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2005年07月08日(金) 「嫁」という職業

中村うさぎさんのエッセイに、元夫の母親に初めて会ったときの話があった。
結婚報告のために山陰地方にある夫の実家を訪ねたところ、夕食に出てきたのはいかにもまずそうなスーパーのパック寿司。
中村さんは考え込んだ。夫によると、ふだんはもっとまともな食事だという。じゃあどうして姑は息子が初めて嫁を連れてきた夜にわざわざこんなものを出したのだろう?
翌朝、朝食のテーブルに並んだ献立はご飯と味噌汁だけ。海苔や漬物すらない。夫が怒ると、姑は渋々冷蔵庫から皿を取り出した。
「しゃあないなあ、そんなら昼ごはんに用意しとったおかず、出すわ」
中身はチクワの輪切りだったそうな。

* * * * *

少し前の日記に「婚前交渉なしで結婚するなんてオソロシイ」という話を書いたが、相手の親に一度も会わずに結婚するのもかなりの冒険だと思う。
式の二ヶ月前に婚約を解消した経験を持つ友人がいる。招待状の準備も整い、明日にも投函しようと思っているときに夫になる男性の父親から封書が届いた。
開けてみると、なにやら箇条書きされた項目が並んでいる。「大学に行かなかった理由」「その年まで独身だった理由」「何度も仕事を変わっている理由」といった事項に回答して返信するよう書かれてあった。
友人はそのときすでに三十五を超えていたため、なんとしても結婚したかった。が、父親がその手紙を出すことを見合い相手の男性もその母親も事前に知っていたと知って、すべてを白紙に戻した。
彼女はいまも独身だが、「あんなとこに嫁に行ってたら、いまごろどんな苦労してたか……。考えただけでぞっとする」と振り返る。
まったく賢明だったと思う。知り合いにバツイチの女性が何人かいるが、うちの二人は義父母との折り合いの悪さが原因だ。つい先日の新聞にも、三十代の主婦の「夫はよきパパで優しい人だが、非常識な義父母に何も言ってくれないのでだんだん嫌いになってきた」という相談が載っていた。
結婚生活というのは、思うよりもずっと多面的な代物である。夫とさえうまくいっていれば続けられるというものではないのだ。

以前、上沼恵美子さんが番組の中で「夫の実家とはスープが冷めて冷めて凍りつくくらいの距離に住んでちょうどええんや!」と唾を飛ばさん勢いで語っていたが(上沼さんは同居嫁)、仲良しの同僚は激しくそれに同意する。
彼女は四年前、結婚と同時に夫の実家と目と鼻の先に家を建てたのだが、悔やんでいることがあるという。
新婚旅行から帰った夜、夢のマイホームのドアを開け、わが目を疑った。下駄箱の上に木彫りの熊の置き物がどーんと飾られてあったのだ。そう、北海道の民芸品の、鮭を咥えたあれだ。
「な、なによ、これ……」
玄関の上がり口に敷かれた、見覚えのないペルシャ絨緞柄のマットを踏んづけて部屋に入ると、まだ夫婦が一晩も泊まっていない真っさらの部屋になぜか生活感が漂っている。ダイニングテーブルには安っぽいビニールクロスが掛けられ、キッチンには三本足のふきん掛けが取り付けられているではないか。
夫が実家に電話をかけると、義母は「ああ、あんたらが留守してる間に親戚を招いて新居のお披露目パーティーをしたんよ。そのときあんまり部屋が殺風景だったから、適当にみつくろっておいたよ」と悪びれなく言った。
合鍵を持たれていることを知らなかった彼女はすぐに回収しようとしたが、「資金を援助したんだから当然でしょ。それに何かあったときに便利じゃない」と言って返してくれない。以来、彼女がトイレにいたり洗濯物を干したりしていてインターホンに出るのが少しでも遅れると、義母はさっさと鍵を開けて入ってくるという。
「盗んででも取り返したいわ。こんなことなら援助なんかしてもらうんじゃなかった……」

この姑は息子夫婦の家をノックひとつで出入りできた子ども部屋と同じように認識しているのではないだろうか。
一事が万事。趣味に合わない木彫りの熊やテーブルクロスを我慢すればすむ話ではないから厄介なのだ。どんなことにも無邪気に立ち入ってきて、しかもそれが“干渉”と呼ばれるものであるという自覚はまるでない。そのうち、「子どもはまだ?あなたたち、ちゃんとしてるんでしょうね」なんてことまで言い出しかねないのである(実際に言われた友人がいる)。


『婦人公論』最新号の特集テーマは、「実家という重荷」。
幸いここまでに書いたようなことはいまの私には他人事であるが、読んでいると、世の中にはあてにならない夫がなんと多いことかと愕然とする。
「妻」はそうではないが、「嫁」はれっきとした職業なのだ、とつくづく思う。