せらび
c'est la vie
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みぃ


2006年03月29日(水) 近頃の問題その二

昨日の日記からの続きである。


ワタシは前夜に、ボスにメールの返事を送っておいた。

彼女は、以前ワタシたちの団体でフィルム上映のイベントを行う方向で準備をしていたのに、最終的に一方的な断りを入れて来た、例の気違い音楽家女史とその仲間たち(詳細は二千六年二月の日記殆ど全てを参照の事)から、そのイベントで上映予定だった、日本の女性問題活動家たちの「ドキュメンタリー・フィルム」というののコピーを購入する事にしたようである。

それ自体は好きにして貰って良いのだが、何を血迷ったのか、あれ程振り回された挙句に交渉決裂したにも関わらず、そのフィルムのコピーDVDを使って、うちの団体で「フィルム上映会」をやりたい、などと言いだしたのである。

更にワタシを憤らせたのには、ワタシが「蟹座のがみがみガール」と呼んでいる同僚が、そのボスの申し出に対して、安易にOKを出してしまった事である。

ワタシはこの前後左右を考えられない、浅はかな同僚の対応に大いに腹を立て、流石は「国語で成績が良かった例が無い」という彼女らしい洞察力の無さと呆れる。しかしそれを一寸抑えて、暫く動向を見守る事にする。

ボスは「がみがみガール」が間違えて指定した日程が、いつもワタシたちの団体でイベントをやる金曜日で無い事に直に気付いて、「それは金曜では無いけど、良いのね?」と念を押す。「がみがみガール」は漸く間違えに気付き、「ああ済みません、その日ではなくてこの日でした」と訂正する。

その後はどうやらそのまま話が進んでしまいそうな気配なので、ワタシは漸く返事を書く事にする。


「基本的な事柄について確認させていただきたいのですが、その『日本の女性問題を描いたフィルム』の上映、とおっしゃっているのは、例の***の事でしょうか?それとも別のフィルムでしょうか?もし別のものなら、タイトルをお知らせ下さい。***だと仮定して、既に諸問題によって先方から土壇場でキャンセルされ、それによってワタシたちは随分と迷惑を被りましたのはご承知の通りですので、ワタシ個人としては彼女たちのフィルムを宣伝してあげる云われは全く無いものと考えておりますが、それでもそのフィルムを上映して人々に見せたいとお考えなのですか?差し支えなければ、どうしてそうしたいのか、お知らせいただけますか?それからこのイベントをやる方向で話を進めると仮定して、彼女らに知らせずにフィルム上映を公に行う事、またそれに我々の通常のイベントと同様に入場料をチャージしない事について、著作権上の問題などが生じるように思いますが、うちでイベントを開催する予定について、先方に知らせないでも良いのでしょうか?また、彼女らは既に二月に、この街で二箇所においてフィルム上映会を開催しておりまして、我らの団体の常連出席者の中には既にそこでフィルムを観たという人々もいるようですが、それらの人々が再び観たいと思うかどうか疑問ですし、それにより動員数に影響があるようにも思います。以上の点につきまして、ご意見を伺いたいと思います。」


朝になって届いたメールによると、ボスは「このフィルムは多くの人に観て貰うのが良いと思うからやるのだ、嫌なら他所の団体へ持って行くから結構、貴方がやりたくないなら好きにして良い」などと言っている。

別にワタシ「個人」が所有する団体ではないので、「ワタシ」の一存で企画をやるかやらないかは決められないのだが、何故そんな意地悪を言うのだろう、とワタシは驚く。

更に、「それにあの一件に関しては、自分は全く関与しない『性格上の問題』によって反故になったのであって、自分には関係無い事である」などと続いている。

「性格上の問題」とは、一体誰の問題を仄めかしているのか。

ワタシと幹部らの間では、それはあくまであの「気違い音楽家女史」の勝手な妄想である。しかし彼女はそれを自分の同僚である「コーディネーター女史」とうちのボスにまで、まるでワタシが悪いかのような方向で言い訳をして、それを理由に交渉決裂せざるを得なかった、などという風に、どうやら裏では話が付いているようである。そして残念な事に、本来ワタシをサポートしてくれる筈の立場にいるボスは、他人が訴えるそれを鵜呑みにして、ワタシという人物を評価する事にしたようである。

ワタシは、これまでこの団体の利益の為にして来た自分の「プロフェッショナル」としての色々の働きが、ボスにとっては、こんな下らない事ですっかり帳消しにされ、恰も「性格上の問題」がある人物であるかのような印象を持たれているらしい、という事実に、朝っぱらから大いに驚き、傷ついた。

これは、睡眠不足の頭には、少々応えた。



ワタシはその日、朝から例の教師をしている同僚の誘いで、とあるイベントの手伝いをしに行く事になっていた。

子供相手の活動なので、尚更疲れた顔は見せられない、とワタシは気を張って一日過ごした。

いつも思う事だが、子供たちというのは、大抵明るく好奇心に満ちている。そして彼らは、どうやらワタシの事も「先生」だとでも思っているのだろう。すっかり安心し切って、ワタシのするに任せている。蓋を開けたら、只のぐうたらで出来損ないの大人なのに。

そして困った事に、ワタシの同僚である本当の「先生」までもが、ワタシがある企画を主導して子供たちと接しているのを眺めながら、中々良く出来ている、今すぐにでも「先生」になれる、などとお世辞を言ったりするのである。

勿論、それは買い被り過ぎである。実際ワタシは、冷や汗を掻きながらやっていたのであって、それは後で気付いたら、ワタシの着ていた徳利のセーターを通り越してその上のコットンのカーディガンにまで染みていたのだから、それを見たら直に分かる事である。

何しろ、ワタシはそうやって信用し切っている子供たちの期待を裏切らないように、精一杯頑張って、即席の「先生もどき」な事をやってみたのである。加えて裏方の仕事も手伝ったりしたので、大変疲労困憊した一日であった。


本当の「先生」たちと知り合い、一緒に企画運営や片付けをやって、それから打ち上げに誘って貰う。旨いビールとビルマ料理に舌鼓を打ち、楽しく談笑する。

ワタシは本当はその日は物凄く疲れていたのだけれど、そして深く驚き傷ついていたのだけれど、そしてそれを誰にもぶちまける事も出来ずただひとりで堪えていたのだけれど、しかし一日の終わりには何やら言い知れぬ充足感に満たされていた。

希望に満ちた子供たちと、その子供たちを楽しませようと、あちらこちらへ忙しく駆けずり回る先生たち。憂い立ち止まっている暇など、誰にも無いのである。

勿論、そんな慌しく苦しい一日が終わって、漸く予定の無いゆったりした翌日を迎えたら、ワタシは休息と回顧に費やす事が出来るたっぷりとしたその一日を、有り難く思う。自分の身に起こった色々の出来事をゆっくり噛み締め、消化する時間が、ワタシには必要だったのである。

そうして少しずつ混乱が溶け始め、ワタシは漸く冷静さを取り戻す。



他の幹部らに、ここ最近の「フィルム上映会」開催についてのボスとの連絡内容を転送して、意見を聞く。

ワタシとほぼ同様の反応を示す人が多かったのは、救いである。尤も、異常だと思わない方が可笑しいと思うのだが。

それから「がみがみガール」に、「ボスは自分の楽しみの為にフィルムのコピーを購入するのに、何故それに対して『有難う御座います』などと言ったのか」と聞いた。

すると、「フィルムのコピーを買ってワタシたちの為に提供してくれる事に対してのお礼の積りだったのだが、良く考えてみると貴方が指摘したような問題点が沢山あるので、拙かったと後で思った、済まない」と返事が返って来た。いつもの事ながら、文脈を読めない女である。



ところで、明日辺りにはシャワーを浴びたいと思っているのだが、不安である。


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