せらび
c'est la vie
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みぃ


2006年06月29日(木) 「夢がまだぶち壊されていない人々」に会う

昨日は、朝から矯正歯科の予約に行った。

そして、「もっと長時間器具を付けておいてくれないと困る!」と矯正歯科医に怒られる。

一日22時間以上付けておけないなら(おけない!)、2週間毎から3週間毎に計画を変更すると言うので、じゃあもうそうしてくださいなと折れておいた。

だって、朝珈琲飲みながら新聞やメイルを読んだりしてると、平気でニ三時間経っちゃうし、食事や呑みに出たりしたら、長時間外しっぱなしでしょ?どう考えても無理である。


夜は、「業界的就職説明会のようなもの」に出掛けて来た。

場所は、数ある各国在外オフィスのうちのひとつである。駅から近い故の選択と思われる。

「ビジネスの装いで」とわざわざドレスコードまで付いていたので、それはつまり「ビジネス・カジュアル」もアウトで、要するにスーツで来いって事ね、と判断して、久し振りにスーツを着て出掛けた。

物凄く暑かった。この界隈はもう、ジャケットなんか着て歩くような陽気じゃないのである。


ところで、最後に「スーツ」を着たのは、何年前かしら…

ワタシのサマースーツには、なんと「しつけ糸」が付いたままになっていた。通りでポケットに手が入らないと思った。何時買ったのだったか。これまでの自分の暮らし振りに、一寸呆れる。

会場は、明らかにジェネレーションの違う人々で埋め尽くされていた。


まだ夢がぶち壊されていないんだなぁ。いいなぁ。


半分羨ましく、半分まぁそれはそれだと割り切って、また「ワインが水のようだ」とタダ酒に向かって文句を言いながら、それらの人々と歓談した。

某国の名誉の為に一応付け加えると、「カナッペ」はそれなりに手が込んでいて美味しかった。でも一番美味しかったのは、市販品の「チーズ味の煎餅」だった。

パネルディスカッションでは大変有意義なお話を色々と聞いて、今の自分に足りないものをどう埋めるかの算段などをしながら、重々しく帰途に着いた。色々と考えたけど、どうにもならなそうな事もあって、まだ考え中である。

たまにこういうものには行くべきだ、と思う。自分に欠けているものを再認識して軌道修正などするのに、これは役立つ。


本当は終わってからパネリストに質問したいと思っていたのだが、その「まだ夢がぶち壊されていない人々」で忽ち人だかりが出来てしまって、これは長く掛かりそうだと踏んだので、諦めて帰って来てしまった。


若い頃は平和だった。自分の気のまま、熱くなっていられた。

今は「その後の自分」が下した決断一つひとつについて、自信や信念を持っていなくてはならない。本当は「逃げ」だったのだ、などと思われないように、繕わなくてはならない。


面倒なお年頃である。


2006年06月26日(月) 誠に遺憾である

「ほぼ日メイルマガジン」を愛読している。

先程読んだ1156号によると、どうやらイトイさんのコンピューターも不都合を繰り返している模様。

おや奇遇だねぇ。ひょっとしてアンタも水瓶座じゃない?なんつって。

ワタシのは現在、モデム・ドライバー辺りに問題があるのか、回線が非常に不安定なのと、どうやらハードドライブにも損傷がいった模様で、特定の幾つかの絵がちゃんと現れないという不都合が生じている。

OSのリインストレーションをまたやると、ハードドライブに余計なパーティションが出来てしまいそうなので、そのままで「パッチワーク的対応」を続けている。XPになってからこうした作業が遣り難くなって、忌々しい限りである。

でももういい加減直すのに疲れ果て、思い切って安いラップトップを買ってしまうのが手っ取り早くて良いのでは、という気がして来た。そうして何事も無かったかのように作業をさくさくと進めたら、精神衛生上も宜しいのではないかと思う。

ただ、そうするとこれまでの時間的物理的投資が無駄になるのか、と思うと、いささか気が引けるのである。


しかし、これまでのワタシの考え方に問題がある、という説もある。

高価で優れたものを出来るだけ長く使う、というやり方は、現代の資本主義経済世界ではもしかすると本当にすっかり全く通用しなくなっているのかも、という事を、今更ながら深く考えたりしている。

つまり、「使い捨てにした方が良いもの」の中に実は「コンピューター」という、ワタシ的には大変高価なものも含まれるのかと。

それはちょっとびっくりだけど、でも時代は既にそうなのかも知れない。

まぁ考えてみたら、ワタシにとってそれは「商売道具」でもある訳で、それなりの内容を持ちちゃんと機能するコンピューターなしにまともな仕事は出来ない、という点を鑑みると、二三年毎に進化したものに買い換えるというのは案外まつがったやり方ではないのかも知れない。

実際ワタシのも、酷使している間に消耗した部品は多々あるし、しかも実は製造会社が「リコール」しても可笑しくないくらいの問題を抱える機種らしいというユーザー・ディスカッションも読んだので、はっきり言って「換え時」ではあるかも。

それに最近のコンピューターというものは、どんどん安くなっている。同じような内容で半額くらいになっているという事実を見ると、悪くないかもという気がして来る。


…しかしもうちょっと早くこの結論に達していれば、あんまり投資をしないで済んだのに、と思うと、誠に遺憾である。

早急に調査して善処したいと思う。



2006年06月18日(日) 爆弾投下後の快復期の日常

先日の日記で、「ヒッピーちゃん」こと「爆弾少女」について色々と書いたが、彼女の仕業によってワタシは実は相当傷ついている、という事に気付いた。

というのも、「アルカセルツァー」の世話になった日の夜、疲れていた筈なのに中々寝付けないでいらいらとしていたので、漸く気付いた次第である。

ならば、無理せず気が済むまで傷を舐めよう、と決める。遅かれ早かれ、どうせ同じ事をやるのである。翌日の予定は午後だから、寝坊したって良い。今やってしまえ。

そうして思ったのは、結局彼女は全ての事について、相手が誰であれ「反論」や「批判」をするのだという事、それは「反論」というより自分の「エゴ」を満たす為の「難癖・いちゃもん」に過ぎないので、とことんこてんぱんにやっつけるまで止めないから注意が必要であるという事、だから彼女には「弱音」を吐いたり「弱み」を見せたりなど突っ込む隙を与えるべきで無く、「完全防備」で挑まなければならないという事である。

仮にも友人に対していつも「完全防備」だなんて残念な事だとは思うけれど、此方としてもそう度々傷つくのは嫌だから、致し方無い。

(巷で「批判精神」などと言う時、本来はある一定の客観的理論を用いて「批評する」の意なのに、何のバックアップも無いまま主観的に「非難」、「駄目だと言い続ける」と同一の意のように捉え違いをしている輩が余りに多いように思うのは、正にこういう時である。)


今回傷ついた所以を鑑みるに、彼女がワタシの日記の書き方・物書きのスタイルといったものに口出しをして、その関連で暗にワタシを「能無し」扱いした事がそもそも引き金を引いたのではないか、と推測している。

ワタシにとっては、「日記サイト」というものは日本語表現を忘れない為の練習台であり、また精神のバランスを保つ為に必要なセラピーのような存在でもある。

尤も公開しているのだから、読者の皆さんの事も当然念頭に置くべきなのだが、基本的には筆者である「ワタシ」が好きな事を好きな時に好きな様に書く場所であり、それを気に入った読者があれば好きな時に立ち寄って楽しんで行って下すったら良いし、またワタシの方も好きな様に書いて行くので良い、と思っている。

そこへ他人にワタシの書き方がどうだとか、いちゃもんを付けられたく無い。気に入らないなら読まないで結構、という事である。

殊に外国に住み始めてから、ワタシは他人から干渉されるという事がめっきり少なくなったので、あれは駄目だの止せだのと言われると、何故お前がワタシに指図をするのだ?と混乱し憤る。それが他所様を傷つけているとでもいうのなら兎も角、そうでないなら、全く余計なお世話である。

手前のやりたい事は手前んちでやれ。ワタシはやりたい事を自分ちでやっているだけの事だ。ワタシは手前のやり方に文句を付けないでいるのだから、手前もワタシのやり方には敬意を払うべきだろう。


しかしそれを、多分、ワタシはその場で「どうぞお構いなく。ワタシの日記ですので、好きにさせて貰います」と言ってやったら良かったのだろう。

それを周りの大人の皆さんの例に倣って、または彼女の「爆弾振り」に呆気に取られて、自己主張を控えてしまったのがいけないのである。だから、後になってわだかまって、夜更けにひとりでいらいらとやっている訳である。

これでは「喧嘩はその場解決」という、ワタシの基本精神に反する。




寝不足のワタシは、翌日の午後ヴォランティア活動に出掛けて、低所得層の子供たちに無償で「サマーキャンプ」を提供している団体の電話確認作業の手伝いをする。

今年のキャンプにまだ申し込みを済ませていない家庭、申し込んだが書類が不備な家庭、また幾つかあるキャンプ・プログラムのうち希望の日程・場所が満員で引き続き手続き中のケースなど、それぞれに電話して確認していくのである。

何しろ低所得層だから、電話が切られている家庭も多かったが、繋がっていても大抵母親は仕事に出ていて、「祖母」や「おば(伯母・叔母)」と話す事が多かった。

中でもおばあちゃんたちは、一様に孫思いである。「去年も一昨年も行ったんだけど、えらい気に入ってねぇ。今年も早速申し込んだのよー!」と、大きな笑い声と共に教えてくれたりする。色々の色の子供たちが、暑い盛りの野山をわいわい駆け回る姿が、目に浮かぶようである。

そう、サマーキャンプは楽しいからね。沢山お友達も出来るし、思い出も沢山。気が済むまで遊んでおいで。



それが済むと、ワタシは久し振りに大通りを北上して、観光客の波に揉まれながら散歩をして帰る事にする。

今日は良い天気である。一寸蒸し暑いが、久し振りのすっかり晴れ渡った週末である。


「せやけどやっぱあれやろ!あかんやろ?」

誰かが忙しなくそう言ったように聞こえたので、近くにいた亜細亜人の小父さんたちの方へ寄って行って、こっそり聞き耳を立ててみたのだが、そこで聞こえて来たのはなんと中国語だった。

可笑しいなあ。てっきり関西弁だと思ったのに。そんなに疲れているのか、ワタシ。


「このあと帰ったら、貴方一体誰と寝る気なの?」

人込みで声を抑えて詰問する長身の西洋人女性と、その脇で黙って俯く男性もいる。ふふ、色男、一体何をやらかしたのだ。

まるでそこいら中に小さい芝居小屋があるようだ、とワタシはひとりほくそえんで、ずんずん歩いて行く。

そのうちまた本当の芝居を見に行ってみようか。もう夏だし。また割引券が出回っているかも知れない。


歩きながら、ワタシは空腹だった事に気付く。

惣菜を売っている店で寄り道をして、卵サラダとパスタサラダに鶏のカツレツを三切れ乗せて、買う。

かなり太りそうな取り合わせだが、何しろ疲れているところへ脂っこい物が食べたかったのだから、今日のところは堪忍して貰いたい。

何処か外で食べようかと思ったのだが、この暑いのに日陰が見当たらないので、止む無くうちへ帰る事にする。

帰って惣菜を開けてみると、「バジルとトマトのパスタサラダ」だと思ったものは、実はバジルではなく「ワカメ」が入っていた。何だか奇妙な取り合わせだと思ったけれど、構わずがつがつと喰らう。



寝不足だった訳だし、そして炎天下に散歩までしてしまったのだから、ワタシは相当疲れていた。ワタシは少し昼寝でもしようと思ったのだが、しかしまたしても寝付けない。暑過ぎるのである。

相変わらずだが、うちには冷房が無いので、窓を全開にして団扇でばたばたとやる。そろそろまたお茶を大量に作って、冷やしておかなくては。

テレビでも観る事にする。しかし年度が終わったので、古い番組の再放送ばかりやっている。比較的楽しみにしているお笑い番組も、クリスマスツリーを背景に下らない替え歌を歌っていて、興醒めである。

本を読む事にする。今夜は暑くなりそうだ、と思いながら、時折敷布の上で身体の位置を変える。ずっと同じ位置にいると、暑くてならないのである。


そうこうしながらワタシは、自分の時間と共に平静を取り戻して、漸く眠りに付く。



巷では、ワタシがひとり憂えているうちに、いつの間にか夏真っ盛りを迎えていた。


最高気温は約33℃。



2006年06月16日(金) 「爆弾少女」のこと

先日は週半ばにも拘らず元同僚と呑みに行ったのだが、すっかり呑み過ぎてしまって翌日は使い物にならなかった。

そもそもワタシたちは空腹のうちに輸入物の麦酒をニ三杯入れてしまったので、既に出来上がっている訳だが、そこから下町の呑み屋へハシゴする道すがらに一軒寄って彼女が好きだと言うカクテルを一杯引っ掛け、目指す「西班牙呑み屋」で散々飲食いして、それからカラオケに行こうというので十何年振りだかでカラオケ屋にも行って、文字が良く読めず、と言うか多分読む気がハナから無く、更に口も非協力的だった所為で、滅茶苦茶な歌いっぷりで時間を過ごした。あれは日本だったら許されないと思うのだが、何しろ選曲の為の日本語の「本」に字がこちょこちょと沢山詰まっていて良く読めなかったし、だから偶々見えた同じ歌手のところから適当に番号を押して行くのが精一杯だったのである。

またしても「アルカセルツァー」の世話になった翌日の惨状については省くが、ワタシはその夜が楽しかったという事より、寧ろ気になっている事がある。

この元同僚・友人はワタシより少し若い女性なのだが、彼女は今後余所の土地へ越して行って更なるキャリアアップを目指す事になっている。大変有能な人である。

しかし彼女は、その自信の所為か、はたまた本当は自信が無いからなのか、割と辛らつな物言いをする。それで折角の楽しみが半減してしまう、という事が良くあるのである。

以前から、彼女は酒が入ると随分はっきりとものを言って他人を手厳しくやっつけたりしているという事には、気付いていた。相手はワタシなんかよりも年長の経験豊富な人々だったりするのだが、若い彼女はお構い無しで批判やら注意やらをしている。

それが合っているのならまぁ大目に見ようとも思うけれども、彼女の言い分も偏っている事が多いので、只の「生意気な小娘」に見えてしまうのが残念である。あれでは人生損するだろうな、といつも思う。

それを一言言ってやるのが良いのか、はたまたワタシより以前から彼女と知り合いの人々が何も言わないでいるところを見ると、若者は放っておけばいつか学んで行くから良いのかも、とも思い、迷っている。



彼女を交えて呑む際、ワタシはよく、呑む前の段階で彼女が周囲の人々に精一杯気を使って、言葉を選んで会話をしているのに気が付く。だから恐らく、彼女自身も自分が「調子に乗り易い」事を理解しているのだと思う。

ちなみにそんな彼女は、「射手座」である。鼻っ柱が強い事で知られた星座でもある。

それも暫くして酒が回って来ると、そんな気遣いは何処かへ行ってしまう。誰かが気弱な事を言ったりすると、「それは間違っていると思う!」とか「**さん、そんな事じゃダメですよ!この世界でやっていけませんよ!」などのような言いっぷりが始まる。

この間同僚ら数人で呑んだ時にも、ある日本で所謂「オフィスレイディ」の経験が長い人が、例えば会社での世間話に付いていけないと困るので、夜遅く帰ってもテレビドラマなどを見て話題に追い付かないといけないので、そういう生活にも疲れた、というような身の上話をしたら、早速「別に嫌ならそんな事しなければいい。自分次第でどうにでもなる事だ。私はヒッピーのような暮らしをしていたからアレだけど、でもそれは自分の選択の問題で、ドラマの話が嫌ならしなければ済むだけの事だ。」と始める。

二人の間で暫く遣り取りが続いていたが、そのうち居た堪れなくなって、「まあでも、ヒッピーの皆さんの間ではそれでも済むかも知れないけれど、大企業オーエルの皆さんの間ではそれでは済まないかも知れないしね」と口を挟むのだが、彼女は引き続きその「オフィスレイディ」女史の、または「現代日本職業社会」の現実を批判する。

「オフィスレイディ」女史は、「それは貴方が特殊な世界にいたからよ」と釘を刺す。

「釘」だったとは、今回その「ヒッピー」ちゃんと二人で呑んだ際言われて、漸く気付いたのだが、この一件以来どうやらお互いに敬遠気味の様である。まぁそうだろう。


ワタシはあの晩「オフィスレイディ」女史の家に泊めて貰ったので、その後人々がいなくなってから彼女の愚痴を聞いた。「あの娘は日本の現実が分かってない」と言う。ずっと「裏社会」を歩いて来た人と、「表社会」で真っ当な暮らしに長らくしがみ付いて来た人とでは、それぞれの「現実」が全く違うのも頷ける。

それはそれで良いのである。「違い」は誰にもあって当たり前なのだから。

良くないのは、そういう「違い」を受け入れないで爆弾を落とす「ヒッピー」ちゃんである。


しかし、「若いから」で全ては済んでしまいそうでもある。

実際その晩も、他の同僚らは皆そう思っていただろう。余りの勢いに口を挟み難くて、黙って聞いているしかなかったワタシたちである。彼女の「若さ」は周知の事実でもあり、しかしその「エネルギィ」を、ワタシたちは買っているのでもある。


今回は、ワタシひとりしか批判を受ける人間がいないのだから当然だが、「矛先」はワタシに向かって来た。

ワタシはそういう訳で日本語の適切な言葉が出て来ない事があるので、ニホンジンと話をする際には現地語単語の混ざった会話をする。それで今まで済んでいたし、大抵の人々は理解してくれていたから、自分でもそれでまあ良しと思っていた。

文章を書く際にも、実はぱっと思いつかない場合などは、カタカナにしたりそのまま現地語のままで書いたりする。

翻訳の仕事の場合はそうも行かないからちゃんと辞書を引いたりなどするけれども、普段エンピツさんやミクシィで日記を書いたりする際には、訳さない事もある。

それを彼女は、「嫌らしい」と言ったので、ワタシは一寸驚いた。

「まるで言語が出来る事を自慢しているような、しかしこんなものは長く住んでいたら出来て当たり前だし、他にも出来る人は五万といるのだから、自慢にも何にもなりやしない。うちの姉なんてダンナに付いて彼方此方住んだから、数ヶ国語が出来るし、うちは元々そういう家だから、それが当たり前。自分だったらしない。きっちり日本語で書く。そういうのは止めた方がいい。」


彼女はワタシがこの国で総合的に住んでいる年数と同じ位の年数を、この街で過ごしている。

以前にも書いたと思うけれど、この街は非常に特殊な街なので、ワタシは此処にしか住んだ事の無いニホンジンが恰もこの国の事をすっかり分かったような顔で色々言うのが、嫌いである。

と言うのも、この街にはニホンジンが沢山住んでいる所為で、色々の日本的なものに溢れている。日本語のテレビチャンネルもあれば、日本の本屋だのコンビニエンスストアーだの寿司屋だの居酒屋だのが沢山あるので、日本にいるのと同じように暮らす事が出来る。

実際毎日ニホンジンとしか口を利かず、日本語テレビを観て、日本食屋で鱈腹喰って、ニホンジンホステスのいる「ピアノバア」で呑んだくれる、という駐在員も沢山いるようである。

ワタシが以前住んでいた町にも多少ニホンジンがいたけれど、この街と比べたらそれは「胡麻塩の胡麻」と「塩に湿気除けに入れた一つまみの煎り米」程度の違いがある。

(しかも「白い煎り米」と同様に、あの町も圧倒的に「白い町」であるから、現地のニホンジンも殆ど同化して暮らしているのである。)

この街へ越して来てからも、ワタシはニホンジンと口を聞く機会は(「がみがみガール」を除いて)最近まで無かったし、日本語テレビなども観ないから、基本的には現地語で暮らしている。だから普段の会話は、注意しなかったら、日本語と現地語の「ちゃんぽん」である。尤も現地のニホンジン同士では大概そうだから、誰も問題にすらしない。

まあ、それに甘えているワタシも難だが。


それともうひとつ、彼女は家族との繋がりが良好なので、比較的頻繁に日本に帰るようである。日頃から日本の家族と連絡も取り合っているようだし、更に出産を控えたお姉さんが近隣の町に住んでいるそうで、近々お母さんが手伝いに飛んで来るそうである。

兄弟姉妹が多いというのは、それだけでいざという時頼る相手として、「心の拠り所」になるだろうと思う。

いつも喧嘩ばかりで嫌いだから頼りになんかしていない、などと言う人々もいるが、実際「いざ」という時になったら、連絡を取り合い安否確認をするだろう。住処が無くなったら、暫く居候くらいさせてくれるだろう。

そういう「当て」に出来る人がいるかいないか、というのは、割と大きな問題である。

それは心の支えとなり、「精神的安定」の根底を築く。

普段から連絡を取り合えるくらい親しい家族に恵まれた人は、それだけで幸せである。

それが異国暮らしであれば、そして更に近所に住んでいれば、尚更。



翌朝「アルカセルツァー」を飲みながら、ふと思う。

彼女と二人きりで呑むのは、結構疲れるな。何しろ何時「爆弾」が飛んで来るか知れないのだから、気を許せない。

彼女はワタシにはそれなりに尊敬を払ってくれている様子でもある。こうして時折一緒に呑もうと誘ってくれるところを見ると、友達として認めてくれているのだろう。

ワタシもその昔、「怖いもの無し」で「全快バリバリ」(こんな事を言うと時代が知れるかしら…)だった頃がある。

いや、それでも流石に目上の人に説教は垂れなかったけれども、同世代や年下なら平気でやっつけていたような気がする。それは酒が入っていようがいまいが関係無かったから、もっと始末が悪い。人の事は言えない。


そういえばもうひとつ、彼女と呑んでいる際出て来た話で、例えばワタシたちのいる業界では自分のついているボスの意見と違う事は発表し難い、というのがある。

ワタシと別の同僚は、そういう場合には自分の業界人としての生命に関わるので、悔しいけれども中々出来ないと言ったのだが、彼女は「相手の言ってる事が違うと思ったら、それが誰であろうと幾らでも違うと言ってやる。それが言えないのなら辞めてやる」と言う。

「では今度新しい場所に行ってそういう状況になったら、是非試してごらん」とワタシは言う。彼女が今度行くところは、今よりもっと保守的で上下関係が厳しいところとして知られている。

ある意味、彼女はこれまでそういう状況に遭遇しなかったか、痛い思いをしないでやって来れた訳で、「お目出度い」という事なのだろう。

確かに、彼女は幸運な人である。

彼女が今度行く場所からは、ボスの紹介のお陰で良い待遇を受ける事になっているし、その面倒見の良いボスのお陰で「賞与」も貰っている。そのボスの紹介で、別に幾つか仕事も請け負っていると聞く。彼女はワタシの同僚らの中でも、かなり恵まれている方と言えるだろう。ワタシも実は、一寸嫉妬さえしている。



世の中、「運の良い人」というのは、いるものである。

「爆弾少女」は、このままやっていけるのかも知れない。

そうでないとしても、どうせもう会わないのだったら、どうでも良い事である。居るうちだけ底々の付き合いをしていたら、済んでしまうのだろう。

それもなんだか淋しいが。



2006年06月12日(月) 六月六日と「牡羊座的」男たち

先日、ワタシが「わぁ、今日は6・6・6だ」などと浮かれている頃、その六月六日という日には、世界中の彼方此方で色々な人々がこの世を去ったようである。

いや、勿論それはどの日であろうと、基本的に毎日誰かしら死んではいるのだが。

例えば、某NGO(Non-Governmental Organization)の二番目に偉い人として世界中に知られていた「ザルカウィ」という男が、とうとう亜米利加軍の攻撃によって殺害された。

うちの界隈では、この男の死に顔がテレビで何度も放映された。傷だらけで膨れ上がった赤や蒼の斑な顔写真が幾枚か、これでもかと挙げられていた。丁度晩飯の最中だったワタシには、全く好い迷惑であったが。

この男に関しては、あんまり四六時中「二番目」を捕らえた!というのがニュースになるものだから、それは「そっくりさん」が沢山いるからなのか、はたまた本当の「二番目」が「輪廻転生」してこの世に戻って来たからなのか?という冗談が出回る程だった。

…そうか。そうすると、あの冗談はもう使えないという事か。残念。

勿論、今後「二番目」が再びニュースになる事はない、というのが前提だが、本当に「そっくりさん」か「輪廻転生した二番目」が出て来たら面白いと思う。


それから知人の中には、丁度同じ日に会社関係者が何人か死んだ、という人があった。その人が、この日は世界規模で何かあったのだろうか、と言ったのでワタシも早速感化されてしまってこんな事を書いている、という次第である。

しかし一番身近な話としては、今でも親しい間柄である中学時代の大先輩が仕事でここ数日外国へ行っており、そこで同僚であり友人でもあった人を事故で亡くした、というものである。

事故の詳細についての記述はここでは避けるが、ワタシ的に最も気になるのは、彼女が精神的・肉体的に疲労困憊しており、初七日を過ぎたとは言え友人氏の死をどう受け止めてよいのか分からぬ、と日記に書いている点である。

ワタシはそこへ何かコメントを書こうか、迷っていた。余計な事を言わないで放って置く方が良いだろうか。こういう事は外野がどうのと言うより、苦しんでいる本人の気の済むようにさせてやるのが良いだろうから、黙って見守ってやる事にしようか。

そんな事を思っているうち、以前にもここで少し書いた例の馬鹿が、「先輩の強さで乗り越えていってくださいね」などと追い討ちを掛けるようなコメントを残しているのを発見して、ワタシはその無神経振りに憤慨した。

あほか。親しい人が突然死んで混乱している人間に「強さ」を求めてどうするのだ。しかもまだ渦中にいるのに、「早く乗り越えろ」と言っているようなものじゃないか。そんな風にプレッシャーを掛ける馬鹿が何処にいる。分かったような口を利くな。

そういえば奴は昔から無神経なところがあったよ。本人は気を使っているつもりなんだろうが。


偏見を承知で言うが、奴は「牡羊座」の太陽の生まれである。

そういえば、ワタシが大学時代にお付き合いしていたオトコノコは、太陽はワタシと同じ水瓶座でも、男性における恋愛を司る火星とコミュニケーション・スタイルを表す水星が「牡羊座」だった。

こいつも通常人々から「あいつはいつも気を使って、いい奴だ」などと評されるのだが、ワタシからするとなんて気が利かないのだこの無神経野郎と思うような事を言ったりやったりしていて、それが元でワタシが匙を投げお別れしたという経緯がある。


また、比較的近年に長らくくっ付いたり離れたりという関係を続けていた男、こいつの事をワタシは「腐れ縁・悪霊男」などと呼んでいるが、奴もそういえばかなり「牡羊座的要素」が強いこてこての牡羊座だった。

こいつも人々からは受けが良い。自分でも同僚・友人思いの「いい奴」だと思い込んでいるので、周囲の人間に対してはかなり過干渉である。しかし実際は「人から嫌われるのが怖い」というだけで、必要以上に「良い子ぶっている」だけである。

だから未だにワタシとオフィスなどで顔を合わすと、その際勿論ワタシは簡単な挨拶だけで愛想など振りまいたりせず通り過ぎる訳だが、決まって後からメールをよこして突然自分の近況報告をしてみたり、「さっきは誰々と仕事の話をしていたからゆっくり話せなくて済まない」などと聞いてもいない言い訳をしてみたりするのである。自分に自信が無い男というのは、なんと哀れなのだろう、とその度に思う。


こうしてワタシは忽ち、ワタシがほんの数人ばかし知っている「牡羊座的」な男たちの自信過剰で無神経なところを一般化して、さてはまた「牡羊座気質」の所為に違いない、と暫し憤慨してみる。



…いや待て、そんな事はどうでも良いのだ!

例えそれが本当に「牡羊座気質」の所為だとしても、それが本来相性の良い筈のワタシに何故か鼻に付いて仕方が無いものだとしても、それ自体はどうでも良いのである。


人間いい年になって来ると、身近なところに死人のひとりやふたりは出て来るだろう。その故人との関わりが、戸籍上は兎も角、心の距離が密接であればあるだけ、突然の死と共にやって来る混乱や虚無感など様々な感情もまた深いものである。

そういう気持ちを消化するのにはそれぞれに必要な時間というものがあって、それは「初七日」だからとか「一周忌」だからさあ気持ちを切り替えて、とかいう風に割り切れるものでは無く、全く人それぞれなのである。

だからワタシは、本人の気が済むまで、時間を掛けてゆっくりお別れをしたら良いと思う。

それに、人の気持ちなんて、そう簡単には分からないものである。結局のところは、他人の気持ちは全くその通り経験する事など出来やしないのだから、想像するしか出来ない筈である。

ならば、「貴方の気持ちが分かる」とか「貴方も辛いだろうけど」とか「いつまでも悲しんでいないで」などと分かったような事を言わずに、分からないなら分からないと真実を言った方が相手にも親切じゃないか、下手な偽善なんか、更に相手を傷つけるだけじゃないか、と思う。

「貴方の苦しみを想像する事しか出来ないけれど、でも何か出来る事があったら言ってくれ」とでも言う方がまだましだ、とワタシは思う。



君が思っている程、ワタシたちは親しくない。

他人はあくまで他人。

その辺りは、勘違いしない方が良い。


2006年06月04日(日) 湖畔へ小旅行・その三

最終日の朝、「従姉」はワタシがまだ居間の一角の寝床で寝巻きでいるうちから、つかつかとやって来てテレビを観始める。

この女は相変わらず、おはようなどの挨拶を一切しない。シリアルの箱に手を突っ込んで、ばりぼりと音を立てて齧っている。

シャワーを浴びに行きたいのだが、「ローファー」が殆ど全裸でベッドに横たわって大イビキをかいているのが、ドアの隙間から見える。その部屋を突っ切ったところにある風呂場に行くのは憚られるので、暫く待つ。

漸く「ローファー」が起き出して来たのでシャワーに行き、戻って来ると、ふたりは揃ってテレビを観ている。こんな自然の豊富な土地にやって来て何故テレビ?と思いつつ、見ない振りをして身支度を済ませ、デッキに出て外を眺める。

何種類いるのか分からない程の鳥の鳴き声がする。そのうちボオイフレンド氏が起きて来て、今のは野生の七面鳥の鳴き声だったよとか、鶉があっちの方へ向かって行ったねとか言う。どちらも食べるのは好きだが、生きているやつに会う事は余り無いので、ワタシは俄かに興奮する。


以前鶉を仕留めた時、うちのイヌに、さあ行って取って来い!と言ったら、直ぐに走って行ったのだけど、そのまま鶉をどこかに隠してしまって戻って来なかったんだよ。折角新鮮なのを彼女に食べさせてやろうと思ったのにさ。

・・・どうなったの?

イヌというやつは、新鮮な獲物は好きじゃなくて、少し腐ったのがいいらしいんだな。結局数日してから持って来たけど、その頃には勿論人間には食べられない状態になっててさ。もういい、全部お前のものだよってね。あれはやられたね。

へえ!イヌが腐り掛けの肉が好きだなんて、知らなかった。


ボオイフレンド氏は「狩」もするので、装填してある大きなライフルなんかが家に転がっていたりする。


庭に植えたハーブや野菜をスカンクが荒らしに来るから、可哀相だけど仕方が無いから、これで撃つんだ。こっちも折角の仕事が台無しになっちゃ敵わないからね。

へぇ。成る程ね。

もし銃の撃ち方を覚えたかったら、教えてあげるよ。デッキの端に置いてあるあのブロックに銃を固定して、あの木の辺りに缶を置いて練習するんだけど、いざという時に撃ち方を知っているのと知らないのとでは、圧倒的に知ってた方が身を助けると思うんだよ。君も都会に住んでいるのだから、そういう機会が無いとは限らないでしょ?


それは確かに一理ある。

考えているうち、ボオイフレンド氏は続ける。


そういえば夕べ「ローファー」は、君に随分失礼な事を言ったね。君は只、自分のままでいるだけなのにね。やつは何故か知ったような口を利くんだよな。じゃあそもそも手前の「ローファー」は、一体何処の世界で溶け込んでいるって言うんだよ。あはは。

ホントに。あれで船にも乗って川にも行ったのには、びっくりしたよ。

俺も段々、やつは自分で言う程には物を知らない人間のような気がしてきたよ。

そう、そこが問題だと思うのよね。彼は自分は全てを知っていると思い込んでいる。

でも、ホントはそうじゃない。なのに、その調子ですぐ他人を批判し始めるんだ。



ボオイフレンド氏も「ローファー」のつまらない話を聞いてやっていたのだ。彼はお客をもてなそうと皆に気を使って、今だってこうやってワタシのご機嫌も取ってくれて、大変である。彼女もそうだが、この二人は今週末、本当に気苦労が多かった事だろう。


皆が一通り支度を済ませたところで、最後に例の町に一軒しかないというレストランで昼飯を喰って帰ろう、という話になる。

友人はボオイフレンド氏の車に乗り込み、「ローファー」が友人の車を運転して後を追う事になった筈なのだが、「ローファー」は先に発進してそのままずんずんと車を走らせてしまう。「従姉」とふたりして、あの娘は自分で決断が出来ないから、彼が代わりに決めてやっているのだ、間抜けだねとか、もうこんな時間だから、食事なんかしていたら帰り道が込んじまって家に辿り着けなくなるよとか言っている。

そのうち、もうこのまま行っちまおうと思うんだが、君はどう思う?と聞いて来る。

ワタシは冗談めかして、ひょっとしてワタシはさらわれるんですか、と言いながら、こっそり携帯電話を取り出して電源を入れてみる。ここぞという時に限って、案の定「ローミング」しているが、そうこうしているうち後方に彼のでかいトラックが見え始める。早く追い付いてくれ、と祈る。

彼女はこの事を知っているんですか?荷物はこっちに積んでるし、一応知らせた方が良いのでは・・・

うーん、まぁでも彼女は此処には何度も来ているのだし、別に今日帰らなくても問題ないだろう。

そのうち「従姉」が、ちょっと、トラックが見えないけど、別の方角へ曲がったんじゃないかしら、一応待ってみた方が良いかもよ、と言う。それに応じて「ローファー」は路肩に車を止める。暫くして、トラックが追い付き、友人が手を振りながら追い抜いて行く。


目指したレストランは、連休最終日とあって、休業していた。

がら空きのレストランの駐車場に、車が停まる。見るとボオイフレンド氏のトラックの後方にイヌが乗っていて、こっちを向いて尻尾を振っているのが見える。

ワタシは直ぐに車を降りると、トラックの向こう側へ回る。イヌに話し掛ける振りをしながら、ワタシは友人に「ローファー」と「従姉」が彼女を置いて帰ってしまおうと話していた事を伝える。彼女は表情を曇らせながら、でも、それには驚かないわね、あの人たちなら、遣りかねないわ、と言う。

ボオイフレンド氏がもうひとつ、ある葡萄酒製造所内に食堂があるから、そこに行ってみようと提案する。しかし行ってみると、そこも閉まっていた。駄目だな、この連休は、と彼は悔しがる。

「ローファー」と「従姉」は、いや、君は出来るだけの事をしたのだから、いいさ、それより俺たちはあんまり腹は減っていないから、もうこのまま行こうと思うんだが、と言う。

ワタシは友人の顔を見る。どうしよう、予定より早くお別れの時がやって来てしまった。


あの、ワタシ、クリネックスなら持っているから、いつでも言ってね。

ああ、汗でメイキャップが酷いって事?

いえ、そうではなくて、嗚呼離れたくないわハニー!うるうる・・・、てな事になるかなと思って。


するとボオイフレンド氏が、いや、俺たちはこんなのもう何度もやって、慣れているから大丈夫、と言って、じゃあまた直ぐ会いに行くからね、愛してるよベイビー、と彼女を抱きしめる。あら、意外とあっけなく終わるのね。

ワタシたちも滞在中のお礼を言って、あっさりとさよならをする。今度街にやって来たら、会おうね。元気でね。


帰路は特に渋滞も無く、これまたあっさりと帰京する。

「従姉」と「ローファー」のアパートの前で彼らを落っことすと、友人が駐車場まで行く序でに家まで送って行ってやる、というので、自宅に着くまでの間に彼女が知らぬ間に起こった色々の出来事を掻い摘んで話す。呆気に取られて息を飲む彼女。


貴方、随分我慢したのね、辛い思いをさせて御免なさいね。でも私あの人と親戚関係だなんて、未だに信じられないのよね。だって、余りにも育ちが違うというか、家族関係も全く違うし。でもあのふたりはよくそういう事をやらかして、友人のパーティーなんかでも色々と言うべきでない事を言ったりなどして、以後二度と再び呼ばれなくなった、なんて例が一杯あるのよ。

やっぱりね。まぁそういう訳だから、ワタシも今後彼らと一緒にディナーとかっていうのは、遠慮させて貰うわね。寿命が縮みそうだし。

そうね、今度は彼らを呼ばないパーティーの時に招待するわね。

うん、有難う。それ以外は、今回の旅は皆素敵だったし、とても堪能したよ。彼もご両親もお友達も、人々は皆親切だったし。まぁ一部の人々は問題があるのかも知れないけれども、少なくともワタシが経験した範囲では、然したる損害も無いし、結果オーライ。

そう、それは良かった。楽しんでくれたのなら。



今回の小旅行では、友達や同僚や上司といった人々は幾らでも変更が可能だが、家族や親戚は選べない、という事を学ぶ。


完。



2006年06月03日(土) 湖畔へ小旅行・そのニ

翌日は、湖の傍にある滝を見がてら、少しハイキングをする事になる。

例の「ガソリンスタンド兼コンビニエンスストアー兼サンドウィッチ屋」でサンドウィッチを作って貰って、それとスナックや飲み物を買い込んで、出掛ける。


サンドウィッチを作ってくれた女性は、元々この町の出身ではなく、ワタシたちの住む街から程近い島の人だそうで、成る程その訛りをまだ残している。

この町の男と結婚して以来二十年近く此処に住んでいるのだが、十年程前に嫁ぎ先がタダの「ガソリンスタンド」だった店を「ガソリンスタンド兼コンビニエンスストアー兼サンドウィッチ屋」に改造したので、彼女は以来ずっとそこで働き尽くめだそうである。

十年間毎日サンドウィッチばかり作っているんだぜ。そんなの、幸せな人生じゃないよな。気の毒に。

店を出ながら、ボオイフレンド氏が呟く。

コンビニエンスストアーでは、彼女の十代の息子が手伝いをしていた。

お母さんとあんまり似てないねって、よく言われます。

あどけない表情を残した息子が笑う。



滝へ向かう道は、前夜の雨でぬかるんでいた。

そのうち道は川に消え、ワタシたちは足を濡らして進む。ビーチサンダルで来たのは、正解である。


大きな滝の前の開けた辺りで、昼食を取る。

此処には、子供の頃から仲間と連れ立って、よく遊びに来たものさ。

成る程、他にも大人に連れられた子供たちや、高校生くらいの年頃の若者たちが連れ立って続々やって来ては、滝つぼ目掛けて岩表を滑って遊んでいる。

その上にもうひとつ滝がある、というので、ワタシは友人と、更に丁度その頃現れたボオイフレンド氏の妹とそのボオイフレンドと一緒に、滝をよじ登ってみる事にする。

滝の端の岩は、その昔この辺りに住む先住民が付けたとかで、階段のようになっている。これは大変滑り易いので、慣れないうちはちょっとした岩登りの様相で、慎重に進む。

漸く上の滝に到着する。そこには虹が出て、大変美しい眺めである。しかし水が刺すように冷たいので、腰の辺りまで入ってみてその先は断念する。

片や、「若い二人」はざぶざぶと奥まで入って行って潜ったり、まるで修行僧のように滝のふもとで打たれたりなどして、ふたりで戯れている。ちょっぴり羨ましくなる。


その後ワタシたちは、皆揃ってボオイフレンド氏の実家で食事に呼ばれる。

食事と言っても、「晩餐様式」ではなく、夏の風物詩である「バーベキュー」というやつで、お父さんが外で肉を焼く間、お母さんが手際良く付け合せの野菜やパスタサラダやカクテルフルーツなどを用意して、後は各自で好きなのを盛り合わせて食べろ、という方式である。

準備が出来る間、ワタシたちは係留してあるボオイフレンド氏のボートで湖に出て、再びその細長い湖を楽しむ。

どうやらこの界隈の人々は、一家に一台以上の割合で釣り船やらクルーザーやらヨットやら、何かしらの遊び道具を所有している様子である。意外と豊かな暮らし振りに、一寸驚く。


ボオイフレンド氏はそもそも気さくで好人物だけれど、それがそのご両親から来ているのだ、という事がとても良く分かる。大変魅力的で暖かく、可愛らしい人々である。

お母さんは兎に角良く気が付いて、そして目をくるくるといたずらっ子のように動かしながら、良く笑う。

ワタシが歯列矯正中で先程器具をはめたばかりだから、夕食時までおやつは我慢すると言うと、うちの上の息子の時は器具が外れてしまって駄目だったけれど、貴方はちゃんと頑張っているのね、偉いわねと褒めてくれたので、まるで子供のようだなと思いながらも嬉しくなる。

帰りしなにも、帰ったらちゃんと歯磨きをして器具をはめるのを忘れずにね、とお母さんらしく言うので、暫くそういう会話をしていないワタシは、家族が近所に住んでいるボオイフレンド氏を一寸羨ましく思ったりする。

お父さんは、湖で遊んで帰った後、彼が焼いている沢山の肉を見て目を丸くしているワタシをがばと抱きしめ、君は良い子だね、知っているかい?と言ったので、驚いた。

彼はどうやら、かつて理科の教師をしていたらしい。その後テラスで食事をした後、界隈の鳥の生態について話し始めた際、とても生き生きとしていたのが印象的である。

そのうち、一寸失礼、と引っ込んだと思ったら、自作の鳥の巣箱を持って来て更に解説を続けたので、ワタシはこういうお父さんがいたら、子供たちは自分の好きな事に没頭して、心豊かに育つだろうなあと感心する。


彼らの家は今建設中で、それを請け負っているのは息子であるボオイフレンド氏だという。木目も鮮やかな美しい家で、開放的な吹き抜けがあり、しかも家のどこからでも湖が見渡せるのが魅力である。

こんな家に住めたら良いのになと、またしても羨ましくなる。



日が沈む前に「おいとま」して、ワタシたちはボオイフレンド氏の家に戻り、今度は「焚き火パーティー」の支度をする。

前夜バアで、彼が仲間たちに「明日はうちで焚き火をするから、来いよ」と言っていて、不思議に思っていたのだが、それはつまり文字通り「彼の家の庭で火を焚いて、掻き集めた焚き木がなくなるまで焚き続け、人々はその周りで持ち寄った麦酒を呑んで騒ぐ」というものであった。

帰ってみると、既に到着して、車のトランクから麦酒の入ったケースを開けてお先に始めている人々がいる。中には一旦来て見たけれど、ワタシたちがまだ帰っていないので、焚き木と麦酒を置いて出直して来た人々もいる。

ボオイフレンド氏の巨大なトラックに乗り込み、庭の向こうにある林の中から、焚き木になりそうな適当な木材を運ぶ手伝いをする。

途中「おまわり」が来て、ワタシたちが車に酒を持ち込んでいるのを察知したかのように未舗装道に停車して暫くじっとしているので、慌てて缶を窓の外へ放ったりしたのは、後で笑い話になる。

そのうち広大な裏庭の果てに、鮮やかな夕日が沈んで行くのが見える。周りに障害になるような高層ビルなんかが無いから、真っ赤なそれが濃紺の空にじわじわと交じり合って行く様が、良く分かる。こんなに綺麗な夕日を間近で見たのは何年振りだろう、と感動する。

段々夜の帳が降りて来て、人々が集まり出す。

焚き火場を見下ろせる家のデッキでは、「従姉」と「ローファー」、友人とボオイフレンド氏の二組のカップルが隣り合わせて座り、呑みながら互いに甘く語らっている。「従姉」と「ローファー」が甘いかどうかはこの際知らないが、ワタシはその中でひとり「シングル」でいる事が居た堪れなくなって来て、パーティー会場へ逃げる事にする。

薄暗い中、夕べバアで見掛けた人々に気付いて、挨拶をする。しかし大半の人々はワタシの顔も名前も覚えていて、向こうから今日はどこかへ行ったの?何してたの?などと聞いて来る。ワタシときたら、一躍人気者である。

若者たちの中には、時折焚き火の上を歩いて通過してみたりする「肝試し派」もいるが、恋人同士で寄り添って「静かに語らう派」もいる。しかし女の子は圧倒的に所謂「セミロング」と呼ばれる長さの金髪若しくは染めた金色の髪で、たったひとりだけ、つまりボオイフレンド氏の同居人のガアルフレンドなのだが、その女性だけがショートヘアである事に、圧倒される。最近髪を四十センチばかし切って寄付に出し、今ではすっかり短くなっているワタシは、これだけ閉鎖的な田舎町でひとりショートヘアでいる彼女に好印象を持つ。

彼女は他所の町からやって来てまだ二年目の夏だそうだが、「もうすぐダンナと別れるんだけど、実は今日が十三回目の結婚記念日」と笑う。意外と同世代もいるのだな、と少し安心するが、しかし「同世代とは、十三年も結婚していても可笑しくない年頃」という事実に驚愕する。

御免、夕べは酔っ払ってたから、おんなじ話を聞いたような気がするんだけど、すっかり忘れちゃったわ。もう一回教えて。街では何してるの?

ワタシの方も酔っ払っていたから、誰と何を話したかなんて、すっかり忘れている。そもそも人が沢山居過ぎて、誰が何という名だったかだって覚えていないから、傍に居る人を捕まえては、誰某と昨日話したような気がするんだけど、彼は今何処?と聞いて回ったりする。そういえば昨日バアの裏庭で呑んでいるうち、小さな缶を使った試験的な「簡易バーベキュー」が始まって、その時ワタシに美味しく焼けたお肉を持って来てくれたのは、誰だったっけ。あれは美味しかったな。


この田舎の皆さんは、明らかに「ガイジン」で「余所者」のワタシを珍しがってか、大変陽気で親切な人々ばかりなのだった。

多分住んだらこうは行かないのだろうけれども、束の間の「ちやほや」を満喫するワタシである。

途中完全に酔っ払ったどこかの小父さんが、無言でワタシの首に手を回して来て、危うく締め上げられるのかと驚いた一幕があったけれど、そのうちデッキからパーティー会場へ移って来たボオイフレンド氏が取り締まってくれたので、ワタシの身の安全は保たれる。

こういった田舎町では、「飲酒問題」というのが恐らく大きな社会問題なのだろう、とふと思う。

ボオイフレンド氏の同居人も、実は「飲酒問題」によってこれまでの歴代ガアルフレンドらに匙を投げられているという。ワタシは滞在期間中にその度合いを垣間見る事は無かったけれども、小耳に挟んだ話を総合すると、酒が彼の人生を侵食し始めている事について、周囲の人々は憂えているようである。

セラピーに行くが良い!とワタシは言ったのだが、ボオイフレンド氏の反応を見る限りでは、それは余り馴染みが無いか、若しくは余り好ましいものとして受け止められていない節があるのは、残念である。



焚き火が段々小さくなって来て、馬鹿話をしながら呑んでいた人々が帰り始める。残っている人々と車座になって話をしていたワタシは、トイレに行こうと場を離れる。

うちの人々は、いつの間にか家に戻って夜食を取っていた。それは見覚えのあるトマト色の野菜の煮込んだので、今回は食パンを切ったやつで挟んで食べていた。

夕べの一件の所為で、ああまた同じの?と思わず意地悪を言ってしまう。今度は辛くないわよ、と「従姉」が言うので味見をしたら、本当に辛くは無かったけれど、他はやはり同じ味だった。


友人と「従姉」はそろそろ寝ると行ってしまったので、「ローファー」とボオイフレンド氏と一緒に呑む。

デッキからの夜空の眺めがあんまり綺麗なので、ボオイフレンド氏と星の話になり、そこから西洋占星術の話に移る。彼と友人はどちらも同じ星座なのだが、「同じ星座の人とは相性が悪い」などと良く言われているので、占いは信じないのだ、と言う。

ワタシは、本来これはエジプト人が何千年にも渡って掻き集めたデータを元に作り上げた分析方法であり、言わば「統計学」であるから、意外と信憑性があるし、生まれた時のホロスコープを良く調べてみれば、太陽以外の惑星の位置や角度などから詳しい相性が判明するから、そう悲観したものではない、と言う。

するとそれを聞いていた「ローファー」が、黙れ、自分が何を言っているのか分かってもいない癖に、何を言ってやがるんだ!と怒鳴り始めた。

ワタシは眉をひそめつつ、今何と言ったのですか、と極力冷静に聞き返したのだが、そのうち彼が、どうせお前なんか日本に帰りたくないから、この国の市民に成りすまして文化に溶け込んだつもりで居るのだろうが、とんだお門違いだ、などと言い出したので、忽ち喧嘩になってしまう。

貴方随分失礼な事を仰ってますけど、ワタシはこの国の市民になりたいとか成りすまそうなどとはこれっぽっちも思ってませんし、というかそもそもこのご時世、この国の市民権などというものは糞の役にも立ちやしないし、却って無い方が好都合と思ってるくらいですけど、それにしても一連の話の中から一体どういう訳で「日本」が出て来たんでしょうね?ワタシの話はちゃんと聞いてくれてたんですか?「エジプト」の話はしたけれど、「日本」とは一言も言ってませんよ。それともあれですか、貴方もワタシの事を実際以上にニホンジン扱いしないと気が済まない、「人種差別主義者」って事ですか?嗚呼、全くどいつもこいつも、無神経で無教養者で、嫌になっちゃうね!全くがっかりだ!ヘドが出るよ!


酔っ払ったワタシの口を止めろったってそうは行かないのだから、ワタシはボオイフレンド氏が止めに入るのを余所に、「ローファー」と暫し怒鳴り合う。

そのうちボオイフレンド氏はそろそろ寝ると行って出て行ったので、ワタシもこんなところに「ローファー」と二人っきりで取り残されても困ると思い、居間の一角に引き上げる事にする。


多分「ローファー」は、半ば冗談、半ばワタシへの僻みで、あんな事を言ったのだと思う。

後になって思えば、昼間ボオイフレンド氏の両親の家でお父さんに聞かれたので、ワタシが普段あんな事とかこんな事をしているという話を少ししたのだが、その際翻訳というものについて、文章を読みながらたったかたとタイプして、後は校正して終わり、内容にもよりますが慣れれば自動的に出来ます、と言ったのを、勿論自慢のつもりで言った訳ではないのだが、しかしこの国の多くの人々のように一言語しか出来ず、恐らくワタシが行った程には学校も出ていないと思われる彼が、こんなガイジンの黄色い「ちんちくりん」ですらそんな事が出来るという事実に嫉妬して、それでたかだか「星占い」程度の些細な事に反応しているのだとしたら、何だか想像も付く。

きっと彼は、自分の人生や周囲の評価に、余り満足していないのだろう。だからこの男は他人のやる事が一々気に食わないで、片端から批判して回っているのだ。


ふて腐れて、寝る。


つづく。


2006年06月02日(金) 湖畔へ小旅行・その一

先日の日記にも書いたように、うちの界隈では先週末は所謂「墓参り連休」となっていたので、ワタシは友人に誘われてある田舎町まで小旅行に出掛けて来た。

え?

仕事もしないで、ここのところ「小旅行」が多いのでは?

実はワタシもそう思った。

それはまあ、置いておいて。

事前に友人から聞いていた通り、そこは自然のど真ん中にある小さな町で、つまりそれ以外には何も無い、のどかな土地であった。

ワタシは元々戸外活動が好きな性質なので特に文句は無かったのだが、一緒に行った友人の「年の離れた従姉」と「そのボオイフレンド」にとっては、相当退屈な旅だったようである。何しろ、最終日には朝からテレビを見始めてしまうくらいの、典型的な都会人たちなのだから。

ところでこの人々については、「もし彼らの口論が始まっても、気にしないで。良くある事だから」と注意を受けていた。

てっきり口喧嘩の多い中年カップルなのだろうと思っていたのだが、それはふたりの間のみならず他者に対しても容赦無く行われるのだという事を、ワタシはいずれ知る事になる。



金曜の夜、友人が運転する車で、我々は北方の小さな湖の畔にある町へ向かう。一部混んでいたので、所要約六時間である。

車に乗り込むなり、ワタシは早速同乗者の皆さんに一通り自己紹介をしてみるのだが、このふたりの中年は碌すっぽ挨拶をしない。いい年をして人見知りも無いだろう。なんとも奇妙な人々だと思う。

それから暫くのうちに、ワタシはこの「従姉のボオイフレンド」という初老の男性の、言葉遣いの酷さに気づく。

このくらいの年代の男性といえば、通常それなりの社会的地位というものがあるので、少なくとも初対面の人に対して、特に女性に対して話をする場合は、多少の気遣いが成されるのが常だが、しかしこの男はお構いなしである。

この人々もワタシの友人同様、街の中心地に程近い「閑静な高級住宅街」地区で暮らしていると聞いていたのだが、そして磨かれた「葡萄酒色のローファー」を履いているのがちらと見えるのだが、その割りにこの粋がった高校生か何かのような汚い口の利き方は何だろう。ワタシは暫し呆然とする。



滞在先である友人のボオイフレンド氏が住む家に着いた頃には、既に日付が変わっていた。

歓迎を受けて、ワタシたちは早速土地の麦酒や葡萄酒を頂く。

この辺りには沢山の葡萄畑や葡萄酒製造工場があるそうで、中でも格別美味いと評判の甘い「ロゼ」を呑む。

(ちなみに「従姉」はこれを、「まだ若くて深みなんか全く無い、ただ甘いだけの色水。グラス一杯が限界。」と後に評する。)

ワタシが手土産に持参したギリシャの臭い酒は、この男性らに意外と好評で、だからこのロゼは単に「来客女性向け」に過ぎないのだ、と知る。

そのうち友人は、運転と日中の仕事の疲れで早々に寝入る事にした模様で、勿論ボオイフレンド氏もそれに続き、「従姉」も疲れたから寝ると言いながら部屋を出たり入ったりと落ち着かず、後は「ローファー」とワタシが残される。

この男は車の中でも引っ切り無しに喋り続けていたが、酒が入った後は加速度付きで、実の無い話を続ける。彼の話は基本的に彼方此方へとっ散らかっているので、要領を得ない。また冗談も良く飛ばすのだが、寧ろ彼の話はそもそも全てが冗談を言う為に話しているかのように、漸く結論に辿り着いたかと思う頃に必ず奇妙な冗談が登場するので、一体何の話だったのやらと戸惑う。

かくして初日の晩に、ワタシは「ローファー」の話は概ね聞くに値せず、聞き逃しても惜しくない、と判断する。



翌朝、友人とボオイフレンド氏が起き出して来た音を聞いて、ワタシも起きる事にする。

というのは、沢山あった筈の寝室は何故か満室で、「独り者」のワタシは居間の隅に囲いをした一角に簡易寝床を作って貰い、そこで寝泊りする事になっていたからである。お陰で、すぐ脇の台所や食卓に人が出入りする度に、一々起こされる羽目になっていたのである。

この家に滞在している間、ボオイフレンド氏が毎朝珈琲を淹れてくれたのだが、これは掛け値無しに旨かった。


この日は例の「スクーナー」と呼ばれる大きな帆船のクルーズに行く事になっていたのだが、出掛ける前にボオイフレンド氏が「海苔入りオムレツ」なる彼の発明品を朝食に作ってくれる事になる。

友人曰く、それは給料日前で金も無ければ冷蔵庫に食材も無い日に彼女の部屋に遊びに来ていた彼が、魔法の如く余り物を寄せ集めて拵えた「成功作品」だそうである。技術と創造力のある男性とは、素晴らしい。

そのうち「従姉」も「ローファー」も起きて来たので、ワタシは空いたシャワーを使う事にする。

身支度を整えて出て来ても、「海苔入りオムレツ」はまだ完成していない模様である。料理が得意という「従姉」が、友人とボオイフレンド氏の共同作業に参加(若しくは横から要らぬ手出しを)して、ばたばたとやっている。

ワタシは朝靄の中デッキに出て、湖へ向かってなだらかな斜面になっている広大な裏庭の眺めを楽しむ。その余りの広さに圧倒されながら、そういえば夕べ此処へ来る途中、町を走る一本道を折れてからはずっと「未舗装道」だったのだ、という事実を思い出す。何だか新鮮な心持である。

漸く出来上がった「海苔入りオムレツ」は、大変辛かった。

最初に説明を受けた段では、ボオイフレンド氏は「海苔とチーズが入ったオムレツ」を作ると言っていた筈なのだが、いつの間にか計画は変更され、玉葱や椎茸やピーマンなどをトマト色に炒めたものが一緒に入っており、更に大量の赤唐辛子が投入されている模様である。お陰で海苔の風味は完全に損なわれていて、残念である。



その日は生憎、靄の掛かった薄曇の日和で、大変肌寒かった。

ワタシは半袖に薄手の長袖ジャケツを二枚、下は七分丈のヨガ用のおズボンにウールの長靴下とスニーカー、そして雨具上下とスカーフを持参するが、これに手袋とウールの帽子を持っていけば万全だったなと思う。


この船は以前売りに出されていたのだが、長らく売れなかった。というか、持ち主である「葡萄酒製造業主」氏は、本当のところ「彼女」を売りたくなかったようである。当然売りにも身が入らなかったのだが、そのうちどうにか買い手が付く。

ところが、それは先だってうちの界隈まで最後の航海にやって来た後、近海で難破してしまったそうである。

ある日彼女は、四本あるマストが全て折れた無残な姿で停留というか放置されているところを発見される。数日掛かってやっと故郷の湖の町まで辿り着き、そこで修理される予定だったのだが、余りにも壊れ過ぎていたので、一部の木材を再利用して一から作り直される事になる。

だからその船は、以前見た時と少し様子が違っていた。

それはワタシのおセンチの所為などではなく、実際使われた木材や塗料の色艶が、全く別物だからである。更にはどうやら金銭絡みの問題もあった模様で、だから船大工も今回は気合を入れて作らなかったらしい、という事が出来映えを見ても明らかである。飴色の美しい船だったのに、寂しい事である。


霧の中に佇む帆船を見ながら、ワタシは夕べ酒の肴に聞いたそんな話をぼんやりと思い出す。

今ではこの船は、湖観覧クルーズ用のチャーター船として、「乗船料」を徴収して運航している。それには「葡萄酒製造業主」氏の工場で造られた数種類の葡萄酒の試飲とチーズやクラッカーなどのツマミ代も含まれているので、一寸高い気もしたが、しかし実際この巨体を操縦する若者たちの仕事振りを見ていると、これは相応のチップを弾んでやらなければ嘘だと思う。

この船をうちの界隈まで運んで来る際のクルーでもあったボオイフレンド氏によると、ここで人々から支払われるチップの多くは、船長氏がどうやら「ピンはね」しているらしかった。つまりそれは、実際船を動かす為に必要な仕事の殆どをこなしている数人の若者たちの手には、大して渡っていないという事である。

この「船長氏」にはワタシも以前会った事があるが、年配なのでてっきり既婚者だと思い込んでいたら、どうやら独身で、しかもいい年をして親と一緒に暮らしているとの事なので、驚いた。普段は近隣の大学で写真技術を教えているらしいのだが、にも拘らず若いクルーたちにチップを回してやらないのは、どうにもがつがつしていて頂けない、という話である。

友人は、彼は女々しいから女が寄って来ないのだ、と言う。それを聞きながらワタシは、案外人は見掛けに寄らないものだな、と感心する。


そんな事を思いながらも、ワタシはその帆船が実際動いているところを初めて見る事が出来、またそれに乗って湖内だが一応航海する事が出来たので、大変心地良く過ごしていたのだが、その頃友人がどうやら酔っ払い始めていた。

「葡萄酒なら色々出るが、それ以外に飲みたい場合は持参せよ」との事なので、ワタシたち一行は麦酒を沢山持ち込む。

ワタシは前夜の酒が少し残っているのと湖畔が大変寒いのとで、冷えた麦酒は一本程度に留めて、後は葡萄酒の試飲を小さなカップでちびりちびりとやっていたのだが、恐らくそれ以上に呑んだと思われる友人が突如奇声を発したりなどし始めたので、ワタシは少し心配になる。

他にも乗船している家族連れのお客が何組かいて、その御父兄の皆さんの視線が少し痛いが、友人はお構い無しに浮かれているので、苦笑する。


二時間程の航海を終えて、ワタシたちは地元の人々が集まるというバアへ向かう。

集まると言っても、要するにその町は湖をぐるりとする郡道だか町道だかの一本道に沿ってレストランがひとつ、バアがひとつ、ガソリンスタンドとコンビニエンスストアーとサンドウィッチ屋が合体したものがひとつ、後は見渡す限り斜面畑、という構成である。商店街などのような建物が集合した場所は、見当たらない。

だから必然的に、人々は事ある毎にそのバアに集まって来るのである。他に娯楽がない田舎町だから、仕事が終わったら、後は呑むしかない。単純明快である。

そのバアの主は、オーバーオールから大きなお腹を突き出して、裏庭で揺り椅子に腰掛け人々と歓談しながら呑んでいる、赤ら顔の、穏やかで陽気な小父さんである。彼は勿論、葡萄畑と葡萄酒製造工場も所有していて、そこで出された赤い葡萄酒は、大変まろやかで美味かった。

ワタシはボオイフレンド氏がどのように支払いをしているのか、とバアテンダーに尋ねたのだが、バアテンダー氏が「気にするな」と繰り返すので、何やら解せないながらも、とりあえずチップを幾らか弾むと、以降は遠慮無くタダ酒を頂く事にする。バアテンダー氏は日本語が少し出来ると言うが、どうせいつものオハヨウとサヨナラとカミカゼだろうと、適当に済ませておく。

そこには、老若男女、沢山の人々が集っていた。何人かは紹介を受けたけれども、そのうちパーティーの常で、見知らぬ人々とも交じり合いながら楽しく酒を酌み交わし、歓談する。こんなガイジンのワタシを皆構ってくれるので、ワタシも気分良く交じる。

そのうち、そこんちの茶色いラブラドールリトリバーの夫婦を発見し、特に殊更友好的なメス犬とは、バアの裏に広がるトウモロコシ畑に向かって玩具を投げて走り回ったりなどして、ワタシは相当に楽しく過ごす。


お陰ですっかり気づかなかったのだが、その頃友人は相当に酔っ払っていたらしい。

記憶を辿れば、そのバアに着いて間も無くの頃には、まだ一緒に赤い葡萄酒を呑んでいた筈である。そのうち裏庭にある揺り椅子のひとつに腰掛けてボオイフレンド氏と甘く話し始めたから、ワタシはふたりを放って他の人々とお喋りをしに席を外したのだが、その後彼女はひとりうたた寝をしていたと思う。

ボオイフレンド氏が声を掛けたら一旦起きたのだが、それから「従姉」と一緒に席を立って、裏庭から表の駐車場へ出る小道の途中で、突然ばたと倒れたのがワタシの視界に入る。

ワタシはグラスを置いてすっ飛んで行く。ボオイフレンド氏の名を呼ぶと、彼もすっ飛んで来る。吐く、と言うので、長身の彼は小柄な彼女をひょいと肩に抱えて、トイレへ向かう。

ワタシと「従姉」とで彼女を抱えて便器を抱かせるのだが、彼女は既に意識が無い。ワタシは腕に巻いていた、ヘアゴムに「魔除け」のビーズを通して「腕輪」にしたもので、彼女の長い髪を束ねてやる。

意識のある三者間で、これは家へ連れ帰って寝かせた方が良かろう、という話になり、再びワタシと「従姉」とで彼女を抱き起こそうとするのだが、その際「従姉」に「いいからさっさとどけ!彼女を放っておいてくれ!」と何度も怒鳴られて、ワタシは少し気分を害す。

恐らく「従姉」は身内として心配して、責任を持って彼女の面倒を見る気でいるのだろう、と思い直し、後をふたりに任せてワタシは再び人々の輪に戻って、呑み直す。


暫くして家に戻ると、友人は奥でぐったりと横になっている。

水でも飲むか、それとも「アルカセルツァー」を飲むか、と聞くと眉を顰めて頷くので、それらを持って行ってやる。序でに吐いた物の処理をして、タオルを濡らしたのを持って行ってやる。


台所に戻ると、「従姉」がボオイフレンド氏を怒鳴りつけているのに遭遇する。

なぜ自分をひとり置き去りにしたのだ!あんな「ゲロゲロ嬢ちゃん」の世話を押し付けて、ひとりっきりでこんな何も無いところに放置するなんて、酷い事を!しかも一向に帰って来ないし、全くなんて事をするのだ!


ワタシはこの女は本当に身内なのだろうかと、耳を疑う。酔っ払いの面倒を見るのが嫌なら、ワタシに怒鳴り散らしたりなどせずに任せておいてくれれば良かったのに。得意なのよ、そういうの。

ボオイフレンド氏も、ああそれは悪かったが、しかし君は彼女の世話をしたそうだったし、「夕食にパスタを作る」とも言っていたから、ここに置いて行くのが妥当だと思ったのだが、そうされたくなかったとは知らなかった、と言っている。


ちなみにそのパスタは、正確には「朝食べたオムレツの卵と海苔を抜いてパスタを足したもの」だった。

つまり、同じ材料、同じ色、同じ味の、どこをどうやったら「料理が得意な人の作」になるのか頭を捻りたくなるくらい、不思議なものであった。

そしてそれは、またしても相当に辛かった。

どうやらこの女は、全ての食べ物を辛くしないといられないらしい。



夕食の間も、彼女は何かしらボオイフレンド氏に突っかかっては怒鳴りつけている。

そのうち彼女はワタシを捕まえて、色々と個人的な質問をする。

それは例えば、お前はいつ日本に帰るのかとか日本は好きかとかいうようなのに始まって、ニホンジンは素晴らしいとかいうような、取って付けたような酔っ払いの戯言である。

友人と「従姉」は「中国系移民」なので、ワタシは少し気を使う。日本にいる家族と特別親しい関係ではないので、日本に対する愛着はそれほど無いし、ましてやご先祖さんたちが他所の人々に対して過去に遣らかした事などを鑑みれば、ニホンジンである事をそれほど誇りには思っていない、などというような事を言う。

すると彼女は、お前は「ジャップ」なのだから、それは変えようの無い事実であり、誇りに思うべきだ!「ジャップ」のどこが悪いのだ!と怒鳴り始める。


言うまでも無く、この「ジャップ」というのはあからさまな差別用語であり、ちなみにワタシはこの国に暮らして長らく経つけれども、それを面と向かって人から言われたのは、これが初めてである。

免疫が無い所為かも知れないが、連呼されると、意外と腹が立つものである。


あの、その表現は止めて貰えませんか。貴方がそういうつもりで無くても聞こえは悪いですし、そもそもこの場では不必要だと思います。

しかし彼女は続ける。

「ジャップ」を「ジャップ」と呼んで何が悪い!自分も中国人だからと「チンク」と呼ばれる事もあろうが、それで特に気分を害したりなどしない。「中国人」を「チンク」と呼び、「黒人」を「ニガー」と呼ぶように、「日本人」を「ジャップ」と呼んで、何が悪いのだ!


(ちなみに「チンク」も「ニガー」も同様に差別用語なので、もし撃たれたくなければ、皆さんも使わない方が良いと思います。)


ショックだった。

だって、この国は移民で出来ているのである。田舎町へ行くと、無教養な人々が異人種に対して露骨な嫌悪感を顕わにするというような事がしばしば起こるが、しかし概ね人々は異人種間では問題を起こさないよう、思っても口に出さないよう、割合気をつけて暮らしている。

それが友人の友人、というような間柄なら、友情に配慮して尚更気を使うものである。

そういう移民の国の中で最も移民が多く、また最もリベラルな大都会として名高い街、そこで生まれ育った筈の彼女。それがこの程度の無教養振りである。

ワタシはあの街の人々の事をすこし買い被っていた様だ、と思い知る。結局は皆「田舎臭い人々」なのだ。


流石にボオイフレンド氏も「ローファー」も助け舟を出してくれるのだが、ひとたび火が点くと「従姉」を止める手立ては無いらしい。暫く怒鳴り合いが続いた後、ワタシは諦めて居間に退避する。

そのうち「従姉」は、居間に乱入してくる。酔っ払った彼女はワタシの手を取り、さあこの音楽でダンスをしよう、と言う。

嫌です。触らないで頂戴。離して。

勿論、「天下御免ババア」がそんなのを聞く筈も無く、彼女はワタシを方々に振り回し、そのうちワタシの口元に頭突きを喰らわす。ワタシはまんまと上唇を切ってしまう。

痛い!

どうした。アンタ一体何したの?

「酔っ払いババア」は勿論自分のした事すら気付いていないので、ワタシは、兎に角離して、もう放っておいて頂戴!と言い放って、部屋を出る。



そこの家には、黒いラブラドールリトリバーのメス犬がいた。

大変友好的なイヌで、朝ワタシたちが出掛ける頃にも、愛嬌を振りまいていた。


普段は地下に住んでいるイヌを、ふと呼んでみる。

彼女はすぐさま駆け上がって来て、大興奮である。

ワタシは彼女の身体を撫でながら、一頻りめそめそする。彼女がワタシの手足を舐めて愛情を示す間、ワタシは口の中と心に出来た傷を舐めながら、こんな事ならもうおうちに帰りたいや、と呟く。


暫くして、友人が起き出して来る。台所で人々と語らっている。薬が効いてきたらしい。

そのうちボオイフレンド氏が、彼女の髪にへばりついている「ヘアゴム」を見つけて、なんじゃこりゃと言う。

台所を見渡せる玄関先に座り込んでイヌを撫でながら、それはワタシの、と言う。彼女が髪に吐かないように、縛ったの。

この丸いビーズは何?

アフリカの魔除け。悪魔が寄り付かないように。

ふーん。



次回へつづく。


昨日翌日
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