せらび
c'est la vie
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みぃ


2006年05月23日(火) 遊びの計画を立てる

今週末は、連休である。

この界隈の人々は、家族や友人を招いて裏庭で肉や野菜を焼いて食べる、所謂「バーベキューパーティー」というのが大好きで、この連休の辺りから本格的に始める。

ワタシのところにも何人かの友人からお誘いが来ているのだが、中でも一番早く知らせをくれた友人の計画に乗る事にした。

彼女の事は、以前にも日記に少し書いたが、その後遠距離恋愛中のボオイフレンドが街にやって来たので、先週末には近所の「ビアガーデン」で一緒に飲んだ。

その際彼は、北方にある現在の住処が大家によって売りに出されているので、いずれ彼女の家に転がり込んで一緒に暮らし始めるつもりだ、と言い、しかし家が売り切れる前に人々を招いてパーティーをするから、良かったら君も来るがいい、と言った。

彼は夏は波乗り、冬は雪乗りを教えて、主に生計を立てているようである。元々は大陸のあっち側の生まれで、どういう訳だかこっち側へやって来て、海は無いが湖や川のある北方の町で暮らしている。時折船の操縦の手伝いをして駄賃を貰ってもいるらしいのだが、実際のところワタシには彼が何者なのか、良く分からない。

彼が言うには、ベッドルームが幾つもあり、日曜大工や車いじりなどが出来る大きな「工房」があり、近所の山に繋がる広い庭があって、それだけある一戸建てを一人で借りて、ワタシが今都会で借りているちんまりとした住まいと同額の家賃だそうである。また彼の住まいの目の前だか裏庭だかには大きな湖があって、例のワタシも一寸乗せて貰った事がある「スクーナー」が停泊中だそうである。

君は是非来るべきだよ、だってあの船に、ほんの少ししか居られなかったのだから。

そうなのだ。ワタシは、まるで「ご近所さんにバレないように人目を忍んで朝帰りする女」のように、街へ戻る早朝の郊外列車を捕まえる為に、まだ誰も起きないうちに船を出て来てしまったのである。

そんなとこなら、是非呼んで頂戴な。長らく街住まいで、自然の暮らしが羨ましい。


ここ二三ヶ月のうちには必ず、と言っていたのに、気の早い人々である。彼女から先日電話が来たと思ったら、今度の連休にいとことそのボオイフレンドを連れて出掛ける事にしたから、貴方も良かったらご一緒に、と言うのである。

ワタシは早速予定を調べる。土曜日には例によってヴォランティア活動の予定を入れていたのだが、その日は丁度友人が率いる活動なので、今から断ったところで特に問題は無かろう。直にメールを打って、その日の活動を辞退する。さあ、これで行く手を阻むものは無い。

彼女に折り返し電話をして、行くよと告げる。

それから、以前から目を付けていた戸外活動用品が安くなっていないかと思い付き、ネットで調べ始める。

ふむ、狙っていたものは既に売れた模様。残念。しかしそれに準じたものは、お買い得である。これを買うとしたら、序でに他にも買って、一緒に配達して貰うと安上がりかしら。


そのうち、はたと気づく。

しまった、ワタシは仕事がまだ終わっていないではないか。

例の「コンピューターヴァイルス騒動」のお陰で大幅に遅れてしまった業務を、まだ完成させていない。何らかの形を成した状態でボスに見せないと、ワタシの首が拙い事になってしまう。しかもそれが済んだらある手続きをする事になっていて、その手続きの締め切りは今月末である。

月末?それは連休が明けたら、直ではないか。月曜の午後に街に戻った後は、殆ど時間が無い。




という訳で、これから作業に励む事にします。

遊びに行く為に仕事をする、というのも難だけれど。


2006年05月21日(日) シェルター住まいのイヌたち

昨日は、久しぶりにイヌの散歩に行って来た。

例によってヴォランティア活動の一環なのだけど、シェルター暮らしの計三匹のイヌを、それぞれ連れ歩いて出すものを出させ、愛情をたっぷりと注いできた。それぞれに種類も個性も全く違うイヌたちと触れ合う機会というのは中々無いので、「数匹のイヌと育った一人娘」であるワタシにとっては、大変楽しい活動である。


以前そのシェルターに行ったのは数ヶ月前なのだが、その時檻の中から「侵入者」であるワタシにばうばうと吠え立てているイヌたちの中でも、一際大声でがなり立てている、「黒いチワワ」がいた。

檻には、それぞれの住犬の名前や推定年齢、推定犬種、特徴、予防注射年月日、生殖関係の手術の有無などが書かれた紙が張ってあるのだが、この「黒いちびイヌ」の「表札」には「名前:ディスコ」とあった。


うちの界隈では、「セレブリティ」という人々の影響で超小型犬が流行り出して、久しい。その小さなイヌを若者は好んで連れ歩き、人ごみでは鞄に収納して持ち運ぶ。ワタシは電車内で、ぶるぶると震えながら鞄の隙間から外界を覗いている「ちびイヌたち」を、何度見掛けた事だろう。

明らかにその「流行」に踊らされた馬鹿者は、彼に「ディスコ」と如何にも浮いた名を付け、引越かはたまた単に飼い疲れからか、面倒になった途端、彼を置き去りにして行ってしまう。


その「黒いちびイヌ」の特徴欄には、「檻内では良く吠えるが、出れば大丈夫」とあった。ワタシは彼を散歩に連れて行く事にする。

成る程、檻から連れ出すと彼は途端に大人しくなって、ワタシがシェルター出入り口の開閉をする間もちんまりと澄まして、行儀良く待っている。あちらこちらを散策しながら、彼は時折ワタシを見上げては、安堵したような顔をする。

散歩の途中で、ワタシは敷地内の車止めに腰掛けて、彼にも座るように促す。彼はワタシが暫く座って動かないでいる様子を見ると、では、とぺたりと腰を付く。指示には従わない所を見ると、特に訓練は受けていない模様である。

隣の敷地で、欧州の飛行機がごおごおと音を立てて進んで行く。その様を見ながら、ワタシと彼は暫し風を楽しむ。

ねぇ、さっきはどうしてあんなに吠えてたの?

彼はちらとワタシを見る。すると彼は腰を上げ、此方へ寄って来たと思ったら、今度はワタシの足元にぴたりと擦り寄って、座り直す。ワタシは彼の身体を撫でてやる。彼はされるがままにして、手足を伸ばす。

そうか、二人きりになりたかったのね。

彼の身体は、とても小さい。腹を空に向けて目を細める彼を撫でながら、この中に色々の臓物が入っていて、それぞれの動きを成している、という事実が俄かには信じられない心持である。

こんなにちいちゃいキミを放って何処かへ行ってしまうなんて、全く不届きな飼い主だね。

ぷりぷりと腹を立てるワタシを尻目に、彼は何も言わない。以前の飼い主の悪行についても、また今のケージ中での不自由な暮らし振りについても、彼は一切を内に留めて、黙って空を見つめている。

ご飯食べてる?もう一寸食べた方が良いよ。

彼の腹には、ぼこぼこと「あばら」が浮いている。尤も「太ったチワワ」なんて見た事がないけれど、それにしても痩せ過ぎだ、とワタシは彼に説教を垂れてみる。聞こえているのかいないのか、彼は相変わらず澄まして、されるに任せている。

それからワタシは、持っていた水筒を取り出して、水を飲む。それからそれを少し手に取り、彼にも飲ませる。彼はぴちゃぴちゃとやって、もう少し、と顔を上げる。ワタシは何度か水を与え、彼がすっかり飲み終わるのを待つ。

さて、そろそろ行こうか。

彼はワタシを見ると、すっくと立ち上がる。来た道を戻りながら、先程と同様に辺りを散策する。

そこはさっきも嗅いでたよ。

いいの、放っておいて。

分かった。


檻に戻ると、彼は先程とは打って変わってすっかり落ち着いた様子で、人々が出入りしようとも動じず、ちんまりと座ってワタシを見つめる。ワタシが手を出すと、彼は柵の手前に身体を摺り寄せて来て、なでて、と言う。ワタシは、暫く身体を撫でてやる。

また遊ぼうね。

彼はワタシを見ながら、穏やかに頷く。

彼はそれから、ワタシたちが引き上げるまで、一度も吠えなかった。




今回も、ワタシは彼に会えるのを楽しみにしていた。

いや、本当は、あんなに可愛らしいのだから、もうとうに他所の家へ貰われて行って、幸せにやっているに違いない、そうであってくれ、と思っていた。

イヌの檻のある部屋へ入って、真っ先に「黒いちびイヌ」を探すも、見当たらない。そうか、もう新しい家が決まって、引き取られて行ったのだ。

少し寂しく思いながらも、直に気を取り直して、ワタシは他のイヌたちの散歩をする。

金色のふさふさの毛を揺らしてばうばうと吠える、コリーとゴールデンリトリバーの混ざった「ラスティ」。彼女は散歩が大好きらしく、ワタシにまとわり付きながら、大興奮である。

しかし一寸目を離すと、そこいらに落ちている「食べられるもの」を探し出し、がつがつと喰らい始める。「ダメ!出せ!」と言っても、叱られているのを承知で喰らい続ける。「妙なものを食べたら、直に連れ戻せ」と言われているので、少々短めだが散歩を途中で打ち切って、シェルターに戻る。

次は、恐らくプードルかテリア系の「チャーリー」である。彼は大変大人しく、扱い易い。行儀も良くて、「おすわり」なんかも出来る。しかし「草アレジー」持ちだそうで、帰ったら鼻や手足を拭いて貰わねばならなかった。

「ラスティ」が檻に戻ってもまだ、散歩に連れてってよ!と吠えているのに比べ、「チャーリー」は静かに寝転んで、穏やかである。手の掛からない、良い家庭犬になりそうなイヌである。

それから、他のヴォランティアが敬遠していると思われる大型犬、シェパード混の「ロッキー」に挑戦する。シェルターの職員も、こいつはでかいが、大丈夫か?気をつけろ、と何度も念を押したように、彼は扱い難いイヌであった。

彼は大変な「興奮屋」である。多分人間が好きなのだろう。でかい図体でがばと人に飛び付いて、愛情表現をする。ありがとう、でもいいから落ち着いて、と言っても、彼のたっぷりなサーヴィスは続く。そして力強く引っ張って行こうとするので、待て、落ち着け、と腰を据えた綱捌きが要求される。

しかし暫くそうやって抑え気味に綱を引いて行くと、彼は段々落ち着いて来て、ワタシの脇をちゃんと付いて来るようになる。これは小さい子供のいる家庭には向かないが、しかし訓練次第で幾分マシになるだろう。


殆どのイヌたちは、散歩から檻に戻って来て新しい水や餌を与えられると、大人しくなる。しかし中には、ワタシたちの気を引こうと、盛んに吠え立てたり鼻を鳴らしたりするものもいる。

ジャックラッセルテリア系の「フォクシー」はそのうちの一匹で、檻の中を盛んに飛び跳ねたりしながら、柵の手前に身体を摺り寄せ、ねぇ、なでてなでて、とやっている。もう誰かが散歩には連れて行ったから、彼を連れ出す事は出来ないのが残念である。精々柵の此方から、散々撫でてやる。


そこでワタシはふと、「黒いちびイヌ」の事を思い出す。

シェルターのオーナーに、黒いチワワで「ディスコ」というやつの事、覚えていますか?もう何処かへ貰われて行ったかしら?と聞いてみる。すると彼女は、まだうちに居るのよ、飼いたい?と言う。

一階のスペースだけでは収容し切れないので、二階にも数匹イヌたちが居るのだが、我々ヴォランティアが入るのは一階部分のみである。新しい飼い犬や飼い猫を求めてやって来る「将来の飼い主たち」が気に入りそうなのと、それから大きな檻を要するイヌたちを、主に一階に置いているようである。

可愛いからもうとうに引き取られたと思っていたのに、と言うと、いいえ、あの子は暴れん坊だから、ダメなのよ、と言う。

そうか、「ディスコ」はだから上にいるのか。

後先の知れぬ暮らしをしているワタシには、ここで安易にイヌを引き取る訳にもいかず、言葉を濁す。しかし、オーナー女史は何とかして「食い扶持」を減らしたいと見え、暫く勧誘が続く。


そうなのだ、「殺さない動物シェルター」という所は、兎に角金が掛かるのである。

多くの自治体がやっているシェルターでは、飼い主が探しに来るかも知れないので、一応短期間置いておくが、後は毒ガスなどでまとめて殺してしまう。

以前ビデオを見た事があるのだが、透明の箱に詰められたイヌやネコたちは、それまで盛んに吠えたり鳴いたりしているが、ガスが投入されると段々泣き声がしなくなっていって、一匹ずつばたばたと倒れていく。それはそのまま火葬され、灰は袋詰めされ、「ダンプスター」のような大きなゴミ箱にぽんと捨てられる。

ここのシェルターは、そんな風に殺さず、生かした状態で収容している所である。しかしスペースには限りがあるし、餌代だの予防注射だの生殖系統の手術だの世話をする人手だのと、正に日々「あっぷあっぷ」の状態である。まぁ自分が出来る限りは救ってやりたいけれどね、というのが、オーナー女史の口癖である。


ワタシの友人の中には、飼い犬や飼い猫はそうした「殺さないシェルター」から貰い受けて来た、という人々が少なからずいる。彼らは聞かれると「推定年齢」を告げ、一様にあそことかここが悪いのだ、と言う。虐待され放置されたイヌやネコたちは、大抵肉体的・精神的なダメージを受けていて、新しい飼い主の元に来ても暫くは臆病者で、良く吠えたり引っ掻いたりなどする。

しかしそれでも、ワタシが次に(多分)イヌを飼おうと思ったら、同様にシェルターから引き取って来るだろう。「血統書」なんか、この際どうだって良い。雑種によくいる、薄黒くて不器量なイヌだって、良く見れば愛嬌があって可愛らしいものである。

その昔うちにやって来たイヌたちは皆「血統書付き」の、由緒正しいイヌばかりだったけれど、品評会なんかに出なくたって、健康で、個性豊かに、のびのびと幸せに暮らしてくれれば、それで「ペット」であるイヌの役目は果たせるのである。



ワタシに出来るところとしては、まず新たな職探しから始めたいと思う。十分な収入と定住出来る環境が整ったら、先ずは「ディスコ」から、と思っている。


2006年05月18日(木) 「腹」絡み

今日はワタシの所属団体で「『年度末パーティー』という名の同僚間の腹の探り合い合戦」が開催される事になっていたのだが、なにしろ遅れまくっている仕事が終わらないうちから、のこのこ顔を出してこてんぱんにやられてみたい、と思う程「マゾキスト」または面の皮が厚い人間では無いので、やはり欠席する事にした。タダ飯・タダ酒の機会を逃す羽目になった点については、少々残念ではある。


しかし、旨いものが喰いたかった。今日はまた格別にそうだった。

オフィスで作業をしていたら、あんまり腹が減って集中力が途切れてしまったので、ついご飯の写真を掲載しているある外国暮らしの主婦のウェブサイトを眺め出してしまったのだが、あれはいけなかった。

暫く眺めているうち、もう作業なんかどうでも良くなって来て、ワタシはさっさと荷物をまとめて買い物がてら帰宅する事にしてしまう。

それは「伊太利亜ご飯」が主なサイトだったので、帰りしなチーズを幾つかとトマトペースト、バターにブイヨン、それに野菜を少し買って帰った。それらを元に、今日はその中で特に目を奪われてしまったパスタを作ることにする。

大蒜とベーコンを炒めたところへ、トマトを投入する。本当は生クリームを使う事になっているのだが、生憎うちには無いので、粉ミルクで代用する。そこへチーズ各種を溶かし入れるのだが、「クワトロフォルマッジオ」とあるのを、生憎うちには三種しか無いので、「トレフォルマッジオ」で勘弁して貰う事にする。

本来これは生クリームにチーズを溶かし込んで、真っ白なパスタにするものらしいのだが、そこはホレ、ワタシのような一人暮らしの者に有りがちな「残飯整理」という避け難い家事が存在するので、ベーコンの切れ端だの崩れかけたトマトだのも導入した次第である。

出来上がって食べてみると、流石に色々のチーズの味が溶け合って、非常に美味い。

しかし、食べ続けていくと、かなり重たい食べ物だという事が判明する。

堪り兼ねて、ワタシはプーアールという中国の黒茶を少し濃い目に淹れて、それをガブガブとやる。


何だかんだと言っているが、結局のところワタシの胃袋は「ニホンジン並み」に出来ているのである。

ベーコンから出た油にチーズ各種の油。これらは相当こってりした味わいを作り出すので、偶に食べると大変美味いのだが、しかし大量には食べられない。ワタシは日頃から油物を余り多く取らないし、更に珈琲やプーアール茶を愛飲しているところをみても、やはり重たい食べ物を常食するようには出来ていないと見える。


しかも、一瞬忘れていたが、ワタシは「ラクトース・アレルジック」といって、乳製品に弱い体質であった。

それを、油を分解する為に一際効果の高いと言われるプーアール茶でもって流し込んでいるワタシ。人によっては、「下剤」のような役割を果たすと言われる、プーアール茶。

いや、ワタシは決して便通に問題がある体質なのでは無い。ただ、小さい頃から「中国街」に近い街で育った所為で、このお茶をもう長い事飲み慣れている、というだけの話である。


ぼこぼこという音がする、我が腹部。



2006年05月15日(月) バイキン様の一件と庭いじりの手伝い

先日の日記にも書いたが、ワタシのコンピューターはここ数週間バイキン様にまみれていて、大変心苦しい限りである。

色々といじっているうち、とうとう「ウィンドウズ様」がうんともすんとも言わなくなってしまったので、止む無く「ハードドライブのリフォーマット」に出す事にした。しかし返って来たそれには、相変わらずの古いデータがそっくりそのまま残っており、金を払って人に仕事を頼んだ意味が無いので、何故言った通りにやらぬのだこの馬鹿たれめ!と忌々しく思う。

しかしウィンドウズ様は一応起動するようになっていたので、一先ず良しとして、「各種ソフトウェアのリインストール作業」に取り掛かる。

これがまた、えらく時間の掛かる作業であった事を、やり始めてから思い出す。

例によって、ワタシの自宅は「ダイヤルアップ仕様」であり、またメモリーが恐らく今時のXPにしては少々遅過ぎると見え、幾つかのソフトウェアを同時進行で使おうとすると、すぐさま固まってしまう。

埒が明かないので、ある日オフィスへ持ち込みそこでデジタル回線に繋いで、各種ソフトウェアのダウンロードをたったと片付ける。大きいファイルのダウンロードなどをするには、やはり回線が早いに越した事は無い、と少々心惹かれるが、これを自宅へ導入してしまったらそれこそ噂の「ヒキコモリ」というのになってしまいそうなので、ぐっと堪える。

しかし帰宅して繋いで見ると、やはり「ヴァイルス」というか「スパイウェア」は、まだ存在した。

こいつはウェブページを勝手に書き換えて全く違うサイトへ連れて行って(「リディレクト」して)しまうのである。新たに搭載したソフトウェアが弾き出してくれるのだが、懲りもせずにそのうちまたやって来る。正に「いたちごっこ」である。

どこかに「穴」がある筈なのだが、それを閉め切るだけの技術がワタシに無いらしいのは、大変口惜しい。

お陰でここ数日、コンピューターに感染したバイキン様がまるで自分の身体に憑いたみたいに、ソフトウェアが感染を知らせるアラームを鳴らす度に、どき!とする。心なしか、本来の体調で無いような気もする。それにこの作業にはスキャンだとかダウンロードだとかに時間も掛かるし、コンピューターを立ち上げ直す事も多いので、苛々する。全く金でも貰わなけりゃやっていられない、と癇癪を起こしそうになる。

どうにかしたいのは山々だが、しかしここのところコンピューターの世話ばかりで本来業務的作業に大幅な遅れを来している。甚だ不愉快ではあるが、ここは「アンタイヴァイルス&スパイウェア・ソフトウェア」各位にしっかり仕事をして頂くという事で手を打って、ワタシはそろそろ溜まった作業に戻る事にする。


それは大いに溜まっている。小旅行に出て帰って来たと思ったら「ヴァイルス騒動」で、ここ一ヶ月程の間殆ど仕事らしい仕事をしていない。全く不味い事になっている。やらねば。何とかせねば。



ところで先日は、例によってヴォランティア活動の一環で、ある「市民公園の整備」というのに出掛けて来た。ここはワタシが良く活動しに行く市営公園とは別のところなのだが、どちらも下町にある、市民の皆さんの憩いの場である。

しかし実際行ってみて分かったのは、それは実はヴォランティアを募った「エージェント」である「ご近所にお住まいの伊太利亜系移民中年夫婦」が、彼らの好きで始めた二十年来の「庭仕事」であり、今では一応市当局の管理下に置かれている事になっているけれども、それは要するにその夫婦の「庭」であった。

だから我々ヴォランティアが彼らの指図通りに作業をしてやっても、彼らが気に入らなければ後で如何様にもやり直し(植え替え)をして、結局は彼らの好きな庭に仕立て上げる、という事である。我々は単に「人足」であった。まぁヴォランティアは本来その通りなのだけれど、何だか腑に落ちない。


ワタシは少々遅れて着いたので、時間切れで手が回らなかった作業の「居残り」を引き受けて、終了後に暫くその夫婦と一緒に作業をした。彼らとお喋りをしながらやっているうち、そろそろ遅い昼飯にしようという話になったので、彼らのお気に入りらしい「マレーシア料理」の出前と食後に果物をご馳走になった。

いや、ワタシは自分の昼飯代は払いますと言ったのだが、いいから気にするなと言うので、お言葉に甘える事にしたのである。


「長居し過ぎたかな」と思ったのは、昼飯の後片付けをして、「ではワタシはそろそろ失礼しようと思いますが、まだやる事はありますか」と聞いたところ、旦那の方が先程植えたなんとかいう種類の花を少し植え直すつもりだ、と言い、それからお別れを言うタイミングを計りかねたワタシがとりあえず夫婦と共に「庭」の方へ戻って行く途中で、奥さんが現地語訛りの伊太利亜語で何やら旦那に話し掛けた辺りである。

「外国人」である旦那が彼の母国語である伊太利亜語を喋り始めたのなら、ワタシも聞き流しただろう。しかし奥さんの方が比較的不得意な筈の伊太利亜語を、それまでずっと現地語で通していたところへ突然喋り出したので、おやと思った。すると、別に早く帰ってくれっていう意味じゃないんだけれどね、と奥さんが言い訳をしたので、わざわざそう言うという事は、それはやはりワタシに聞かれると不都合があるという事か、とふと思ったのである。

ワタシは急いでお礼を言って、その場を立ち去った。



こういうタイミングというのは、判断が難しい。

日本でも、どこかの地方では例えば「うどんでもいかが」だったか、滞在先でそのような事を言われたら、もうそろそろ帰っておくれの意と解して「おいとま」するものだ、などと言うのを聞いた事がある。

しかし親しい間柄ならば兎も角、初対面では「社交辞令」と「本音」の区別は中々付き難い。気を使ったつもりでも、相手には逆に無神経なやり方だと思われる事もあるだろう。

そんな事を一々気にしていたらやっていられないのだけれど、ものをはっきりと口に出して言う文化に慣れたワタシは、偶にそうでない人々と出会うと、戸惑う。



毎月一回のプロジェクトだと言っていたが、多分もう行かないと思う。

他にもっと仕組みの明瞭なプロジェクトは、幾らでも有る。それに、「公共の施設の整備」を手伝うのと「他所んちの庭の手入れ」を手伝うのとでは、話が違う。



2006年05月06日(土) 公立学校の図書館司書に誘われる

今日は久し振りにヴォランティア活動に出掛けて来た。

同士から、ワタシが特に気に入っている「図書館整備」のプログラムがまたあるよ、と知らせが来たからである。

以前にも書いたけれども、ワタシはこのプログラムが大変気に入っている。

以来何度かこの手のプログラムに出掛けているのだけれども、最近は自分の事で手一杯だったので、ヴォランティア活動自体ご無沙汰していた。「生活にリズムを取り戻さねば」と再開する事にして、その再開第一回目の活動をこのお気に入りのものにしたのは、正解だった。


今回行った先では、既に定年退職した二人の図書館司書が、ひとり分を賄う為に交代で雇われていた。

ワタシたちヴォランティアは、コンピューターを使って市の「公立学校図書館データベース」に本を入力し、バーコードを貼り付ける、という作業をした。初めての事だったが、これは中々楽しかった。常連のヴォランティア仲間も幾人かおり、やあ久し振りなどと談笑しながら、作業を進めた。

そのうち昼飯時になり、例の図書館司書のひとりを交えて話をしながら喰っていたら、なんとワタシは「スカウト」されてしまった。

そういう訳で、この街の公立学校の図書館には司書が足りないので、市はなんとか人を呼び寄せようと「スカラーシップ」の制度を作ったりして、苦心している。そこへワタシが偶々「図書館整備は、日頃やっているヴォランティア活動の中でも特にお気に入りで、中でも本を『デュウィー・システム(Dewey Decimal System)』に沿って並び揃えるのが、大好き。」などと言ったものだから、その司書女史が捉えて、「キャリアチェンジはいかが?」と誘ってくれたのだった。

満更でも無い。

もうひとりの司書女史が、良かったら情報をメールで送って差し上げる、と言うので、ワタシは名刺を置いて行く事にする。


そうだ、大昔の事だが、ワタシは大学受験のもっと前に、「図書館司書」だとか「博物館司書」だとかになるにはどういう学校へ行けば良いのかしら、と考えた事があったのだ。

本なら昔は乱読で、片端から色々なのを読んだ。近頃は自分の専門分野のものばかりで食傷気味で、「趣味は読書」などと言わなくなって久しいが、それでも本に囲まれて過ごすのは好きである。それが子供たちの為の仕事なら、尚更遣り甲斐も有りそうである。



帰宅して、とりあえずもうひとつ、図書館整備関連のヴォランティア活動に申し込んでおく事にする。

最近のワタシは、本当に好きな事だけしかやらない事に決めてしまった。

来週末は公園の整備、再来週はシェルターにいる犬の散歩、その次は友人が率いるエイズ患者への食事提供プログラム、その次がまた図書館整備である。今日申し込んだのは、そのまた先の図書館整備プログラムである。

好きな事だけやろう。楽しい事だけやろう。

だって人生、楽しくない事は、そこいら中に沢山溢れている。空いた時間にまで、無理をする事はないのだ。

そう思うと、人生妙にこじれたりする事も無く、すっきりして、良い。


昨日翌日
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