作は、
エッセイであり「主観の入った科学読み物」である。

養老本人も「大学のしがらみから解放されてはじめて書けた」
と述べているとおり、
なぜ養老孟司は、リタイア後にしかこういうエッセイを書けなかったのか。

Hの意見は、
科学者とスポーツ選手は「真理の追求」をモチベーションにするから、
そこに主観を交えたり、また人に平易に教えたりすることは
邪道とされるのだろう、というもの。

しかし中田英寿などは、第一線でありながら東ハトの経営に参画し、
自分の専門であるサッカーで得た経験でもって
確実に会社の企業文化や経営戦略を変えている。

養老孟司の良し悪し、賛否両論は別として、
養老のいう「自分ではない、本物の脳科学者」が、ネイチャーやサイエンスなど
一流学術誌に発表する論文や著書よりも、
「バカの壁」がはるかに多くの人に読まれ、
現代の市井の人々の心を揺さぶったことは事実である。
こういうことを、一般読者はともかく
科学者達は、あまり馬鹿にしてはいけないと思う。

とりわけ自然科学の分野においては、
色々な専門分野の研究開発というものが、
人の生き方や価値観に与える影響は大きく、
「人間自身の取り扱い説明書」のような働きを示す。

だから研究者は、研究内容が最先端であればあるほど、
大学や研究機関から普通の人々へ向けて情報発信し、
経済や政治の作用に拮抗する「科学の力」として、
存在していてほしいのである。



全く蛇足であるが、Hと会話を切り上げるとき、
きみの場合は岩ばかり登っているから「壁のバカ」だね、
と言ったら、すごく嬉しそうに喜んでいた。やれやれ。



2004年06月17日(木) 珍プレー好プレー

第159回通常国会が終了。
終了したことを、正月を迎えたかのごとく喜ぶ首相の有様は、
国会がもはや、議論をする機関として機能せず、
議題スルーの場になっていることを明らかにしている。
議会じゃなくて、ただの「会」。議員じゃなくて「員」だ。

それは冗談として、
終わった国会を検証する、ということを、
報道機関はもっと積極的にやっていいのではないか。

野球や相撲なんか、あきれるほど何度も何度も
同じ場面をオンエアするではないか。
首相の失言や、議論を回避する態度なんか、もう
珍プレー好プレーのごとく、100回ぐらい映像を流して、
その政治家としての資質を問うてもらいたいものだ。




2004年06月15日(火) 夢を見ない不安

河合隼雄と村上春樹の対談集の中で、
「自分は夢を見ない」という村上に対し、河合は、
「内心を表現する小説家という職業にあれば、
夢を見ないのは当然でしょう」、と言っていた。

昨今の自分は、なんだかまるで、そんな調子なのである。

子どもと親の関係をよくするための、
ものすごくベタで地味な社会参加をはじめて数ヶ月たち、
ここ2、3日はそれに追われている。

現実社会の中で自分が動くことによって、
ローカルな社会でのささやかな成果があがるので、
どうもネガ毒が出てこない。
ネガ毒こそ、この日記の最大の特徴であり魅力であると自負しているのに。
たるんどると言われそうである。

こういう地域貢献活動で充実感を得ていいのか、という心配もちょっとある。
「いいことをしているのだからいいのだ」というのは、何よりも嫌いなロジックであるし。
自己犠牲と自己実現のバランスを慎重にとりながら、
客観性を見失わないように、匍匐前進しているのである。



2004年06月14日(月) 三菱ブランドの夏大根

家主のKさんはもうリタイアされて長いらしいが、本当によく働く。
早朝の新聞配達に始まり、3つか4つある畑の仕事、
地域の神社の管理などなど、とにかくいつも身体を動かしている。

私達が住む借家のメンテナンスも仕事の一つらしく、
知らない間に屋根のペンキが塗りかえられていたり、
植木が剪定されていたり、端午の節句や正月の時は
お飾りが玄関に飾られていたりする。
まさに、店子といえば子も同然な状態として、
時々配給される野菜とともに、有り難く享受させていただいている。

今日のKさんは、夏大根の間引きをしたその足で、
我が家の床暖房のヒーターを、
−20年前のものが故障し、メーカーも私もすっかりあきらめていたのだが−
何度目かのトライでついに直してしまった。

Kさんは現役時代、三菱自動車系列の工場で整備士をしていたので、
仕事をするときはいつも、「MITSUBISHI」と文字の入った
年季もののつなぎを着ている。

マダムKに聞くところによると、Kさんは
洗濯機でも何でも、たいていの機械は自分で直してしまうのだそうだ。
あせらず、絶対にあきらめず、原因を突き止める姿勢に頭が下がる。

というわけで、私にとっての三菱ブランドは、どうあっても
Kさんのつなぎの背中にある「MITSUBISHI」であり、
あの忌まわしいリコール放置をした会社とは無関係に存在し得るのだった。

また、Kさんが手塩にかけた夏大根が大変美味であったことは
言うまでもない。



2004年06月13日(日) テレビ市場開放

地上波デジタル放送の大きな特徴は、
番組編成権が放送局から視聴者へ移ることだ、と
確か昨年のGISカンファレンスの講演で聞いた。

確か聞いたなどとうろ覚えの情報でモノを言ってはいけないが、
別に地上波デジタル放送を待たずとも、
パソコンや映像編集ソフトがこれだけ普及し、
ユーザーの映像編成技術がすすみつつあるのだから
テレビ局や番組制作会社というのは、もう無理をせず、
番組制作をやめてしまえばどうかと思う。
別に番組制作会社でなくても、放送に値する内容は素人が作れる時代だ。

公序良俗に反しない内容かどうか、品質に問題はないかなどをチェックする
審査機関をしっかり作り、
誰が放送内容を持ち込んでもよいという、自由市場をつくったらどうか。
賛同するスポンサーも市場開放し、
大企業だけでなく、小資本の企業やNPOが共同体となって
スポンサードできる方法もあるとよい。
別に全てが全国ネットで放映される必要もない。

私はなにかアオ臭いことを言っているのかもしれないと、
ここで不安になってきた。
第一家にテレビもないくせにお笑いである。

しかし、ネットの双方向性や情報の質の高さに慣れてしまうと、
テレビの一方的な情報の垂れ流しは、ただ我慢ならないだけではなく、
技術的に何と稚拙なメディアであることか、と思うのである。




2004年06月11日(金) お世継ぎを!

病床。

少子化問題に関する新聞の記事。

どうも、お世継ぎを!と言われているのは、
雅子妃だけではなく、我々国民もそうなのらしい。

命を迎え、育むための社会基盤や、人間の信頼関係も整わない、
整えられないくせに、人頭税だけ欲しがるとは何事か。
国民の人権を著しく損なう発言だ。



2004年06月10日(木) ヨン様か寅さんか

病床。

「冬のソナタ」という韓国の恋愛ドラマが大流行だそうだけれど、
私は、ヨン様よりも、渥美清演じる車寅次郎の方が好きだな、と
ぼんやり天井を見ながら考えた。

第1巻から3巻ぐらいまでの寅さんは、
何ともいえない色気と艶がある。

生まれるのも一人、死ぬのも一人、
ならば生きるのも一人、という姿勢に弱い自分である。



2004年06月09日(水) 開店休業

高熱で何ともならず。

急ぎのクライアント対応のため
やむなく机に座り電話をかける。
こういうことをしているから
Hにいたわってもらえない。
あたりまえである。



2004年06月08日(火) 星の牧場

昨日帰宅。
依然発熱。が仕事。能率が全然あがらない。

昨日車中で読んだ、「星の牧場」という本。

戦争で記憶を失い、山の牧場へ帰ってきた、「モミイチ」という男の物語。
戦地で失ってしまった持ち馬「ツキスミ」への思慕が痛々しい。
そして美しく幻想的な自然の情景が、このファンタジーの特色である。

モミやツガ、コケモモやなんかが出てくるから、おそらく
舞台は標高2000m以上の亜高山帯から高山帯にあたる場所であろう。
ジプシーとして登場する「山の衆」は、
まあサンカの類を表現しているのであろう。
ジプシーたちは森で、社会から距離をおいた生活をしている。

一人のジプシーの男の言葉。
「おれが、そもそもジプシーになったのも、

人間のさびしさをまぎらわそうとするためであった。

ひととはなれて山のなかをさまよっていることは、そりゃさびしいさ。

しかし、人間てものは、人間と人間といっしょにくらしていても

さびしいもんだから、しょうがねえなあ。

(中略)

おれがオーボエなんてけいこしはじめたのも、

いや、おれだけじゃねえ。ジプシーたちがみんなそろって

笛をふいたりラッパをふいたりするのは、

みんなちからいっぱいためいきをついているみたいなものなのだ。」





物語の後半で、
熱でうなされたモミイチが、愛馬ツキスミを想う場面。

「どこだ どこだ おーい ツキスミ ツキスミ

ツキスミ かわいよな あいたいよ

なあツキスミ 寒いか かあいそうよな。

雨はつらいよな、こらえてよな。ツキスミ おれはあいたいよ

ツキスミどこだ ツキスミつらいよな いつもいつも

いっしょにいたいよな。

モミイチは高熱にあえぎながら、なみだをながしていた。

ツキスミ ツキスミ と口ばしって、なみだがとまらなかった。」


幻聴が聞こえるほど、頭がおかしくなるほど、
誰かを失って悲しいという思いを、私はまだしたことがない。



2004年06月07日(月) 生きていくことを妨げるメディアというもの

テレビを見る。

少女のカッターナイフ殺人事件のニュースを見て驚いた。
例の「学習室」の間取りをはじめとして、
事件当日とほとんど同じ報道内容。

普段テレビを見ない分だけ、
時々目にすると異常さがよくわかる。
メディアは、同じ情報を繰り返しくりかえし垂れ流している。

オウム裁判の時も思ったけれど、
メディアがそういう瑣末な情報を繰り返すことは、
国民の思考をそこから先へいかせないばかりでなく、
社会に対する不安や絶望感を
実際の状況以上に増幅させる装置だ。
ただでさえ痛ましい事件が日々増幅され、
同じような事件の再発生を促しているとさえ言える。
害毒だ。

人の心は、生きていくために
不安や絶望から立ち直る力をもっている。
自分で意識してもしなくても、
そういう方向に向かってゆくものだ。

そのために内省や忘却や慰めは必要であり、
時々刻々と「過去」になってゆく事実が
いつまでもべったりついてまわる必要はない。

つらい事件があっても、何があっても、
私たちは生きていかなければならないし、
生きていれば改変可能な新しい日々が始まるのだ。

少なくとも現代に生きる私たちの人生は、
先の大戦でひどい戦中戦後を味わった世代の、
そうした気持ちによって存在しているはずだ。



大体、件の事件の真相などに至っては、2日3日で
そんな簡単に解明できるはずがない。

事件の瑣末情報を金づるにしてしがみついている輩には
決して真相をみつけることはできないし、まして
このような事件を起こさないようにすることなど、
絶対にできない。



2004年06月06日(日)

ここ数日の、狂気じみた日差しと乾燥にやられてしまって、
やはり発熱した。

が、用事のためやむなく上京。
AはHと留守番。

葛根湯を定量の倍飲むが、
こういうときは焼け石に水である。
所定の熱量を放出しない限りおさまらないし、
無理に抑えようとすると返って長引く。
長年の発熱人生で得た教訓である。
風邪とは、排毒行為なのである。

普段はうんざりするような東京の湿気が、
今日は心地よい。
ミストサウナに入っているような、
湿潤な空気が全身を包む。
乾いた砂漠からオアシスに辿り着いた気分だ。




2004年06月04日(金) 善意のベクトル

午前10時には、もう日差しが殺気を帯びてくる。

東京や大阪のように湿気を含まない分だけ、
「焼かれる」という感じの日差しだ。
全てのものが照射され、風景はハレーションを起こす。

そんな狂気を逃すために、
雑事をこなしながら頭の中でキューバ音楽を流す。
(私の脳内音楽再生装置は、かなり性能がよく、正確に再生される。
少なくとも本人はそう思っている。)

ブエナビスタ・ソシアルクラブとして名高い
イブライム・フェレールとオマーラ・ポルトゥオンドの
デュエット。

伸びやかで艶のあるヴォイスは、生の喜びに満ちている。
生きていること、そして
男であること、女であることを楽しみ味わおうではないか、
と語りかけている。

キューバという国は決して豊かではないし、
政治的にも複雑な過去と現在がある。しかし
政治や経済がどうあろうとも、我々は生きている、という意志を、
今日はこのミュージシャン達を通して、
少しおすそ分けしてもらおうと思う。



Aの通う保育園の会議の日なので、仕事を早めに切り上げ、
子どもの夕飯づくりに園へ行く。

沢山の大人、沢山の子どものざわざわした声を聞きながら、
50人分の飯を炊き、味噌汁を作り、肉を炒める。
子ども達が順々に、夕飯の内容を確認しにくる。

訪れるすべての子どもの名前を呼び、今日のメニューを告げると
子どもは満足して遊びにもどっていく。

夕日のさす厨房でこの慣れない作業をしながら、
こういうコミュニティに属していられる幸せを感じる。

ほんの数年前までは、仕事に追われる日も追われない日も
寝るだけの家にとぼとぼと帰る週末だったことを考えると、
自分は幸せなのだな、と思う。



すっかり熱気が失せ、空気が冷静さを取り戻した夜、家に戻る。

絶えることがない「痛ましい事件」の処理に追われて
X,Yの値が見えなくなっていた善意のベクトルは、
いつしか定位置に回復していた。

世の中の損なわれていることについて具体的に客観的に示すことも大切だが、
こう在りたいという希望と善意のベクトルを示す作業をこそ
例え愚鈍と言われたとしても、自分はやっていきたいものだ、
そういうことのために言葉と文章を使いたいものだ、と
家路をたどりながら思った。



2004年06月03日(木) 誰かのせいにしたい

引き続き、佐世保の事件。

どう考えればよいのか。
「痛ましい事件」というのを自分がどう処理してよいのか
だんだんわからなくなってきた。

●事件の詳細を知り、怒りや悲しみの感情をあらわにする。
●事件の詳細を知り、自分や家族が加害者にならないようにする。
●事件の詳細を知り、自分や家族が被害者にならないようにする。

それだけの人生、
否、そういう要素が流入する人生の
なんとつまらないことか。



結局私は、
罪は罪として罰せられなければならないにせよ、
加害者の子どもに、時代の責任をおしつけたくはないのだ。
また、加害者の親や、校長や教師の個々人を含めて、
誰かの単独犯という安易な結末にしたくないのだ。

罰して規制をしてそれでおしまい、
という単純な問題ではない。
そういう、ガンを切除するような西洋医学的な処置は、
あくまでも当面の措置であって、
世の中は全身症状の改善が必要だ。

この国の犯罪発生システムは、
もう絡まった糸のようになっている。
閉塞的な社会、不況、環境問題、希薄な人間関係、
都市化と人口過密化、数え上げればきりがない。

この因果関係はまるで、
発信者を特定できないファイル交換ソフトのようであり、
筋書きがやりとりされ、痛ましい事件がスパークする。

この国を、子ども達をこんなにしたのは誰か。
政治は健全に機能しているといえるのか。
追求するべきは、ここである。



2004年06月02日(水)

佐世保の小学生による小学生の殺人事件。

整理がつかない。
そんな簡単につけてよいものではない。
ましてや、「次の陰惨な事件」によって
記憶や思考が上書きされるものでは決してない。

被害者の父親であり毎日新聞佐世保支局長である方の、
「子どもの世界のことだから
大人が考えていることとは違うかもしれないけれど、
落ち着いたら話を聞かせてほしい」というコメント。

一連の記者会見は、被害者の父親としてではなく、
報道組織幹部としての顔を貫き通した一幕のようだった。

マスコミの虚構と危険性を知り尽くした故の計算上の振る舞いか、
又は、私情を抑えることが事件の本質を知るために必要との、
血の涙を隠した選択か。

実のところは知る由もないが、
この方の、自ら傷を負いながらも
「話を聞かせてほしい」と働きかける言葉は、

同年代が引き起こし世の中を騒然とさせている事件の経過を、
息をひそめてうかがっている日本中の多くの子ども達へ、
とても意味のある大人からのメッセージとして届いていると私は思う。

上手く表現できないが、そう思う。


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