せらび
c'est la vie
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みぃ


2006年07月25日(火) 謎多き世の中

日記からすっかりご無沙汰してしまった。

先々週末から先週前半に掛けて、度重なる集中豪雨に加えて、連日三十八度という「熱波」が来ていた所為で、うちの界隈一帯ではこの一週間ばかり停電中である。余りの暑さに、地中に埋まっている電気のパイプが発火して、ここ一帯のマンホールというマンホールから火を噴き、その後停電してしまったそうである。

ところが、どういう訳だか、ワタシの住処のある一角は無傷である。前後左右の地域は皆被害を受けているというのに、一体どうした事だろう。有難いには有難いが、これについては大いなる謎である。

しかし三万世帯にも及ぶご近所の皆さんの多くが、一週間経った今も電気のない暮らしをしているというから、斯く言うワタシも少々気掛かりである。

一連の「訴訟その一」の一件でも少し書いたが、猛暑の盛りの停電では、冷蔵・凍庫内の食料も三日もすれば全滅する、という事を身を持って知っているワタシとしては、都会の窓の少ないアパートで暮らす人々が、昼尚暗い台所で暑さと食料に困って途方に暮れる様を想像すると、甚だ胸が痛い。

だから、せめて此処暫くは「省エネ」で行こうと決める。

夏場で荷が軽いのを良い事に洗濯をしに行く予定を取り止め、またそろそろ掃除機でも掛けようかと思っていたのだが、そういう訳だからそれも潔く取り止める。言い訳が出来ると、心強い。

風呂に入るのも止めてしまおうかと一瞬思ったのだが、温水はガスだから無関係だし、そもそも日々人に会うのに汗臭いのでは、仮にも「嫁入り前の花も恥らううら若き乙女」としてやはり差障りがあるので、これは除外である。


その代わりと言っては難だが、不用品の整理をして、それから家具の配置を少し換えてみた。

と言うのも、以前「風水」に少し凝った事があるのだが、その際読んだ本の中で、「部屋がとっ散らかっていては、どんなに風水的小細工を用いてみたところで効果は無い」という内容のものがあって、偶々先日それを見つけて再び読み始めたら、途端に家の中の停滞した空気が気になりだしてしまったからである。

これは日本語にも訳されている筈だから、ご存知の読者もあるかも知れない。英吉利人の女性が書いた、例のアレである。

尤も、空気が澱んでいるのは、単に暑い所為もあるのだが。

兎も角、ワタシは以前それを読んだ時と同様、読みかけのまま本を置いて、早速不用品を纏め始める。

今回は大きな袋に一杯のゴミの他、寄付に出すのに衣類が二袋、それと使っていない鞄類や「記念品」や「おまけ」の類の物、壊れ掛けて何年も放置しているうちに流行が廃れて、二度と再び手にする事は無かろうと思われる小物などで更に一袋、である。

物欲主義者を申告するようで情けないのだが、ワタシは「鞄フェティッシュ」である。と言う程高価なものを幾つも持っている訳では無いのだが、気が付くと安物が何時の間にか溜まってしまって、大変邪魔である。

それを、今回は心を鬼にして、間引く。

これを持っていて良かったとか中々使えるとか思った試しが無いな、と思ったものは、真っ先にお払い箱である。また何年も持っている割には数える程しか使っていないものは、もっと好きになれるものにいつか出会えたら買う事にしよう、と割り切る。


その本の中にも書いてあるのだが、日頃使わない物を処分するという事は、新しく使える物の為のスペースを作ってやる、という事である。

正直言って経済的にはかなり制限のある暮らしをしているので、ワタシの家には壊れたり破れたりしたのを騙し騙し使っているというような物が、実は沢山ある。

不都合を承知の上でやっている訳だから、それを見る度、使う度に、ある種のストレスが生じるのは、止むを得ない。

それらを一気に処分すると部屋も心もかなりすかすかになるのだが、そこへちゃんと機能するまともな道具を持ち込むと、そこには無駄が無く、また生活がするすると流れ出す。一々苛々する事が無い暮らしというのは、それだけでも涼しい。


先日購入した新しいコンピューターも、そういう道具のひとつである。

先日の日記にも書いたように、ワタシの愛用のコンピューターはすっかりバイキン様にまみれた末、何処も彼処もぼろぼろな体に成り下がり、ワタシは泣く泣く買い換える事にした。

しかし、それは思った程高価な代物では無くなっていたのと、それから古いコンピューターを修理している過程で弱っている部品の交換など、既に幾つかの投資をしていたのだが、そのうち最も高価な部品については交渉の末返品・返金が利いたのが幸いして、意外と痛みは少なかった。


新しくやって来たコンピューターは、初めあれやこれやのプログラムを載せて行くうち、消化不良を起こしたかのように見えた。

やつはしばしばふと考え込み、作業続行不可能になり、作業の途中で何度も仕切り直しを強いた。また、画面上でポインターがちかちかと点滅を繰り返し、それは事の外鬱陶しかった。

あんまり埒が明かないので、折角の新品だが自分で治してまた失敗しても難なので、潔く返品して新しいのに取り替えて貰おうかと思っていた矢先、それがここ数日のうちに、どういう訳だか解消されたのである。これまた、大いなる謎である。

ある日を境に、やつはいきなり思考をストップするような真似をしなくなったし、ポインターも神経質そうな点滅を止めた。こいつの中で何が起こっているのかワタシにはさっぱり見当も付かないが、兎に角一応大人しく仕事をするようになったのである。

新しいのだから当たり前だが、以前の機種と比べても動きは大変快適で、異常に熱くなったりもしないし、ファンの音も殆ど聞こえない。ほんの数年で、この手の品の進歩は目覚ましい。

世の人々はこんなに快適に仕事をしていたのか!と自分の時代遅れ振りに、少々呆れる。



打って変わって、昨日と今日は大変涼しい。これもひとえに湿度のお陰である。只でさえ気温が高いのに湿度まで高いと、本当に死にそうになる。

うちにはそういう訳で冷房というものが無いし、今のところ買うつもりも無いので、いざという時にはオフィスへ逃げれば良いのだが、そうすると今度は寒過ぎて手がかじかんでタイプ出来なくなってしまうので、調整が難しい。

そもそもそこまで冷やす必要があるのか、というのは、毎年この時期の謎である。

というか、街の一部では大停電中というのに、どうしてそこまで燃料を使う気になるのだ。

分からない事だらけの世の中である。



2006年07月06日(木) otaku et kawaii sont otaku et kawaii aussi a la francais.

おフランスから「漫画とアニメの国日本」に行こうと、欧州大陸を東へ移動していた少女二人が、あっけなくポーランドで捕まったという。

意外と近所までしか到達出来なかったのは、欧州連合(EU)の境はポーランドまでで、今のところベラルーシへ入国する際には「ヴィザ」が要る、という事実を彼女らが知らなかったかららしい。

EU圏のコドモちゃんたちが家出をしようと思ったら、割合色々な所へ行かれる訳だな、と現代国際関係の多様化に今更ながら感心しつつ、その新聞記事を読む。

そのうち、どうやら「オタク」とか「カワイイ」とかいうのは仏蘭西語(というか日本からの外来語)としておフランスではすっかり定着したらしい、と知る。

そうだったのか。しかし選りに選って、何故「オタク」…


思えば、日本文化が浸透するにつれ、様々な日本語の単語が別の言語圏でも使われ始めている。

料理で使われるものには、こうした例が幾つかある。

ある著名な(ムショ帰りの)中年女性がやっているテレビ番組では、数年前までは「アジアでは『クッキング・ワイン』なんてものを使う人々がいるようですけど、私は飲んでも旨いワインじゃなかったら絶対クッキングにも使いませんよ!当然でしょう!」と豪語していたのだけど、最近の彼女は「ここで『ムリン』をテーブルスプーンで一杯入れます」と澄ましてやっている。

ちなみに本人は「ミリン」と言っているつもりなのだろうが、日本語のラ行はRの音という事になっているので、どうしても「ミ」の次の「リ」がこもってしまい、「ミ」のIの音が端折られて「ム」に聞こえてしまうのである。

味醂については、近頃のオーガニックフード・ブームの流れで、日本料理のあっさりした調理法や味付けが好まれているらしく、オーガニック屋へ行くと中国製醤油の脇にちんまりと置いてあったりする。

ワタシの友人宅などで発見した事は未だ無いが、「ムリン」を知っている人は、少しずつだが増え始めている。


それから、料理番組を観ていると「パンコ」が良く登場する。所謂日本製の「パン粉」である。欧米のものより細かくて都合が良いらしいのだが、「パ」にアクセントが付いている(「ンコ!」)ので、何事かと一瞬驚く。


ちなみに同様の件で驚いたと言えば、日本帰りのある人が「日本では良くパチンコをやった」と言い、その際アクセントが「チ」に付いていて「プンコ」と聞こえたので、一体何をして来たのだこの人はと不審に思った事がある。


おお、そういえば「シータキ・マッシュルーム」も、グルメな人々の間ではすっかり定着したようである。乾燥椎茸から良い出汁が出る、という事もどうやら知られているらしく、中華街や亜細亜系スーパーマーケットなどでは、一見不案内と思われる人々にも意外と買われている。


しかし何と言っても、「アニメ」に敵うものは無いだろう。

アニメーションやゲームが好きな若者の間では、日本は正に「夢の国」らしい。

通常ワタシがニホンジンだと分かると、人々はお前は毎日スシを食べているのかとか胸元で両手を合わせて「コンニチハ!サムライ!ハラキリ!」などと言い始めたりするのだが、アニメ・ファンの場合は、いきなり「何々」や「何々」を知っているか?と尋ねてくる。

ワタシが「…?」と固まっていると、それらは日本の「ア・ニ・メ」のタイトルだ、知らないのか、と言う。アニメーションの事を日本語では「ア・ニ・メ」というのだろう?ちゃんと知っているぞ、と得意気である。

いや残念だが、ワタシは「アニメ・オタク」では無いので、初っ端っからそんなハードコアな質問は無理です。

それにしても、何処の国でも「アニメ・オタク」という人々は、案外似たような成りをしているようで、そこへ来てワタシも漸く合点が行く。

「アニメ」文化は、世界の彼方此方にすっかり浸透したようである。



ところで、必ずしも日本文化では無くもっと一般的な物事について、それに該当する現地の訳語がないばかりに、そのまま別の言語圏でも通用する語として「市民権」を与えられたケースもある。

「ツナミ」はその良い例である。

所謂日本で「津波」と呼ばれる自然現象の事だが、ワタシの住む国ではそのまま日本語の語を充てている。他の言い方もあるのだが、恐らくそれが長過ぎる所為で、一言で「ツナミ」と言った方が話が早いのだろうと思う。

多くの人々は「スナミ」と発音するが、それは単に「ツ」が言えないからで、しかし稀にちゃんと「ツ・ナ・ミ」と発音する人もいて感心する。


こういう語は他にもあるだろうか。


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