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2007年02月27日(火) 自力本願

職場近くのホテルの前を通りがかったら、玄関に「○○大学受験生御一行様歓迎」という札が掛かっていた。そっかあ、明日が試験なのね、と思ったら懐かしい記憶がよみがえってきた。
私の大学受験というと十五年以上も前であるが、私も前日に現地入りして試験を受けたことがある。
私にとっては「そこ以外行くつもりはない」くらいの本命の大学であったが、親は猛反対した。当然である。ある日突然、推薦で決まっていた地元の大学を蹴って一般入試で別の大学を受けなおすと言いだしたのだから。
「もし落ちたらどうするつもり?浪人なんてさせないからね」
反対される理由はもうひとつあった。試験を受けるのに前泊しなくてはならないくらいだから、もしその大学に行くとしたら実家を出ることになる。が、当時女の子の一人暮らしは好ましくないとされていた。生活や交友関係が乱れているとみなされ、銀行には就職できないとか見合いで不利になるとか言われていたのだ。親が心配するのも無理はない。
しかし、私はどうしてもその大学に行きたかった、行かなくてはならなかった。とにかく受験だけはさせてと頼み込み、説得の続きは合格通知をもらってからすることにした。

私が泊まったのは歓迎札が掛けられるような立派なホテルではない。大学が斡旋していた受験生用の宿泊プランを利用したら民宿のようなところで、案内された十二畳くらいの和室には先客が荷物を広げていた。女の子四人の相部屋だった。
どこから来たの、どの学部を受けるの、本命か滑り止めか、志望動機は?自然と自己紹介になったが、私は最後の項目をどう答えようかなあと思った。一般入試の二ヶ月前になって進路変更をしたのは、われながらあまりにもバカげた理由だった。たった一晩の付き合いの人たちに正直に話して「変わった人」と思われることもないだろう。ま、適当に言っておこう……。
と思っていたら。うちの一人の「私がここを受けようと思ったのはね」を聞いて仰天した。
「××って番組、知ってる?それにすっごくすてきな大学生が出てたの。△△さんっていうんだけどね、私その人に憧れちゃって、ぜったい同じ大学に入りたいって思って」
たとえばテレビで高校野球を見てハンカチ王子に恋をし、彼を追いかけて早稲田大学へ行くという人が周囲にいたら、あなたは大笑いするかあきれ返るかするだろう。
しかし、私の「えーっ!」はそのどちらのニュアンスとも違った。こんなことがあるのか、と信じられない気持ちで私は言った。
「実はね、私もそうなの……」
ひと目惚れだった。しかしそんな理由で大学を選ぶバカモノは自分くらいのものだと思っていたから、本当に驚いた……のは彼女も同じだったようで、私たちはもう勉強どころではない。「ねえ、いまから大学に行ってみない?」「もしかして学校に来てたりして!」ということになった。

入試期間中は講義は休み。もちろん会えることはなかったが、私は不思議な導きを感じた。食堂の入り口に積まれていた学生新聞をふと手に取ったら、なんという偶然だろう、彼のインタビュー記事が載っていたのである。放送以降、学内でも有名人になっていたらしい。
「夢は叶うものではなく、叶えるもの」
という彼の言葉に深く頷く。そうよ、百万回神様にお祈りしたところで叶うことはない「彼と出会う」を実現するために、推薦を捨て、親の反対を押し切り、私はここまでやってきたのだ。
新聞はきれいに折り畳み、手帳にはさんで御守りにした。

* * * * *


私の入学が彼の卒業と入れ違いだったという計算外もあり、“再会”を果たすのに二年かかった。
名乗ると彼は私の顔をじっと見て、「俺に手紙くれたこと、あったよね?」と言った。
「はい。高校三年のとき、受験前に送りました」
しかし驚いた。住所がわからなかったので、いちかばちか大学の学部事務室宛てに送ったのである。それがちゃんと彼の元に届いていたのだ。
「『後輩になって必ず会いに行きます』って書いたんですよ」
「覚えてるよ、便箋八枚。ファンレターは五千通もらったけど、あんな熱烈なのはちょっとなかったな」
でしょう?だってあれはファンレターなんかじゃない。ラブレターだったんだもん。
そのとき言われたことはいまもはっきり覚えている。
「気づいてるか?いまこの瞬間があるのはラッキーやったからやない、おまえが自分でつくりだしたんやで。それはすごいことやと俺は思う。ようここまで会いに来てくれた」

積極的、行動的だと人に言われることがある。自分では「この意気地なし!」と机に突っ伏して泣きたくなることもあるのだけれど、誰かの目にそう映るのだとしたら、それは「自分の願いを叶えられるのは自分自身以外にない」が私の芯にあるからかもしれない。
「思う」だけ、はそれが自動的に叶うのを期待して座って待っているのと同じ。本気でなにかを望むとは、手に入れるために「行動を起こす」こと。
どんな途方もない夢でもあきらめないかぎり、可能性が潰えることはないのだ。


2007年02月23日(金) 大切なプロセス

年下の友人が結婚することになったので、お祝いの会を開いた。
料理のオーダーを済ませるなり、彼女のお相手の写真が回ってきて座が盛り上がる。学生時代の仲間で卒業以来連絡をとっていなかったのだが、街で偶然再会したのだという。
「運命ってやつよねえ……。で、どっちが先に好きになったの?」
「どちらからともなくって感じですかねえ」
「じゃあ付き合おうって言いだしたのは?」
「いや、それがそういう言葉はなかったんですよね」
月一回のペースで会って食事をしていたのが徐々にその間隔が短くなってきて、今日に至っている。結局、「付き合って」とは言っても言われてもいないので、二人がいつの時点で“友人”から“恋人”になったのかは自分でもわからないのだ、と彼女。だから彼と会うようになって半年くらい経った頃、母親に付き合っている人はいるのかと訊かれ、「ビミョーやなあ……」と大まじめに答えたら、すぐに見合いをしろと言われたそうだ。
が、これが幸せな展開を生んだ。彼女も宙ぶらりんの状態が続いていることに不安を感じていたため、思いきって彼にその話をした。そして、「あなたはこの先、私と付き合う気はあるん?ないんなら……」と言おうとしたとき、彼が慌てた様子で言った。
「ビミョーってどういうこと?俺らって付き合ってないの!?」
彼女は驚いて訊き返した。
「えっ!私ら、恋人なん?付き合ってるん?」
「俺はそのつもりやったけど」
「そ、そうやったんや……」
彼女は安堵して泣いてしまったそうだ。

私自身は過去に付き合ったどの男性とも、最初に「付き合ってください」「はい、喜んで」があったので、「私は彼のなんなの?」「付き合ってるって言えるのかしら……」で悩んだことはない。
しかし、それがなかったという話はちょくちょく耳にする。それどころか、「そういえば『好き』って言われたこともないかも……」なんて人までいてびっくりしてしまう。私にとってそれは、あってもなくてもいいプロセスではない。
「当たり前に家に行ったりセックスしたりする仲になったら、告白めいた言葉がなくとも“付き合って”いて“好き合っている者同士”に決まっているじゃないか」
という声が聞こえてきそうだけれど、後輩カップルの例でもわかるようになにをもって付き合っている、いないと解釈するかは人によってかなり違っている場合がある。極端なことを言えば、一度もデートしていないのに付き合っていると思い込む人もいれば、「ベッド」ありの友人関係というのもあるのだ。
私なら、相手と付き合っていると言えるかどうかくらいはわかるような気はする。その自信がなければ深い仲になったりはしない。けれども、余計な心配や万一の認識違いを避けるためにもそこのところははっきりさせておきたい、という思いは理解できる。

そしてもうひとつ、これが私が始まりに言葉を欲しがる理由なのだが、「けじめ」の意味合いである。
ある男性と恋をした。でも彼は私に「好きだ」とは言ったが、「だから付き合ってほしい」とは続けなかった。ぜったいに別れない、と頑として話し合いに応じない彼女とのことを解決するまで、自分にはそれを口にする資格がないと思っていたのだろう。だから私のほうも彼とどんなに親密になっても「付き合っている」と思うことはなかった。
その後別れ話が決着して、「俺と付き合ってください」とあらたまって言われたときは本当にうれしかった。「きちんと、ここから始めよう」と居ずまいを正すような彼の気持ちが伝わってきたから。
男と女が付き合うとは、責任を負い、負わせる関係になるということ。その場面では「私はあなたが好きだから、そういう二人になりたいです」「はい、私も同じ気持ちです」という意思表明を、私はしたい。そして、「あえて言わなくてもわかるじゃないか」という男性より、そのやりとりに意味を感じる男性のほうが好きである。
それなしでも恋愛を始められるのはわかっているが、「いただきます」を言わずにごはんを食べ始めるみたいで、なんだかぴんとこない。


こんな私は芸能人が結婚会見で、
「プロポーズの言葉、ですか?長い付き合いですので、これといってはなかったですね」
なんて言っているのを見ても、へええ!と思う。
「結婚してください」は、私にとって式より指輪より結婚に必要なものだ。年頃の男と女が付き合っていればそういう方向に話が進むのは自然の流れではあるが、好きな相手とであっても大変な覚悟のいることだし人生最大の行事でもあるのだから、プロポーズはきちんとしてほしいと私は恋人に願う。

面倒くさくても照れくさくても、どんなにわかりきったことでも。日頃の「ありがとう」も含めて、気持ちを言葉にして伝えることをおろそかにしちゃいけないと私は思っている。


2007年02月20日(火) 勘違い

前回のテキストにいただいたいくつかのメールを読んで、「二十歳過ぎて童貞」は男性にとって心穏やかでいられないことなのだ、ということをあらためて確認した。
それがばれるのを恐れて仲間内でも下ネタを避けるようになったとか、彼女は欲しいが経験のありそうな女性は敬遠してしまうといった話を聞くと、相当シリアスだなあと思う。
が、そんな男性にはこの事実をお知らせしたい。『婦人公論』最新号に日本人男性の童貞率というものすごくタイムリーなデータが載っていた。二十歳から二十四歳では34.9%、二十五歳から二十九歳では17.1%、四十歳から四十四歳でも7.9%が未経験なのだそうだ(社団法人「日本家族計画協会」の平成十六年版「男女の生活と意識に関する調査報告書」より)。
二十代前半で三人に一人、というのは低い数字ではない。コンプレックスにするのはもう少し先でもいいんじゃないかしらん。


さて、その『婦人公論』に悩み抜いた末に不倫相手との関係を清算した男性の話が載っていた。
妻は仕事を生き甲斐とするキャリアウーマンで、家事には手間隙をかけないが活発で魅力的な女性。しかし、仕事の帰りに家まで送ったのがきっかけで、妻とは別のタイプの部下の女性と恋に落ちてしまった。
残業を早めに切り上げて週二回彼女の部屋に通う日々が始まった。そこはとても居心地がよく、男性は初めて自分の結婚生活を振り返った。
「平日は互いに思いきり仕事をして、週末はテニスにドライブにとふたりであちこち出かける。そんなめりはりのある生活を自分は楽しんでいると思っていた。でも本当は、僕にはこういうのんびりした暮らしのほうが合っているのかもしれない」
その気持ちは日増しに大きくなり、関係ができてから一年半後、彼女に「離婚したら結婚してくれるか」と尋ねてしまう。彼女は大きく頷いた。
とはいえ、妻を嫌いになったわけではないから半年経っても言いだすことができなかった。しかしある晩、いつもは引き止めたりしない彼女が涙顔になっているのを見てついに決意する。
「今日こそ話をしよう」
緊張の面持ちで自宅のドアを開けた。すると妻が玄関口に転がるように走ってきたかと思うと、夫の顔を見て叫んだ。
「できたのよ!」
「え?」
「赤ちゃんよ、赤ちゃん!やっと私たちの赤ちゃんができたのよ!」
男性は頭が真っ白になった。
彼女と一緒になって新しい人生を始めたいと本気で思っている。しかし、十年間授からなかった子どもをようやく妊娠し、天にも昇らんばかりに喜んでいる妻を捨てることができるだろうか。今日言うはずだったのに、なんということ……。
「別れてほしい」を言う相手が一夜にして変わった。
その二日後、彼女は会社を退職、アパートを引き払って彼の前から姿を消した------という内容だ。

良心の呵責など感じずさっさと離婚を切りだしていたら、お望みの人生が手に入っていたろうに……と言いたいところだが、妻と別れて彼女と結婚していたところで、この男性が思い描いているような人生を得られたとは思えない。彼は言う。
「妻は仕事が忙しくて手の込んだ料理を作ってくれることはないが、彼女はいつも好物を作って僕を待っていてくれる。妻は行動的で週末も夫婦で遊びに出かけるのが好きだが、彼女は疲れた自分を癒し、くつろぎを与えてくれる。いままで考えたことがなかったけど、僕が求めているのはこういうゆったりした生活なんじゃないかと思うようになっていった」
彼が挙げている二人の女性の違いはどちらが欠点でどちらが美点というようなものではなく、個性の差でしかない。妻に飽きたわけでもないのに彼女に気持ちが傾いたのは、新鮮さに惹かれたという話であろう。
ないものねだりや新しいものに目移りしてしまうところは誰の中もある。しかし、ほとんどの人はたとえ好きな人ができても妻や夫を取り替えようとまでは思わない。結婚はそう簡単にリセットできるものではないし、なにより「取り替えればいまより幸せになれる」なんていうのは甘い幻想だとわかっているから。
「彼女のところにいると本当に落ちつくんです。うたた寝すると毛布をかけてくれ、起きると熱いお茶が待っている。至れり尽くせり、痒いところに手が届く感じなんです」
そんなの当たり前である。週二回、夜の数時間を一緒に過ごすだけなのだ、そりゃあ彼女ははりきってあらんかぎりのもてなしをする。言い換えれば、彼がそんなふうにしてもらえるのはそこで生活をしていないから、つまり“夫”ではないからなのに、彼は彼女がより自分に合った女性だからだと判断してしまう。

こういう人はきっと同じことを繰り返す。離婚して料理上手の彼女と一緒になっても、次第にその穏やかな生活に刺激を求めるようになる。そしてそのうち、別のタイプの女性を見て言いだすに違いないのだ。
「家庭的で優しい妻に不満はないが、僕が一緒に暮らしてより楽しめるのは……」
彼が思うような人生を送るためには、鮮度が落ちるたびパートナーを交換するしかない。

* * * * *

それにしても、「別れてくれ」と言おうとしていた日に妊娠を告げられるなんてすごいタイミングである。
これはもう天の采配と思うしかない。現に男性はいま、妻と子どもと楽しく暮らしている。
いまでも彼女のことは毎日のように思い出し、自分だけがこんな平和な生活をしていていいのかと苦しくてたまらないと言うが、そんな心配は無用だ。「自分だけ」じゃないから。
あれほど思い詰めた相手と別れてもちゃあんと幸せに暮らしているあなたと同じに、彼女もいまごろは新しい恋を見つけている。妻とは別れると言いながら子どもをつくったような人をいつまでも思って泣いているわけがないじゃないか。


2007年02月16日(金) 童貞

モニタに向かって思わずふきだしてしまった。この寒空の下、渋谷の円山町に四時間張りついてカップルの「ラブホテルの入り方」を調査してきたという男性の記事である。
来年二十五になるという筆者はいまだ童貞。「もっともしっくりくる入り方を私も初体験のときはキメてみたいものだ」ということで六十四組のカップルを観察した結果を発表しているのであるが、童貞ならでは(?)のコメントが可笑しくて可愛い(こちら)。

独身時代、私はずっとひとり暮らしだったので、「入り方」に一家言を持つほどラブホテルを利用する機会はなかったのだが、ひとつ覚えているのは初めて車でホテルに入ったときのこと。
ふと隣の車を見ると、車体の正面に板を立てかけている。駐車場にはほかにも何台かそんなふうにしている車が停まっていた。なんのつもりかしらと思ったら、ナンバープレートを隠しているのだという。
ナンバーから氏名や住所が割り出せるので、万が一にもそういうことになるとまずい人はなるべく他人の目に触れぬようそうしておくのだということだった。あらためて、これがラブホテルというところなのだなあと思ったんだっけ。


さて、記事を読むと筆者の「二十五までに脱・童貞」にかける意気込みが伝わってくる。
私としては「二十四や五なら未経験でも平気よお。これからいくらでもチャンスはあるわよ!」と肩でも叩いてあげたい気分だが、人より出遅れていることに引け目を感じてしまうのも十分理解することができる。
学生時代に付き合っていた彼が私の部屋に置いていた『Bバージン』という漫画の主人公は、“ヤラハタ”(ヤラずのハタチ)であることを必死に隠していた。二十歳にもなって女性経験がないのは恥、という通念があるため、周囲にその事実を知られるわけにはいかないのである。
この「童貞=甲斐性なし」は漫画の中だけの話ではない。三十を過ぎても女性経験がないことを気に病んで円形脱毛症になってしまった男性を私は知っている。一緒にいた友人が「頭にハゲつくってる暇があったら、風俗でもなんでも行って童貞を捨てればよかったじゃないの」と彼に言ったら、二十代も後半になると風俗の女性にさえ童貞であると知られるのは耐えがたい恥辱で、行こうにも行けなかったということだった。
「ソープ嬢相手に見栄張ってどうすんの!」とすかさずつっこみが入ったが、私は彼の気持ちがわかるような気がした。
十代のうちなら童貞でも驚かれることはないし、うまくできなかったからといって笑われることもない。けれども、三十を過ぎた男が「未経験です」と告白するのはたとえその日限りの相手でも勇気のいることだろうし、なにをどうしてこうして……と一から教わるのはプライドをかなぐり捨てねばできることではない。

男性にはセックスの際にいいところを見せたい、女性をリードしたいという気持ちがある。童貞の人だってそうだろう。
しかし、この頃は十代の女の子が読む雑誌にもセックス指南のページが当たり前にあり、「私、女だからなにも知りません、奥手なのでなにもできません」の時代ではない。
先日、私は『an・an』を立ち読みしていてぎょっとした。セックス特集号でもないのに、「男が離れられないカラダをつくろう!」というページに“プロ直伝のテクニック”がずらり紹介されている。
「彼がシャワーを浴びているあいだに高速腹筋を二十回しなさい」(そうすると男性にとって具合がよくなるらしい)
「口と手をこれこれこんなふうに使って四点攻めをマスターすべし」
などと子細に書いてある。
いまや「セックスが魅力的」というのもイイ女の条件のひとつなのである。
こうして女の子たちは十代のうちから研鑽を積んで技能を身につけていくわけだから、チェリーな男性との差は開くばかり。彼らが焦るのも無理はない。
その点、女性は何歳で未経験であっても童貞男性ほどはプレッシャーを感じずに済みそうだ。どちらかといえば受け身であるし、童貞と違って処女の場合は「純潔」「守ってきた」と解釈してもらえる可能性もある。

* * * * *

「男になる」という言い方があるけれど、男性にとって初めての経験というのはまさにそんなふうに感じられることなのではないだろうか。
初めて彼女ができたときはうれしくてそればかりしていた、と男の友人から聞いたことがある。この「うれしい」には性欲を満たすことができてという意味だけでなく、「俺も一人前の男になれたんだ」という晴れがましさも大いに含まれていたのではないかしら……。
私は童貞の男性とは経験がない。自分好みに育てる、なんて趣味はないけれど、彼がめきめきと自信をつけ「男」になっていく過程を見てみたかったナ、という気はちょっとする。


2007年02月13日(火) 金銭感覚

先日、名古屋に遊びに行ったときのこと。夜、手羽先を食べてホテルに戻りくつろいでいたら、友人がマッサージを呼ぼうと言いだした。
「せっかくこんなゴージャスな部屋に泊まってるんだしさ!」
が、私は渋った。その日泊まっていたのは名古屋では一番と言われているマリオットアソシア。街のマッサージ屋さんが十分間千円ちょっとである、こんなホテルで一時間頼んだら諭吉さんが飛んで行くんじゃないの……。
マッサージは私も大好きなのだ。香港や台湾に行くと必ず店に寄るし、ホテルの部屋に呼んだこともある。でもそれはあちらの相場が日本の半額だから。
日本でしてもらうこともときどきはあるが、終わった後はいつも「贅沢しちゃった」とささやかな罪の意識を感じる。「この程度の肩のこりや足のむくみなんて、ちょっと我慢すれば済む話じゃないか」という思いがあるからだ。
これと同じ心理で、私がひとりのときにタクシーに乗ることはまずない。わりと気軽にタクシーを利用する人もいるけれど、私は疲れていようが雨が降っていようが荷物が重かろうが、「自分の足で行けばタダなのだ!」と根性を入れて歩く。
「消えもの」にお金を使うのが惜しい、というわけでもない。おいしいものを食べたり旅行に行ったりは趣味である。

なにを贅沢とし、なにを惜しくないとするかは人によって違っているからおもしろい。
先の友人はマッサージやエステには一回五千円くらい喜んで払うのに、旅行に行く際の交通費はとことん削りたがる。「体力は元手がタダ。それ使ってお金が浮くならこんなお得なことはない」という考えで、最近も仙台の友人宅まで大阪から高速バスで行ってきたという。私にはとても真似できない。
若い頃からお茶を習っている別の友人が抹茶茶碗を買ったとほくほくしているので、じゃあそれでお茶を点てて飲ませてよと言ったところ、すげなく断られた。三十万円の品だと聞いて、たかが茶碗一個が!?と声を上げたら、「たかがとは失礼なっ」と叱られた。
そんな彼女は携帯は通話料をぼったくられるとそのつど公衆電話を探し、月々何千円かをけちって新聞をとらない人である。

私にとって一番身近な人である、夫のお金の使いどころもいまいちよくわからない。
移動を快適にするためのお金は惜しまない人で、出張でグリーン車に乗ったり海外旅行ではビジネスクラスを使ったりする。タクシーにも乗らない私からしたら贅沢極まりない話であるが、彼にとっては価値のある出費なのだ。
が、そんなふうに気前よくお金を使う一方で、「床屋でシャンプーしてもらうと四百円もとられる」と家で髪を洗っていく始末家なところもあるから不思議だ。
結婚してまもない頃、「ゴムを替えて」とウエストがゆるゆるになったトランクスを持ってきた。見ると、布地に直接ゴムが縫いつけられているためパジャマのズボンのようにゴムを交換するということができない。もう処分だねと伝えたら、「生地はしっかりしてるのにもったいないな……。あ、それなら布を寄せてきて縫っちゃったらどうだろう?」と言いだしたからびっくり。
もちろん、「そんなことをしたら履くときお尻が入らないじゃないの」と説得して捨てた。破れるか穴が開くかするまで履きたかったようだが、金魚すくいの網じゃないんだからさ……。
それにそんなものを履かせていて、東京出張の際に「最終の飛行機に間に合わなかったから、今日は実家に泊まることにするよ」なんてことがあったら困る。パンツも満足に買ってやらない鬼嫁みたいじゃないか。


誰かのお金の使い方が自分には理解できなくても、人それぞれだなあとおもしろがることはできる。あるもの以外にはまったくお金をかけない“一点豪華主義”の人にはあまり魅力を感じないが、浪費家だと思うことはない。
しかしながら、こういう人にはさすがに驚く。新入社員の頃、同期の飲み会があった。二次会の店に向かう途中、ある男の子が「あ、俺、ちょっと金おろしてくるわ」と言って通りがかりのビルに駆け込んで行った。
「お待たせ!」
爽やかに出てきた彼の頭上には消費者金融の看板。むじんくんだかお自動さんだかで資金を調達してきたらしい。
ううむ、飲み代がなかったら「家に帰る」ではなくて、「お金を借りて参加する」か……。

彼のことを「ちょっといいよね」と言っていた女の子がいたが、その後はなにも言わなくなった。


2007年02月09日(金) 譲れぬ条件(後編)

※ 前編はこちら

四十の誕生日を前に結婚相談所に入会し、現在活動歴三年目の友人がいる。
今日に至るまでには相手に求める条件を何度も見直してきた。「この年で高望みしちゃいけないよね……」と早い時期に年齢、身長、出身大学を“不問”にしたが成果は上がらず、二年目に入ったときに「初婚」「関西圏在住」も取り下げた。
が、そんな彼女にもこの先もこれだけは外さないと決めている条件がふたつある。連れ子のいる人、もうひとつが親との同居を求める人だ。
彼女の周囲には同居がうまくいかず幸福な結婚生活を送っていなかったり離婚したりした人が何人もいて、「余計な苦労をするだけだからやめておけ」とさんざん忠告されてきた。娘の結婚を誰よりも望み、結婚相談所の入会金を出してくれた母親でさえ「それだったらしないほうがまし」と言い切るそうだ。
しないほうがましかどうかはわからないが、それによる苦労が本来する必要のないものであることはたしか、と私も思う。
恋愛から結婚に発展する場合は一緒になりたい一心で無理を呑んでしまうこともあるが、「この部分は譲れない」というものを最後まで譲らずにすむのが、お見合いや結婚相談所で“まだ見ぬ人”から相手を探す強みなのだ。いろいろなことを譲歩しなくては結ばれない人をわざわざこれから好きになることはない。

同僚がひと回り年上の男性と結婚したとき、すでに義父は他界しており、義母は八十だった。しかし夫は彼女を気遣って、母親はまだ身の回りのことは自分でできるからいますぐ実家に住む必要はないと言った。が、彼女自身が同居を決めた。
「いずれ面倒を見なくちゃならなくなる。それなら最初から一緒に住んだほうが自分も楽だろうと思って」
これを聞いたとき、私はただただ感心した。いまどきこんな殊勝な嫁がいるだろうか。
しかしまあ、たしかにその同居には楽観的になれる要素がいくつかあった。家は改築して一階は義母、二階は夫婦と居住スペースが分かれているというし、高齢の義母が一人だから家のことは彼女が主導権を握ってやれるであろう。舅姑健在で完全同居のパターンに比べたらずっと楽、と私も思った。
しかし蓋を開けてみたら、同居生活は二年持たなかった。精神的に疲労困憊した彼女がマンションを借りて赤ちゃんと二人で別に住むと言いだし、親戚を巻き込んだ協議の末、義母が老人ホームに入ることになったのだ。
私は彼女の性格をよく知っているから、彼女の忍耐が足りなかったのだとは考えない。といって、その義母に問題があったとも思わない。底意地の悪い嫁、特別口うるさい姑に当たらなくてもこういうことは起こるのである。

* * * * *

「夫の実家とはスープが冷めて冷めて凍りつくくらいの距離に住んでちょうどいい」
と言ったのは上沼恵美子さんであるが、同居嫁のストレス、気苦労はそれはもう大変なものだろうと想像する。かくいう私も長男の嫁、行く末に同居が待っている身の上である。
昨夏、夫に東京転勤の話が持ち上がった。夫は地元に戻れると大喜び。一方、私は落ち込んだ。母は現在病気療養中。実家から離れるのは心配だし、関東には友人もいない。しかし転勤ならばしかたがない……。
結果的にはすんでのところでこの話は流れたのであるが、夫がこの機会に同居をはじめる気でいたことがわかり、私は暗澹たる気分になった。
長男と結婚した者として、将来的にはそうなるという覚悟はしている。しかしいまの時点では義父母は元気そのもの、年がら年中ゴルフだスキーだと国内外を飛び回っているのである。慌てて同居する理由がどこにあるのか。
しかも、夫は月曜の朝家を出たら金曜の夜まで帰らない出張族。平日は私に三人暮らしをしろと言うの。
「だって高いお金払ってマンションを借りるなんてばかばかしいじゃないか」
そんなことで……?あなたはまるでわかっていない、夫の実家が妻にとってどれほど酸素の薄い場所であるかが。

日常生活のさまざまな場面で感じる夫と私のメンタリティーの違いは、性格というより生まれ育った環境の差に由来しているのだと思う。ふたつの実家は正反対と言えるくらい違っている。
夫は祖父母、両親、弟と妹、子どもの頃は叔父二人も一緒に住んでいたという大家族育ちである。加えて、親戚や父親の友人といった来客も多い。初めて彼の実家を訪ねたとき、台所に小学校の給食で見たような巨大な炊飯釜があって唖然としてしまった。
一方、私は典型的な核家族で育った。祖父母や親戚との付き合いもあっさりしていて、顔を合わせるのは法事くらいのもの。従兄弟たちともまったく交流はない。人の出入りの少ない静かな家である。
「父親」の違いも大きい。公務員の私の父は料理こそできないが、休日には掃除でも買い物でも率先してする人。威厳というものはないけれど、家事と育児の参加度は文句なしのマイホームパパだ。男は父一人なので、わが実家は女中心である。
対して、会社の経営者である義父は家では“家長”だ。家の中のことは女房の仕事という考えで、家事はもちろん子どもをお風呂に入れたこともない。夫が「男子、厨房に入らず」なんて時代遅れも甚だしいことを言うのは、縦のものを横にもしない父を見て育ったからだ。
そして言うまでもなく男上位の家。あるとき夫が小遣いが少ないというようなことをぼやき、「そんなことはない、あなたの年で同じ額を小遣いにしている人を私は知らない」と言い返したら、「女はそういうことを言うもんじゃない」と義父にたしなめられたことがある。

生まれ育ったところとの環境の差が大きければ大きいほど適応は困難になる。
私は義父も義母も好きである。近所に住んでいて、帰省すると必ず遊びに来ている義弟一家も楽しい人たちだ。しかし、私は淡水魚が海水に投げ込まれたような息苦しさで、結婚七年目でも三日も滞在しているとアップアップとなる。
夫と私、どちらの育った家庭がいい、悪いではない。真水に棲んでいた私にとってはそこはものすごく塩分のきつい水である、ということなのだ。


「妻がなんの気兼ねもストレスもなく暮らせること」と引き換えに、あなたが手に入れようとしているものはなんなのか。
同居の目的が「老後の面倒を見る」であるなら、義父母のどちらかが亡くなり一人で住まわせるのは心配だとか介護の手が必要だとかいう事態になるまでは“近居”でもお釣りがくるほど十分ではないのか。
子どもの教育によい、と言うかもしれない。たしかに夫や義妹には「おじいちゃん、おばあちゃんと一緒に暮らしていたからだろうな」と思われる、私にはない美点がある。
しかし、私は義母の涙を思い起こさずにいられない。姑が亡くなるまで、帰省したり電話で話したりするたび義母は私に愚痴をこぼした。周囲の人は義母のことを「本当に苦労した人だよ。よく出て行かなかったものだと思うよ」と口を揃える。子どもたちが大家族育ちのよさを身につけられたのは義母が耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んだからなのだ。
「でもうちはうまくいってるよ。目立った衝突もないしね」
と夫が思っている家だって妻は多かれ少なかれ、別居嫁が味わうことのない思いをしているはずだ。そういうことを世の夫たちのどのくらいが理解しているのだろう。

以前、「『嫁』という職業」というテキストを書いたことがある。わが家が職場になったとき、私はいったいどうなるんだろう。


2007年02月06日(火) 譲れぬ条件(前編)

友人が故郷でお見合いをすることになった。
といっても親類縁者からの縁談ではない。高校時代の友人が自分に来た話を彼女に回してくれたのだという。
「まだ釣書は見てないけど、悪い話ではなさそうでさ」
と、略式とはいえ初めてのお見合いにうきうきしている様子。身上書ってどうやって書くの?当日はスーツでいいの?と騒いでいる。その隣で、つい余計なことを考えてしまう私。
「水を差すわけじゃないけど、あなたの友だちが『私はいらない』ってパスするような男の人、期待できるのかねえ?それって“難あり”ってことじゃないの」
と言ったら、実はその女性には長く付き合っている恋人がいるのだそう。周囲には言っていないのでこういう話が舞い込むことがあるのだが、今回のお相手は条件がよかったため、ただ断るのはもったいないと私の友人に声をかけたということらしい。ふうん、なるほど。
「で、どういい条件なん」
「それがね、三男なのよ」
友人は仕事が立て込むと、「私がいつまでもこんな馬車馬みたいに働かなきゃならないのは嫁に行けないからよ!」と荒れるが、文字通り、彼女は「嫁に行けない」人である。大きな家の一人娘である彼女はお婿さんに来てもらわなくてはならないのだ。
だから彼女は年頃の男性と知り合うと、年齢や恋人の有無より長男でないかどうかがまず気になるという。いいなと思っても長男と判明したらすみやかに退く。過去にそういう思いをしたことがあるのかどうか知らないが、
「結婚できないのわかってて好きになったら、あとがつらいからね」
と言う。

たしかにそうだ。私は十数年ぶりに大学時代に仲の良かった女の子のことを思い出した。
彼女には入学当初から付き合っている同級生の恋人がいたのだが、あるとき雑談の中で「大学を卒業したら、彼とは別れなきゃならない」と言ったので驚いた。ついさっきまで彼のことをのろけていたのである。どうしてそんな悲観的なことを言うのと尋ねたら、「彼、学校の先生になりたいらしいから」と返ってきた。
彼女の実家は食品会社を営んでおり、二人姉妹の長女である彼女は「うちには男の子がいないから、会社はおまえの夫に継いでもらう」と父親に言われて育ってきた。だから故郷に戻って教師になるつもりの彼とは結婚することができないため、いずれ終わらせなくてはならないのだということだった。
彼女は涙ながらに私にそう語ったのではない。こうなることを承知で彼と付き合いはじめたのだからしかたがない、とすでに悟りの境地にいるように見えた。
私はそんな彼女が理解できなかった。家の事情があるのはわかる、だけど物分かりがよすぎるじゃないの……。

しかし、いまはなんとなくわかる。結婚に関してなんの制約もない人は、
「養子になってくれる人でなきゃだめなんて言ってたら、一生相手なんか見つからないわ!」
「どうして私が家の犠牲になって好きな人と別れさせられなきゃならないの」
とどうして抗わないのだろうと不思議に思う。親の都合を子どもに押し付けないでとつっぱねればいいじゃないの、と。
しかし、物心ついたときから「おまえは一人娘だからお婿さんに来てもらわないとね」「兄弟がいないからおまえのだんなさんに会社を継いでもらおう」と言い聞かされて育ったら、おのずとそういうものなのだと思うようになり、成長したときには自分の中でもそれが揺るぎないものになっているのではないだろうか……。
私の友人が三十代なかば、恋人なしという相当切羽詰まった状況にありながらも「婿養子」という前提をひっくり返そうとはしないのは、自分がそういう人を選ぶのは当然のこと、自然なことととうに了解しているからだと思う。

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「譲れない条件」は相手探しを難航させる。
男性人口に占める長男の割合は七十五パーセント。次男、三男しか対象にできないとなるとかなりのハンディだ。その上に、「妻の姓になったり妻の実家に住んだりすることは受け入れられない」男性は少なくない、という現実も加わるのだから、友人は本当に大変だと思う。

……というこの文章を実感を持って読んでくれた人がいるとしたら、その多くは男性ではないだろうか。
婿養子を希望する女性は十人に一人もいないが、「親との同居」を条件にする男性は少なくない。それは他のなにより女性に敬遠される要求なのである。 (つづく


2007年02月02日(金) 「誰もあなたのことなんか知りたくないのだ」

内館牧子さんがエッセイ集「きょうもいい塩梅」のあとがきにこんな話を書いていた。
会社勤めをしながら脚本家養成学校の夜学に通っていた頃、雑誌で向田邦子さんのエッセイを読んだ。そのとき、「自分は脚本家にはなれないな」と思ったという。こんなにも日常的なワンシーンから人間の弱さや愛しさまで表現する力が脚本家には必要なのだ、と思い知らされたからだ。
しかし以来、内館さんは向田さんの「力」に憧れつづけ、その後本格的に脚本家を目指すために三十半ばで会社を辞めるとき、みなの前で「私はいつかきっと向田邦子になります」と宣言したそうだ。

これを読み、私は自分が初めて向田さんの文章を読んだときのことを思い出した。「無名仮名人名簿」というエッセイ集だったのだが、ものすごい衝撃を受けた。
こんなどうということのない出来事、ありふれた情景がエッセイの種になるのか!という驚き。……いや、「この人だからエッセイにできるのだ」という感嘆だ。
ふつうの人はそれなりの対象がなくては絵が描けない。薔薇が生けられた花瓶、美しい野山の風景を描いて初めて鑑賞に耐えうる絵になる。しかし、向田さんの前には道端の石ころさえ立派なモチーフになる。そして、その「なんでもないもの」を描いた絵が見事なのだ。
どう見事なのかは実際に読んで感じてもらうしかないが、これが才能というものなのだ、と思った。それは文章読本を何冊読んだところで手に入れられるものではない。
誰にも憧れの文章というのがあると思うが、私にとってエッセイの最高峰は向田さんのそれである。

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こういうすごい人の文章を読むと、同じ身辺について書いたものでも自分のはまったく素人の作文だと思い知らされる。けれども作文書きなりに「昨日よりも今日、今日よりも明日」と思い、勉強にもなろうとたくさんのエッセイやweb日記を読んできてわかったことがある。
人気のある書き手は“三点セット”を持っている、ということだ。

ひとつは、テーマ選びのセンス。
文章がおもしろくなるかならないかは「なにについて書くか」を選んだ時点でほぼ決まる、と私は思っている。つまらないものはどう書いてもおもしろくなりようがない。読ませる文章を書く人はその選定と調達が本当にうまい。
即ネタになるような事件はそうそう起こらないから、平凡な毎日の中にも落ちているキラッと光るものに気づいて拾い上げられるかどうか、である。
向田さんは誰も目に留めない石ころのような出来事を題材にしたが、それは凡人の目にはなんの変哲もないように見えて、実はちゃんと絵になる形をした石ころだった。この眼力というか視点というかは文才と呼ばれるもののひとつだと思う。
そして、目のつけどころが違う人はたいてい発想のほうもユニークだから、その文章はおのずと発見の多い興味深いものになる。

ふたつめは、再現力。
誰かになにかを伝えるためには、それを「文章」という目に見える形でアウトプットする必要がある。自分の内にあるものをどれだけ正確に再現できるか、ということだ。漫画家にストーリーを十分に読者に伝えるための画力が必要なのと同じである。
日本語の文章として正しいかどうかはそれほど問題ではない。文法的に難があろうが、言いたいことを伝えられればいいのだ。正しい日本語の文章が書けることより伝えるべきことを伝えるための技、コツを持っていることのほうがずっと強い。
「なにを書くか」を選びだす目は天賦のものだからどうにもならないけれど、それを「どう書くか」の腕はトレーニングを積むことで向上する要素である。……と信じているから、私は今日も書いている。

最後が、書き手自身の魅力。
小説と違ってエッセイや日記といったものは文章と書き手を切り離して読むことがむずかしい。敵性読者なんて言葉があるくらいだから、隙あらばけちをつけてやれと思って読む人もいるのだろうが、嫌いな人の私事になんて興味はない、あるいは不快になるから読まないという人のほうがずっと多いだろう。
そう考えると、人柄に魅力のある人がよく読まれるのは必然とも言える。



四年ほど前に買った「婦人公論」の付録に林真理子さんが書いた文章読本がついていた。その中の「勘違いの文章」という章に耳の痛いことが書いてある。
有名人でもなんでもないあなたが誰と食事をし、どういう話をしたかなんて知らされても誰も喜ばない。あなたがどんなふうにご主人と出会い、どんな子育てをしているかなんて聞かされても誰もうれしくない。しかし、そこのところを勘違いしている人がとても多い。
「誰もあなたのことなんか知りたくないのだ」
素人の人はこのことをまず心に刻みなさい。それでも手記やエッセイを書きたいと思うのなら、相手の耳をこちらに向けられるようおもしろいものを書くための努力を必死でしなさい------という内容だ。

「誰もあなたのことなんか知りたくないのだ」
とても厳しい言葉であるが、しかしそのとおりだと思った。素人がものを書くとき、これが原点にあることを忘れてはならないのだ。
このサイトをお気に入りに入れ、明日も来てくれる人はいるだろう。でもそれに甘えず精進しよう。幸せなことに世の中には勉強になる、すぐれた文章がたくさんある。

【あとがき】
私にとって向田邦子さんの文章は完全無欠ですが、他にも「読むと勉強になる」と思う作家は何人かいます。端正な文章だと思うのは林真理子さん、鷺沢萌さん、比喩や言葉の選び方がずば抜けてうまい(さすがだ)と思うのは俵万智さん。ただ単におもしろいエッセイ、好きなエッセイは他にもたくさんあるけれどね。