幸せ記録帳
涼香



 言葉

今でもときどき思うことなんだけど、言葉が怖くなるときがある。
自分の思いですら、言葉に出来ないことが多いから、相手の言葉なんてもっと理解できてないんじゃないかって思う。
同じように、相手にも、自分の言葉って伝わってないよなって思うことも多い。

自分の中に、これだけは譲れないとかっていうのも、うまく言葉に出来ないから、結局うまくまるめこんだような形になってしまったり、逆にまるめこまれたりする。
言葉に対するイメージもひとりひとり違うから。
誤解や勘違いなんて、言葉から起こることだって少なくないでしょ?

だから、私はときどき人と話していて、聞き役だけをしていたくなることがある。
話たいことが見つからないから、口を閉ざしてしまう。
言葉が見つからないから、雰囲気だけを伝えられたらいいのにと思ってしまう。
そのくせ、言ってくれなきゃわかんないじゃん! とか思ってたりするんだから、ワガママもいいところかも。

この世界は、言葉中心の世界のようなものだから、言葉を操るのが苦手な私はここだけの話、結構ビクビクしながら言葉を使っている。
自分の感じたことをそのまま出来るだけ思ったままを伝えたいんだけど、それがなかなか難しくて、頭を抱えることなんかしょっちゅうだし。
正直、言葉を発することは諸刃の刃を振るうことと同じだと思っていたこともある。

言葉って、私にとってはそれほど怖くて難しいもの。
でも同時に、同じように嬉しくなったり、楽しくなったりするのも事実。
聞き役に回っていても、急に口を挟みたくなったり、あると言葉を読んで、めちゃくちゃ感動してしまったり。
そんなことがあると、言葉っていいものなんだなぁと思う。
ちょっと勇気をだして言葉を送ってみようかなぁと思う。
諸刃の刃が、別のものになる瞬間があることを知ってるから。
……だけど、やっぱりうまく使えないんだよな。
使い方が、どうしても裏目に出てしまって、最初の方は「そうじゃないんだよ!」って言うんだけど、そのうち、そうやって言うことが面倒になって疲れてしまって最後には相手の言葉を受け入れてしまう。
その度に、すごく泣きたくなる。
なんで、そこでやめるかな〜! って怒ってる自分がいるんだけど、怒ってる相手も自分だからますます疲れて「しょうがない」って落ち着いてしまう。そんなのダメだってわかってるんだけどね。

そう思いながらも、言葉を使うことはやめたくないです。
幸せ記録帳なのに、なんか全然逆のこと書いてる気もするけど「空の宝国」の「言葉の気持ち」みたいに、ひとりひとり受け取り方は違うってわかってるから。中にはどんな気持ちでその言葉をつむいでいるかを考えてくれる人がいるから。
幸せをありがとう★

2001年11月18日(日)
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