雲間の朝日に想うこと


< 離れて居ても見える物でしょうか >


何れ程、
寸分違わずに。

景色を、
映し獲ったとしても。


自身に取り込まれた、
其の画は。

飽く迄、
主観的な模造品だ。




其れ故に。



例え、
寄り添いながら、
眼前の風景を観たとしても。

互いに刻まれるのは、
二つの、
別の画に違いない。









ならば。


何故に、
遥か離れた場所で脳裏に浮かべた、
其の、
二つの画が。

此れ程迄に、
符合するのだろうか。





其の、
赤い橋で遊ぶ姿も。


池の水面を眺めながら。

自身と景色が同化する様な、
其の感覚も。















葛石の連なる、
参詣の道と。

裏手の、
商店街と。


唯、
道順を添えて贈った、
地図の御礼に。



 「ありがとう。」
 「本当にここに来たかったの。」


坂の街から、
杜の街へ。

感謝の文が届く。




脳裏に浮かぶ風景と、
共に。



















同じだ。







嘗て、
坂の街の人が。

此の地の、
鎮魂の社へ向かう坂道を、
歩いた時と。


凛とした、
木立の空気が。

何故か、
脳裏に浮かんだ時と。





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References
 Nov.21 2006, 「如何なる想いを育てる念ですか」







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2006年11月28日(火)


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History
2005年11月28日(月) 気紛れなだけでしょうか
2004年11月28日(日) 映るのは同一の風景でしょうか
2002年11月28日(木) とどめを刺せますか





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