雲間の朝日に想うこと


< 本当に間に合うのでしょうか >


想いとはきっと、
片割れの心のみでは成立しない物。


例えば何かを示した相手と、
受け取る自分と。

或いは何かを発した自分と、
受け止める相手と。


両者が想いと認識してこそ、
想いは想いたる地位を獲得する。




けれども。



例え想いに溢れていると認識した行為は、
同じでも。

互いが得た想いが、
一致した同じ物とは限らない。


同じ事を経験しても、
育った想いは、
同じ物とは限らないから。







 「其れ故に語り合うんだよね。」


奴は俺の問いに、
何の関係も無さそうな話を持ち出した。










 「もし。」

 「あなたが私を迎えられる様になって。」
 「私がちゃんと離婚して。」


 「でもその時には。」
 「私が子供を産めなくなっていたら。」

 「どうする?」
 「別れる?」


奴の彼女が、
奴に投げ付けた想い。



 「親戚は泣いて駄目だと言うよ?」

 「あなたは優しいし、」
 「お母さん思いだから。」


 「きっと無理だよ?」


奴の彼女が、
奴を想って投げ付けた想い。









俺と貴女に、
此処迄の信頼関係は無い。

俺と貴女に、
此の応酬を受け止める力は、
きっと無い。










 「俺、幸せだ、きっと。」
 「お前は未だ其の域に達していないだろう?」


惚気る奴の姿に。


 「其れでも時間は迫って来るだろう?」


俺は負け惜しみを突き付けた。





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References
 Sep.18 2003, 「時の進みが早過ぎませんか」
 Dec.19 2003, 「想いを遮るのが想いでしょうか」


2003年12月24日(水)


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History
2002年12月24日(火) 劇薬でしたか
2001年12月24日(月) 素敵なドキドキを忘れていませんか





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