せらび
c'est la vie
目次昨日翌日
みぃ


2006年04月27日(木) コンピューターヴァイルスと気の利かない女に苛々する

今手掛けている作業の最終期限が、とうとう明日に迫っている。

実はその前にボスに提出する予定なのだが、残念ながら作業が大幅に遅れていて、大変焦っている今日この頃である。

実は先週の後半、ネットで調べ物をしているうちにどうやら不審なサイトに辿り着いてしまい、しかも急いでいたので良く読まないままダウンロードを許可してしまったら、それはインターネットヴァイルス(厳密にはスパイウェア)が含まれていた、という出来事があり、お陰で週末と今週初めの数日をその除去に追われたのも、作業の遅れに一役買っている。


勿論ワタシのコンピューターは、「アンタイヴァイルス&スパイウェア(anti-virus & spyware)」関連のソフトウェアを導入している。全部で三つも入れて、内容も随時更新している。しかも、「ファイアー・ウォール」だって入れている。だから本来ならこういう事は起こらないし、また起こっても直に除去が可能な筈である。

ところが、どういう訳か今回の「ヴァイルス侵入」に関しては、ワタシのコンピューター自体は直に認識したものの、アンタイヴァイルス・ソフトウェアはその存在を認識しない、という不可解な状況が起こった。

何度も最新のファイルをダウンロードしてそれぞれのソフトウェアを順繰りに作動させ、またコンピューター自体を再起動させたりして、ようやくその感染の事実が認識されるに至った訳だが、ここまで来るのに、週末一杯を費やしてしまった。そして除去が漸く済んだと思ったのに、再起動させてみるとまだ残っているのが判明する、という大変厄介な事態が続いた。

そうして昨日辺り、もう良いだろうと半分安心し半分諦めつつ、しかし念を入れてまた各ソフトウェアを作動させて「ダメ出し」をしたところ、それぞれ「問題無し」と出たので、安心して作業に戻った。

ところが今日になってまた不審な「近道」がデスクトップ上に現れたので、さては、とまたしても一通りの点検作業に戻っている。

大変脱力している。こんな事に時間を費やしている場合では無いのに。



ところで、ワタシの人生というのはなんとも上手く出来ていて、そういう只でさえ急いでいる時に限って、問題が持ち上がって来るようになっているらしい。穏やかな暮らしを求めている筈なのに、どうした訳だろう。

以前にも、「業務連絡が主にメールでやって来る」旨については日記に何度か書いたが、最近ワタシの所属団体の情報部が、これらの「メールリスト」のシステムを新しいのに変える事にしたらしい。

と言っても、そのうちのひとつのメールリストの「管理人その一」であるワタシのところには、何故か一切お知らせが無かった。しかし「管理人その二」で元々このリストの作成に当たった本人でもある同僚、またの名を「蟹座のがみがみガール」のところには、連絡が行っていたようである。

この女が「気が利かない」という事については、既に散々述べたので恐縮だが、今回もまたそういう話である。しかも、久し振りにワタシは大変怒っている。


そのお知らせ自体を転送してくれれば良いのに、「だそうです。その『講習会』が今週のいつにあるので、出てくれませんか?」と随分要約して伝えて来た。

「講習会」が必要な程難しいシステムになるのか。それに行かないとどういう事になるのか。出席出来ない人の為に、何かバックアップの用意はあるのか。

ワタシは要領を得ないまま、しかし急いでいたので、その日は所用で他所の土地へ出掛ける事になっているから、出られない、とだけ答えたら、じゃあ自分が仕事中に中座して行って来るから良い、と言う。

何やら恩着せがましいのが気になるが、兎に角彼女が出席すると言うので、ワタシは「よろしく」と言ってその報告を待っていた。

しかし勿論、何時まで待ってもそんな報告はやって来なかった。

これは先月の話である。


今月半ばになって、月末(厳密には「明日」なのだが)に予定されている企画の担当者である別の同僚(仮に「同僚A」とする)が、その詳細のお知らせをメールリストに載せたいのだが、再度やり方を教えてくれ、と執行部員宛てにメールして来た。

丁度その頃、情報部はどうやらサーバーを「ダウン」の状態にして、つまり誰もメールのやり取りが出来無いようにした上で、メールリストの内容を古いシステムから新しいシステムへ移動させたようである。

その旨のお知らせも、ワタシや他のメールリストの管理人ら(の一部なのか大部分なのかは不明だが)には届いていなかったので、巷では一寸した混乱が巻き起こっていた。だのでワタシは、恐らく「同僚A」が古いシステムにお知らせを投稿しようと試みたのに、それがどういう訳か上手く行かなかったので、やり方を間違えているかと思って我々に尋ねて来たのではないか、と踏んでいる。

ワタシはその頃某所へ旅行中だったので、帰って来てからそのメールを発見した。しかし同時に同僚Aのお知らせが既にメールリストに投稿されている事も確認したので、恐らくワタシの留守中に二番目の責任者である「同僚、つまりがみがみガール」が既に同僚Aに個別対応したものと判断した。

しかしここ最近のシステムの変更について、何も知らされていない我々に対して、「講習会」に唯一参加した「同僚、つまりがみがみガール」に何らかの報告をして貰いたいという旨について、メールを打った。

それに応じて、彼女は「リストの管理人」でない幹部らには、新しいシステムによるメールリストに投稿する際の新アドレスのみを知らせ、「連絡が遅れて済まない、詳細は追って連絡する」と言った。

それから暫くして、今度は二人いる「管理人」のうちのひとりであるワタシのところへ個別にメールを寄こした。しかしそれは、新しいシステムのウェブサイトはこれ、ログインはこのアドレスを使って新たにパスワードを作れ、というだけで、要するに「玄関の入り方」を説明してくれただけで、後は質問があったらどうぞ、などとお茶を濁している。

実際そのサイトは「玄関」を入った後が肝心なのであって、その内容を理解していなかったらそもそも管理など出来ないのだけれども、仕方が無いのでワタシはひとまずその「玄関」を通過して、後は自力で少しずつ解明を試みる。


というのも、実は時を同じくして、新しいシステムからの「今日のエラー報告」メールが、ワタシのところに頻繁に届くようになったからである。

そこには、メールが届いていなかったり持ち主が長らくアクセスしていないなどで「不審なアドレス」とシステムが判断したものが並んでいて、「エラーが四日続くか、または百回続くかの、どちらか早い方が確認されたら、そのアドレスは自動的に消去されます」とある。

一応「管理人」なので、ワタシはその原因などを調査すべく、システムのサイトにアクセスする訳だが、そういう訳で「亀の歩み」のようにしてやっと解明した中から、「リストメンバーの一覧」が見られるカテゴリーを漸く発見する。

ところが、何故かそこにその「不審なアドレス」は見当たらないのである。つまり、存在しないのである。存在しないアドレスを「抹消」する事は出来ないので、放っておく事にする。

既にそこへ辿り着くまでに膨大なエネルギィを費やしているので、ワタシはそれ以上解明する意欲と時間的余裕を持たない。しかし毎日送り付けられて来るその、どうにも出来ない「エラーメッセージ」が鬱陶しく思われ、ワタシは遂にこのエラーメッセージの配信自体を止めて貰うよう、誰かに助けを求める事にする。またはオプションとして、例えば毎日でなく週に一回報告とか、アドレスが消去されたらその報告とか、そういう形で余り頻繁に来ないようにして貰いたいと思う。

しかしそういう訳で、情報部の担当者の連絡先なども一切知らされていないワタシであるので、仕方無くその新しいシステムのサイトから、システムを供給している大元の会社の「技術支援担当部署」へ、直接メールを送る。

担当氏は、「ここは本来貴方がメールを寄こすところでは無いので、ローカルの情報担当部へ連絡すべきである」と言い、そこへのアクセスの仕方を教えてくれる。更に自社製「ユーザーガイド」の見出しを示してくれるのだが、しかしこれだけでは何をどうすれば良いのか、さっぱり不明である。どうやら、ある程度の「専門知識」のある人でないと理解出来無いようになっているシステムのようである。

仕方が無いので、教えて貰った情報部へのアクセスを試みる。スパム対策の為か、何度かコンピューターとやり取りをした後、漸く「人間」と直接対話に至る。

ところがこの「人間」、つまり「情報部の担当者」は、ワタシが自分の管理するメールリストに必要な作業を怠りたがっている、無責任な人間だと勝手に思い込んだらしく、「自分のリストをクリーンに保てないなら、またはメインテナンスをするのが嫌なら、直に連絡を下されば、早速貴方のリスト自体を抹消して差し上げましょう。」などと書いて来た。

何て偉そうな物言いだろう。手前がちゃんと連絡や解説をしないのがいけないのに、事情を知らされていないワタシに向かって、そういう頭ごなしな言い方は無いだろう。まるで自分が何でもコントロール出来るとでも思っているかのよう(まぁ実際出来るのかも知れないけれど)。

ワタシはこれに対して憤慨し、「何を勘違いされたのか存じませんが、ワタシは自分の責務を全うする心積もりは備えております。どうやるのか、教えていただければの話ですが。サイトにも詳しい説明は載っていないようですし、ワタシはどうすれば良いのか分からないのです。」と怒りを含んだ「事情説明メール」を送るが、返事は来ない。

もしやと思い、古いシステムを通じて「テストメール」を送ってみる。すると案の定、古いシステムもちゃんと機能している。一体何が起こっているのだ。何の為のシステム変更なのだ。

ワタシは「同僚、つまりがみがみガール」に、新旧のシステムについて、貴方が知っている全ての事を知らせて頂戴、とメールする。すると彼女は、メールでお話出来る事はこれだけです、などと言いながら、以前ワタシに送って来た「玄関の入り方」についてのメールのコピーを再び送りつけて来る。

アンタ、舐めてんの?子供の使いじゃないんだからさ。

話にならないので、ワタシは「今起こっている問題はこれです。ところで、何故古いシステムはまだ機能しているのですか?」と言って、先のワタシの「怒りのメール」を含めた「情報部担当者氏」とのやり取りを転送する。

ここでワタシとしては、一通り読んで合点が行った彼女が、ワタシに管理方法などをより詳しく説明してくれるのを期待していたのだが、彼女が取った行動は違った。それは、「情報部の責任者」宛てにメールを送って、今後はワタシにでは無く彼女に「エラーメッセージ」が届くように手配する、というものだった。「貴方の名前を先に書いたから、こうした一連のエラーメッセージが貴方に届くようになってしまったようで、ごめんなさい。今後はワタシが取り扱います。」などと言っている。


・・・そりゃあ、今はワタシがこの団体の責任者なのだから、先に名前を書いて貰っても全然問題無いじゃない。謝る必要なんか無いのよ。寧ろ謝って貰いたいのは、その変更の一部始終を責任者であるワタシに知らせてくれない事について、でしょ?何なの、それ?お得意の「秘密主義」?

しかもそうやって彼女が「情報部の責任者」にメールなんかしてしまったら、まるでワタシが無責任な管理人で業務を拒否したか何かで、だから彼女に代わって貰ったかのような印象を与えてしまうじゃないの。アンタ、ちゃんと読んでくれたの?


頭が悪いのだか「トロい」のだか何だか知らないが、余計なところでワタシの評判まで落として貰っては困る。ワタシは再び、今度は彼女に「怒りのメール」を送る。「エラーメッセージ」の送り先を変えたからといって、問題は解決しないでしょう?そういう話じゃ無いの。もう一度良く読んで頂戴。



そもそも彼女が「この団体の『代表者』をもう辞めたい」と言ったから、それをワタシが引き継いで、今後は徐々に他の人々に引き継いで行って我々の負担を減らして行こう、そして我々は「フェイドアウト」、というのがそもそもの成り行きである。

それなのに、彼女はそのうち介入する仕事を何故か増やし始め、しかも他人を巻き込まず自分で処理してしまう事が増えて来た。その辺りについては以前から気になっていて、いつか本人に聞いてみようと思ってはいたのだが、こうして見て来ると、やはり彼女は再びこの団体を取り仕切る事に関心を持っているように思われる。

いや、それならそれで良いのだけれど。別にワタシは「名誉欲」とか「権力欲」なんかは持っちゃいないけれど。そんなものより、同じ仕事量でちゃんとオマンマが喰えるだけの見返りをくれるところへさっさと移りたいと思っているくらいで、こんな「しょぼい」団体の長をやったところで腹の足しになりゃしない、馬鹿馬鹿しい、と思っているくらいなのだけれど。

しかし、だったらワタシは何の為にこの一年苦労して来たのか。ひとりの人間に負担が集中しないように、数人の「執行部員」で仕事を分担し、それらの意見を用いて物事を決定するという、言わば彼女の時代よりも余程「民主的」な組織をわざわざ作って、ここへ来てやっと軌道に乗せたのに、それをすっかり元に戻してしまおうと言うのか。


手前の都合で人を振り回すのも、大概にして貰いたい。




2006年04月26日(水) ヨガレッスン

今日は諸々諸事情により大変苛々していたので、作業をさっさと進めねばならないのは山々なのだが、意を決してヨガレッスンに行く事にした。(苛々の種は、明日の日記参照。)

結論から言うと、行っておいて良かった。ほんの一時間と十五分のレッスンだけれど、偶にヨガの種類やインストラクターを変えると、刺激になって良い。


ワタシが良く行くスタジオでは、「ハサ」、「ヴィンヤサ」、「アヌサラ」などの主なヨガのスタイルの、それぞれ個別のクラスと、それらを融合して主宰者が独自に作り出した「アサナ(ヨガのポーズ)のシークエンス」をやるクラスと、それ以外に「アロマ・ヨガ」とか「リラクゼーション」とか「ヒップ・オープニング」とかいったような、細々したのとがある。

最近のワタシは、そのうちの「アヌサラ」の木曜のクラスに良く出掛けている。その時間帯(「枠」)で教えているインストラクターも大変有能な人だから楽しいけれど、今日は「ヴィンヤサ」のクラスに行って見た。以前にもそのインストラクターのクラスで楽しんでいたのだけれど、スケジュールの都合などでご無沙汰していたのである。

久し振りに「ヴィンヤサ」をやると、そういえばヨガを始めたばかりの頃のワタシはこればっかりやっていたのだった、と思い出す。懐かしくて、身体がスムーズに動くのを感じる。やらなくなると途端に身体の動きが違って来て、何と言うか、使う筋肉が違うような感覚と言うのか、何となく居心地が悪いような気がしていたのだが、今日行ってみて、あぁそうだったのか、と何となく合点が行った。


このスタジオでは、ワタシはいつも一回毎に金を払ってレッスンを受けているのだけれど、近いうち思い切って「一ヶ月パス」というのを買ってみようと思う。これは大体、月に六回行くと元が取れるくらいの値段である。

これまでワタシは週に一回行くのは確実としても、二回はスケジュールや金銭的な問題により自信が無かった。

しかし、例によって星回りの関係で、「明日の牡牛座の新月からエクササイズのルーティーンを始めて、半月後の満月頃から食べ物にも気を使い出すと、どうやらワタシはダイエットに成功するらしい」という事を発見したので、ならばこれは良い機会だからやってみよう、と思い至った次第である。

特に忙しくなりそうな今後一ヶ月なので、そういう忙しい時こそしっかりエクササイズをして、持久力をつけねばならない。正に「グッド・タイミング」である。

我ながら、これは上手く行くに違いないと思う。


2006年04月21日(金) 二の腕問題

昨日は、某所へ小旅行に出て以来、久し振りにヨガレッスンに出掛けたのだが、お陰で今日は少々筋肉痛である。

その後同様に久し振りの食料品の買い物にも出掛けて、全粒粉のコーンフレークと豆乳を買って来た。これで気持ちばかりは「ダイエット」に励む積りである。

というのも、実は先日結婚した友人らが雇った写真家が、式の際撮った写真を早くもネットで観られるようにしたからいけないのである。お陰でワタシはそれらを観ながら、ワタシのあの「二の腕の有様」は何とかならないものなのか、とつくづく思い知らされる羽目になったのである。



冠婚葬祭、特に結婚式というのは、「(本来)一生もの」であるから、人々は大変気合を入れ、めかし込んで参列する。

数年前、友人の結婚式及び披露宴に招かれた際、ワタシは既に国外で暮らすようになって久しく、日本の流行に大変疎い暮らしをしていた。それは今でもそうなのだが、加えて当時は大変忙しい日々を送っていたので、着る物や付属品などについて余り深く考えず、有り合わせの物を取り纏めて「兎に角遠くから駆けつけた」というような有様になってしまった。

それはそれで悪くは無い筈なのだが、しかし後から写真を眺めてみると、少々恥ずかしかった。あれでは誰の目にも「身支度に構っている暇なんかありません」と、まるで女を捨てたような侘しい暮らし振りがにじみ出ていたように思う。

しかも、ワタシは披露宴での「スピーチ」を頼まれていた。

何しろ日本語でスピーチなんて何年もやっていないのだから、それ自体相当厄介なのだが、この友人は余り手際が良くなくて、メールで一言「スピーチお願いね」と言ったきり、その詳細を知らせてくれなかった。

だから当日司会者が「お客様、この次の次にスピーチをお願いしておりますが」とこっそり話しかけて来てくれるまで、ワタシは実はその事をすっかり忘れていたのである。仕方無く、その司会者に「他の人々はどういった内容で何分喋る事になっているのか」などと尋ねて、その場で大急ぎで取り纏めた「ぶっつけ本番」をやった訳である。

しかし人前に立つのなら、やはり身なりにはもう少し構っておくべきだったろうと思う。こういう時には、無いなりにも「ゆとり」を見せなければならないのだ。事に「見かけ」に人一倍気を使う二ホンジンの集まりなら、尚更である。


話が逸れたけれども、兎に角そういう訳で、今回の結婚式に参列するに当たっては、ワタシは出来るだけ「今様」のものをあつらえて行かねば、と気を配った。数週間前から時風に合った好みのドレスを選んでおいて、数日前には試着をしに出掛けていた。

しかし生憎ワタシのサイズに合ったものがその店舗に置いていなかったり、他所の店舗へ「ハシゴ」して漸く着てみたら、今度は身体に沿わないとか素材が印象と違うとかいった色々の困難があり、ワタシの買い物は一日で済まなかった。またひとたびドレスを選んだら、今度はそれに合う靴やバッグやアクセサリーなどを探しに街中走り回る羽目になり、特に出立前の二三日は大変慌しかった。

結局、春の海辺の町に合うように、と紺色の肩の出たドレスに銀色の靴とバッグ、という風にした。ここのところ忙しさにかまけて運動も碌にしていない身体でもあるので、「この際だから腕はすっかり出してしまった方が、太さが気にならずに済むだろう」という計算もあった。

しかし実際現地に行ってみたら、花嫁の母が自分用と娘用に「現地風の服」を買うのだと張り切っており、しかし当の娘が「そんなの要らない」と無下に言うので、それならば友人であるワタシに買ってあげる、と仰るので、折角だからと有り難く頂いてそれを一緒に式で着る事にしたのである。

こうしてワタシの大忙しの買い物の日々は半ば無駄に終わってしまった訳だが、まぁそれはそれで楽しかったから良いとして、しかし、ワタシの計算に基づいたドレス選びは結果的に意味を成さず、「可愛い」とか「綺麗な色合い」とかいった理由で選んでしまった「現地風の服」は少々都合が悪い、という事が後に分かる。

その服は、本来肩を落として着る用に、襟と袖回りにゴムが入っていた。

ところがワタシは前日袖無しで外を歩いているうちに、所謂「土方焼け」という奇妙な焼け方をしてしまったので、「オフショルダー」にするのが憚られた。仕方無く、焼け跡が目立たないように「肩部に布がへばりついた半袖ドレス」的に着ていたのだが、しかしそうするとその「袖」が切れる辺りが丁度二の腕の一番太い部分に差し掛かってしまって、大変不都合であった。

「土方焼け」を晒すか、「太い二の腕」を晒すかのどちらを取るか、という「苦渋の選択」問題で、結局ワタシは二の腕を晒す決断をした訳である。

これが写真に残ってしまっている、というのはつまり、結婚した当人らに取って「一生もの」であると同時に、式に来られなかった友人らもその写真屋のサイトにアクセスして閲覧が可能な為、「誰の目にも明らかなワタシの太い二の腕問題」が正に周知の事実となってしまった訳である。

「**ちゃんは、外国暮らしでも一向に太らないわねぇ」と言われ続けて来たのに、ここ一二年のワタシは、特に酷い。「確実に代謝率の落ちた三十代女性」の典型例である。

「忙しい生活」というのは、それが若い頃なら、一寸運動しないで徹夜だの不摂生だのが続いたところで然したる影響は無いけれども、三十を超えると途端に体型に響いて、只の「怠惰な生活」に成り下がってしまう哀しさがある。やはり、「苦労」は若いうちにするのが良いと思う。



ところで「若い」で思い出したが、先日ある友人から、久し振りに電話が来た。

彼女とは誕生日にスキーツアーに行く予定をおじゃんにされて以来、特に連絡を取り合っていなかったのだが、例の遠距離恋愛中のボオイフレンドを通じて、ワタシも拠所無い事情によりほんの少しだけ知り合いである若いオトコノコがワタシの電話番号を知りたいと言って来ているのだが、教えてしまっても良いか、と言って来た。


あら。

そういえば去年の秋頃は、何故だか若いオトコノコたちと縁があったのだったわ、と思い出す。

ワタシとしては、出来れば似たような年頃のオトコノコの方が話題が合って好ましいと思うのだけれど、生憎そういうのがそろそろ周りで見掛けなくなって来た今日この頃では、一寸若い世代でも、この際贅沢は言えまい。

しかし「一寸」と言っても、彼くらいの年頃だと「ほんの十年前だったら完全に犯罪行為」の筈だから、些か気が引ける。



ワタシが一寸目を放した隙に、丁度良いお年頃のオトコノコたちは、一体何処へ行ってしまったのだろう。

ワタシはまだ此処にいるのよ?


2006年04月18日(火) 南の島へ 補足

そういえば、別の学友がカップルで結婚式に来た、と書いたが、彼女は式が始まる直前、「久し振り!東京から来たの?」と聞いて来たので、「ううん、**から」と答えたところ、「ええ〜っ!どのくらい住んでるの?何してたの?」と彼是聞くので、「そうね、今年で十何年かしら。大学院に行って、どうのこうの」と答えたら、「ええ〜っ!何の勉強してたの?MBF?」と知ったかぶりした。

MBA(Master of Business Administration)というのは聞いた事があるけど、MBFって何?

意地悪なワタシは、「え?」と真顔で聞くだけで助けてあげなかったのだが、そのうち面倒になって専攻分野を教えてあげたら、ボオイフレンド君の方が察して、「おぉ、きっと彼女はPh.D.(博士号)なのだろう」などと話を進めてくれたので、助かった(どちらが?)。

実はワタシの業界では、「MBA」なんてものは「俗っぽい」と蔑まれているので、はっきり言って「えぇ〜、冗談でしょ?」といったような心境である。


ちなみに彼女は一応「英文学専攻」だったのだが、彼女曰く「英文学を日本語で読んでいた」から英語は全く出来なかったそうである。そして三十になってから留学を思い立ち、勇んで出掛けて来たものの、語学が全く出来ないので、ボオイフレンドとのコミュニケーションにも困っているそうである。

当のボオイフレンド君に言わせると、「彼女の現地語の方が僕の日本語より切羽詰った問題だから、僕は先生役に徹する」という言い訳があって、だから彼は日本語を学習する気は余り無いそうである。

ちなみに彼は、弁護士業を既に「リタイア」したそうである。

現在彼女は殆ど「専業主婦」状態で、語学講座を終了した後、お金持ちの彼の援助のお陰で近所の短期大学で「国際ビジネス」だか何だかを勉強させて貰いながら、ビザ確保に努めているそうである。

皆は「喰わして貰ってるから、随分遠慮してたね〜、気の毒に」と言っていたが、ワタシが見る限りでは随分幸せそうで、心配する事なんかなさそうで、何よりだと思う。


この友人らは二人とも「ミクシィ」仲間である事が判明したので、あちらの日記には勿論こんな事は書けないので、ここに書いておく。


2006年04月17日(月) 南の島へ 後編

翌日もまた朝飯に呼ばれて、そこで漸く今度はダンナの母上と妹さんとも一緒になる。

ここん家はどうやら、四十過ぎても嫁のアテが無かった「男やもめ」と、間も無く四十になろうという「嫁き遅れキャリア娘」と、夫を亡くしてひとり気ままな、「派手好きな買い物好きな元駐妻」という構成らしい。

思った通り、「紺屋の白袴」である。自分から気を回したり主張などしなくても、周りの女どもがあれやこれやと世話を焼いてしまうから、いい年をして碌すっぽ口も利かず、周囲に気も使えず、我儘一杯に育てられたいい「お坊ちゃん」の様である。やれやれ。


この日は友人のご両親と一緒に観光する事になっており、ワタシが予てより行きたいと思っていたのと彼らのご希望とが一致したので、ある観光名所を訪ねる事にした。

ワタシの常で、つい相手の体調などへの配慮をすっかり忘れて、暑い中高齢者を彼方此方連れ回してしまったのは拙かったと後で思ったのだが、彼らは大変喜んでくれた様子なので、とりあえず良かった。


昼飯の段になってこの婿さんの話になったのだが、ご両親とも一様に心配されているご様子で、ワタシもなにやら自分の一人娘を嫁にでもやるような心持ちになって、一緒になってうな垂れてしまった。

「まだ数時間の付き合いでしかないワタシがこんな事を言うのは難ですが」と前置きして、まるで「紺屋の白袴」、明らかに「営業向き」では無い感じ、これでは彼女が一々気を使ってやらないと話が先へ進まないようで、本来「婿養子」を貰う筈なのに、まるで苦労をする為に「嫁に行く」ような格好で、何ともお気の毒、などと、今にして思えば言い難い事を随分はっきりと言ってしまった。

ところが、実はご両親も同様の心配をされていたらしく、「気の所為」だと振り払おうとしていた懸念はやはり気の所為では無かったのだと、ワタシの発言で明らかになった模様で、意見の一致を見たワタシたちは更にうな垂れる羽目になる。飯の拙かった事。


ちなみにそれは、「ハイナン・チキン・ライス」と言って、鶏のスープで煮たご飯の上に鶏を切って載せたのと、その出汁で作ったスープを添えた、本来の鶏の旨味を充分に味わえる、中国南部の料理である。本当なら美味いものなので、皆様にもお勧めである。


更にお母様とは「母親がナース」という点でも一致し、「あの人々」は子供の教育に金や努力を惜しまない人種である、という点で意見も一致する。

またお父様は、親しい釣り仲間のひとりが「南方帰り」だとかで、この観光地を訪れるのを心待ちにしていらっしゃったとか。「連れて来てくれてどうもありがとう」と何度もお礼をおっしゃるので、「いえワタシの方こそ、不慣れな土地で自分まで迷ったりしながらの、頼りないガイドで済みません」などと恐縮する始末であった。


いや、本当に、本来ならこういう市内観光などは、既に当地を何度も訪れていて土地勘があり、また言葉も不自由しない「婿養子」であるお坊ちゃんが手配する筈だろうと思うのだが、どうだろう。生憎そういう次第で、そういう気遣いなどする気がハナから無いご様子のお坊ちゃんなので、致し方無くワタシがそれを買って出たような形になったのだが。

だって、「婿養子」って、そういうものでしょう?「今回は、お義父さんとお義母さんのお供をして、何処へでもお好きなところへお連れしますよ!」と言うべきでしょう?

ここん家はご商売をやっているから、尚更そういう気遣いだの配慮だのに五月蠅いお家なのである。

だから一人娘の彼女にもそういう躾はすっかり行き届いていて、だからここ数週間でまぁみるみる痩せ細ってしまったそうで、全くお母様は嘆いておられましたよ。ワタシが開口一番「痩せたねぇ!」と言ったのにも、お母様はただ黙って頷いて、全くお気の毒な人々である。ダンナ、気付いてねぇんだろうな、きっと。

しかも、今回の渡航費用(全員ビジネスクラス)から超豪華ホテル(全員スイートルーム)の滞在費、それに東京での豪華披露宴の一切合財に今建設中の新居マンション購入に当たっても、全てはこのお義父さんとお義母さんから出ているのだから、それを考えたらせめて「気」くらい使ってもバチは当たらないと思うけど?


というような有様なので、嫁さんはまぁホントに気苦労が多くて、せめて愚痴くらいは溢して頂戴なと、ワタシは出来る限り励ましながらも、何とか上手い具合にダンナにプレッシャーを掛けようと試みてはみるのだけれど、いやはや四十過ぎまでそうして育って来てしまったお坊ちゃまには、中々歯が立たないのであった。無念。


二日目の夜は、先方のご家族も一緒に、近所の寿司屋でご馳走になる。

そこでワタシと嫁さんのお母様とは、既に昼間、互いの腹の内を喋り合った仲なので、飛ばし始める。

いや、日本酒がワイングラスで出て来てしまったのが、いけないのである。あれはちびりちびりとやるのが、本来である。

そこへ、ダンナの妹さんと母上も加わって、飛ばす。どうやらここん家の女衆は、酒が強いらしい。

その後場所を変えて、彼らの滞在先のバアへ向かい、今度はカクテルで飛ばす。ここん家のカクテルはアルコール度が強いので、気をつけなけりゃならないと分かっていたのに、つい釣られて飛ばす。

あんまり楽しく盛り上がったので、ワタシは妹さんを引っ張り出して、今度はワタシの滞在先の部屋でビールを飲む。

多分そこでワタシは、「あのダンナ、ホントに大丈夫か?」と兄さんの悪口を言ったように思う。実は、その辺りから記憶が飛んでいるので、定かで無いのだが、妹さんも同意していたように思う。「アイツはいつもああなんだよね」というような事を言っていたような気がするが、何しろ定かでない。

遅いから泊まって行けと行った筈なのだが、「アンタ酔っ払いだから帰る」と言って、妹さんは夜更けに帰って行った。


(つまり、ワタシたちは皆心配し過ぎて、結婚式前夜に呑んだくれてしまったのである。と言い訳をしておく。)



朝、予定より数時間早く、目が覚める。トイレに立ったら、頭がぐらぐらする。

大事な結婚式の当日に、なんという事だろう。

薬を飲んだ方が良かろうかと思案していると、嫁さんから電話が入る。お母様の具合が悪いので、昼の髪結いの予約を交換して、先にやってくれないかと言う。お安い御用だと答えつつ、自分は辿り着けるだろうかと少々不安になる。

一先ず薬を飲んで休むが、シャワーを浴びようと思うのに身体が言う事を聞かないので、もう一錠飲んでみる。相当重症の二日酔いである。

漸くシャワーを済ませ、珈琲を入れて、無理矢理予約の時間に走る。髪結いには、「みっともない話だが二日酔いで苦しいので、ワタシ同様マダムにもお手柔らかに」と伝える。

出来るだけ簡単に済ませて貰って、それからマダムの様子を見にホテルの部屋へ向かうと、薬が効いたのか、マダムはけろっとして現れる。「貴方も吐いた方が良いわよ」とおっしゃる。そうですね。

とりあえず、嫁さんが支度中の部屋へ向かう。「嫁さん用の髪結い・メイクアップ」というのは、実際何時間も掛かるものらしい。こんな大事な日に二日酔いで済まない、と詫びながら、しかしここでは吐けないなぁと案じる。

そのうち髪結いを終了したマダムがやって来て、「だったらうちへ来て吐いたら?」と言うので、お言葉に甘えて彼らの部屋へ移動する。お父様が着替えの最中だったのだが、バスルームを拝借する。用を足すと、なにやら打って変わってすっきりとする。何だ、さっさと吐いてしまえば良かったのだ。


「いよいよですね」などと言いながら、「いざという時の為に、クリネックスはここにこうして入ってますから、パパ、何時でも準備は良いですよ」と言うと、「いやぁ、今日は泣かないさ」とお父様は笑う。

このお父様は、この日一日、ビデオカメラとデジタルカメラと普通のフィルムカメラとを駆使して、娘の晴れの姿を一部始終、取りまくっていたのである。

こんなのも?と思うようなシーンまで、「花嫁の父」の目線は、絶え間が無い。

そしてその後姿を見ながら、ワタシはこの親子の親密な関係に、じんわりと涙する。



式は、中庭で執り行われた。

うっすらと「にわか雨」が、降ったり止んだりする。

何故か日本語が流暢な「神父さま」がやって来て、二ヶ国語で式を進める。

これまで何度も聞いた、聖書にある在り来たりな台詞なのだけれど、ワタシはそれを聞いている傍から目がうるうるとして来て、「嗚呼本当に、ワタシも見守るけど、神様なり何なり、何でも良いから、この二人の行く末を、しっかり見守って行ってくださいな」と祈らずにはいられない。

無心論者のワタシは、仕方が無いので、あの島の澄み切った「空」に向かって、そう祈る事にした。

そこには、虹が出ていた。




写真を何枚か撮って貰ったりした後、ワタシたちはお茶を飲みながら(流石に「迎え酒」は苦しいので、シャンペンは遠慮した)、ディナーの時間まで待つ。

大学時代の別の友人が同居している男友達とやって来たので、彼らの「馴れ初め」なども聞く。三ヶ月の予定でこの国にやって来て、正に帰ろうというその丁度「三ヶ月目」に知り合ったという彼らと、この国にもう十何年も暮らしているのに、そういう運命の人には未だ巡り会っていないと思われるワタシ。世の中何かが間違っている。

この学友たちは、それぞれが「社長令嬢」でありながら「玉の輿」にも乗ったようなので、「今度は貴方の番よ」と、皆してワタシを励ましてくれる。そうですね、頑張りますと相槌を打っていると、先方のダンナ母上が、「大学院に行ってまで、そんな事を期待してちゃダメよ!他人のお金なんか当てにしちゃダメ!」と極々「まともに」言うので、そうですねと答えておく。

ちなみに彼女は、元社長秘書室勤務で、社内結婚だったそうである。ワタシに言わせりゃ、結局「嫁さん候補」で雇われた癖に、今更何を言うのだ、というカンジがするのだが、彼女の言うのには一理あるので、一応黙っておく。

しかし、幾ら大学院を出たところで、一般企業に勤めない限り大した収入は貰えないので、「玉の輿」は満更悪い考えでは無いと思う。



この島で唯一「五つの星」を取ったというレストランでの食事は、美味かった。

ワタシにとっては、その日初めての食事でもあったので、がつがつと喰った。



翌日、ワタシは夜の便で島を発つ事になっていたので、手早く荷造りを済ませてチェックアウトをすると、そのまま島の名物料理を試しに出掛ける。

こんな粗末なものは、彼らが一緒では味わう機会が無かったからだが、これの方がワタシの口に合うと見えて、朝からすっかり平らげる。

それから新郎新婦に連絡して、昼飯を一緒に取る事になっている例の別の友人カップルとの待ち合わせ時間などを聞く。ワタシはそれまで、近所の店で名物のジュエリーなどを破格で購入し、待ち合わせに赴く。

案の定余り空腹でなかったので、ワタシはサラダとデザートのみで済ませるが、ここのイタリアンは中々美味いと評判である。

(しかしこの店の真ん前にある寿司屋では、ネタが幾分古そうな上、日本酒がワイングラスで出て来るから、要注意である。)


午後は若夫婦と買い物に出る。

このショッピングセンターには、この正味四日間の滞在中、三回も来た。ニホンジンは買い物が好きである。そしてワタシが三点数千円の買い物にほくそえんでいる脇で、数十万円の買い物を幾つもしてしまう人々である。やはり「玉の輿」にでも乗らない限り、ワタシにはほぼ一生縁の無い店の数々である。

しかもそれは「夫婦揃って」なのだから、未だ始まったばかりのこのふたりの家計が、大いに心配である。



夕方ホテルに戻り、それぞれの家族に挨拶をして、ワタシはいよいよこの島を後にする。

別れ際、友人が泣き出す。

日本での披露宴なら兎も角、こんなところまでお友達が来てくれるとは思いも寄らなかったので、本当に来てくれて嬉しい、両親にも付き合ってくれて、彼らも貴方の事が大変気に入ったようで、それも嬉しい、と言う。

ええ、それにはワタシ側の拠所無い事情もあったのだけれども、しかしそうしてワタシたちの友情のネットワークが世界中に行き届いている事を、先方の家族、特にダンナ本人にはよくよく理解しておいて頂かないとね。彼が貴方を幸せにしなかったら、ワタシたちがいつでもすっ飛んで来て、どうなる事か分からなくってよ。

そう、ワタシはその為に来たようなものなのである。何しろ、来てみたらこのザマなのだから、ワタシは尚更取り止めずに来る事にしておいて本当に良かった、と思ったくらいである。

「結婚披露」というのは、実は大事な事なのだ。人様に知らしめておいて、もし何かあったら、がつんと一発やって貰わなくては。もう後には引けないのだから。



聞けば、彼の方が先に惚れたそうである。「結婚を前提としたお付き合い」を会って間も無く決めたのは、彼の方だそうである。ならば尚更、しっかりして貰わなくては。



帰宅したら真っ先に、大学時代の仲良しグループの友人らにメールして、「もし彼女に何か合ったら、日本にいる皆さんで是非力になってやってくれろ」とお願いする事にする。


宵闇の空港は、だだっ広くて何も見えなかった。


2006年04月16日(日) 南の島へ 前編

大学時代の友人の結婚式の為に、南国の島へ出掛けて来た。

というのも、ワタシは現在諸事情により日本に帰り難い状態にあるので、来月中旬に東京で予定されている「披露宴」というものに出席が困難である。ならば「国内」である某島ならば渡航可能、という事で、新郎新婦とその家族のみの極々内輪の「式」にお邪魔する事に相成った次第である。

ワタシはこの島には「初上陸」だったので、本当なら長い休みを取ってあちらこちらへ出掛けて満喫したいところだったのだが、差し迫っている作業が中々終わらないので、それを抱えながらのヴァケーションとなってしまった。結局、日程を大幅に縮小せざるを得なかったのは、誠に残念である。

実はこの渡航は、ワタシ的には大変不都合な時期にかち合ってしまっていた。「差し迫っている作業」の締め切りが本当に迫っていて、これの目途が立たぬうちに「ヴァケーション」に出掛けるのは、なんとも心苦しい限りであった。

一瞬行くのを止そうかとも思ったのだが、ワタシは国を出る際、大学時代の仲良しグループの友人らに「結婚式には絶対に何をおいても帰って来るから、必ず呼べ」と言い渡してしまったので、皆そのつもりでいる。今更引っ込みが付かないので、止むを得ない。

しかしそれでも、今回は無理を押しても行っておいて良かった、とつくづく思うワタシである。



というのも、実は先方のダンナになる人というのが、何とも頼りにならない男だったからである。

こうはっきりと言っては難だが、でも本当の事だから致し方無い。

嫁さんであるワタシの友人は「一人娘」なので、ご両親の心配は如何程かと思う。ワタシは、まるで自分の娘が不甲斐無い男の元へ貰われて行くような心持ちで、ご両親と互いの心の内を明かし合い、慰め合ったので、本当に祈るような気持ちで、彼らの行く末が穏やかなものである事を願っている。

このお宅は元々会社経営をしていて、所謂「跡取り息子」というのがいない。だから一人娘であるワタシの友人は、「婿養子」となるべき将来のダンナを探して、これまで長らく独身生活を送って来た訳である。

何年か前に決まり掛けた縁談が、先方の不慮の事故であっけなく壊れてしまって以来、彼女も恋愛に関して少し臆病になっていたように思われたが、この度また良い人を見つけたと聞いて、今度こそ幸せになってくれるだろう、とワタシも安堵していた。



飛行機を乗り継いで、夜遅くにワタシはその島へ辿り着いた。

勝手に「常夏の島」だと思い込んでいたのだが、どうやらそんな事は無かった。流石に地元で着ていたキルトのジャケットは要らなかったが、それでも半袖では少し肌寒いくらいの気候であった。

滞在先に到着してから、彼女に電話をして、夜も遅いのを承知で呼び出す。まあ一杯やろう。

つたない土産物を持参して、彼女の滞在しているホテルのバアで飲む。


ちなみにこの土産物は、所謂「大人のおもちゃセット」と呼ばれる代物なのだが、亡き父親の仕事の都合で海外生活が長いというダンナなら、この程度の洒落は通じるだろう、という思惑でもって用意した、「夫婦生活円満大作戦セット」である。いつもの事ながら、ワタシは「汚れ役」である。

それに、何しろ一体どういう人柄なのだかさっぱり分からなかったのだから、それ以外に適した代物が思い当たらなかった、という言い訳もある。


翌日の朝食に呼ばれて、ワタシは漸く彼女のご両親と再会を遂げ、またこの未来のダンナともお初にお目に掛かる事になるのだが、このダンナという人は、二ホンジンに良くいる「ボク、シャイなんです」と自分で言ってしまうオトコノコであった。

つまり、それを言い訳にして、碌すっぽ口を聞かないで済ませてしまう、非常識な男であった。

それが聞けば、間も無く四十代の半ばに差し掛かろうという「オトコノコ」だったのだから、ワタシは思わず眉間にしわが寄ってしまう。


飯の後、彼女らの部屋でその日の計画を立てていると、彼は突然テラスへ出て行ってしまう。気付いたワタシが、「あら、彼は何か気に入らない事でもあったのかしら?」と聞くと、彼女は「人見知りするのよね、良い年して」と言う。

朝食時にも殆ど口を利かないので、どうしたのかと思っていたけれど、どうやら自分からあれやこれやと気を回すような事は出来ない性質の人間らしい。

更に、「これはパパ以外の人は皆知っているけど、怒らせるといけないから内密に」と念を押して彼女が言うのには、どうやら彼、現在のところ「失業中」だそうである。

以前の職場で色々と揉め事があったらしいのだが、それにしたってもういい年なのだから、「後釜」の世話はちゃんとしてから喧嘩するだろう、普通。

それから直に仕事が見つかるだろうと高を括っていたのに、気付いたらもう数ヶ月経ってしまっているそうである。だから今は、一日中家に居るのだそうである。

ちなみに「家」というのは、母上と同居中の「実家」の事である。四十男がママと同居だってよ。


仕方が無いので、一通りワタシと彼女とで計画を立て、それからテラスで寝転んでいるダンナに「このようにしようと思いますけど」と言うと、「ああ、ボクはプールで日焼けしてますので、お構い無く」などと言う。

お構い無く?一人別行動かいな。それじゃ、何しにこんな島くんだりまで家族揃ってやって来たのか、分からないじゃないの。

しかも無職の癖に、就職面接に「日焼け真っ黒」で行ったら、貰える仕事も貰えないのでは?


一寸面食らったものの、致し方無いので、そのままその日は彼女とそのご両親とで出掛ける事にする。



彼らしいエピソードとしては、この日の夕方に起こったひとつの「あわや失踪!?事件」がある。

花嫁とその母とワタシの三人で、ネイルサロンを予約していた。ちなみにこれは、ワタシにとって初めてのネイルサロンである。「初めてづくし」の、今回の旅である。

「四時にネイルの予約をして、六時過ぎには終わるだろうから、七時にディナーの予約をしましょう。だから六時過ぎには部屋に戻っていてね。」

と言ったのに、彼は部屋にいなかったのである。書置きも何も無く、忽然といなかったのである。

ワタシはネイル後、ホテルのロビーで待っている事にして、嫁さんとお母様がそれぞれ部屋へ引き上げそれぞれの配偶者を連れて六時半に降りて来るのを待つ事にしていた。

そこへ、嫁さんがあたふたと小走りに出て来るのが見えた。しかし手を振ったと思ったら最後、姿が見えなくなってしまい、おやと思っているとまた姿が見える。ダンナを探して、ホテル内の彼方此方の店を覗いていたのである。

彼を探しながら一緒に部屋へ戻って、彼女の両親の部屋へ電話をする。「そういう訳で彼がいないから、六時半の待ち合わせはキャンセル」と告げて、暫く様子を見る事にする。

もうそろそろディナーの予定の七時になろうかという頃、思いついて、ホテルのフロントに何かメッセージが来ていないかと訪ねる電話をしてみる。「いえ、何が起こったかは分からないんですけど、念の為」と言い訳をしながら、彼らの手も煩わせる。

そうこうしているうち、彼がひょっこり帰って来る。手には買い物袋を抱えている。

一体何処行ってたの!?

驚いた彼女とワタシが問うのに、「買い物」と当たり前のような返事が返って来る。

要するに、彼だけ「ディナーは七時半」と思い込んでいて、そのつもりで店の予約も取った、と言うのである。

ワタシが更に呆れたのは、他人にこれだけ心配を掛けて置きながら、後にお義父さんとお義母さんに会っても一言も詫びる事をせず、堪り兼ねたお義父さんが冗談を装って「何処行ってたんだよ」と詰め寄るのにも、「え、あぁ買い物」と笑いながら答えた様子である。


あとで嫁さんとお母さんとワタシの間で、「まぁとりあえず見つかって良かったね」「ちょっとヒヤッとしましたけどねぇ」「(三者、真顔で頷く)」という会話があったのは、裏話である。



夕食で再び一緒になっても、彼は相変わらず口を利かない。

彼女が食べ物を選り分けて取ってやっているのを見ながら、それをワタシは「まあなんてラブラブなの」などとは勿論思わず、これは飛んだ「紺屋の白袴」だなと不安になる。


つづく。


2006年04月06日(木) ドラマチックな人々の事

毎日メールの嵐がやって来る。

以前にも日記に書いたけれど、このメールの殆どは業務連絡である。それがここ数日、またえらい量で日々やって来る。個人宛のものまでそういう全体向けリストに垂れ流すバカが多いのがいけないのだが、ゴミの山から重要文書を探し出すのは、大変疲れる。

今日もまた「ドラマ」が垂れ流されて来た。もうそういうのは「共演者」の皆さんで内々に処理しちゃってよ、と喉まで出掛かっているのだけれど、そう言うと所謂「陰謀論者」という人々が、「ある一定の話題が出ると必ず他所でやれと言い出す奴が出て来るのはどういう事だ…」などと、彼らなりに裏を掻いたつもりで更なる「ドラマ」を生み出すので、面倒臭いから止めておく。暇なのだな、きっと。

この「陰謀論者」の大多数は「政治哲学」の専門家のようなのだが、ディスカッションでもネタをいつまでもこねくりまわして「堂々巡り」が好きみたいで、なんて発展性の無い人々だろうと思っている。メールリストでお互い野次りあっているのを見ると、ホントは不安神経症か何か、「サイコロジカル・イシュー(psychological issue)」なのでは?とも思う。

先日は彼らだけで他所にディスカッションリストを作れば?という話になって、実際誰かが作ってあげたのに、排他主義はいかん!皆団結せよ!とか言い出す馬鹿がいて、あっけなくお流れになってしまったようである。舌打ちしたのは、ワタシだけでは無い筈である。

この愛すべき同僚らが、実社会でもう少しまっとうに暮らせる日が(早く)来る事を祈る。



昨日翌日
←エンピツ投票ボタン

みぃ |メールを送ってみる?表紙へ戻る?